茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
さて、12 月だ。
11 月は、途中から突如として「日記書きモード」に入り、連日更新していたのだが、途中でばったりと途絶えてしまった。
12 月は、そういうことがないよう、今日から月末まで毎日更新だ!!
などというベタなネタがやりたかったわけでは決してなく、単に、書かなく・書けなくなったまま、この 30 日を迎えてしまったのである。すんまへん。来年も、まあ、ぼちぼち書きますので、お暇な方はたまに覗いてやってくださいまし。
右の写真に特に意味はないです。 iPhone を使い始めてから、うれしがって、時々写真を撮っているのは忠実な読者はご存知の通り。 これは、首都高を走っているとき、前方に東京スカイツリーが見えたので、一瞬のシャッターチャンスを狙って、得意の両手放し運転をしながら撮った改心の一枚 --- というのは、もちろん、ウソで、最近はもっぱら息子が運転して、ぼくは「運転、それなに?」状態なので、助手席で暇だから撮ったもの。 テキトーに撮った割りには、「夕暮れの強い陽射しにさらされた首都高の空気」が少し出ている気がする。
なんかよく分からないが、ぼくが瀬藤さんの大学での講義に出席していて、途中で面白がって茶々を入れたりしている。 さすが瀬藤さんはさっそうと板書しながら勢いよく講義している。 しかし、教えている内容は大学の数学なので、この夢の設定には何か勘違いがある(まあ、瀬藤さんなら、数学の講義も完璧にこなす気がするけど)。 で、講義のあとに、ぼくが瀬藤さんのお話しを聞くことになっている。 ある現象を調べるため「ともかく、なりふり構わず数理モデルを作ることにして、一つできたので聞いて欲しい」という話である。 いや、そのモデル作り路線は佐々さんがやっていることだから、やっぱり勘違いがある。 おまけに、調べたい現象は「ある種の『ニセ科学』の主張があり得ないこと」というのだから、まあ、随分と設定がごちゃごちゃになっておるわい。
それにしても、瀬藤さんのブログを拝見すると、相も変わらぬ凄まじいご活躍ぶりである。 こんなお忙しい中を、よくぞ私の夢などに出ていただいたと恐縮するほどだ --- というのはともかく、こうやって正統派の生物学でも着々と一流の業績を挙げつつ、ぼくのところに来てエントロピー談義をしていったりするのだから、本当に、ただものではない。いや、まあ、そんなことは、とうに分かっているわけですが。
瀬藤さんにお会いしたとき、ぼくの書いた本にサインをしてくれと言われたので、
負けないよう、がんばります。と書いた(もちろん、こんなことを書いたのは瀬藤さんにだけです)。 最近のぼくの活躍のなさを思うと、気合いを入れ直さないかぎり、この台詞が真っ赤なウソになってしまいそうだ。 それだけは避けるべく、来年はしゃっきとやります。
大晦日。
恒例のきんとん作り。 息子と娘が主体となって作ったので、ぼくは主に鍋を洗ったりとサポートにまわる。 芋(←芋の皮をむく大変な作業は妻がやってくれる)がよかったせいもあり、きめの細かい上質のきんとんができたぞ。
恒例の紅白。ピンポイントで Perfume のみ鑑賞。あ〜ちゃんのナチュラルな笑顔が素晴らしすぎる。
いずれ、その一部をここで取り上げたり紹介したりしようと思っております。 日本語の解説記事を書くのは好きだけれど、同時に、どうしようもなく domestic な活動だという気分もついてまわる。 英語を母語として生まれなかった以上、これは永遠の課題。
ここらに来て、M 君とやっている卒業研究が予想をはるかに越える進展ぶりなのは、うれしい。 まあ、元ネタがよかった(そして、狙い所もよかった)というのもすごく大きいけど。
あと、そうだ。 ここのところ立て続けに、よその大学の大学院生の人たちがぼくのところに議論に来てくださったのも実に喜ばしい。 理論グループの引っ越しの際に、お茶部屋(書庫と議論スペースを兼ねる)やセミナー室に教室サイズの大きな黒板をつけてもらったので、ここは本当に議論に向いているのですよ。 あと、ぼく自身、人の話を(黒板で)聞いてその場で理解して色々と議論する --- という能力に関しては今でも相当に優れていると勝手に思っている(←こういう能力と創造的な仕事をするための能力との直接の関係はない)。 是非とも、色々なところの大学院生(あ、もちろん、学部生でも)に気軽に議論に来てほしいなあと素直に思っております。 ぼく自身は大学院生をとる意志はあまりないわけだけど、若い人と議論するのは大好きなので、まあ、なんというか、「子供はいないけれど、子供好きな近所のおじさん」的ポジションだと思って、気楽に活用してください。
みなさま、どうかよいお年を。