茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
さて、3 月だ。4 月の始めには新学期のごたごたが始まるわけで、残りの一ヶ月は貴重だ。 がんばろう。
ところで、1/30 の日記のなかに書いた
「ハプワース 16, 一九二四」の謎(ネタバレや解題などは一切ないです)を少し前に完成させたので、しつこく宣伝。 ぼく個人としては、この話からは「水からの伝言」なんかと同じくらいの衝撃を受けたんだけど、蓋をあけてみると、(少なくともネットを見る限り)反応なさ過ぎワラタ。 いや、しかし、多くの方々が驚愕していても反応していないだけなのだと強く信じて明日を生きていこう。
せっかくなので、論文のことは(そして、書きかけの原との共著のことも)忘れることに決めた。 そして、既刊の拙著「統計力学」と「熱力学」について、それぞれ若い読者からいただいたコメントを検討することにした。 どちらのコメントも去年の終わりくらいに受け取ったのだが、彼らと少しメールのやりとりをしたままで、きちんとした本の修正に反映するのをずっとさぼっていた。 しかし、こういうのはいつかはやるべきことなので、昨日はちゃんと集中して修正案を練り、それぞれの訂正のページ(熱力学、統計力学)に修正を公開した。
これは、「純物質で気体・液体の相共存を利用した熱機関(カルノーサイクル)を構成し、その効率を調べることでクラペイロンの関係を導く」という、なかなかお洒落で意外性の高いおもしろ問題なのである。 もちろん、アイディアはオリジナルじゃなくて(他の本にもきっと載ってるだろうけど)山本義隆さんの「熱学思想の史的展開」に出てきたのを参照して問題をつくったという朧気な記憶がある。
ただ、ぼくの本に載っているバージョンには、おかしなところがある。 今、気体と液体が共存した状態から出発し、等温環境においたまま系の体積をゆっくりと増やしていく(この間、温度も圧力も一定で、液体の少しずつ気体に変わっていく)。 すると、あるところまで体積が増えたところで、液体がまったくなくなって気体だけの状態ができる。 このときの気体は、ちょうど液体と共存可能な圧力をもっており、ほんの少しでも体積を減らせば部分的に液化を始めるという意味で「ぎりぎりの状態」の気体だと言ってよろしい。 で、ぼくの本では、このあと、この「ぎりぎりの状態」の気体を断熱壁で囲んでゆっくりと体積を増やして温度を下げることを考えている。 それは、よい。 ただ、こうやって断熱操作で温度を下げた後も、気体は(新しい温度での)「ぎりぎりの状態」になっていて、(新しい温度での等温環境下で)ちょっとでも体積を減らすと部分的に液化が始まることを仮定している。 でも、よく考えると、こんな風に断熱準静操作で「ぎりぎりの状態」が保たれる理由はない。というか、もっとちゃんと考えた上でいうと、保たれないのが普通なのである。
まあ、この仮定(そして、「ぎりぎりの状態」の液体への断熱準静操作についての同様の仮定)を認めて問題を解けば、ちゃんとクラペイロンの関係式が導出される。 だから、演習問題としてはこれでよいのだという屁理屈も言えるかもしれない。しかし、もちろん、上の仮定が一般に成り立たないなら、演習問題に物理的な意味はないことになる。
実は、これがおかしいということは、いま筑波大にいらっしゃる吉田恭さんが、少し前に指摘してくださったことなのだが、ついつい平衡熱力学にピントをあわせる時間とエネルギーと心の余裕がなく、そのままになっていたのだった。 いや、ちょっと嘘があった。これでは不誠実である。 吉田さんがこれを指摘してくださったのは、少し前というよりは、けっこう前で、なんというか、正確にいうと 2003 年の暮れのことなのだ(2003 年の暮れに名古屋に行ったとき(2003/12/8)吉田さんと知り合い、その少しあとにメールをもらったようだ)。 そのときに少し考えておかしいけどどうやったらいいのかなあと悩んだまま、やっぱやりかけの仕事に戻り、その後も、まずいまずいまずいまずいと思って、時折考えてみたのだが、どうも釈然としないまま昨日になってしまったのだ。 なんか、どう表現したらいいのか、たとえて言えば「けっこう好評で多くの部数を売り上げてしまった教科書に、一部とはいえ、間違いである可能性が高い演習問題があるのに、それを何年も放置してしまっているような感じ」といえば、適切であろう。そのまんまなわけだが。
せっかく既刊の本の修正に本腰をいれたので、夜は本気でこの問題に集中する。
さすがに熱力学から離れて久しいので、なかなかピントがあわない。 まず、上に書いた【「ぎりぎりの状態」が断熱準静操作で維持される】という仮定が成立しないということを時間をかけて納得することから始める。 最初は直観も何もないので、「温度変化が微小なら成立するとみなせる場合もあるんじゃないか?」などと血迷ったことを考えて、かなりの時間を費やしてしまった。 おまけに、この演習問題を解くために、この「ぎりぎり」の仮定が必須のような錯覚をもっていたのもまずかった。 じゃ、この仮定を外すとすると、断熱操作のあいだに気化したり液化したりする物質量を細かく計算する必要があるのだろうか? そりゃ、めんどうだ。 でも、解答をよくみると(←早く見ろ!)、この仮定はあんまり使っていないっぽいではないか?
