日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

一覧へ
最新の雑感へ
タイトル付きのリスト
リンクのはり方

前の月へ  / 次の月へ

茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2011/3/8(火)

今週くらいから少し余裕が出るはずだったのだが、どうもそうならないみたいだ。困った。

Jordan の訪問のことなど、書きたいことはいっぱいあるけど、まずは、このあいだ(2/27)書いてしまった行きがかり上、「京大入試問題漏洩事件」のことを少し。 もう、ほとんど誰かが言っているようなことだし、すごく凡庸なことしか書けないのだけど、一応ぼくの意見をまとめて書いておく(書きかけているうちに、どんどん日が経ってしまった)。


まず、マスコミはひどい。

もちろん、ぼくも事件の詳細は知りたいと思っていた。

ただし、興味があったのは(というか必要だと思っていたのは)、どうやって問題を掲示板に書き込んだのかとか、寄せられた回答をどうやって見て答案に反映させたのかといった「技術的な」情報である。 言うまでもなく、大学入試を実施する側にいる者として、何がおこなわれたか、入試会場で何が可能なのかには大いに関心をもっているからだ。 あるいは、もっと気楽に考えても、大学入試という身近な場面で前例のない出来事がおきたのだから、それを詳しく知りたいという素直な好奇心もある。 実際、日本には大学入試を経験したことのある人がかなり多いわけで、同じような好奇心をもっていた人は少なくないだろう。

というわけで、そういう情報についての報道は歓迎する。 しかし、あまり詳しくは見ていないが、マスコミはこの「予備校生」の個人的な情報までをだだ漏れに流したようだ。 いつものことなのかも知れないし、ここで深入りする気はないけど、(多くの人と同様)こういう報道姿勢はすさまじく下劣で頭がおかしいとしか思えない。 「京大を志望していた受験エリートの凋落」がそんなにも楽しいのだろうか?  ここで書いても仕方がないので、こういうのにどう文句を言えばいいのか(そして、改善していけるのか)、新聞関係の人に会ったら真面目に話してみよう。


一方、京大がこの件を「警察沙汰」にしたことについては、まったく正当だと考えている。

警察が入る前の状況は、たとえばぼくの前回の日記(2/27)みたいな感じだったわけで、そもそもどういう人あるいは団体がどういう目的でやったことか皆目わからなかった。 試験での不正が目的なのか、何らかの「愉快犯」なのか、手の凝った嫌がらせなのか、それとも、大学入試体制の脆弱さを露呈するためのデモンストレーションなのかなど、いろいろな可能性があったと思う(「同一のハンドルネームで同じ携帯電話から投稿しているから、個人の稚拙な不正行為だったことは明らかだと私は最初から言っていた」といった類の議論に意味はない)

後でも触れるが、大学入試をできる限り公平かつ公正に実施することは、大学のきわめて重要な義務だ。 それが前例をみない脅威にさらされたわけだから、大学としては全力を尽くして何がおきたかを知る必要がある。

Yahoo 知恵袋の「中身」を見れば、そこに「犯人」の手がかりがあるのはわかっていた。 けれど、大学がそれを求めて Yahoo が情報を提供してくれるはずはない(逆に、提供してくれるんだったら怖い)。 先に進む(ほぼ)唯一の方法は警察に頼むことだったわけで、あとは法律的に話が整っていれば警察がきちんと進めてくれるはず。 もちろん、立件されるのかどうかとかいうのは(これから決まることだろうし、個人的には立件されないことを望むけど)状況がはっきりした上で、法律にもとづいて決まっていくことだと思う。

冷静に考えればわかることだし、すでに数多くの人がくり返していることだけど、「追い詰められてカンニングをしてしまった予備校生を京大が警察につきだした」というとらえ方は、話の順番を混乱してしまったことからくる、純粋な誤りということだ。

