茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
8 月の冒頭はこれ。 「37 度は当たり前」という灼熱の京都(ぼくが行く前日は 39 度だったらしい!)に行ってきた。
New Frontiers in Non-equilibrium Physics 2015:早川さんが主催して基研で開催される 5 週間連続の滞在型の国際研究会の 3 週目。 近年、それなりに進展しているマクロな孤立量子系をテーマにした五日間であり、ぼくは(一応)メインの世話人という立場で参加した。
The 3rd week (Aug. 3 --7) devoted to isolated quantum systems
長年の友人である早川さんの主催で非平衡をテーマにした滞在型が走るにあたって、今のタイミングなら孤立量子系を加えるのが自然だと思えたし、そうなるとぼくが世話人をするのがやっぱり自然だろうということになって引き受けたのだった。 で、清水さん、出口さん、原さん、Goldstein さんなど、周辺の人たちと相談しながら割と気楽に人を選んで声をかけてプログラムを作った(というか、もう一人の世話人の渡辺さんに作ってもらった)。
それ以上に素晴らしかったのは --- これは、実際に会議が始まってから実感したことなのだけれど --- 今回の招待講演者の中には単に自分の仕事を宣伝したい(だから、自分の講演さえできれば満足で、人の講演にも「俺たちはこんなことをやった」とコメントをつけるだけ)というタイプの人はまったくおらず、まったく逆に、人の話を聴いたり人と議論したりして少しでも多くのことを学びたい・理解したいと心から思っている人ばかりだったということだ。 なので、各々の講演のあいだや質疑応答の時間には議論が盛り上がったし、講演以外の時間にもたっぷりとみんなで話ができた。 やっぱり、これこそが愉しい。
研究会では、午前に二つの講演をして、午後にもインフォーマルトークという名目で一つずつ講演をいれたのだけれど、最終日の午後のインフォーマル枠は、講演ではなく、自由な議論の場にした。 もともと Marcos Rigol が「せっかく、これだけのメンバーが集まったんだから、いろいろと根本的な話を議論したいな」と言っており、Peter Reimann も是非そうしようと言ってくれて、かれの司会でみんなが提出した課題を取り上げて議論していくということになった。 ちょっと残念だったのは Fabian Essler と清水さんという(それまでは議論をどんどん盛り上げていた)二大論客が最終日にはいなくなっていたことだけれど、それでも、Marcos がいて、Shelly Goldstein がいて、Marcus Cramer がいて、まあ、ぼくがいれば話が途切れることはない。 期待どおり、普通ではなかなか議論しないようなヤバメの話題(たとえば、「そもそも非平衡状態が実現できるのは何故なのか?」とかね)についても結構ガチな議論ができた。 ぼくら大人がばんばんやっているところに若手が入り込むのは敷居が高かっただろうと思うけれど、そういうなかで、門内さん、渡辺さんはよくがんばってくれたと思う。
7/30 の日記で「えらい先生」路線(当社比)はもうやめるのだということを宣言したけれど、それは当然、会議の主催者とか主要世話人などはもうやらないということも含んでいる。 そういう意味ではこれが最後の機会だったかもしれないけれど上手にやれたと思うので大変うれしい。
お盆のせいか、かなり空いている。
冷たい水が心地よい。いつものようにゆっくりと 1,000 メートルを泳ぎながら、研究会で学んだいくつかの論点をゆっくりと整理し、論文に書きたすべき事柄を頭のなかで構成していく。快感である。
明日から再び京都。
今度は国際会議
Yukawa International Seminar 2015 (YKIS2015)に出席する。
会議の副題は「New Frontiers in Non-equilibrium Physics 2015」で、先週(というか、先々週)のと同じ。 5 週間にわたる滞在型プロジェクトの最後をしめくくる会議なのである。
ぼくは拾い食い的にしかでなかったが、まあ、5 週間は長いよな。フル参加のみなさん、お疲れさまです(早川さんや渡辺さんなど京都の人だけでなく海外からの参加者でもずっと 5 週間滞在している人はいると思う)。
たまには、異様なほどに波風の立たない静かな日記を書いてみました。
基研(京都大学基礎物理学研究所)のホールの前のロビーが好きだ。
大きな窓があり、据え付けの黒板があり、飾り気のないテーブルと椅子がいくつか置いてある。それだけの、目立った特徴のない真四角に近い広いスペースである。
