11 月 3 日の紫キャベツの実験のところに、スキャンした写真を追加。 (当日とった写真が、ようやく出来上がってきたので。)
小さなストーリーがさりげなく集まって来てあっと驚く大きなストーリーを生み出す興奮と書いたけれど、研究においても、そういう興奮が味わえると、本当にうれしいのである。
かくいう私は、数年前に、「固体物理から素材をとった数理物理」という方向を離れて、統計物理の基礎づけなどの無茶なテーマにむかい、さらに、熱力学をゼロから学ぶということにやたらエネルギーと時間を使ったりもした。 これで、研究の生産性が下がった(論文の量というもっともくだらない意味だけでなく、何か(ささやかでも)新しいことをみつけるという真面目な意味でも)のは明らか。 最近になって、いくつか新しいことがちょっとずつわかっては来たが、それも(つい RPG にたとえるけど)大ボスを倒したとかいうレベルとはほど遠く、まあ、ちょっとした小ボスを何匹かやっつけた、という感じ。 これで終わってしまっては寂しい(←とは言っても、そうなる可能性だってある。)ので、色々と考えているわけであった。
実際、こうやって、小ボスとはいえ、敵を倒しながら歩き回っていると、次第に土地勘がついてきて、あたりの風景なども見えるようになってくるものだ。 遠く離れていると思っていたところが、意外にもつながっていたりして、新しい驚きを覚えることもある。 (たとえば、3年くらい前に書いた量子力学からカノニカル分布を出すという自分でも本質を理解しきっていない仕事と、第二法則についての最新の仕事が実はいろいろな意味で似ているのだ。) そろそろ、ぱーっと視界が広がって、この世界の様子が見えるようになって、真に手応えのある中ボスの居所なんかがわかるのではないだろうか、という漠然とした予感というか希望をいだく今日この頃であります。 (まあ、時間がかかるテーマだということはよく承知しています。)
最近(2,3日前)、わかったこととして、
跳ね返り係数が1を越えない (←高校生でも知ってるぞ!)ことが証明できそうだ、というのがある。
跳ね返り係数。 懐かしい言葉ではないか。 高校の物理にはよくでてくるのに、大学に入るとほとんど耳にしないもののひとつ。
しかし、考えてみると、非常に多くの粒子の集まりであるボールが、壁で非弾性的に跳ね返るという現象は、典型的な非平衡統計物理の問題である。 (こういう認識は、早川さんに教わって、持つようになった。 早川さんたちの最近の数値計算を参照。) そもそも「跳ね返り係数」などと呼ぶべき定数が本当にあるのか、低速の極限での衝突でどのような非線形現象がみられるか、ボールの並進運動の力学的エネルギーがどうやってどのくらい内部自由度の熱運動に転換するのか、などなどの問題があり、跳ね返りの問題をこえて、本質的で普遍的な何かにつながっていく予感がある。
とはいえ、難しいことを考える前に、
内部自由度が温度 T の平衡にあるボールが、壁のポテンシャルに跳ね返されたとき、ボールの温度が下がり、ボールの速さが増すことは、あり得ない (つまり「跳ね返り係数は1を超えない」)という事実を示しておきたいと思ったわけだ。 (詳細:古典力学で扱い、ボールは多くの数の質点が集まって任意の相互作用をする系とし、壁はポテンシャルとする。初期条件では、ボールの内部自由度はカノニカル分布にあるとし、ボール全体はマクロな速度をもつとする。) というのも、(これは佐々さんに教わったのだけれど)もし温度を下げて入射速度よりも大きな速度で跳ね返ってくる超スーパーボールがあれば、それを使って第二種の永久機関をつくることができてしまう。 つまり、跳ね返り係数が1より大きい超スーパーボールの存在は熱力学第二法則に抵触するのだ。 最近、いくつかの設定で熱力学第二法則をミクロから厳密に導くことができたことを考えると、同じ路線で超スーパーボールがあり得ないことを証明できそうな気がする。 ところが、やってみると、これは単なる書き換えや、自明な練習問題、というほど簡単ではなかった。 というのも、ボールは単なる熱力学系でなく、並進運動の自由度という(平衡から遠く離れた)余分なものをもっていて、それが熱力学的な自由度と結合しているので、毛色の違うものをまとめて扱う必要があるからだ。 これは単に技巧的な難しさだけではない。 大自由度の(量子)系で、ミクロな内部自由度と、マクロで(実質的には「古典的」な)自由度が、どのように分離されるか、また、どのように相互作用しあうのか、というマクロ系の物理において本質的な、そして、量子力学の観測問題などとも深く関わる問題に(かなり先で、だろうけど)つながっていくような気がするのだ。 わくわく。
とはいえ、当面は、「跳ね返り係数が1を越えない」という小ボス(?ザコ敵じゃないとは思うけど)をきっちりと退治してやろう、と地道な努力に戻るのである。
忙しいので、メモ程度。
今のところまちがいはみつからない(ほっ)が、絵を描けば簡単にできると思っていい加減に書いてあった部分が、実はデリケートで、けっこう超絶な(←少なくとも今はそう見える)ことをやらなければうまくいかないことを認識。 跳ね返り係数おそるべし。
しかも、その部分で、壁のポテンシャルが y, z 方向の並進に不変だという性質をめいっぱい使っているために、同じ方法で、一様重力がある場合や二つのボールの衝突を扱うのは困難なことに気付いた。 (前者は、すごく長くてきたなくてもいいならできると思う。後者は本質的な理由で難しく、nontrivial な仮定を置きまくらないとできない気が(今は)する。) しかし、物理的にいえば、これら二つの問題も、単純な壁からの反射となんら変わるところはないのだから、拡張ができないというのは大いに不満。 なにか、本質的に不器用なことをやっているのだろうか? それとも、膨大なミクロな自由度と少数のマクロな力学的自由度が絡み合う問題というのは、猛烈にむずかしい、ということか?
いずれにせよ、最初に思っていたよりも、ずっと面白いようだ。 論文を書こうという気になってきたぞ。
昨日、ぼくが少し前の論文に書いた「統計力学の平衡分布を仮定して熱力学第二法則を出す」話は、すでに古き良き時代に知られていた、という重要な事実を M さんから教えてもらった。 実際、いかにも「古典的な」香りの漂う話だったので、何人かの専門家に、「こういうのなかった?」と尋ねまくっていたのだが、誰も知らなかった。 どうも、きちんと認識されていなかったようなのだ。 論文はまだレフェリー中だけど、そんなに悲惨ではなさそうな気がするので、へたして載ってしまった後でなくてよかった、とほっとする。
M さんが、それを発見したのは、
Thirring, Quantum mechanics of large systems (Springer)という既に絶版の本の中。 なんと、Walter Thirring 先生ではないか! Thirring model は、近年の可解模型ブームでもしょちゅう耳にするし、物質の安定性での Lieb-Thirring inequaility は古典。 何を隠そう、ぼくは、Princeton 時代に Walter 先生に昼食をおごってあげたことのあるほどの仲なのである。 まあ、そういうことなら仕方がない。 やはり昔の人はきちんと考えていた、ということだから、気持ちがいい。
「仕事がオリジナルでないとわかって悔しくないの?」という質問があるでしょうが、これについては、負け惜しみでなく、そんなに悔しくありません。 この話は、真面目に考えていたら、ぽろりとそこにころがっているのをみつけた、という感じで、たとえばここらへんにも書いたように、自分でもそれほど興奮せず、「なんじゃこれ」的に眺めている。 泥と汗にまみれて自分で新しい土地に踏み込み、そこで必死になってみつけた何かを持ち帰ったというのとは違うので、スタンダードなものの再発見でも、ほとんど気にならないのです。 (実は、自分で必死でやっていて、「新発見!」と思ったことを、わずかに先を越されていたことが、二度もあり、そのときは、もう血の気がひき、平衡感覚が失われ足下がぐおおおおおおおおおっとなるような感じでした。 今書いている暇がないので、また書きましょう。(気が向いたら。))
M さんからの追加情報では、Thirring の本の元ネタは、
A.Lenard "Thermodynamical Proof of the Gibbs Formula for Elementary Quantum Systems" J.Stat.Phys, Vol 19, No. 6 (1978) p.575だそうだ。これも stability of matter で有名な人だったと思う。 (J. Stat. Phys. は、80 年以降しか図書館にない! editor をやっていたとき、毎号送ってくれたけど、どうせ図書館でも買っているわけだから、バックナンバーをくれ、と思ったものだ。 さっそく、コピーを取り寄せて読もう。)
跳ね返り係数話について、佐々さんに「跳ね返り係数が1を越えないなんていうことの証明がそんなに難しいはずはないと思う」と言われ、「ぼくもそう思うんだけど、やってみると、これこれこういう理由で簡単じゃないんだよ」と説明したのだが、その「これこれこういう理由」というところを逆手にとって考えると、もっとズボラな評価ができることがわかった。 それだと、ちょっと余分な仮定も入るし、評価はあんまり neat じゃないけど、ともかく、壁が yz 並進について不変とかいう制約もいらないし、ポテンシャルが入ってもいいし、二つのボールの衝突もできる。
ふむふむ。
しかし、どうも、首根っこを押さえた気がしないのであった。
Haldane gap 反強磁性体の乱れた基底状態のなかに隠れた反強磁性秩序があることに気付いたとき。 1990 年か 1991 年かな?
今から見ると、きわめて特殊な系についての高度に趣味的な話題だけれど、それでも、猛烈におもしろいストーリーなのは確か。 Haldage gap という現象そのものが、理論的に神秘的かつ美しいだけでなく、実験的にも様々な手法で見事に観測された魅力的な物理のテーマだった。 (おっと。数値計算もありましたね。真の理論とバランスがとれていれば、数値計算があるのも悪くない。でも最近の量子スピン系の「理論」は数値計算ばっかりじゃないか。それじゃ駄目でしょう。(きっぱり!)) その本質が、「隠れた反強磁性秩序」にあるのだ、というストーリーは胸躍るものだった。
加えて、この仕事は、当時のぼくにとって、個人的にも大きな意味があったと(今ふりかえると)思う。
Princeton という世界の物理の中心地の一つで一流の連中といっしょに仕事をしてなんとか一旗あげた科学者(=ぼく)としては、自分が Princeton を離れ、単独になっても同じように意味のある仕事をつづけていけるのか否かというのは、(意識しようが意識しまいが)相当に気がかりなことだったのである。 (実は、自信はあったのだ。 それでも、不安はあった。) お恥ずかしながら、学習院に着任した直後のぼくは、ちょっと猛烈な勢いで単名の論文を出版していた。 別に周囲のプレッシャーがあるわけでも何でもなかった。(というより、学習院の物理にはそういう無意味なプレッシャーはない!) 単に自ら不安に駆られるようにして、次々と仕事をしまくっていたのだと思う。 とはいえ、これらの仕事は深いものではなかったから、自分でも大いに不満を持っていて、量産すればするほど、本質的には焦っていたのかもしれない。
そんな中で、Princeton から戻ってからはしばらく遠ざかっていた Haldane gap の問題に立ち返り、時間をかけて、全力で取り組んだ結果、自分なりのものの見方から、上の「隠れた反強磁性秩序」の存在が本質的であること、そして、それが存在する物理的メカニズムに気付いたのだった。 (完全な証明はできなかったし、未だない。悔しいし、不満。) これは、ぼくにとっては、独力で物理の世界を探検し、何か新しいことを自ら見出したはじめての本格的な体験だった。 (ただし、「新しいこと」といっても、これは描像に過ぎないわけで、意味のある現象の発見でも、新しいメカニズムの発見でもない。) おまけに、「隠れた反強磁性秩序」は、Princeton で 1986 年に、新米の研究員として、この問題をはじめてきいたとき、最初に試みた「制限された状態空間」を用いるという手法とも深くつながっていたのだ。
というわけで、うれしくてしょうがないし、何にしろ、Haldane gap の本質(の一端)が見えてきたというのは興奮することだったので、物理学会に出かけていって、相当にエネルギーの入った発表をした。 聞いた人たちも大いに面白がってくれたので、とても嬉しかった。
その学会で、立ち話をした××先生から、den Nijs と Rommelse の新しい論文に同じ主旨のことが書いてある、と聞いたのだった。
学習院に戻ってきて、その論文を調べてみる。ふるえる指でページをめくって(←ちょっと脚色しすぎかな?)、数式をたどり、主張を読んでいく。
たしかに、書いてある。
ぐおおおおおおおおおっっっ
頭と顔の辺りがひんやりする感触があったから、いわゆる「血の気が引いた」状態になっていたのかもしれない。
科学の発見(しかも、たかが特殊な現象の趣味的な描像の提案!)なんて誰がやってもいいし、ささやかでも新しいことがわかれば、わかることが楽しいんだ、と今では素直に思っているけれど、このときは心底くやしかった。 俺がみつけたと思ったのにー! おまけに、彼らの論文をよく読んでみると、可解模型を経由する直接でない論理展開になっていて、ぼくの話の方が直接的でずっとすっきりしているではないか。 こうなると、余計に悔しくなるのであった。
その後のことは、ちゃんとは覚えていないけれど、先を越されようが何だろうが、この研究テーマが面白くてしょうがないのは事実だったので、しばらくの間は、一生懸命研究をつづけた。 とくに、Princeton 時代の共同研究者で友人の Tom Kennedy と e-mail collaboration をして、結構気に入っている論文を書き上げたのは極めて意味のあることだった。
今は、さっきも書いたように、「隠れた秩序」の存在を最初に声高に主張したのが誰であっても構わない、と素直に思っている。 この見方がなかなか面白いという事実に変わりはないわけだから。 それに、ぼくも結局は(通常の Heisenberg model で)「隠れた秩序」の存在を厳密に証明することはできなかったんだから、まだまだ甘かったぞ、とも思う。
しかし、こうして振り返ってみると、あれから十年近く経ってしまったのだから、驚き。 ぼく自身は、(ちょっと脂肪がついた程度で)変わっていないつもりだけれど、確かに、あの頃は子供たちも小さかったし・・・
少し遠い目になってしまうのであった。
付記:ちなみに、この話は、以下の論文。 den Nijs-Rommelse を知らずに書き上げて投稿し、その後、彼らの仕事をしったので(もちろん)それを参照し、違いを強調し、受理されている。
Quantum liquid in antiferromagnets: A stochastic geometric approach to the Haldane gap. Phy. Rev. Lett., 66:798-801, 1991. (Erratum in Phy. Rev. Lett., 75:354, 1995.)自分でも好きな論文の一つです。
web の 出会い系サイト 掲示板で知りあった(そして、その後、実にいろいろなことを教えていただいている)長岡さんが、「我思う故に喫茶店あり」という文章を書かれている。
学習院のアパートに住みつき、家族のなかでもっとも狭い行動半径の中でしか移動しなくなり、(×××ラーメンでのたまの昼食を除けば)自宅と大学のオフィス以外で飲み食いをすることがほとんどなくなってしまった今のぼくとはほど遠い情景だが、こういうのは、よくわかる。
というか、実は、こういうの好きです。
当時つるんでいた友人の M (前にでてきた外資系の(超有名な)証券会社に勤めている友人)といっしょに、定期試験の過去問の模範解答をつくって、コピーして、みんなに配った(実費より少し余計にとったんだっけか?忘れた)ときも、解答の作成は喫茶店だったなあ。 あのときは、なぜか、渋谷の地下にあるこぎれいで大きな喫茶店に入った。 まだ昼過ぎだったので、店内はがらがらで、ぼくらは中央にあった大きな楕円形のテーブルに陣取ることにして、(学生の特権で)最低限の注文だけをして作業にかかった。
何時間か経ってトイレに立ったぼくが再び店内に戻ってみると、そこにはちょっと異様な光景があった。 既に夕刻で、店内は勤め帰りのサラリーマンや OL でいっぱい。 しかし、店の中央を占める大きなテーブルは、ひたすら紙に何かを計算しているたった一人の長髪の学生に占領されていて、大きなテーブルの上には所せましと計算用紙や、数学や物理の教科書が広げられていたのだ。 (ぼくは、ぎょっとはしたが、別に逃げもせず、店じまいもせず、M といっしょに問題を解き続けたのだったと思う。ま、学生だし・・)
(前略) そのミーハーの流れで周囲の影響を受けて私の中でも、今熱力学はあつい。そもそも熱力学という字自体が熱い。わはは。 とてもいいです。 H さんもがんばれ。友人Oくん(♀)と下北にてお茶飲んで、とにかく熱力学が熱いことを伝えたくて、ミントティのポット持って、 「こう、ピストンをガシャガシャガシャガシャやるだけで」ってぇ、 ガシャ、ビシュ。バチャッ。ミントティこぼれる。おおっ!店内みんな見てる!
