茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
「宇宙クイズ」の問題が映し出されていた会場正面の巨大スクリーンの画面が、何の予告もなく、切り替わる。 ディスプレイとコンソールがずらりと並んだ管制室を高い位置のカメラから見下ろした映像が現われる。
NASA の管制室だ。テレビでよく見る打ち上げ時の緊迫した場面とは違い、人もまばらでリラックスした空気が漂っている。
会場にいっぱいの約二百名の子供たちのあいだから「ああああ」という驚きとも喜びともつかぬ声があがる。 ようやく「時間つなぎ」のイベントが終わって、本題である「国際宇宙ステーションとの交信イベント」が始まるのだ。
「国際宇宙ステーションの古川さんと筑波宇宙ステーションに来た子供たちがリアルタイムで交信する」というイベントを妻が取材して RikaTan(←小さな理科教育雑誌です)に記事を書くことになっている。 ちょっとした成り行きで、ぼくも取材の補助として同行しているのだった。
別に冷めた目でみるつもりはないのだが、
「宇宙といっても、国際宇宙ステーション(ISS)は地球スレスレをまわっているだけじゃないか」といった感想が、ついつい、頭をよぎる。「国際宇宙ステーションからの映像がスクリーンに映って、あちらからの音声が流れるわけだが、テレビ中継や CG 映像に慣れっこになっている今の子供たちに、そんなのはインパクトあるのだろうか?」
This is Houston. Frukawa san, are you ready?という音声が流れる。
Houston だ。
ほんものの Houston が、いま現在、大気圏外を飛ぶ ISS に呼びかけている声を、ぼくは、ここで聴いている。
まったく予期しなかったことだが、一気に、胸の奥あたりから何かがジュワ〜とわき上がってくる(←凡庸な表現だが、実感なのだから仕方がない)。ぼくは子供のように素直に感動している。 ほんのわずかだが、涙さえ出てしまった。
なんと、まあ。 子供の頃にアポロの月着陸を「体験」し、アポロのプラモを作り、クラスのみんなで月着陸船の絵を描いていた世代というのは、けっきょく、おじさんになってもこんなものだってことか。
いや、そうでもない。アポロなんてまったく体験していない会場の子供たちだって、素直に感動している。 これは、やっぱり「実体験」なんだ。 そして、ISS だってやっぱり「宇宙」なんだ。
こういう企画では当然のことだろうが、限られた交信時間のあいだに有効に質問できるよう、かなり多めの子供たちが事前に質問を用意して会場に待機していた。 交信時間がおわったとき、自分の番を待ってスタンバイしていた何人かの子供たちはけっきょく何も質問できないまま席に戻っていた。なんかフォローしてあげればいいのになあ。
NASA のスケジュールのため、交信は夜の 9 時過ぎからおこなわれた。 イベントが終わって筑波の JAXA を出たのはちょうど 10 時。ほとんど車のいない常磐道と首都高を走って、ちょうど 1 時間後には帰宅した。 電車で帰った小学生たちは大変だったろうと思う。
ま、古川さんと子供たちのやりとりの詳しいことなどについては、いずれ発売される RikaTan 誌の妻の記事をご覧ください(と、宣伝)。
今日の取材に同行することになったきっかけは、一ヶ月ほど前の
「しょこたん(注:タレントの中川翔子さんの愛称)の取材に行くけど、いっしょに来る?」という妻の言葉だった。
あまり状況を理解していたとは言えないが、多忙だとか騒いでいた割には瞬間で都合をつけて、同行することにした。 いや、別に、しょこたんのファンとかいうわけじゃなんだけど(新しい読者のみなさまへ:田崎は Perfume ファンで、とくに、あ〜ちゃん推しです。椎名林檎のファンでもあります)、可愛くて明るくて頭の回転の早いタレントさんで、しかも、科学を楽しく広めるのに貢献してくれているらしいし、それは、やっぱり会ってみたいではないか。 もし話せたら、「ゼルダ面白いですか?」って聞いてみようとか、「やっぱり、松田聖子は『黄色いカーディガン』ですよね」と振ってみようか(かつては松田聖子ファンでした。今でも「最後の手段(?)」として昔の聖子ちゃんの曲を聴くことはちょくちょくあります)などと勝手に盛り上がる。
