日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2011/11/11(金)

またしても一ヶ月以上も日記をさぼってしまったけれど、ぼくは(まあ、かなり忙しいんだけど)実はけっこう元気で、仕事(と書いたら研究のこと)のほうも(大きな目で見てどこかへ行けるのかどうかはわからないけど、少なくとも、短期的には)充実していてすごく楽しんでいるし、ちょうど椎名林檎のシングル CD「カーネーション」と Perfume のシングル CD 「スパイス」が同時に出たので、どちらかをローテーションして聴きまくっている(でも、この林檎ちゃんの CD は本当に大好きなのだ!)今日この頃ですが、ちょうどあの日から 8 ヶ月目の 2011 年 11 月 11 日と、1 が 6 個も並んだことにちなんでFukuwhitecat さんの tweet に刺激され)、ICRP の publication 111 について書こうと思うのであった(←111 について書くためなら、1 が 3 個で十分だから贅沢な話ではあるが)。


ICRP(国際放射線防護委員会)というのは、最近よく目にすると思うけれど、放射線防護についての考えや方針などを決めている公式の委員会だ。 日本政府も ICRP の言うことには従うことになっているのだと思う(付記:日本政府が ICRP 勧告に従う義務があるわけではないけれど、通常は、勧告が出ると数年から十年くらいで日本の法令にも取り入れられるらしい。いずれにせよ、政府関係者はしばしば「ICRP に従って・・・」といったフレーズを口にしているようなので、守りたいという姿勢を表明している物と考える)。

ここで話題にするのは、

ICRP publication 111
Application of the Commission's Recommendations to the Protection of People Living in Long-term Contaminated Areas after a Nuclear Accident or a Radiation Emergency
ICRP の web ページから無料でダウンロードできる(これは特別サービスみたい)
という出版物である。 タイトルを訳せば、「原子力事故や放射能緊急事態の後の長期的に汚染された地域に暮らす人々を守るために委員会の勧告をどう適用するか(←直訳で始まり意訳で終わる)」ということだ。 「委員会の勧告」というのは、(英語で the Comission's Recommendations と the がついていることから分かるように)ICRP 103 など他の出版物で提示されている委員会からの勧告のこと。 すでに基本方針は示してあるので、それでは本当に事故があったときどうやってその方針を実地に応用するのかという(悲しいことに)今の日本にとって極めて切実なことが書いてあるのだ(ちなみに、日本語訳の暫定版が日本アイソトープ協会のページから無料ダウンロードできるんだけど、英語が苦痛じゃない人には英語版をお奨めします)

世間では、「ICRP は原発推進派だから信用できない」という人もいて、まあ、ぼくなどにはそのあたりの真偽は判断できないのだが、いずれにせよ、この ICRP 111 にはちゃんとしたことが書いてあると素直に思う。 チェルノブイリなどで実際に汚染された土地に人々が暮らした(暮らしている)経験をしっかりと踏まえて、どういう基本姿勢でどういう風にことに臨むべきかということがしっかりと述べられている。 ICRP に不信感を持っている人たちにも是非とも虚心坦懐に読んでいただきたい。


いずれ、なんとか時間をつくって、ぼくの「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説 」の中に、ICRP 111 の紹介記事を作りたいなあと思っている。 でも、(やっぱり研究と教育が最優先なので)なかなかすぐにはできそうにない。

とりあえずは、先行シングル的に、重要だと思う部分を(上に出てきた Fukuwhitecat さんにならって)紹介しようと思う。 ICRP 111 の 1.2 節の項目 (7) を引用する。

The transition from an emergency exposure situation to an existing exposure situation is characterised by a change in management from strategies mainly driven by urgency, with potentially high levels of exposure and predominantly central decisions, to more decentralised strategies aiming to improve living conditions and reduce exposures to as low as reasonably achievable given the circumstances. These strategies must take into account the long-term dimension of the situation, and exposed individuals should be directly involved in their own protection. The Commission recommends that this transition should be undertaken in a co-ordinated and fully transparent manner, and agreed and understood by all the affected parties. (p. 16, 1.2 (7))
直訳風に訳そう(誤訳などありましたらご教示いただければ幸いです)。
緊急被ばく状況から現存被ばく状況への移行は、主に緊急事態に対応するための基本方針 --- これは高レベルの被ばくの可能性のある状況におけるもので、基本的に中央集権的な意志決定に基づく --- から、生活条件を改善し現状のもとで被ばくを合理的に達成可能な範囲でできるだけ低くすることを目指したより集権的でない基本方針へと、管理の方向を転換することで特徴づけられる。 これら基本方針には状況についての長期的な展望を取り込まなくてはならないし、被ばくした個々人は自らの防護に直接に関わるべきである。 委員会としては、この方向転換が、協調的かつ完全に透明なやり方でおこなわれ、影響を受けるすべての関係者の賛同と理解を得ることを推奨する。
ぼく流に言えば、
緊急被ばく状況から現存被ばく状況へと移るときには、基本方針をがらりと変えることになる。

