日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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11/1/2000(水)

以前に佐々さんの研究室のページにリンクをはって、

研究室のページはいいけど、佐々さんの個人ページはなんとかした方がいいな
との感想を書いたけれど、(おそらく、それが刺激となり)いまの佐々さんのページはたしかに「なんとか」なっています。 「日々の××」シリーズのお仲間ができたのもうれしい限り。
昨日は、Hatano-Sasa を読んだ勢いで、 前に佐々さんに教わった Allahverdyan and Nieuwenhuizen (どう発音するのだろう?)の Extraction of work from a single thermal bath in the quantum regime を読み始めた。 量子系では第二法則が破れることがありうるといった過激なことがabstract に書いてある。
These apparent violations of the second law are the consequence of quantum coherence in the presence of the slightly off-equilibrium nature of the bath.
と言うのだけれど、ご存じのように、apparent には、大ざっぱにいうと、「明らかな・明白の」という意味と「見た目の・みかけの」という意味がある。 この二つは随分ちがう。 こういう紛らわしい言葉を使うのは非常によろしくない。 いずれにせよ、ここでは「みかけの」の意味で使っているのかと思ったら、 どうも本文を読むと本気で「第二法則が破れる」と言っているらしい。

こいつは大変。 と、読む。

Hatano-Sasa を読むのは喜びであったが、こっちは苦痛。 かなり厳しい論文であった。 「常識」らしき式の引用と、妥当性のはっきりしない近似の嵐で、何が何だかわからない。 これだけ物議をかもす謳い文句を掲げながら、ここまでいい加減な論文を書いて、それをレフェリーがさっさと通してしまうというのは、まったくもってひどい話。 熱力学量の導入にしても、説明も深い考察もなしにぽんぽん進むので、まったく読む気を失って、投げ出してしまった。 (実は、今日になって、やはりこの論文を批判的に読んでみた人から、 内容の本質を説明してもらって、すこしわかるようになった。 それでも、無価値であろうという評価は変わらず。)

あきらめたあとで、ふと論文の最初にある日付を見ると、

April 1, 2000
・・・まさか・・・。
11/2/2000(木)

昨日は第二法則の破れを示唆する論文を読みかけて投げ出したのだけれど、 家に帰るあたりからやはりこういうものを見て何も言わないのはいかんぞ、と思いはじめた。 大学のなかを歩いていると、今日からの大学祭の練習らしく、オーケストラの演奏が聞こえる。 なんと、ドラゴンクエストのテーマではないか。 家に帰ったら仕事のことを忘れてゲームをやれというお告げかとも思うが、 物理学者というのはそういう風にはできていない。 家に帰ってから既存の方法でやっつけられないか、と検討をはじめた。 落ち着いて考えてみると、前に書いたような relative entropy をつかったごく標準的な方法で、量子系だろうが、系と熱浴に entanglement があろうが、平衡から外れようが、第二法則からは逃れられないことを示せるのがわかった。 彼らの論文を読んで検討して、どこそこがおかしいと指摘する(近似と引用の嵐なので、これをやるのは至難)のではなく、一般論から「そんなことは、できるわけがない」と言ってしまおうというわけだ。 (相手とかみ合わないので、批判としては面白みを欠くが。)

昨晩は、その内容をメモにまとめてからビールを飲んで、ようやくドラクエ 7 を少しやって (最近は話題にしてないけど、まだやってる) 眠り、 今日は、朝飯前にまとめてしまうのはさすがに無理だったが (娘が早く学校に行くというので、付き合って六時に起きて朝食だったし)、 昼飯前には批判的コメントをすべてタイプして、意見を聞くべく、 TeX file を知り合いに送った。


それはそうと、(月並みですが)早くももう11月。 思わず、
20世紀もあと残り二ヶ月となってしまいました。 どうかよろしくお願いします。
と、家族にあらたまって挨拶してしまった。 普段は父親の唐突な発言をばかにする子供たちも不思議に「そうだねえ」となっとくしてくれたのだった。
11/3/2000(金)

休日モードで(少しものを取りに大学に行った以外は)ほとんど家で過ごす。

ずっと放置してあった Lieb-Yngvason の Physics Today の解説記事の翻訳の草稿を昨日発掘。 草稿を読んで下さった方のコメント、 Elliott Lieb に問い合わせて書いてもらった新しい脚注の追加、など最後のしあげ。 最初に訳したのは5月の末だから、 ずいぶん放ったらかしにしたものだ。


夕食後は、妻が子供たちのリクエストに応えて、子供たちといっしょに「紫キャベツの汁による pH 測定の実験」をしていた。 スーパーで買ってきた紫キャベツを小鍋で煮て紫の汁を煮出し、 何本かの試験管にとり、そこに、家庭にあるお酢、アルコール、重そう、レモン汁、キンカン、石けん水、クエン酸などを少量混ぜて色の変化を見て、中性、酸性、アルカリ性を調べる、というスタンダードな家庭実験。 ぼくは、おやじとしての立場を守り「食えるのにクエン酸とはこれいかに」などと口をはさみつつ眺めていたのだった。

[pH experiment] 酸性のものを入れるときれいな赤紫に、アルカリ性のものをいれると黒みがかった青へと、さすがに、見事に色が変化する。 (試験管と試験管立て(←東急ハンズで買ってきた)以外は)普通に家にあるものだけでこれだけの実験ができるのは実にうれしい。 漂白剤を入れたときは、アルカリ性らしき色の変化を示したようにみえつつ、みるみると色がなくなってほとんど透明に近い黄色に変わってしまう。 これは、pH の測定とはまた話がちがうか。

[pH experiment] 何が面白いと言って、重そうをいれて黒っぽい色になっている溶液に、お酢やレモン汁を加えると、さああと色がきれいな赤紫に変わり二酸化炭素の泡がシューっとでてくるのがよい。 子供たちも大喜びだった。 なんといっても、色が変わる泡がでる、というのは化学の原体験となるわくわくの体験なのだ。 (化学音痴のぼくが言ったのでは説得力が低いが。)

実験のあと、娘と話していたのだけれど、紫キャベツを使ったロールキャベツにレモンを添えて出し、食べるときにレモンをしぼり入れるとさっと色が赤紫に変わる、というのはどうだろうね? (付記:妻によると、紫キャベツは苦みがつよいので、ロールキャベツはできないそうです。)


11/5/2000(日)