ま、落ち着いて考えれば、弱小理科教育雑誌がしょこたんに直に取材するというのはきわめてなさそうなことなわけで、妻の話も、より正確に述べれば、
「しょこたんもゲストとして登場する、古川宇宙飛行士と子供たちが交信する JAXA でのイベントに RikaTan から取材に行くのだが、自動車の運転や写真撮影や録音の手伝いなどをするため、いっしょに来るか?」という意味だったのである。
ぼくが、ただ「しょこたん」にしかピントが合わず、イベントの話などをほとんど聞かなかったので、事情がちゃんと分かったのは、JAXA に向かう車の中くらいだった。 にゃるほろ。ぼくらはしょこたんに直接会えるわけではない。舞台にしょこたんがいて、その後ろに子供たちがいっぱいいて、で、ぼくらは、そのまた後ろでイベントの様子を取材するんだということがわかった。 な〜んだ。ていうか、まあ、そんなもんだろね。
しょこたんに会えないのかと、ぼくが言っていると、妻は、
「あ、でも、トイレ行ったときとかに会えるかもよ」などと適当なことを言う。
ぼくがトイレでしょこたんに会ったら、そのまんま逮捕ではありませぬか。
ステージ上のしょこたんが繰り出す生の「マシンガントーク」の迫力は本物だった。 単に言葉が早くてよどみないだけではない。 一つながりの話のなかで、女の子の日常、雄大な宇宙、今日のイベント、人類と科学の歴史といった複数の激しくレベルの異なる視点が入れ替わり立ち替わり交錯しながら現れるのだ。 ぼく自身、トークの(セミ)プロとして、異なったレベルを行き来する話術ということを心がけているのだが、彼女の巧みさには舌を巻いた。 それ以上に、ピンクの服に身を包んだ可愛らしい女の子の口からあふれ出す、科学技術と人類の未来への確信と希望に満ちた楽観主義に裏打ちされた過剰なまでに生き生きとした言葉たちを脳にリアルタイムで処理させるのは原初的な快感を伴う営みでさえあったでのあったのである。
あと、これもまったく予期しないことだったが、全体の司会をつとめたアナウンサーの出水麻衣ちゃんがすごく明るくて可愛くて司会もお上手で、一発でファンになってしまった。 いや、ほんと、彼女が出てきてマイクをもつだけで、広い会場の雰囲気がぱーっと明るくなってしまうほどの、ものすごいオーラなんじゃ、ほんまに。
今回の企画には、関東を中心に色々なところから(たぶん、抽選に通った)小学生たちが集まってきている。 古川さんとの交信イベントをクライマックスに、宇宙開発に関連するいろいろなイベントを JAXA で体験するという、夏休みの濃厚な思い出作り企画といっていいだろう。 というわけで、冒頭に書いた(ゲストといっしょの)「宇宙クイズ」の他に、コンサートの生中継とか、「宇宙勉強会」と称して企業の人が宇宙関連商品の開発についてレクチャーする企画などが、用意されていた。
まあ、企画の善し悪しにムラがあるのは仕方がないとして、やっぱり、何かが足りない。
そう。一言で「宇宙」といってしまったとき、そこに含まれる凄まじいスケールのこと。 光で見えるもっとも遠いところ、銀河団、銀河、太陽系、地球と月、地球と静止衛星、地球と ISS、地球と飛行機、という階層の目もくらむようなスケール感を子供たちに語ってほしい。 ISS が地球スレスレであることは興ざめかも知れないけれど、逆に、そんなところでさえすさまじい技術を集積させなければ手が届かないという事実は、ぼくら人類が地球のほんの表面だけで生きて来たことを強く実感させてくれるだろう。 それに、最低限の物理。 ISS はそんなに地球に近いのに、なぜ、中は無重力なのか、そもそも重力ってなんなのか? 難しい話はいらない。物理用語を教える必要もない。 古川さんが何気なく宙返りしてみせるという「現実」を目の当たりにすると同時に、その背後にあるシンプルで美しい物理法則を教えてあげたい。その両方に接するのは子供たちにとって真に貴重な経験になるはずだ。
