茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
↑ これが今年の年賀状。私の現在と 25 年後の写真をご覧いただければと思います。
「統計力学の教科書の英語版」、「水泳を再開」など公言して自らにプレッシャーをかける作戦ですので、今年もよろしく。
そろそろこの(突発的に考え始めた)話題からは離れて、年末に本気で再開した統計力学の基礎の話題に戻ろう --- と思ったけど、考えたら、年明け早々に締め切りがある複数の仕事をやらねば。おまけに、少し前に依頼されたレフェリーレポートの催促も来たし、なんと 30 日にも国内の雑誌から査読依頼が来てしまったのだった。やらねば。
ご存知のように「仕事始め」とかいう概念はないので、昨日までと同じように仕事や家の雑用。昼過ぎにちょうど一仕事片付いたので、Twitter に以下の記事を投稿。
今日のこれからのプラン:
チャリで大学に行く → 読むべき論文を印刷 → 金曜の講義の準備を少し → プールに行く → 泳いでいる途中に懸案の定理の証明の鍵となるアイディアを思いつく → 大学に戻ってあんドーナッツを食べる
— Hal Tasaki (@Hal_Tasaki) January 5, 2015
別にアリバイ工作とかじゃなくて、宣言通りに大学に。
着いてみると、意外と研究室の学生が来ている。偉いぞ。 しかし、彼らの何人かはぼくの Twitter を読んでいるから「あ、田崎さん、Twitter で書いた通りに来たぞ」とか「お、廊下を通ってるから、これからプールかな?」とか思われているかもしれない。やっぱりちょっと気まずいな。
そして、プール。
やはり大学の近くのこのプールはすいている。二往復ほど歩いたあと、コースを一つ占有してゆっくりとクロールで泳ぎ始める。さて、1000 メートル泳ぐあいだに宣言通りにアイディアなんかでるのかいな。ま、ネットの記事としては「あんドーナッツもばっちり食べたけど、アイディアを思いつくのだけはプラン通りにはいかなかったよ、ぎゃふん」としめるのが定番だしね。
泳ぎ始めは --- 実にのろのろと泳いでいるのだが --- 疲れやすくすぐに息が切れる。 物理のことを考えようにもなかなか集中せず既に考えていたことや朝、家で思いついたアイディアなんかを反芻するだけ。これじゃダメだわ。
面白いことに 500 メートル少し泳いだあたりから、体が急に楽になって息も切れなくなってくる。体が暖まったということなのかな? いずれにせよ、こうなると余裕も出てくるのか気持ちも大きくなってくるし、頭も自在に働くようになってきて、今まで考えなかったような突飛な手法を検討し始める。そして、出た、出た。ちょうど、525 メートルのターンをするあたり(その「場所」はちゃんと覚えている)、証明のためのアイディアが出たのだった。しかも無茶なアイディア。平常だったら、こんなのはさすがに無謀すぎるから考える前に却下しているんだろうな。でも、ハイになっているから、頭の中で式を展開していろいろと検討する。ううむ。難しい。これで進められるとしたらかなりの力技が必要だということもよ〜く理解したが、しかし、将来的にはできるかもしれない。ともかく、(頭の中の)ネタ帳にこの手法をしまっておこう。と思いながら、なんとなく Koma-Tasaki 論文にある証明や大晦日にやって正月に改良した定理の証明とかを反芻していると、あ〜って、感じで見通しがよくなって、証明のプロセスで何が起きていたのかがありありと見えた。そうか。Koma-Tasaki のあの方法には二つの側面があり、ぼくらは(少なくとも、ぼくは)それらをきちんと分離せずにものを見ていたのだ。新しいことが示せるかどうかはともかく、これで物理的描像はものすごく明瞭になったぞ。ここらへんで、950 メートルくらいまで来ていて、疲れるどころかいよいよ体が軽くなって泳ぎやすくなっている。最後の 50 メートルはなるべく物理は考えないようにして、少しペースをあげて泳いだ。
というわけで、Twitter の宣言通り(本当に鍵になるかどうかは今後の展開次第だけど)アイディアを思いついたし、それ以上に、証明の全体像がたいへん明快になった。夕方の空気の中を気持ちよく走ってくるあいだに --- ちょっとしたナイスなオマケという感じで --- 面倒だと思っていた積分の評価が実はめっちゃ簡単にできることにも気づいた。 Twitter おそるべし! 馬鹿にしてはいけませんな。
もちろん、大学に戻ったあとは、お茶をいれてあんドーナッツを食べて有言実行。
「みすず」の「読書アンケート」に寄稿して読書感想文を公にするのが冬休みの恒例行事になってきている。 去年はあまりにあわただしくて本を(まして、新しい本を)じっくりと読む心と時間の余裕がなかったこともあって、きちんと本を紹介できる気がしない。 まあ、前回は(仲良しの内村さんのご本だったけど)ちゃんと新刊を紹介した(2014/1/13)ので、今回はちょっち「反則技」で(ぬるい SF ファンの分際で)SF 短編集をネタにしたエッセイ風のものでお茶を濁すことにしたのであったのであった。見てちょ(「みすず」の読書アンケート特集号は 1 月末か 2 月のはじめくらいには書店に並ぶはず。多くの人が多様な本を紹介しているのでよろしければどうぞ)。
(1) 福島 正実、伊藤 典夫・編『世界 SF 全集 32 世界のSF(短篇集)現代篇』(早川書房)
(2) 山岸 真・編『SF マガジン創刊 700 号記念アンソロジー・海外篇』(早川書房)
(3) 大森 望・編『SF マガジン創刊 700 号記念アンソロジー・国内篇』(早川書房)
ぼくの両親は古くから SFの読者だった。学生時代のかれらの周囲には「食事をする金がなくても SF マガジンだけは買う」という(今で言う)「ガチの SFオタク」がいて、両親は当時の SF マガジンには必ず目を通していたと聞く。ぼくが幼い頃、母は SF マガジンでの初出を読んで大好きだったダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の話をよく聴かせてくれた。「さいごに『アルジャーノンのおハカに花束をあげてください』って書いてあるところが素敵だったのよ」と。
ぼく自身も成長して「ぬるいSFファン」になり後に書かれた長編版の『アルジャーノンに花束を』を読んだが、これには失望した。幼い頃に聴いた物語を無理に脚色して引き延ばした本のように感じたのだ。「ちがう話だわ。」母も同じ感想だった。
昨年6月にキイスの訃報に接し「ほんとうのアルジャーノン」をまた読みたいと母と意見が一致して、四十五年前に発行された短篇集 (1) を購入した。やはり短篇版は裏切らない。余分な叙述は一切なくむしろ必要最小限未満の要素で物語が十二分につくられる。知り尽くした話なのだが、様々な考えを巡らせ、不覚にも目に涙を浮かべながら読んだ。
昨年は、たまたま (1) に加えて(2), (3) を読み、SF 短編の歴史を手軽にたどることになった。以前に読んだ懐かしい物語との再会もあったし、現代的と思っていたテーマが既に立派な小説に仕上げられていた事を知って驚きもした。少し欲を言えば、(2), (3) については錚々たる作家の顔ぶれと比べて収録作品の輝きがやや劣ると感じた。何人かの作家はもっとすごいものを書いていると思うのだが(あと、短編版の『アルジャーノン』も入れてほしかった)。とはいえ、(2), (3) それぞれの巻末を飾るテッド・チャンと円城塔の短編は強い思考と世界観に貫かれた名作だ。読んで愉しいという以上にこれら非凡な作家と同時代に生きる喜びを感じさせてくれる。
(3) で印象に残ったものを挙げれば、野尻抱介『素数の呼び声』は SF 好き向けの軽めの(とはいえ、よくぞここまでというほどにネタを詰め込めんだ)名人芸的な作品。秋山瑞人『海原の用心棒』は素直に面白かった。
上の「錚々たる作家の顔ぶれと比べて収録作品の輝きがやや劣る」という感想は (2) についてのほうがより強いかも。 ル・グィンの『孤独』も、ティプトリー・ジュニアの『いっしょに生きよう』も、彼女たちらしい立派な作品なのだけれど、でも、やっぱり(期待が大きすぎるんだろうけど)ちょっと完成度が低い気がしてしまう。 ぼくの好きなイーガンは『対称』が収められているけど、これはかなり物理オタクな作品で、ぼくはそれほど趣味ではない(確かに、こういうのはアシモフの時代からの一つの王道なんだろうけどさ)。 イーガンを知らない人がこれを読んで彼の作品に興味をもつかなあとか勝手な気を回してしまう。 前にも書いたかもしれないけど、ぼくはイーガンはむしろ "Lost Continent" (短編集 "Crystal Nights and Other Stories" 所収)みたいな作品をもっと紹介してほしいなあと思っている。 "Lost Continent" は SF 的想像力と彼の社会正義感が上手にマッチした(そして、たいへん面白い)名作短編だと思う。 ああ、あと、パオロ・バチガルピ(←覚えられねえ〜)の作品は実は初めて読んだけど、少なくともこの『小さき供物』はもう読みたくない。上手なのはわかるけど、これはイヤな作品。ぼくはおすすめしないので、読まれる方は proceed at your own risk.
ぼくの Twitter をフォローしてるみなさんには(そうでなくても、 Twitter を近い界隈で見ている人のは)周知の例のやつだけど、Twitter 見てないこちらの読者もいるはずなので。
横浜駅は「完成しない」のではなく「絶え間ない生成と分解を続ける定常状態こそが横浜駅の完成形であり、つまり横浜駅はひとつの生命体である」と何度言ったら
— イスカリオテの湯葉 (@yubais) January 4, 2015
おもしろい。
ぼくはよく知らないのだが、横浜駅っていうのは、ほんとうにずっと何年も何十年も世代をまたいで工事中らしい。
そして、それに続いて、
西暦30XX年。度重なる工事の末にとうとう自己複製の能力を獲得した横浜駅はやがて本州を覆い尽くしていた。三浦半島でレジスタンス活動を続ける主人公は、謎の老人から託されたディスクを手に西へ向かう。
「横浜駅16777216番出口(長野〜岐阜県境付近)へ行け、そこに全ての答えがある」
— イスカリオテの湯葉 (@yubais) January 4, 2015
という具合に、なんか、めっちゃ面白そうな SF 小説が始まりつつあるではないか!
さらに、ちょっと先を読むと、
【設定メモ】
・この時代に電車は走っていない。横浜駅しか無いから
・エキナカ以外の土地は99%の貧困層が住むスラムである
・エキナカでは決済は全てSUICA端末インプラントで行われ、現金はスラムでしか流通していない
・従って18きっぷしか持たない主人公は物資の「購入」は出来ない
— イスカリオテの湯葉 (@yubais) January 4, 2015
という設定らしい!!
この時代に電車は走っていない。横浜駅しか無いから
この時代に電車は走っていない。横浜駅しか無いから
この時代に電車は走っていない。横浜駅しか無いから
この時代に電車は走っていない。横浜駅しか無いから
(↑昔のテキスト系サイトみたい)
この設定のあまりの素晴らしさ(「アホらしさ」とも言う)に深く感動したぼくは、もうこの人に着いて行くしかないと決意し、思わず、
https://t.co/2HrDoUKX1t
を枕にして始まった「横浜駅 SF」がめたくそ面白い。
ちゃんと続けて完結するように、みんなで @yubais 先生を応援しよう!
— Hal Tasaki (@Hal_Tasaki) January 4, 2015
という応援のメッセージを Twitter に書き込んでいた。
そして、ぼくが仕事をしたり、長い散歩に行ったり、食事をしたり、風呂に入ったりと長い一日を過ごすあいだ、イスカリオテの湯葉さんは、Twitter の多くの読者の声援に応えるべく、1 tweet、1 tweet ずつ、少しずつ、(たぶん、その場その場で考えがなら)この壮大な横浜駅の物語を書き綴って行った。 当初は(ぼくが上で引用した)冒頭の二つの tweets で終わりにするつもりだったとご本人は後に語っているが(←ほんとかな〜?)、けっきょく、実に夜の 10 時過ぎまでかかって『横浜駅 SF』を完結させたのであった。ぱちぱちぱちぱち。 すばらしい。
その脱稿直後の tweet がこれだ!
はい終りです。
「もっと書け」という声がありますが、正月休みの最終日を田崎先生 @Hal_Tasaki の煽りで溶かされたぼくの身にもなってください
— イスカリオテの湯葉 (@yubais) January 4, 2015
え?
おれのせいだったの??
横浜駅 SFとしてまとめられているので、Twitter に登録していない人でも、まとめて読めます(Twitter をやっていても、まとめで読む方が楽)。 ぼくは大好きですので趣味のあいそうな方はぜひ。
ちなみに、まとめられた後も『横浜駅 SF』は素晴らしい人気を博していて、上のまとめの閲覧数は今日の時点でなんと 14 万を越えているのじゃ(付記:10 日になって見たら 15 万を越えてたよ)。一般に人気のある Togetter の閲覧数がどれくらいなのか、ぼくは知らないけど、でもこれが圧倒的な数であるのは確かだと思うなあ。
日本の人口の 0.1 パーセント以上だと思うと、めっちゃすごいではないか! ぼくは、煽ったり 応援したりとか、アホな役回りしかしてないけど、新年早々、こういうちょっとした奇跡の現場に立ち会うことができたのは、素直に楽しい体験でした。