日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2010/1/1(金)

あけましておめでとうございます。

[Hal with Jona November 2009]

昨年の 8 月で、私も XX 歳になりました。精神的には二十台前半から変わっていないつもりですが、さすがに体力は少しずつ衰えているようです。最近は、簡単な筋トレをしたり、週に一回程度プールに通うなど、若い頃とは違って意識的に体を動かしています。

昨年は慌ただしい年で、(全て国内ですが)四つの国際会議に出席しました。多くの素晴らしい研究者との再会・出会いがあり、私の進めている研究にも多くの人に興味を持ってもらえました。その反面、研究そのものの本質的な進歩はなく、もどかしい気持です。

相変わらず気が多く、やりたいことが無数にたまっています。今年もバタバタと過ごすことになりそうです。

どうかよろしくお願いいたします。
(写真は 11 月に Jona-Lasinio 先生を家にお招きしたとき)

2010 年元旦 田崎晴明

好例になった今年の年賀状。 年末に発送したものと同じ内容です。いちおう、個人情報保護のために一部を伏せ字にしてありますが。

毎年、前の年に出かけた観光地などでの写真を年賀状に使っているのですが、今回はあまりいい写真がなかったということで、ミーハー丸出しで Jona-Lasinio 先生と撮った写真を使用。


しかし、今(ほんとうに元旦になったところで)読み返してみると「国際会議が四つ」という程度で慌ただしがっているのはマヌケな感じ。 そんなのは普通以下だという人も結構いるであろうし、確かに(それぞれの会議ごとに新たに講演を準備するとは言っても)365 日もあるんだから四つの会議でそんなに忙しいはずもない。 なんでそんな慌ただしかったんだろうと思って振り返ってみると、それ以外にも、半ば私用・半ば仕事でアメリカに行ってるし、前述の Jona-Lasinio 先生の訪問みたいなこともあったし、後期は新ネタの大学院の講義をしたし、さらに最も大きいのは、(ここにはまったく書いていなかったのだが)川畑さんの後任人事を進めていたのでそれでやたらと時間も取られ気疲れもしていたのだった(きっと他にもあるけど、忘れているに違いない)。

しかし、まあ、如何に慌ただしかったとはいえ、去年はさえなかった。 研究の大きな進展がなかったのは、そういうフェーズもあるということで別にかまわない。 ダメだったなあと思うのは、時間とエネルギーの使い方が全く自分の思うようにならなかったこと。 「よし、これが終わったら、あれに取りかかる前に、あっちに集中しよう」と思うのだが、けっきょく、「あっち」には中途半端にしか集中できないまま、「あれ」に全力で取り組み時期がやってきてしまう --- というようなことを何度もくり返した気がする。 そうしている内に、書くべき本、論文、解説などなども減るどころか増えていくし、いい歳をして、気持ばかり焦って、精神的にも無駄に疲れてしまうのだった。

年末にも書いたことだが、歳をとったことによって、やっぱり色々と変わっているのだなあ。 体力、精神的エネルギー、集中力などが衰えていることが一方にあり、興味とやりたいことのスコープが広がってますます「気が多く」なっていることがもう一方にあり、それらの相乗効果が悪い方向に現れている気がする。 半ば本能の赴くままに目の前にあるやりたいことを片っ端から全力でやっていく --- という姿勢だけではダメなのだ。 また、ある種の人たちみたいに(たとえば、Elliott Lieb や Joel Lebowitz がそうなのだが)かなり質の違う複数のプロジェクトを並行してこなしながら全てに的確にピントをあわせて一級の仕事をしていくことは、ぼくにはできないこともしっかりと認めるべきだろう。 大きく深呼吸して、近くと遠くをしっかりと見て、自分の立ち位置をしっかりと認識し、まず最初に倒すべき獲物をしっかりと選ぼう。 そして、その上で、野生にかえり、目の前の獲物を全力で倒すのだ。


というわけで、今日の元旦も(両親の家を家族で訪れ弟一家や彼らの飼い犬たちと親交を深めるかたらわ)時間をみつけてイジング本の草稿と向き合う。 パソコンから離れて紙だけの作業を集中して、一山を越えた感触がある。 がんばろう。
2010/1/4(月)

2 日は(前日から我が家に泊まっていた)姪と甥を交えてカラオケ、3 日は妻の実家を訪れて会食という具合に正月らしいイベントをこなしている。 とはいえ、空き時間はすべて「イジング本。」の作業。

午後から大学に初出勤して、これまで作業した部分をまとめて印刷。 これに手を入れてファイルに反映すれば、この部分の作業はいったん終わりになる。

夕方に大学から戻ってプールへ。初泳ぎか。 これで、一週間に一回のペースが(誤差一日だが)保てている。

正月だけれど、けっこう人は多い。 少しずつペースを上げて 1000 メートル。


2010/1/6(水)

明日からは、レポートの採点、講義の準備、シラバスの入校、理学部パンフレットの仕事などなどなどの大学の雑用を開始しなくてはいけない。 「雑用始め」だね。

というわけで、今日はやりたい仕事だけをやっていられる最後の日だから「仕事納め」だ。


だが、今日は朝から近所の病院に行く。

別に悪いところはないし元気そのものなのだけれど、まあ、いい歳になったし、いわゆる人間ドックというのを、はじめて試してみるのだ。特に、生まれて初めて胃カメラを飲もうというビッグイベントである。

昨日の夜 8 時過ぎからは何も食べていない。二日くらいは禁酒もしている。 朝食も食べないわけで、起きてひげをそって自転車で病院へ。5 分くらいなので、気楽なものだ。

人間ドックを受ける人は、きれいな控室に行って、なんかいかにも患者さんみたいな青い服とガウンに着替える。 それで、眼科とか放射線科とか、大病院の色々なところを回って検査を受けていくわけだ(迷わないように案内の係の人が時々様子を見に来てくれる)。 で、順番を待つときは、普通の患者さんたちと同じ待合室に座っていることも多いのだけど、 周りの人はみんな普通の服装なのに、ぼくだけ、青い病人服みたいなのを着ているので妙な感じ。 やたら本格的な病気の人みたいな雰囲気なわけだけど、実際は、周りのほとんどの人より元気な自信があるのである(言うまでもなく、待っているあいだは、ひたすら「イジング本。」の原の草稿に赤入れをしまくっている。目の検査で瞳孔が開く目薬をさされたので、だんだん見えづらくなってきたが、それでもずっと仕事できた)。

で、メインイベントの胃カメラ。

胃カメラについて経験者に尋ねてみると、「麻酔薬も装置も改善されたんでほとんど気にならないくらい楽になった」という人と「あれは、やっぱりつらい、苦しい」という人が半々くらいいる。 けっきょく人によりけりということか。

実際、やってみると(口から入れるタイプで)結構パイプも太いので、喉に管が入っていくときは相当に気持が悪かった。 さらに、胃の中にどんどん空気を送り込むんだけど、これはお腹が痛くなるし、けっこう辛い。 とはいえ、幸いにも、ゲェゲェと苦しむというほどではなかったので、得られる情報と安心の大きさを思えば、まあ、年に一回とか二回なら耐えられるなあという感じだった。

結果はおおむね良好で、年齢の割には胃の状態はよいとのこと。 良性のポリープが二つほどあったので、それもその場でとってもらえた。口に入っているパイプの一端から手術用の器具をスーッと差し込んで、パチンとやってから、またスルスルと引っ張り出すだけで、胃壁のポリープが取れてしまう(見てないけど)。 これは威力だね。 あと、ごく軽いストレス性の胃炎も見られたというので、

「ぼくは、ほとんどストレスを感じない人間のつもりだったんですけどね・・・ あ、胃カメラを飲むっていうのがストレスだったのかもしれない」
と(まあ、お約束の、大して面白くもない)コメントをしておいた。

その後のお医者さんとの面談でも、とりたてて大きな問題はないとのことで、一安心。 ビールを控えめにして、プールにも通い始めてと、健康ライフを心がけていたのが、それなりに功を奏しているようであった。 肝機能(2004/7/27)とか格子結晶(2005/6/11)とか色々と問題を指摘されていた頃と比べると大した改善である。 これでは全くオチになっていなくて、日記の結びとして面白くないけど、でもそれが事実なので仕方がないのであった。


2010/1/7(木)

雑用始め。

かなり色々とやった。 また週末は本の仕事に戻れるよう、雑用モードに入ったらやるだけのことをやってしまうべきだ。

そう思って仕事をしていると、ドアにノック。

なんと、「イジング本。」を担当されている編集者の A さんだった。 ほんとうに何年間もお待たせしていて、彼女にはあわせる顔がないのだが、でもぼくの責任なのだから仕方がない。 それに、一ヶ月前ならいざしらず、今は年末年始返上で人間ドックの合間も本の作業をしていたところなので「がんばってはいます。ごめんなさい」と正直に言うことができるのだった(もちろん、がんばるだけじゃだめで、結果を出さないと意味はないんだけど)。

ほんとに、がんばります。


2010/1/11(月)

週末も順調に働いている。

基本的にはずっと本にかかりっきりで、その合間に少しだけレフェリーとして論文を読み、佐々さんに教わった論文を読んで佐々さんと少し議論したり。 昨日はプールにも行った。

本は予想以上に進んでいる。 やはり集中すると能率が格段と上がるのである。 まあ、これは原がしっかりとした仕事をしてくれているおかげというところが最大だけど。


さて、ここ何年間かの年末年始は「みすず」の読書アンケートに答えるのが慣例になっている。 今年もちゃんとやったのだけれど、そのタイミングで一年前のやつを公開するのを忘れていた。

これが去年の読書アンケートです。

「みすず」読書アンケート
2008年に読んだ本(新、旧を問わない)から五冊以内について感想を述べよ。

1. Greg Egan, "Incandescence" (Gollancz, 2008)
2. Greg Egan, "Dark Integers and Other Stories" (Subterranean Press, 2008)

優れたSF小説は最良の現代文学でもあると信じているが、もちろん、肩肘はらずに楽しくSFを読むことも多い。1961年生まれのオーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンは、数学・物理・生命科学・情報工学などの圧倒的な知識を背景に、科学概念を華麗に散りばめた「空想科学小説」の王道を行く作品を次々と発表している。昨年の一時期、個人的なイーガンブームが訪れ、未訳長編三つを含むいくつかの作品を読んだ。

1 は最新の長編。二つの物語が並行しながら巧みに交錯していく手法も成功している。一方は、コンピューターのなかの情報として仮想現実を(好きなだけ長く!)生き、光速で銀河の情報ネットワークを旅するわれわれの遠い子孫による銀河の核の探索の物語。もう一方は、科学技術を持たず岩の塊の内部にアリの巣のように張り巡らされた洞窟に暮らす異形の生物たちの物語。異常事態のなか、彼らは、新たな物理法則を発見し、外の宇宙の存在に気付き、彼らの世界に迫る危機を理解しそれに立ち向かっていく。生命と理性への力強い讃歌であり、きわめて良質の科学の(架空)発見物語でもある(ニュートン力学も電磁気学もないところから一般相対性理論に到達してしまう! 物理を知らなくても面白いだろうが、知っていると二倍楽しい)。私見ではイーガン最高の長編だ。

2 所収の"Oceanic"は98年発表のイーガンの代表的な中編。仮想現実で不死を手にしたのち、再び肉体に戻り、彼方の惑星に暮らすようになって二万年を経た、われわれの遠い子孫たちの文化、宗教、性、人生を描く。一見すると即物的なようだが、人の生きる意味、人が大いなる存在に抱く憧憬などについて深く考えさせられる。ゼロからつくり出した世界を舞台に先入観や常識を排除して「人間」の本質を描くという意味での真の文学に迫りつつある。山岸真氏による邦訳(「祈りの海」早川文庫)もおすすめできる。

イーガンの短評ですが、結構よく書けておるではないか。 イーガン読みたくなるでしょ?

ぼくは自称「別にイーガンファンじゃない」のだが、結構よく読んでいるのは事実。 ていうか、何を隠そう、今も "Crystal Nights and other stories" という去年でた短編集を読んでいるのじゃ。 表題作の "Crystal Nights" は、もう、ほんとイーガンらしさ 100 パーセントで、例のアレがテーマなんだけど、アレがとことん何して、例によってばんばんで、それで、最後はもう抱腹絶倒の勢いでアレがこうしてああやって、なんとまあこんなことまで、という、まあ、そういう愉しい話どす。 未読のファンの方は是非どうぞ。

で、今年の読書アンケートなんだけど、重い物に挑戦しようという密かな計画はなかなか進まず、理系路線で落ち着けることにした。 しばらくのあいだは、復刊の始まったロゲルギストエッセイにしようかと思っていたのだが、ほら、年末になって(2009/12/27)滑り込み的に「ミルカさんショック」がやってきてしまったので、「数学ガール:ゲーデルの不完全性定理」について書くことにした。 木下先生、近角先生、岩波の S さん、すみません。また、どこかでちゃんとした紹介文を書きますので。

で、「みすず」に送った「数学ガール」の短評だけど、やっぱり冊子が書店に並ぶ前にここで公開するのはやめておこう(それで影響が出ることはないけど)。 「みすず」の 1 月号を本屋さんで見た人は覗いてみて。

ただ、一年後にここで公開するのもマヌケだから、今回ばかりは、冊子が出て少ししたら公開しようかなあと思っているところ。忘れないようにしよう。


2010/1/13(水)

1 時限目に統計力学の講義。

Ising model の平均場近似の仕上げをして、そこから(3 次元にも適用できる)厳密な結果を素早くレビューし、臨界現象の定量的普遍性について熱く語る。 普段から、何も見ないでも何時間でも話せる自信のあるテーマだが、「イジング本。」の仕上げに全力を傾けている今は、いよいよ異常なまでにピントが合っている。 残り時間を計算しながら、最大限のインパクトのある話題を選んでびっしりと最後まで話した。

