日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2011/9/10(月)

今日の日記は長いです。統計物理の分野の人にはちょっと読んでほしいかも(注意:これは、一研究者としての私の研究社会との関わりについての真摯な日記なので、アニメ好きの若者の気をひくために無理をしてハルヒ、ほむほむのことを書いたりはしないです)


昨日は、なんと、京都に日帰りで出張だった。

朝 8 時前に家を出て(銀閣寺道のラーメン屋「ますたに」でお昼を食べ)、京大の基礎物理学研究所に行き、少しだけ物理の議論をして、会議に出て、そのあと個人的に話をして、最後にまた一瞬だけ物理の議論。新幹線のなかで駅弁を食べて、夜の10 時過ぎに帰宅。多忙なビジネスマンなら当たり前のことかもしれないが(で、同業者の早川さんは、ものすごい頻度で京都から東京への日帰り出張をしているわけだけど)、ぼくとしてはほとんど未経験の時間の使い方だった。


出席したのは、基礎物理学研究所運営協議会というもの。 ぼくはこれから 2 年間、この協議会の委員というのをつとめるのだ。

最初に委員をやれという通知が来たときは、なんか、どーでもいい会議に出させられて寝ているあいだに色々なことが承認されるという、罰ゲームの一種みたいなのがまわってきたのかなと思った。 それなら断ればいいだけのことなのだが、事情を聞いてみると、そういうものではなかった。

基礎物理学研究所(ぼくらは「基研」と言う)は湯川秀樹(京大関係者は「湯川さん」と言う)がノーベル賞をとったことを記念して作られた理論物理学のための研究所である。 基研の性格は時代とともに随分と変化してきたが(それについても思うところはあるけど、それを書き出すときりがないので、またいずれ)、いつの時代でもさまざまな形で日本の理論物理学の一つの中心となってきたことは確かだ。 特に研究会や滞在型国際会議の舞台としても重要で、ぼくも若い頃から何度も基研での研究会に参加している。

基研は京都大学のなかの研究所だが、その設立の趣旨からして、単に「京大の研究所」ではなく、「日本の基礎物理学研究者みんなのための研究所」という性格をもっている。 ぼくらが若い頃から基研にいるだけでそういうことは雰囲気としていろいろなとこから感じられたけれど、そういう「空気」だけじゃなく、運営面でもその理念をお題目にしない工夫がされている。 たとえば、研究所の運営協議会は、基研の教授と、それ以上の人数の基研以外からのメンバー(いわゆる学識経験者)で構成されているのだ。 そして、運営協議会では、日常的な運営の細々したことだけではなく、(原理的には)研究所の運営の大きな方針や、研究所メンバーの人事など、かなり重要で本質的なことも話しあうみたい。 そういう重要なところに研究所の外のメンバーが入っているというのは確かに「みんなの研究所」っぽいやり方だし、また、運営協議会の委員の責任はけっこう重いみたいである。


しかし、「研究所外の有識者」の委員をどうやって選ぶかは難問だ。 なにせそれなりの決定権がある以上、研究所外のメンバーの全員が悪の組織の手先だったりすると、われらが基研が組織の言いなりになってしまうわけだ。

それで、歴史的に、それぞれの分野について委員の人数と選出母体が以下のように決められている。

他のグループのことはよくわからないけれど、物性グループ(公式 web ページ)というのは、日本の物性研究者の「任意の集まり」だ。 基本的には、それぞれの大学の学部とか研究所とかいった単位で、「ぼくらは物性研究者です」といって(会費を払って)登録すれば会員になれるものだと思う。 ぼくも一応は会員になっていたのだが、それにどういう意味があるのかは分かっていなかった。 でも、少なくとも物性グループの各部署での「まとめ役」である物性委員会委員には、基研の運営協議会委員を推薦する権利があり、運営協議会委員は基研の方針に実質的に影響を与えうるのだ。 つまり、物性グループも(研究社会のなかで)「政治的な」役割をもっているということになる。

ううむ。知らなんだ(物性グループの web にはちゃんと書いてあった・・・)


「研究者の任意の集まりが実質的な力を持っていいのか?」という議論はありうるわけだが、そこまで踏み込むのはやめておく。 そもそも、こういう歴史的な事柄はおいそれとは変えられないだろうし。

ここでは、「物性グループから物性の委員 4 名を選ぶ」ということの意味について少々書いておきたい。 これはぼくが委員に推薦されたこととも関連しているのだ。

物理を専門でやっている人には言うまでもないだろうけれど、物性の研究者のうちの圧倒的な多数は「広い意味での固体物理学」に関わっている。 固体物理学というのは、具体的な物質に立脚した研究分野で、現代文明を支える様々な物質(半導体とか、強い磁石とか、超伝導体とか、いろいろ)の研究にもつながる。

一方、同じ「物性」の括りのなかでも、ぼくなんかがやっている「統計物理学」というのは(まあ、名前はどうでもいいんだけど)、具体的な物質にはそれほどこだわらず、むしろ「物を離れた」ところで見いだされる普遍的な現象や(マクロな)法則を探っていくという研究分野だといっていいだろう。 ぼく自身の研究でいえば、「なぜこの世には磁石があるか?」という物に立脚した問いから出発して、具体的な物質からは離れたところで「電子の量子力学的運動と、電子間のクーロン相互作用だけから強磁性が現れる機構」をぎりぎり抽出したモデル(田崎モデル)を研究したのなんかが、統計物理学の精神をよく表わしていると思う(もちろん、これは大ざっぱな分類で、固体物理学と統計物理学の境界はもっと曖昧だけれど)。

基研の物性分野の教授のポジションは 2 名(やっぱり素粒子理論が多い)なのだけれど、だいたい、この内の 1 名が固体物性で、1 名が統計物理学ということになっているようだ。 全体の人口に比べると統計物理の比率が高いわけだが、固体物理については物性研究所という牙城があるし、また「基礎物理学」に力を入れるなら統計物理を取り入れるのは必然的なことだと思う。 実際、川崎恭治さんや蔵本由紀さんなどのすごい人たちが基研の統計物理学の教授職をつとめている。


ようやくここからが本題。

基研の物性のポジションを見ると、固体物理学と統計物理学が(ほぼ)1 対 1。

ところが、基研の運営協議会の委員を推薦する母体である物性グループの大多数は固体物理学の研究者だ。 当然ながら、委員として推薦されるのは固体物理の理論家に偏ってしまうことになる。 別に固体物理の人たちが自分たちの分野の勢力を伸ばそうとしているなどとはこれっぽちも思わない。 そういう感じではない。 ただ単に、固体物理プロバーの人たち(とくに実験家)は統計物理学の人たちのことはあまり知らなくて、それで、推薦に至らないだけのことなのだろう。

これは、しかし、困ったことだと思う。 基研には国内でも重要な統計物理学のポジションがあり、また、基研で統計物理学の重要な会議が数多く開催される。 いろいろな局面(とくに人事選考)で的確な判断をしていくためには、やっぱり、統計物理学がしっかり分かる人が運営協議会の委員に入っているべきなのである。

偉そうに書いているが、もちろん、ぼくがこんなことを認識したのは、ごく最近。 運営協議会委員になることが決まったあと、早川さんにレクチャーを受けて、初めて知ったのだ。 でも、これはそれなりに知っておいたほうがいいことだと思った。


で、今回、めずらしく統計物理学プロバーのぼくが運営協議会委員に推薦されたのは、(会議に出るのは辛いが)バランス的に言って幸いなことだったと思う。

物性委員会の人たちがぼくを推薦してくれたのは、ぼくが固体物理の人たちからも評価してもらえるような仕事(Haldane 系の一連の仕事と、さっきも書いた強磁性の起源)をしていたからだと素朴に思っている。 かれらも統計物理の人を基研に送り込んだ方がいいことはわかっているだろうから、ぼくの名前が挙がったのをみて投票してくれたのだろう。 自慢っぽく聞こえるかも知れないけれど、まあ、自慢ですね。

いずれにせよ、これはよい流れなので、なんとか継続させられればうれしい。 ぼくは 2 年間は委員をつとめるわけだけれど、そのあとも、自然に統計物理の人が委員として出て行くようになるのが理想だ。

それについて、何ができるかというと、真面目に言えば、固体物理学と統計物理学の学問的交流をもっと深めていくのがベストだ。 「大票田」である固体物理の人たちにも統計物理学の研究者の状況を知ってもらえれば、推薦されるチャンスも増えていくと思う。