もちろん、法律にかかわる詳しいことはぼくなんかにはわからないのだけれど、もたもたとこれを書いているうちに、

「カンニングを刑事事件したのはおかしい」なんて的はずれ!京大入試業務妨害事件「犯人逮捕」は間違っていない:玉井克哉東大教授(知的財産法)が緊急寄稿
という記事などもでたので、未読のかたは是非どうぞ。
それにしても、旧式の携帯電話を使って一人で問題を書き写して試験場から投稿したと聞いたときは、やっぱり信じられなかった。 共同しただれかをかばって本当のことを話していないのではないかとさえ思った。 普通の人が画面を見ながら携帯電話にタイプしている姿を想像して、それを試験場に引き写して考えていたから、そんなことは絶対に不可能だという考えになったのだろう。 だが、言われてみれば、完璧なブラインドタイプをする技術があれば、外から見れば、左手を膝のあいだにはさんだまま、ただ試験問題をじっと見つめているようにしかみえないだろうから、さして不振ではなかったのだろう。 実際、ぼkるあだって、頑張ればかなりの文章をキーボードも画面もみみないでタイプすることができる。 (←というので、「さして」以降は何もみないでタイプしてみました。やっぱり、「予備校生」の技術は信じがたい・・・)

前にも書いたことだけど、問題を投稿したとして、(とくに数学の場合は)その回答をちゃんと読み理解し答案に反映させるのはものすごく大変なことに違いない。 この不正によってかれの得点が本当にあがったのかは疑わしい。 いくらタイプが早いからといって、数学の試験問題をすべてタイプして投稿することで何十分かの時間を費やし、さらに(どうやって回答を見たのかは知らないんだけど、たとえば)回答をチェックするためにトイレに立って時間を無駄にするくらいだったら、一生懸命に問題について考えたほうがよかったんじゃないかと素直に思う。 携帯のブラインドタイプだって、まあ元から上手だったんだろうけど、かなり練習したんじゃないのか? その時間を真面目に受験勉強に使いなよとすごく思う。 ようするに、そういう「まっとうな判断」ができないほどにかれは追い詰められていたということに尽きるのだろうけれど。

「まっとうな判断」(あるいは、ちょっとした想像力)の欠如ということでもっとも顕著なのは、「Yahoo 知恵袋」という誰もがみることのできる場所に(半永久的に残る)証拠を残してしまったということだ。 とにかく、そこに書いてあれば誰でも読める。誰かが読んで気がつくかも知れないという不安がかれの頭をよぎることはなかったのか?  何の細工もせずに自分の携帯電話から投稿していれば、Yahoo への投稿記録から携帯電話の固有の番号を調べればたちまち個人が特定されてしまうということにも思い至らなかったのか?  たとえ当日は大丈夫でも、後から入試問題を検索して気づく人がいるかもしれない。 仮に時が経って知恵袋の過去ログが消えたとしても、どこかには記録が残っているだろう。 何年も経ってから、なにかの拍子にすべてが発覚するかもしれないのだ。


ところで、この機会にとばかり、 みたいな感じの持論を、「これぞ凡人の見落としている真実である」とばかりに力強く自信に満ちて展開している人を(主として Twitter 方面で)よく見かける。 この手の「老人のスリなんか逮捕してる暇があったら、早く殺人犯を逮捕しろよ」的な議論が的外れなのは自明だけれど、とくにこの場合、「大学のあり方」についての理念と絡み合って、よけい的外れさが増して感じられる。

大学の入学試験というのは、各々の大学がこれから自分たちが本気で教育すべき学生を選抜するためのきわめて重要なプロセスだ。 大学の難易度や受験の方式によって事情はさまざまだろうが、基本的には、多くの若者が自分にふさわしい大学に入学するため多大な時間とエネルギーを使って準備しているし、大学の側はその努力を真摯に受けてもっともふさわしい学生を選ぶために工夫と努力を続けている。 もちろん現在の大学入試のシステムが理想的だとは思わないけれど、「大学に入る資格さえもっていれば、それまでの履歴はいっさい考慮せず、入学試験の得点だけで合格者を選抜する」という一般入試の理念には一定の見識と意味があると思っている(その他の入学試験については今は取り上げない)。 そして、ともかくその理念を掲げた以上、大学には、できる限り公平な入学試験を公正に実施する強い義務が生じるのだ。