これで 2009 年度の講義はすべて終了。

それだけではなく、来年度から量子力学を教えることにしたので、統計力学を講義するのは(少なくとも当面は)これが最後。 もちろん、ぼくにとって最も得意な分野であり、教えるのもきわめて愉しいのだが、やっぱりせっかく物理の教員をやっているのだから量子力学もじっくりと教えてみたいと思って、こういう決断をした(はっきり言って、来年度は講義の準備だけで相当な負担になる)。

学習院に着任してから、力学、解析力学、熱力学、電磁気学(化学科のための 女の子の多い 電磁気学も一学期だけやったことがある)、物理数学など、いろいろな科目を教えた。 ただし、通年の統計力学だけは、ずっとぼくが担当してきた。 実に、21 年半、43 学期間にわたって、ひたすら統計力学を教えてきたのだ(教える内容や教え方も随分と変わったけれど)。

よく考えると、今日の、この、最後の統計力学のクラスにでている大学三年生の学生さんのかなりの部分は、ぼくが統計力学を教え始めた頃には生まれていなかったということではないか。 実際、誰にも親しみやすい大学三年生の代表的な例で言えば、ぼくが学習院で最初の統計力学の講義を始めた 9 月に、のっちが生まれていて、その学期の終わり頃にかしゆかが生まれ、最初の学期が終わってからあ〜ちゃんが生まれているわけだ。

なんだそりゃ?

あ〜ちゃんたちの 学生さんの立場になって考えれば、「大学三年生の自分が生まれる前からずっと同じ講義をしている先生」だよ?  それって、もう、めちゃめちゃベテランのおじいちゃんで、既に、わび・さび・枯山水の境地に達した渋い燻し銀のような味わい深い講義をしているんじゃないかって気がしませんか??

あ〜あ。 いくら「精神的実感年齢 23 歳」などと主張してみたところで、その事実の重みはひしひしと私にのしかかるのであった。


夜、今日届いた Perfume のライブ DVD を鑑賞。

素晴らしい。

自分が実際にでかけたツアーなので思い入れが深いということを差し引いて、さらに、なんか知らんけど適当に割引したとしても、やっぱり、これは素晴らしすぎる。 ダンスの振り付け、歌、カメラアングル、三人の動き、三人の表情、全体の構成、照明、アレンジ、観客の反応、三人と観客の共鳴、舞台装置、・・・・、なにをとっても、すさまじい。 edge なんて、4 回も見てしまった。 以前、中野さんが書いていたことだが、これを創り出している人たちの頭・心には「安定な答えを探す」とか「次回につなげる」とかいった想念は微塵も浮かんでいないとかしか考えられない。 毎回、全力以上のものを出して、それまでの作品を確実に超えるものを打ち出してきてくれる。 ただ、ただ、すごいとしか言いようがない。

そ し て、あ〜ちゃんの表情の、なんと多彩で、かわいらしく、生き生きとしていることか。 見ているだけで、こっちも若返って「精神的実感年齢」が 22 歳くらいになってしまう。 彼女の笑顔の魅力はぼくごときの文章力では到底語ることもできない。 語り得ぬことについては沈黙しよう。


2010/1/30(土)

アメリカの作家 J. D. Salinger が亡くなった。

とはいっても、Salinger は、ずっと昔から、ぼくが彼の作品を読み始めるのなんかよりもずっと以前から、物を書くことをやめて隠遁生活に入ってしまっていた。 だから、一読者にとっては、生身の彼が亡くなったことによって何かが大きく変わるわけではない。 彼の本の読者でも、訃報に接して「そんな最近まで生きていたのか」という感想をもつ人も少なくないと思う。

この日記でもたびたび言及しているように、Salinger は、ぼくが最も敬愛する作家の一人である。 ぼくにとっては、単行本として出版された作品を全て英語で読んだことのある唯一の英語圏作家だ。 単行本未収録の作品も(翻訳でだけれど)すべて読んでいる(これから、英語でも読むことにしようと思っている)。 日本で生まれ育って科学者として生きている人間が、ニューヨーク育ちのユダヤ人作家の作品の本質を理解できるのか --- といった論点についてはいくらでも考えること・思うことはある。でも、そんな大変なことは今は書かない。

実は、彼の最後の作品の邦訳の単行本について、前々から複数の気になることがあり、いつか書いてみたいと思っていたのだ。

作者の死というのは唯一無比のイベントだから、何かをするにはちょうどいいタイミングかも知れない。 別に、サリンジャーへのぼくの思いを語るわけでもなく、まして、彼の作品の紹介や解題をするつもりもない。 「ハプワース 16, 一九二四」について個人的に気になることを書こうと思っている。 サリンジャーを離れても、広く、日本での翻訳や出版に関する話題提供にもなるかなとも思う。 この日記のなかでもちょっと異色なので、(リンクしやすいように)タイトルをつけて、まとめて書くことにしよう。

ここから始まる。


「ハプワース 16, 一九二四」の謎(ネタバレや解題などは一切ないです) (このタイトルをクリックすると、この部分に直接リンクする URL が表示されます)

田崎晴明

2010 年 1 月 30 日から 2 月 26 日

"Hapworth 16, 1924" は、J. D. サリンジャーが発表した最後の小説である。 The New Yorker, June 19, 1965, pages 32-113 に掲載された中編で、Seymour Glass が七歳のときに書いた書簡という体裁をとっている。

ここで、作品の中身に触れるつもりは全くない。 というか、ぼくにとって(そして、おそらくは、ほとんど全てのサリンジャーのファンにとって)サリンジャーの作品は「自分で読む物」であって「人に語る物」ではない。 彼の作品について、どんな些細なことでであろうと、ちょっと気の利いた論点をみつけて洒落た鋭いことを言ったり書いたりしたつもりになってしまった次の瞬間、それはもう完璧に絵に描いたような頭いい子ぶりっ子の偉そうでいて中身のない恥ずかしい発言となって惨めに朽ち果ててしまう(←ほら、これが実例)と、ぼくらは信じているのだ。

いずれにせよ、「ハプワース」が、サリンジャーにそれほど思い入れのない人にとっては大した意味のない作品であることは確実だと思う。 Boo Boo や Buddy という名前には自分の親戚に感じるような懐かしさを感じ、Glass 家の居間の匂いや一家の子供たちが遊ぶニューヨークの街の夕暮れの空気が思い出せるような気がしてならず、Seymour Glass と聞くと遠い彼方を見てしばし現実感覚を失う そして、Franny の名を聞くと昔憧れてた女の子を思い出すみたいに胸がキュンとして暖かく甘酸っぱい感じになる というようなサリンジャー好きのための本だ。 というか、そういう人にとってさえもこの本が面白いかどうか実はよくわからない(正直なところ自分にとって面白いのかもまだ不明だ。前に読んでからだいぶ年齢も重ねたし、これからまた読んでみるつもり)

