茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
今年の年賀状です。
写真は、十月(だったかな?)の「ノーベル賞の解説の会」の後に撮影。 やたら笑顔ですが、実は隣に解説を聴いてくれた学生さん(女性)がいて、写真を撮っているのも別の学生さん(女性)だということと関係あるようなないような。
1 日には、両親の家を訪れ、両親と弟一家とにぎやかに過ごす。 息子が免許を取り、行き帰りの運転(のうち、あまり危なくないところ)をするようになったので楽になった。
相変わらず紙に三角をいっぱい描いて、フラックス入りの電子系の設計をする。 姪っ子に「何してるの?」と尋ねられたので、お絵描きだよと答える(といっても、彼女も大学一年生なのだ)。 それからカゴメ格子を描いて見せて、これが「籠の目」という意味で「カゴメ格子」と命名され、それが国際標準になっていること、海外で「ところで、Professor Kagome はご健在か?」と訊かれた人がいるといった定番の話を。
ふむ。
梯子風の格子上のモデルで、flat-band をもち、かつ、このバンドの状態を局在した状態では決して書き表せないモデルができたような気がする。 だからどうってことはないのだが、バンドを局在状態で張れる場合には、面白いことがないと分かっているので、局在基底が取れないモデルをみつけることが面白そうな話に向けた第一歩なのだ。 さて、二次元で同じようなモデルがほしいのだが、というわけで、さらに三角をいっぱい描く。
まず、5 日から、谷島さんの還暦を記念するシュレディンガー方程式関連の国際研究集会があり、これには Elliott Lieb も参加するし、ぼくも 7 日に話をさせてもらうので、できるかぎりちゃんと出席する。 ただし、8 日には、物理学科の来年度の卒業研究にむけた研究室紹介の会があるので、国際会議の最終日はお休み(ぼくのスケジュールのミスだ。まあ、昔のイタリア出張と大学院入試が重なるようなミスに比べれば、かわいいものだけど)。 研究室紹介には、主任としてちゃんと準備をして臨まなくてはならない。
このあたりは、みんな「来年の話だ」と思って気楽に構えていたので、準備ができていないのだ。 ということは、3 日は妻の実家に行くので、4 日には会議での講演の準備と、研究室紹介の準備をしなくてはらならないということになる。
というわけで、今日は、もう一つの宿題だった「みすず」の「読書アンケート」を片付けてしまう。 「2008 年のあいだに読んだ本についての感想を 800 字で」という読書感想文企画だ。
いつか、(世間の観点からすると)全く理論物理学者っぽくない無茶なものを取り上げたいという野望をもっているのだが、あまりに本業が忙しいので、無茶で重い読書をしている暇がないのだなあ。 今回は、素直に面白いと思った新刊の紹介ということで、イーガンの新作長編 Incandescence と新しい短編集 Dark Integers and Other Stories のなかの Oceanic(これは十年前の中編で、邦訳「祈りの海」が出ている)を取り上げることにした。 今までとは違って、(物理学者風味を出しつつ)肩の力を抜いた軽い紹介文風のものを書いてみたが、さあて、どんなものかな?