さらに、ほとんどの大学で、実際に入学するよりもはるかに多くの人が入学試験を受けることも強調したい。 不合格になった人たち、合格してもほかの大学に入ってしまう人たちは、入試だけを受けに来る「お客さん」なのである。 そういう意味でも、すべての大学はプライドをかけてしっかりと入試を実施しなくてはいけないのだ。

だから、「入試で不正をした奴でも、中でしっかり鍛えろ。それが教育者というものだ」という意見は、少なくとも二つの意味で大きく的を外している。 不正を少しでも許すことは、他の受験生(とくに、不合格になった受験生)に対してきわめて失礼なことだ。 さらに、受験は「お客さん」むけの「営業活動」であり、大学生への教育とはまったく質の異なったものなのだ。

一部の大学で、入学した後は努力しないで卒業できてしまう(らしい)ことや、カンニングや卒論の捏造などが行なわれている(らしい)ことなどは、もちろん、問題。 けれど、それは今回の件とは関係ない。別個に議論すべきだ。


今回の「まっとうな判断ができなくなってしまった予備校生」のことは、もう騒がなくていい。 もちろん、かれにはしっかりと立ち直ってほしいけれど、それは、ぼくらがみんなで考えるようなことではない。

この前の日記(2/27)にも書いたように、これほどに容易に入試問題を外に漏らすことができたということ、それをみんなが知ってしまったということは大きな意味をもっている。 もちろん、そんな不正をしようと思うような人はすごく少ないはずだが、それでも、可能性がはっきりした以上、大学側はなんらかの対応をしなくてはいけないだろう。 携帯電話を試験場で預かる方法をとった大学もあるそうだが、そもそも、その場の出来心で不正ができるわけではない。 やるとしたら、それなりの準備を重ねるわけだろうから、その程度の対策では意味は薄いだろう(携帯電話を二台もっていって、一台を預ければいい)。 素朴な方法だが、ずっと机の下に手を置かないよう指導し、巡回の際には、そういう細かいところも見て回るというのが最良の方法のような気がする。

どんなにがんばっても、プロが本気で計画をしたカンニング(前の日記に書いた、「小型カメラ+骨伝導イヤフォン方式」など)を阻止するのはきわめて困難に思える。 ただ、プロの「業者」に入試の不正を手伝ってもらった場合、業者側に不正の事実を知られてしまうという致命的な問題がある。 不正の手伝いは殺人みたいな大きな犯罪じゃないから、後になって暴露されたり、脅迫されたりする可能性はかなり高いと思われる。 すべての受験者が、発覚のリスクを背負い込むことまでしてプロに不正の手伝いを依頼するのは割が合わないという「まっとうな判断」をしてくれることを祈るしかない。 そして、(前回も書いたことだけど)不正をして大学に入っても決して充実した学生生活は送れないはずだということをすべての人に強く強く認識してもらいたい。


2011/3/9(水)

しばらく前のことだけど、「東京事変(椎名林檎のバンド)の新譜が出るから予約しなよ」というメールがアマゾンから来た。 最近は、自分で CD を買いに行く手間を惜しむようになっていて、Perfume や Avril の新譜もアマゾンで予約して買っている。 というわけで、すぐに予約ページに飛んでいくと、シングル CD 「空が鳴っている/女の子は誰でも」 と並んで「アルバム・タイトル未定」という項目があった。 「おお、シングルの後にアルバムも出ることになっているのだ。では、これも予約だ」と、両方ともチェックして、素早く予約確定。 なんたるネットの便利さよ。


で、そろそろ新譜が出るぞという時期になって、東京事変のドラマーが酔っぱらって警官にタックルして逮捕(←なさけな・・)の不祥事。 当然の成り行きとして、CM 曲は(逮捕の人の参加していない)別バージョンに差し替えで、シングルは発売延期。

ロックミュージシャンなんだから、多少のワルでもいいじゃねえかとも思うけど、(そもそも、(激しすぎるドラムと)脳天気なキャラが売りの人で、ぜんぜんワルではないし)日本で商業音楽をやっていくというのは、そういうもんなじゃないんだよなあ。 もちろん、曲はすでにネットからダウンロードして何度も聴いている。 とくに「空が鳴っている」は東京事変の曲のなかでも最も好きなものなだけに、よけいシングル発売延期が悲しい。


で、昨日、アマゾンから荷物が届いた。 CD が入っている?

開けてみると、まったく知らないバンドの謎な CD が入っている。 なんかケースも歌詞カードも透明という不気味な仕様。 もしやと思ってアマゾンの履歴ページに飛んでチェックしてみると、やっぱり、これは「空が鳴っている/女の子は誰でも」 といっしょに注文した「アルバム・タイトル未定」に他ならなかった。

予約ページに東京事変のシングルと並んで表示されたのは、単にアマゾンのお奨めだったということだ。 それを知らずにうっかりと注文してしまった私が悪いのじゃ。 ああ、これが噂に聞くアマゾンのワンクリック詐欺というやつか(←ちがいます)

しかし、どうしてくれよう。 まだ封を切ってないし、「間違えました」と言ってアマゾンに送り返せばお金返してくれるのかな?  それとも、この機会にこのバンドを聴いてみよというアマゾン神のありがたい采配で、ここから新しい出会いが生まれるのだろうか?

ちなみに、届いた CD には

絶体絶命 R A D W I M P S
と書いてありますな(たぶん、ローマ字のほうがバンド名)。 どんなバンドが知ってますか? (付記:今、アップしたばかりの日記を息子に読ませたところ、RAD なら知っていることが判明。「おまえの誕生日プレゼントに買ったのだ」ということにして、かれに渡しました。お騒がせしました。)
などと、めっちゃくだらない日記を書いて時間を無駄にしているようだが、実は、こいうのを書くのはすご〜く速いので、ほとんど時間のロスはないのである。

そして、こうやって速く書く勢いをつけたところで、今週中に仕上げなくてはいけない二つの原稿をこれからもっともっと素早く的確かつ面白く書き上げるという鉄壁の計画なのである。 というわけで(Twitter に更新情報を書いたら)仕事を開始します。


2011/3/20(日)

ああ、随分と日記を書かなかった。

色々と忙しかったということもあるが、やはり、「あの日」以来、まったく経験したことのなかった激烈な展開に翻弄され、めまぐるしく変化する過剰な情報に流されそうになり、いったい自分がどういう声で何を語ればいいのか見失っていたというのが本当だろう。 いい歳をして情けない話だと思うが、どうも事実のようだから仕方がない。

しかし、この東京の片隅で一人の(高エネルギーや原子力の知識はゼロに近い)理論物理学者が気をもんでいたからといって、状況が好転するわけでもなんでもないのだ。 普段のペースに戻って、しっかりと仕事をしなくては。

大震災とそれに続いた原子力発電所の大事故についてはもちろん思うところも多いが、書き出すときりがないし、上手に書ける気もしない。 被害にあわれた全ての方々に心からのお見舞いを申し上げ、未だに被災地などで苦労されている方々にどうかがんばってくださいと申し上げた上で、いつものように日記を続けよう。


今日は卒業式。

ただし、百周年記念会館での大規模な式典は中止。また父母・保証人や卒業生以外の学生の来場も控えてもらうという縮小ムード。 たしかに、地震や電力不足で電車が止まり大量の帰宅困難者を出すと大変なので、これは正解だったと思う。

そもそも式典が嫌いで主任だから仕方なく列席していたぼくにとっては式典の中止はうれしいくらい(不謹慎かな?)。 大事なのは、そのあとの、学科に分かれての修了証書・卒業証書の授与式のほうだと思っている。

そして、ようやく 3 月末で学科主任を終えるぼくにとって、これが主任としての最後の「公式行事」になる。 この日を、こんな特殊な空気のなかで迎えることになるなどとは、まったく想像だにしていなかった。 現実の驚きに比べたとき、ぼくらの想像力のいかに貧弱なことか。


会場は、物理学科の多くの授業がおこなわれた南 3 号館の中教室。 10 時半の開始にあわせて、みんなが集まってくる。 大半の男性はスーツだけれど、中にはやたらとラフなのもいる。女の子は、袴、着物、スーツといろいろ。 みんな、一様に明るく元気そうで、うれしくなる。

みんなが集まったところで、主任のスピーチ。最後の公式スピーチだ。

「皆さんご存知のようにぼくは単純なおじさんなので、今日、こうして皆さんが卒業する日を迎えて本当に感無量です。 まじ、ちょっと泣きそうになっています。」と話を始めた。 アホみたいだと思われるだろうけれど、本当にちょっと涙が出そうになっていたのだ。

そして、彼ら・彼女らが入学してから卒業研究・修士論文発表会や今日の卒業式までの長いようで短い日々の様々なできごとを、今でも生き生きと思い出すということを話す。 また、彼ら・彼女らが人生のなかの重要な青春の時期をぼくらといっしょにこの物理学科で過ごし、若い日々のエネルギーを全力で(まあ、人によっては全力とは言えないかも知れないけど)注いで物理に取り組んでくれたのは、ぼくらにとっても本当に素晴らしいことで心から感謝していることなども伝える。

やはり日本をおそった震災のことにも触れないわけにはいかない。

みんなの顔を見渡して、ぼくは、だいたいこんなことを言った。 「こういう時だから、ここで『みなさんは日本の復興の先兵となってください』といったことを言うべきなのかもしれません。 けれど、今日のみなさんの明るくエネルギーに満ちた顔を見ていると、そういうことは言いたくないなあと思います。 みなさんは素晴らしい若者で、みなさんの前には素晴らしい未来の人生が開けています。 だから、みなさんはこれからの人生を思いっきりエンジョイしてください。 そして、それぞれのやるべきことを精一杯がんばってやってください。 けっきょくは、それが日本の復興にもつながっていくんだろうと思っています。」 最後の一文は、まあ、言わなくもよかったのかなあ。

あとは、アンチクライマックスだけど、ぼくも、原発で何かがおきたときの東京のパニックと、次に来るかもしれない地震が少し怖いということ、どうか皆さんはパニックを押さえる側になってほしいというようなことも話した。

それから一人一人に修了証と卒業証書を手渡す。 みんな個性的な若者で、こうして全員の顔をしっかりとみるのは素敵なことだ。 何人か、ものすごくうれしそうに証書を受け取ってくれて、思わずぼくも満面の笑顔になっていたと思う。

そのあとは、恒例の簡単な祝賀パーティー。 こういうときだから控えめにということになっているので、まあ、控えめにやったと日記には書いておこう。

宴も(控えめに)たけなわの頃、部屋の向こうのほうで男の子が「おれなんか、ぜんぜん幸せじゃねえよ〜」と言っているのが聞こえる。すると、すぐに女の子の元気な声で 、

「幸せじゃない! 生きてるんだから!!」

ほんと、素敵な若者たちだ。

とても楽しい会でしたし、学生さんたちはみんなやたらと明るくて元気で素晴らしい。こっちも元気がでます。 さ、がんばろう!