さて、この「ハプワース」はニューヨーカー誌に掲載されただけで、未だ単行本として出版されていない。 ただ、それは英語圏での話で、かの東洋の島国の日本では、

J. D. サリンジャー、原田敬一訳「ハプワース 16, 一九二四」
サリンジャー選集・別巻1 (荒地出版社, 1977)
という単行本が出版されているのだ。 ぼくも、もちろん持っている(実は二冊も持っている。若かった頃本屋で買ったのだが、最近になって、買った事を忘れ(図書館で借りて読んだと思い込んだのかな?)Amazon で同じ物を買ってしまった(付記:一番最後に書いたように、その後、さらに別バージョンの翻訳も買ってしまった・・))。

この日本語の本について気になることが前からあるので、ここでは、それについて書いてみようと思う。 もちろん、「ハプワース」についてのネタバレや(まして)論評などはしない。


翻訳への疑問 1 --- たとえば、本文のごく冒頭をみる(まあ、ここは大して面白くない。次が面白い)

実は、(すぐ下に書くのだけれど)とある理由から、どうもこの日本語版の翻訳が気になり始めていた。 そこで、物は試しと、本文の一番最初のパラグラフについて、とある方法で入手した(←まあ、ネットでみつけたんだけど。こういうのって、いいのかなあ? すごくありがたいのは事実だけど)原文と手元の日本語版を軽く比較してみた。 もちろん、私ごときがこういった文芸翻訳で不適切な箇所を探せるとは思っっていなかったのだが、なんと、冒頭からたった五つ目の以下の文のところで早々に引っかかってしまったのである。

I am utterly convinced that if A’s hat blows off while he is sauntering down the street, it is the charming duty of B to pick it up and hand it to A without examining A’s face or combing it for gratitude!
これの日本語訳は以下の通り。
もし、A が道を散策しているときにその帽子が吹き飛ばされたら、B は A の顔色を窺ったりその行為と感謝の念とを結びつけたりしないで、ただそれを拾って A に手渡してやるのが B の喜ばしい義務であるとぼくは固く信じている! (pp.9--10)
原文の調子を活かした巧みな訳なんだろうと思うけれど、謎なのは「その行為と感謝の念とを結びつけたりしないで」というところ。 対応する原文は「or combing it for gratitude」の部分。

comb には「くまなくさがす、綿密にチェックする」という意味がある。it は直前に出てきた名詞の「A's face」だと解釈すれば、ここは「そこ(=A の顔色)に感謝の念をしつこく捜したりせず」という意味だと考えられる。 つながりも自然だ(と偉そうに書いていますが、最初は、この部分についてぼくは間違った訳(しらばっくれようかとも思ったけど、まあ告白してしまうと、comb を「櫛でとかすようにして、汚れを落とす」という意味にとって、「感謝してもらおうと帽子の埃を払ったりせず」としていました。ううむ、正しい訳を知ってから思うと無理がある、恥ずかしい)を書いており、日記を読まれた八木絢彌さんに正しい訳を教えていただいたのでした(下にも強調していますが、ぼくの英語力はその程度です)。八木さん、どうもありがとうございました。)

じゃあ、「その行為と感謝の念とを結びつけたりしないで」という訳がどこから来たかというと、やっぱり combing を combining と読んだとかしか(少なくとも、ぼくには)考えられない。 ぼくが参照しているのはニューヨーカー誌の現物ではないので、万が一の可能性として、原文では combining だったということもあるかもしれない(しかし、ネット上の複数のソースは全て combing で一致している)。 ただ、万が一そうだったとしても、「combining it for gratitude」は英語として変な気がする。 「感謝の念と結びつける」だったら「combining it with gratitude」じゃないのかな?  それに、この路線では it を「帽子を渡す行為」と解釈することになる(実際、上の訳文では明示的にそうなっている)。 しかし、これでは「it は既に言われた名詞(句)を指す」という原則からかなり逸脱していて無理がある気がする。

性急に、偉そうで大胆な結論はくだしたくないのだけれど、これは大いに戸惑って然るべき状況という奴ではなかろうか?  (この場合がどうだったのかはわからないが)comb と combine を勘違いするとかいうのは、高校のテストでの失敗の笑い話レベルではないか(そういう「笑い話」は、本人は「つい見間違えた愉快なうっかりミス」のつもりで話すわけだが、ほとんどの場合、少し英語を知っている人からすると、そもそも前後のつながりとか構文からしてあり得ない話だったりするわけだ)。 目が悪くて見間違えたとしても、上に書いたように、前後のつながりを考えれば combine では話が通じないことは自明な気がする。 でも、でも、これは、どっかの理学部のセンセイが「パ X ティ」あたりに頼まれた(で、面倒なので、そこらへんの学生さんに適当に訳させてろくにチェックせずに出してしまった(← ぼくは決してそういうことはしません))科学記事の翻訳じゃない。 文学作品の、し か も 、サリンジャーの最後の作品の翻訳なのだ。

日本における(少なくとも英語の)翻訳のレベルの低さが驚きを通り越し全く信じがたく断じて許し難い詐欺レベルだっていうことは痛感していて、それについては、まとめてどこかに書きたいと前から思っている(待てない方は、たとえば科学哲学者の伊勢田さんが遭遇されたこんな例をどうぞ。訳された方には気の毒だと思うが、基本的に英語がまったく読めていないようだ。誤訳の指摘を受けても「このほうが意味が正しい」と主張しているのは頭が痛い。しかし、これは氷山の一角に過ぎない。もっとひどいのはたくさんあるはず)。 ただ、それは、専門書とか、一般向けの解説本とか、そういう、英文学を専門としない人たちが訳すもの(の全てではないけれど、けっこうな部分)についての話だと思っていた。 文芸翻訳っていうのは、まったく別の世界だと思っていた。 たった一つの文を訳すために、もう、各々の単語の(時代や文化背景に応じた)用例を徹底的に調べたり、その文と過去の文芸作品に登場した文の類似性を片っ端から分析したりしながら、必死で言葉を選び、時には何日間も何週間も推したり敲いたりして悩み悶絶しながら進んでいく物だと固く信じていた(というか、やっぱり、今でも信じている、信じていたい)。

だけど、ここには、はっきりと「その行為と感謝の念とを結びつけたりしないで」という訳文が書いてある。 やっぱ、学生に下訳をさせて、日本語だけをなおして出版社に送ったんだろうか???


