公開: 2012年3月26日 / 最終更新日:2012年3月27日
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放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説
ここでは、この法則がどういう状況で使えるのか、この法則にどういう意味があるのかをきちんと説明しよう。 そして、この法則と内部被ばくの危険性を結びつける議論が間違っていること(解説「内部被ばくのリスク評価について」を参照)、また、今の日本の状況ではこの法則が実用になることはほとんどないことを解説する。 また、せっかくだからこの法則がどうやって出てくるかも少し詳しく説明しておこう。
真空中に放射性物質の塊(かたまり)があるとしよう。 放射性物質というのは、不安定な原子核を含んだ物質のことだった(解説「原子・原子核・放射線」を見よ)。 この塊の中には不安定な原子核が十分にたくさんあり、一定の割合で放射線を出しているとする。
この塊から離れたところで、放射線の強さを測る。 「放射線の強さ」の意味については下の「法則の導き方」で説明するが、さしあたっては、普通の線量計で測る「マイクロシーベルト毎時」で表される量だと思っていい。
このとき、以下の法則がある。
放射性物質の塊の広がり(球状の塊なら球の直径)に比べてずっと大きな距離だけ塊から離れると、放射線の強さは、塊からの距離の二乗に反比例する「距離の二乗に反比例」というのは、距離が二倍になれば強さは四分の一、距離が十倍になれば強さは百分の一ということだ。
注意してほしいのは、この法則が、塊からの距離が(「塊の広がり」に比べて)遠いところだけで成り立つということだ。 だんだん塊に近づいていって、特に、距離が塊の広がりと同程度以下になれば、こんなルールはまったく成り立たなくなる。 その理由は、下の「法則の導き方」を読めばよく分かるはずだ。
仮に、「距離の 2 乗に反比例」が近距離でもずっと正しいとすると、距離が二分の一になれば強さは四倍、距離が十分の一になれば強さは百倍、距離が百分の一になれば強さは一万倍・・・という風に、放射線の強さが際限なく増大することになってしまう。 そういうことはないというわけだ。
最近は、若者の下宿でも裸電球一個の照明は見られなくなったようだが、ぼくが学生の頃は、四畳半の部屋の天井から電球を吊した照明を使っていた。 こういうときは、電球からある程度離れると明るさは電球からの距離の二乗に反比例する。 なので、電球の真下の床に本を置いてもかなり暗くて読みづらい。本をもちあげて高いところにもっていくとだんだん明るくなっていく。
確かに、電球までの距離が半分くらいの高さまで来ると、床の上に比べて 4 倍くらい明るくなる。
さらに電球に近づけば明るさは増していくわけだけれど、10 分の 1 の距離で 100 倍、100 分の 1 の距離で 10000 倍・・・・という具合に限りなく明るくなるというわけじゃない。
もしそうだったら、電球のすごく近くに本を持って行くと、あまりの明るさに発火して大変なことになるはずだが、やってみてもそうはならない(もちろん、白熱電球に触ると熱いから触らないほうがいいですよ)。
まあ、それのそのはずで、もともと有限の電気代を使って光を出しているので、本の明るさが限りなく明るくなったりはしないのだ。
理由は二つある。
解説「原子・原子核・放射線」に書いたように、アルファ線、ベータ線は空気に吸収されやすい。 それぞれ、数センチ、数十センチ程度の距離を進めば急激に弱まってしまうのだ。 だから、これらの放射線に関しては「距離の二乗に反比例」の法則はほとんど意味がない。
ガンマ線の場合は、空気による遮蔽が意味を持つには数十メートルくらいの距離が必要なので、空気中でも(ほどほどの距離なら)「距離の二乗に反比例」の法則には意味がある。
しかし、たとえば広い地面が放射性セシウムに汚染されているような状況では、放射性物質は平面状の領域にべったりと広がっている。 こういうときには、「距離の二乗に反比例」の法則はまったく成り立たない(照明のたとえでいえば、天井全体が蛍光灯で光っているような状況に対応する)。 むしろ放射線の強さは、地面からの距離(つまり、高さ)にはあまり依存しないことが知られている。 これについては、解説「地表のセシウムによるガンマ線の空間線量率 」で取り上げた。
もちろん、何らかの事故によって、ガンマ線の線源の塊がどこかに露出してしまった場合(←高濃度の放射性物質の入った瓶が発見されたというようなとき)、あるいは、除染をおこなって高濃度の汚染物質を一カ所に集めて塊にしたような場合には、「距離の二乗に反比例」の法則が実用的になる。 線源から十倍離れれば線量率は百分の一になるわけだ。 ともかく、線源から離れよう!
放射線の強さは発生源からの距離の二乗に反比例するという法則がある。 仮に 1 センチ離れたときの強さを基準にすれば、1 ミリまで近づけば百倍、0.1 ミリまで近づけば一万倍である。 体内の組織にくっついてしまえば距離はほぼゼロになる。仮に 1 ミクロンとすれば放射線の強さは 1 億倍だ!!という話をする人がいる。 このロジックをそのまま押し進めれば、距離を短くしていけば「放射線の強さ」は限りなく大きくなるので、それこそ、一粒で即死してしまうことになる(念のために書いておくと、不安定な原子核をたっぷり含んだ放射性物質の塊の大きさが 1 ミクロン以下なら「強さ(流束)が 1 センチのときの 1 億倍」というのはだいたい正しい。ただし、以下で説明するように、これは内部被ばくの危険を示す議論にはならない)。
この議論の問題点は二つある。一つは、既に説明する必要はないだろうが「距離の二乗に反比例」の考えをどんどん近距離まで使ってしまったということ。もう一つは、放射線の体への影響は「放射線の強さ(流束=決まった小さな面積を通過する個数)」ではなくはむしろ(主として)「放射線の全エネルギー」で決まるということだ(解説「内部被ばくのリスク評価について」を見よ)。
まず、放射性物質が放射線を出して体などに影響を与えるメカニズムを思いだそう。 放射性物質に含まれている不安定な原子核が一つ崩壊すると、そのときに、いくつかの高エネルギーの粒子が飛び出してくる。 この際、粒子がもっているエネルギーは(核種に応じて)だいたい決まっている。 たとえば、セシウム 137 原子核の崩壊では約 0.6 MeV のエネルギーの光子(ガンマ線)と平均エネルギーが約 0.6 MeV の電子(ベータ線)が一つずつ出てくる。 放射線は物質中(あるいは、体の中)をある程度の距離をそのままの勢いで飛んだところで吸収されて物質に影響を与える。
だから、細胞が一つの放射線に影響を受けることだけを考えると、もとになった不安定な原子核がどこにあったかは関係ない。 割と近くにあろうと体の外にあろうと、影響は同じと言っていい。
プルトニウムの粒子のような放射性物質の塊の場合にも、一定の時間(たとえば一秒)のあいだに出てくる放射線の全エネルギーは(ほぼ)一定である。 それは、放射性物質の塊が体の外にあろうと体の中にあろうと同じことだ。 だから、体内に入って距離が短くなったからと言って、急にエネルギーが大きくなるということはないのだ。
体へのダメージを考える際に問題になるのは、この全エネルギーのうちのどれだけが、ぼくらの体にダメージを与えるのに使われうるかということだ。 放射性物質が遠くにあるときには、放射線のごく一部だけがぼくらの体に吸収され、全エネルギーの内のごく一部だけが体に影響を与える。 一方、放射性物質が体内にあれば、最悪の場合は、全エネルギーがぼくらの体にダメージを与えるだろう(特にアルファ線を出す放射性物質の場合はそうなる)。 内部被ばくの健康被害を考える際には、ただ「線源との距離が短い」という話をするのではなく、体内の放射性物質から出た放射線がどの範囲の細胞にどの程度の影響を与えるかを吟味しなくてはいけない。 たとえば、アルファ線の場合は、同じエネルギーのガンマ線よりもずっと大きな影響を与えるとされている。
内部被ばくについては、解説「内部被ばくのリスク評価について」で議論したように、分からないことも多く、つねに危険を意識すべきだと思っている。 ただ、「距離の二乗に反比例」の法則を使って「内部被ばくなら一億倍も危険だ!」とする論法は間違っているということを書きたかったのだ。
放射線の流れのある空間に、放射線の流れと垂直に、決まった面積(たとえば、1 平方センチメートル)の薄い板を置く。 そして、決まった時間(たとえば、1 分間)の間に、放射線の粒子(ガンマ線なら光子、ベータ線なら電子)が何個、この板を通り抜けていくかを数える。 この(単位面積、単位時間あたりの)個数を、放射線の強さだと考えることにする。 これは、専門用語では流束(あるいは、フルエンス)と呼ばれる量によって「放射線の強さ」を測ったことに相当する。
解説「ベクレル・グレイ・シーベルト」では、「グレイ毎時」を単位にした吸収線量率を使って「放射線の強さ」が測れることを説明した(そして、吸収線量率は、線量計で測る線量率とほぼ等しい)。 実は、上で「個数」を使って定義した「放射線の強さ」は、吸収線量率に比例するのだ。 核種が決まっていれば、放射線の粒子のもっているエネルギーはほぼ一定であり、板を通過する粒子の個数と板が吸収するエネルギーが比例するからだ。
要するに、「板を通る粒子の個数」を数えることで、ぼくたちにとって重要な「放射線の強さ」を測ることができるのだ。
(注意:個数で測っていたのでは、お馴染みの「マイクロシーベルト毎時」にならないから困ると思うかも知れない。 しかし、二つの測り方で得た結果を、たとえば長さを尺とセンチメートルで測るときのように、ちゃんと換算することができる。 おまけに、今ここで問題にしているのは、「放射線の強さ」が距離とともにどう変化するかということだ。 だから、実際には換算をする必要もないのだ。)
塊から離れた場所に板(図の中では黄色い棒)を置いて、そこを放射線が何本通過するかを見てやろう。
上でみたように、この本数が「放射線の強さ」に対応する(三次元で考えれば、これは流束の定義そのものだ)。
まず、(a) のように、ほどほどに離れたところに板を置いた。このときは、矢印が 3 本、板を通過している。
(b) では同じ板を半分くらいの距離まで近づけた(なんか、「目の錯覚で板の大きさが変わって見える」図みたいになってしまったけれど、板の長さは同じです)。
明らかに板を通る矢印の本数は多くなっている。7 本だから、(a) のときのだいたい倍になっている。
距離が半分になったら、「板を貫く矢印の本数」が倍になったということだ。 つまり、「板を貫く矢印の本数」は「板と塊の距離」に反比例しているということになりそうだ。
「距離の二乗に反比例」ではなく「距離に反比例」になったのは、お察しのように、二次元の図を描いてしまったからだ。 三次元で同じような図を描けば、「板を貫く矢印の本数」はちゃんと距離の二乗に反比例するようになる。
同じ図で、(a) よりも遠いところに板を置けば、「板を貫く矢印の本数」はもっと小さくなる。 板をどんどん遠くしても、「『板を貫く矢印の本数』は『板と塊の距離』に反比例」という法則は正確に成り立つ(注意:遠く離したら貫く本数は 1 本とか 0 本になってしまって、反比例といった話ではない。そういうときには、矢印をもっと何本も描いて最初から考え直せばいい。これは(大ざっぱには)放射線を測定する時間を長くしたことに対応する)。
逆に、板を (b) よりもさらに放射性物質に近づけたらどうなるだろう? もちろん「板を貫く矢印の本数」はだんだん増えていく。 しかし、本数が「板と塊の距離」に反比例してどんどん増えるということはあり得ない。 本当に反比例するなら、距離が十分の一になれば本数は十倍、距離が百分の一になれば本数は百倍ということになる。 しかし、塊から出ている本数はもともと決まっているから、そんな風に際限なく増えるはずはない。 実際、図の (c) のように板をぴったりと塊にくっつければ距離はゼロになるが、「貫く本数」は無限大ではなく 10 本くらいだ。 そもそも、塊から出ている矢印が 36 本しかないのだから、それほど増えるわけがないことはもともと明らかなのだ(厳密にいうと、流束をきちんと決めるには、(c) のように線源に近いときには板をもっと小さくする必要がある)。
こうして、図の二次元の世界では、「放射性物質の塊の広がり(円状の塊なら円の直径)に比べてずっと大きな距離だけ塊から離れると、放射線の強さは、塊からの距離に反比例して小さくなる」という法則が成り立っていることがわかった。
この「法則」が近距離では成り立たない理由もよくわかったと思う。
この図の (a), (b) には、塊を中心にした円を描いた。 もちろん、どちらの図でも円を貫く矢印の本数は(36 本で)等しい。 一方、「放射線の強さ」に相当するのは、「円周の内の決まった長さを貫く矢印の本数」である。 円周の長さは円の半径に比例するから、「放射線の強さ」は円の半径に反比例することがわかる。 円の半径とは、まさに塊の中心と円周との距離だから、ここから、「放射線の強さは(遠方では)距離に反比例」という法則が出てくる。
これを理解すれば三次元で話がどうなるかもわかるはずだ。
同じ図を三次元の断面だと想像しよう。 そして、点線で描いた円周は(塊を中心にした)球面の切り口だと考えよう。
(a), (b) 二つの図で、球面を貫く放射線の本数は完全に等しい。
一方、「放射線の強さ(流束)」は、球面状の決まった面積を通過する放射線の本数に等しい。
球面の表面積は半径の二乗に比例する(半径の二乗の 4 π 倍)ことを考えると、放射線の強さが距離の二乗に反比例することがわかる。
少し考えてみてほしい。