2011/3/26(土)

新学期にむけて、

数学:物理を学び楽しむために
の改訂作業。

と言っても大きな書き換えや加筆は全くできなかった。

これから、一変数関数の積分、多変数関数の微分、多変数関数の積分の三つの章を書き、既存の章をさらに改良すれば、「第一段階」は終了するというプラン。 実は、その段階でこの本を紙媒体で出版しようという話が進んでいる。 その場合、本が出てもネット上の無償配布は続けようということになっている。これはなかなか楽しいプラン。

しかし、これだけ執筆が遅いと、いつ出版にこぎ着けられるかはなかなか難しいところ。 一変数関数の積分の章は手書きの下書きがあったはずなんだけど、研究室の引っ越しとかで、どこか深いところに埋もれてしまった気がする。


さて、今日までの何日間かを使って作業したのは(本当は二日で終わるつもりだったのだが・・)、2.1.1, 2.1.2, 2.1.3 節の命題と論理の部分。 少なくとも物理の学生では読む人は少ないだろうし、ぼくにとっても講義とも研究ともほとんど関係ないという、(あまり適切な表現ではないけど)相当に「役に立たない」部分なのである。

ただ以前に書いた物には不満があったので、いつか書き換えようと思っていた。 今回、何を思ったか突如としてやり始めて、思っていたよりも苦労した末に、何とか頭にあったのに近いものを書いた。 けっきょく、構成も全面的に変えたし、分量もかなり増えた。

まず、「命題の真偽は確定している」というのは大事なことなので、少し詳しく書いた。 ルート 2 について、真偽が証明されている命題と未だに真偽が証明されていない命題をいくつか並べて、そのあたりの事情をなっとくしてもらうことを目指した。 しかし、この話題になると、どうしても、ゲ、ゲ、ゲ、ゲーデル的話題に触れないわけにはいかないのだが、しかし、ぼくには不完全性定理についてちゃんと書くだけの理解はないしなあ・・・と悩んだ末に、(得意技の)長い脚注を書いてお茶を濁したじょ。

もっと大事な改訂としては、一般的な命題論理の話をする部分と、述語(変数が入っている命題)について議論する部分をすっぱりと分けることにした。 これまでは、(そういう解説が多いのだけど) 何となくいっしょくたに議論して、場合に応じて、述語を念頭に置いたり、一般の命題を念頭に置いたりしていたのだが、どうも居心地がわるかったのだなあ。

さらに、述語についての「ならば」の文には「任意の変数の値について」が暗黙のうちに省略されているということを明示的に書いた。 また、必要条件、十分条件という言い方は述語についての命題に限って使うことにした(このあたりは、嘉田勝「論理と集合から始める数学の基礎」(日本評論社)の影響を受けた。もちろん、この本を熟読して理解したというわけではないし、書き写したわけでもない。ぼくの書いた物に誤りや分かりにくいところがあれば、それは全てぼくの責任です)。

この必要条件、十分条件のところだけれど、

命題 P, Q について、P → Q が真なら、「P は Q の十分条件」、「Q は P の必要条件」という
と書いてある文献が多いけれど、これって、文字通りに受け止めると気持ち悪いでしょ?

だって P = 「4 は偶数」、Q = 「三角形の内角の和は 180 度」とすると、両方とも真だから P → Q は真。 でも、「4 が偶数であることは、三角形の内角の和が二直角であることの十分条件」とか、誰も思わないでしょ?  さらに、P = 「123456 は素数」、Q = 「日本の首都は道頓堀」の場合どちらも偽なので、やっぱり P → Q は真。 「123456 が素数であることが道頓堀が首都であるための十分条件」って、まあ、あり得なさを言いたい気持はわかるけど、でもねえ、という感じ。

一方、「A ≧ 5 ならば A × A ≧ 25」とか「A が人間ならば、A は動物である」というような場合なら、たしかに必要条件、十分条件という言い方はピンと来る(それに意味がある)。

まあ、そういったところも、かなりすっきりとさせるように書いたつもりではあります。

ただ、わずかにすっきりしきらない部分もあるし、なんといっても専門外もいいところなので、ちょっとは不安もあるのだった。 たまたまお時間のある方に、ちらっとご覧いただいて、何らかのコメントをいただければとても助かります。 ちなみに、該当部分は数学:物理を学び楽しむためにからダウンロードできるファイルの15 ページから 33 ページ(pdf ファイルのページは 29 ページから 47 ページ)で、命題と論理についての解説を読んでコメントするだけの簡単なお仕事です。

前の月へ  / 次の月へ


言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp