茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
さて、先週は予定通り多忙な週だった。
前の日記に書いたみたいに、週末は、土曜・日曜(22 日、23 日)ともに飲み会付きのイベント。 月曜は雨の中を駒場に行って講義をして(←かなり、ばてた)それから佐々さんと議論。 火曜は会議があって、それから非常勤講師との懇談会(いつもどおり司会)。 水曜は講義のあと、卒業研究をみている K 君とずっと議論(というより、ぼくが K 君に論文の中身を教えてもらう)、そして、夕方から一年生との懇談会・懇親会(もちろん、アルコール抜き)があって、その後、再び K 君と議論。 木曜は、なんと(雑感の長い読者なら懐かしいであろう)ナカムラさんともう一人のお客さん(慶応大学の F さん)をお迎えして、K 君ともども相対論的熱力学について教わり色々と議論。だいたい、この分野の姿が見えてきた。 ありがたいことじゃ。 金曜は、講義をして、それからごそごそとやった後、ちょっとだけ会議。
まあ、本当に多忙な人には笑われるだろうけど、こうやって毎日のようにイベントがあると疲れがたまってくる。 講義とかはバリバリに元気にやっているし、ひどく疲れたりするわけじゃないけど、やっぱり、空き時間とか夜にはぼけっとしてしまう。
実は。
な、なんと
椎名林檎や Perfum のデビュー 10 周年に引き続くかのように、この「日々の雑感的なもの」も 5 月 25 日で執筆開始から 10 年を迎えたのであります。 わあ〜〜。ぱちぱちぱち。わあ〜〜。ぱちぱちぱち(← 一人で書いていると寂しい)。
石の上にも十年とはよく言ったもので(←いや、言わない)、こんな駄文の集積(まあ、謙遜ですけど)とはいえ、十年間にわたって一日も休むことなくはなく書き続けたと思うと、感無量で涙が思わずこぼれでたりはしないけど、でも、まあ、けっこう愉快ではある。 しかし、十年と言えば、34 歳の若手研究者が 44 歳の中堅の研究者になるほどの年月なのだと思うと、なんかすごい気もする(←ぼくの年齢とは異なっているわけだが、文の内容は正しい)。
明日の講義でデモンストレーションにつかう地球ゴマを買いに池袋の東急ハンズへ。 電話で問い合わせたところ、7階のゲームコーナーにあるとのこと。 たしかに、「南京玉すだれ」などと並んで売っている。 ぼくらが子供の頃は、たしか、小学校の向かいの文房具屋に必ず置いてある有名なおもちゃだった気がするのだが、時代はかわり、 講義で学生に聞いても誰も知らなかった。という感じ。ついでに、ジュンク堂に寄り、思想書のコーナーをチェック。 ついでに上の方の階に上がって物理の本のコーナーを覗くと、意外にも 「熱力学」が本棚のなかに表紙を表にして6,7冊重ねて置いてあった。 ジュンク堂は立派な本屋さんなのだ。
十年間で多少の実験をしたりして文体とかスタイルをいくつか試してはいるのだが、まあ、こういう色気のない日常の描写が「日々の雑感的なもの」の原点なのであるのである。
正直に告白すると、この十周年に気づいたあと、今年の 5 月 25 日にも、池袋に行って東急ハンズとジュンク堂をめぐり、地球ゴマと(「熱力学」じゃなくて)「統計力学」をチェックして来ようかなあ〜とかいう考えを抱いたこともあった。 で、その日の日記には白々しく十年前とほとんど同じ文章を書いておく。そして、次の日くらいに「実は、昨日の日記だけど」とか書くわけ。 とてもありがちな十周年記念日記。
けど、それって完璧に「やらせ」だし、日記のネタ作りのために行動するのもなんかイヤだし、やっぱりやめた方がいいかなあとか悩んだわけだが、なんのことない。 そういう悩み以前に、25 日は忙しくて疲れていてそんなことしている余裕も何もなく過ぎてしまったのだった。
おお! 話題のインターネット本屋さん amazon.co.jp で「統計力学 I」に☆☆☆☆☆がついているではないか!!というのは、(ちょうどじゃなけいど)ほぼ十年前の 2000/11/20 の雑感の(ほぼそのまんまの)コピー。 でも、やらせでもウソでもないよ。 アマゾンに「熱力学」の最初の書評(これは名書評だったので、「熱力学」のサポートページの冒頭に(ご本人には無断で)引用させてもらっているのだ)を書いてくれた A さんが、十年を経て、再びアマゾンに「統計力学 I」の素敵な書評を書いてくださったのだ。カスタマーレビューで、絶賛して下さった読者がいるのだった。 読む人はちゃんと読んでいる、 わかる人にはちゃんとわかっているのだ。 うんうん。 どこのどなたか存じませんが、どうもありがとうございます。 (自分の本のことはさておき、何かを堂々と誉めるというのは、勇気と見識のいることだと思うのだ。 逆に「どんな本だって、じっくり読めばいい本さ」などという似非民主主義的発言は誰にでもできる。)
あれ? レビューアーのお名前は A さん・・・?