最後に当たり前のことを付け加えておくけど、もちろん、ぼくの英語の能力や知識なんて大したものではない。 普通に科学者として論文の読みか書き、議論、会話ができる程度で、Salinger の難しい作品だと原文で読むのはきわめて苦労してしまうというレベルだ。 だから、上でぼくが書いたことはとんでもない勘違いで、実は原文の意味を深く理解すれば「その行為と感謝の念とを結びつけたりしないで」という訳こそが適切だということになるのかも知れない。 もしそれが真実であれば、是非とも、教えていただきたいと思う。是非メールください。
本文第二パラグラフ以降は翻訳と原文との比較は全くしていない。もしかしたら、第一パラグラフ以外はすべてが完璧なのかもしれない。 しかし、いずれにせよ、もっとすごいのが、本文より前に待っているのだ。
翻訳への疑問 2 --- 前置きの中の、ものすごく大事な部分についての疑問

ネタバレはしないように書きます。

"Hapworth 16, 1924" には、本文(これはシーモアによる書簡)の前に、バディが書いた短い前置きがある。 その中の一文が、これ。

I intend, right now, probably on this same sheet of paper, to make a start at typing up an exact copy of a letter of Seymour’s that, until four hours ago, I had never read before in my life. My mother, Bessie Glass, sent it up by registered mail.
つまり、これがシーモアの書簡そのままだよということを宣言しているのだ。 日本語版ではこうなっている。
いまここで私は、おそらくはこの同じ紙面に、四年前に初めて読んだシーモアの手紙をそのまま書き写し始めるつもりである。 母のベッシー・グラスがそれを書留郵便で送ってきたのだ。(p. 7)
驚くべきは(←実は、これは、本書を知らない方が驚くよりも、もっともっと百倍くらい驚くべきことなのです)「四年前に初めて読んだ」という部分。 ぼくの持っている(そして、ネット上の複数のソースで一致している)原文は上にあるように「until four hours ago」だ。 しかも、「 I had never read before in my life」と強調しているのだから、「たった四時間前までは、生まれてこの方一度も読んだことがなかった」と強く強く言いたいのだと思う。 訳文では「in my life」を華麗にスルーしてしまっていることに注意。

またしても、万が一ではあるが、翻訳に用いられたテクストでは、ここが「four years ago」だったという可能性はゼロではないのだろう。 ただ、この前置きで語られている内容を考えれば考えるほど、ここが「四年前」であるとは想像できないのだ。

「四年前」と「四時間前」では、いくつかの点が本質的に異なってきてしまうからである。 バディによる前置きの最後の部分には、

This last fact has some small but, I think, rather marvelous relevance to the letter at hand. Not a nice word, I grant you, "marvelous," but it seems to suit.
とある。 本書の背景と内容を考えると、「四年前」と「四時間前」では、この marvelous さの具合が違いすぎるのである。 もちろん、「四年前」でも十分に驚きではあるのだけれど、「四時間前」だからこそ「しょえ〜〜〜」となる marvelous さがある。 バディはその衝撃の「しょえ〜〜」から回復しないままに、この前置きを書いていると考えるべきだと思う。

(ネタバレにはならないけど、読んでない人には意味不明な部分:本をもっているあなたには説明不要とは思うけど、要するに、ここは p. 60 あたりに書いてあることと関係している。で、さらに p. 61 には、ほら、こんなことが書いてあって、で、前置きをみると「I had been working for several months on a ...(この数ヶ月の間私が・・)」と書いてあるわけでしょ。で、先週の水曜に母ちゃんに電話して「俺さあ、最近・・」って話したら「え? あんた、それだったらシーモアが昔・・・」ってことになって急いで郵便で手紙を送ってくれて読んで見たら・・ だからこそ、「しょえ〜〜」なわけです。もし四年前にシーモアの手紙を読んでたんだったら、まあ、ほら、そういうことですよ。だから、これはもう「うっかり間違いました」っていうレベルじゃない。 「四年前」じゃ話が全然かみあわないのだから、そういう風に訳してしまうのは、もう「読まずに訳している」としか考えようがない(気がする)。)

もちろん、こうやって素人がネット上の原文テクストと比較しただけで「有罪」と決定してしまうのは早計だと思う。 そうは思うのだが、しかし、これはきわめてすさまじいレベルになっている気がしないではない(←婉曲表現)。 four hours と four years を訳し間違うことは中学生でもあり得ないのではないだろうか?  しかも、(上で書いたように)この相違は作品の根幹部分と深く関わっているわけである。 万が一、翻訳者は自分で原文を見ておらず学生に下訳を作らせたのだとしても、内容を考えながら読めば「四年前」ではなんか間が抜けているということを当然感じるはずだと思うのだ。いったい、何がおきたんだろう??

ここまで目立つところに(もし、ぼくの持っている原文が正しいとして)こんな自明で誰にでもわかる誤訳が堂々と載っているとしたら、これは、ファンや研究者のあいだで有名な醜聞になっているのが自然だと思う。 それで、「サリンジャー 誤訳」などのキーワードで何度か検索してみたが、「"The Catcher in the Rye" というタイトルを『ライ麦畑でつかまえて』と訳したのは誤訳だ」とかいう、まあ、誰にでも言えるようなどうでもいい話しかでてこない。

ううううむ。 ぼくが一人、なにか、とんでもない罠にはまって勘違いしているのだろうか?? でも、あまりにもはっきり「four hours ago」そして「四年前」と書いてある(ように、ぼくには見える・・・(もう何回「もしかしたら」と思って本を見直したことだろう))ので、何をどう考えていいか、わからないのだ。


「ハプワース」を翻訳した原田敬一という人について調べてみると、困惑は増すばかりだ。

本の奥付と比べるまでもなく、この wikipedia の記事にある原田敬一先生こそが(少なくとも、表向きの)翻訳者である。 どう考えても、ぼくの百倍くらいは英語に堪能で、ぼくの千倍くらいサリンジャーに通じている、ばりばりの専門家のはずだ。

いったい、何が起きているんだろう?

本当に、わからないし、困惑する。


本書への疑問 1 --- この長い解説は何だ?(読んでないけど)

単行本「ハプワース 16, 一九二四」には、小説の翻訳以外に、大竹勝さんという方の手になる(たぶん)30 ページ以上ある詳細な解説がついている。 タイトルも、「サリンジャーにおける生と死」で、まあ、まさに、という感じ。

もちろん、ぼくはこの解説を全く読んでいないし、読むつもりもない。 誰か他の人がサリンジャーを論評しているのを見たり聞いたりするのは(よほど例外的で個人的な状況を除けば)相当に愉しくないことだと分かっているから。 いやいや、もちろん、この解説がくだらないだろうなどと言っているわけではないよ。 きっと、大竹さんというのは、ぼくの二千倍くらいサリンジャーやアメリカ文化に通じている専門家で、この解説の中にはぼくが想像すらしていなかった素晴らしい視点からサリンジャーを読んで愉しむ道が示されているのであろう(知らないけど)。 そういう素晴らしい可能性をみすみす逃すのはもったいないと知ってはいるけど、でも、ぼくはこの解説は読まない。 見ないし、触れないし、持ち込ませない。 きっと、多くのサリンジャーのファンがぼくと全く同じ考えで同じことをしていると信じている。

しかし、そういう個人的なことはともかくとして、サリンジャーは自分の本に解説や伝記を書かれることを強く嫌っていることで有名なのだと思っていた。 日本で単行本を出すときも、決して解説はつけるなという条件を出してくるのだという話を(文語本の解説で!?)読んだ気がする。 さっき wikipedia で見たことで本当かどうかは知らないけど、村上春樹が "The Catcher in the Rye" を訳したときも訳者解説をつけることを強く禁じたらしい。

