日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2010/11/20(土)

京都での研究会「非平衡系の物理 --- 非平衡ゆらぎと集団挙動」が終わり、夜の新幹線で東京に向かっている。 ぼくは組織委員の一人として参加し、ポスターで発表をしてきた。

[Kamo river with steppingstones] 三日間の会期のあいだ、京都は --- ごくまれに、思い出したように雨が降るのを除けば --- よい天気で、太陽の光に満ちて明るく、暖かく、きわめて快適だった。 いつものことだが、お寺や神社や古い家屋が溶け込んだ京都の街を見ながら歩き、ふと目を上げると遠くないところに山が見えると、京都に「戻ってきた」という不思議な感覚がやってくる。 山の木の一部が枯れていることが問題になっていると聞いたが、そんなことは言われてみないと気づかない。 朝、ホテルから 35 分ほどの道のりを歩いて大学に向かうのも、東京からの旅行者にとっては素晴らしい観光である。 二日目は時間に余裕をもってホテルを出たので、鴨川べりに降り、飛び石を伝って川を渡った。 (ここで「けいおん!」ネタに持って行くと予想したごくごくごく一部の読者には申し訳ないが、その方向には行かないのである。ガチの研究者日記なのである。)


研究会でのいくつかの講演は文句なく素晴らしかった。 十年後に日本の外からふり返っても十分に残っていると確信できる新しく重要な仕事について、本人たちの口から生き生きとした説明を聞くことができた。 ある程度知っていた話についても学ぶところは多かったし、はじめての話には素直に興奮した。 そういう意味で、研究会の初日は、午前の特別講義から、(初日の招待講演者4名のうちの3名と同席できた)夜の飲み会まで、天国のような幸せで充実した時を過ごした。

懐かしい人たちと再会して話すことができたし、また、新たな出会いもあった。 この「日々の雑感的なもの」を愛読してくださっているという方には、

「Perfume の話が、普遍性につながっていくところが素晴らしい」
と言ってもらえたぞ! (そ、そんな高尚なものを書いてたっけ・・・) 去年の講義で時おり見かけた「謎の人」の正体もわかった。 さらに、元気でやる気のある学生さんたちと出会えたのは本当にうれしいことだ。
とはいえ、全てを等しく楽しんだというわけにはいかない。

ぼくの知識不足と意欲不足のせいなのかも知れないが、聴いていても、ほとんど何も学べない講演もあった。 (ほとんど貢献はないのだが)組織委員の一人として参加している以上、さぼらず全ての講演を一生懸命に聴こうと決意していたので、そういう時間は苦しかった。 つい、考えかけている問題(なんと、まあ、連続空間の電子系の強磁性の問題を考えはじめているのだ。無茶に決まっていると知っているのに・・・)について計算したいという気になってしまう。 詳細はともかくとして、科学的な動機がほとんど共有できない話を我慢して(ずっと一番前で)聴いているというのは、こちらにも苦痛だし、そもそも、講演者にも失礼だろう(仮に、それが招待講演者ならなおさらである)。申し訳ない。 やはり、組織委員として参加する以上は、すべての講演を本気で楽しんで聞けるようでなくてはいけない。 理想論だと言えばその通りだが、手を出す以上は理想を追求するのが、ぼくのやり方ではなかったか?  今後、この手の組織委員をやることになったら理想に向けて本気で取り組まねばと思う。

さらに言えば、研究会の一部で(まるで、どこか個人の研究室の内輪のセミナーのような)「身内の集まり臭」が漂いはじめた(自分が講演するに至った「裏の経緯」(ぼくら組織委員も知らないようなことまで)を披露したり、「佐野さん(組織委員の代表)的には、××のテーマについて話したほうがよかったかも知れませんが」と発言したり・・・)のは、きわめて不快に感じた。 ぼくが不快感を明確に表明したことを不快に感じられた参加者がいらっしゃったら申し訳ない。 けれど、少なくともぼくが組織委員として参加している以上、そういう空気は看過できなかったし、看過すべきでないと信じている。


いつも書いていることだが、京都、特に、基礎物理学研究所は、ぼくにとっては特別の場所だ。

ここに「戻ってくる」たびに、学生時代から、昨年の暑い暑い夏の会議まで、数多くの基研訪問のことを(もちろん、記憶はごちゃごちゃだが)思い出す。 人生のさまざまな局面で、学問的にもいろいろな状況のなかで、ぼくは京都を何度も訪れたのだなあと実感する。

この短い滞在のことを、何年か後には、どういう風に思い出すのだろう?


さあて、愚痴などを書いているうちに、品川までやってきた。東京ももうすぐだ。

明日は指定校推薦入試がある。 朝早くから大学に行って段取りをするところから主任の仕事が始まる。 働くおじさん(あくまで、当社比です)だなあ。


2010/11/21(日)

さすがに旅の疲れでぐっすり眠りたいところだが、指定校推薦の入試のために朝から大学へ。 試験室の変更などに対処して、段取りを打ち合わせるところから始まって、ともかく、無事にすべてが終了。

予想以上に疲れていたけれど、なんとなく、昨日、新幹線のなかで書いた日記に少しだけ手を加えて web 上にアップ。

そこらで力尽きて、オフィスに置いてあるソファに倒れてしばらく眠った。

うつらうつらしていると、メールの着信音。ソファに寝たまま iPhone (←実は、買ったばっかりなのである)でチェックしてみる。 東京物理サークルの K さんからのメールだ。 11 月になって日記が一向に更新されないので頻繁にチェックしては心配していたところ、ようやく新しい日記が公開されたのでよかったという内容だった。

このような web 日記を待っていてくださって、しょっちゅうチェックしてくださっている方がいらっしゃると思うと、恐縮であると同時に、うれしくなる。 よし、こうなったら、今年の残る日々は一日も欠かさずに更新するぞ!!




というのはまあ無理だが、ほどほどの頻度で、「Perfume の高速ステップのスタビリチーを論じて、あわせて量子多体系の時間発展に及ぶ」ような、個別性と普遍性の対位法の妙が冴えまくる日記(←その場で適当に書いているので深く考えないでください)をお届けしようと心に誓うのであった。


休養のあとは、京都に行く前に放り出していった雑用を処理。 また、講義の準備が立ち後れているので、まずは明日の量子力学の講義の準備。

明日は少し寝坊したいところなのだが、突発的な用事で朝一番に大学に行かなくてはいけない。 明日も働くおじさん(当社比)である。


2010/11/22(月)

ポスターセッションに昭和の風邪じゃなくて --- 研究会に手書きポスター登場

[Hal's poster] 京都大学基礎物理学研究所で 11 月 18 日から 20 日まで開催された研究集会「非平衡系の物理 --- 非平衡ゆらぎと集団挙動」のポスターセッションに、昭和時代の學会や研究会を彷彿とさせる、模造紙に手書きのポスターが登場し、参加者の生暖かい視線を集めていた。

模造紙に十二色のマジックで書き込んだポスターを作成したのは、東京都在住の中年の自称数理物理学者 T さん。 「ポスターとは、こうやって一枚の紙に下書きなしでえいやっと書き上げた物を言うんじゃ。 一体これ以外のどんなポスターがあると言うんじゃ?」などとあくまで自然体を装う T さんだが、実際には、まわりから浮きまくっていることがうれしくて仕方がない風情だ。 特に若い学生が社交辞令で手書きのポスターを珍しがってみせるたびに喜びが隠せず、「さっきの学生などは、研究会のあとにポスターを捨てるなら、もらいたいなどと言っておったわい。若い者にも一枚物の書き下ろしポスターの良さが分かるんじゃろうか? ふぉっふぉっふぉっ」と得意そうに語っていた。 ただ、結局は「くれ」と言われると惜しくなるようで、研究会終了後には、もう使い道のないポスターを大事そうにたたんで汚いリュックの中にしまっていた。

T さんのポスターをみた若者たちは、 「わざわざ手で書く理由がわからない」、 「字が汚くて読みにくい。H の花文字が謎の記号に見えた」、 「最後のまとめを書き終わったら、下が空いていたらしく、一番最後にどうでもいいことが適当に書いてあって笑った」、 「コンピューターを使えばきれいなポスターが簡単にできるのに、わざわざ修正の効かない手書きポスターを作るなんて意地っ張りのおじさんだと思った。研究にコンピューターを使わないのは少しは意味があるのかなあと今までは思っていたけれど、それも単なる意地っ張りだということがわかった」、 「定理の仮定が強すぎて、意味のある実例を作ることができない。こういうのは、最悪の数理物理だ」 などと、口々に昭和の巧みの技を褒め称えていた。

写真 T さんのポスター。


2010/11/23(火)

祝日。

洗濯をして、いくつかのメールを書き、ギターを弾いて歌って、妻の締めきり寸前の理科教育関係の原稿の仕上げを手伝っていたら(←昨夜、いっしょにビールを飲んだときに手伝ってあげると約束したのであった。酔いがさめても約束は守る正直な夫である)夜になった。 夕食後はメールを書いて、それから、明日の量子力学の講義の準備。自転車操業は続くのである。

ずっとプールに行ってない。 11 月に入ってからは一度行ったきりだから、これはまずいよなあ。


同じ 11 月の祝日の 11 月 3 日には、もちろん、東京ドームにいた

開場前のドームは限りなく広い。遠くのスタンド席はスモークに煙ってかすんで見えるほどだ。 ぼくは、佐々さんに教わったばかりのタイリングの統計力学のバリエーションと展開計算をしながら、開場を待っていたのを覚えている。 ここに、5万人の人々が集まるのだ。Perfume の創り出す時間を共有するために。

座席は奇跡ともいえる、アリーナの D-3 ブロック。 センターステージに隣接する最前のブロックの前から 5 列目っだった。 ステージと客席にあいだには適度な空間があるので、かぶりつきとは言えない。 しかし、メンバーが円形のセンターステージに戻ってきて、うまくこちら側に向いてくれたときには、本当にすぐ近く。

Perfect Star Perfect Style をやる前に、あ〜ちゃんが「こういう曲です」と言って腕を上げて振りを見せたときには涙が出そうになった。 この曲を踊って歌う Perfume を見てみたいと、ずっと思っていたから。

他にも書きたいことはいっぱいあるが、きりがないからやめておこう。

巨大ドームというハンディを感じさせず、5万人の観客を隅から隅まで楽しませる、すさまじいほどに素晴らしいライブだったと思う。 最後の MC の時には、涙ながらに話すあ〜ちゃんに向かって、「あ〜ちゃ〜ん」と二度ほど大声で叫んでしまった。きっと、聞こえてたよ。


ドームに行った話をしたら、「まわりより極端に年齢が高くありませんでしたか?」と聞かれたけれど、そんなことはない。おじさんもおばさんもいっぱい来ています。

八十歳に近いおじいちゃんがお一人で見に来ていて、涙ぐみながら聞いていたという話もネットで話題になっているくらい。 すばらしい。

ぼくの身近には、エネルギーに満ちた八十歳に近い方がたくさんいる。 Lieb 先生や Jona-Lasinio 先生、江沢先生あたりはみなさん、それくらいのお年。さらに、ぼくの量子力学の講義を熱心に聞いて下さっている履修生の S さんも同じくらい。 ぼくも彼らのように年をとりたい物である --- と話題を急転させて結んでみました。


2010/11/24(水)

朝、大学に行って講義の直前の準備とレポート問題の仕上げをするところから始まって、8時半頃大学を出るまで、ほとんどずっと何かをやっていた。

本当に多忙な人から比べれば何でもないだろうが、ぼくの基準では忙しい。 とはいえ、不本意に拘束されてくだらない話を聞かされるといった類の用事ではなく、それぞれに得るところ・楽しめるところのあるものばかりだったので不満はないのだ。


このように、K さん効果(21 日)で、毎日のように何かを書いていると、まるで日記のようである。

というか、もともと日記なのだが。


2010/11/25(木)

夜、すべての仕事が終わったあとで大学の近くで会食。

主任の仕事の一部であるし、たしかに普段は話さない人たちと情報を交換するのは色々な意味で役立つ。


会も終わり頃、ぼくの向かえに座っていた理学部事務の S さんが、外を歩く人たちが傘をさしていることに気づく。

「雨みたいですよ」と S さん。そして、さりげなく「また、先生のつま先が濡れちゃいますね」と続ける。

あ、 読 ん で い ら っ し ゃ っ た ん で す か

Perfume の日記、消そうかな・・・


雨は思ったよりも強く、帰り道は、あちらこちらに水たまりができている。 これで、また靴下の先っぽが濡れたりすると、まるで「web 日記のネタにするためにわざと濡れて歩いている人」みたいでかっこ悪い。 是非とも濡れないようにしなくてはと思って歩いていくと、学習院から目白駅にわたる横断歩道のところでなにやら工事をしていて、横断歩道のところに水があふれているではないか。 何物かが私の靴下の先端を濡らそうと画策しているのか?

でも、きをつけてあるいてかえったので、あしはほとんどぬれていませんでした。


2010/11/26(金)

ゼミが早めに終わったので、帰宅までは、書くべきメールを書く作業にあてる。

ぼくにしては珍しく大事な責任の伴うメールを丁寧に書く。 宛先もかなり多いので、慎重に、何度も確認して送信。 また、頭の痛い話への返信も。もちろん、当事者だけのあいだで、淡々と議論する。 これだけだと楽しくないので、先日の研究会以来、気になっている学問的なことについても考えを整理して質問のメールを書く。 その他、事務的な案件をいくつか、ちゃんとこなす。

で、そろそろお腹も減ったし、帰ろうかなあと思いながら、もう一件を書いて、送信。

よーし。メールをいっぱい書いたから、家に帰って好きなことをしよう・・・

あ! 宛先まちがえた!!


悪い風習だなとは思うけれど、ぼくは、電子メール用のアドレス帳というものを作っていない。

いや、遠い昔には少し作ろうとしてがんばっていた気もする。 しかし、メールのソフトを変えたり、OS が大きく変わったりする際に、それまで作っていたものを上手に受け継げないことが多く、次第にきちんとアドレスを管理するのをやめてしまった。 人から来たメールにはそのまま返信し、また、誰かに出したいときはその人からのメールをみつけて(subject は変えて)返信するだけでほとんどすんでしまう。 あるいは、頻繁にやりとりしている相手のアドレスは、メールソフトが覚えていて、少しタイプすれば勝手に推測してアドレスを完成してくれる。 最近は(もっぱら Gmail を使っているせいもあり)後者のやり方をもっぱら使っている。

ただ、この方式で怖いのは、メールソフトがぼくの意図とは異なる推測をして、うっかりして意図しない人にメールを出してしまうことなのだ。


今回は、××一郎さんに送るつもりで、ich までタイプして、あとは勝手に完成したアドレスにひょいと送信ボタンをクリックしてしまったのだが、実は、最近になってちょくちょくメールのやりとりをしている市○△△さんに送っていたのだった。

がーん! これで、学習院大学物理学科の大機密が漏洩 --- かというと、まあ、学科のコンパの開始時間をいつにしようかという、それだけの話なので、市○さんにお詫びのメールを送って許してもらえば何とかなることだ。 あくまで、コンパの相談になって気が抜けたから生じたミスであって、慎重を期する重要なメールの場合は、こういうミスはおきないことを強調しておこう。


2010/11/27(土)

[Shinjuku]

夕方から、教え子の結婚披露宴で新宿の京王プラザホテルへ。 教え子は新婦のほうだが、新郎もけっこう身近にいてよく知っているのだ。

「ナントカは高いところが好き」というが(←「馬鹿は風邪を引かない」ほどは普及してないね)、ぼくは基本的に高いところから下を見るのが好きだ。 道路を渡るときにも、積極的に歩道橋を使い、途中で立ち止まって下を見下ろすことにしている(ちなみに妻は歩道橋が嫌いなので、散歩の時には意見が分かれる)。 今日、披露宴の開始を待っているあいだも、しょっちゅう下を見下ろしていた。 トイレの窓からも見事な景色が見えるので、トイレに立つたびに iPhone のカメラで写真を撮ってしまった(写真(ヘタだなあ)をみると、二度トイレに行ったことが暗に分かりますね)。

[Shinjuku]

会の冒頭は、ケーキに入刀したり、新郎新婦がお互いにケーキを食べさせたり、指輪交換したり。これが「人前結婚式」のセレモニーなのだ。仲人挨拶とか両家の紹介とかがないのは気楽。

披露宴に入ると、新郎のごく短い挨拶と乾杯があって、そのまま食事へ。

各テーブルに二人分の空席があって、新郎新婦は各テーブルをまわりながらコースの一皿ずつを食べて歓談していくという趣向。 新郎新婦もたくさん食べられるし、かつ、みんなとも話せるというなかなか優れた方式である。 また、この間、前方のスクリーンには、(新婦が徹夜で作ったという)二人のプロフィールやなれそめを紹介するスライドが(何回かループして)映されていて、新郎新婦がいないテーブルの人は、そっちを見て楽しめるようになっていた。

新郎新婦が自然体で楽しめるだけでなく、参加者が(他人のうまくないスピーチを聞かされたり、自分でスピーチをするプレッシャーに悩んだりすることなく)退屈せず気楽に楽しめる披露宴になっていた。 さすがはこのお二人だと思った。

お幸せをお祈りします。


2010/11/28(日)

K さんのメール(21 日の日記を見よ)以来、ぼくが発憤して、この「日々の雑感的なもの」を文字通り日々書いていたことは熱心な読者諸氏の周知のところであろう。 とはいっても、だんだん面倒になってくるわけで、そろそろ元ののろいペースに戻ろうかなという気もおきないではないという感触が漂っていたことも、また、慧眼なる読者諸氏のお感じになっていたところであろう。そんなある日、再び同じ K さんからメールをいただいた。

「すごいぞ。継続は力なり」というタイトルで、ぼくの日記が日々更新されていることについて、「すごいすごい。有言実行だ」と感動してくださっている。 い、いや、もう飽きてきたし --- ともいえず、かれに励まされるようにして、再び日々の日記を書くわたしであった。

おお。これで、8 日連続。近年の「日々の雑感的なもの」の歴史ではギネス的快挙である。 (「どうも三日分くらいがまとめて更新されているような気がする」というあなた。ええと、それは、まあ、サーバーのあれで更新の反映があれしたんですよ。「26 日の日記はネタもないのに無理に書いた感があふれていて、おもしろくない」というあなた。ええと、・・・、ごめんなさい。)


これだけでは寂しいので、web に復帰したら書こうと前から思っていたことを一つ。

しばらく前の日記(4/16)に、ぼくの高校時代のクラスメートの K が別唐晶司というペンネームで作家として活動しているということを書いた(しかし、この日記、かなり長いし、よく書けていて面白い(←自分で言うなよ)。結びもいいよね。よくこんなものを書く余裕があるなあと感心するのである)

その K が、眼科医としての忙しい日々の合間に、かれの公表した作品や文章の(ほぼ)すべてをスキャンして web 上で閲覧できるようにした(別唐ブログ「全作品閲覧可!になりました。」) お疲れ様。 ぼくの場合は、別唐作品を読むために中古本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをコピーしたりと、それなりの努力が必要だったが、これで、かれの作品に興味をもった人はごく気楽に作品に接することができる。 素晴らしい。 これぞ、web の正しい使い方、文化を支えるプラットフォームとしての web だよね。

別唐氏のページは以下ですので、是非どうぞ。

別唐晶司作品庫
考えてみると、ぼくは(たまにだけれど)日本語での解説なんかも書いていて、長年のあいだに少しは数が増えてきた。 そういうのを、ちゃんと整理して web で読めるようにするのは無意味ではないだろうな。 いずれはやろうと思うのだが、ぼくの場合、そういう記事が整理されているどころか、そもそも、自分でも何を書いたか忘れていて、たまに原稿が出てきて「おお、こんな名解説を書いていたのか!」と驚いたりするほどなので、道は遠い。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp