茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
さて、十二月である。
師走になって忙しい忙しいというのが世間の定番だが、気ままな数理物理学者のおいらは、気楽なもんさ --- などと書いてみたいところだが、どうも、そういうのとは相当に違う気がする。 というか、これからの一週間のことを思うと、さすがに、頭がくらくらする。
専門外の聴衆に向けての長時間のトークである。 せっかく招待してもらって講演のチャンスをもらったのだから、丁寧に大切に用意しなくてはならない。 どんなに時間をかけてじっくりと準備しても、やり過ぎということない。 しかーし、日記の読者はご存知のように、一週間前に KNST 論文に深刻なミスがみつかるという「大どんでん返し」があったわけで(11/30)、そこからの復旧や、残った理論の消化などにひたすら追われていて、もはや講演の準備とかそういうレベルじゃねぇぞという日々が続いておったわけです。
というわけで、今のところ、準備はゼロ。
さらに、これからの一週間の予定をみると、本来の講義の他に、月曜日には(教務のミスの後始末でボランティアで担当している)大学院科目の講義の最終回、火曜日には臨時の会議二つ、水曜日には大輪講(四年生の卒業研究の中間発表の会)の最終回とそれに続く学科のコンパ、といった臨時がイベントが。 金曜はもともとびっしりと予定があるので、実質、余裕があるのは木曜だけである。 しかも、しかも、9 日の日曜日には公募制推薦の入学試験があり、学科主任であるぼくが取り仕切ることになっている。 前日の土曜日は(研究会で)全く仕事ができないから、それ以前に段取りを全てつけておかなくてはいけないのじゃ。 ひいいい。
先週、(ボランティアでやっている臨時の)大学院の講義で、専門からはちと外れる情報理論の話題から、情報圧縮についてのシャノンの理論を紹介したのだ(11/17 の日記に書いてあるね)。 で、そこで「来週が最後だけど、なにか話してほしいことのリクエストとか、ある?」と気楽に聞いたところ、 O 君から、
情報チャネルの容量の理論についても話してほしいという要望があった。 実は、このリクエストは予期していなかった(量子系のエントロピーとか、エントロピーと相転移とか、そういう気楽にできるテーマに持って行こうかなと秘かに思っていたのだなあ)。 でも、考えてみれば、情報理論の二つの柱のうちの一つの情報圧縮について紹介したのだから、もう一つの柱である情報チャネルについて話せというのは、実に、ごもっとも。
とっころが、しかし、 情報圧縮の方は、(本の最初の方に載っているし)使い慣れたシャノンエントロピーで一発の話なのだが、情報チャネルの容量の話には、相互情報量とかいう耳慣れない物が登場してきて、親しみがない。 正直言って、ほとんど知らないのだ。
「いや、あれは難しいし、本題のエントロピーからは大きく外れるしね・・・」と逃げてもいいのだろう。 だが、田崎晴明ともあろうものが、自分からリクエストを募っておいて、知的挑戦に背を向けるなどということがあっていいだろうか?
というわけで、今日は、ともかく Cover-Thomas の本を開いて、情報チャネルのお勉強なのだ。 明日こそは研究会の準備に使うべきだから、今日のあいだに、伝送路符号化理論の内容を理解し、かつ、初心者向けに理論の本質をコンパクトに解説をするシナリオを作らなくてはいけないのだ! 大変だーっ。無理難題だっ。でも、楽しいぞーっ!
寒い季節だがプールはけっこう混んでいる。 まじめに泳ぐ人たちばかりだ。
あまりに久々で、なかなか調子が上がらなかったが、最後は筋肉も暖まって快適に 1000 メートルを泳いだ。 泳いだり、水中を歩いたりしながら、情報チャネルの話を復習する。 相互情報量の意味が今ひとつ腑に落ちていなかったのだが、頭の中で理論を再現しているうちに、全ての「文字」が対等な場合には定義がずっと間単になることに気づき、これで、暗算でも計算できるようになった。 よい感じだ。 例題は、教科書にある定番の三つを使えばよいし、うまくいくぞ。 おお、しかも、シャノンの定理の「心」を見れば、要するに、ボルツマンの S = log W が本質になっているではないか! こうして、期せずして、四回の臨時講義は(情報チャネルという文脈で!)ボルツマンに戻って、エンディングということになる。 めでたし、めでたし。
ふう。
どうにかなるかと思った怒濤の一週間だったが、なんとか乗り切ることができた。 週末も休めなかったし、まだ、明日までの主任雑用の宿題があるのだけれど、ま、なんとかなるだろう。
hiroyukikojimaの日記を始められたのだ。
小島さんは、数学出身の経済学者で、数学エッセイストでもある。
小島さんとは何年か前にネット上で知り合い、(例によって)未だお会いしたことはないのだけれど、色々な事を教えてもらっている。
特に最近のぼくは随分と彼の影響を受けていると思う。
考えてみると、一時期木村カエラちゃん狂いになったのは彼に CD を強くすすめられて買ったのがきっかけだったし、アヴリルちゃんのファンになったのも小島さんの影響が大きいし、 小島さんの確率論の本を読んだことはぼくが主観確率と客観確率の関係について真摯に考える一つのきっかけになったし、秋の学会の経済物理シンポジウムに備えてまず勉強したのは小島さんのミクロ経済学の教科書であり、また、経済学について全く無知だったぼくに、この学問の本質を懇切丁寧に教えてくれて大いに蒙を啓いてくれたのも小島さんだった。
小島さんは、経済学者といっても、さまざまな体験にもとづく幅広い視点をもっておられるし、音楽を中心にした趣味の世界も実に豊か、そして、エッセイストというくらいだから、文章は圧倒的にお上手である。 ぼくは、かなり前から、彼こそネット上で軽い文章を公開すべきだと思い、それを勧めても来た。 今回、ブログを始められたことを心から喜んでいるのだ。 多くの人たち(とくに、若者)が彼のブログを読み、彼がずっと書き続けることを願っている。
今のところ、まだ三回目だが、すでに、彼にしか書けない素敵なエッセイが並んでいる。 これから先、ご専門である経済学や数学を中心に、彼が愛してやまない様々な音楽や音楽家についての話題、そして、ぼくなどは何度生まれ変わっても到底足元にも及ぶべくもない圧倒的な知識と情熱に支えられたアイドル話などが展開していく物と期待される。
是非とも、みなさん、さっそくアンテナに登録し、人にも宣伝してください。
あひゃー。日記を書かずに油断していたら、月末になっているのではないか。
いや、月末というより年末。 いよいよ押し詰まっているのである。
あまりに日記を書いていなかったので、なんとなく、気楽に書く感触が戻ってこないけど、ともかく、少し書いておこう。
主任の仕事で印象に残っているのは、来年度の卒業研究の研究室を決めるための研究室紹介を企画・運営したり、研究室志望調査の書類を作ったりしたことか。 これをちゃんとやらないと、学生さんにひどく迷惑だからね。 今のところちゃんとやったと思う。
近いところでの日程は、第一回調査の締切が 1 月 11 日で、その結果の発表が 15 日。 なんのことはない。 去年の日程を参照し、曜日を保存して、日付をちょっとずらしただけなのだ。 これなら問題が生じようはずもない --- と思ったのだったが、よく考えると、12 日から 14 日まで、研究会に出るつもりだったんだ。 ずっと前から決まっていたではありませぬか。 やれやれ。研究会に全部でるのは無理かも知れない。
ここには、いくつかのきわめて非自明な新しい結果があると信じている。
眠れなくなったり吐きそうになったりする事はあまりなくなったが、でも、時々は、ある。 実は、数日前に、かなり大きいのが来たのだ。
論文について言えば、今でも Los Alamos の preprint server に間違いのある最初のバージョンが載っているのは問題で、はやく改訂版を出さなくてはいけない。 色々とアイディアがわいたりして、なかなか収束しない。 でも、今日も作業をして、version B-03 というのを共著者のみんなに送ったところで、少し、収束先が見えてきたような気がしているところである。
1 日の日記にも書いたように、8 日の午後に、熱測定学会のワークショップで、新しい非平衡定常系について講演をした。
これは、すさまじく面白いワークショップだった。 講演者(全員が招待講演)は実に多彩で、きわめて幅広い範囲で、それぞれに個性的で面白い研究を紹介してくれた。 しかも、皆さん、実にお話が上手で、専門外の人が聞いて分かるように、背景の説明なんかもすごくきちんとしていた。 俺以外は。
いやあ、わしはダメだった。
もちろん、ちゃんと淀みなく話したし、概念の説明も一生懸命に身振り手振りを交えてやったし、それなりにインパクトのある講演をしたつもりだ。 しかし、それだけではダメなんだなあ、やっぱり。 自分自身の話す内容をしっかりと消化し、いったん他人の視点で眺めてから、背景や思想も含めて、人に語る、ということが全くできていないのだ。
さすがに、二週間弱前に、理論の大きなミスがみつかって、大激動があったという状況で話をするのは、無理があったということか・・・ (講演しながら、「二週間前にミスが見つかって、青ざめて・・」と話していて、ふと、自分の日付の感覚に自信がなくなった。 「あれから、ああいうことがあり、こういうことがあり、それから佐々さんがソーレ効果を持ちだしてきて、ああいう考察があり、あの予想があり、それが間違いだとわかり、こういうことがわかり・・・」と考えるだに、これがたったの二週間だとは思えなくなってきた。 一応、最初に「二週間」と言ったので、「二週間」と言い続けていたが、そのうち、これは絶対に「三週間」の間違いだろう、つい講演で舞い上がって間違った日付を言っているのだと信じるようになっていた。 が、家に帰ってみてみると、実際に二週間だった。 ほんと、長い、二週間だった。)
不思議と研究会が続くもので、月末にも、もう一つあった。
そっちについては、日記の頭のところにアナウンスを出したので、ここに移しておこう。
「結晶成長の数理」という研究会で、最近の非平衡定常系の熱力学関係式(など)の話をします。
場所は学習院大学の南 2-200。
26 日の1時過ぎから、ぼくと佐々さんが続けて 45 分ずつ話すという、年末ぎりぎりの豪華企画。
他の講演者も豪華です。もちろん入場無料、参加自由。
お誘い合わせの上、是非どうぞ。
ただし、招待講演以外にも色々とある普通の研究会だから、まあ、質がそれほど高くない物も、それなりに、あった。 特に、次から次へと近似して方程式を安っぽくしておいて、それで数値計算をする、というノリはいかんなあと思った。 理論をやるならちゃんとやる。数値計算をやるなら、徹底的に技巧を凝らして、意味の明解なモデルを使うべきだ。 カルチャーの違いでしょと言って納得してはいけない。 ダメなものはダメだと思う。
どちらの研究会でも、昔からの知り合いと話したり、長く会わなかった人と再会したり、新たな人(特に、若い人)と出会ったり。 やっぱり、こういう、人との交流が特に楽しい。
年末恒例のきんとんは、昨日のうちに作ってしまったので、今日は割と気楽だ。
大晦日といっても、佐々さんと論文草稿についてのメールのやりとりをしたりし過ごしている。
いつかちゃんと聞いてみたいと思いながら、そのままになっていたけれど、今なら、YouTube でさがせば、すぐに見ることができるわけだ(YouTube にあった PV。他にも、アマチュアバンド時代の演奏(少しアレンジも違う)も見られる。無料で聴くばかりでは悪いなあと思ったけど、iTunes Music Store には、昔の曲はないみたい)。
うひゃー。
これは、やっぱり、すごいわ。
すると、その場で最年長だった人(ある大きな大学の教授(ぼくも仲がいい人で、業績も素晴らしい))が、「ポスドクの時が、いちばん楽しいよ」と語り始めた。 確かに身分が安定しないという不安はあるけれど、他の仕事に時間を取られず、自由にめいっぱい研究できるのは、ポスドク時代だけだからだ、と。
たまたま、その場で飲んでいたメンバーは、その一人を除けば、全員が何らかの定職についていた。 それで、皆さん、最年長の人の発言を受けて、「そうだね、あの頃はよかった」的な感想や想い出を次々と口にしていった。
で、まあ、ぼくも、かつてはポスドクを経験して、今は定職についている(しかも学科主任などをやって、ひいひい言っている)立場として、同じように「そうだよ、あの頃がベストだった」的発言をする流れだったわけだ。 でも、その時、ぼくが口にした台詞は、
「ぼくは、今が、いちばん楽しいなあ」
だった。ぼくは、Princeton の Lieb のところで二年間ポスドクをやった。 Lieb は、単に大物というわけではなく、本当に素晴らしい(しかし、すさまじく厳しい)科学者で、彼と(そして、その頃 Princeton にいた、Tom Kennedy や Ian Affleck らと)密接に共同研究したのは、素晴らしい体験だった。 ものすごく楽しかったし、それ以上に、ぼくという科学者を本当の意味でレベルアップしてくれるような経験になった。 さらに、Princeton では多くの訪問者と接することができたし、すぐ近くの Rutgers で定期的に開かれる統計力学の会合やセミナーに出ることで、主催者の Lebowitz をはじめとして、数多くの重要で素晴らしい人たちと顔見知りになることができた。
生活面でも、妻と二人で異国で暮らし、大変だけれど楽しい日々を過ごした。 上の子供が生まれたのも、Princeton にいるときだった。 出産のために通ったラマーズ教室では、大学では知り合えない、割と普通のアメリカ人たちと仲良く接することもできた。
とまあ、本気で書き始めると、終わらないので、やめとこう。 要するに、ぼくだって、人並み以上に、素晴らしいポスドク時代を送ったと自分では思っているということだ。
確かに、(後半は赤ん坊を育てながらのポスドク生活だったけれど、それでも)若い頃には、研究の時間がたっぷりとあった。 また、当然ながら若い頃の方が、基本的なエネルギーも高いし、頭の回転も速かったはずだ。 新しい分野に飛びついて吸収して自分で仕事を始める勢いにも、爆発的なものがあった(当社比)。
でも、この年齢まで研究(と、学習)を続けてくると、(別に、すごい事を達成したというわけじゃないけど)目の回りに見えている風景が確実に圧倒的に広くなっているという自覚がある。 一つのテーマについて(別に、研究に直結していなくても)考えるにしても、きわめて多くの他の物事と関連づけて、広い視野を保ちながら、夢想し、方向付けをし、考えることができるようになった。 これは、本当に素晴らしい事で、個々の問題に必死で立ち向かっていた若い頃には決して味わえなかった深い喜びなのである。 そして、そういう広い視野からみた風景の中で、自分の研究が少しでも意味を持ちそうだと感じられれば、それは、実に深い深い喜びとなる。
さらに、少し研究の本道からはずれるかもしれないけれど、講義をしたり、解説を書いたり、本を書いたりすることで、自分なりの視点を広く物理を学ぶ人に伝えることができる。 これは、理屈抜きで楽しいことだし、きっと素晴らしいことなのだと信じている。 こういった事の積み重ねで、ひょっとすると、これから先の物理の流れに、ほんのわずかでも影響を与える事もできるようになって来つつあるかもしれない(と自分で勝手に思っている)。 これも、実にわくわくすることだ。
やっぱり、今になっても、ポスドクの頃のように、自分で必死で研究するのが一番楽しい。 もちろん、年をとったし、雑用も圧倒的に多い。 ここには決して書いていないし決して書かないような、いわゆる人に言えない苦労や悔しいことだって、ないわけではない。 でも、なんといっても、今は、ポスドクの頃にはできなった、色々な楽しいことができる。 年を取って、学問を、様々なやり方で楽しめるようになったと言ってもいいかな。 そういう意味でも、誰がなんといおうと、ぼくは「今がいちばん楽しい」のだ。
「田崎、空気読め」
と苛立ちながら読んでいる方もいらっしゃるだろうなと思う。
ただの酒の席ではないか。 最初に「ポスドクが一番」と言い始めた人にしても、高い評価を受け、田崎などと比較しては失礼なほど、研究の流れに大きな影響をもって、充実した教授生活を送っているはずだ。 それを敢えて、そういう発言をしたのは、がんばってポスドク時代を生きている若者への激励のためだったのではないのか? せっかくみんなでポスドクを励ましているのに、なぜ、おまえは水を差すのか?と。 あるいは、
今や、ポスドクとして研究に参加しても、かなりの確率でアカデミックポストには残れない時代になった。 おまえたちが、定職につき、安穏と研究を続けていられるのは、単にラッキーだったからではないのか? それなら、不安定なポスドクの身分でもがんばって研究している人たちに、後ろめたさを感じて、もっと配慮すべきだ。 「大学教員の立場が楽しい」などということは、たとえ本音で思っていたとしても、口に出して言うことじゃない。 「大学教員になっても大したことなんかない」という空気を作るのが、時代の流れだし、それが正しい態度なんだ。 大人になれ!という、よりシビアーな意見もありうるだろう。
たとえば、ある大きな大学につとめている人が、ずっと前に停年になった老先生に「大学の先生というのは、学生からみて、『かっこいい』存在じゃなくてはいけない」と言われ、弱りながら「いえ、時代がちがう。今や、かっこいい大学の先生なんていません」と答えたという話を聞いたことがある(ぼくは、楽しくバタバタとやっているだけで、「かっこよく」なれるとは思えない。でも、この老先生のおっしゃりたい事は分かると思っている)。
あるいは、別の大きな(かなり優秀な学生さんがたくさんいる)大学の学生さんと話していたとき、「今の学生は、将来も物理を研究したいという強い憧れをもっていても、将来うちの大学の教授になりたいとは思わない。教授たちが(研究以外の雑用で)あまりに忙しくてろくに研究できないのを目の当たりに見ているから」という話を聞かされたこともある。 さすがに驚いたけれど。
確かに、制度が変わるたびに大学をめぐる空気が悪くなっていくのは事実だろう。 あるいは、アカデミックポストの数よりもはるかに多いポスドクの人たちに、大学教員は決して理想的で目指すべき「ゴール」じゃないという意識を持ってもらう事も必要なのかも知れない。
でも、ですよ。
社会に対して最低限の貢献をしつつ、好きな研究を自由に続ける事のできる数少ないポジションである、大学教員という立場にいる人たちが、全員口をそろえて「大学教員なんて惨めな職だ」と言い始めていいものなのだろうか? もし、本当にそうだったら、学問は終わっているではないか。 あるいは、ポスドクの人たちにとっても、それではあまりに(ぼくのあまり好きな表現じゃないけれど)「夢がない」と思わない? せっかくバリバリに研究して素晴らしい風景を開拓しているのに、その先に一つの可能性としてあるべき大学教員という道が、ぜんぜん楽しくないんだったら、なんか寂しいんじゃないかな? もちろん、研究というのは、将来のキャリアのためにするものじゃなくて、そのものが楽しいわけだけれど、でも、(狭い意味で)「成功」して大きな大学の教授になってもろくなことがないよ、なんていうのは、ちょっと悲しすぎるでしょ。
確かに、大変な事はたくさんあるだろう。 でも、本当に研究を愛し、学問の世界に生きるべく運命づけられているのなら、社会に公認されながら生涯を学問の世界で過ごすことを許された立場にいることは、感謝してもしきれないくらいの喜びではないのだろうか? 少なくとも、ぼくにとっては、そうだ。
それなら、そういう喜びを隠す(あるいは、敢えて自覚いない)のは間違っていると思う。 まして、学問の世界の入り口で必死で努力している若者たちに対するとき、敢えてそういう喜びをおさえるというような人がいたとすると、それは本当に失礼な事だとぼくは信じる。 真に優れた研究というのは、強い強い意志と動機付けと、そして学問への真摯な憧れがなくては、決して達成されないものだと思う(それらがあっても、普通は、達成されない)。 そうであれば、幸いにも学問の世界に遊ぶことを許されたぼくたちが、そういう人生の喜び(もちろん、それに伴う苦しみも)を素直に伝えることこそが、若い世代の研究者たちへの真の応援になるのではないのだろうか? アカデミックな職を得られない人がたくさんいることに気をつかって、学問の世界に生きる喜びについて沈黙してしまうのは、致命的な過ちだとぼくは思うのだ(そもそも、そういう喜びとは無縁なのだが、たまたま大学教員をやっているという人もいるんだろう。そういう人たちはさっさと退職して、若い研究者にポストを明け渡せばいいと思う)。
もちろん、自分が、いろいろな意味で「恵まれている」という自覚はもっています。 お世話になっている皆さんに感謝するとともに、こういう幸運にも感謝したいと思います。
みなさま、どうかよいお年をお迎えください。