ちなみに、A さんというのは、足立さんとか相生さんとか案藩萬さんとか、「あ」で始まる名前の人ではないのじゃ。 ちょうど十年前の 6 月 1 日の日記に出てくる統計力学の練習問題で、ぼくが彼の高校時代からの疑問を
A 君は、次のような疑問を抱いた。 「固体のエネルギーついて Dulong-Petit の法則 U=3NkT があり、理想気体のエネルギーについては U=3NkT/2 という法則がある。 この二つを素直に見比べると、気体のエネルギーは固体のエネルギーの半分ということになってしまう。 だが、これはおかしい。 固体が昇華して(あるいは、融解・沸騰して)気体になる際に熱を奪う以上、気体のエネルギーの方が大きいはずだからだ。」という風に紹介したので、かれの「田崎本を書評するときのペンネーム」および「ぼくの日記で言及するときの略称」が「A 君」になったというわけ。
「ゲーム脳説」への歩く反論と言われた(←すみません、言われてません。今つくりました。でも、本当にそうなんです)俊才の(そして、ゲーマーの) A 君は、ぼくとなんだかんだとやりとりしていた十年前には、物理の学部生だった。 実をいうと現実にお会いしたのは一回だけ。五年ほど前、かれが大学院生のとき学会で少しだけ話したのだ(2005/3/24 の雑感に「ストリングのセッションに出て知り合い二人と初対面を果たす」と書いてあった)。 調べてみると、今はアメリカの某有名大学でポスドクをしながら、ばりばりと研究を進められているようだ。いろいろな一流どころでセミナーをしている様子も伺えて頼もしい限りである。
学部時代の明快でバランスの取れた書評も素晴らしいが、ぼくはかれの新しいレビューが大好きだ。 内容を絞りんだ上で拙著の魅力と意義を少ない言葉で簡潔に伝えるだけでなく、ポスドクとしてのかれのアメリカの大学院生との交流の様子を生き生きと描き、ついでに、著者には翻訳を出せというプレッシャーを与えている(←絶対に英訳は必要だと思っています。だが、人生は一回だし、時間が・・・)。 なんといっても素敵なのは、レビュー全体から、かれの研究者としてのプライドと物理を研究して生きる喜びが率直に感じられることである。
このように、20 歳前後の学生が 30 歳前後の立派な若手研究者になるほどの年月なのだと思うと、やっぱり十年は長いよね。
先日、ある学生さんに、駒場でのぼくの講義の裏番組で、いや、ちがう、ぼくのが裏番組であり、その表番組としてアメリカ文学者・翻訳家の柴田元幸さんの講義があることを教えてもらった。 柴田さんは本郷につとめているはずだから、ということは、月曜2時限目の講義の前は、駒場の講師控え室にいらっしゃるということになる。 ぼくがいつも講義寸前の集中のために使っている控え室(5/10 の雑感を参照)に柴田さんがいらっしゃるとは! めっちゃミーハーな喜びを覚える私である。 もし見かけたら分かるようにと思って、Google で検索して柴田さんのお写真をチェックしてしまった!
で、今日は駒場へ。
指定席に座って、Lieb-Yngvason 流の考えで理想気体のエントロピーを求める計算(←十年くらい前に佐藤さんがやって、それを佐々さんから教わったのである)の復習をしていて、ふと柴田さんのことを思い出した。で、適当にまわりを見渡したのだが、さすがにそれらしい人の姿はない。 まあ、そんなものだろう。
講義の準備がおわったところで、いつも通りトイレに行く。 講義に集中するためにも、かならずトイレに行くのだ。
で、詳細な描写は避けるけれど、トイレで用を足していると、隣に人が来て、やはり用を足している。
何気ないいつもの男子便所の光景なのだが、去り際にみると、隣人はなんと柴田元幸さんその方であった!
ぬぬぬ。さすがにトイレで用を足す初対面の人にむかって唐突に
「ハプワースの翻訳なんとかならないですかね?」(「ハプワース 16, 一九二四」の謎(ネタバレや解題などは一切ないです) を参照)
などと聞くわけにもいかず、そのまま普通にトイレをあとにした私であった。
若干の雑用をしたあと、疲れてはいたが、池袋のプールへ。 最近は講義のある日はばててしまうのだが、こうやって、体を動かしてバランスよく疲労するほうが調子がよくなる気がする。
朝、メールで、早稲田大学の田崎秀一さんが亡くなったことを知る(早川さんも田崎秀一さんのことを書かれています)。 (付記:亡くなったのは 6 月 6 日の早朝だそうです)
入院されたということは聞いていたが、まさかという気持ちで言葉もない。 奇しくも、まさに昨日も「田崎さんはどうされているかなあ?」と人と話していたばかりだ。
田崎秀一さんは、ぼくと同世代(おそらく一つくらい上)の統計物理学の研究者で、とくに非平衡系を数理物理学的な視点から研究されていた。 つまり、ぼく、特に近年のぼくとは、かなり近いのである。 実際、2005 年暮れの京都での研究会(2005/11/30)では、二人の田崎がどちらもクラウジウス関係式のミクロな解釈について話していたくらいだ。
その割には、不思議にパウリ原理が働いていたのであろうか、最初はほとんど交流がなく、はじめてお会いしたのはちょうど十年ほど前の久保シンポジウムのようである(200/10/5)。 それから、きわめて緩慢にだが、少しずつ親しくなっていった気がする。 とくに、思い出に残っているのは、2006 年に早川さんが早稲田でセミナーをされたときのこと(2006/3/7)。 セミナーのあと、早川さんと三人で高田の馬場へ食事に行き、早川さんを送ったあと、田崎秀一さんと二人で夜の道を早稲田大学まで歩きながらいろいろと話した。 かれが、きわめて控えめで丁寧な物腰の奥に、物理と数学の関わりについて確固たるお考えをもっていることに強い感銘を受けた。
田崎秀一さんは、ほんとうに物静かで控えめな紳士だった。 同じ「統計物理学の田崎」という範疇で、秀一さんが謙虚さをすべて持って行き、晴明が図々しさをすべてもって行ったのだなどと冗談を言っていたものである。
ぼくの感心がいよいよ量子系の非平衡状態などに移るにつれ、早稲田と学習院ですぐ近くにいることだし、一度じっくりと議論しましょうとメールなどで相談していた。 ただ、かれが体調を壊したりしたことなどもあって、延ばし延ばしになっていたのだ。 そして、けっきょくは約束を果たせないままに、今日の訃報を聞くことになってしまった。 個人的にも残念で無念だし、日本の物理学の今後の展開を考えても実に大きな損失だと思う。
心からご冥福をお祈りいたします。
いつまでたっても講義の準備に追われている。 何者かの陰謀であろうか、週末をつぶしてせっせと準備しても次の週末になると何故か準備が不足しているのだ!! いや、まあ、週のあいだに真面目に講義しているからですけど。
とはいえ、プールには週一回強のペースで通っているし、プールに行かなかった日は筋トレもしている。
というわけで、あまり余裕のない週末なのだけれど、1 日の日記の「十周年」の話のつづきを少々。
思い出してみると、「熱力学」も出版してからしばらく書評は一つもなかった。 そこへ、若き日の A さんが書評を載せてくれたのだけれど、これが一種のきっかけになったみたいな感じで、その後、多くの人たちが様々な立場からの書評を書いてくださったのだった。 これを書いている時点で、「熱力学」のカスタマーレビューは全部で 10 件ある。 それぞれに異なった視点から拙著について語ってくれていて、本を書いた本人としても、読んでいて教えられるところ・励まされるところが多い。 さらに、拙著が長いあいだ(細々とはいえ)着実に売れ続けている背景には、これらの好意的で説得力のある書評があるのだろうとも思う。 素晴らしいレビューを書いてくださったみなさんに、この場を借りて、お礼を申し上げます。