ちなみに、下書きを妻に読んでもらったところ、少ししたら、一階に降りていって本棚から(彼女は読みかけの)「祈りの海」を出して来ていた。 読んだ人にイーガンに興味をもってもらいたいという目標は(少なくとも、妻一人に関しては)成功したようだ。
以下、まとめて、二年前と一年前の記事を掲載することにしよう。
「2005 年に読んだ本」では、アインシュタインの記念の年ということで、アインシュタインの伝記をとりあげた(2007/1/5)。 となると、2006 年はボルツマンの悲劇的な死から百周年なので、「2006 年に読んだ本」はボルツマンの伝記ということになる。 ただ、パイスの書いたアインシュタインの伝記のような決定版がないし、そもそもボルツマンや統計物理というのは(アインシュタインや相対論と違って)一般の人には馴染みがないので、なかなか苦労した。
1) D. Lindley, "Boltzmann's Atom" (Free Press)
2) G. Gallavotti, "Statistical Mechanics" (Springer)
一昨年はアインシュタインの「奇跡の年」の百周年が(少なくとも私のまわりでは)話題を呼んだ。実は、昨年はオーストリアの物理学者ルードヴィッヒ・ボルツマンにちなむ百周年だった。
ボルツマンは、統計物理学という分野の生みの親の一人。統計物理とは、目に見えないミクロな世界と目に見えるマクロな世界を論理的に結びつけるための理論的手法である。マクロな生命がミクロな構造をもった世界を理解するためには必須の知的営為と言える。
十九世紀後半、ボルツマンは、統計物理の方法を開拓しつつ、原子にもとづく新しい科学を推し進めた。その結果、原子の実在を否定するマッハらとの熾烈な論争に巻き込まれていく。1)は一般向けの伝記であり、天才科学者として華麗なスタートをきったボルツマンが、次第に精神的な不安定の兆候を示し、晩年には哲学的な論争の中で消耗していく様子を描き出す。科学的な内容について掘り下げが甘いのはともかく、論敵マッハが戯画的に描かれているのは不満。
ボルツマンの論文は長大で晦渋であり、統計物理学の本質についての彼の思想は驚くほど誤解されてきた。2)は本格的な数理物理の教科書だが、ボルツマンの論文のいくつかを詳細に分析し、彼が熱平衡状態の記述について大胆な構想を持っていたことを伝える。彼の名を冠して語られる教科書的統計物理は、彼の思想のごく一部を切り出した矮小化だった! 百年以上の後、統計物理学の基礎付けと拡張の問題に挑戦する我々にとっても、彼の忘れられていた洞察は深い示唆を与える。
「私はよく、非常に愉快かと思うと、わけもなくひどい憂鬱に沈んでしまうが、このような気分の移り易さは、私が謝肉祭の大騒ぎの夜に生まれたことに、原因があるのかも知れない」と本人が冗談まじりに語ったように、ボルツマンは躁鬱の傾向を持っていた。ちょうど百年前の1906年の夏、ボルツマンは、精神の不調から回復するため滞在していた避暑地ドゥイノで、自ら命を絶って世を去る。まさに、量子論が開花しミクロな世界の物理学が爆発的に進歩する前夜であった。
J. L. ボルヘス、 (1) 「伝奇集」(岩波文庫)、(2) 「砂の本」(集英社文庫)、(3)「エル・アレフ」(平凡社)
ふと、学生時代に愛読したボルヘスをまた読みたくなった。家や実家の本棚をあちこちさがしたのだが不思議とみつからない。今ぼくが生きている時間の流れにこの希有の作家は存在しないのではないか --- などと考えると無性に愉しいが、もちろん現実はずっと堅固だ。結局、ぼくのボルヘスはみつからなかったが、文庫本で出版されていた三冊を買いそろえて久々に彼の世界に浸った。
「バベルの図書館(1 所収)」、「砂の本」は、組み合わせの枚挙、無限性といった数理的概念を軸にした短編。数理科学者の心をくすぐる。実際、ミクロや量子の世界に浸り、その世界のありようについて、数理的概念にもとづいてあらゆる空想・妄想を展開することは、われわれの仕事の重要なステップだ。そこには、形而上学的な着想をもとに世界のあり方そのものを描く(ように、ぼくには見える)ボルヘスらの文学作品と何らかの共通性があるかも知れない。