昨日は Lieb-Yngvason の翻訳のファイルをパリティに送った。 本当なら、ここで pdf ファイルをお見せしたいところだけれど、 この記事はアメリカ物理学会や丸善が著作権や翻訳権をがっちり持っているから、 あまり安易に公開するわけにはいかない。 残念。

実際問題として、 ここで白黒の解像度の悪い図版のついたファイルを公開したからといって、パリティの売れ行きに悪い影響があるとは思えない。 読んで面白いと思えば、きれいに印刷されたバージョンを買おうと思うだろうから、かえって売れ行きがのびるくらいではないだろうか? (とはいうものの、昔「くりこみ群の方法」を書いたとき、 ぼくの部分の草稿を近隣の大学の知り合いの学生さんに読んでもらっていたところ、 かなり広範にコピーが行き渡り、 その後、本が出版されて輪講をやろうなどというときにも本を買わずに草稿ですませている人が多くいたらしい、というような話もないわけではない。)


今日は完全な休日モードで大学へは行かず。 (これも家で書いて個人のアカウントから up load しているのだ。) 午後から、すこしだけ、子供たちにつきあって、バドミントンをやったり、 バレーボールやサッカーの練習の相手(球を投げたりするだけ)をしたりする。 気持ちよかったが、ふだん、運動不足の極致なので軽い運動でも疲れる。

夕方に例の第二法則破り論文へのコメントに手直しして、知り合いに送る。 やはり慎重を期すべきだろうから、まだ少し公開しません。


11/6/2000(月)

邪悪な犯罪やはなはだしい不道徳を除けば、ニュースをみて本気で頭に来ることはあまりないのだが、今朝報道されていたインチキな石器の発掘の話には怒れてしまった。 分野はちがうとはいえ、 人間の意志だけではどうしようもないことがあるという厳しいルールがあるからこそ研究は(厳しくも)おもしろいはず。 学歴がどうの、神格化されたプレッシャーがどうの、学界での二つの学派の対立の影響がどうの、という以前に、この人は研究者なんかじゃない。 けっきょくは、本当に考古学の研究がおもしろいのではなく、研究から得られる名声の方が快感になってしまったのでしょうね。月並みな感想だけれど。

しかし、捏造や知的欺瞞に走るかどうかは別として、真の意味での研究の追求よりも、社会的地位・名声の獲得に重きをおいてしまうという病気は、程度の差こそあれ、明らかに様々な分野に広がっている。 物理の分野などはかなりましな方だと言われることが多いが、それでも、どうみても「いい仕事」をするよりも「えらく」なりたいんだろうな、としか考えられないことをやっている人はけっこう目につくものである。

かなり前のことなのだが、物理学会誌にのったさる大先生(社会的成功をおさめたという意味で。科学者として立派であったかどうかは知らない。そもそも、どなただったかも忘れた。この大先生について悪いことを書くつもりは微塵もない。)の追悼記事のなかに

研究者として生きるかぎり、誰しも、大きなグループを組織し、多くの弟子に囲まれて過ごすことを夢見ているだろう。 ××先生は、まさしく、この夢を・・・・ (強調は引用者)
というような記述があるのをみて、唖然とするとともに、がっくりと力が抜けてしまったのをよく覚えている。 (ただし、鮮明に記憶しているのは脱力感の方で、記事の文章についての記憶は曖昧ですのでご容赦下さい。) これを書かれた方が、真の研究よりも社会的成功を重んじている(まして、その記事の中でそういう主張を展開していた)、などというつもりはまったくない。 しかし、この方は(この方の科学者としての業績や知的誠実さを微塵も疑うわけではありませんが)、明らかに、
大所帯をかまえて弟子をたくさん持つことこそ素晴らしい
と心から思っていて、(それだけなら、まあ、その人の勝手だけれど)さらに、
研究者はみんなそう思って、それを目指しているんだ
とまで断定してしまっているのだ。 (ぼくの読解と記憶が正しいとして。)

これは勘弁してほしい。 是非とも、いっしょにしないでほしい。(ま、ぼくなんかは勘定に入っていないとも思うが。) 別に多くの弟子に囲まれたいなどと思わず、自分の短い人生の間に、たとえほんのわずかでも真に大切なことを見出し、さらに、できれば、それを後の世に残したい、と真摯に思っている研究者だって(多くないかも知れないけれど)いるでしょう。

というような事を言うと、「あいつは自分が偉くなれないものだから、ああいうことを言って自分を誤魔化している」と負け犬の遠吠え扱いされるのでしょうけれど。 でも、本当に正直な話、ぼくには上の「研究者として生きるかぎり、」の文章は、

男として生まれたかぎり、誰しも一人でも多くの女をものにすることを夢見て生きているだろう。 ××さんは、まさしく、この夢を・・・
という脂ぎった命題と同じくらい滅茶苦茶に見えるのですよ。(などと言うと、「あいつは女にもてないから、あいうことを言って自分を誤魔化している」と・・・・)
11/7/2000(火)

午前中、例の第二法則破り論文へのコメントを仕上げて、Phys. Rev. Lett. と preprint server と元の論文の著者に送る。 preprint server 上のファイルが公開になったらリンクします。


話題のインチキ発掘に関連して、やはり冷静かつ論理的に疑問視する人がいたという一例を黒木掲示板で黒木さんの掲示(←さすが)で知った。 角張淳一「石器の考古学:石亭秘話」の「前期・中期旧石器発見物語は現代のおとぎ話か」。 よく書けていてわかりやすい。

妻がテレビを見ていたら「考古学では何が出土したかではなく、どの地層から出たかだけを問題にする」と言っていたが意味がわからないと話していた。 当然、どういう素材のどういう製法の石器(あるいは、他の何か)が出たかを問題にするはずではないかと話していたのだが、ようやく事情がわかった。 「どの地層から出たかだけを問題にする」風潮が作られてしまっていたということか。

こういう批判(やおそらく他の類似の批判)がありながら、「大発見」が先行していたというのは悲しい。 相当にどろどろした内部事情があったのだろう。 分野を毒していたボスたちは(もし、そういう人たちがいるなら)この際、徹底的に叩くべきだと思う。 ぜんぜんちがう分野なんだけれど、無性にそう思う。 妙に腹が立つ。