店内の注目も熱い、熱力学がんばれ。
日曜日ということで、いっさい外出せず、6 日に話に出た
Walter Thirring, Quantum mechanics of large systems (Springer)を一通り(大ざっぱに)読んだ。 実は、これは Thirring 先生個人による A Course in Mathematical Physics の第4巻で、シリーズの構成は
この第4巻は、無限系の状態の記述から出発し(1章)、状態の(より「乱れている」という観点からの)順序づけ、エントロピーの導入、代表的な統計力学的平衡状態を議論し(以上、2章)、さらに、無限系の平衡状態を時間発展との関連で特徴づけ(KMS 条件)、平衡状態を安定性と passivity (サイクルで外に仕事をしないという第二法則の表現。この部分が、ぼくのやっていたことと関連する)で特徴付けられることをみる(以上、3章)。最後の4章では、巨大な系についての厳密な結果、特に天体の熱力学についての厳密な理論と、物質の安定性を論じる。
耳学問で知っていたことと、まったく知らなかったことが、半々くらい。 いずれにせよ、こういった operator algebra 的な統計力学へのアプローチのなかで、熱力学的な考察や不可逆性についての問題意識などが重要な役割を果たしていたことをはじめて認識した。 ぼくが大学院生の頃にこういう話をざっと学んだときには、そういった側面はあまり表に出てこなかった気がするのだ。 (こっちのピントもあっていなかったのではあるが。) 具体的な結果でも学ぶことはいくつかあり、読んで有益であった。
これが絶版になっているのは惜しい。 とはいえ、絶版になったのはけしからんと声を大にして言えるかはやや微妙か。 やはり、読みやすい本ではないのである。 厳密な結果や抽象論と具体的な例を織り交ぜるスタイルは素晴らしいのだが、どちらもやや癖が強く、すべてを読みこなすのは並大抵ではできない。 (ぼくも、かなりずさんに読んだ。) 必要な数学も(特に物理学者には)あまり易しくない。 Ruelle の教科書や、Reed-Simon の教科書がスタンダードになったのに、Thirring 先生のこれが絶えてしまったのは仕方のないことか。 (Ruelle の本も読みやすいとは言えないけど。)
しかし、この本を手元に置けないのはちょっと困る。 絶版になった本を作り直すシステムなどが始まりつつあるようだし、何らかの試みをせねば。
Princeton 大学構内の学生立入禁止の Faculty club に正装してでかける Walter Thrring 教授、Elliott Lieb 教授、そして二十代の田崎博士といった光景を思い浮かべた方が一人くらいはいらっしゃるかもしれませんが、もちろん、実際は、田崎:Professor Lieb, 本日は Professor Thirring と同席する光栄を得たわけですが、さらに、僭越ながらこの昼食を私におごらせていただくという光栄に浴するわけにはいかないでしょうか?
Thirring:とんでもない、Doctor Tasaki, そのようなことを受けるわけには行きません。
Lieb:いや、Professor Thirrig, ここは、このわれわれの若い友人の申し出を快く受けることにいたしましょう。
田崎:ありがとうございます。
田崎:やあ、Elliottという感じであった。Lieb:やあ、Hal, 今日の昼食セミナーの食事はどうする?
田崎:今日は、これからサンドイッチでも買いに行きます。(いつもは妻の手作りサンドイッチだったのだが、この日は妻はどこかにでかけていたようだ。)
Lieb:ちょうどよかった。実は Walter も食事がないんだ。
田崎:あ、それなら、ぼくがついでに買ってきますよ。 Walter, サンドイッチでいいですか?
(田崎、学生が買いに行くところに買いに行く。)
田崎:はい Walter
Thirrig:ありがとう Hal, いくらだい?
田崎:あ、いいですよ。 これで、これから誰かが Thirring model の話をするたびに「俺は Walter Thirring に奢ったことがあるんだぞ」って言えるから。
跳ね返り係数。
4 日に詳細をつめた面倒で技巧的な評価と7 日に触れた「ズボラな」評価の両方をきちんと書き下す。 評価ができたといっても式をいい加減に書いた断片的なメモがあるだけで、時間が経つと解読不能になってしまう。 一週間たつから意を決してまとめたわけだが、思ったよりずっと面倒で半日費やしてしまった。
・・・それは変化が筆者にはむしろ視座の拡大と見えていることの反映である。 古典と量子は通約不可能といった声も聞こえるが、それは約分のルールがわれわれものと違うためではないか? われわれの割算は余りを許し、かつ立体的である。 それなら言っていることは同じだ、とおっしゃっていただけたら幸いだと思う。いいですねえ。
しかし、それで納得してくれる相手だろうか? 「あ、もちろん、おっしゃるとおり。 言っていることは基本的には同じです。 ところで、・・・」 と毎度同じ話がくり返されそうな。
先日(11/22, 11/24)シュレディンガー音頭を話題にしたところ、遠方の読者から、
ひょっとしてシュレディンガー音頭のメロディは、電線マン音頭(なつかしい)と同じでしょうか?とのご質問をいただいた。 (「電線マン音頭」って名前は聞いたことがあるが、どうもメロディまでは浮かばない。)
ぼくの知る限り、シュレディンガー音頭にメロディはありませんでした。 N 森氏は、単に、手拍子をしつつ、
|| プッサイに | ファイ(やすみ) || プッサイに | ファイ(やすみ) || いっどがた | はっこがた || しゅうきが | た(やすみ) || (区切りは、仮に二拍子と解釈して付けた)と大声でがなりながら踊っていました。 そういう意味では、「体操」に近いですが、これとは別に(忘れ去られた)「フェルミ体操」もあったわけで、やはり差異化が必要だったのでしょう。(←知らない。) それに、「シュレディンガー体操」だと、何だかすごく苦しい体操で、ばてて死んでるのと生きてるのが半々だったりするようなイメージもあり、やはり楽しげな「音頭」と命名されたことが人気の要因だったのかもしれません。(←これも知らない。)
シュレディンガー音頭ホームページにも音声ファイルはないようですから、やはり、メロディがつけられることはなかったのでしょう。
ここは、発明者の N 森さんに聞いてみたいところですが、そんなことでメールを書くのはあまりに馬鹿らしいので、どなたか N 森さんにお会いしたら、聞いてみてください。 (今日の佐々さんの京大でのセミナーに N 森さんが顔を出してたかも。 今頃(夕方の六時)セミナーの真っ最中くらいだろうから、ちょっとおそかったか。)
なぜか能率の悪い一日だった。 未だやることがあるので、三件ほどメモ程度に。
「磁力発電の現状を視察」には、必要電力より大きな電力を発電する装置と明記してある。 第一種永久機関ですな。 早くつくってください。