もちろん、数理的概念や着想そのものに文学的価値はない。半現実、非現実、超現実の舞台にそれらの概念を絶妙に実装し、人間をそれらに対峙させ、「世界像の新たな次元に迫る試み」にまで踏み込むからこそ、これらの作品は文学としての深い意義をもつのだろう。同様に、単なる数理的妄想だけでは科学にはならない。堅固な数理的厳密性と客観的実証性を与えられ、既存の物理学の体系に関連づけられてはじめて、数理物理学の研究は意味をもつのだ。人類の文化の両極端とも言える両者のあいだに相似を見るのは愉快だ。
プリンストン大学でのポスドク時代の同僚だったスペインの数理物理学者・アルテミオも、ボルヘスの愛読者だった。アルテミオによれば、ボルヘスは最高級のスペイン語の書き手だという。彼の作品では全ての単語が絶妙に選ばれ完璧に正しい位置に置かれているのだとアルテミオが熱く語るのを、いささかの嫉妬を感じながら聞いていた事を思い出す。
昨日は日曜だったが、大学に出勤して会議での発表の準備。
今日は午後から、"Schroedinger equations and related topics" に顔を出す。 還暦記念の国際会議と言っても、そこは数学なので、なんとなく肩の力が抜けている。 開会の辞みたいなのも取り立ててはなく、普通の研究会みたいに気楽に始まる。 講演時間や休憩もたっぷりあるので、のんびり進む感じ。 きわめつけで、東大数理の名物の大教室の電動黒板がこわれて動かなくなるハプニングまで。
さすがに数学の人ばかりなので知り合いは多くないが、Elliott Lieb を始め、何人かと話す。
というわけで、気楽な会議ですし、会場にも余裕があるので、お暇な方はどうぞ(と、主催者でもないが宣伝)。 ぼくが話す 7 日は物理よりのプログラムだし、午後には Lieb が話すから、Lieb 先生のお顔を見ておこうというだけの人が来てもよいと思います。
ありゃりゃ。また、ぜんぜん書かないまま二週間以上たってしまった。
ちょっと油断すると、どっと来るって感じだなあ(←?)。
今年は一月からシュレディンガー方程式の国際会議だったけれど、実は、二月の中盤にも確率論の国際会議に行く。 数学に顔を出すモードかな? 二月の会議には、(かつての共同研究者で、今も本を共同執筆中(←今は、ぼくが書いたり手直ししたりする順番になっている)の)親友の原も参加するし(原とぼくが同じ会議で話すのって、ものすごく久しぶりな気がするぞ)、外国からも懐かしい顔ぶれがたくさん来るし、話も面白そうで、楽しみにしている。 また、Komatsu-Nakagawa-Sasa-Tasaki の話を確率論の人たちの前で話すというのも、重要なことなのだ。
さて、谷島コンファレンスに話を戻して、(ぼくにとっての)最終日となった 1 月 7 日のことを書いておこう。 これが実に長い一日だったのだ。
前の日(つまり、1 月 6 日)も、会議が終わってから学習院に戻って雑用をし、それから夜は発表の準備。気になることもあって、元気が出たり出なかったり。 でも、7 日の朝、渋谷で井の頭線に乗り換えるあたりで、人混みをみていると、妙にエネルギーがわいてきて、よし今日一日がんばるぞという空気になった。
午前中の講演は二つ。 ぼくの前の中野さんの話はおもしろかった。ご自分の仕事以外にも、アンダーソン局在の厳密な理論の最近の進展を的確にまとめてくれたので、大いにためになった。 ぼくも(遠慮せずに)ぼくっぽく話した。 谷島さんの還暦の会なので、トークの冒頭に谷島さんとの関わりなどを話すのがお約束。 ぼくも、(谷島さんや学習院の建物の写真などを(キーノートのトランジションでかっこよく)見せつつ)谷島さんとは学習院の同僚であり、色々とアドバイスしてもらえること、とりわけ、数年前に水泳をするようにすすめられて、それが大いに健康維持に役立っていること、いや、それだけじゃなく、プールに入っているあいだに今日これから話す定理の一つの証明を思いついたから、彼のアドバイスは学問的にも役立っていることなんかをしゃべって、それなりに笑いをとった。 