そうそう。 ついでに言っておくけれど、 今度インチキがばれたなんとかさんに関して、 プレッシャーがどうのこうのと少しでも理解や同情を示す発言をしている人はほぼ確実に共犯者だと思うぞ。


送ったばかりのパリティの翻訳稿に誤訳あったのを、前にも登場した友人に教えてもらった。 なんと6 月 4 日の雑感に堂々と公開しているところで、 "turn the frozen whiskey/water block into a glass of whiskey and a glass of water" を 「凍ったウィスキー+氷のかたまりをグラス一杯のウィスキーとグラスのなかの氷に変化させる」 とやってしまった。 なんでじゃい? もちろん「グラス一杯の水」です。

あやういところだった。 どうもありがとう。

頭が何かちがうことに占拠されて、ぱっとまちがえてしまったのだろうな。 翻訳というのは怖いものだ。


佐々さんの「日々の研究」で粉体の静力学の試みの生中継。

おもしろい。 それに、科学者の web 日記の主旨(とぼくが思うもの)をちゃんと理解してくれている(とぼくには見える)のがうれしい。

こうやってオープンな方がいいじゃない? レフェリーレポートが戻ってくるまでは、preprint server にも出さず、関連する問題を議論した(かつて)身内(だった人)にも何一つ話さない、なんていうやり方で本当に楽しいの? (この問いを発すべき相手は読んでないか? (相変わらずアクセス解析の類はいっさいしていませんし、できません。念のため。))


11/8/2000(水)

昨日書いて今朝また少し手を入れた例のコメントが preprint server 上で公開になりました。

ところで、今朝、これについて Princeton の Elliott Lieb 先生とチャット的に e-mail をやりとりしていて、話が一段落ついたので、「こっちはまだ朝の九時だからこれからコメントの直しをします。」と書き、向こうは夜だから結びの挨拶を "Good Night" にしたら、速攻で返事が来て、「バカをいうな、こっちは大統領選挙の夜なんだから寝ないで結果を見ているぞ」と言われてしまった。 アメリカで選挙をやってるのはちゃんと知っているんだけど、物理の議論をしていると、どうもそういうところが結びつかないのだ。


来週に向けて急に慌ただしくなりそうな、いやな予感あり。
11/9/2000(木)

昨日の夕方から寒いし疲れたぞと思っていたら、今日は完璧に不調。 かなりの時間を寝て過ごしている。


第二法則破りについてのコメントには、批判している論文の著者から丁寧で率直な(皮肉でなくて本当)メールが来て、若干のやりとりをしています。 もちろんかみ合わないが。 また、むこうが反反論の論文を書くものと思われる。

彼らは、ぼくのコメントに書いてある数学については文句はないといっていて、解釈について強い異論を唱えている。 しかし、ぼくが思うに、もしも熱浴から仕事を取り出すというようなことがそもそもできるなら(彼らの論文のタイトルは、Extraction of work from a single thermal bath in the quantum regime なのだ)、 少なくとも、

  1. 過程の初めと終わりで H_int (系と熱浴の結合ハミルトニアン)が 0 になり、また外界に正の仕事をするようなサイクル
  2. おそらくは非平衡でつよいコヒーレンスをもった状態のまま運転し続けて、外界に正の仕事をし、かつ多い回数(回数の上限は系や結合の性質ではなく、熱浴の大きさだけで決まる)繰り返し運転できるサイクル
の少なくともどちらか一方は可能なはず。 だが、これらの可能性については、ぼくのコメントにある簡単な議論で完全に否定されていると思うし、そこに物理的解釈の入る余地はないと思っている。
アメリカの大統領選挙は全体未聞の大混戦。 Lieb 先生は眠れたのであろうか?
11/10/2000(金)

不調のまま講義。 途中で何回かふら〜〜っとなりかかったけれど、まあ、一応、たえた(つもり)。 どんなにばてていても、熱があったりしても、黒板の前に立ってチョークを持つと異様なエネルギーが出て、けっこう元気に話せるものなのだ。 (でも、終わった後に・・・)

というわけで、腰痛、頭痛、疲労がどっと押し寄せているところに、 締め切り寸前の教務の雑用(でも重要)、入学案内がらみの仕事、 某社の電話インタビュー、などがさらにどっと押し寄せてきた。 ぞ〜〜〜〜


昨日、家に帰ったら、息子が小学校から不要になったハードディスクユニットをもらって帰ってきていた。 文化祭の劇の小道具用にということで集まったらしいが、けっきょく使わなかったので、彼は分解して遊ぼうと思ってもらってきたのだ。 息子が、ねじ回しで何とかなるところを全部分解してプリント基板などを取り除き、さらに、紙のシールなどを全部はがす。 これでハードディスクを回すモーターの裏側までが露出するのだが、ハードディスク本体の格納されている部分はどうしても開かない。 ものすごい高精度だから、素人があけないようにネジ山がつぶしてあるようだ。

というわけで、オヤジの登場。 ケースの蓋と本体の間のわずかな隙間をめざとくみつけ、そこに細いマイナスドライバーを繊細に突っ込んでいく。 ある程度入ったところで、 乱暴にぐいぐいこじあける。 カバーが変形して開いてきたところで、より太いドライバーを中に突っ込んで、 さらにぐいぐい。 いよいよラジオペンチを持ちだして、奥まで突っ込んで、てこの原理でぐいぐいぐいっと、 やったところで、パリンと音がして、ディスクが粉々に割れ、きらきら光る綺麗な破片がいっぱいこぼれ落ちる。 本当に繊細なもので、はじっこを一叩きしただけで、ほぼ半分が割れてしまった。

それでもあきらめず、ラジオペンチでカバーの金属を無理矢理ねじりとっていく。 ネジ留めの部分は強力でびくともしないが、二本のネジの間の金属を無理矢理持ち上げ、オイルサーディーンの缶詰をあけるときみたいにねじり切って、見事、ほとんど半分を露出させることに成功。(割ってしまったから、半成功くらいか。)

ここで妻と息子にバトンタッチして、 ひとしきり、モーターの軸を回してディスクが回るのを確認したり、 読み出しの機構らしき部分を眺めたり。 (写真は、モーターの軸を4分の1周ほど回転させてディスクの割れていないところが見えるようにした状態。 ディスクは二枚あり、連動して動く。 下のディスクは無事だった。 ディスクの面はほぼ完璧な鏡面で、むこうにさりげなく置いてある本(なんだ?)が映っている。)

日々お世話になっている(これを書いている今もだ)ハードディスクだけれど、中身を見たことのある人は少ないのでは? 妙に薄っぴらくて、きらきらした頼りなげなものですよ。


11/12/2000(日)

金曜日に教務の雑用で平野さんと話に行ったときに、 ふたつのボーズ凝縮系の cohernce を検証したという論文

Observation of Interference between two Bose condensates, M. R. Andrews et al., Science 275, 637-640 (1997)
をコピーさせてもらった。

うーーん。面白い。 この物質波のマクロな干渉パターンこそ、ボーズ凝縮の決定的な証拠だし、それ以上に、ガスでのボーズ凝縮系ならではの実に面白い実験結果だと思う。

実は、ふたつのボーズ凝縮系をくっつけるという問題については、まさに、清水さん上田さんに質問して議論しながら(教えてもらいながら)自分なりに考えていたところなのだ。 最初にぼくが清水さんに質問した

二つの別の実験室で、それぞれボーズ凝縮体をつくり、 それらを持ち寄ったとき、両者の位相差は確定しているか? (Science 論文のような実験をやったとき、干渉縞が見えるか、という問いと等価)
という問いは、「Phillip W. Anderson が提唱した超流動体についての有名な思考実験」であることを Science 論文で知った。 落ち着いて考えていけば当然発すべき問いなのだが、最初に明示的に発したとすると、さすが Phil おじさん。 偉いぞ。 (ぼくごときに言われなくても偉いと思っているだろうが。)

上の Science 論文では、同じ装置内に二つのボーズ凝縮体を作っているから、できるときに相関が発生したと思うのが自然。 それでは、本当に離れたところ ─ たとえば、目白と駒場あたり ─ でボーズ凝縮をつくって、山手線で持ち寄って、しゅーっつ漏らしたとき、干渉するかどうかが重要な問題。 レーザーならば、目白と駒場でつくったものどうしが干渉するのは確実。 しかし、粒子数が保存するボーズ凝縮系(レーザー系では粒子(光子)数は保存しない)では、これがどうなるかは大問題なのだ。 本当に理想的に隔離されていれば、干渉はおきないはず。 しかし、わずかでも凝縮体どうしが相互作用しあうと相関が瞬時にして作られて、干渉が見えるという可能性もある。

平野さん、実験してください。


ところで、10 日にハードディスクを分解した(というより壊した)ことを書いたところ、分解仲間の 量子系の非平衡や熱力学を議論してもらっている仲間の Y さんからメールがあり、
ケースのネジはおそらくつぶされているのではなく、 トルクスねじというネジでとめられているものです。
と教えていただきました。 「つぶされている」というのは、ぼくがろくに見ないで適当に書いた(←お恥ずかしい)ことで、実は、妻は「これは特殊なねじで、どこかに専用のドライバーがあるはずだ」と主張していたので、そっちが正しかったようです。 実際、
トルクスネジをはずす工具は東急ハンズに売ってます。
とのことですから、分解マニアの方はさっそく東急ハンズへ。

さらに、耳寄りな情報として

そして、もう気が付かれているかも知れませんが、データを読み取るへッドがつ いたアームの根元を挟むような形で超強力な磁石が二つついてます。
この磁石は強力なので結構遊べます。
とのこと。 不燃物の日に捨ててしまわないでよかった。 今度、磁石の回収に挑戦してみよう。
11/13/2000(月)

昨日トルクスネジのことを書いたら、 さるマック仲間(無論サルではない。HN は、むしろイヌに近し。から、速攻で、

T-15 の Torx レンチがないとコンパクトマックが開けられないじゃないですか。 PowerBook をバラすなら T-9 が必要だし。
とのつっこみ。

むむ。 確かに、Mac Plus とかを開けるための特殊なねじ回しがあることは読んだことがある。 しかし、私は開けてはならぬというマックの中身を覗き見るような罰当たりなことはしない健全なマックファンなのである。 (そういえば、この「雑感」では Windows や Microsoft の悪口を少しも書いていないですね。 一頃はよく人とそういう話をしていたけれど、あまりに定番になりすぎてネタも尽きたというところかも。 それに、 Windows や Microsoft のことは殆ど何も知らないし、その手の悪口は web 上にはどうかなるほどいっぱいあるしな。)


たった今まで平野研に遊びに行って、ボーズ凝縮体の干渉実験の話などをしてきた。 かなりイメージがつかめて来た気がする。 (ただし、分からないことも多い。 平野研のみなさんは、ぼくが確信をもって言ったことをそのままは真に受けないで下さい。 ぼくは自発的対称性の破れや、長距離秩序の理論的側面については、かなりよく理解している方だと思いますが、ボーズ凝縮がらみの話(特に、観測を取り入れたシナリオ)には全く疎いのでとんでもない見落としをしている可能性がある。)

ついでにルビジウム気体のボーズ凝縮に成功した装置も見せてもらった。 何を隠そう(と言って宣伝するわけだが)高麗さんやぼく(及び当時の理論の学生さんたち)は、平野研の立ち上げのときの掃除などの純粋肉体労働に携わったという、平野研創設期の陰の功労者なのである。 あの殺風景だった部屋がハイテクの無塵実験室に生まれ変わり、部屋の隅々まで研究の活気に溢れているのを見ると、感慨深いものがある。 それにしても、ボーズ凝縮の装置は、無数の光学系やら磁場発生装置のついた見るからにデリケートそうなものだったので、ぼくは 30 センチ以上は近づかないように心がけたのである。

平野研のボーズ凝縮成功のニュースも web にあるというから探してみたけれど、なかなかみつからないではないか! あきらめかけた頃、やっとみつけたぞ。 別に隠しページじゃないんだろうから、トップからリンクすべきだと思うぞ。

ところで、平野さんによると、昨日書いた「目白と駒場で作ったボーズ凝縮体を干渉させてみる」実験をするためには、どちらも同じ真空容器の中でボーズ凝縮をつくらないといけないので、まず、目白と駒場を真空のパイプで結ぶ必要があるらしい。 ううむ。 ちょっと苦しいか。

真面目な話として、 実は、昨日紹介した Science の論文の実験でも、二つのボーズ凝縮体はほとんど独立であり、標準的な解釈は、

  1. はじめ、二つのボーズ凝縮体は、それぞれ粒子数の確定した状態にある。 (要するに、目白と駒場のようになっている。)
  2. しかし、干渉のための実験を開始すると二つの凝縮体が相互作用(粒子を coherent にやりとりする)し、たちどころに、位相差の確定した状態(そのかわり、それぞれの凝縮体の粒子数は確定しない)に移行する。 そして、その位相差によって決まる干渉パターンが見える。
ということらしい。 (いや、2 は自信がない。 観測がどうのこうのというのかもしれない。) まずは清水さんに教わった
Juha Javanainen, Sung Mi Yoo, Quantum Phase of a Bose-Einstein Condensate with an Arbitrary Number of Atoms, Phys. Rev. Lett. 76, 161 (1996)
を読んでみよう。 (Javanainen とは、すごい名前だな:「おい、ホームページ新しく Java で書いたさかい見てくれよ」「あ、すまん、うち Java ないねん」)
11/14/2000(火)

清水さん上田さん、東北大の院生の S さんらに教わりまくって、論文を読んだりしたので、急激に風景が見えてきたぞ。 やはり、きのう平野研で話していたことの一部は撤回せねばならないようだ。 申し訳ありません。 (「観測」についての理解に自信がないと自分で述べていたのは確かに正しかったみたいだ。)

ここでは、これを読んでいる(であろう)ボーズ凝縮に詳しくない方にもわかるように、順を追って簡単な場合だけを議論しよう。 注意:以下、ごく一箇所だけを除いてひたすら専門的でくそ真面目で、ボーズ凝縮系の物理に興味を持っていてかつある程度の専門知識のある方以外には、まったくおもしろくありません。)


次のような思考実験を考える。
  1. 二つのボーズ凝縮体を独立に作る。 (それぞれ一定の定まった粒子数を持つ)
  2. あるとき、トラップを外すと同時に、(神をも恐れぬ仮定ではあるが)粒子間相互作用も切ってすべて完全な自由粒子(重力はあってもよい)にしてしまう。
  3. そのあとは、自由粒子のシュレディンガー方程式に従って時間発展。
  4. さて、二つの雲が出会うところにプローブ光をばっとあてたとき干渉縞が見えるか?
昨日のぼくは、この答は、
干渉縞は見えない
だと思っていた。 しかし、これは断言できないぞ、という気になってきた。

話を進める前に、しかし、何が断言できるかをはっきりさせておくと、

同じ実験を精確にくり返したとき、定まった場所に干渉縞が出来ることはあり得ない
ならば大丈夫。 誰に聞いても異論はないはず。 言い換えると、
一回の実験では一箇所だけで粒子の密度を測定することにする。 測定器を少しずつ違う場所に置いて、同じ実験を精確にくり返し、密度の空間依存性を描くと、 干渉縞は見えない
ということも断言できる。

しかし、実際の実験では、一回の測定でプローブ光をあてて広い範囲での密度のパターンを同時に測定しているのだ。 これは、たしかに、本質的に違う話になり得る。

上のように断言できる根拠となるのは、ごく簡単な計算であり、粒子の密度の演算子を n(x) としたとき、

量子力学的期待値 < n(x) > には干渉効果は現れず、空間的振動を示さない
という事実である。 ただし < ... > は、ある物理量についての、ある瞬間(測定をする時刻)における状態に関する量子力学的期待値。 (二つの BEC に、いわゆる位相相関があれば、この期待値は空間的に振動する。 その場合は、干渉縞が生まれることに異論はない。) 上で振動がないのに、話が当たり前でないのは、
多体の相関 < n(x1) n(x2) ... n(xm) > には干渉効果が現れ、空間的振動を示す
という事実があるからだ。 (これらは、多体系の扱いに慣れている人には簡単な計算。 実は、二粒子の系の計算で既に物理的な本質が見えているといってよい。)

最初に読んだ

Juha Javanainen, Sung Mi Yoo, Quantum Phase of a Bose-Einstein Condensate with an Arbitrary Number of Atoms, Phys. Rev. Lett. 76, 161 (1996)
(「おまえとこの風呂釜めっちゃ汚いやんけ。洗えや。」 「うち、風呂釜ジャヴァないねん」(しつこい))は、まさに上に書いた思考実験をとりあげ、
干渉縞が見える
と主張する論文だった。 その理論的主張は「多体相関は振動を示す」ということに尽きる。 あとは、それに整合するような古典的な確率モデルを計算機で作って密度の振動があることを示しているけれど、この結論はモデルを認めた段階で自明。

本質的な問題は

一体の粒子密度 < n(x) > は振動しないが
多体相関 < n(x1) n(x2) ... n(xm) > は振動する
という事実を、どのように物理的に解釈するかである。 ぼくは、当初、たとえ多体相関が振動を起こしたとしても、それは、瞬時の同時測定にひっかかるだけで、ある程度の時間のあいだ観察をつづけていると、この振動パターンが「ならされて」単に < n(x) > が示すのと同じ一様なパターンが見えると素朴に思っていた。しかし、これは、ある意味で、あとから到達するガスたちが前に来たものと decohere してしまったと仮定してることになるのかもしれない。

しかし、この場合には、全体として対称になっている大きな状態を、ひとつだけ、何カ所でも同時(別に同時刻である必要もない)に測定するわけだ。 これなら、ぼくが直感的に思っていたストーリーとは違いうる。

たしかに、理想化された観測を真面目に考えて、検出された粒子を全系の波動関数から「抜いて」いく(project out していく)と、残りの状態には、確かに粒子密度の振動が生じるのが簡単な計算で見える。 (これも二粒子系の計算から本質は見える。) それが干渉縞の背後にある物理、ということか・・・・ うううむ。

たしかに、正しいような気がしてきたぞ。 (ただし、思考実験への解答として、という意味で、実験の解釈として正しいか否かはまったくの別問題。)

他にも、

J.I.Cirac, C.W.Gardiner, M.Naraschewski, P.Zoller, Continuous Observation of Interference Fringes from Bose Condensates, Phys. Rev. A 54 (1996) R3714

をざっと見て、

M. Naraschewski, H. Wallis, A. Schenzle, J.I. Cirac, P. Zoller, Interference of Bose condensates

をぱっと眺めた。 後者は J-Y と類似の主張のように思う。 前者では、観測している間に、ふたつのボーズ凝縮体の位相差が自然に決まってくるというような主張。 一見、信じがたい主張だけれど、上での書いた「抜いてみる」計算をしたあとでは、それも不可能とは言い切れないかもしれないという気になる。 (理論的には、観測で干渉縞が見えるのとほとんど同じ話といってよい。)

あと、 上田さんに教わった

Yvan Castin, Jean Dalibard、Phys. Rev. A 55, 4330 (1997)
Relative phase of two Bose-Einstein condensates

はよく整理されている。 上の二つの話が両方書いてあると言ってもよい。 (ただし、道具立てがちゃち(素朴な coherent state を多用する、というより、ほとんどそれだけに頼っている)なのは気になる。 ま、この分野で本当に骨のある理論はなかなかできないのはわかっているが。)

というわけで、当初の考えがゆらいできたりすると、この分野も思っていた以上になかなか面白いぞという気になってくるものであるよ。

あ、もうすぐ会議だ。 食事をせねば。


11/15/2000(水)

今日のもぜんぜん面白くないです。

ボーズ凝縮をめぐる議論のなかで話に出たので、昨晩、久しぶりに

C. N. Yang, Concept of Off-Diagonal Long-Range Order and Quantum Phuase of Liquid He and Superconductors, Rev. Mod. Phys. 34, 138-148 (1962)
に目を通した。 (一部の読者には)言わずと知れた超有名な論文だが、こういう風に、枠組みだけが書いてあって、腹にこたえる中身のない「数理」物理的論文はぼくの肌に合わない。 いや、もちろん、言っていることは重要で、超伝導や超流動の一つの本質を言い当てていると思うけれど、ぼくとしては、もっと生き生きとした(理論的・数理的)具体例に触れられないと、どうも正当に味わうことができないのだ。 昔読んだときは、かなり意味不明だった気がするけれど、今、関連することを自分で少しやった後で読んでみると、言っていることはわかる。 (しかし、ここで、「Off-Diagonal Long-Range Order があれば完全マイスナー効果があることが「証明」された」と人は言うけれど、そんなこと信じないで下さい。 この論文で議論しているのは、あくまで、Yang たちが作った完全マイスナー効果の条件と思しきものにすぎない。 本当にマイスナー効果を証明するというのは、実際に外部磁場中の量子系を考察して、そこで磁場が排除されることを本当に示すことである。(それは、難しい。もちろん。))

その後、夜に思ったこと。

ボーズ凝縮体の干渉に関連する理論が(ぼくが昨日見た範囲では)ことごとく理想ボーズ気体やナイーヴな coherent state といった理想化された状況でしか使えない道具に頼っているのはちょっと悲しい。 基本的に同じ結論は、系を理想気体などに特定せず、Off-Diagonal Long-Range Order が存在することを仮定しさえすれば、導けるに違いない。 いや、それをやったから本当に利口になるというものではなく、基本のストーリーは理想気体で尽きている。 (おまけに、悲しいかな、連続空間の系で理想気体以外に Off-Diagonal Long-Range Order の存在が証明されている例はない。) ただ、そういう議論があった方がちょっと気持ちがいい、という程度のこと。

で、これを、布団に入ってからしばらく考えた。 ある時刻にトラップをぱっと切るとして、その直前の状態で Off-Diagonal Long-Range Order があったと仮定する。 あとは、ボゾンの生成消滅演算子の時間発展が1粒子の時間発展則からおおむね決まることを用いて(付記:この評価は実際は非常に難しいだろう)、雲が交わる時刻での相関関数を評価すると、・・・。

おおむねはできそうなのだが、ちゃんとした評価にしようとすると、結局、normal な成分についての仮定もいれなくてはいけない(二体の密度演算子の最大でない固有値についての条件に相当)ようだ。 証明もできない仮定をいっぱい並べておいて、何かを「証明」するっていうのは好きじゃないので、このあたりで、やめ。 条件がきれいに書けるという希望があれば、また考えるかも。 (付記:トラップを外したときに同時に相互作用を切ってしまうなら、話はやたら簡単だった。 しかし、相互作用を残すと、やっぱり大変。)


やれやれ。 いろいろなことに気を取られていて、書きかけの論文 "The Second Law of Thermodynamics as a Theorem in Quanatum Mechanics" (何年も前から似たようなことは考えていて、10/19 に基本的な骨格が完成していて、10/31 に草稿を書いている(こういう記録を残しておくと、自分では面白い)) を放置してしまっていたことに気づき、手直しを始める。 きちんとまとめたつもりだったけれど、 間違いやしつこすぎる記号などがあり、手を入れる。 早々に仕上げて公開・投稿したいけれど、 今週は何かと忙しいし、どうなることか。

今日は、午後から大輪講。 発表する人も聞く人もがんばってください。


11/20/2000(月)

おお! 話題のインターネット本屋さん amazon.co.jp で「熱力学―現代的な視点から」に☆☆☆☆☆がついているではないか!!

カスタマーレビューで、絶賛して下さった読者がいるのだった。 読む人はちゃんと読んでいる、 わかる人にはちゃんとわかっているのだ。 うんうん。 どこのどなたか存じませんが、どうもありがとうございます。 (自分の本のことはさておき、何かを堂々と誉めるというのは、勇気と見識のいることだと思うのだ。 逆に「どんな本だって、じっくり読めばいい本さ」などという似非民主主義的発言は誰にでもできる。)

あれ? レビューアーのお住まいは千葉県野田市で、お名前は A 君・・・?


さて、最近話題にしている気体のボーズ凝縮体を干渉させる実験では(少なくとも原理的には)、
  1. ふたつの部分の位相差が確定していて、密度の量子力学的期待値 < n(x) > そのものに振動があり、それが干渉縞として観測される場合
  2. ふたつの部分の位相差は確定していないので、 < n(x) > は振動しない。 しかし、多体の相関に振動があり、観測の効果で、干渉縞の位置がはじめて定まって、干渉縞が観測される場合
の二種類が可能であり(ちなみに、12 日13 日には、ぼくは 2 の可能性に気付いておらず、14 日になって(最初は、しぶしぶと)ようやく正しい認識を持つようになっている。)、それが面白いところの一つなのだ。 そこで、この両者を区別できる実験があれば面白い。 (もちろん完璧に同じ実験を再現できるなら、1 では干渉縞の位置が確定しており、2 では干渉縞の位置がゆらぐことから区別が付くはず。 しかし、そんな精度の実験はできないらしい。)

そこで、昨日、原子のスピン自由度を巧みに利用して、1 と 2 を区別する実験の方法、というのを思いついて、専門家の方の意見を聞いてみているところなのだ。 まあ、どこかに難があるのだとは思うが。


15 日の決意に従って、 "The Second Law of Thermodynamics as a Theorem in Quanatum Mechanics" を仕上げて、 preprint server と Physical Review Letters に送った。 (少し離れていると、自分の仕事と言えども勘が働かなくなっていて、ちょっととまどってしまう。 ドラクエ(←ドラクエ 7 は未だにちんたらやっています。まだ CD 一枚目なのだ。ちょっと長すぎ)とかでも一週間くらいやらないと、何をすべきだったか忘れているのと似ているのだ。) preprint server のが公開になったら、ここからリンクします。
11/21/2000(火)

昨日 preprint server に送った "The second law of Thermodynamics as a theorem in quantum mechanics" が公開になった。 (タイミングがよかったのか、早い。)

ここらで、一連の第二法則話はいったん収束させて、他のことに頭を使おうかな。


第二法則破り論文へのコメントに微修正を加える。(version 3 が最新。) 謝辞には批判している論文の著者の名前も。
昨日話題にした amazon の本のページだけど、「著者にもコメントさせてほしい」という項目があるのだ。 (たしか、元祖アメリカの amazon にもあった。) なにか書いてみようかな?? しかし、どうやって本人だっていうことを確認するのだろう? (ま、やってみればわかるのだが。)
以前に、線形応答理論の歴史について感想や疑問を書いたところ、複数の方から、
一柳正和「不可逆過程の物理:日本の統計物理学史から」
日本評論社
をすすめられたので、昨日から読んでいる。

思想のはっきりした、中身の濃い本だと思う。 ただ、どうも、こちらのピントがあっていないのか、うまく日本語が頭に入ってこない。


11/22/2000(水)

今日は、三つもパラレルに、相当にヘヴィーな e-mail discussions (日本語二つ、英語一つ)をやっていたので、疲れた、というより、わけがわからなくなりそうになる。 (こうして、書いていてもメールなのか、掲示板なのか、瞬間わからなくなる。 (どっちでもないや。)

とはいえ、三つともぼくにとっては重要な内容なので、とてもためになったのであった。 今日も、学習院のアパートと理学部の建物周辺という狭い狭い行動半径の外にはでなかったが、遠方の人たちから多くを学ぶことができた。 出不精にとってはありがたい世の中です。


さて、量子力学の一次元の束縛運動の問題に必ず登場するのが

 U(x) = 0     |x| ≦ d
    = ∞    |x| > d

というポテンシャル。 これは、その形状からして「井戸型ポテンシャル」と呼ばれている。 (ちなみに |x| > d で正の定数をとる場合は、やはり形状を考慮して、「箱型ポテンシャル」という。 かの有名なシュレディンガー音頭でも、これらはきちんと区別されていた。)

さて、メゾスコピック系の研究によく登場する、半導体界面の二次元電子系の中につくった量子細線のもっとも簡単なモデルには、

 U(x,y) = 0     |x| ≦ d
     = ∞     |x| > d

という形のポテンシャルが現れる。 量子細線の論文について発表する S 君は、このポテンシャルの形状を頭に思い描き、「雨どい」などに似ているなと思い、これを「とい型ポテンシャル」と呼んだ。

さすが、ナイスセンスである。

さらに、彼は OHP に、「戸井型ポテンシャル」と書いた!

ナイスで笑えるが、やっぱり漢字が違うって。 (その後、平仮名の「とい型」に変更になった。)


11/23/2000(木)

息抜きに Surely You're Joking, Mr. Feynman を読んでいたら、

I remembered reading the aritcle once before (back in the days when I read every article in the Physical Review --- it was small enough). (p. 254)
ぼくは、この論文を前に一度読んだ(ぼくが Physical Review の論文を全部読んでいたあの頃に --- それくらい薄かったんだよなあ)のを思い出した。 (ううむ。ぼくの web 文体になってしまった。)
という文章が出てきた。

Feynman がもはや薄くないと嘆いていた Physical Review (アメリカの物理学会が出している専門誌)は、その後、A, B, C, D (E もあったっけ?)とかに分裂し、加えて、その各々が電話帳のごとく膨れ上がり、しかも、ものすごいスピードで(月に何回も?(知らない))出版されている。 自分に近い分野だけにしぼっても論文に全部目を通すなどというのは地獄の難業。 中には、目次を見るだけでもくらくらするので見ない、いや、そもそも重すぎて書架から持ち上げるのさえ辛いのでほとんど触れない、などと公言する力の弱い理論物理学者もいる始末。(ぼくですが。)

(余談:(←そもそも「雑感」はほとんどが余談だが)
Physical Review が図書館の棚を埋めていくスピードは、やがて光速を超すだろう。 しかし、これは相対論には矛盾しない。 なぜなら何の情報も伝わっていないから。
というジョークがある。たしか Peierls (さすが!)が言ったのだと思う。 Mermin の Boojums All the Way Through で読んだのだったと思うけど、手元にないのでわからない。)
さて、Physical Review をあきらめたぼくでも、一種の「週間新聞」である Physical Review Letters の方だけは、分野を問わず目次全部に目をとおし、興味を引いたものはざっと眺める努力を何年か続けていた。 しかし、それも、寄る年波に勝てず、というか、忙しさのあまり、というか、余りに細分化してしまった「流行の」論文に圧倒されて、というか、ともかく、理由はともあれ、いつの間にか実行しなくなってしまったのだった。

というわけで、

嗚呼、古きよき時代は去った。 物理は細分化してしまった。 これからは隣は何をする人ぞの境地で自分の箱庭をいじっていくのだ。 一人に一つのささやかなフロンティア。 未開の大地を開拓した時代は去り、一人一人が盆栽の手入れをする時代が来たんだ。 迫力はなくても、わびがあり、さびがある。 何よりも人に邪魔されず自分でこつこつと小さな盆栽を育てる喜びがあるではないか。 これからは、物理を売り出すにしても、世界を広く見渡すなんて大それたことは言うまい。 みんな近視眼なんだから、若い人も同じように育てればよろしい。 私たちのささやかな箱庭や盆栽に興味を持って下さったら、大いに結構、広い世界を見てこいなんてうるさいことは言わず、いっしょに盆栽をいじらせましょう。 小さな箱庭や盆栽の世話なら、あまり色々なことを知らなくても大丈夫。 あまり色々なことを考えすぎない方がかえっていいのですよ、気がそれないから。 標語的にいえば、
切り売りの時代
ですかね。 その方が、本も薄くてよいし書きやすい。勉強する方も楽。 いいことずくめ。 かえって、これこそが新しいよき時代かも。
などという境地に達するかというと、ぼくは死んでもそんな風に考える気はないのであーーーる!!

