公開: 2011年8月26日 / 最終更新日: 2012年5月15日
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放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説
なお、ここに書いてあることを正確に理解するためには、解説「内部被ばくのリスク評価について」を通読していることが望ましい。
ヨウ素の安定同位体はヨウ素 127 である。ヨウ素 131 は中性子が 4 個多い放射性同位体だ。 ウランの核分裂の際に作られる放射性生成物なので、原子力発電所が運転していると作られ、燃料棒にたまっている(ただし崩壊が早いので普通は使用済み核燃料の中にはない)。
今回の原子力発電所の事故の際にも大量のヨウ素 131 が大気中に放出された。 それは、風にのって運ばれ、2011 年 3 月に何回かに分けて広い地域に降り注いだ。
ヨウ素 131 は、ベータ崩壊とガンマ崩壊を続けておこし、ベータ線とガンマ線を出す。崩壊したあとは安定同位体であるキセノン 131 に姿を変える。 半減期は約 8 日。つまり、16 日で 4 分の 1 に減り、24 日で 8 分の 1 に減る。 3 月の大放出から半年近く経った今、ヨウ素 131 は実質的に姿を消している。
ヨウ素 131 は外部被ばくと内部被ばくの両方に寄与しうるが、ここでは(より深刻な)内部被ばくに話をかぎる。
今回の事故に関連するヨウ素 131 の内部被ばくは、
(1) 放出が激しかった時期に大気中に漂っていたヨウ素 131 を呼吸といっしょに吸い込んだ
(2) ヨウ素 131 の混ざった水や食物を口にして取り込んだ
という二つの経路でおこったと考えられる。ただし、(2) については(色々と批判があるとはいえ)、飲料水などのヨウ素 131 の量を検査して過剰な内部被ばくが生じない工夫がおこなわれていたと思われる。心配があるのは (1) のほうだ。
ちなみにチェルノブイリの原子力発電所事故の際には、ヨウ素 131 を含む牛乳が管理されずに出回ってしまったため、(2) の経路で大量の被ばくがあった。 少なくとも、この点では、今回は同じ失敗はくり返していないはずだ。
言い換えれば、ヨウ素 131 を体内に取り込んだ際には、甲状腺の等価線量に比べたとき、他の組織の等価線量は無視できるほど小さいのである。 仮に、一定量のヨウ素 131 による甲状腺等価線量が 25 mSv だったとすると、これは「甲状腺だけが 25 mSv の放射線にさらされ、ほかの組織はまったく放射線を浴びない」という状況と(ほぼ)同じとみなせるということになる。
ここで急に数字が小さくなったので「ごまかされた」と感じる人がいるようだ。
もちろん、そんなことはない。 甲状腺等価線量というのは、甲状腺という(敏感で大事だけれど)小さな一つの臓器のみへの被ばくの影響を表わす数値だ。 それに対して、実効線量は全身への被ばくに関わる量だから、話がぜんぜん違うのだ。
実効線量の考え方が、
「甲状腺だけに 25 mSv 被ばくしたときの健康への害」が「全身に 1 mSv 被ばくする際の健康への害」と等しいだったことを思い出そう(解説「実効線量とは何か」)。
通常、「○○ mSv の被ばくで、この程度のリスク」とか「年間の被ばく量を △△ mSv 以下におさえよう」といった話をするときには(組織の等価線量ではなく)実効線量を使っている。 同じシーベルトの単位の量だからといって、このような文脈で甲状腺等価線量を持ち出してしまうと、被ばく量を 25 倍も大きめに勘違いしてしまうことになるのだ。 甲状腺等価線量は、0.04 をかけて実効線量に直してから話を進めなくてはならない(それにしても、分かりにくい仕組みだ。等価線量には別の単位を使うなど、分かりやすくする余地はいくらでもあるのになあというのが正直な感想)。
といっても(一部で誤って伝えられているように)子供たちが次々と甲状腺ガンになったわけではない。 たとえば、ベラルーシとウクライナの約 160 万人の子供のうち、1990 年から 2001 年のあいだに甲状腺ガンを発症したのは約 1000 人である(Cardis et al., Table 5)。 もともとものすごく希な病気なので、この程度の発症率でも被ばくの影響がはっきりとわかるということだ。 また、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアで、チェルノブイリの事故で幼いときあるいは若いときに被ばくし、1986 年から 2002 年までに甲状腺ガンにかかった約 5000 人のうち、不幸にして亡くなったのは 15 名である(Cardis et al., p132)。