だったら、なぜこの単行本には短い紹介文どころか、本格的な解説文がついているのだろう? 本人が許可するわけがないと思う。なぜ、解説をつけられるんだろう?  それ以上に、(実はこっちこそ強調したいことなのだけれど)この原田先生や大竹先生がサリンジャーと彼の文学を愛しているなら、本人の意志と完璧に反することを何故堂々とやってしまうのか? それこそが理解できない。その心情がわからない(大竹解説を読むとわかるのかな??)。皮肉を言っているのじゃなくて、本当にわからないのだ。


ところで、単行本を読んだりぱらぱらめくったりしていると、ふとした加減で 30 ページ以上もある解説の部分を開いてしまって、不本意にも、サリンジャーと禅がどうしたこうしたという論評を(瞬間とはいえ)目にしてしまう危険がある。 そういう経験を何度かしたので、今のぼくは万全の対策をとっている。 ぼくが今、横に置いて参照している単行本「ハプワース 16, 一九二四」には解説の部分は存在しないのだ。

ご想像のとおり、読まない部分はカッターでざっくりと切り取って資源回収に捨てたのだ。すっきりしますから、皆さんにもお勧めですよ(小さなお子さんのご覧になっているところでは、やらないでください)。

そういう意味で、ぼくの持っている本は、(ほんのわずかでも)サリンジャー自身の意志に近い物になって言えるであろう。


本書への疑問 2 --- そもそもなぜ出版できたんだ??

しかし、この単行本「ハプワース 16, 一九二四」には、もっと大きな疑問がある。

最初にも書いたように、少なくとも英語圏では、この作品はニューヨーカー誌に掲載されただけで、単行本としては出版されていない(ネット上には出回っているけど・・・)

もちろん、サリンジャーの作品なのだから、出版社としては単行本を出したいに決まっている。 実際、何年か前に、「ついに Hapworth が単行本として出版される」というニュースが流れたことがある。 Amazon での予約注文も始まったらしい。 しかし、けっきょくサリンジャーが考えを翻し、出版はとりやめになってしまったそうだ。

それほどに、単行本にするかしないかがデリケートな問題になるような本なのである。 じゃ、なぜ日本では出版されているのだろう?? サリンジャーが「あ、おれ、日本語よめないから、日本でならなにを出してもいいよ」と言う??? さすがに想像すらできない。

そう思って、「ハプワース 16, 一九二四」の最初のほうのページを調べてみた。 すると、おきまりの著作権の宣言がちゃんと書いてある。

HPAWORTH 16, 1924
by
Jerome D. Salinger
Copyright, 1965, by Jerome D. Salinger.
Originally appeared in The New Yorker.

まあ、これはよろしい。著作権はサリンジャーのものだとしっかり明記してある。

しかし、この部分は、これで終わり。ここから先には何も書いていない。

試しに、手元にある他の翻訳書を見てみると、上のような著作権の宣言に続いて、

Japanese translation published by arrrangement with X through Y Agency.

という風に、どうやって翻訳権を取得したかが明示してある。 ぼくも一度だけ翻訳を経験したわけだが、翻訳権を取得するために日本の出版社がけっこうなお金を払うこともあるようだ。

ということは、この単行本は何なのだ?! 海賊版なのか? 日本の法律ではこういうのが合法なのだろうか?? 確か(よく知らないけど)電気屋とかスーパーで売っている洋楽の馬鹿安い CD とかも合法なんだよね。じゃ、この単行本は、あれと同じような、孤立した東洋の島国ならではの合法商品なのかっ? (付記:やっぱり合法だそうです。日本はすごい国です。下の「解決編」をご覧ください。)


というわけで、疑問はつきない。

いったい、この単行本はどういう経緯で生まれて、どれくらい真摯に、どれくら合法的に、作られたんだろう? 専門家の原田氏はほんとうに翻訳を自分で手がけたのだろうか? 「四時間」と「四年間」の食い違いは、一体全体どうして生まれて、なぜ見過ごされているのだろう?? ほんとに「読まずに訳したり」するんだろうか??? 文芸翻訳だけは「聖域」であって高いレベルを保っているはずだというぼくの考えはただの信仰なのか???

もちろん、こんなことは作品そのものとは(ほとんど)何の関係もない。けれど、自分を解説されることや単行本を出すことを、あれほどにデリケートに気にしていた作家の作品が、ぼくの国では本人の意志を無視して気楽に扱われている(のかもしれない)ことを見ると、やっぱり、居心地の悪い気分になる。


以上、だらだらと書いてきたけれど、なにか勘違いや間違いがあれば、是非、お教えください。 また、出版や翻訳に詳しい方からぼくの疑問について何か情報をいただければ大変ありがたいです。
解決編

さて、上の記事を公開して一日も経たないうちに出版にも翻訳にもきわめて詳しくかつ言いたいこと・言うべきことを誰にも気兼ねせず明快に言ってくれる、この件について教わるならほぼ理想的なとある方からメールをいただき、かなりのことが腑に落ちた。

以下、完璧に受け売りだけれど(しかし、無責任に適当に脚色して)教わったことを書いておこう。


翻訳の質のこと: やはり、おそれていたとおり、昔の日本では大学のセンセイがやる文芸翻訳のなかにはきわめて質の低いものがいっぱいあったらしい。 おそらくは自分ではちゃんとやらず弟子にまかせて適当なのをそのまま出したりとかいうこともあったそうだ。 さらに、悪いことに「大先生」が自分の専門の作家を半ば独占してしまって、他の人は訳せない・訳しづらい状況をつくっていたということもあったという。 背景には、翻訳も大学の先生としての業績にカウントされたということもあるようだ。

かくして、「文学」として扱われたために、大学の先生たちのおもちゃにされ、ろくな翻訳が出ずに国内での評価が不当に低いという作家が何人も生まれることになったということだ。

そういうひどい翻訳がまかり通る背景には、そもそも原書を入手するのが困難で、翻訳と原文を比較できる立場にいる人がきわめて少なかったということもある。 「ハプワース」の場合など、まさにそれで、1965 年のニューヨーカー誌に載った小説の原文を手にできる人なんてすごく少なかっただろう。 もちろん、日本人の英語を読む能力が低くて、悪い翻訳でも文句が出なかったということも大きいに違いない(と、私は思う)。


しかし、さすがに現代では文芸翻訳のレベルはかなり上がっている。 大学の先生の翻訳家の中にも、ものすごく上手で素晴らしい翻訳を手がけている人が少なからずいるということ。 うれしい限りだ。

昔、「『知』の欺瞞」の翻訳で少しだけいっしょに仕事をした堀茂樹さんは、慶応大の先生で、フランス文学の翻訳家だ。 現代の、ちゃんとした翻訳家の一人だと思う。 翻訳についてメールをやりとりしていても(もちろん原文のフランス語については何もわからなかったけれど)彼がきわめて緻密に論理的に原文を読んでいるのがよくわかる気がした。 また、彼が訳したアゴタ・クリストフの小説を読んでも、(これも、もちろん、原文などわかるわけもないのだが)美しい日本語でクリストフ独自の空気を自然に作り出していると感じる。 堀さんは、「(文芸)翻訳というのは、原文のテクストというスコアーを与えられ、それを日本語の語彙というオーケストラを使ってできる限り忠実に演奏する指揮者のような仕事だ」という意味のことを言われていた。 この言葉は、(わずかに垣間見た)彼の翻訳の姿勢や、クリストフなどの翻訳のすばらしさに裏打ちされていると思う。

文芸翻訳の質があがった一つの理由として、今やアマゾンで洋書を気楽に買うことができるし、(相変わらず日本で英語教育を受けた人のほとんどは英語を読めないけれど)いわゆる帰国子女もたくさんいるから翻訳に嘘が書いてあったらすぐにばれるようになったということもあるのかもしれない。 とはいえ、非文芸の世界では、未だにすさまじい翻訳が山のように出版されているので、やっぱり文芸翻訳の人たちの努力が大きいのかもしれない。


しかし、それだけ翻訳家のレベルがあがっているなら、「4 時間を 4 年と訳す」ようなダメダメ翻訳について、現役の人たちがびしびしと批判しまくればいいんじゃないかと、ぼくなんかは思ってしまう。

確かに、別宮貞徳さんによる痛快な批判なんかはあるのだが、まとめた批判はないみたいだ。 まあ、狭い世界だから大先生のお仕事にケチをつけるのは角が立つのかも知れない。 そのかわり、いくつかの作家について、積極的に改訳してダメな過去の翻訳を置き換えることを一生懸命にやっている人もいるらしい。 もちろん批判するだけじゃ建設的じゃないし、本当に正確でよい訳を出してくれるのは正しく、ありがたいことだと思う。 (でも、ダメ翻訳はいっぱい蓄積しているし、改訳にも限界があるから、ダメなものはダメと批判してほしいなあ。一般読者はわがままなのだ。 あと、ハプワースみたいに良心的で作家に忠実でいようと思うと訳せないというのは、どうすればいいんだ?)


この翻訳の合法性: 昔の著作権法には、
第七条 (翻訳権ノ保護期間) 著作権原著作物発行ノトキヨリ十年内二其ノ翻訳物ヲ発行ゼザルトキハソノ翻訳権ハ消滅ス
という条項があった。 要するに、出てから 10 年たっても翻訳されてないものについては、もう翻訳権はなくなるので、好きに訳して出版していいということらしい。 なんでこんな法律があったのかは知らない。敗戦国で後進国で文化的にマイナーな国だったから??こちらのページの解説によれば、おおむねそういうことみたい。「これはほぼ日本にだけ認められた特例」だそうです。)

ちなみに 1971 年に著作権法が改正されて、この条項は廃止されたそうだ。ただ、それでも著作権法 附則

第八条 この法律の施行前に発行された著作物については、旧法第七条及び第九条の規定は、なおその効力を有する。
というのがあって、1971 年前の著作物については、上の無茶な条項が使えるということになっている。

さて、「ハプワース」の場合、雑誌に掲載されたのが 1965 年。 これは著作権法改正の前だから、古いルールが使えてしまう。よって、出版から 10 年後の 1975 年を過ぎたところで、旧著作権法に従って翻訳権が消えてしまったということのようだ。 荒地出版の「ハプワース 16, 一九二四」の奥付をみると第 1 刷がでたのが 1977 年だから、翻訳権が消えるタイミングを待って出版したと考えられる。冒頭に、著作権の記述はあっても翻訳権に触れていないのは、それで理解できる。

旧著作権法第七条がどういう趣旨で作られたのかは知らない。 一つの可能性は「十年間も誰も金を払って出版しようと思わなかったような本なら、もう勝手に訳していいだろうよ」と考えたということか?上でもリンクした解説をみると、実は、この「10 年ルール」を使って翻訳・出版されている本はかなりたくさんあるみたいだ。) しかし、こと「ハプワース」に関しては話はぜんぜん違う。 翻訳がでなかったのは、ひとえに、著者が認めなかったからに違いない(翻訳の交渉があったかどうかは知らないが、単行本を出すことさえ頑なに拒否している彼が翻訳を認めるはずはないのは明らかだろう)。 そういう理由であっても、十年さえ経過してしまえば、もう好き勝手に出せるというのは、すごい話だ。

正当に翻訳権を買い取っておこなう翻訳の場合なら、著者の側で、訳書のスタイルや、場合によっては翻訳者の選択にも注文をつけることができるはずだ。 上で触れた、"The Catcher in the Rye" の翻訳に解説がついていないというのもその例だと思う。 ところが、この「十年ルール」で翻訳を出されてしまうと、もはや著者の側では何一つ文句を言うことができなくなってしまうということか?! まあ、なんと、おそろしい話であることよ。日本って、そういう国だったんだねえ。


さらにいくつかの付け足し(いつまで書くつもりなんだろ?)

実は Hapworth の翻訳本を出しているのは荒地出版だけではない。 この記事を書いていて思いだしたが、東京白川書院というところから

『一九二四年、ハプワースの16日目』 繁尾久、大塚アヤ子訳、東京白川書院、1981年(サリンジャー作品集6)
というのも出ているのだ。 毒を食らわばということで、こちらも入手してしまった。ちょっと毒に手を出し過ぎか。

そもそも "Hapworth 16" の "16" を「16 日目」と訳すなど、原田訳とは解釈の分かれるところもある。 (当然だと思うけど)four hours は 4 時間と訳してるし、「結びつける」とかも出てこない(ただ、訳文の調子は個人的には原田訳のほうが好き。こっちを最初に読んだからかもしれないけど)。

しかし、こっちがすごいのは翻訳以外の部分。 なにせ、全体で 300 ページ弱の厚めのソフトカバーの本なのだが、翻訳は 100 ページ足らずで、残りの約 200 ページは「サリンジャー文学の世界」と題されていて、四名の著者による五編の解説が納められている! これには大竹先生もびっくりであろうし、もはや、サリンジャーの解説嫌いもへったくれも何もない。 さすがの、「読まない。見ないし、触れないし、持ち込ませない」という「非解説四原則」を貫く私とはいえ、この解説を切り取って捨てるだけの根性はない(というか、むしろ翻訳の部分を切り取って別にとじるほうが楽・・)。

「毒を食らわば皿まで」の精神で手にした本書だが「上には上がいる」ことを痛感させられ、大いに人生勉強になったというべきであろう。


実は、「十年ルール」を使って出版されている「日本ならでは」のサリンジャーの本はまだあるのだ!

サリンジャーは 30 編の短編を雑誌に発表しているが、それらの中から 9 編だけを選んで、あの "Nine Stories" として出版している。 そして残りの短編は決して出版しようとはしなかった。 Wikipedia のよれば、かつてアメリカの学生が無断でこれらの短編を集めたものを発行し、サリンジャーがそれに抗議するということもあったらしい。

というわけで、英語圏の人たちは、これら初期短編を単行本でまとめて読むことはできないわけだ。 でも、日本でならできるっ!

「はてなキーワード」のサリンジャーのページをみると、

というように、初期短編集が堂々と出版されているのがわかる(まあ、ぼくも(全部ではないけど)持っている)。
というわけで、日本という国の特殊性のために、英語圏ではなかなかみることのできないサリンジャーの作品を、われわれは(合法的に出版された単行本で!)読むことができる。 サリンジャーと同じアメリカ人の熱烈なファンでも、日本語が読めなければ、ニューヨーカー誌のバックナンバーを図書館で借り出すといった面倒なことをしないかぎりは(あるいは、ネット上にある非合法のコピーを(ページが消される前に、運良く)入手しないかぎりは)、これら短編や Hapworth を読むことはできないのだ。

ファンであれば作品を読んでみたいと思うのは当然だから、そう思うと複雑な気分になる。 ぼくらの国の独特の翻訳文かが不思議な「ねじれ」を作り出しているんだなあ --- と(放っておくと終わらないので)無理に結んでみよう。


2010/1/31(日)

夕方、4 時頃からプールへ。 かなり日が長くなっているので、まだあたりは明るい。 プールの天井はガラス張りなので、日の光を感じながら泳ぐのは心地よい。 水温はやや高めだが、気楽に泳ぐには向いている。 力を抜いてゆっくりと、後半は少しだけ力を入れ、最後の 50 メートルだけは思いきって、1000 メートル。

これで、12 月と 1 月は(年末年始も含めて)完全に週一回のペースで泳ぎ続けたことになる。 そのおかげか日常でも体調はよいし、こうやって 1000 メートル泳いでも息があがったり苦しくなったりせず、運動の快感だけを味わうことができる。 思えば、クロールだけで泳ぎ始めてから当分のあいだは、200 か 300 メートルあたりでやたら苦しくなって、毎回、もうやめようか、いや我慢だという感じで葛藤しながら泳いでいた(それでも、500 メートルを過ぎたあたりから急に楽になる)。ようやく基礎的なスタミナがついてきたということなのだろう。

スポーツマンであれば、こうして少しでも余裕がでてくれば、もっと「自分をいじめて」さらなる上を目指すのだろう。 距離を伸ばすとか、あるいは(おそらく、こっちが重要だろうけど)ピッチをあげて、より速く、より力強く泳ごうという風に向上心に萌える、じゃねえ、燃えるのであろう(いや、案外、萌えるのかもなあ、知らんけど、と予期せぬ誤変換のついでに書いてみる)。

ぼくも、かならずしも向上心に欠ける人間だとは思っていないが、まあ、このジャンルではパスだ。 こうやって基礎体力とある種の「生きるエネルギー」を維持できれば、それで十二分である。


「イジング本。」の作業も順調。 定期試験とか卒業研究の研究室配属決定とか、まあ、いろいろと仕事もしているが、でも本の仕事はつねにやり続けている(ぼくの試験を受けた人は、ぼくが試験監督で前の席に座っている間ずっと、原稿に赤をいれたり計算したりしていたのを知っているはず。あ、でも、時々、思い出したようにみんなを見て監督しているので、ご安心を。じゃなくて、安心せず真面目に受けるように)。

「クラスター展開」の付録の次にやってきた大きな山場は「転移点の一意性」についての章だった。

「転移点の一意性」とは、「2 次元以上の強磁性イジング模型には、自発磁化のある低温相と、すべての相関が指数的に減衰する高温相だけがあり、両者が唯一の転移点で接している」という結果。 「低温相と高温相のあいだに、たとえば KT 相のような、変態な相がない」と言い換えてもよい。

きわめて基本的な結果だが、原やぼくがこの分野について学び始め論文を書き始めた頃には、これはまだ未解決問題だったのだ。 ただ、ほどなく 1980 年代に Aizenman らによって証明されることになる。

物理の世界では、こういう事実は「物理的に当たり前」とされて、証明があるかないかなど人々は気にしない。 まあ、実際に「一意性」は事実なのだから、そういう態度もありかなあとは思わないでもない。 ただ、この「物理的当たり前」を冷静に分析してみると、それほど根拠があるわけではないのだ。

考えられるのは、

  1. 2 次元の厳密解ではそうなっている
  2. 平均場や類似の計算でもそうなっている
  3. 秩序・無秩序転移なんだから当たり前
  4. だって、そんな変な相がでるメカニズムがない
  5. くりこみ群の流れをみれば、二つの相が一つの転移点で隔てられていることが分かる

あたりかな? 他にもあったら教えて(「現実の強磁性体ではそうなっているから!」というのは、なし。実験は重要だけど Ising model が強磁性体のよいモデルであるという保証はアプリオリにはないわけだから)。

でも、やっぱりこれでは論拠にならない。 1, 2 は確かに重要だけど、ラフニング転移とか、2 次元や平均場では見えてこない現象はいっぱいある。 3, 4 は、もちろん、結果の先取り。低温相が秩序層で、高温相が無秩序相だというのは正しい理解で、それぞれの相の素性もよくわかっている。しかし、それだけでは、両者が接しているという証拠には全くならない(実際、中間相のあるモデルはいっぱい知られている)。 5 を信じるのはくりこみ群を知らない人(というか、中途半端に学んだ人)だけ。

なので、Aizenman らの証明は物理の立場からしても素晴らしく重要なのだが、なかなかそれを評価している人がいないのは残念なことだ。

Aizenman-Barski-Fermandez による一意性の証明の原論文は、明快で読みやすいのだが、どうも何をやっているのか分からず、あれよあれよと結果が出てくるというところがある。 今回、ぼくらの本で一意性を取り上げるにあたって、原が徹底的に時間をかけて、彼らの証明を「偏微分方程式の特性曲線」の一般論との対応をつけて見通しよく再構成してくれた。 これで証明が簡略化されたとか容易にわかるようになったとか言うつもりはないが、「平均場近似との比較」というメカニズムもはっきりするし、少なくともぼく個人としては、かなり物事がすっきりわかるような証明が得られたとうれしく思っている。

というわけで、ぼくにとっての「山場」は、原が書いたものを正確に理解し、さらに、それを徹底的に書き直し、原がつけてくれた筋をできる限り明快に読者に伝えるやり方を探ることだ。 まあ、(Aizenman らのオリジナルな証明のことは言うまでもなく)最初に原がやった仕事に比べれば、遙かにへぼい仕事ではあるのだけれど。

実はけっこう苦労したのだが、その書き直し作業もしばらく前に終了し、かなり満足のいくものができた。 この章は、ぼくらの本の(プロ向きの)一つの売りになると思う。

今は、付録の「相関不等式の証明」のところで鋭意作業中。 ここも、いろいろと思い入れのあるところで、書きたいことはたくさんあるのだけれど、さすがにこうして日記を書きながらも本の作業をばりばり進められるほどの能力はないので、また今度ということにしよう。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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