緊急被ばく状況のあいだは、ともかく高レベルの被ばくの危険があって危ないわけだから、中央で意思決定をして中央集権的な方針で進めていく。 現存被ばく状況に移ったら、今度は、みんなの生活を改善し、できるだけ被ばくを少なくすることが目標になる。 こうなったら、中央の偉い人が一方的に指示するのじゃなく、現場を含めたみんなで考えながらことを進めていくべきだ。

現存被ばく状況にどうやって対応していくかについては、先のことまでよく考えて決めなくてはいけない。 また、被ばくした人たちをどうやって守っていくかという方針を決めるときには、被ばくした人々自身がしっかりと関わっていった方がいい。

この方針転換の際には、みんなが協力し隠し事がいっさいないように進めるべきだし、影響を受けた人たち受ける可能性のある人たちがみな賛成してちゃんと理解しているべきだ。

という感じだろう(勘違いがあったらご教示いただければ幸いです)。
それでは、今の福島はどうなっているのか --- という話を続けるべきなんだろうけど、さすがに、今はそこまで踏み込んでいる余裕はない。 でも、どうも日本政府は ICRP 111 を「ガン無視」しているんじゃなかろうかというのが、多くの人の意見だと思う。

世界的な公式の委員会の推奨を無視してたら、やっぱりまずいでしょう。


ICRP の文章は、長ったらしいし堅苦しくて非人間的なところが多いのだけれど、Clement 氏による ICRP 111 の前書きの結びの文はなかなかよかった。拙訳と合わせて引用して、このかなり尻切れトンボな日記の結びとしよう。
After all, isn’t it true that what most people really want is to continue living their lives, and that they are willing and able (sometimes with a little guidance) to help make that happen? (p.4)

けっきょくのところ、ほとんどの人たちが本当に望んでいるのはこれまで通り生活を続けることであり、また、ほとんどの人たちはそれを実現するために役立ちたいと思っているし(時には少々の手引きが必要だろうが)役立つことができる --- というのが真実ではないだろうか?


付記:Clement 氏の結びの文で日記も結んだつもりだったけれど、今日、Twitter を見ていたら、この部分について疑問を抱く人がいることを知った。蛇足かもしれないが、加筆しようと思う。

ぼくが理解した範囲でだけれど、上の引用(など)を読んで、

こうやって、ICRP は、汚染された地域の人たちを避難させず、事を小さく収めようとしているのだ。 これは、まさに、政府の狙い通りだ。
あるいは、
ICRP は、事故があろうと、けっきょくは人々が今まで通りに暮らせると思っているようだ。なんとも甘い考えだ。暮らしを失った人々のことを無視している。
といった感想をもった人たちがいたみたい。

たしかに、上の引用文だけをみたら、そう感じてもおかしくないのかもしれない。 ぼくは、この Clement 氏の文章だけを(140 文字に収まるようにして)Twitter で流したのだけど、やっぱり、そういう文脈から切り離した部分的引用というのは難しいものなんだなあ。

ただし、ぼくの考えでは、上にあげた疑問はどちらも誤解だ。 それは、ICRP の出版物の全体を見れば、あるいはそこまでいかなくても、上の引用の前の部分を見るだけでも、かなりはっきりすると思う。 不十分な引用をしてしまったことをお詫びします。

そもそも ICRP は、汚染が本格的になった土地から人々が避難しなくてはならない可能性について、冷静に、厳しく考えている。 だから、そういう人たちのことを無視していたり忘れていたりするなんてことはない。 ただ、この ICRP 111 は、汚染した土地に人々が長期的に暮らすことを念頭に書かれているのだ。 幸いにも避難することを免れ、かつ、汚染された土地に住み続けることを選んだ人たちのことを主に語っているわけだ。 そうはいっても、一方で住み慣れた土地を離れざるを得なかった人々がいること、そしてその人々が言葉では表せない苦渋を感じていることは、つねに背景として意識されているとぼくは思う。

実際、Clement 氏の上記の結びの文の直前には、「Therefore, whenever possible, a long-term goal should be to rehabilitate areas to allow people to return to their normal habits.(だから、可能であればどんな時であろうと、人々が平常な暮らしに戻れるよう地域を修復することを長期的なゴールにすべきなのだ(ちょっと意訳))」と書いてある。 「whenever possible(可能であればどんな時であろうと)」という挿入の裏で、不幸にして「可能でない」状況があることを Clement 氏は意識していると考えたい。 だから、この短い挿入は、すごく重い響きをもっているとぼくは思う(そういうところも含めて、この前書きは「人間的だ」とぼくは感じたのだ)。

さらに、上で引用した「けっきょくのところ・・・」で始まる結びの文にしても、ほとんどの人々が望んでいるからといって「これまで通りの人生を生き続けること」が可能だとは述べていない。 そんなに甘くはないのだ。 ここでは、人々がそれを実現するために努力し協力する強くポジティヴな意志について語ってはいるが、それと同時に、不幸にして「これまで通りの人生を生き続けること」ができない人々への思いも込められているとぼくは解釈している。 買いかぶりだろうか?

日本語暫定訳についての論評は(少なくとも今は)しないつもりだが、ぼくが引用した結びの文の翻訳

結局、大部分の人々が真に求めていることは自身の生活の営みを続けることであり、人々は(時には多少の助言を与えられることによって)それを実現しようとし、また実現できるのではないだろうか(日本語暫定訳 p4)。
には疑問を感じている。 「『自身の生活の営みを続けること』が『実現できるのではないか』」と書いてあるから、これなら、「ICRP はこれまでの暮らしを失った人々のことを考えていない」という話になりかねない。 ぼくは、原文にはそんなことは書いていないと思うのだが(help make that happen の help を訳していない? それとも、help make that happen で「実現する」という意味になる用例があるのかな?)、いかがだろう?
2011/11/19(土)

朝は「イジング本。」の作業と、放射線の解説のジミー・ヘンドリックスな改訂(←「地味な改訂」ってことだよ! ジミー大西は昨日の tweet で使っちゃったから。でも、今や日本でもっとも有名な「ジミー」はジミー大西なんだねえ)

昨日大幅な改訂をした「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」にさらに細かい修正。 また、今日は久々に主要ページの「シーベルトとかベクレルってなに?」も改訂。「内部被ばくもシーベルト(でも、ややこしい)」のところに、ICRP publ. 72 実効線量係数の表を書き写し、周辺を少し書き直した。 ICRP publ. 72 は中古品を結構な値段で買ったので、せめてこうやって活用せねば。


午後からは、予告通り、以下のセミナーへ。

数理物理・物性基礎セミナー(第 14 回)
日時:2011 年 11 月 19 日(土)15:00 〜 18:00
場所: お茶の水女子大学理学部 1 号館 2 階 201 室
井上 玲「クラスター代数入門」
Cluster algebra というのは、2002 年に導入されたばかりのものだけれど、なにやら数学(数理物理も含む)の様々な分野と非自明に関連しているらしく、ものすごい勢いで研究されていると聞く。 可換環の定義ってなんだっけかなあと思うレベルでまったくよく分からないけれど、でも無性に面白そうだ。 A. Zelevinsky "What is... Cluster Algebra?" (pdf) などという解説もあるが、なかなか読む気にならない。 物理語と数学語の両方を解する人が入門的な解説してくれるんだったら聴いてみたいなあ --- と思う人(←ぼくを含む)は、19 日の午後にお茶大へ! (守衛さんがちゃんとお仕事をされていることが多いので身分証明証をお忘れなく。とくに怪しげな男性(←ぼくを含む!!)。)

雨風が強く、お茶大に行くのも大変だったけれど、守衛さんにも阻止されず無事に物理の建物に着いた(お詫び:ぼくの通知を見て「身分証明書がないから」と出席をあきらめた「怪しげな男性」がいらっしゃったとしたらお詫びします。守衛さんに止められても出口さんの名前を出して説明すれば(で、最終的には出口さんに連絡してもらえば)かなり怪しくても入れてもらえると思います)

ぼくはちょっとした(ていうか、かなりひどい)方向音痴なので、このお茶大の物理の建物の二階に上がったあとでも、どちらの方向に会場の教室があるかいつも分からなくなってしまうのだ。 もう何度もこのセミナーのために来ているのだけれど、前回も間違えて違う方向に歩きかけて人に教えられた。

今日こそはちゃんとした方向に行くぞと思い、よおく考えて、「こっちだ!」と判断して、廊下をスタスタと歩いていく。 すると、行く手に出口さんの姿が見えてきた。よし、今日こそあっているぞ! と思ったものの、あれ? なんだか廊下の様子がいつもとは微妙に違う。 で、出口さんに会うと「今日はいつもの教室が工事の騒音でうるさいので、こっちに変更したんです」とのこと。 あ、やっぱり間違ってた、ていうか、(結果的に)あってた・・・


セミナーは、はっきり言って、ものすごく面白かった。

ともかく井上さんの話がうまい。 単に板書が明晰で話が論理的で聞きやすいだけではない。素材の選択、構成、例の見せ方などが初学者向けに徹底的に吟味されている。 欲張り過ぎてないし急ぎ過ぎない、かといって省略しすぎない、絶妙のさじ加減だと思う。 さらに、フォーマルな定義や定理を書く前に、それらの「気分」をきわめて的確な自然言語で伝えてくれるのは素晴らしかった。 こちらの脳が最大限の効率で働けるように準備してもらっている感覚。

宣言どおり「可換環の定義ってなんだっけかなあ」と思い出しきれないレベルのまま出席したわけだけれど(で、もちろん、セミナーは必死で集中して聴いた)、今日、井上さんが伝えようとしてくれたことで「わかるべきだった部分」は理解したつもり。 数学の講義でここまでリアルタイムで理解できて愉しめたというのは、ほんとうに珍しいことだ。それほど見事な講義だったんだと思う。

で、今なら、(係数なしの)クラスター代数を定義して、もっとも簡単な例を計算してローラン性のデモをやり、で、差分方程式(サモス 4 だっけかな?)への応用例を見るというミニレクチャーを空でやれる自信がある! なんたる即席。

けど、日常の生活と研究のなかでクラスター代数を思い出すことは、やっぱり、ほとんどないだろうから、ほどなく揮発して忘れてしまう自信もあるぞ。 どれくらいで揮発するのか試してみるのも楽しい。


ところで、今日のセミナーの途中で、「種になる quiver(日本語は箙(えびら)らしい(意味不明)。各々の edge に整数の重みがついたグラフのこと)が A, D, E type の quiver と mutation-equivalent なら、生成される代数は有限(というか、生成される元が有限個)」という定理(←うろ覚えで書いているので信じないように)に関連して、「与えられた quiver が A, D, E に mutation equilvalent であることを判定する方法があるのか」という質問がでた。 井上さんは知らない、おそらくそういう判定法はないだろうと答えたのだけれど、それに対して、なんと会場にいた若い人が物静かに、「A との同値性を判定する条件は知られていて、2010 年に論文が書かれている。実は、D との同値性の判定は私がやって今論文を投稿しているところだ」とコメントしたのだった!  井上さんのお仕事はクラスター代数の差分方程式への応用だから、こういう(マニアックなというか、純粋数学チックな)側面には精通していなくても仕方がない。ていうか、去年の仕事と、まさに今投稿中の仕事って、どんだけ最新なんだろ! というより、そもそも、この入門講義に、ガチプロが参加していたという驚き!! すごいことじゃ。

しかも、セミナーが終わって、みんなが質問したり黒板を消したり話したり騒然としているうちに、D との同値性(だったと思う)を解決した若き数学者は(またしても物静かに)去って行かれたようだ。 けっきょく、どこの何というお名前の方なのかも誰も知らないままで終わってしまった。

それにしても、「物静かに最新の成果を伝え名も告げずに去っていく落ち着いた若き数学者」なんて、最近では珍しいかっこいい話ではないか。

付記:上にでてきた「D の同値類の分類」については、すでに 2008 年の論文(arXiv へのリンク)があることを知った。 どうも事情がわからなくなった。 「ナゾの数学者」の発言にいては、ぼくが勝手に解釈したことなので、もしかしたら違っていたのかも知れません。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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