講演の中身はハバード強磁性の話なので(さすがに、最近やっていることだとシュレディンガー方程式との関係は薄い)、知っている人には面白くなかったと思う。 でも、一生懸命に物理のバックグラウンドから話したので、役割は果たしたのではなかろうか? さらに、質疑応答では、座長の廣川さんに巧みに誘導されて、(とくに日本国内で)数学者と物理学者がもっと交流すべきだというようなことをけっこう熱く語ってしまった。 主催者たちがぼくを招待してくれたことはとてもありがたいことだと素直に思う。 今回は、講演の合間に色々な人と話すこともできたし、こういう交流を地道に続けていきたい。
たっぷりの昼休みには、Lieb らと鰻重を。
午後の一番の Lieb の講演は、ぼくには面白かった。 彼が昔やった本質的な仕事(Lieb-Thiring inequality)をいくつかの場合に拡張したという話。 すごく偉大な仕事というわけではないけれど、ちょっとやそっとでできることではない。 こうやって地道に知見を増やしていくことが大事なのだよなあと思いながら聞いた。
ちなみに、Lieb の講演のところで明らかに聴衆の数が増えていた。 量子スピン系やハバード模型などの量子多体系の分野では、Lieb は、単にいい仕事をたくさんしたというレベルではなく、研究の流れと文化そのものを作り上げた「神」に近い人物である。 この会議での彼をみていると、シュレディンガー方程式の世界にあっても、彼がきわめて大きな存在なのだということがよく分かる。
Lieb が終わったところで、失礼ながら、ぼくは会場を後にして目白に向かう。 実に実にお恥ずかしい話で、午後のスピーカーの方たちには全く申し訳ができないのだが、自分のミスを挽回するために、一仕事しなくてはならないのだ。
前のほうの日記にも書いてあるけれど、この翌日の 8 日には、物理学科三年生が来年度の卒業研究について考えるための研究室説明会があった。 この日に説明会を開くことはずっと前に決めてあり、卒業研究をお願いしている外部の先生たちとの調整などもちゃんと進めていた。 と こ ろ が、ぼくは、説明会のことを掲示などで学生さんに周知するのをすっかり忘れていたのだ。
ぼくは講義のときに口頭で説明会のことを伝えたし、他の先生が学生さんに話したりして口コミで伝わってもいるようだった。 さらに、6 日には(ぼくが掲示を忘れたことに気付いてメールしたので)物理学科の他のメンバーがが三年生全員の大学のアドレスにメールを出してくれた。 これでかなりの学生さんには伝わっているはずだ。 「イベントにお客さんを集める」という観点からは、これで十分だろう。 しかし、ぼくらがやっているのは教育なのだから、たまたまぼくの講義を(今年は)とっておらず、たまたま口コミ情報が伝わってこなくて、しかも、大学のアドレス宛のメールを読んでいないという学生さんが不利になってしまうのは、よくないことだ(一方、掲示を読んでいない学生さんが不利になるのは、自業自得)。
というわけで、ぼくがとった最後の挽回策は
三 年 生 全 員 に 電 話 す ること。これなら、全員に不公平なく伝えられる。
緊急の電話番号は事務室に保管してあるので、事務の机を一つお借りして、名簿を広げて、片っ端からかけていく(学生さんからお預かりした個人情報は、必要な業務以外には用いないようになっています)。事務の方も、名簿の用意をしてくださったり、いろいろと助けて下さった。 本人が出れば「あけましておめでとうございます」と挨拶して翌日のことを伝える(再確認する)、 留守ならば留守番電話のメッセージを残す、 自宅でご家族がいれば伝言をお願いする(←急に学科主任から電話がかかってきて、ご家族はびっくりされただろうと思う。ごめんなさい)、 どうしても通じないと最後はファックスを送る。
まあ、たいていのことは、やってみればそのうち終わるもの。 幸い少人数教育で一クラスの人数も大して多くはないし、思っていたよりは楽な仕事であった(ただし、もうやりたくはない。掲示はちゃんと出そう!!)。
とにかく、これで連絡は万全になった。物理学科の三年生の半分くらいに直接新年の挨拶ができたし、よかったと思うことにしようではないか。
まだ時間があるので、説明会の資料を印刷。
そして、再び駒場へ向かう。
会議は既に終わっているが、夜には還暦記念のパーティーがあるのだ。 幸い、一仕事おえても、パーティーが始まる前にちゃんと会場についた。 国際会議といっても、これくらい近いとほんとうに楽だ。
で、パーティー。
ええと、何というか、上手に書くのはむずかしいけれど、その、「世界的に有名な研究者で長いあいだ東大の先生をして弟子もたくさん育て現在は数学会理事長(他の学会の会長に相当する)をしている大先生の還暦記念パーティー」とかいうと、まあ、政治的っぽいところとかもあって、いろいろ微妙な感じじゃないかなという気がする人もいらっしゃるだろうと推察するわけですけれど(で、ぼくも、割とそういうことを思う人なんだけれど)、この谷島さんの還暦記念パーティーに関して言えば、そういう要素はかぎりなくゼロに近かった。 ともかく、参加しているみんなが、心から谷島さんのことが好きで、こうやって谷島さんのお祝いに集まったことが素直によいことなのだという正直な空気があって、実に気持ちのよい、ほんとうに素敵な還暦パーティーだったのだ。 特に、Sandro Graffi 先生が(なんか、声の調子が悪くなったみたいで)かすれた声で、いかに谷島さんがまわりのみんなを愛して気遣って手助けしていて、それで、まわりのみんなもいかに谷島さんを愛し気遣い手助けしているかということを切々と誠実に語ったスピーチには、ちょっと涙が出そうになった(気さくで明るい谷島夫人も、このときだけは後ろを向いて涙をおさえていらっしゃった)。 また、谷島さんのご自身のスピーチでは、彼は農家に生まれ子供の頃は自分も農業をやって生きていくのだろうと思っていたのが(実際、今でも、週末は田んぼでお米を作っているらしい)、こうして六十歳まで数学者でいられるというのは一種の奇跡であり、その奇跡が可能になったのはまわりの全てのみんなが自分を助けてくれているからだということを熱く語っていらっしゃった(「君たち学生さんだって、ぼくを助けてくれているんだよ。そうとは気付かないかもしれないけど」と若い学生さんに直接に(英語で)語りかける場面もあった)。
こういう立派な還暦のパーティーなんかに出ると、「今までは、気さくなおじさんだと思って気楽に接していたけれど、あまりに大物だと分かって、なんとなく近寄りがたくなってしまった」というような感想が定番なんだけれど、谷島さんのパーティーの場合(大物ぶりはもちろん強く感じたが、それでも)かえって彼への親しみがわいたというのが率直な感想なのだ。
昨日やった「数学 IV」の試験を採点したら、なんと、受験者全員合格でした。 完璧な満点が一人、逆行列を出す問題でとち狂ってディターミナント(行列式)を出してその問題が 0 点になった以外は完璧な人が一人(もちろん、ディターミナントの計算はあってる)。 もちろん、ちょっと惜しい人、普通の人、まあまあの人、かなりまずい人、超ぎりぎりでレポートの努力を買ってかなり無理に合格にした人もいるけれど、それ以下のどうしようもないという答案が今回は一枚もなかったのだ。
おそらく二十年半の(日本での)大学教員生活でも全員合格は初めてじゃないかな? さすがにうれしいので、相変わらず忙しいけど、ついこれを書いているのだ。
真面目に取り組んでくださったみなさんに感謝します(もちろん、もっと気合いを入れてほしい人もいっぱいいるけどね。君だよ、君。これを読んでいる君だ)。
先日、さる貴き御方のお計らいによって、左の写真にあるようなものをいただくことができた。
Perfume の樫野有香(かしのゆか)さん、つまり、かしゆかちゃんの直筆のサインでございます(写真をクリックしても大きくなりません!!)。
昨年の 12 月 25 日、某所でのクリスマスパーティーの際にかいてもらったそうだ。 かしゆかの二十歳の誕生日の二日後という記念すべき日でもあるのであるのである。
あ、もちろん、模写でもニセモノでも冗談でもない。 本当にほんものの、かしゆか直筆のサインであることは確実なのです。
ちなみに、右上の「田崎様」という部分は、かしゆかではなく、サインをもらってくださった貴き御方の直筆です。 (お宅にお邪魔してサインをいただいた際)周囲の人からは「ここで切り離してしまえばいいではないか」「修正液で消せば」などの助言を多数いただいたが、とんでもない。 ご恩を忘れないためにも、これもきちんと残しておくのである。
いや、もちろん、言うまでもないことではあるけれど、
研究者・教育者として生まれ、生きる者にとっては、自分の研究を理解し興味をもってくれる人が世界に少しでもいること、自分の書いたものを興味をもって読んでくださる読者がいらっしゃること、学生さんたちを学問の世界に案内し彼らに少しでも喜んでもらえること、そして、学生さんたちが懸命に学ぶ姿に接することこそが、至高の喜びなのであるけれど、まあ、でも、こういうのもちょっとうれしいよね。
今月に入ってからは、拙著「統計力学 I, II(サポートページ)」について書いていなかったので、少し書いておこう。
この本の売れ行きの出足がやたらと好調だったことは、去年の日記(2008/12/5)にうれしそうに書いてあるとおり。 その後も(もちろん、マンガとかみたいにいっぱい売れるわけはないのだけれど)順調に売れていったようだ。
上の日記ではアマゾンでの順位が三百番台だったと騒いでいる。 その後も、ついつい気になるので(われながら、小者だなあと思いつつ)ときどきアマゾンでの順位を見ていた。 もちろん、三百番台なんていう無茶苦茶は一瞬のできごとだったわけで、すぐに何千番台に落っこちるのだが、でも、そのまま万のオーダーに落ち着くのかなと思うと、また何だかひゅーっと上がったりとかをくり返すようだった。
右の画像は、おめでたいお正月の三日の記録。 出版からほほ一ヶ月後だが、どういうわけか、千番台まで盛り返している。 これがピークだろうし、うれしくて、ついつい画像を保存してしまった。 新年早々、ぼくの本を買ってくださった方がたくさんいらっしゃるというのは、本当にありがたい話です。
(これまで本を買ってくださった方とか、お手伝いしてくださった方全員に)改めてお礼を申し上げます。
とくに、科学哲学者の伊勢田哲治さんの感想は、ちょっと(というのは嘘で、すごく)うれしかったので、ちょっと照れくさい気はするけれど、ご本人の許可をもらって、ここに転載しておこう。
旅のおともに田崎さんの『統計力学』を読んでいるが、これはすごい。解説の語り口は、こちらが理解しないのが申し訳なくなるくらい丁寧で心配りがいきとどいている。よほど良心的に何度も練り直さないとこうはならない。こんな物理学の教科書は見たことがない。もちろん、ぼくが見ることを想定して書かれた感想だから、そこを割り引いて読むべきなのだけれど、他ならぬ伊勢田さんからこういうお言葉をいただけたのは実にうれしく、ありがたいことだ。
それから統計力学に対する素人理解を気持ちよく打ち破ってくれる新鮮な切り口からの解説もためになる。いまようやく第四章にたどりついたところだが、非平衡状態は平衡状態に向かう傾向があるのではなく、圧倒的に平衡状態の方が多いからランダムにどちらに向かっても平衡状態になってしまうのだ、という解説に目からうろこが何枚も落ちる。 ( 2008/12/25 の日記から)
とはいっても、(研究であれば、評判や人気はどうでもよく、優れた研究だと自分で分かっていればそれで(ほぼ)満足できるわけだが)本を書くからには、著者だけが満足していては意味がない。 多くの読者に、ぼくが伝えようとした(多くの)ことを(必要に応じて)読み取ってもらい、楽しんでもらい、そして、学んで身につけてもらいたい。 そして、本当に欲を言えば、長い年月のあいだに幾度か読み返して、理解を深めてもらいたい。
そういう意味で、この本が成功したかどうかが分かるのは、まだまだ先の話になるだろう。 ともかく、長くじっくりと読んでもらえることを祈るばかりだ。