もう少し洗練されたところで、エントロピーエンジン。 これは第二種永久機関で、ぼくの本の練習問題にも影響をあたえた。 フォード社も関心を示した、とか大騒ぎだったのですが、見ると、この一年間まったく web pages の更新がない。
関係ないですが、昨夜ビールを飲みながら、急激に変化するポテンシャルを通過する粒子集団の力学の(近似)計算をしていたら、第二種永久機関ができてしまった。 どうしよう。 (別の一般定理から、ちゃんとやれば駄目なことはわかっているのだけれど、近似のどこが崩れるのか、すぐには見えないのですよ。)
「匿名の一市民」という方からつい先ほどメールをいただき、
私の記憶では井戸型 谷型 周期型だと思います。との情報。 ええと、この善意の匿名の方のアドレスは、nXXXmor@XXXXXXX.ac.jp、差出人名は XXXX Nxxxmori か。 (匿名の一市民さんの注意を喚起して下さった H 川さん(←こういう名前の書き方をすると学生さんの web 日記みたい)に感謝します。)
というわけで、「井戸型、谷型、周期型」が正統であることに決着がついたことになります。 潔く自説を撤回し、関係する方々(って誰)にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
それにしても、ぼくの記憶に「井戸型、箱型、周期型」が強く刻印されていたのはなぜなのだろう? 考えられるのは、
ふう。 20世紀最後の講義を終了。
21世紀もがんばって、講義をしよう。
質量 m の質点 N 個が集まってできた物体を考える。 質点の間には、任意の力(通常どおり全体の並進について不変)が働いていて、この物体をひとまとめにしている。 簡単のため、1次元系を考察するが、3次元への拡張は自明。
はじめ、物体の重心は、速度 V で x 正方向に動いている。 物体の内部自由度は、温度 T の平衡状態にある。 よって、各々の質点の速度は、この重心の速度 V に、熱運動によるゆらぎを付加した V + v である。 V は共通だが、v は質点ごとに異なる。 ただし、|v| は V に比べてずっと小さいとする。
この物体が、ポテンシャル 0 の x < 0 の領域から、ポテンシャルの低い x > 0 の領域に入り、加速する状況を考える。 各々の質点の感じるポテンシャルは、x < 0 では 0 であり、 x > 0 では - m u であるとする。 ここで x は座標であり、u は正の定数。
もし、内部自由度のことを考えなければ、原点を通過すると、物体のポテンシャルエネルギーは M u だけ下がる(M = m N は物体の全質量)。 よって、原点を通過したあとの物体の速度 V' は、エネルギー保存則
(M/2) V^2 + M u = (M/2) (V')^2
により決まる。(V^2 というのは、V の二乗のこと。) よって
V' = ( V^2 + 2 u )^(1/2)
となる。
ここで、V が非常に大きいと仮定する。 よって、物体は、ポテンシャルが急激に変化する x = 0 という場所をきわめて短時間で通過する。 時間が短ければ、質点の間に働く力の効果は小さくなる。 以下では、物体が原点を通過している間の質点間の相互作用を無視する。 (よって以下の結果には、質点間の相互作用による補正がつくはずだが、それは、V を大きくすればいくらでも小さくなる。)
初速度 V + v を持っていた質点が、原点を通過した後の速度 V'' は、やはりエネルギー保存則
(m/2) (V+v)^2 + m u = (m/2) (V'')^2
より
V'' = ( (V+v)^2 + 2 u )^(1/2)
と求められる。 無論、v = 0 とすれば、これは上の V'' に一致する。 v が V よりはるかに小さいと仮定したので、この表式を v について二次まで Taylor 展開しておこう。
V'' = V' + { V (V^2 + 2u)^(-1/2) } v + { 2 u (V^2 + 2u)^(-3/2) } v^2 + O(v^3)
これが、N 個の質点各々について成り立つ。 原点を通過したあとの重心の速度 Vfinal は、この V'' を N 個の質点すべてについて平均すれば、求まる。 v は熱運動によってばらついているので、明らかに、v の平均は 0。 他方、(m/2)v^2 の平均が (kT/2) 程度であるべしということから、 v^2 の平均は (kT/m)^(1/2) 程度と知れる。 よって、
Vfinal = V' + 2 u (V^2 + 2u)^(-3/2) (kT/m)^(1/2) + O(v^3)
となり、最終的な重心の速度は、内部自由度を無視した場合の V' より真に大きい。 (kT/m) = (NkT/M) であるから、これは別に微小な量ではないことを強調しておく。
もちろん、(磁力発電とは違って)エネルギー保存は成り立っているので、重心の速度の増加分は内部運動のエネルギーから来ている。 (実際、T=0 では Vfinal = V' であって、内部自由度を無視した力学の答がでる。) つまり、ポテンシャルの境目(原点)を通過する際に、内部自由度の熱エネルギーの一部が重心の運動の力学的エネルギーに転換されたことになる。 (これはエネルギー保存則に反しない。この系には運動量保存則は、もちろん、ない。)
ところが、ここでは、熱力学第二法則で禁止されている熱エネルギーの力学的エネルギーへの直接の変換がおこなわれている。 つまり、これが正しいと、第二種永久機関ができる。 よりサイクルっぽくしたければ、右図のようなポテンシャルをつくり、周期的境界条件にしておくとよい。 はじめ、物体をある温度にしておき、重心にはポテンシャルの山を越えられる程度の右向きの速度を与えておく。 すると、山を越えるときに、上の機構が働き、物体は力学で予想される以上に加速され物体の温度が下がる。 (ポテンシャルが不連続に変化するところ以外では、質点には一様な力が働くので、重心運動と内部運動は完全に分離する。 重心は力学どおりの運動をし、内部自由度は新たな熱平衡に緩和するだろう。) よって、一周して出発点に戻るときには、はじめに同じ点を通過したときよりも大きな速度をもつことになる。 これをくり返すことで、物体の温度が下がりきるまでは、物体は加速をつづける。 サイクロトロンのようだが、静的なポテンシャルによる連続した加速であることに注意。
物体が適度に加速し、温度が下がったところで、運動エネルギーを何らかの方法で回収する。 これは、最初に物体に速度を与えるのに必要なエネルギーより真に大きいから、エネルギー収支はプラスである。 そのため物体の温度は下がっているが、物体を空気等の環境に接触させれば、その温度を再び上げることができる。 これを繰り返せば、単一の温度の環境から熱を吸収して繰り返し仕事に変換することができる。 21世紀のエネルギー問題は解決する。