参照文献: E. Cardis et al., Cancer consequences of the Chernobyl accident: 20 years on
J. Radiol. Prot. 26, 127 (2006)
(雑誌の web ページ から pdf ファイルを入手可能)
P. Jacob et al., Thyroid cancer risk to children calculatedを参照する。
Nature 392, 31 (1998)
ベラルーシとウクライナでのデータを解析した結果、Jacob らは、子供のころに甲状腺への被ばくを受けると、それによってその後の甲状腺ガン発症のリスクが
甲状腺等価線量 1 Sv の被ばくに対して、年間、1 万人あたり 2.3 名だけ上乗せされると結論した。
被ばく量が極端に大きくないかぎり、年齢が上がると、このわずかな「上乗せ」は元々の甲状腺ガンの発症率に隠れてほとんどわからなくなる。 しかし、年齢が低いあいだは、本来のガンの発生率がきわめて低いので、この「上乗せ」がしっかりと観察されるということのようだ。
3 月下旬に、原子力安全委員会緊急助言組織の依頼を受けて現地災害対策本部において、福島県の児童約 1000 名を対象にした甲状腺被ばくの調査が実施された。 その結果、データが取得できた全員について、甲状腺からの線量率がスクリーニングレベル未満だったこと(つまり、心配はなかったということ)が発表されている。 具体的な被ばく量の評価は(今は)公表されていないが、「最も多い人で 35 ミリシーベルト」の被ばくだったということが 8 月の報道(など)で言われている。
この調査についての詳細、そして、この「35 ミリシーベルト」という数字をどう受け取るべきかについては、別の解説「2011年3月の小児甲状腺被ばく調査について」にまとめてある。 結論だけを述べると、
35 ミリシーベルトという正確な数字そのもに意味はないし、また、これが過大な評価である可能性がけっこう高い。 ごく大ざっぱで(おそらくは大きめの)目安としてこの数字を捉えるのがいいだろうというのが私の考えである。
この調査結果は、3 月の時点でのヨウ素 131 による内部被ばくの規模を直接に知るためのほぼ唯一のデータである。 なので、ともかく原子力安全委員会がこの調査を計画したことは高く評価したい。 ただ、この調査に関する情報の扱いについては、私は強い不満をもっている。 その点についても、解説「2011年3月の小児甲状腺被ばく調査について」で述べたので、興味のある方はご覧いただきたい。
しかし、このニュースのことをネットで検索してみると、ほとんどの人が 35 mSv を通常の意味での線量(つまり、実効線量)と解釈して、「子供がこれほどの被ばくをするのは許し難い」といった議論を展開している。 さらに、それに反論する人たちも「100 mSv 未満だから心配ないのだ」という(私にはかならずしも賛成できないが、よく耳にする)「理屈」をあげており、やはり、35 mSv を実効線量と受け取っているようにみえる。
しかし、35 mSv が甲状腺等価線量を表わすなら、上で説明したように、これに対応する実効線量は 25 分の 1 の 1.4 mSv である。 これを少ない被ばく量だと主張する気はないが、少なくとも「実効線量が 35 mSv」というのとは大きく違うことは確かだ。
この場合にも、被ばく量と患者数の上乗せはおおよそ比例すると考えられている。 そのまま計算すると、年間、1 万人あたりの患者数の増加は 2.3 × 0.035 ≒ 0.08 となる。 つまり、(まったくあり得ないことだが)仮に10 万人の子供が「最も多い人」と同じだけの被ばくをしたとしても、毎年、一人の患者が出るか出ないかという規模のリスクである。
この試算が信頼できるとすると、今回の事故による被ばくの規模を考えれば、ヨウ素 131 の内部被ばくで小児の甲状腺ガンが増加する心配はないということになる。 「最も多い人」のご家族を含めて、普通以上の心配をする必要はなさそうだ。 これは本当にうれしい報せだ。
もちろん、だからといって、安心しきっていいというものではない。 初期のヨウ素による内部被ばくの状況は部分的にしかわかっていない。 また、チェルノブイリでの被ばく状況と甲状腺ガンの関係が完全に解明されているわけでもない。 成人のガンがどれくらい増えたかといったことについては、今でもさまざまな見解があるようだ。 念には念を入れて被ばくした可能性のある人たちの健康のチェックを小まめにおこなっていくのが正しいやり方だろう。 既に 2011 年 10 月から、福島県では大規模な健康調査の計画がスタートしている。