ただ、このスペースには「空気」が残っている。 長い長い年月のあいだ、このロビーで議論し、この黒板に数式を書き図を描いて物理を語り合った数多くの有名無名の物理学者たちが残した空気だろう。いや、それ以上に、若い頃のぼくや原や青木が基研にやってきて、どこにあるのかわからない何かに憧れて、興奮して、空回りして、それでも不思議なくらいの自信に満ちあふれて必死でがんばっていたあの頃の空気が残っているのだ。もう当時の具体的な記憶はほとんどないけれど、あの頃の不思議な憧れの感触だけはずっと忘れない。そして、このロビーの空気に接すると、その憧れやもどかしさが --- あの頃のような切実さは失われたのかもしれないけれど --- 体と心を気怠く浸すように戻ってくる。夕暮れが近づくころ、いったん閉ざされたパナソニックホールへのドアを開けると、そこには、新しいホールではなく、あの卓球台が置いてあるこじんまりとした庭が広がっているような気がしてならないのだ。
世話人かつ(招待)講演者 --- しかも会議の締めくくりの講演者 --- として参加した国際会議
Yukawa International Seminar 2015 (YKIS2015)が終わってロビーでコーヒーを飲んでいるところだ。 自分の講演については、毎晩ホテルで予行演習していたし、昼食からはさっさと戻って頭を講演に向けていたし、準備万端で臨んだ。結果もほぼイメージ通りで(ありがたいことに)何人かに絶賛してもらえた。ただ、すごく集中するせいか、終わったところでどっと疲れが出てしまった。休んでいてもなかなか回復しない。 思えば、主催した前回の研究会(8 月 3〜7 日)の際には準備と後始末(および翌日の議論)のため会の前日に京都入りし翌日に東京に戻るという余裕のあるスケジュールだったが、今回は、初日(17 日)の朝 6 時に起きて京都入りし、最終日(19 日)には東京に帰るというコンパクトな旅程である。加えて二晩ともホテルに帰るのが 9 時を過ぎていて(←若い頃なら、これは早いほうだったが、最近はもっと早く帰ってひたすら寝る)徐々に疲れがたまっていたということもあるんだろう。
コーヒーを飲んで休みながらも、少しずつ、残っている人たちと様々な議論を進める。 そして、その合間をぬって、立ち去って行く人たち --- Christian Van den Broeck、今回知り合って仲良くなった Pavel Krapivsky、そして、Udo Seifert ら --- と再開を約して握手を交わす。 田島さんのお話は前から聞きたかったので、この機会に(しょせんは耳学問的にだけれど)色々と聞くことができて有益だった。 そして、沙川さんを交えた議論のなんと有益なことか。 彼と話すと様々な事柄の背後にあるべき物理がきわめて明快になっていく。 実際のところ、今回の研究会でぼくにとってもっとも有益だったのは、休憩や食事の際に(ぼくの講演のテーマである)熱平衡状態の典型性や熱平衡への緩和の問題についての沙川さんの率直な意見を聞けたことだったのである。 ぼく自身が考えつくし、また、二週間前の専門家の会議でも多くの議論を積んだテーマのはずなのだが、それでも沙川さんの鋭く的確な意見を聞くと、自分の詰めの甘さがよくわかるのだ。 一生懸命に考え直し、考えをまとめては沙川さんに話して意見を聞くということを会議のあいだに何度もくり返した。 そして、最終日の発表の直前まで、沙川さんとの議論を反映させるようスライドの文言を書き直し続けた。 ぼくは日頃から沙川さんのことを「先生」と思っていると話しているが、それは本気だ。年齢など関係ない。 彼は明らかにぼくよりも深く物理を理解していて、それを明快な言葉にしてくれる。そういう人が近くにいれば一生懸命に物理を教わるのはまったく当たり前のことだ。
佐野さんあたりも加わって次第に研究とは関係のない話題が盛り上がり始めたあたりで、さすがに帰らねばと思い、別れを告げて京大を後にした。 普段ならば京大の帰り道に鴨川沿いを歩くのだが、今回はさすがに疲れすぎているのであきらめた。 いつもどおりのバスと地下鉄の組み合わせで京都駅に向かった。
滞在型の一週間も今回の国際会議も成功に終わり、議論も有益で、何一つ困ったことなどないはずなのに、なんとなく悲しいような妙な気持ちになる。過去、現在、そしてあり得たかもしれないが実現しなかった現在などについての様々な思いが渦巻き微妙に不安定になっているようだ。 いい年をして恥ずかしいとは思うけれど、こういう大きなイベントの後にはほぼ必ずこんな精神状態が訪れるのだ。今回は、基研のホールの前のロビーのマジックのおかげで、普段よりも大きめなのかもしれないね。
翌 20 日はさすがにばてきっていたが、それでも午後からは大学に行き、出張報告等の事務手続きをすませた。 これで面倒なことは終了(もちろん定期試験の採点などとっくの昔に終わっている)。
そして、21 日からは、遅ればせながら「夏休み」に入った。 つまり、(散歩、買い物など必要最小限を除けば)外出もせず、人にも会わず、もちろんテレビなども見ず(←これは普段から)、雑用も最小限に留め、あとはひたすら、論文を改訂し、新しい論文を書き、『熱力学』英語版の修正作業をし、そして、物理について考えるのである。うれしきかな。