茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
連休。
一日だけ息子の運転する車に乗って筑波の両親の家を訪問したが、それ以外は、ひたすら家にこもって仕事。
今学期は講義の準備の負担が大きいので、講義が続いていると、どうも思うように仕事ができない。 本格的にウォームアップして仕事モードになるのに時間がかかるので、講義や会議で分断されると、どうも能率が悪いのである。 若い頃は少しくらい分断されてもたちまち集中して仕事をしていたような気がするんじゃがのお。ごほごほ。
じゃが、こうやって連休で集中して仕事をすると、圧倒的に能率があがる。 論文の修正等、懸案事項を順番に片付けていく。 永遠に書いているかのごとき「イジング本。」の修正作業も力強く進めるのであった。
連休の成果の一つが、「量子力学から平衡への接近を導く話」の解説風論文の大幅な改訂。 前は単に normality と呼んでいた主要概念を thermodynamic normality と呼ぶことにしてタイトルも変更。 新しい(まあ、当たり前の)結果を追加し、教育的なおもちゃの例も追加。
Hal Tasaki: The approach to thermal equilibrium and "thermodynamic normality" --- An observation based on the works by Goldstein, Lebowitz, Mastrodonato, Tumulka, and Zanghi in 2009, and by von Neumann in 1929 (version 3、少しコメントをもらったので、ごくマイナーな修正をした version 4 を近く送る予定。すぐに読まないけどいずれ読むという方は、version 4 をお待ちください(付記:version 4 が出ています)。)
いつも講義の前には、ゆったりと座って(前日までに既に準備のすんでいる)講義ノートを見直しながら、内容を頭に入れ、講義でどのようにしゃべろうかと頭の中でシミュレーションする。 どんなに内容が頭に入っているつもりでも、こうやって直前に集中する時間をもつともたないでは実際の講義は大違いなのだ。
普段の学習院での講義では、自分の居室のソファに座ったり寝っ転がったりして、この直前の集中の時間をとっている。 しかし、非常勤講師として講義をもっている駒場では、これをやるための自分の部屋はない。 幸い、かなり快適な非常勤講師控室が用意されているので、そこでノートを見直すことになる。
前期だけの週一回の講義とはいえ、こういうのはだんだんとパターンができてくる。 既に何年か前から、非常勤講師控室には、「ぼくの場所」が決まっているのだ。 部屋の左奥の窓側のソファの左端がぼくの定位置。 月曜の10時過ぎから、そこに座って、コーヒー(といっても、まあ、機械からでてくるやつだけど)をちびちびと飲みながらシャープペンシルをもってノート(というか汚いメモ)を検討するのがすっかり習慣になっている。
別に場所を予約しているわけじゃないのだけど、不思議なことに、いつ行っても「ぼくの場所」はちゃんと空いているのだ。
それで、今日もいつものようにコーヒーをもって「ぼくの場所」に向かう。 すると、ぼくが座るソファーには誰も座っていないのだけれど、その前のコーヒーテーブルには何か紙が広げられている。 誰か先客がいるのかなあと思って様子を伺ったのだが、誰かが座っていてたまたま席を空けたというのとは雰囲気が違う。 飲み物のコップや荷物はない。ただ、何かの紙が広がっているだけ。
まあ、なんといっても、伝統ある「ぼくの場所」なので、気にせず座ることにした。 いつものように、荷物を横においてソファーに座る。 そして、コーヒーテーブルをみると、まさに、ぼくがそのまま読める向きに「教養学部報」なるものが一面を上にして広げられている。 大学新聞なんかによくある、「ひとまわり小さい新聞」という感じ。 駒場で発行している正式の広報物のようだが、今まで見たことはなかった。
「なんだ? ぼくに読めってこと?」
と思いながら、教養学部報を手に取ってみると、一面のトップの記事が目に入る。
渋谷駅の風景が変わったとき 佐々真一
おお、これか。
確かに、広報誌に記事を書くというようなことを佐々さんがブログに書いていたっけ。 幸いにも、講義までの時間はたっぷりあるので、「直前の集中」の前に、佐々さんのエッセイにざっと目を通した。