ま、しかし、問題になるのは、それを話す講師だよな。
それだけのテーマを、与えられた時間のなかで、しかも小学生にわかりやすく正確に話せる人はなかなかいないだろう。
ヘタな「先生」を読んで来てくだらない話をさせてしまったら、かえって子供たちが気の毒だしね。
あ、でも、いるじゃん。
ちょうど適役の人がいましたよ。会場の後ろのほうに。マスコミ席に。
「しょこた〜ん、麻衣ちゃ〜ん、ぼく、物理の先生で話も上手だから、ぼくにも話させて〜」
って前に出て行ったら、やっぱり、逮捕ですかね・・
おっと。うかうかしているうちに、8 月も 10 日を過ぎてしまった。貴重な夏休みの日々がどんどん残り少なくなって行くぞ。でも、考えようでは、まだ 8 月も半分以上残っているとも言えるはずだ(はずだと思うのだが、実はすでに 8 月は終わっていて 9 月も 10 日を過ぎようとしているという不思議に時間線が「ぶれる」ようなディック的目眩を感じないではないが、気にしない)。
暑い日々が続くが、ぼくとしては、ようやく復調してきたような気がする。 休みになってもずっと元気がでなくて、用事がないと寝ていることが多かったし、研究への集中力がなかなか高まらないという、若い頃には想像もつかなった「症状」まで見られる始末。 よくよく考えてみると、この低調は、実は震災のショックあたりからずっと継続的に続いていたのかも知れない。
もちろん、今でも、震災と原子力発電所の事故のことは頭の中の多くを占めているし、「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説 」の加筆・改訂(と、そのためのお勉強)にもそれなりの時間は使っている。 ただ、それでも、ぼくの本来のモードが(ようやくって感じだけど)徐々に回復してきているということだと思う。 一昨日には、久々にプールに行ってちゃんと 1000 メートル泳いできたのだ。
研究のほうでは、昨日も斉藤さんと議論。 前の論文に関連したことなどを色々と議論していたのだが、ちょっと思わぬところで、実に愉しい展開があった。 すごい新発見というわけではないけれど、実に頭がすっきりする仕事だし、いろいろな意味で有益なはず。 ま、また詳しくはいずれ。
どんと積み上げられた分厚いレポートの束。 そして、適当に問題を出しているから、自分でも出題内容をろくに覚えていない。 無理数の存在に関する証明問題、相対論からは二つの「パラドックス」に関して現象を説明する問題と座標変換の計算問題、量子論からはスピンの運動の計算問題(←これ、ややこし過ぎ! 自分でやっていてイヤになった)、そして、確率論の初等的な計算と証明問題。 われながら完全にバラバラの出題じゃ。だいたい、数学のこの手の問題の証明って因数分解の一意性を使っていいのかどうかとかルールがわけがわからないではないか(←と出題者が言っていいのか・・)。答案もバラエティがありすぎて、数が多すぎて、苦しい。イヤになる。ああイヤだ。
ま、そうは言っても、いつかは終わる。もう終わった。先週終わったのだが、ずっと(一ヶ月以上)前のことのような気がしてしまうのは何故じゃろう。あんまし覚えていないや。
夏ばてのところに採点ばてで、「ここで断っちまえば、来年は楽になるんだぜ。へへへ」という マクスウェルの 悪魔の声が聞こえるが、そこは、レポートの余白にあった「来年もがんばってください! 絶対にもぐりで出ます!!」という応援メッセージに励まされて、可能ならば担当させていただきたいという返事を送る。
駒場では、わかるならば、来年度の講義のテーマも教えてほしいとのこと。
ううむ。いっつもシラバスを書く寸前に気まぐれの思いつきで決めている(ただし、その「お題」をもとに、全力で工夫して講義をしている)ので、こんな早く聞かれても・・ とはいえ、どうせ思いつきで決めるなら、いつ決めても同じことかもなあ・・・
などと、漠然と思っている、ぼくの脳裏に、ふと、
希望と絶望の相転移(付記:QB「これが二次相転移さ」)というフレーズが浮かんだ。脈絡も出典もわからないが、とにかく浮かんだ。
またそのネタかよ(7/24 の日記)と言われるかも知れないが、浮かんだ物は浮かんだのだから仕方がないじゃろう(注意【わけがわからないと思うので読まないでください】ぼくはアニメについては、女の子が可愛くないとイヤだという主義なので、「まどマギ」には不満がある。だいたい最初のほうの回もちょっとあれだし。やっぱハルヒとかのほうが断然いい。そうはいっても、心に残る作品ではあるのは事実かもしれない。やっぱ、最後のほうの回はすばらしい、何と言ってもほむほむがいいねえ。ぼくの中ではキャラ的には「数学ガール」のミルカさんともかぶるような気がしているのだ。結城先生いかがでしょう? ほら、そう考えると、ミルカさんの万能ぶりも理解できるでしょ? だって、あれだからねえ。やっぱ「私は何度も何度も、あたなを・・」的な。ううむ。そういうわけだったのか。と書いてから思い出してみると、この論点はすでに去年の初頭(!)に集合論研究者のくるるさんが提示されていたではありませんか。さすがだなあ、って本当にどうでもいいですね。すみません)。
相転移は、物理の幅広い分野に登場する、めちゃくちゃ魅力的でかつ普遍的なすばらしい現象。 しかも、ぼくにとっては、物理学のプロとして研究をはじめた当初に全力で取り組んだ(けど、大した結果は残せていない)思い入れの深いテーマなのだ。
といわけで、来年のテーマは相転移。どういう素材で勝負するかは、これからゆっくりと考えましょう。ただし、希望や絶望や魔法少女は出てこない(と思う)ので期待しないこと。
早い物で、もう 8 月も後半だ。 12 日に日記を書いたのがほんの少し前のことのように感じる。ていうか、ほんと数時間前みたいな気が無性にするが気のせいだろう。
実は、あれから予定が急変し、14 日に東京を離れて、少し長野にいた。 で、長野から京都に向かい、研究会に出席して、昨日の夜遅く東京に帰還。けっこうあわただしかったが、イベントも多く充実した楽しい日々だった(予想外のこともあったのだが、まあ、それは個人的な話)。
非平衡系の物理:ミクロとマクロの架け橋去年の同趣旨の研究会(2010/11/20)には世話人の一人として参加したのだが、今年は一般参加(?)である。
2011年8月18-20日 湯川記念館パナソニックホール
少し長目のレビュー講演と、希望者全員による 5 分講演+ポスター発表という企画で、これはなかなかよかった。 5 分というのは短いようだがちゃんと準備して話せばかなりの情報が伝わる。 ぼくは、すべての 5 分講演をほぼ最高の集中度で聞き、理解できることはほぼ全て理解した自信がある。疲れるが、ものすごく充実する。
一方、ポスターを聞くのは相変わらず難しい。ぼくが背景などを理解している話で、かつ二人きりなら、ぼくのペースで分からないところだけを教えてもらえば能率的なのだが、そういうチャンスはなかなかない。よく知らない話(たとえば、今回聞いたブラックホールの membrane paradigm を量子化する話とか)の場合、背景の思想についてまで確認しながら聞いていると、すごく時間がかかってしまう。いったいどういう聴き方が正解なのか、未だにわからない。 ぼくも去年みたいなポスターを出したかったのだけど、レビュー講演を仰せつかったので残念ながら不参加。来年はポスター持って行くぞ〜。
よく、忙しい社会人の「寝てない自慢」みたいなのがあって、そういうのが自慢になるのは日本人だけ(←本当かどうかぼくは知らないよ。日本人以外の国民性について、ぜんぶ知っている人っているのかな??)だからよくないとかいう話があるけど、研究者の「発表の準備できてない自慢」もそれに似ていると思うなあ。 「前日に必死で書いていた」とか「学会に来てからホテルで計算してた」とか「会場で前の人の講演のあいだに必死でスライドを書いてた」とかいうのが、「武勇伝」チックに伝えられるのってよくないと思う。 仲間の研究者に時間を割いてもらって研究の話を聞いてもらおうというのだから、完成度の低いプレゼンテーションを出すのは失礼なだけじゃなく学問的にマイナスが大きい。
だから、会議の前に、プレゼンテーションのスライドを完成させ発表の練習もしてくるようでなくてはいけない。 その上で、会議が始まってから、スライドを最終的に改良し、練習も仕上げていくのだ。 準備ができていないのは純粋に恥ずかしいことであって、かっこよくもなんともないのである。
と、こうやって長々と書いたが、今回、ぼくはこの「恥ずかしい」奴になってしまったということが言いたかったのだ。 ああ、お恥ずかしい。
恥ずかしいだけじゃなくて、実質的に苦しかった。辛かった。
夕食や懇親会のあとも、みんなと飲みに行ったりカラオケに行ったりもできずホテルに帰って、遅くまで準備や練習をする。 それでも細部の仕上げに不満があったので、休憩時間をずっと準備に使うため昼食もコンビニで買ったパンですませる日々になってしまった(初日はラーメン食べたけどね)。 そうやって挽回につとめたので、スライドの完成度は(ぼくにとって)普通のレベルに達したと思う。 内容の選択はちょっとマニアックだったかなあと反省しているのだが、まあ、それは別の話。
ぼくの好きな湯川ホールのロビーで、世話人を中心に何人かが残って、尽きることのない議論を続けていた。 ぼくは、黒板で(前から聞きたかった)太田さんと佐々さんのやっている KCM の話を(もうすぐフランスに発つ)太田さんから聞き、その横では、斉藤さん、根本さん、沙川さん、そして佐々さんが非平衡熱力学関連の議論をしている。 佐々さんが途中から太田さんとぼくの議論に参加したり、ぼくも太田さんとの話が行き詰まると、斉藤さんたちのほうの議論に加わったり。 東京組が出発するまでのあいだ、山から降りてきた夕闇が京都の街を包み込むあいだ、すごく濃密な議論の時間と空間だった。こういう湯川ホールの空気が好きだ。
ちなみに、太田さんと佐々さんの話には、数学的に示した方が望ましい命題を計算機シミュレーションに頼っているところが一カ所あった。 「これは証明したほうがいい」とぼくが言うと、太田さんは「それはそうだけれど、この手のモデルの他の例でそういう証明をするときには、過去の数学者の定理を流用するのが常套手段で・・」と答える。 ぼくは、つい反射的に「ぼくも数学者だ」と言ってしまった(いや、本当は違うんだけど。でも、それくらいの定理なら数学的に厳密に証明できるってこと)。そして、「その証明は、ぼくがやる。やればできる」と宣言してしまった。 あ〜あ、わざわざ宿題を背負い込むこともないじゃないかという気もするが、でも、すべての「物理」はクリアーに見えていて、面白い話なんだから、すべてが数学的に厳密にできている方がずっと気持がいい。数学として必要なのは本質的なものじゃなくて、純粋に技術的なものだ。パーコレーションのプロなら誰でもできるレベルの話だから、やっぱり証明を通しておきたい。
ああ、なんだ。思っていたより簡単。独立でないパーコレーションでイヤだと思っていたけど、ちょっと工夫すればほぼ常套手段で無限クラスターの存在証明ができるではないか。 よかった、よかった。出たばかりの夏休みの宿題ができた(付記:実際、この日に太田さんに出題された問題は、ここで解いていた。後日、その問題を解いたのではダメで、もうちょっとややこしいモデルについて証明が必要なことが判明したのだけれど、それも、割ときれいに解けた)。
そうこうしながら、iPhone でメールをチェックすると、中川さんかメールが来ている。 研究会のあいだ、彼女が新しく示した関係式について「これだけ自然できれいな関係式だから、もっと短い導出が存在するはずだ」という話を何度もしていたのだ。 そして、新幹線の中で計算した結果「5 行で出せる導出ができた!」という報せだった。
新幹線で移動しながらも研究は進む。ぼくも「パーコレーションの課題ができた」というメールを佐々さんと太田さんに送った。
やれやれ。バタバタしているうちに、8 月も今日で終わりではないか(ということにしておく)。
例によって、少し前に、また一つ歳をとったわけだが、まあ、それは気にならない。ここまで来ればプラスマイナス 1 歳は誤差のうちである。
すでにネタは出尽くしているつもりだったけど、斉藤さんの提案により時間反転対称でない系を調べてみると、ああ、なんだ、こういう構造だったのか、というわけで、またしても予期せぬ進展。というか、自分たちのやっていた議論の意味がかなりよくわかった。 前に思っていたよりもずっと一般的な話を作っていたんだ。これはいいですなあ。論文書くので詳細は待ってください。
やっぱり、仕事が多少でも進むと気持がいい。 斉藤さんのおかげで、この夏休みの充実度がアップしたな。
既発表曲の新テイクも何曲かあって、まあ、力の抜けたアルバムなのかなあと思っていたが、(確かにそういう側面もあるが)一曲目の「グロい花」はすごい威力の濃厚な 8 分の 6 拍子ロックだ。 他にも(これは、既に特製シングルでデモ音源が出ているのだが)「夕暮れメモライザー」など激しく心にひっかかる曲がいくつか。
いや、これを読んでいる人に「かまってちゃん」をお奨めする気はまったくないし、ぼくもなんで、このバンドの CD を全部買って(応募するともらえる特製 CD シングルまでもらい)リピートしているのかは完全にわかっていないのではあるけど(聴き始めたきっかけは、旧友の作家別唐昌司のブログ記事。「ハルヒ」を見たのも、「ほむほむ」を見たのも別唐氏の影響。おれのせいじゃない)、でも、すべての曲を作っている「の子」がきわめて非凡な才能をもった音楽家だというのはたぶん正しい。 いじめにあってたとか非リア充の人生を歌っているとかいうのはまあどこまで本質かわからないが、ぼくとしては、日本の小学校とかに通って日本で大人になった人(の一部)が普遍的に感じているある種のぎごちない感覚が絶妙に表現されているという気がするんだけど、まあ、それもよくわからない。 そういったことを抜きにしても、歌詞とメロディーとアレンジ(オーケストレーション?)のマッチングの絶妙さは異常なレベルで、出来合のかっこいいアレンジを組み合わせて量産する曲たちとは本質的に一線を画しまくっている。 かれらの曲をたまたま YouTube で聞いた(元イエスの)ジョン・アンダーソンが驚愕して
The word "symphonic rock" is not for us. It's for them.と語ったというのは、既にぼくらプログレ世代のおじさんのあいだでは有名な話だというのは、ぼくがいま作った 2 秒でばれるウソではあるが、まあ、そんなウソも書きたくなる 8 月の終わりである。(シンフォニックロックという言葉は、ぼくらのためのものではない。かれらのためのものだ。)
さて、「かまってちゃん」のアルバムのタイトルは「8 月 32 日へ」。
まあ、ベタなタイトルではあるけれど(で、ベタな物をかれらがやると、かえって異常に見えるという効果がでているわけだが)、8 月が去っていくのがなかなか認められず 9 月半ばになっても白々しく 8 月の日記を書き続けるどっかの人の姿を予感するようでもあって悪くはない --- などと白々しく結んで、ようやく 8 月の日記を終えることにしよう。