と混迷したあたりで時間切れでベッドへ。
あ〜、よかった。
というわけで、今日は、この演習問題の新バージョンと解答を作成し、「熱力学の訂正ページ」に載せる作業(「11 刷以前への修正」のところです)。 新しい演習問題と解答を載せたファイルがこれです。ご興味のある方は是非ご覧ください(まだミスがあるかも知れないので、何かお気づきの方は、是非ともお知らせください)。
こうなったらついでだということで、前から古いまんまだった「熱力学」のサポートページも少しだけいじって、「統計力学 I, II」のページと同じような形に変更。 けっこう web をいじって過ごした(←この日記も書いたし)。
ふう。ともかく、これで、すっきりした。 もし、あの問題の前提で混乱して悩んだ方がいらっしゃったら、心からお詫び申し上げます
それにしても、こうやって一晩と少しの集中でなんとなかることを 2003 年暮れからずっと放置していたとはまったくもってひどい話だ。 いや、それ以上に、そもそも、こんな風に勘違いして不完全な問題をつくってしまったことも、なんとも恥ずかしい。 山本さんの本をチェックしたら、元ネタはクラウジウスの論文で、もちろん、ちゃんとした設定での思考実験が書いてあった。 どこかで「魔が差して」アホな仮定を勝手に持ち込んでしまったようだ。
猛省いたしますとともに、今後は、こういうことのないよう気を引き締めてやって参ります(そして、自分を戒める意味で、すべてを赤裸々にここに書いているのだった。あ〜、恥ずかしい。やっぱ公開するのやめようかなあという悪魔の誘惑が・・・)。
「忙しくないよ」と言っているのだが、年度末だけあって、予想通り、予期せぬ突発事が多く何かとあわただしい。
そういうのが多いんだなあと思われるだろうが、たしかにそう。 今年は理学部で定年退職される方が三名。来週はいよいよ物理学科の川畑さんの記念イベントだ。
さて、物理を専門としている人は「小谷正博」というお名前を聞くと、あれっと思われるだろう。 そのとおり。正博先生は、かの小谷正雄先生のご子息である。
外見はお父さんとよく似ていらっしゃるが、細い声で物静かに講義をされた正雄先生とは対照的に、正博先生は演台の上を歩き回り、よく通る声で聞き手に熱く語りかける。 最終講義はしっかりと 90 分間の講義をされ、ご自身の手がけたいくつかのテーマを足早に解説された。 それぞれのテーマは十二分に面白かったが、本当は、いくつかについてもっと深く聞きたいという気持ちにもなる。
記念パーティーは研究室卒業生たちを中心にした同窓会を兼ねた大パーティー。二百名以上が集まったというが、たしかに、記念会館の小ホールがいっぱいだった。 40 年間にわたって実験の研究室を主催され、多くの学生さんを育てるというのは、こういうことなのだなあと実感させられる。
ぼくの場合、在職年数だけは小谷さんを超える予定なのだが、なにせ人望も、以下略。
朝とか、昼前とか、昼過ぎとか、気まぐれな時間にぶらぶらと歩いて出勤し、夜はだいたい 8 時過ぎには帰宅して食事をしている日々なので、ご近所のみなさんには暇なおっさんと思われているかも知れない今日この頃ですが、基本的には、朝から深夜まで(家とか大学とか家とかで)ずっと勤勉に働いております。
それでも、やりたいこと・やるべきことは、なかなか片付かないのだが、一つ、それなりに片をつけたのは、これ。
数学:物理を学び楽しむためにおなじみの、ネットで公開している無料の数学の教科書(この機会にトップページもいじった)。
積分の章とか、書くぞ書くぞと思って下書きも少し作りつつ、まだできていない。申し訳ない。
それでも、今回は、全体にわたって膨大とも言える中小の改良をしまくったので、完成度はさらにアップしたはず。 詳しくは更新履歴をご覧いただきたい。
一つだけここで宣伝しておくと、 今回の改訂の一つの「売り」は 、7.1 節の「常微分方程式の解の存在と一意性」の定理の証明を大幅に書き直したこと。 前のバージョンをきわめて丁寧に読んでくださった増田さんという方から、この部分は難しいとのご指摘をいただいた。 どれどれと思って読んでみると、こりは、びっくり。 証明は書いてあるのだけど、具体的な不等式の評価なんかは省略しまくり。 ほとんど数理物理の論文でやるのと同じくらいのレベルで省略してコンパクトに書いてある。 増田さんも「理解できなかった」と匙を投げられた部分があるのだが、そこは、ぼくが読んでも最初はどうなっているのやらわからなかった。これはひどい。
考えてみると、この節は、この本の中でももっとも初期に書いた部分なのだ。 既に記憶は遠いもやの彼方だが、講義で配って数学好きな学生さんに読んでもらおうとおもって、自分で証明したのをそのままばばばっと書いたに違いない。 長い間、そんなのを公開していて申し訳ありません。
というわけで、今回は、かなり丁寧に証明の詳細を解説。
微分方程式の解の存在と一意性の証明は、もちろん、きわめて多くの数学の本で解説されている。 ただ、数学者がやると、ついつい、定理の成立の条件をぎりぎりまで緩くしようとか、せっかくだからちょっとした技巧を使って証明をエレガントにしようとか、そういう考えが働くようだ。 それに対して、ぼくのやつは、もっとも素直な差分近似の解を作っておいて、それが「刻み幅がゼロにいく」極限でちゃんとした解に収束し、それが一意的であることを、きわめて愚直に証明している。 だから、差分近似した方程式と、もとの連続の方程式をどうやって厳密に結びつけるのかという部分に最大の力点を置いた素朴な証明が学べると思う。 ある意味で、不等式を使った厳密な評価の「道具箱」を見せるような感じにもなっている。 三角不等式みたいなものが本当に証明に有効であり、「コーシー列は収束する」という崇高な命題が「解の存在」というきわめて実用的な局面で力を発揮するのを見ることもできるだろう。
大改訂した
数学:物理を学び楽しむためにをまたしても増田さんが素早くチェックして下さって、さっそくいくつかのマイナーな修正。
図も描き直した。
「トーラスの一部を切り取った、境界のある面」を表わした図 8.29 (a) なのだが、昨日までは左のような図だった。 これについて、増田さんから
謎の白い模様がついた湯飲みの上端の境界を表しているようにしか見えませんでした。という率直なご意見をいただいた。 何をおっしゃると思って見てみると、もはや「謎の白い模様がついた湯飲み」にしか見えないから困ったものである。 みなさんも、ずっとそう思っていらっしゃったのだろうか?
というわけで、右の図のようにしてみた。こうすると、元のトーラスがイメージできて、きっと伝わるはず。
あと、増田さんのリクエストで「偏微分記号 ∂ の読み方」についての脚注を p128 につけた(偏微分については本格的には書いてないのだけど)。 実は、ぼく自身は何も考えず「dee」と読んでいたのだが、この機会に少しだけ調べて、
偏微分記号 ∂ は、アルファベットの d あるいはギリシャ文字の δ を変形して作られたといわれている(文字としては、d に対応するキリル文字と同じ)。 読み方はあまり定まっていないようだが、気楽にdeeと読む人は(私も含めて)多い。 どうしても d と区別したいときは、del あるいは partial と呼ぶという記載が英語版 wikipedia にあった。 日本では、「ディー」の他に「デル」、「ラウンド」といった呼び方が多いらしい。 「ラウンド」は "rounded d"(丸められた d )の省略形(訛り?)と思われるが、ちょっと略しすぎでは?(携帯電話を「ケータイ」と略すのと同じだから、かまわないといえば、かまわないけれど)。というプチ解説を書いた。
「その起源はおかしい」「いや、私は○○○と読む」などのご意見を募集中!
さて、昨日は川畑有郷さんの最終講義と記念パーティー。
ぼくは、学科主任 + 同じ理論物理学研究室の後輩として、最終講義の前の挨拶とパーティーの司会を担当。 表に出ているので働いているように見えるが、準備に関していえば、パーティーの段取りを決めて、実行委員の名札を作ったくらいで、あとは他の実行委員の皆様に任せきりであった。ありがとうございます。
最終講義も、パーティーも、川畑さんの趣味と人柄を反映して、派手ではないが実質的で愉しいものになった。 運営にたずさわっていると気疲れも多いのだが、それでも、ぼくも十分に楽しんだと思う。
最終講義の時間はちょうど 1 時間。 まず、ぼくが川畑さんの紹介などで 5 分間話した。 川畑さんの話は「私の研究と人生」というタイトル。 実際、人生を最初から語り始め、中国での幼少時代、宮殿のような家から敗戦で難民収容所に移り船に積まれて日本に戻るあたりから始まり、飛行機の模型をつくったり、小学 2 年生のときにあり合わせの素材でモーターを自作し家のヒューズを飛ばした話などが続く。 かなり時間が経っても高校生の頃に真空管ラジオ(しかも高周波増幅)を作った話をされているので、これは時間内に終わるのかと不安になっていたのだが、着々と大学生活・大学院生活とすすみ、いくつかの主要な業績について背景やご自身の貢献について簡潔に解決され、予定時刻の 4 時ちょうどにピタリと語り終えた。 実は、ぼくが 5 分間時間をとることは講義の直前まで伝えていなかったので、ちょうど 1 時間の予定の講義をその場でちょうど 5 分間短縮するように工夫してくださったようだ。 すばらしい。
パーティーは、最初の 30 分間で、理学部長挨拶(高橋) + 乾杯(川路) + スピーチ 2 つ(安藤、勝本)をすませ、それから飲み食いを始めるという形式。 「飲み始めてから途中でスピーチをしても誰も聞かない」という川畑さんのご意見で、こういうスタイルにしたのだが、これは一つの正解だと思う。 途中で、川畑さんの同級生の斉藤基彦さんが彼らの若い頃の山登りの写真などをスライドショーにしたものを見せてくれた。 これは、(予期していたことだが)予定以上の時間をとったが、気楽にみていればいいものだったから、これはこれでよかっただろう。 最後は川畑ご夫妻に花束を贈呈し、川畑さんが話して会は終了。 会の後は全員で記念撮影。
主催者側が言うのもなんだが、欲張ることなく、実質的で愉しい、模範的な退職記念パーティーになったと思う。
終わった後は、さすがに疲れていた。パーティーでは乾杯のピール一杯しかお酒は飲まなかったので、妻と二人で目白のお店で個人的な二次会。
21 年半前に学習院に着任したとき、理論グループには、江沢洋さんと川畑有郷さんがいらっしゃった。 ぼくは、在職中に亡くなった(結晶成長の理論家で、ロゲルギスト同人の)大川章哉さんの後任だった。
数理物理学者であり著書も多い江沢さんのことはもちろん学生時代からよく知っていたわけだが、川畑さんについては「物性の有名な人がいるらしい」程度の認識しかもっていなかった。 けれど、実際に同じグループのメンバーになってみると、川畑さんの存在は研究者としてのぼくにとってもきわめて重要な意味があることがわかった。
ぼくは、それなりに物性よりの仕事をしたこともあるが、基本的に実験のことはちゃんとは分からないし(←実験の人の話を聞くのは好きだが、すぐに変なストーリーを考えたがるし、われながらバランスが悪い)、博物学的なことは激烈に苦手なので物性の個別的な知識は貧弱のきわみだ。 それで物性の専門家に質問することもあるわけだが、ぼくの期待するような・ぼくにわかるような答えをしてくれる人はあまり多くない。 「普通は・・・だ」とか「グリーン関数のポールがどうだ」とか、物性独自の言語になりがちで、どうも話が通じない。いや、そういう技術的なことじゃなくて、もっと本質的なメカニズムとかのことを知りたいんだけどなあ --- と、もどかしい気持になることが実に多いのだ。
これが、川畑さんだと、こちらが(たとえば)「グリーン関数の極」ではピンと来ていないなあと思うと、すぐに言語を切り替えて分かるように話してくれる。 「○△近似というのは何か?」というようなことを聞いても、「要するに、RPA に毛が生えたようなもの、いや、むしろ毛を抜いたようなもので大したこたあない。ただ、○○○みたいな物質の場合は○○○だから、かなりうまくいく。あ、ただし例外があって、○○○なんかだと、○○○だからボロがでる」というような、身も蓋もないまでに本質を突いた説明を、すらすらと独特の川畑節で語ってくれる。 記憶している知識を引っ張り出して語っている感じではなく、目の前に見ている景色をそのまま言葉にしてくれているという感触がある。 つまるところ、実に深く物性が分かっていて、かつ、それを自然に明快に言葉にできる人なのである。
そういう人から、直接に、物性を学べるというのはまったく幸運だった。 個別の知識だけでない。 流行しているテーマであっても、「○○○ってえのも、まあ、面白さもほどほど」とばっさりと切ってくれる気持のよさ。 近くにいて話を聞いているだけで、物性物理全体の流れについてそれなりの見識をもてた気になるというものだ。
ぼく自身の研究に関しても実は川畑さんの存在は大事だった。 ぼくが、「強磁性の起源」を闇雲に攻めまくって、平坦バンド強磁性を発見したとき(実は、まあ、ちょっとの遅れで再発見だったんだけど)ともかく川畑さんに話しに行った。 川畑さんは、話を聞くなり、これが磁性の物理としても決して筋の悪くない理論だと認めてくれた。たとえば、ニッケルのバンド構造はこういう風だし・・・という具合に。 ぼくは、どちらかというと数学サイドから攻めまくってこのモデルを作ったので、物性としても筋を大きくは外していないという「お墨付き」をもらったのは、素直にうれしいことだった。 その後、ぼくが、(思いつきでパッとできた)平坦バンド模型を越えて、何年間も悶絶し続けた末に特異性のないハバード模型での強磁性をついに証明したときにも、川畑さんは即座にそれはきわめて重要な結果だと太鼓判を押してくれたのだった。
4 月からの半年間は、理論グループは、田崎、井田(年齢順)の二研究室。 2010 年 9 月には若き新メンバーを迎え、田崎、井田、K (年齢順)の三研究室となる。 とうとう年齢順のトップになってしまうのだなあ。
Ludwig Streit さんのセミナーのお知らせ
確率過程の高名な研究者の Bielefeld 大学の Streit さんが来日される機会にセミナーをお願いしました。
ご興味のある方のご来聴を歓迎します。
Ludwig Streit, "Infinite Particle Systems and Fock Space"
2010 年 3 月 17 日(水)3 時から(学習院大学、南 1 号館 2 階・理学部会議室 )
と(もちろん英語で)語りはじめ、
「So the room needed some introduction, but the speaker needs no introduction.」
と結んでセミナーを開始。ちょっとかこよくない?
いわゆる「大御所」としては、江沢、藤原、谷島の三氏に加えて谷島さんのところを訪問されていた Gianfausto Dell'Antonio さんまで出席されていて、Streit さんも驚いていた。 さらに、外部から、若手研究者だけでなく、何名かの大学院生、さらには、学部の二年生まで出席してくれたのには、私もびっくり。 さすがに二年生にはわからなかっただろうなあ。これに懲りず、また顔をだしてください。
内容は、自由なボース場の Fock 表現に対応する確率過程が構成できるということで、具体的なモデルを調べたいという動機からすると、それほど面白いことはなかった。 ただ、量子系での演算子と確率過程との対応関係はまったく直感的ではなく、こういうところから何か新しい視点が生まれる可能性もゼロではないと思う。 頭のすみには留めておきたい話の一つか。
セミナー後は、外からの若いお客さんたちを交えてお茶部屋に移動して議論。 ぼくは、Raphael とやった driven lattice gas の話のさわりを話し、その後、大学院生お二人の話を聞いた。
Streit さんは、さすがドイツ人で、「大きいビールをください」という日本語は完璧に覚えている。 話を聞いているとなかなかの美食家のようだが、このお店の料理がいたく気に入ってくれたようだ。 よかった。よかった。
卒業式
相変わらず、式が進行していくあいだ壇上に座っているのは苦痛。 学長や院長の話はポイントが不明確で長すぎる。
それでも、今年はちょうど考えていたことにミスがあることが卒業式の直前にわかったので、そこを修復してまとめ直す作業をしていたので退屈しないですんだ。 ごく時たま、プログラムの紙に鉛筆で何かを書いていたのは、別に誰かのスピーチに感動してその内容を忘れないようメモしていたわけじゃないのである。
なんだかんだで、三回もプチ・スピーチをしてしまったぞ。話すのが好きなおっさんである。 ぼくが「(皆さんが卒業したあとも)ぼくたちは、ずっとここにいますから、いつでも気楽に戻ってきてください」と、ちょっと、くさい台詞を言ったとき、女の子が一人少し涙ぐみそうになっているのをちらっと見たら、ぼくも涙ぐみそうになったりもしたわけだが。
教育に携わる者として、やはり、いろいろな意味で感無量である。 とはいえ、そういった思いはここには書かず胸に秘めておくのだ。
ともかく、みなさん、おめでとうございます。
少し前に一つの論文を読んだ。やたら頭のいい、若干 25 歳のハンガリー人の若者の書いた論文だ。そして、ショックを受けた。
ぼくは、今でもそのショックの余波のなかで翻弄されている。 共同研究者や共著者や編集者にはたいへん申し訳ないことだが、少なくともここ一週間は、このショックのため、他の仕事をすべて中断して、これに全力で取り組んでいる。すんまへん。ごめんなさい。 でも、大丈夫。終わりは見えている。もうすぐ、抜ける。 だから、これを書いている。 文が、短い。 長門有希?
「ショック」がいつ始まったのか正確には分からないが、きっかけは、3 月 11 日の佐々さんからのメール。 ぼくがプレプリントサーバーをちゃんと見ないのをご存じで、二つの論文の存在を教えてくれた。
ひとつは、
Proof of the Ergodic Theorem and the H-Theorem in Quantum Mechanicsなんと、1929 年に書かれたドイツ語の論文の英訳である。 著者は John von Neumann。 二十世紀の科学界でもっとも重要な人物の一人であり、数学基礎論から軍事政策までをこなした万能の天才、常軌を逸した頭の回転の速さと思考力で真剣に悪魔ではないかと言われ、キューブリックの「博士な異常な愛情」の Dr. Strangelove のモデルともされる、John von Neumann その人の25 歳のときの仕事で、量子力学の法則だけを使って平衡状態への接近の問題を議論している。
もうひとつは、
Sheldon Goldstein, Joel L. Lebowitz, Roderich Tumulka, Nino Zanghi「平衡への接近」の問題を吟味するなかで、忘れられていた von Neumann の上の論文を発掘した Lebowitz や Goldstein らが、von Neumann 論文の内容や現代からみた意義を解説した論文だ。素晴らしくよく書けている。
Long-Time Behavior of Macroscopic Quantum Systems: Commentary Accompanying the English Translation of John von Neumann's 1929 Article on the Quantum Ergodic Theorem
これらを読み出したのがいつかはよく分からない。 13 日は川畑さんの会だったから、そのあたりは忙しかったはず。 いずれにせよ、3 月 15 日には、 Lebowitz や Goldstein に宛てて「すごく面白い、昔のぼくの仕事もちゃんと位置づけてくれてありがとう」というメールを書いている。
で、今は 27 日か。 これを書いているぼくの横には
On the approach to thermal equilibrium: An observation based on the works by Goldstein, Lebowitz, Mastrodonato, Tumulka, and Zangi in 2009, and by von Neumann in 1929という題の 21 ページの草稿がある。
いや、ぜんぜん大したものじゃない。タイトルにある通り、(上のものと関連する)彼らの論文をみて、ちょっち気づいたことがあったので、それをきちんと考え、さらに(昔からの蓄積もあるので)具体例をさっさと作って、まとめて書いたのだ。 数学的貢献はゼロ。物理としての貢献も無限小。 でも、書き留めておく価値はある気がするのだ。 というわけで、日記はやめて草稿の仕上げに戻ります(そして、できるだけ早く、中断している仕事たちに復帰します)。 と思ったが、よくみると、家に帰って食事をする時間ではないか。
このあいだ書いた「平衡への接近」の解説論文はこれです。
ただし、もうすぐ version 2 に置き換わるので、万が一ちゃんと読まれる方は version 2 がでるのをお待ち下さい(日本時間で 31 日の午前中には出ると思う。付記: version 2 になっています。しかし、考えたら「待て」などと言わずここから pdf をダウンロードできるようにすればよかったのだ。アホでした、ごめんなさい)。 すみません。
GFP の発見でノーベル賞をとった下村さんの講演会に出る。 新聞広告を出してネットで参加を募ったらたちまち満席になったそうだが、実際、多くのお客さんが来て百周年記念会館のホールが満席になっていた。
名誉学位の授与などという物々しいイベントがあるというので内心「げ〜」と思っていたのだが、堅苦しい部分はきわめて短く、手際のよい講演者の紹介になっていて、ほっとした。
講演は、原稿を淡々と読むスタイルと思わせていおいて、随所で自然体で本音を話すという形式で、好感をもった。 生い立ちから、偶然に助けられながら研究に進み、そして、「天才」としか言いようのないすさまじい迫力と意志の力で次々と成果をあげていかれたいきさつを、気楽に楽しく聞いていた。
下村さんの留学時代。クラゲの発光成分について(プリンストン大の)ボスと意見が完璧に対立し、発光成分を抽出する実験に単独で取り組んでいた。 pH を制御する実験で一定の結果を得たあと、流しに抽出液をざっと捨てた。 と、下村さんは息をのんだ。 流しのなかが明るい緑の光で満ちている。 たまたま流しにあった海水のカルシウムと抽出液が接して発光反応がおきたのだ。 まさに、発見への飛躍のきっかけとなる瞬間である。 このエピソードを聞いたとき、なんとも自分でも驚いたことに、ぼくの目にじわ〜っと涙が浮かんでしまった。 甘い夢を見ている駆け出しの学者でもなければ、人の話を聞いてしょっちゅう泣いている涙もろいおっさんでもない。 別にぼく自身の研究人生のなかでこれに酷似したエピソードがあってそれを思い出して感動したとかいうわけでもない。 ただ、なんか、いろいろな形にならない思いがさささ〜っと胸を駆け抜けて気づいたら涙がでかかっていたのだ。 なんだろね? どう結んでいいか分からないので、中途半端なままにしておこう。
なぜ時間に向きがあるのかを、量子力学にもとづいて理解することだと言える(注:詳しい話をしている余裕はないが、量子力学の数学的形式そのもには「時間の向き」はないが、実際に、大自由度系の時間発展を考えるとそこに「向き」が生まれてくるだろうと期待する根拠がいろいろとある)。 ただし、「時間の向き」と言っても(なんで明日のことは思い出せないのかとか、タイムマシンはできないのかとか、何故に高一の夏はたった一度きりで失った時間は決して取り戻すことはできないのかとか)いろいろあるわけで、ここでは、(おそらく)もっとも扱いやすい「平衡への接近」の問題に焦点をしぼる。つまり、
マクロな系が十分に長いあいだ孤立していれば(あるいは、熱浴と接していれば)、その状態は平衡統計力学によって記述できることを、量子力学にもとづいて示すのが目標である。 標語的に、
量子力学だけから平衡統計力学を導くと(太字で)言ってもいいだろう。
まず、はじめに強く宣言しておきたいのだが、これは悲惨な研究テーマである。
「全てのマクロ系は放っておけば平衡状態に達する」という圧倒的な経験事実を、一段階レベルのちがう理論にもとづいて理解したいというのだから、たしかに、経験科学として正統な問題設定ではある。 しかし、この問題を真摯に考えれば考えるほどに、「マクロ系の平衡状態」という熱力学レベルの記述と、「大自由度量子多体系としてのマクロ系」というミクロレベルでの記述のあいだに開いているギャップがあまりに大きいことに愕然とする。 そして、「いったい何を前提にして何が理論的に導出されれば正解がえられたと考えるべきか」という基本的なことさえも皆目わからないことを思い知らされるのだ。
ずっと前に(たぶん、97 年の論文を書いていた頃だろう)ぼくがこういう問題を考えていると話したところ、佐々さんが「それは、複雑系の人たちがやっていることなどよりも、はるかに『複雑系的な』研究テーマだ」という感想を述べたのを覚えている(「フクザツケー」が何かを知らない若い良い子は気にしなくていいです。そういう名称を冠した、いい加減な分野がほんの一時期だけ流行したことがあるのです)。 少なくとも、「そもそも何を問うべきかさえ分からない問題を敢えて取り上げ答えを模索する」という意味では、佐々さんのこの言い方も当たっていると思う。 もちろん、ぼくには難しすぎる問題を扱うことを知的不誠実の言い逃れにするつもりは毛頭ないので、これだけの制約の範囲で、最大限に知的誠実で科学的に意味のある方向を模索していた(今でも、模索している)わけだが。 そして、佐々さんはそういうことをちゃんと理解した上で、敢えて「ほめ言葉」として「複雑系より複雑系的」という表現を用いたのだと思っている(←あ、そういえば確かめたことなかったな。「いやあ、あれは田崎さんをおちょくってたんですよ〜」とか言われたらどうしよ・・)。
そういう状況は今でも変わらない。
こんな本質的なことが、さっさと変わりうるはずがあろうか?
ところが、実に驚いたことに、「冷却原子系での実験技術の発達で、こういうテーマに関して、実験と理論の比較も可能になった。孤立した量子系の平衡への接近の問題も、いよいよ現実的で重要な問題になってきた!」などという謳い文句を唱える人たちが、最近になって、現れているようなのだ。 まさか、そんなことになっているとは、ごく最近までぜんぜん知らなかった。 でも、たしかに、まったく知らない(もちろん、国外の)人たちから「孤立量子系の時間発展の特集の本を出すからおまえも書け」とか「サマースクールに来て、量子系の平衡への接近の講義をしろ」といったメールが来るようになって、なんか不思議だなあと思っていたのだ。 そういうわけだったのか。
しかし、これは違うでしょ。 冷却原子系を使ってシミュレートできる量子現象が増えたことは理解しているし、いちおう歓迎もしている。 しかし、「平衡への接近」で真に問題になること(たとえば、「初期状態の選択」や「真に孤立した系と弱く外界と接した系の相違」)は、どんな実験をやったところで制御も測定もできない遠い彼方にある。 だからこそ、「何を問うべきかさえ分からない」難しい問題なのだ。
というわけで、しつこく強調しておくけれど、冷却原子系の人がなんと言おうと、これはいつまでたっても「食えないテーマ」である。 誰かの(あるいは自分の)出題に沿って問題を解いたとして、そもそも問題設定が無意味だと判定がくだる可能性のきわめて高い、「危ないテーマ」でもあるのだ。
ぼくは 97 年に、このテーマについて論文を一つ書いている。
この論文は、ぼくの個人史的には面白い位置づけにある。 早々に話がそれるが、そのあたりについて、ちょっと書いておこう。
ぼくは、90 年代の前半までに、量子スピン系やハバード模型でかなりよい仕事をしていたわけで、普通に考えると、それらの業績に支えられ研究の流れに影響力を発揮しつつ研究会や国際会議を主催したりして、いわゆる一つの「分野の大物」を目指すのが、まあ、自然な進み方だったと思う。 でも、ぼくをご存知のかたはわかってくださると思うけど、そういうのは、全然おもしろいとは思えなかった。 もっと違うことをやろう・やらなきゃと自然に思ったし、もちろん、誰に何も強制されない立場にいたから、思った通りに新しいことを始めた。 ちょうど大野克嗣さんと交流も始まって、彼の「思想的な」影響を強く受け始めていた時期でもあったのだろう(付記:と書いたけど、ちょっと違うようだ。大野さんとはじめて出会ったとき、「量子力学から統計力学を出している」と話して、そんなことができるはずはないと言われたのを思い出した。やっぱり、かなり自発的にそういう方向に進んでいたようだ。もちろん、その後、大野さんの「思想的」影響は強く受けることになるわけだが)。 今となってはよく覚えていないが、統計力学の基礎付けや、熱力学と統計力学の関係づけ、非平衡など、いろいろなことを、ほぼゼロから、考えまくって過ごした気がする。
当然ながら、これで論文の生産量はガタンと落ちる。 というか実質、数年間はゼロになる。 それまでは、年間に PRL を 2 本と本格的な数理物理のフルペーパーを 2 本出すみたいな、かなり激しいペースで出版していたのだから、激変である。 凡庸な学者観からすれば、田崎の「出世街道からの脱落」としか見えないものだろうし、実際に、それに近い評価に直面したこともある(もちろん、そういうことを言う連中というのは 以下、けっこう書いてしまったのだが、冷静になって自粛)。 でも、なんでこれが悪いことなんだろう? 論文を書き続けなければお金がなくなってしまうアメリカの研究者ではないのだから(←ちなみに、下村さんは名大での安定した助教授の地位を捨てて、敢えて、そういう世界に飛びこもうと再渡米したとのことだった)、次の大きな流れをみきわめるために、じっくりと時間をかけて、多くのことを考え尽くすのは、素晴らしいことではないのだろうか? だいたい、既に確立した業績をもっている分野でコンスタントに仕事を続けるのは、プロの科学者にとっては楽で安易なことである。 敢えて未知の分野に進んでゼロから自分を鍛え直すのは、時間もかかるし、リスクも大きい挑戦だ。 これができるのが、日本の大学で幸運にも終身の職に就けた者の特権だと思うし、逆に言えば、せっかく得難い幸運を手にしているのにそれを活かさないのは怠慢じゃないのか?
というわけで、ぼくは「実質的に論文ゼロの数年間」に突入していった。
た だ し 、そこが煮え切らないというか、巧いというか、ずるいというか、ぼくは、この数年のあいだに一本だけ PRL に論文を書いているのだ。 考えるべきことを考えつくし、けっきょくは本質的な理解は得られず、手元にある一般論は「頭のいい人がしっかり考えさすれば確実に分かる」と確信できる程度のものでしかなかったけれど、それでも、敢えて力業で具体例を構築して、論文にしてしまったのだ。 もちろん、そんなものを世に出すのは不満だった。 でも、これを一つ書いておくことで、ぼくが研究をやめてしまったのではないことが伝わるだろうし、大きな方向転換を図っていることも明確になる --- と、まあ、そういう微妙きわまりない論文なのだ。
と、以上が「話がそれた」部分。つい、こういうことは一生懸命に書いてしまう。
本題に戻って、この 97 年(出版は 98 年)の論文のこと(arXiv へのリンクはここ。でも、読む必要はないと思う)。
目標は、ずばり、
孤立した量子系が純粋状態(単一の波動関数で表される状態、初歩の量子力学しか知らない人にとっては「普通の状態」)から出発して時間発展したとき長時間の後の状態が平衡統計力学で記述されることを示すことだった。 論文ではカノニカル分布を扱っているのだが、以下は、ミクロカノニカル分布を念頭に読んでください(ミクロカノニカルは自明だと思ったので書いてないけど、ずっと簡単にできる)。
もちろん、こんな強い結論を示すためには、考えている系についての一定の条件が必要だが、そこには踏み込まない。 さらに、初期状態の選択についても条件が必要で、今は、こちらを問題にしたい。 この論文でぼくが初期状態について要請したのは、
1 は、まあ問題ない。というか、正直に言えば、仕方がない。 こういう条件を設けないかぎりは、「シュレディンガーの猫」的な状態が確実に現れてしまう。 (未だシュレディンガーの猫に出会ったことのないぼくらとしては)ともかく、そういう変な状態は排除しておくしかないだろう(ここらへんは外部の系との相互作用を考える必要のある部分かもしれない)。
問題は 2。
少なくともこの時点では、どうがんばっても 2 のような条件をつけなければ「統計力学の導出」はできないように見えた(人工的な反例も簡単につくれる)。 しかも、「1 を満たす全ての純粋状態」の集合(先日の解説論文で mathcal{H}_{E, Delta E} と呼んだもの)を考えると、そのなかの「ほとんど全て」が 2 を満たすこともわかる(正確に言うと、この集合は高次元の線形空間の中の単位球面なので、自然に一様測度が入る。「ほとんど全て」は、その測度ではかったとき、全体との比率がきわめて 1 に近いこと)。
ならば、いいじゃん。 物理的に必須の 1 を満たす範囲で、しかも「ほとんど全て」の初期状態について成り立つ結果が得られたんだから、それで満足ではないか。 「普通」に「虚心坦懐」に初期状態を「選んで」きたとき、2 が成り立たないようなババを引いてしまう「確率」なんてめちゃくちゃ小さいわけだから、そんなものは「物理的に」無視していいだろう。 「量子力学からの統計力学の導出」ができているじゃないか --- という見方もできる。
しかし、落ち着いて考えてみると、この話にはどうも釈然としないところが残る。 ここでは、孤立した量子系の初期状態を決めるという問題を考えているわけだが、ここに何らかの意味での確率が入り込んでくるとはなかなか考えられない。 いや、もしかしたら確率的な要素があるのかもしれないが、それが上で書いたような、線形空間の単位球面上の一様測度であると考える根拠はまったくないと思う。
もちろん、上の 2 を満たさない変な初期状態が選ばれるはずだと考える積極的な根拠があるわけではない。 ただ、それらが選ばれないと強く結論できる積極的な理由もないのである。
前にも書いたが、これは実験をして何か結論が出せるよなタイプの問題ではないから、自然科学者としては、ここで思考停止に陥ってしまうしかないように思える。
十年以上が経って、27 日の日記に書いたように、佐々さんからメールが届いて Lebowitz らの論文と von Neumann の論文のことを教えてもらった。
最初に読んだのは、
Sheldon Goldstein, Joel L. Lebowitz, Roderich Tumulka, Nino Zanghi「誤解され、忘れられていた von Neumann 論文(Proof of the Ergodic Theorem and the H-Theorem in Quantum Mechanics)」の解説だが、このテーマの的確なレビューにもなっている。 上のような状況で書いた 97 年のぼくの論文も、きちんと紹介され、位置づけられていたのは、(あーだこーだ言っても)やっぱりうれしかった。
Long-Time Behavior of Macroscopic Quantum Systems: Commentary Accompanying the English Translation of John von Neumann's 1929 Article on the Quantum Ergodic Theorem
von Neumann 論文も少しは読んだが、それよりも一生懸命に見たのは、おそらくは、Lebowitz らが von Neumann 論文を再発見する契機となった彼らの仕事をまとめた
Sheldon Goldstein, Joel L. Lebowitz, Christian Mastrodonato, Roderich Tumulka, Nino Zanghiだった。
On the Approach to Thermal Equilibrium of Macroscopic Quantum Systems
これらを読んで、驚いた。ショックを受けた。
なんと、上の 1 を満たす全ての初期状態について成立する命題(やはり、ある意味で統計力学を正当化するような命題)が書いてあったのだ。
ううううむ。 ぼくは前の仕事をして以来、初期状態に 2 の条件を課すのはどうしても避けることできない制約だと強く信じていた。 自分のつくった証明がそうなっているからそう信じるようになったのではあるが、より直感的な説明も持っているつもりになっていた。 制約は物理的に不可避だと考えていたのだ。
しかし、(上で引用した)2009 年の Lebowitz や Goldstein らの論文には、「1 を満たす全ての初期状態について」という命題がはっきりと書いてある。 いや、それだけなら、まだ驚きは少ない。 彼らが発掘して(一人が翻訳して)紹介してくれた von Neumann の 1929 年の論文にも、もののみごとに「1 を満たす全ての初期状態について」という(また別の)命題がしっかりと書かれていたのだ!
あれまあ。
ぼくが「考えるべきことは考え尽くした」つもりになって論文を書くよりもずっと前に、というより、そもそもぼくなんかが生まれるよりもずっと前に、というより、ぼくの両親が生まれるよりも前に、von Neumann は遙かに力強い命題を構想し、証明していたのだ! 別に von Neumann に負けても悔しいとは思わないが、これほどの強い思想が歴史のなかで忘れ去られ、ぼくらはその影響を受けることなく必死で考えを進めていたというのは、なんとも複雑な話だ。 人類の知的な進歩なんて、ほんとゆっくりしたものなんだなあと痛感する。 (注:von Neumann が関連する仕事をしていたことは断片的に読んでいた。ただ、それを正確に伝える文献には出会えなかったのだ。実際、von Neumann の本にも、1929 年の論文に相当することは書いてないそうだ。)
この先は、さっさと書こう(詳細は、ぼくの解説論文を見てください)。
いったいなぜ「1 を満たす全ての初期状態について」成り立つ命題が証明できるのか? 条件 2 は物理的に不可避じゃなかったのか? 彼らの仕事を眺めて、そこを理解することから始める。 論文をしばらく読んでから、ぼ〜っと考えていると、けっきょく仕掛けはほとんど当たり前だということがわかる。 「各々のエネルギー固有状態が既に平衡状態の性質を持つ」という命題をしっかりと強い形で表現しておけばよかっただけのことなのだ。 さて、von Neumann や Goldstein et al. では、その「強い形での命題」が、ヒルベルト空間の典型的な分割について成立することを証明するのに多くの労力を使っている。 それは、「強い形での命題」が成り立つような物理系が決して例外的ではないことを示すための重要なステップではある。 しかし、「典型性」に頼らず、より「構成的に」同じ問題にアプローチすることもできるはずだ。 つまり、具体的な物理系をもってきて、それが「強い形の命題」を満たすことを強引に示してしまえばいいのである。 もちろん、これはどうしようもなく難しい非自明な量子多体問題ではあるが、でも、思考停止せずに考え続けるならその方向しかないのではないか? 「構成的」なアプローチを進めるとして、もっとも効率的なのは、von Neumann や Goldstein et al. のように射影演算子を使うのではなく、マクロな物理量をそのまま扱うことだろう。
そう考えて、ぼくは「マクロな物理量に関する『強い形の命題』」を書き下し、それを「マクロな物理量の normality」と呼んだ(これは、Goldstein らの使う normality という用語とはかなり意味が違うので注意。Goldstein や Lebowitz とメールのやりとりをしていて、ぼくのバージョンは macro-normality とか thermodynamic normality と呼ぶことを検討中)。 そして、normality が成立すれば、
1 を満たす完全に任意の初期状態から出発したとき、十分に長い時間の後に、その物理量を測定すれば(ほぼ全ての時間でほぼ確実に)ミクロカノニカル分布の期待値にきわめて近い値が得られることを証明した。 といっても、証明は数学的には自明。アイディアとしても、Goldstein et al. と同じ。 ぼくとしては、見通しと展望がよくなるような、そういう形での「焼き直し」をしたことになる。
最後は、考えを進めるためのきっかけとして、そして、「構成的」アプローチの第ゼロ歩として、二つの具体例をつくった。 十年以上前に同じような問題を必死で考え尽くしているので、このあたりは、われながら異常なスピードで進む。
というわけで、佐々さんのメールにはじまって、2009 年と 1929 年の二つの重要な論文から受けたショックに翻弄された二週間ちょっとで書き上げた(オリジナルな内容を書いた)解説論文が
Hal Tasakiというわけ。
On the approach to thermal equilibrium --- An observation based on the works by Goldstein, Lebowitz, Mastrodonato, Tumulka, and Zanghi in 2009, and by von Neumann in 1929
ぼくとしては、「1 を満たす全ての初期状態」について成り立つ命題が見えたことは、妙にうれしい。 これによって、「マクロな物理量の normality」が満たされているならばという強い仮定のもとでとはいえ、初期状態の選択については何一つ悩むことなく、長時間の後に平衡状態が出現することが保証されるのだ。 このシナリオでよいなら、量子力学を使うことで、少なくとも概念的には、古典力学よりも明快に平衡への接近の問題が理解できることになる。 どこまでが論理的で、どこまでが気分的なものか自分でも判然としないが、無性に気持ちがいい。
だが、別に何かが解決したとかいうわけじゃない。 課題は山積みで、これがわけのわからない危ない問題であることには微塵の変化もない。
だいたい、「構成的」と言ってはいるが、
それに、ずっと耳元で聞こえる続ける