同じ話で、u を負にとると、V'' における v^2 の項の係数は負になり、この場合は、内部自由度へのエネルギーの散逸による減速というまともな話になる。 面白いことだが、u が正の上の話が冗談であるにもかかわらず、こちらの散逸の話は、ある種のモデルで厳密化できる可能性がある。
金曜(12/15)に書いた第二種永久機関のアイディアには、「ぜひ製品化したい」という多数の申し出はもちろんなかったものの、牧野さんからレスポンスをいただいた。 「もっと具体的にこういう風に改良し、モデルをつくって、特許をとり・・」 ではなく、 「気になって寝られないので考えてみると、おそらくおかしいところがあるとしたら、この部分で、大ざっぱに計算してみると、たしかに、無視されているエネルギーの損はこれこれで、それに対して得られるエネルギーもこれこれで、両者のオーダーは等しいようだ」というコメント。
ふむふむ。 ぼくも、やはり、おかしいのはそこだと思って同じような計算は一応していたが、牧野さんの方が詳しかった。
この問題のいやなところは、内部自由度の間の相互作用をまったく特定せずに話をしていること。 実際、相互作用がなければ、あそこに書いた評価はすべて正確になってしまう。 ところが、そのときには、熱平衡状態で物体がひとかたまりになっていることができないので、そちら側から破綻が来ることになる。 そのあたりの兼ね合いがあるので、話はそう簡単ではないのであった。
牧野さんがこの話にすぐに反応したのは、
重力多体系ではよくあるような話なので、かなり真剣に考えてしまいました。 例えば球状星団が銀河ディスクを通り抜けるなんてのは、(ポテンシャルが箱型か谷型かが違うだけで、、、というとなんか別のほうに話がいきますが)非常によく似た話になっています。だからだそうで、なるほど、「箱型、谷型、銀河団」と踊って納得する休日の私であった(嘘)。
星団の場合は、内部運動が熱平衡になっていることはない(重力多体系では、少なくともカノニカル分布はあり得ない)けれど、現象レベルでは、似たような「内部自由度への散逸」がおこってもよいわけで、(ぼくが散逸現象のプロトタイプとして考えている熱平衡にある物体の場合と)何が似ていて、何が似ていないかを見るのもおもしろい。
「パパも子供の頃、ビデオテープ分解した?」
「小さい頃は、ビデオテープどころか、カセットテープもなかったよ。」
というわけで、考えてみると、ビデオテープの中をみるのは始めて。 別に感動するほどのものではないし、細工の細かさから言えばカセットテープの中身(←出始めの頃に分解した)の方が上だけど、オープンリールのテープを見る機会のない今の子供には、テープがぐるぐる巻いてあるのを見て触るだけでも面白いか。
ああ。 教務の雑用だけで午後が過ぎていく。 もう外は真っ暗だ。
とはいえ、自分の部屋で自分ペースで能率的に仕事をすればよいのだからまだ幸せか。 会議に缶詰になって時間を過ごすのはつらい。
長年の友人の原さん(同級生なので、実際の会話では「原」と呼び捨てにしているが、ここではできる限り「さん」づけで統一しよう)が来訪。 ぼくらは研究者として駆け出しの頃からの共同研究者で、 大学院のときにぼくが書いた論文のほとんどは原さんとの共著。 (研究室はちがった。 原は(←あ、つい呼び捨て)素粒子理論で、ぼくは統計物理の研究室。 ぼくらの世代には、研究室の枠をこえて、面白いことは議論し、いっしょにやろうという空気があった。) 名前も Takshi Hara と Hal Tasaki なので、名字と名前をひっくり返せばほぼ symmteric で、外国から Docotr Tasaki Hara 宛に郵便が来たこともあった。
久々だったので、半日以上ずっと話しこんだ。
どうでもよろしいが、ぼくは東京弁と関西弁の bilingual なので、原さんと話すときは関西弁を使う。 高麗さんと三人になると、どちらに主に話しかけるかでこまめに二つの言語を切り替えるので目まぐるしいのだ。
今日は、物理に専念している。 よいことだ。
何をやっているかは、また書きます。
まずは、ぼくの部屋のホワイトボードの様子を左右の写真でご覧いただきたい。
では、このシステムについて詳しく説明しよう。 と思ったが、写真を見れば一目瞭然なのであった。 各々のポストイットに科目名が書いてあり、これを開講する曜日・時限の紙の該当する学期・学年の欄にはりつけるだけ。 遠くから眺めて時間割のつまり具合やつながりを検討し、担当者に電話をかけながら、ぺたぺたと貼り替えるのである。
各曜日の紙はテープでとめてあるので、そのままジャバラ式に折り畳んで、ファイルケースにしまい、あるいは、持ち運ぶこともできる。 教室会議にもっていて、会議室の黒板にマグネットでとめることもできる。 (やったことないけど。) へたにコンピューターを使うより、はるかに能率的で、かつ、安全。 2000 年問題にも対応。(なつかしい)
普通は、ここで、「このシステムにも実はこんな落とし穴が」と失敗談を書いてオチをつけるわけだが、このシステムには今のところ欠陥はないので、この記事にもオチはありません。
研究室の忘年会。
お酒を飲みながら気のあった人と話すのは嫌いではないし、こういう席に出れば人一倍しゃべりまくっているのではあるが、最近は、家庭生活+研究生活のリズムを崩すことを考えるのが猛烈に嫌なので、宴会の類にはほとんどでない。 今年も、これが唯一の忘年会。 とくに研究室の卒業生のみなさんにお会いできて嬉しゅうございました。 (卒業生と一口に言っても、去年卒業して今でもしょっちゅう会う人から、ぼくより年上の方、あるいは、ぼくの両親の世代の方まで、幅広いのではあるが。)
息子が歴史で出てきた鎌倉を見てみたいというので、半日の鎌倉観光。
天候に恵まれ快適。 いいところです。町のなかにいても山が見えるし。 こういうところで暮らしたい。 (でも学習院まで通うのはちょっと苦しいか。)
鶴岡八幡宮を見て、遅い昼食に日本そば(秀逸!)を食べて、バスで大仏へ。 ぼくは関西で長い間くらしたから京都の仏像などはかなり見慣れているのだが、鎌倉の大仏には、同じ日本人ながら、不思議な異国情緒みたいなものを感じる。 建物がこわれて、巨大な仏像が森を背景に屋外にどどんと座っているという「演出」も一役買っているのだとも思うが。
鎌倉の大仏を前に見たのは(というよりも、鎌倉をはじめて訪れたのは)大学院の頃。 デートでもなんでもない。 来日していた Michael Aizenman と奥さんの Marta が鎌倉に行きたいというので、原とぼくが連れて行ったのだった。
行き帰りの長い電車の間は、ほとんど休みなく、Michael と原とぼくで数理物理についての議論をしていた。 と書くと嘘があって、ぼくら二人でほとんどずっと Michael を質問責めにしていたというのが正しい。 彼の当時の論文はすべて熟読して理解していたが、それでも、新しいこと、論文に書いていないこと、膨大なものを学べた。 知識だけでなく、論文だけからは読みとれないある種の「のり」とかも。
とくに若い人に言いたいけれど、自分が一生懸命学んでいる・研究している分野のすごい人に会うチャンスがあれば、「論文は理解しているし、今とりたてて疑問はないから」などと思わず、あらゆるレベルの疑問をぶつけて議論すべきです。 真に優れた科学者なら、論文に書いてあることの十倍も二十倍ものことをかならずもっていると思う。 その一端に接するだけでも猛烈に意味がある。 そして、そういうチャンスは受け身で待っているのでなく、自分から積極的につくるべきだとも言いたい。
あのとき、Michael にアメリカのポスドクに応募するようにすすめられ、原もぼくも、ほどなくアメリカに出かけていくことになるのだった。 なつかしい。
きのうは入場料のほかに20円をはらって大仏の中にも入ってきた。 内部の溶接の様子なども目の当たりにみることができるので、おもしろい。 壁(というか大仏の体の内側)に触れると、日光のあたっている正面側はとても暖かく、日陰の背中側はひんやりと冷たい。 金属製だから当然とはいえ、これもおもしろい。 体内に昇る狭い狭い鉄の階段で人とすれ違う。 明るい外から入ってきた昇りの人には完全な暗闇で相手が見えないのに、体内にいて目の慣れている下りの人にはすべてはっきり見えるというのも(当然とはいえ)不思議な感じ。
最近なにをやっているか?
ぼくは 90 年くらいから数年間、Hubbard model の研究を一生懸命やっていた。 その一連の研究の最終的な到達点が、1995 年のレター論文(4ページの速報)
Ferromagnetism in Hubbard Models, Phys. Rev. Lett. 75 (1995) 4678-4681 (preprint server にリンク)にまとめた
状態密度も有限、クーロン相互作用も有限、という特異性のない Hubbard 模型で、強磁性の出現を厳密に示したという結果。 これは、ぼくが自分で Hubbard 模型の世界を歩き回り、電子たちの声に耳を傾けながら、何年間も必死で考え続けてついに導いた結果なので、個人的にとても気に入っている。 (実は、この仕事に関連して「足下がぐおおおおおとなった話」の「その2」があるのだけれど、それはまた今度。) ぼくが今までした仕事のなかで、文句なく最高のものだと思っている。
無論、特殊なモデルについての物理的にはまだまだ弱い結果ではあるのだが、「強磁性の起源」という問題設定のなかでは決して無意味な仕事だとは思っていない。 おかげさまで、地味ながらも、ある程度の評価を受け、その後、ぼくの結果やアイディアにヒントを得た(と思われる)新たな研究や、(ぼくの結果を含む)一連の理論的な流れに刺激された新物質の設計のプロジェクトなども現れた。 また、ぼく自身も、これに関連していくつかのレビューを書いたりした。 (もっとも初等的で、かつ背景を詳しく説明したのは物理学会誌に書いた解説「スピンはそろう ― 強磁性の起源をめぐる理論 」pdf file)
というわけで、すべてオッケーのような気がするのだが、実は、
ぼくは、この仕事の full paper (最終的な論文)を未だに書いていない!!のであった。 こいつは困った。
実は、4ページのレター論文にも(かなり凝縮した形でではあるが)1次元の場合の証明は完全に書いてあり、それを解読して、ご自分の証明に活かしてくださっている方もいる。 しかし、同じ方法で高次元のモデルをやろうとするとものすごく面倒になる。 もっとうまい証明がすぐにみつかったので、それでやると楽になる、とぼくのレビューに繰り返し書いてある。 だが、肝心の論文が出ていないのだ。 これは、やっぱり困る。
まず、言い訳をしておくと、レター論文の直後に full paper を書かなかったのは、意図してのことだった。 たしかに、仕事ができた直後だと、完全にピントがあっているので、論文をまとめるのは極めて楽である。 ところが、その反面、そういう時期には、あまりにもその仕事にのめり込んでいるので、視野が狭い、というよりむしろ、ものの見方が異常に特化されてしまった状態になっていることが多い。 そのモードのまま論文を書いてしまうと、妙につよい思いこみに引っ張られて、読者に読みづらいものになってしまうのだ。 ぼくは、(本人の希望というだけだけれど)せっかく書いた本論文は、何年も後の読者にもじっくり読んで欲しいとつねづね思っている。 だから、自分自身がハイになった状態から脱して、自分の仕事をある程度客観的に見られる境地に達して、それから、もう一度、自分の仕事を(他人の気持ちになって)勉強し直して、その上で本論文をまとめるのが理想だと思っている。
この Hubbard 模型の仕事については自分の最高の仕事という自覚もあったので、よけい、徹底してこの理想を実践しようとしたのだった。
しかし、それを徹底させ過ぎたあまり、つい
しかし、このまま放っておくわけには絶対にいかないので、書きます。 今度こそ、本当に書きます。 というより、しばらく前から本気で作業をしているので、すでにある程度書いています。
もちろん短い論文ではないので、まとめと執筆にはしばらく時間がかかります。 すると、今月中、というか、今年中、というか、今世紀中の完成は無理です。 必然的にふたつの世紀にまたがって論文を書くことになりましょう。 すなわち、これぞまさしく
世紀の大論文!!と一人で騒いでいる年の瀬でありました。(つづく)
ううむ。 着々と日が過ぎていき、二十世紀もあとわずか。
統計物理学者たちは物質の三態の相転移を理論的に理解しえないまま二十一世紀を迎えるのであった。 (多分。あと三日でできるとは思いにくい。) 残念。
ところで、この論文執筆の計画だが、実際に証明を整備したり論文原稿を書いたりする作業に入る前は、正直なところ、相当に不安を感じていた。 なにしろ、すでに完全に離れてから丸3年以上たっている分野である。 忘れているかもしれない。 そうだったら、どうしよう。 どきどき。
ぼくは研究を RPG (ロール・プレイング・ゲーム(自分が登場人物になったつもりで擬似世界を探検したり妖怪変化をコマンド入力で倒してお金をもらったりするゲーム))にたとえることが多いけれど、ゲームをする人にはこの気持ちがわかるにちがいない。 のめり込んでやったゲームでも、しばらく離れていると、操作方法やバトルのしかたなどの詳細はほとんど忘れているし、そもそも、その世界の様子や、自分が何をなすべきかといったことについても記憶が朧気になっている。 復帰して、以前のように楽しくプレイするにはかなりの時間がかかるものだし、場合によっては、どうしても復帰できないこともある。 (ぼくは、ドラクエ 5 を途中までやったところで忙しくなったので中断した。 その後、再開しようとしたが駄目であった。 ドラクエ 7 もしばらく前に中断してしまった。 同じ運命をたどるかも。) Hubbard 模型の世界を長らく離れ、電子たちの声に耳を傾けなくなって久しいぼくが、再びこの問題についてまとめようと思うと、同じような感覚を味わうのではないだろうか??
実際、Hubbard 模型の仕事のことを思い浮かべようとすると、大ざっぱな筋書きや証明のアウトラインは頭に浮かんでくるのだけれど、それ以上の詳細はどうも出てこない。 たいへん失礼な比喩を使わせていただくと、講義をいい加減に聴いていた学生さんのような状態になっている気がしたのだ。
おまけに部屋の中を探索して、この論文に関連するものを探してみたところ、すっかり忘れていたイントロの下書きはでてきたけれど、関心の未発表の証明はでてこない。 ぼくには、どうしても必要がない限りは、頭のなかにあるものを書き留めたりしない、というきわめて悪い癖があるので、この証明も汚いメモを作った程度でちゃんと書き下さなかった可能性が高い。 (もちろん、昔書いたものがあっても、もう一度証明をやり直さなくてならないことにかわりはないので、大きな違いではないのだが。)
というわけで、「世紀の大論文」計画の初日には、やや不安を感じつつ、夜中にビールを飲みながら、自分の昔の論文を眺めながら、「ああ、いい仕事だなー」などと呟いていたのだった。 (あくまで、自分の趣味に照らしたとき、「いいなあ」と思える仕事だということ。 具体的で物理的にシャープな問題について、数学的に厳密で、それなりに驚きがあり、そして明快な物理的ストーリーの見える仕事ができたから。 この仕事に比べると、最近やっていることなんて、ほんと足下にも何にもまったく及ばない。 (←あくまで、「当社比」をやっております。) 酔ってくると、つい
あーあ。 おれ、この5年間、なんにもやってないなああ。などと思ってしまうのだった。 (もちろん、扱っている問題の質がぜんぜんちがうから、比較にはならないのだけれど。))
しかし、その次の日も Hubbard に取り組んでみると、実際には、復帰は猛烈にはやかった。 なかなか本格的にものを考えられないのではないか、という不安は純然たる取り越し苦労だったのだ。 いくつかの定義を思い出せば、あとは勝手知ったる自分の庭。 すいすいと話が再現され、証明もすぐに思い出した。 おまけに、一度離れるという作戦も功を奏し、扱うべきモデルの範囲ももっともバランスのいいところまで拡張したし、証明も以前よりもすっきりとしたものに改良した。 ほとんど自明に近く見える。 ああ。思い切って、論文をまとめる決心をしてよかった。 世紀の区切りなどどうでもいいと思っていたが、たまには役に立つこともあるものだ、などと思う世紀末であった。
というわけで、今日の教訓;
自分の仕事とドラクエとはぜんぜんちがう!!(ゲームは他人の作品で、こっちは自力で汗水たらして開拓した世界なんだから当たり前か。)
あれよあれよという間に29日ではないか。
年賀状をほんの少しだけ書いた。 あとは、届いたもの(の真部分集合)に返事を書くことにしよう。
年末に直接会った人には「そろそろ年賀状やめよう」と話をつけたので、届く数は少なくなるであろう。 年賀状と暮れの大掃除は、それぞれ、森林資源の保護、および、風邪ひき防止のために、最小限に留めるべきだというのがぼくの考え。
あまり時間もないので、論文に戻ります。
さすがに 30 日ともなるとメールの量が少ない。 しかもたった二つの到着メールのうちの一つはロシアからの spam (安物の缶詰肉の商品名。転じて、宣伝の屑メールのことを言う。このように転じたのは、あの Monty Python のネタに関連しているという話もあり。)であった。 文字化けしてるし、もとより読めるわけもなし。 最近、中国とかロシアとかからの読解不能の(おそらく)宣伝メールが舞い込むようになったのは困りもの。
ぼくの方も、さすがに 30 日ともなると、仕事をしている暇がない。 (家のことをしたり家族と遊んだりしているわけだけれど。) ついに何ら物理に頭をつかわないで既に夜の11時半ではないか。 これから、中心になる補題の証明の残りをしあげるか。
というわけで、今日も短いです。お休みなさい。
おお。今日は日曜日か。 大学はお休みにしよう。
昨夜は証明の最後をどうまとめるか(どこまで「手を抜く」か)を迷ったまま床にはいった。 どうも不完全燃焼だったので、寝床の中で前に佐々さんに聞いた粉体の静力学の話をめいっぱい簡単にしたモデルの確率モデル and/or くりこみ群的解析というアイディアを検討するものの、まったく何処へもいかず。 そのまま眠ったのはいいが、「exact なくりこみ群ができるが、ややせこく、物理的な意味のわかりにくいモデル」についての不毛な夢を延々とみてしまった。 (目覚めてみると、技術的な部分は全部ウソだったみたい。) 初夢がこんなのでないことを祈ろう。
今日はフラストレートしないように、バックグラウンドで色々な課題を検討しよう。
というわけで、これから芋を裏ごしにします。