茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
締め切り寸前の原稿が複数あるのでまとめて仕事をしようと思ってずっと家にいたのだが、どうも集中力が低い。 雑用メールはてきぱきと書いたが、原稿の進み具合は遅い。信じがたい非能率。
こういうことが少しずつ増えている気がするのが、ぼくの「老化」の最大の証かも知れない。やだにゃ。
56 歳とは何たる若さ。ぼくとそれほど違わない。
学習院に着任して、研究費で Mac Plus を買った。高い買い物だった。
さらに、家でも使いたくなって、自分用の Mac Plus を買った。ものすごく高い買い物だった(←マジで)。
MacWrite で論文を書き、MacDraw で描いた図を貼り込んだ。 Mathematica に数式処理をさせグラフを描かせ、3 次元のアニメを作って講義で見せたりした。 さらに、Hyper Card を使って、色々なことができた。 マウスで動物のイラストを描き、マイクに向かって声の鳴き真似を録音する。 そして、画面に出ているアイコンをクリックすると、鳴き声とともに動物がスーッと画面を滑って出てくるという「ゲーム」を、小さかった子供のために作った。 下手くそなイラストを並べて、音楽といっしょに映し出すスライドショーなんかも作った。 幼稚園で子供が歌う歌の音符を入力して自動演奏するアプリ(?)とか、定番の算数ドリルなんかも作ったなあ。 これが 80 年代の最後だよ? PC を使っている人たちからすれば信じられない文化だったはず。
今からすれば、すごくチープな作品だったけど、本当に気楽に自分の作りたい物が作れたし、プロの作品との開きもそんなに大きくなかった。
子供の頃からパラパラ漫画を作ったり、自分でナゾの「雑誌」を書いたりするのが好きだったぼくにとっては、自分用の Mac Plus は本当に「魔法の箱」だった。「ああ、これが小さい頃からほしかったものだ、夢が叶ったんだ」という素直な実感があった。
あれから、何台もの Mac を使い、初代から iPod を使い、そして、今は iPhone も iPad も使っている。 ぼくは、いつの時期にも Apple 製品がいかに優れているのかを周囲に語ってきた。
でも、本当のことを言うと、ぼくを心の底から真にワクワクさせてくれたのは、最初の Mac Plus たちなのだ。 他の Mac にも、iPad にも、勝ち目はない。
寿命の来た Mac たちはどんどん処分していったが、今でも、二つの Mac Plus はぼくの大学の部屋にしっかりと飾ってある。
はじめて英語で書いてみて、140 字の短さに驚く。 日本語で書くのの三分の一くらいの情報しか書けない気がする。
でも、まあ、日本語で書いちゃって Steve に読めないと申し訳ないからね。
今回は、はじめて首都圏以外の会場にでかけた。 休日なので、仕事が終わる時間を気にしないでいいのはうれしい。
以下、ライブについてのネタバレはありません。
オープニング曲は、ライブ前のぼくの予想が的中。ちょっとうれしい。
そして、林檎ちゃんの最初の衣装が、もう、激烈なまでにツボ。 去年のツアーの最初の衣装もかなりのツボで当惑していた私だが、今年はそれを遙かに上回るピンポイント直撃的ツボ。ううう、どうしよう(←いや、別に、どうもしないのですが)。
一言でいうと、すごく楽しいライブだった。 観客のノリもよかったし、なにより、バンドのメンバーがリラックスして楽しそうに演奏している。 亀田師匠なんて序盤からアドリブをやりまくって実に楽しそう。 選曲も素直に客が楽しめるように工夫されていたと思うなあ。ぼくがやってほしいとライブ前に言っていた曲もばっちり入っていて、オープニング曲の正解とあわせて、2 連勝だ。
周囲の若いファン以上に、飛び跳ねて、腕を挙げ、旗を振った(←東京事変のライブでは林檎ちゃんの誘導にあわせてちゃちな旗を振るのが定番なのです) 2 時間。
これが続けられるのが、まだまだぼくが「老化」していない最大の証かもしれない。
次なる Perfume のツアーに備えて筋トレだ!
今日は、午前中の講義と午後の 4 年生のゼミという労働の日。
第 16 回 久保記念シンポジウム「量子系における秩序とゆらぎ」
2011 年 10 月 8 日(土)13 時から 16 時(学士会館)
ぼくも一応プログラム委員(というのかな?)をやっています。
話題は基礎よりでやや多彩。
講演者は 3 人とも見通しよく明快な話をされることで定評あり。
ご興味のある方は是非どうぞ(想定対象:物理系の研究者・大学院生、あるいは、気合いの入っている学部生)。
これは出ないといけないし、出たいので、出る。
となると、原稿は明後日以降ということになる。うううむ。まあ、がんばろう。構想はできておるのじゃ。
まあ、私が忙しく働いていることの一つの指標と受け取っていただきたい。
書き足すと、いよいよ、どうでもいい日記になっていく。
けっきょく、パスタじゃなくて、うどんを作った。けっこう美味しくできた。
けど、のんびり原稿を書く余裕はなく、神保町の学士会館に向かい、久保記念シンポジウム。
プログラム構成は狙い通りで、よい会になったと思う。 もう少し議論に時間が取れると楽しいなあとは思うが、そのあたりの加減は難しい。 それでも、今日は、大御所の先生だけでなく、若手の S 君も野心的な質問をしてくれて、なかなかよい感じであった。
若い大学院生クラスの参加者もかなり多く、会場はほとんど一杯になっていた。 去年は明らかに年輩の人ばっかりだったので、これはうれしいことだ。
専用 web ページをつくり、web 日記で紹介し、さらに Twitter で拡散希望 tweet を出して宣伝した効果があったと勝手に判断。
こちらにも、若い大学院生クラスの参加者が多く、会場はかなりにぎやか。
これはうれしいことだ。
うれしいことだが、やや、しまった。乾杯の後うかうかしていると、パーティーの料理がすごい勢いでなくなっていくではないか。
去年は明らかに年輩の人ばっかりだったので、食べ物はあまり気味だったのだが、今年は食べ物の争奪が激しいぞ。
ううむ、専用 web ページをつくり、web 日記で紹介し、さらに Twitter で拡散希望 tweet を出して宣伝した効果がこんなところに・・・
明日の夜も妻は仕事で遅いから、ぼくらの夕食のおかずを早めに作ってくれたのだ。
聞いてみると、スペアリブのうち三本は、明日、仕事場に持って行くのだという。 ずいぶん濃厚なお弁当だなあと思っていたら、そうじゃないらしい。 明日は、小学生向けの科学塾で「骨」をテーマにした授業をするので、そのネタの一つとして、骨付き料理の見本としてスペアリブを持って行って見せるそうだ。
なんというか、職住接近じゃなくて、職住一致というか、趣味と実益を兼ねるというか、ええと、いい言葉がないけど、ちょっと感心した。
昨日の夕方は、すっかり恒例となった「ノーベル賞解説の会」。 今年の医学・生理学賞、物理学賞、化学賞について、専門に近い理学部のメンバーに解説してもらおうという気楽な会だ。
受賞した研究と本当に近いところで仕事をしていたり、受賞者を個人的によく知っているような人が解説することもあるけれど、別に、そこまで近くない人が話すことも多い。それでも素人よりはずっとよく分かっているわけで、聞く方(素人)としてはとても有益なのだ。 ノーベル賞にどれくらいの意義があるのかといった疑問はもちろんあるけれど、まあ、堅いことは言わずに、せっかくなので話題の研究の話を楽しく話を聴こうよという趣旨だ。一つだけじゃなくて、三つの分野をまとめて聴けるのもお得感があっていいでしょ?
2002 年の小柴さん(物理)と田中さん(化学)の同時受賞のとき、マスコミの解説はいい加減だし、せっかく理学部なんだから解説の会をやろうということになって始まった。 そのときの記録が 2002 年 10 月 11 日の日記にある(←これ、けっこう面白いよ)。
発案者だった小谷さんが定年で辞めた後は、なんとなく成り行きで、ぼくがこの会の世話をしている。 といっても、賞が発表されたら、適当にそれらしい人にメールを書いて解説を頼み、会場を押さえてポスターを作ってみんなにメールする --- という程度の在宅でもできる簡単なお仕事です。 理学部が小さくて、しかもみんな仲がいいから、こういう企画がスムーズに進むんだよね。
5 時半から開始。肩の凝らない雰囲気で解説と質疑応答があり、けっきょく予定の 1 時間をかなりオーバーして 1 時間半くらいやっていた。
みんなお腹がすいたと思うよ。でも素直に楽しかった。
井田さんの解説は(もちろん)派手じゃないけれど、明解で力強い。 アインシュタイン以来の歴史を踏まえて受賞対象の研究を「宇宙定数の問題」という観点から整理し、最後は未解決の課題を明確に示した。 メカニズムや(怪しげな)理論にいっさい踏み込まず、純粋に一般相対論と観測の整合性という視点だけで全体を通すのは井田さんらしいストイックな態度だ。dark energy といった無用に fancy な言葉を使うことに懐疑的だった点も好印象。
さて、それにしても、観測結果はかなり信頼できるようだが、「やたらと小さいがゼロでない宇宙定数がある」というのは実に不可解。 なんで、現実はこんなに「美しくない」のだろう? 想像もつかない。ぼくらが生きているあいだにまっとうな説明を聞ける日がくるのか?