言うまでもないことだけれど、やっぱり、一生懸命に本を書いた以上は、多くの人に読んでほしい。 ぼくなりに全力を尽くして物理の世界の風景の一端をしっかりと描き出したのだから、それに共感できるよような精神性をもっている人たちには、同じ風景を共有して味わって、さらにそこから先に進んでほしいと真面目に思っているからだ。
「熱力学」のレビュー第 1 号を A さんが書いてくれたのは、彼がまだ学部生の頃だ。 その A さんが、今は、独立した研究者として活躍しながら「統計力学」の書評を書いてくれた。
ぼくとしては、「歴史はくり返す」ことになって、これをきっかけに「統計力学」のカスタマーレビューが増えてくれればと願っているのである。
実際、web で検索していると、ブログや掲示板などに拙著の的確な感想やレビューが書いてあるのを時々みかける。 現役の学生さんからお仕事の傍らに物理を学んでいる方まで様々だが、ぼくが意図した通りの点をほめてくださっている場合もあるし、こういう読み方があるのかと感心させられることもある。 そういった書評・感想を書かれている皆さんにも、ぜひとも、アマゾンのレビューを書いていただきたいと思う。 ブログや掲示板に書かれたことを少しいじって載せていただければいいのです。お願いします。
こうやって著者がレビューを書いてくれと頼むのは、いかにも無節操な宣伝根性丸出しの行為かもしれないけれど、これは正直な気持ちです。 上にも書いたように、やっぱり、できるだけ多くの人に拙著に接してほしいとぼくは思っている。 アマゾンで的確なレビューが並んでいれば、それは、本を手に取るべきかどうか悩んでいる人にとっては大きな後押しになると思うのだ。 というわけで、「自己宣伝」というのとはちょっと違う「自己『宣伝お願い』」だけれど、もっともだと思われる方は、是非よろしくお願いします。
ぼくは、十年ほど前に「日々の雑感的なもの」を書き始めたわけだが、これはぼくなりに少し考えた上でのことだった。 当時、いくつかの掲示板(といっても、ほとんど黒木掲示板だけど)やメーリングリストで発言してみて、やっぱり、自分の書いた物をどこかにまとめておきたい感じたというのが主たる動機だ。 「老後に引退してから自分で読み返したら愉しいだろう」と書いたりもしていたが、公開するからには、もちろん他の人たちにも読んでほしいと思い、それなりの工夫もしたつもりである。
日記のスタイルは最初から、今とほとんど同じ、html 直打ちのいわゆる「テキスト系」だった。 これも、いくつかの web 日記を比較・検討して、ぼくなりに読みやすいスタイルを採用したつもり(最新の日記は日付と逆順で、過去の日記は日付順というのも、もっとも読みやすい形式だと思っているのだが、なんかマイナーですね・・)。
とはいっても、書き始めた当初は note.html という一つのファイルに次々と記事を書いていた。 これでは、たちまち長いページになってしまうと気づいて、今のようにファイル名をつける方法に移行したのが、 2000/6/19 である。 十年間、ずっと同じページに書いていたとしたら、真に馬鹿長いページになっていたであろう。
さて、この日記の正式名称は「日々の雑感的なもの」である。 書き始めた頃のページのタイトル(ブラウザーのウィンドウの一番上のタイトルバーに出ている奴)も、深く考えずに Hal Tasaki's Zakkan としていた(html の初期には、文字化けを避けるためページタイトルを英語にするという慣習があったのだ)。
ページタイトルを現行の Hal Tasaki's logW に変えたのは、2002 年 11 月から。 logW というのは、「log on the web」の略であり、かつ、ミクロ世界とマクロ世界の論理的な関係についてのボルツマンの洞察(ボルツマンエントロピーの定義)を表す絶妙のタイトルであるわけだが、このタイトルをつけた理由は、実は、けっこうアホくさいのである。
当時、2002 年の暮れは、なんか「日本でもブログ文化が始まるんだ」とかいうことで、ごく一部で騒ぎになっていた時期だったのだ。 よく覚えていないけれど、アメリカのブログ事情に通じた人たちが「日本ブログ学会」とか名乗ってブログを書き始め、ブログが普及することで(アメリカみたく)新しい文化が生まれるんだ、われわれはその先駆けとなるのだとか騒いで、でも、web 日記を書いている人はいっぱいいてそれなりの文化もできつつあるけど、それはどうなるじゃ的なプチ論争があった。 もちろん、ぼくとしても、新しい道具や枠組みから新しい文化が(すごく長い時間をかけて)生まれることはしっかりと認めている。 しかし、ブログという「新しいツール」が手に入っただけで、新しい流れが生まれ既存のマスコミがああだこうだというような(当時の)話はまったくアホだとしか思えなかった(し、その結論は今も変わっていない)。 文化をなめてはいかんでしょう。 文化というのは新しい環境や道具のなかで長い時間をかけてじっくりと育っていくものなのだ。 このブログ騒動をみて、ワープロが普及し始めた頃に「ワープロさえあれば、自分にも小説が書ける」と勘違いした人たちが少なからずいたという笑い話を思い出したのはぼくだけじゃないと思う。
というわけで、ぼくにとっては「ブログ」というのは、なんか、ネタの対象でしかなかった。 で、おもしろがって、雑感のページタイトルだけを「Hal Tasaki's blog」に変えて、「てへへ、ぼくもブログ始めちゃいました〜」とかいう(ベタな)冗談をやってしまったのである。 そのときの「冗談のお披露目」が、今はなき web 掲示板「山形浩生勝手に広報部:部室」の 2002/11/13 のぼくの書き込みだ。なつかしいね(英語で書いているけれど、これは伊藤穰一さん (Joi Ito) という日本語よりも英語のほうが読み書きが楽という方が書き込んだので、(ぼくの直前=すぐ下に)山形さんが英語で返事を書いていた流れを受けて。まあ、ぼくの場合は英語で書く理由はなかったのですが。ちなみに、今、wikipedia で見ると伊藤さんは「日本のインターネット普及・伝承の第一人者」であるらしい。これはすごいね。しかし、普及はいいとして、伝承って・・・)。
しかし、考えてみれば、「web 日記を blog と呼ぶ」とかいうのは、当時の様子を考えれば、あまりにありふれた凡庸なベタすぎるネタだったわけだ。 そのことを、掲示板でもすぐに(わざわざ英語で)指摘してもらい、「しまった、やっちまった」と気づいた私は、すぐに blog (というページタイトル)はやめようと思ったわけだが、そこで Zakkan の戻すのも悔しい。 とっさに思いついた(←これは本当。別に暖めていたわけじゃないのだ)のが、 logW だっというわけ。 ベタなネタを覆い隠すためにあわてて考えた割りには、なかなかナイスではないかというので、今日に至るまで使っているというわけ。 このときのことは、当日の 2002/11/13 の雑感にも書いてあるね。
そして、時は流れ、ブログというのは異常に普及したものの基本的には個人の日常記録やささやかな感想文の集まりでしかなく、今や時代は Twitter だとか、めまぐるしいことのこの上ない。
しかし、上に書いたように、人類にとって意味の深い真の文化が生まれるには長い時間と試行錯誤が必要なのだ。 web という仕組みが登場し普及し、みんなで色々なことをやってはいるけれど、web を使って本当に何ができるかなんていうのはまだまだ分からないとぼくは信じている。 次々と新しい技術が生まれて流行していくけれど、正直なところ、(かの有名な「日々の雑感的なもの」に代表される)テキストを手で打ち込んだだけのページや、昔ながらの web 掲示板のようなものにしたって、それらの可能性が尽くされたなどとはまったく思わない。 むしろ、どんどん刹那的になっていく(ように見える)流行の技術よりも、これらの古くさい形式から、そろそろゆっくりと新しい意味での文化が生まれてくるんじゃないかと、ぼくは真剣に考えているのだ。
そのあたりのことについては、ちょっと前に「科学」に書いた文章が関連するので、それを公開するときにまた書いてみたいなあと思っている。 今日のところは、「十周年記念」ということで昔をふり返り、軽く現在・未来に言及したところで終わりにさせていただこう。
先週の半ばくらいに、月曜の「現代物理学」と水曜の「量子力学 2」(どちらも、今年が初めての講義)の残り三回の講義のプランがほぼ完全に見えた。 どちらも(とくに、「現代物理学」は前期で読み切りだし)講義が最後までまとまるか相当に不安だっただけに、ようやく見通しがついて精神的にぐんと楽になった。
これで準備もさくさくとできるぞ! と思いたいのだが、世の中はそう甘くはない。 困ったことに、少年老いやすく一週間は七日しかないのじゃ。おまけに、先週の金・土は朝から夕方まで研究室の(卒業研究がらみの)集中セミナーがあって(←それで、田崎秀一さんのお別れの会と数物セミナーに出られなかった)、それが終わった土曜日の夜には二日酔いになる二歩手前くらいまで酒を飲んだりしているので、講義の準備はさっぱりである。 けっきょく、いつものように前日になって一生懸命に準備。
いつも通りばしばしと板書し、しゃべりまくっていくのだが、どうもいつもよりも体力の消耗が速い気がする。 体調が悪いのだろうかと心配したが、要するに、教室が蒸し暑いというだけのことだった。
これもいつもの通り、講義が 12 時 10 分に終わってから色々と質問に答え、次の講義が始まる 1 時ごろに教室をでる。 講師控室にマイクを返し、うがいをして顔を洗ってから、学食へ向かう。 今年になって初めて経験する、異様なまでの蒸し暑さ。 移動するだけで消耗する気がしてゆっくりと歩く。
学食の二階で食事をしても回復しないので、生協に行って、缶コーヒーとアイスクリームを買う。 外のテーブルに座って、ゆっくりとアイスクリームをかじり、コーヒーを飲む。
テーブルのすぐ横を雀が一羽ちょこちょこと地面をはねていく。 「最近、東京での雀の目撃例が減っているという話がある」と妻が言っていたのを思い出し、妻にメールを打つ。
駒場食堂なう。雀がいたよ。生まれて初めて「なう」を使った。
などと一人でアホをやっていると、「田崎先生」と呼びかけて近づいてくる若者あり。 文二の二年生の○○さんという方だった。 こうやって対面して話すのは初めてなのだが、なんと、かれとぼくには意外な共通点があることを教えてくれた。
ぼくらは二人とも、結城浩さんのベストセラー「数学ガールシリーズ」のレビューアーをやっていたのだ。 かれはまだ大学二年生なのだが、一作目からレビューしているらしい。 ぼくも一作目からレビューアーの端くれに名前を連ねさせてもらっているけど、こうやって、ほかのレビューアーとお会いして話をするのは初めて(まあ、結城さんにも会ったことないし)。 なんか、秘密組織に属して世を忍ぶ仮の姿に身をやつしつつ密かに重要な諜報活動していた秘密工作員どうしがふとしたきっかけでお互いの素性を知ってしまうシーンみたいで、ちょっと愉快な暑い日の一コマ(ひとこま)なう。
上の「お知らせ欄」に
理研(和光市)でセミナーをすることになりました(急に決まりました)。
基本的には、去年の夏に京都で話した内容です。
外部の方も参加できるそうなので、ご興味があればどうぞ(西門で来訪の目的を告げ、名前などを記入するそうです。以下の連絡先をメモして持って行くとよいと思います)。
Hal Tasaki, "Entropy and Thermodynamic Relations for Nonequilibrium Steady States"
Tuesday, June 29, 2010, 14 : 00 〜 15 : 00, Meeting and Seminar Room (435,437), 4F Main Research Building (研究本館)
Contact : Digital Materials Team Tel.: 048-467-9681 ;(ext.)3314
もともとは、Nori さんのグループに中国から来ている Zhang さんという人が、昔ぼくが書いた「量子系からのカノニカル分布の導出」という(変な)論文に関連する仕事をしているので議論したいという話があった。 来客に備えて部屋を片付けるのも面倒だし、あちらは色々な人がいるみたいだったから、ぼくから理研に出向いて関連する話をだべってこようということにしたところ、そしたら、まあ、ついでに話もしてよということでセミナーをしたというわけ。 Nori さんのところに田崎が行くとは意外という反応が複数の人からあったけど、たしかに、研究分野もかなり違うし、強力なチームを率いて流行の分野ですさまじい勢いで論文を書いているかれと、いよいよ地味路線も極まってきてぼそぼそとマニアックな論文を書いているぼくとでは正反対といっていいかもしれない。 でも、まあ、共通の興味があれば気にしないで議論すればんいんじゃなかろうか?
セミナーでは、上に書いたように去年の夏の京都のスライドに少し加筆したものを使って、Komatsu-Nakagawa-Sasa-Tasaki による SST(定常状態熱力学)のミクロからの導出の現状を報告。 数少ない(意味のありそうな)新しい進展として、斉藤さんといっしょにやった(というより、重要なところはほとんど斉藤さんがやったのだけど)量子系での拡張クラウジウスと対称化エントロピーについても初めて言及した。 思ったよりも多くの人が理研の周辺のグループや研究所の外からも来てくれて、よい雰囲気で進んだ。 理論物理学・物性物理学の堅実なバックグラウンドがある人たちからの素直で的確で鋭い質問がいくつか出て刺激的だった。こういうところは、非平衡の専門家が主体の京都の会議とは違う。
Nori グループには日本人は一人しかいないそうで、議論をしていてもコーヒーを飲んでいてもすべて英語で、アメリカかヨーロッパに戻ったような感じ。 そういう「異国情緒」というか「外国にいる感」が好きな(しかし、飛行機で旅するのは面倒な)ぼくとしては、和光市でこれが味わえたのはお得感が高いかも。
今日、議論の途中でぼくがふと「マックスウェルのデーモンが・・」と口にしたところ、Franco は、瞬時に、丸山さんやかれが書いたデーモンについてのレビューを出してきて手渡してくれた。 ははは。ほんと、何でもやっている人だ。 それにしても、このレビューには歴史から説き起こしてデーモンの物理が丁寧に書いてあるので、猛烈に役に立つではないか。 こういうのが欲しかったのだ。 こうやって全くの偶然の成り行きで、まさに求めていた通りのレビューが手に入るとは、まさに、神のお導きではないか。い、いや、それともデーモンの・・・
その後も、(Nori グループ唯一の日本人メンバーである)丸山さん、(わざわざセミナーに来てくださった)沙川さんという、デーモンの専門家(←なんか怪しげ(←もちろん、お二人ともまったく怪しくない優秀な物理学者です))お二人と話すことができて、色々と素朴な疑問をぶつけて答えてもらうことができた。いよいよ講義の準備も整ってきた。
ああ、いたいた。 奥の部屋のデスクにいた。
確かに、歳をとって雰囲気は変わっているけど(←ま、俺もだけど)、やっぱ岩崎だあ。 昔とちがって、ぬぼっとした立ち方で、かえって背が高くなったように感じるかも。
何年ぶりだろ? お互い大学院生で、九州かどこかの物理学会で出会ったのが最後の記憶だから、それが最後かも。 岩崎は大学院の頃から(たぶん)高エネルギー研に行きっぱなしだったし、ぼくは、みんなより半年早く大学院を終えてアメリカに行ってしまったし・・
昔の岩崎なら、ここらで「うひゃ〜、田崎か?!! なんで、急に来るんだあ? びっくりさせるなよお!」と騒ぐはずだぞと思ったのだが、実際の岩崎はもっと落ち着いていて、「ああ、久しぶり」的な反応。 様子を見ると、単に落ち着いているだけじゃなくてかなり消耗した顔をしている。 やたら忙しいらしく、前の晩もほとんど寝ずに仕事をしていたという。 やれやれ。随分と大きなグループを率いているようだし、いろいろと責任を背負い込んでしまうと大変だよなあ。
それでも、かれらのグループが昼食に出かけるまでのあいだ、少しだけ昔話や近況などを話す。 だんだんと、昔の雰囲気が戻ってくる気がする。
岩崎は、午後のぼくのセミナーにも顔を出してくれて一番前に座って聞いてくれた。 セミナーの終わり頃になって、秘書さんが呼びに来て、部屋をそっと出て行った。 きっと会議とかがあるんだろうね。がんばれよ〜。