確かに状況はきびしいし、ぼくたち一人一人の能力には限りがある。 (たしかに、ぼくも Physical Review Letters を読まなくなってしまった。) それでも、あきらめてしまったら、それで終わりである。 一人一人が真の物理学を追いかけることを放棄して、小さな小さな「専門」分野にこそこそと閉じこもり切り売り的な科学をつづけけていれば、たちまち、物理という学問は壊死をおこしてぐすぐすと崩れていく。 そんな成り行きを甘んじて受け入れてはならないとぼくは信じる。 (たとえ Physical Review Letters を読まなくなっても)現状に甘んじることなく、つねにより大きな物理へと(科学へと)向かっていく心構えを真摯に保ちつづけなくてはならないのだ。(←と明文化すると何か凡庸だな。)

と、心構えだけ述べていても、仕方あるまい。 できれば、自分の教育・研究活動で、をれを身をもって示せるようになりたい。

努力します。

それとは別に、というか、それと平行して、悪しき「物理の切り売り」の思想の現れと思しきものに対しては、きちんとした批判を行なっていくべきだと思う。

というわけで、手始めに批判しておきたいのは、

次期の岩波の物理学講座
である。 これぞ(個々の著者の中には期待できる人もいるが)まさに「物理の切り売り」を体現した企画だとぼくは思う。 岩波の権威をどうのこうの言うつもりはない(権威、というか、 "prestige" は大嫌い)が、ともかくも、時代の物理の流れを象徴すると思われている岩波講座がこんな風になってしまった(まだ出てないけど)のは悲しいことだ。

とはいえ、かなり長くなったし、仕事もしたいので、今日は予告まで。 待て次号!! (いつ書けるかな?)


11/24/2000(金)

[Scrhodinger dance page 11111 coutns] きわめてどうでもよさそうな(そして、実際どうでもいい)ことなのだが、二日前に検索してリンクしたシュレディンガー音頭のページにふと行ってみたら、なんと実にめでたい「ぞろ目」をゲットしてしまった。

ほら 11111 だ。 (きりがよくなるまで何度も reload するとかインチキはしてません。 見に行ったら一発でこうだった!)

うちの娘とかその友達とかのやってる web page だと、こういうときは絵を送ったりもらったりするみたいだけど、このページでも何か特典があるのかな? (あ、リンクする際はメールをほしいと書いてあった。 明日あたりリンクの報告がてら、ぞろ目をとった報告のメールでも書こう。)

さて、シュレディンガー音頭だが、このページにも

その起源はその研究者がM1時代に物性夏の学校で踊った音頭が名を変えて伝わっていたらしいです。
とありますが、何を隠そう、ぼくはシュレディンガー音頭の発明者たる N森さんが M1 のときに、はじめて音頭を公の場で踊ったというその物性若手の夏の学校に参加していたのだ。 というより、実は、ぼくは、そのときの準備校の代表者(校長と呼ばれる、学生だけど)であり、マイクを握って司会をし、みんなのリクエストに応えて N森さんを呼び出したりしていたのであった。

そういう意味でも、この音頭が長い時(というほど長くはないが)を越えて語り継がれているのを知ると感無量であります。 たしか、他にも「フェルミ体操」とかいろいろあった気がするが、ああいうのは消えたのかのお? (どんなんだったか、忘れた。 「フェールミっ、フェールミっ」とかけ声をかけて手拍子をたたいていた N森さんの姿は覚えているのだが。)

二日前に「箱型ポテンシャル」と書いたけれど、シュレディンガー音頭のページでは、「井戸型、谷型、周期型」と左図のように踊ることになっていますね。 ぼくの記憶では、N森さんは「井戸型、箱型、周期型」といいつつ右図のように踊っていた気がする。 「井戸型」は手を上にあげて表現し、そこでインドの踊りみたいに手首だけを外側に返して水平にして「箱型」を表現していた。 これは、深さ無限大の「井戸型」と深さ有限の「箱型」を区別する秀逸な方法で、大いに感心したのだ。

踊りとしては「井戸型、谷型」の方が変化が大きくて見栄えがするだろうが、「井戸型、箱型」のきめの細かさも捨てがたいのである。 (ちなみに、出だしの「プサイにファイ」の部分も、プサイとファイを言い間違える多くの学生さんには好適の記憶法になります。 発表をしていて、どちらかわからなくなったら、こっそりと「プサイにファイ」と踊ってみればよいのです。)


11/29/2000(水)

しばらく書いていませんが、別に、体を壊したわけでもないし、 まだ宣伝も出ていない次期岩波講座にいちゃもんをつけるぞと宣言したために権力筋(ってなんだ?)から圧力がかかったとかいうわけでもないです。 要するに、忙しいという月並みな理由ですが、楽しくやっています。 (ドラクエ 7 の方は、ようやく二枚目の CD に入りました。 ちょっと長すぎるし、それ以上に、小さなストーリーがさりげなく集まって来てあっと驚く大きなストーリーを生み出す興奮が(今のところ)あまりないのが不満。 基本的には楽しいけど。)


4年生のみなさん。 大輪講にカメラマンが入っていましたが、あれは大学の入学案内のパンフレット用の撮影でした。 私と私の学生さんのインタビューが載るそうです。
問「理論物理の研究って、どういうものなんでしょう?高校生にわかるように言っていただくと?」
ううむ。 やはり、そういう質問。 「人生そのもののようです」とか答える歳でもない。 そろそろワンパターンになって来たけど、やっぱり、しょうがない。 毎度お馴染みですが、
「RPG のようなものですね。 ただし、紙と鉛筆と自分の頭でやる。 そして、攻略本は、ない!
志望者が減らないことを祈ろう。

大輪講で話を聞いている姿を正面から撮られたので、緊張したぞ。

そういえば、来週の大輪講では、やはり入学案内用のビデオ撮影があるらしい。 がんばって質問しようね。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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