実際、II 巻は(I 巻に比べてやや少なめに印刷したので)発行から一ヶ月もたたないうちに在庫が少なくなってしまった。 暮れのうちに、急遽、増刷することが決まった。 I 巻の方は、もう少し長持ちしたが、やはり足りなくなってきて、今、増刷が進められている。
そういう風にうれしいニュースばかりが飛び交うある日、ぼくがお茶部屋で学生さんたちとだべっていると、井田さんがやってきて、「田崎さんの本のカバーでおかしいところがある」と言うではないか。 彼は本を見た瞬間に気付いたというのだ。
サポートページの画像をご覧になると分かるように、このシリーズのカバーには、本の目次がずらっと印刷されている。 単に本の原稿から写しただけだからミスが発生するわけもないだろうと、軽い気持ちでチェックしてみた。
すると、II 巻の表紙のカバーには、
イジング模型における相転移と臨海現象の文字列が・・・
早速メールでこのことを伝えると、編集部の M さんからも「うわーと叫んで、後は言葉がでませんでした」とのお返事が届いた。
そして、その翌日、表紙に「臨海現象」と堂々と謳った「統計力学 II」の第二刷りが刷り上がってきたのである(これを直すのは第三刷りになります。いずれ年月が経てば表紙に「臨海現象」と書いてある「統計力学 II」は希少本として価値がでるかもしれないぞ! 本屋に急げ!!)。
ええと、なんか web 上の公開交換日記みたいになってしまうけれど(←といっても、ブログの世界というのは、そういうものみたいだけど)、29 日に拙著「統計力学」についての伊勢田哲治さんの感想を取り上げたところ、さっそく伊勢田さんに、
わたしのように、物理学の教育はまともにうけたことがないにもかかわらず 物理学の教科書にはお世話になるという妙な専門分野だと、 こういう独習者・初学者むけの目配りのきいた本は非常に助かります (というか文系出身の科学哲学者というのは一番こういう本の恩恵を受ける階層かもしれない)。 しかもそういう独習者・初学者むけの説明の部分が決して議論の質を下げないどころか、 むしろ議論の穴をうめてより堅実な議論を展開するという形になっているというのも 哲学者好みなところです。 (伊勢田さんの 2009/1/30 の日記)とフォローしていただいた。 これも、また、とてもうれしいお言葉で、一生懸命に書いて(さらに、説明について納得できないところを指摘してくださった多くの皆さんのコメントに、しつこいくらい徹底的に対応して)よかったと心から思う。
ただし、ここで少しだけ補足しておきたい気もする。
科学哲学者の伊勢田さんが「恩恵を受ける」とおっしゃると、哲学っぽい議論が好きではない人や、ともかく統計力学を実践的に身につけたいと思っている人なんかは、自分には不向きな高尚でテツガク的な本だという印象をもってしまうかもしれない。 そう思われたら、それは誤解でっせ。これは、あなたのための本でもあるんです。ほんまです(セールストークになると、つい関西弁が・・)。
サポートページにも一生懸命に書いたけれど、この本は、ほんとうに欲張りな本で(←正確に言えば、欲張りなのは著者ですな)、物理を学びたい真摯な科学哲学者(←あまり、多くはなさそう)から、定期試験や大学院入試のテスト対策をしたい学生さん(←こっちは、少なくないね)まで、幅広い読者に満足してもらうことを狙って書かれているのだ。
実際、めんどうな統計力学の基礎の部分はさしあたってスキップして、カノニカル分布の応用編から読み始めても、しっかりとした知識が身につくはずだ。 あるいは、一通り統計力学を知っている人が、理想フェルミ気体の低温での比熱の計算とか、1 次元イジング模型の転送行列による厳密解とか、具体的な計算方法をマスターしたいとうい場合にも、ぼくの本は役に立つと思う。 そういう具体的な計算も、ぼくの本には(おそらく)他のどんな本よりも丁寧に誤魔化しなく書かれていると思っている。
というわけなので、色々な立場の人に、ぼくの本を手にとって読んでいただけることを願っております。 あんじょうよろしゅうお願いいたします。