しかし、掲載されたことは知らなかったし、佐々さんが自発的にぼくに見せてくれることはなかっただろうから、こうやって偶然に手に取らなければ、この記事を目にすることもなかったに違いない。 どなたかが、たまたま「ぼくの場所」の前に、読めとばかりに広げてくれていたおかでである。 (あれ? 本当にたまたまなのだろうか?? 誰か、駒場でのぼくの行動を熟知する人が十時少し前に控室を訪れ・・・)
せっかくなので、著者に断りなく、佐々さんのエッセイから少し引用してみよう。
昨年十一月、突然、右足が動かなくなった。痛みを突き抜けた感覚は初めての経験だった。 ・・・・ それでも、しばらくの間は、杖をついて顔面蒼白で移動していた。そのとき、渋谷駅で杖をういて歩いている人が少なからずいることを初めて意識した。 ・・・ 十五年以上通勤している場所でも、見ようとしないものは時間をかけても見えてこない。 自分自身が杖をつくことで、私にとっての渋谷駅の風景が変わった。という風に、佐々ブログの読者ならご存知の、かれのヘルニア闘病記から始まって「風景が変わる」ということについて語っている。このあと、
私たちが研究しているときも、「風景が変わる」というフレーズをよく使う。と話を転換させて、研究の世界での「風景」について佐々節が続く。
個人的な体験を出発点にして、学問の世界について一般向けに語りかけるという、ぼく好みのエッセイである(というか、ぼくも結構こういう手は使うわけだが)。 ただ、ぼくがこれを書いたらどうなるかなと思いながら読んでいくと、一つ一つの文章がたたみ掛けるように続いていて読者が息を抜くタイミングがつかみずらいし、ぼくならもう少しじらして後に書くだろうと思うことが、先走ってどんどん書いてある。 ううん、おれだったら、ここの順番は逆にするし、結びはこうかなあとかいろいろと思っていると、そこで、はっと気づく。 そうだ。これでいいのだ。 このエッセイの(やや性急で濃密な)スタイルこそ、まさに、佐々真一のライフスタイル・研究スタイルそのものではないか。 佐々ファンの諸君は、そういった点を含めて味わうべし(といっても、駒場以外の人は読めないか。佐々さんに原稿をネットに公開するようみんなで頼もう!)。
暑い。
いよいよ半袖の T シャツで講義をする時期がやってきた。 まだ汗はかかないが、そのうち、T シャツでクーラーのきいた講義室にいても、講義のたびに汗びっしょりになる日々がやってくるのだ。
一年生の数学の講義は微分方程式や複素数を終えて、座標とベクトルへ。 これから一気に加速して線形代数へとむかう。 大学での物理に使われる数学が如何にカラフルで魅力的かを味わってもらいたいものだ。
明日は、また午後からお茶大にいって、
数理物理・物性基礎論セミナー第二回
日時:2010年5月22日(土)15:00〜18:00、場所:お茶の水女子大学 理学部1号館2階 201室
講演者:佐藤 正寛 氏(理化学研究所)
第1部 : 1次元フラストレート量子磁性体への共形場理論の応用
第2部 : 1次元モット絶縁体のダイナミクスへの共形場理論とform factor法の応用
セミナーシリーズの第二回。今回は、物性物理よりの話題です。ぼくも顔を出します。
明後日は、ちょっとした成り行き上、こんなイベントに出ることになっていて、おそらく、終わった後は懇親会的に飲む。
あけて月曜日は朝から駒場で講義。飲んだ後に準備するのは不可能ではないか。
ということは、月曜日の講義の準備は今日くらいにやっておかねばならない!
さらに、月曜日は講義でばてた後、佐々さんらと色々と議論することであろう。
続く火曜日は午後からずっと会議で、そのあとは、非常勤講師との懇談会があって、まあ、懇親会的に飲む。
あけて水曜日は朝から量子力学の講義。飲んだ後に準備するのは不可能ではないか。
ということは、水曜日の講義の準備も今日くらいにやっておかねばならない!
講義の準備もあらかた終え、雑用のメールと、いくつかの大事なメールのやりとりを終えても、まだまだ外は明るい。 いよいよ日が長くなっている。
今日はよく働いたし、明日からもずっとイベント(ていうか、飲み会)があるから、ここで意を決してプールへ。 自転車で池袋の繁華街を抜け、駅の向こうのビルの 11 階のプールに向かう。 幸いにも、ほどほどの混み具合。 まだ明るいなかを、ゆっくりと 1000 メートル泳ぐのは本当に気持ちがいい。 水は静かで透明で、クロールをかいた手が水中を走るときに小さな泡のかたまりが流れるのが見えて不思議に愉しい。 窓から見おろす夕暮れの東京の街の様子も素敵だ。 実は、昨日くらいから複数のことでやや気持がネガティヴになっていたのだが、運動で火照った体をプールサイドで乾かしていると、いくつかのわだかまりが面白いように昇華していくのが自覚できる。 人間なんて単純なものだね(←とくに、ぼくが、だろうけど)。 泳ぎに来てよかった。