で、もう一つ、より短絡的な方法は、

統計物理学の人も、もっと積極的に物性グループに加入し、時々は物性委員会委員をつとめる
ことなんだな。 実際、統計物理プロバーの人たちの中には「おれはブッセイじゃねえ」とか言って物性グループに入らない人がけっこういるのだ。 それでぜんぜん困らない気がするし、まあその場ではまったく困らないんだけど、長い目で見ると、これは基研での統計物理学の状況について統計物理学の研究者が発言権を失うことにつながってしまうのだ。 どうだ、大人の世界はわけがわからないだろう。

というわけで、(研究社会での)政治的な発言とは無縁の極致だったぼくだけれど、基研のために、最低限の政治的発言をさせてくだされ。

統計物理の人たちも、物性グループに入りましょう。

さて、まあ、そんな事情を教えてもらい、覚悟を決めて運営協議会に出席したわけである。 でも、まあ、はじめてのことだし、なるべく議長から遠い一番うしろの席にすわり、だいたいおとなしくして、暇なときには(議題の紙の余白とかに)やりかけの計算の続きをしたりと、適当に過ごしていた。

それで、無事に時が過ぎるかと思っていたのだが、なんということか、将来計画委員会委員とかいうのを決めるときになって、なぜかぼくに白羽の矢が立ってしまった!  マジ聞いてないんですけど〜とも言えず、「ちょくちょく京都に来ないといけないんですよね?」とイヤそうに聞き返すと、「いえ、時々です」と所長に返されてしまうし、けっきょくは、引き受けることになってしまった。ひえ〜。

いや、もちろん、ぼくは若い頃から基研にお世話になったと思っているし、この研究所は今でも大好きなので、少しでもお役に立てるのはうれしい。 さらに、これからの若い人たちがぼくと同じように基研で有益な時間を過ごしてもらえるよう、将来計画について少しでも知恵を出せるとしたら、それはやり甲斐のあることだろう。 なので、まあ、引き受けざるを得なかったんだなあと思うわけだが、しかし、これでかなりの頻度で京都に日帰りで出張することになるんだと思うと、なかなか・・・

いや、しかし、まあ、引き受けてしまったからには、ちゃんとやります。

別に、すぐさま基研の将来をぼくの思う方向に変えていこうとかは夢にも思わないけど、でも、ちょっとずつ、ぼくなりの意見を言ったり、重要だと思う意見を耳にしたらそれを委員会に伝えたりといったことはしていこうと思う。

というわけなので、さっそく将来計画委員の仕事をしよう。

「基研は将来こうなったほうがいい」というご意見のある人は私に伝えてください。
念のため、ぼく自身の意見というか雰囲気をちょっとだけ書いておく。 ぼくは、最近の基研は滞在型の国際会議を派手にやったり、どちらかというと「大人の研究者」の顔を見ているんじゃないかなという感想をもっている。 それも大事だろうけど、でも、やっぱり、駆け出しの研究者が、一流の先輩たちと接触しながらのびのびと自由に研究できる場としての基研という側面を失ってほしくないなあと思っているのだ。 将来計画委員会というのにはまだ出たことがないので、そんなことを言える場なのかどうかもまったくわからないけれど、チャンスがあれば、そういう方向で話をしてみようかなあとか思っているのであった。
やたらと長い運営協議会が終わり、江口さんに久しぶりに挨拶したあと、早川さんのオフィスに行って諸々の雑談。 そろそろ帰らねばという時刻に早川さんの部屋を出て、太田さんの部屋をノックして KCM について一瞬だけ議論して疑問点を解消。 実に濃密な時間を過ごし、基研をあとにした。

[kamo1]

疲れてはいたが、このままバスやタクシーに飛び乗るのは面白くない。 せっかく京都に来たのだから、夕暮れの街を地下鉄の駅まで歩くことにする。 いつもホテルの行き帰りに使っている、歩き慣れた道だ(←ぼくは方向音痴なので、いつも同じホテルに泊まり、いつも同じバスに乗り、いつも同じ道を歩く)

学生時代からずっとそうなのだけれど、ぼくは、京都の街並みには不思議な「懐かしさ」を感じる。 もちろん、この街で暮らしたことは一度もない。でも、確かに、「懐かしい」。

[kamo2]

ぼくは将来は京都に職を得て京都で暮らすことになるので、その「未来からの記憶」で懐かしさを感じているのではないか、などとアホな空想をしていたこともあった。 しかし、だいたい将来の展望が固まった今では、そういう可能性は考えられなくなってしまった。 あるいは、京都で暮らしている「別の現実」での自身の記憶が紛れ込んで、懐かしさを感じるのか?

いい歳のおっさんが、そんな中二的な考え事をしながら歩いていくと、ちょうど夕暮れの鴨川に差しかかる。

地元の人も観光客も、何人もが、河原に降りて飛び石を渡り、あるいは、ズボンのまま川の中に入って遊んでいる。 ぼくも石の階段を通って河原へと降りていく。

大きく深呼吸をして、上流と下流の景色をしばらく眺める。 ミーハーだけれど、素敵なところだ。 またこの街に戻ってこられたのはうれしい。そして、この街で、多少なりとも責任のある役割を果たすというのは、やはり、誇らしいことだ。 よし。また、ここに戻ってこよう。そして、あずにゃんも歩いた この河原をまた歩こう。


2011/9/11(火)

10 年前、「君たちが大人になっても、この事件のことは語り継がれるだろう。」とまだ幼かった子供たちに話し(2001/9/12 の日記)、半年前、「まさか生きているあいだにこんなことがおこるとは」と妻や成人した子供たちと語り合った。

現実の世界で希に(しかし、人生のうちに何度か)おきることは、ぼくらの貧困な想像力を越えている。


池袋のジュンク堂に行き、(他の書店で入手困難になってしまった)「科学 9 月号」を購入。

読むべきところは多い。


ついでに、堀茂樹氏がアゴタ・クリストフの追悼文を書いているというので、「文學界 10 月号」も購入。さすがに普段はこんな雑誌までは買わない。

開いてみると、お目当ての記事の直前に、金子邦彦さんによる小松左京への追悼文があった。これはまったく予期せぬ驚き。 そもそも、この手の雑誌に知人が二人も執筆しているなんてちょっとびっくりである。おれって文化人じゃんって感じ。

金子さんの文章の中身等については実際に雑誌を読んでいただけばいいと思うのだが、それにしても、こういうところに掲載されて違和感のない堂々たる(かといって、変な気負いもない)文章には脱帽。 金子ファンはすぐに書店に行って「文學界」を買うべし。 ぼくとしては、金子さんが追悼文の最後で絶賛している作家(名前は書いていないが、もちろん、円城塔)の作品をちゃんと読んでみようという気になったのも収穫(一冊だけ読んだ。著者のサイン本を持っているのでコネを利用したみたいだが、一般人として普通に書店で購入したもの)

ところで、「今の日本の科学者にはまっとうな文章を書ける人がいない」と言う人もいるみたいだが、金子さんは、そんなことはないという好例である。 だいたい、ぼくらと同世代近辺だけを考えても、金子さんだけでなく、菊池誠さんも(違ったスタイルで)筆が立つし、(一冊しか読んでないけど(2004/4/24 の日記))伊庭さんもすごい書き手だ。で、まあ、一応ぼくもそれなりに文章は書けるつもりなので、けっこういるのである --- と書いてみると、なんか、みんな統計物理学周辺だなあ。


お目当ての堀さんの文章はさすが。 こちらの高い期待を裏切るどころか期待以上に読ませてくれる。

ところで、

アゴタ・クリストフ(堀茂樹訳)「悪童日記」(ハヤカワ epi 文庫)
を未だ読んでいない人は、読むべきだと思う。 別に難しいブンガクしてるわけじゃない。読みやすい本だよ(解説の類は多いだろうけど、いっさい無視して、ただ読めばいい)。

小説なんて小学校の時に強制的に読まされて以来まったく読んでいないとか、ここ二十年ラノベ以外読んだことがないとか、京アニじゃないとダメとか、まあ、なんでもいいんだけど、小説を読まない人でも、今の時代の地球に生きているんだったら、死ぬ前にこれ一冊を読んでおく意味はあると思う。 それくらいのレベルの小説。


2011/9/24(土)

日本物理学会から昨夜遅く帰還。

今日はさすがに疲れが残っているので仕事の能率も低い。ちょっとさぼって学会のことを簡単に記録しておこう(←こう書くと、まるで今日が 9 月 24 日のようだが、実は、ほんとうにそうなのであるっ!)。


学会出発前日の 20 日は多忙。

午前中に物理学科の会議が一つあり、それに伴う作業を昼にすませ、午後からは新棟に移動して学内の会議が三つ。しかも、そのうち一つはぼくが議長である。 こう書くと、前回の「基礎物理学研究所運営なんちゃら」とかともあわせて、責任ある立場をこなす「バリバリおじさん」っぽい感じがするかもしれないけど、まあ、たまたま会議がかち合ったので、面白がって書いているだけ。普通はこんなことない。

で、夕方に家に戻り(それまでは、T シャツ、ジーパンという業務用の服装なので)礼服に着替えて、雨の中を和達さんのお通夜へ。

もちろん何人かの知人と顔をあわせたが話をするチャンスはなかった。 普段立ち入ることのない四谷の大きな教会のなかでの不思議な時間だった。こう書いていても、ずっと前のようで、たった 4 日前とは思えない。


台風 15 号が本州を縦断しようとしている 21 日に電車で富山へと向かう。

われながら幸運だったと思うが、新幹線も特急もまったく遅れることなく、無事に昼少し過ぎに富山に到着した。 しかし、その時点で、多くの列車が運行停止になっていた。また、学会に向かおうとしていた多くの人たちが、色々なところで足止めを食っていたこともあとで知った。

午後からはひどい雨で、富山大学に向かうのも、会場内で移動するのも困難をきわめた。 セッションのあいだの休憩時間に隣の建物に移動するだけで、突風に吹かれ、雨に濡れ、道に迷い、トイレはない。 学会の会場移動でこれだけ苦労したのは初体験。

台風が去った 22 日もずっと雨だったし、晴れていた 23 日(昨日)もお昼の弁当を外で食べようとしていたら急にお天気雨に降られたりで、天候は最悪であった。


今回は、森國さんの発表の共著者になっているだけで、自分自身は発表もなく座長もなく、気楽な一般参加(←「申し込みを忘れた」とも言う)だった。 しかし、(雨風で苦労した以外は)とても楽しく、充実した学会になった。

今回は、どのセッションにでるかを事前にあまり深く考えず、直前にプログラムを見て、適当に面白そうに見えるところに行って講演を聞いた。 なので、短めの滞在の割には、「情報統計力学(領域 11)」、「量子エレクトロニクス(Bose 粒子系の理論)(領域 1)」、「表面系の電子輸送(領域 9, 4, 6, 7)」、「確率過程・確率モデル(領域 11)」、「非平衡定常系・生体分子機械(領域 11)」、「古典・量子可積分系・離散系(領域 11)」、「量子論基礎・その他の量子系(領域 11)」と、多くのセッションに顔を出した。 もはや遠慮という言葉は我が輩の辞書にはなく、どのセッションに行ってもぼくのペースで質問・コメントし、必要に応じて議論に絡んできた。

表面電子輸送のシンポジウムのときは(以前、学習院にいた)岡本さんの話を聞くつもりで会場に向かったのだが、諸般の事情で到着が遅れ、会場についたのは、ちょうど岡本さんが次の人にマイクを渡しているところだった。会場を見渡しても知っている顔がほぼ皆無のアウェイだったけど、そのまま残りの二つの講演を聞き、きっちり質問・コメントしてきた(予期せぬ収穫もあり有益だった)。 「量子可積分系」のセッションでの丸山さんの話が面白そうだったので、非平衡のセッションを抜け出して聞きに行ったのだが、会場に入ったらもう丸山さんの話のまとめの部分になっていた(余裕をもって、一つ前の講演を聴けるはずの時間に行ったのだが、プログラムが大きく狂っていたようだ)。多分、話のもっとも本質的な部分は理解したつもりだが、やはり本論を聴けなかったのは残念。さすがに質問はできないと思って黙っていたのだが、桂さんの質問への丸山さんの答について、ついコメントしてしまう図々しさ。 森川さんの話があると知って、初めて顔を出した「量子論基礎」のセッションでも、けっきょく全ての講演に質問・コメントしていた(全さんの講演が素晴らしく、これも予期せぬ収穫の一つ)。

そういう調子なので、大学院生の発表にもびしびしコメントをつけ、研究テーマそのものに疑義を呈し、ついには、発表の仕方や英語のまずさについても注文をつけるという、偉そうで、迷惑なおっさん全開である。 でも、そういうおっさんは絶対に必要なので、わしがやるのである。 おまけに、言っていることは正しいし、学問的な内容についてのコメントは(あとから考えても)すべてほぼ正確で意味があったと思うぞ(←そういうことを書くから、さらにイヤなおっさんになる)。


今回は、空き時間も充実していたのがうれしい。

(風雨の中の)移動でつぶれたりしないかぎり、休憩時間や昼休みも、だいたい誰かと議論したり雑談したりして過ごしていた。 特に、非平衡定常系に関しては、中川さん、沙川さん、清水さんなどと、ず〜っと議論を続け、いろいろなことがクリアーになってきた。

今、佐々さんや斉藤さんはスウェーデンで非平衡関連の滞在型研究会に出席していて、いろいろと議論が進んでいるようでうらやましいなあと思っていたのだ。 でも、こっちはこっちで、なかなか楽しかったので「うらやましさ」がかなり軽減したのである(実は、沙川さんもスウェーデンに招待されていると信じて疑っていなかったので、かれは学会にいないと思い込んでいた)。

最終日の午後の最初のセッションのあとは、お茶大の森川さん(←実は同級生)をつかまえて、若い人二人といっしょに彼の話について詳しく聞きいろいろと関連することを議論した。そもそも宇宙物理の森川さんが富山の学会に出ていること自体が驚きだったので、これは、本当に予期せぬ大収穫。 「宇宙の波動関数」について、ぼくが信じることを明確に言語化して話すのは珍しいことだ。愉しい。


[toyama]

森川さんと議論したあと、まだ学会は続いていたが、一人、会場をあとにする。

連日の雨で、駅からの行き来には路面電車やバスを使っていたのだが(で、23 日の朝の路面電車の運転手さんが、一瞬垣間見ただけなんだけど、いわゆる「美人過ぎる運転手さん」だった!!)、ようやく晴れているので、駅まで歩くことにした。

路面電車の線路に沿って歩くのも芸がないので、大学の正門からそのまままっすぐ進んで、街の様子を見ながら駅に向かう --- などと書くと、方向の分かる人のようだが、もちろん単に iPhone の道案内に従っているだけ。 地図上の GPS での位置表示をガチ見しながら指示の通りに歩くのである。 地図がわからないことと、微妙な位置のずれが影響して、ちょっとだけ迷ったりもしたが、富山の街を軽く 30 分ほど歩いてちゃんと駅に帰り着いた。 右上の写真は、とちゅうで通ったナントカ橋からの景観。 ナントカ川のむこうに、ナントカ連山が見えている(付記:日記の読者の方に教えていただきました。これは神通川を渡る富山大橋からの景色で、遠くに見えるのは笹津方面の山並みだそうです)。

台風の影響はもはやないと思っていたが、このあたりの雨量はすさまじかったようで、北陸本線の特急は一部の区間で徹底した徐行運転。たぶん、まだ検査が完全に終わっていないところでは徐行するというルールなのだろう。 あわてて走って事故をおこすよりはずっとよい。

けっきょく、予定より一時間程度遅れて東京に到着。

さあて、色々とやることは多いぞ。がんばろう。


2011/9/25(日)

東京はすっかり秋。快晴の素晴らしい休日になった。

情けないことだが、旅の疲れが取れていないようで、朝も寝坊だったし、昼過ぎにはベッドで軽く昼寝してしまった。

というわけで、仕事もゆるゆると。事務雑用のメールをいくつか書き、スウェーデンで盛り上がっている(←やっぱりうらやましい) Christian Maes や佐々さんと少しメールのやりとりをし、こちらも負けじと、斉藤さんとの仕事の関連で少しだけ計算をして論文草稿に追加したり。


ところで、世の中(というより、一部マスコミ)の反応が異常なので、ちょっとだけ書いておくけど、「ニュートリノの速度が光速を越えた」という OPERA の実験結果
The OPERA Collaboraton
Measurement of the neutrino velocity with the OPERA detector in the CNGS beam
については、ぼくは(そして、多分ほとんどの物理屋は)ほとんど何とも思っていないでっせ。

もちろんどんな物理法則だって、ある日、より包括的な法則に座を譲る可能性はある。相対論だって例外ではない。 しかし、真空中の光速が情報伝達速度の上限であることは、ものすごく多くの異なった方向から、ものすごく多くの実験事実・観察事実によって支えられている。

今回の一連の実験の結果がそれに矛盾するように見えたからと言って、即座に相対論をひっくり返るなどということは、まったくあり得ない。 相対論を支持する側の実験は無数にあって、今回、一つ「あれ?」という結果が出ただけ。 おまけに、1987 年のマゼラン星雲の超新星爆発のときのデータから、ニュートリノの速度は相当の精度で光速に近いことが分かっていて、これは(色々と無理なことを言わないかぎり)今回の実験結果と整合しない(詳しくは、野尻美保子さんの解説などを見てください)。

OPERA の実験はものすごく慎重に進めているようだけど、それでも、どこかに落とし穴があるのだろう。 実験技術の詳細に関わるような細かい(それほど面白くない)ことが原因というのがありがちなオチだけど、もしかしたら、「あ、なるほど!」と思うような物理的に面白い見落としが原因になっているのかもしれない。 それを考えるのは最高級の愉しいパズルだけど、まあ、その道の専門家にまかせておけばいい。

だいたい、科学の実験にしろ理論にしろ、たいていはたくさんの間違いをおかしながら、徐々に改良して、なんとか少しでも「真実」に近い物へと接近していくものなのだ。 一つの実験が出ただけでたちまち法則が見つかったり否定されたりして、一気に話しが進むというのは圧倒的な誤解。 ただ、そう誤解している人はすごく多いみたいだ。 科学に専門的に接していない人はもちろん、大学レベルの専門知識を持っている人のあいだにもそういう誤解は蔓延している気がする。

そして、そういう誤解の原因を作っているのは、実は、ぼくら専門家なんじゃないかなと考えている。 たとえば、高校の物理の教科書とか、一般向けの科学の解説書とかをみると、「○○の実験をした結果、××の法則がわかった」的なものすごく安直な「ニセの科学史」が書いてあることがすごく多い。 実際には、膨大な実験がおこなわれ、それらについて様々な理論的考察があり、混乱し、試行錯誤しながら、しっかりした自然の理解が作られていったのだ。 そういうことをしっかりと伝えない科学教育はやっぱり欠陥だと思う。

今回の騒ぎについて言えば、

  1. 「マイケルソン・モーレイの実験」が出た
  2. 「アインシュタインの相対性理論」が出た
で特殊相対性理論の歴史がおわって、今日に至っているという風に考えてしまうと、第 3 番目に OPERA 実験が来るんじゃないかと思ってしまうのだろう(そして、「タキオンの性質はどうのこうの、タイムマシンはどうのこうの・・」と相対論の生半可な知識を出し合う大会になってしまう。おまけに、ここぞとばかりにバンドの「相対性理論」に急に言及したりするのだ。ぼ、ぼくだって、アルバムは全部もっているし、重症の「まるえつ中毒患者」として暮らした日々もあるのじゃ(と、ぼくも言及してしまった))。 でも、実際はまったくそんな風じゃない。 実験的にも、理論的にも、特殊相対性理論についての理解は激烈に進んでいるのだ(古典電磁気学についての精密実験は相対論の検証そのもの。高エネルギーの実験が相対論的量子力学や場の量子論と整合することも特殊相対性理論の検証、などなど)。

「それでも、今回の OPERA 実験が物理学の大革命の第一歩だという可能性はあるだろう。それを否定するのか、この頭の固い学者めが!」とおっしゃるかもしれない。いやいや、もちろん、(可能性はすごく低いけど)それは否定しない。 でも、仮にそうだったとして、相対論の不備が本当に実験的にはっきりするには時間がかかるだろう。同様の追試で結果が確認され、さらに、天才的なアイディアによる別の角度からの実験・観察でも追認され、それで、もうどうしようもないぞということになって、いよいよ本格的な理論的追求の始まりだと思う。 特殊相対性理論は本当に見事な理論的枠組みで、物理学の広範な部分をしっかりと支えているので、その修正は一朝一夕のアイディアでできるものじゃなくて、長い年月にわたって理論的な模索が続くだろう。 もちろん、そうなったら最高に愉しい。みんなが(たぶん、ぼくも)大喜びで「新相対性理論」の構築に参加するだろうと思うよ。


昨日の自分の日記を読み返しながら、学会のとあるセッションでの自分の発言を反芻する。

二つの正反対の性格の(しかし、似たような数理的対象についての)発表があった。 一方に対して、ぼくは「とても面白い」と前置きしてから技術的な質問をした。 もう一方に対しては、「で、これから先、何やるの? 自分では面白いだろうけど、本当に、他人にも面白い何かがでてくるの?」と失礼なコメントをしたあと数理的な質問をした。

どちらも、正直きわまりないぼくの考えだったけど、しかし、発言のモードはまったく異なっていた気がする。 ぼく自身が、この二つからどちらか一方を選んで自分でも研究しろと言われたら、学会会場ではけなした後者を選ぶんだろなあと思うから(逆に、学生さんにやらせるなら前者)

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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