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公開: 2011年11月12日 / 最終更新日: 2011年11月29日
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放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

2011 年 3 月の小児甲状腺被ばく調査について

2011 年 3 月下旬に福島県でおこなわれた甲状腺被ばくの調査は重要な意義(今回の事故ではチェルノブイリでの苦い失敗をくり返さなかった!)をもっている。 ここでは、入手できた情報をもとにして、この調査についてできるかぎり正確にまとめておく。 さらに、この調査に関する情報公開のあり方への疑問を述べ、責任ある立場の人たち(政府、現地対策本部、原子力安全委員会、放射線医学総合研究所など)に情報の適切な公開を強く求める。

ぼく自身はこの解説の内容が瑣末なことだとは決して思っていない。とはいっても、これが「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説」の中ではかなり異色に個別的な内容を扱っていることは事実だ。 そういう意味で、ぼくと問題意識を共有している方だけに目を通していただければ十分だと考えている。

なお、この解説を読むためには「甲状腺等価線量と実効線量について」の内容を理解していることが望ましい。

このページの目次

この調査を取り上げる理由

調査の経緯と概要

測定と被ばく量推定の原理

調査の結果について

換算方法の批判的検討

情報の公開について

付録 1:資料

この調査を取り上げる理由

既に今回の事故に関連して、いくつもの医学的な調査がおこなわれている(余談だが、しっかりしたものもあるが、かなり胡散臭いものも少なくないようだ)。 それらの中で、わざわざ 2011 年 3 月のこの調査のことだけを単独の解説で取り上げる理由については説明が必要だろう。
放射線被ばくの健康への影響は明確にはわかっていないとされる。 しかし、何がおきるかほぼ確実にわかっている場合もある。 ヨウ素 131 の内部被ばくによる小児甲状腺ガン発症の増加はその一例だ。 そして、いわゆる「主流」の専門家の見解を信じるかぎり、今回の原子力発電所事故による被ばくのために有意な健康被害が生じる可能性がありえたのは、ほぼ、初期のヨウ素 131 の吸入による小児甲状腺ガンだけだと言ってよいようである(「主流派」は安全よりに過ぎると考えている人は、「主流派の考えでさえ、被害の可能性があり得た」と読んでください)。

そうなると、実際の被ばくによって本当に被害が見込まれるのかどうかは、同じ日本に暮らす者としては、きわめて気になるところだ。 さらに、ヨウ素 131 は半減期 8 日で崩壊するので、事故から何ヶ月か経てば、もはや被ばくの程度を直接に定量する手段はなくなってしまう

そのような状況を考えれば、2011 年 3 月末に福島県で実際におこなわれた調査のもつ重要性がわかると思う。 この調査は、初期のヨウ素 131 による内部被ばくの程度を知るための、ほぼ唯一の情報源だ。 さらに、SPEEDI の計算結果を信頼するなら、日本中のどこであってもヨウ素 131 の内部被ばくによる小児甲状腺ガンの心配をする必要がないことを示してくれる実に貴重な(そして、うれしい)情報源なのである。

公式の機関(原子力安全委員会、放射線医学総合研究所など)が詳細な記録を残すべきだと信じているのだが、何故か、そのような動きはないようである。 私のような、医学についても放射線についても無知な者がこの重要な調査を記録するというのは、まったくおこがましいことだとは理解しているが、できる範囲で知り得たことを正確にまとめ、将来のための記録の一つとしたい。

調査の経緯と概要

2011 年 3 月の事故の際に原子力発電所から放出された放射性物質の動きについて、SPEEDI によるシミュレーションがおこなわれた。 その結果、人々が避難しなかった地域の一部でも、有意なヨウ素 131 の内部被ばく(甲状腺等価線量 100 mSv 以上)が生じ得た可能性を示す計算結果が出た。 そのため、原子力安全委員会・緊急助言組織は 3 月 25 日に「被ばく線量評価に伴うモニタリングの強化について(付録 1 の資料 5 の 3 ページ)」という文書で、現地災害対策本部に小児の甲状腺線量の実測を依頼した。

現地災害対策本部の依頼を受けた広島大学の田代聡教授らが福島に出かけ、3 月 26 日から 30 日までのあいだに、いわき市保健所、川俣町公民館、飯舘村公民館の三カ所で、合計で 1000 人を超す児童の甲状腺線量の測定をおこなった(付録 1 の資料 4 などを参照)。 これは、甲状腺等価線量で 100 mSv を超える被ばくをした可能性のある児童をみつけるためのスクリーニング検査である。

調査の結果、スクリーニングレベルを越える被ばくの兆候を示した児童は一人もいなかった。 測定とスクリーニングレベルの設定が適切であれば(そして、以下でみるように、これらは大筋でほぼ適切だったと考えてよさそうだ)、これは調査された地域で小児甲状腺ガンの発生を心配しなくてよいことを意味する。 さらに、SPEEDI の計算結果を信頼するならば、調査の行なわれなかった地域でもやはり心配は無用ということになる。

当時、政府や現地対策本部のとった対策が妥当だったかどうかといった大局的なテーマに踏み込むつもりはないが、少なくとも(やり方が最適だったかどうかは別として)甲状腺被ばく量の調査を実施したことは高く評価すべきだと考えている。 そして、日本中が大きく混乱していた時期に現地に赴いて困難な測定を実行した田代教授らのチームには心から敬意を表したい。


調査結果は、3 月 29 日に原子力安全委員会の web ページに記載されたようだ。ただし、それは児童のプライバシーに関わるものだったらしく、8 月 1 日には削除されている(付録 1 の資料1)。

5 月 12 日に原子力安全委員会から「福島県における小児甲状腺被ばく調査結果について(付録 1 の資料 3、または、資料 5 の 6 ページ)」という正式の報告が発表され、

小児甲状腺被ばく調査を実施した 0 歳から 15 歳までの 1,080 人の小児については、スクリーニングレベル 0.2 μSv/h(一歳児の甲状腺等価線量として 100 mSv に相当)を超えるものはなかった。
と結論づけられた。

8 月 17 日から 21 日には、いわき市、福島市、川俣町で、調査を受けた児童の保護者に、個別の測定結果と結果概要を説明する会がおこなわれた。 この際の資料が内閣府原子力被災者生活支援チームから「小児甲状腺被ばく調査結果説明会の結果について(付録 1 の資料 5)」として発表されている。 この資料が、今のところ、この調査についてのもっとも詳しい公式の文書である。

測定と被ばく量推定の原理

放射性ヨウ素による内部被ばくをどのようにして実測するかを私が理解した範囲でまとめておく。

測定の基本原理

体に吸収されたヨウ素 131 は、ほとんど甲状腺にとりこまれる。 甲状腺にたまったヨウ素 131 からはベータ線とガンマ線が放出される。 このうちベータ線はほぼ全てが周囲の組織に吸収されてしまうが、ガンマ線はある程度、体の外に出てくる。 そこで、サーベイメータを甲状腺の真上の部分にあてて、体から出てくるガンマ線の線量率を測定する(詳しくは、付録 1 の資料 3 の参考文献を参照)。 この結果は、μSv/h の単位で表わされる。

ただし、ここで得られた値は、甲状腺からのガンマ線と、環境にもともとあるガンマ線(「バックグラウンド」と呼ぶ)の線量率があわさったものである。 そこで、バックグラウンドの線量率を別個に測定し、それを上の測定結果から引いたものを、甲状腺からの線量率とする。 (今回の福島での測定の場合のように)もともとのバックグラウンドが大きいと、この引き算の際にかなり大きな誤差が生まれることになる。 測定の際にはバックグラウンドの線量率が 0.2 μSv/h 以下の場所を見つけ出し、そこに児童を集めて甲状腺からの線量率を測ったという。

等価線量への換算

次に、こうやって測定した甲状腺からの線量率(単位はμSv/h)から、トータルの甲状腺等価線量(単位は mSv)を求める。 三つのステップに分けて見ていこう。

1. ヨウ素の総量の推測:
一つ目のステップでは、体の外に出てきたガンマ線の線量率をもとに、甲状腺にたまっている放射性ヨウ素の総量(単位は kBq)を推測する。 これは、甲状腺の形状、甲状腺におけるヨウ素の分布、甲状腺から皮膚までの距離などの情報があれば、ガンマ線の挙動についての知見にもとづいてかなり正確に推定できる。 付録 1資料 3 の参考文献(web ページ)の下のほうの図 2-28 に換算のグラフの一例が載っている(グラフの傾きが年齢によって異なるのは甲状腺の大きさや皮膚までの距離が年齢によって異なるからだと考えられる)。

今回の調査では、付録 1 の資料 2「甲状腺等価線量評価のための参考資料(2011年3月25日、放射線医学総合研究所)」にあるように、「甲状腺ファントム」とよばれる甲状腺の模型を使って新たな実測をおこない、「1 歳児については、1 μSv/h の線量率が放射性ヨウ素の総量 22 kBq に対応する」を換算の基準としたという。

この換算のための数値は、付録 1資料 3 の参考文献(web ページ)の下のほうの図 2-28 にあるものとは、おおよそ 3 倍ほど食い違っている。 これは随分と大きな相違のように思うが、今回は、新たな予備測定で得られた「1 歳児については、1 μSv/h の線量率が放射性ヨウ素の総量 22 kBq に対応する」がより信頼できるとして、換算の拠り所としたようである。 なお、仮に古い資料のデータの方が信頼できるとした場合、今回の換算法は被ばく量を過大評価していることになる(安全側に間違えていることになる)ので心配することはない。

2. 被ばく量の推測:
二つ目のステップでは、こうして得られたヨウ素 131 の総量(単位は kBq)をもとに、トータルの被ばく量を算出し、甲状腺等価線量(単位は mSv)で表わす。

基本的には、上で量がわかったヨウ素 131 から放出されるベータ線とガンマ線のエネルギーがどれだけ甲状腺に吸収されるかを求め、それを甲状腺の質量で割ればいいはずだ(これで、J/kg = Gy = Sv での値が出てくる)。 ただし、その際に、どのタイミングで放射性ヨウ素を吸入したかが問題になってくる。 たとえば、まさにヨウ素が甲状腺にたまった直後に検査をしたのなら、その時点での放射性ヨウ素が(これから先に)及ぼす被ばくを考えればよい。 一方、ヨウ素が甲状腺にたまってから 8 日後に検査をした場合には、すでに放射性ヨウ素の量は当初の半分に減っているから、過去にさかのぼって、現在の倍の量の放射性ヨウ素がどれだけの被ばくを及ぼすかを計算しなくてはならない。

よって、この二つ目のステップを進めるためには、どの時点でどの程度の放射性ヨウ素を吸入したかのモデルを立てる必要がある。

どのようなモデルを用いたかという説明は原子力安全委員会からの直接発信された情報には(私が調べたかぎり)含まれていないのだが、付録 1 の資料 2 に書かれていることを(この解説を読んだ方から)教えてもらった。 それによると、

3 月 12 日から 23 日までの 12 日間に連続的に吸入した後、24 日に甲状腺線量を測定する
という仮定を使ったことがわかる。

実は、これは「もっとも安全より」の仮定ではなく、被ばく量を過小評価してしまう危険がある。 これについては、「換算方法の批判的検討」で詳しく検討する(その結果、それほどひどい過小評価でないことがわかる(ほっ))。

3. 計測した線量率から甲状腺等価線量へ:
上の二つを合わせれば、甲状腺からの線量率と甲状腺等価線量の換算法が得られる。 換算法の一部は原子力安全委員会の資料で公表されている(換算表を作ったのは放射線医学総合研究所だと推測される)。

付録 1 の資料 3 あるいは 資料 5 の 6 ページによれば、

1 歳児の場合、甲状腺からの線量率 0.2 μSv/h が甲状腺等価線量 100 mSv に相当する
とされている(さらに、付録 1 の資料 2 によると、これが測定時の 4400 Bq の放射性ヨウ素の量に対応する(4400 Bq の算出根拠と思われるものを「内部被ばくのタイミングのモデル化についてのメモ」に書いておいた))。線量率と等価線量は比例すると考えていいので、これで、1 歳児についてはサーベイメータでの測定結果と甲状腺等価線量を結びつけることができる。

今回の調査は、「甲状腺等価線量が 100 mSv を超える可能性のある児童がいるか」を調べる大ざっぱなスクリーニング検査だった。 調査の結果、もし 100 mSv を超える疑いのある児童がみつかったら、さらに精密な検査をおこなう予定だったと考えられる。

そこで、調査の際の目安となる「スクリーニングレベル」として(もっとも敏感な一歳児を基準にして)「甲状腺からの線量率 0.2 μSv/h」が設定された。 ともかく、この数値よりも高い線量率の児童がいるかどうかを焦点に調査を進めようということである(そして、結果として一人もいなかったのである)。


これは余談だが、上で述べた換算方法を、どういうわけか「1 歳児ならば、0.2 マイクロシーベルトの被ばくが 100 ミリシーベルトに相当する。つまり、50 万倍だ! 1 歳児の被ばくは猛烈に危険だ!」と誤解して問題にした人(政治家)がいたようだ。そもそも単位も違うし、もちろん、意味もまったく違う。基本的な考え方を把握していなければ、いくら問題意識をもって問題提起しても無意味な空騒ぎに終わってしまう典型例だ。 今の日本は危機のさなかにあるのだから人々が貴重な時間とエネルギーを無駄にしないためにも、基礎的な知識を身につけ、裏付けをとる努力をしてほしいものだ。 ただし、原子力安全委員会や放射線医学総合研究所が情報を丁寧な説明とともに公開していれば誤解は少なくてすんだのではないかとも思う。

調査の結果について

調査結果については、まず「小児甲状腺の測定結果についてのQ&A」(平成23年3月29日、原子力安全委員会)という書類(付録 1 の資料 1参照)が発表され、そのなかに、
1 名が甲状腺等価線量 35 mSv 値であった。1名は、・・・・・の 4 歳児である。
との記述があったようだ(「・・・」の部分には地名が入る)。 ただし、この書類は現在は公開されていない。私はインターネット上にあったコピー(と考えられるもの)を見ただけなので、この情報は厳密さを欠く。

同じ 35 mSv という数字は、8 月のテレビや新聞での「最も多い人で 35 ミリシーベルト」の甲状腺への被ばくが検出されたという報道とも一致している(付録 1 の資料 4)。


[data] 2011 年 9 月 5 日に公表された原子力安全委員会からの資料(付録 1 の資料 5)の 7 ページには、甲状腺からの線量率の実測データをヒストグラムにしたものが掲載されている。 右にそのまま引用する(図を縮小した)

バックグラウンドが 0.2 μSv/h 近くあった中での測定であることを思い出すと、高い精度があることは期待できない。 それでも、ゼロをピークに急激に減衰するヒストグラムが得られているのを見ると、それなりに意味のある結果が得られているのではないかと推測される。

このヒストグラムによれば、ほとんどの児童の甲状腺からの線量率は 0.05 μSv/h 以下という十分に小さい範囲に収まっている。 一名だけ、やや群を抜いて 0.1 μSv/h という被ばく量を記録している児童がいる。 この一名を除いた分布がきれいな曲線に乗っていることを思うと、0.1 μSv/h という高い数値は計器の不具合や衣服の汚染などの影響に過ぎず、この児童の線量率も十分に低かったのではないかと推測する誘惑にかられる。 しかし、すでに再調査が不可能である以上、さしあたっては、このデータを虚心坦懐に受け入れるしかないだろう。

甲状腺からの線量率が 0.1 μ Sv/h は、上でみたように、1 歳児ならば 50 mSv の甲状腺等価線量に相当する。 ただし、この児童は(未公開の情報ではあるが)4 歳児ということで(甲状腺の質量が大きいので)換算係数が小さくなる。 そこで、線量率が 0.1 μ Sv/h が甲状腺等価線量 35 mSv に換算されたと考えられる(実際、付録 1 の資料 2 によれば、5 歳児の場合には線量率 0.2 μ Sv/h が甲状腺等価線量 64 mSv に相当するとあるので、計算があう)。


以上をまとめれば、 ということになる(「甲状腺等価線量が 35 mSv」ということの意味については、「甲状腺等価線量と実効線量について」に詳しく書いた)。

換算方法の批判的検討

測定と被ばく量推定の原理」のところで解説した「実測値(甲状腺からの線量率)から目標である甲状腺等価線量を求めるための計算方法」について、批判的に検討する。 これから見るように、調査のスクリーニングレベルの決定に用いられた計算方法は必ずしも「もっとも安全より」の評価にはなっていない。 以下では、同じ計算を「より安全よりに」おこなった際に結果がどの程度変化するか(被ばく量の評価がどれくらい大きくなるか)を見る。

結論をいうと、心配するほどには大きくならないということになる。 そうはいっても、公式に用いられた換算方法がいささか甘いものであったことは批判すべきだろう。

1. 吸入のタイミングのモデル化について
未だに公には発表されていないが、スクリーニングレベルを算出する際には、「3 月 12 日から 23 日までの 12 日間に連続的にヨウ素を吸入した後、24 日に甲状腺線量を測定する」という仮定が用いられた。

本当の吸入の様子はもちろんわからないが、「12 日間の連続的な吸入」というのは、現実よりも楽観よりの仮定かもしれない。 吸入は初期のほうが多かったと考えるのが自然だし、もしそうなら被ばく量は上の仮定を用いて見積もったよりも大きくなってしまうからだ。

逆に、「初日にすべてを吸入し、それ以降はずっと吸入しない」という(もちろん、これもきわめて非現実的な)モデルを設定すれば、現実がどうであろうと、被ばく量を過小評価することはない。つまり、これが被ばく量を最大限に過大評価する、もっとも「悲観的な」モデルなのである。

詳細がわからない場合には、被害の可能性をなるべく過大評価をする「悲観的な」モデルを設定するのが正統な姿勢なのではないだろうか?  今回、「12 日間の連続的な吸入」というモデルを採用したことには疑問を抱かざるを得ない。


では、このやや楽観的な仮定によって、被ばく量はどれくらい過小評価されるだろうか?  こういうことは放射線や医学のことを知らなくても、ヨウ素 131 の崩壊についての知識だけから計算できる。 計算過程は(あくまで理系の人向けに)「内部被ばくのタイミングのモデル化についてのメモ」にまとめておいた。 結果だけを述べると、「初日にすべて吸入」という悲観モデルに比べたとき、「12 日間連続吸入」という(実際に使われた)モデルでの被ばく量は 0.6 倍程度になることがわかる。 逆に言えば、吸入のタイミングのモデルを変更することで、「最も多い人で 35 ミリシーベルト」という数値は約 1.7 倍されうるということになる。

実にうれしいことに、今回のようなラフな測定(そして、圧倒的な低リスク)では、これは問題になる相違ではない(これまでの人生で何度も積分を計算してきたが、積分の結果を見て心からほっとしたのは珍しい貴重な経験だった)。

2. 測定日の違いによる減衰の効果
今回の測定では、「3 月 12 日から 23 日までの 12 日間に連続的にヨウ素を吸入した後、24 日に甲状腺線量を測定する」という仮定のもとでスクリーニングレベルを決定した。 実際の測定は、3 月 26 日から 30 日のあいだにおこなわれたわけだが、この間、スクリーニングレベルを変更することはなかったようだ。

24 日から余分な日数が経過すれば、それだけ放射性ヨウ素は減衰し、甲状腺からの線量率も小さくなる。 つまり、ここでも、今回の計算方法では被ばく量を過小評価することになるのだ。

といっても、この過小評価による補正も大きいものではない。 仮に測定が 27 日におこなわれたとすると、ヨウ素 131 の量は 24 日の約 0.77 倍に減衰している。 よって、甲状腺等価線量の評価は 1.3 倍したものが正しいことになる。 これも、また、大した問題にはならない。

3. 「早野仮説」を採用した場合の評価
みなさんご存知の東大物理の早野さんが福島に赴き、ホールボディカウンタが記録していたバックグラウンドの放射線のスペクトルの記録を調べた結果、福島がヨウ素 131 に汚染されたのは 3 月 21 日ではないかとの仮説を発表している(2011 年 11 月 28  日の tweet 1, tweet 2, tweet 3)。 そんなところに貴重なデータが残っているとは驚きだし、それを自ら見付けてくる早野さんはやっぱりすごい。

この仮説の信憑性については検討が必要だが、もしこれが正しければ内部被ばくの評価も少し変わってくる。 具体的には「21 日だけにヨウ素を吸入したと」仮定して測定結果を解釈すると、被ばく量は公式の評価の 8 割程度ということになる。 公式の「12 日間連続吸入」というモデルは楽観的だと上で書いたが、早野仮説が正しければ、現実のほうがより楽観的だったということになる。うれしい報せだ。

さらに、上の 2 で述べた測定日の遅れによる効果もかけ合わせる必要がある。 たとえば、

21 日にヨウ素をすべて吸入し、27 日に検査を受けた
というモデルを考えると、二つの補正がだいたい相殺して公式の評価による換算方法はほぼ正確ということがわかる(もちろん、これは偶然)。

いずれにせよ、この文書で私が採用している「初日にすべてを吸入」というのは、物理的に可能な範囲で最悪の状況を想定したものなので、新たな情報が付け加われば、被ばく量の評価は必ず低い方向(つまり、より安心な方向)へと動いていくのである。 早野仮説が正しくないとわかっても、最初に述べた評価よりも悪い結果が出てくることはない。

情報の公開について

この調査をめぐる情報公開の姿勢は当初から混乱しているようだ。 すでに述べたように、2011 年 3 月 29 日に原子力安全委員会の web ページで公開された情報は、その後、8 月 1 日に削除されている。
その後、原子力安全委員会や放射線医学総合研究所からのまとまった情報発信はなかったようだ。 9 月 5 日になって、付録 1 の資料 5 が公開されて、ようやく調査についての詳しい資料を見ることができるようになった。

しかし、それでも情報公開はおそろしく不十分である。

とくに、資料 5 からは、ヨウ素の吸入のタイミングを如何にモデル化したか、あるいは、線量率からヨウ素の量を如何に推測したのかといった、スクリーニングレベルの決定のために本質的な情報が欠落している。 私は、これらの情報を森ゆう子議員(当時)のweb ページにあった資料(付録 1 の資料 2)によって知ることができた。 つまり、これらの情報は国会議員には報告されていたのだ。ならば、何故、公開資料の中に含めないのだろう?

考えにくいことではあるが、スクリーニングレベルの決定に用いた仮定のなかに(上で述べたように)楽観よりの要素があることへの批判を恐れているのだろうか? しかし、いずれにせよ、情報は(きわめて面倒な形であるにせよ)入手可能なのだから、今さら情報の出し惜しみをしても何ら得るところはあるまい。むしろ、無益な邪推を生むだけではないだろうか?


さらに言えば、データの解析方法だけでなく、今回の調査のさまざまな詳細 --- 測定環境、測定方法、バックグラウンドの値、バックグラウンドの引き算の仕方、考え得る誤差要因、そして、様々な生データ --- も何らかの形で公開しなくてはならないと私は信じている。

もちろん、それらは(私を含む)普通の人にはほとんど意味を持たないだろう。 しかし、それらの基礎的なデータが公開されていれば、専門家がそれらを独自に解析し、今回の調査結果の信頼性や内部被ばくのレベルを(可能な範囲で)評価できるようになる。 たとえば、この調査のデータを、放射性物質の拡散のシミュレーションや地表の汚染の実測値などと比較して解析することで、調査のおこなわれたなかった広い地域での甲状腺内部被ばくの可能性についてのごく大ざっぱな評価を行なうこともできるかもしれない。 そのような知見は福島県の周辺の多くの地方自治体にとっても有益だろう。


なお、2011 年 9 月 6 日の新聞報道や、9 月 5 日の「原子力安全委員会記者ブリーフィンク」などで、原子力安全委員会では、この調査の結果から個々の児童の健康のリスク評価はおこなわないという方針が伝えられている(付録 1 の資料 6, 7, 8)。 これほどの低量の被ばくで個人のリスクを云々することにほとんど意味はないと思われるので、この方針は正しいと私も考える。

個人の問題ではなく、より広い視野からの検討を進めるためにしっかりと情報を公開してほしいと主張しているのである。 情報公開にあたって児童のプライバシーを徹底的に守らなくてはならないことは言うまでもない。

その上で、われわれ日本人全体にとって重要な意味をもつこの調査のことをしっかりと記録し、もてる情報を公開していただきたい。 情報を小出しにしても無意味な憶測と不安を生み出すことにしかならないと私は考える。

くり返すが、3 月末の重要な時期におこなったせっかくの調査である。 その成果は、将来にわたって最大限に活用できる道を開いておかなくてはならないと強く信じている。 しかるべき人々(おそらくは、政府、現地対策本部、原子力安全委員会、放射線医学総合研究所といった組織の人々であろう)にご再考を心からお願いする。

付録 1:資料

  1. 「小児甲状腺の測定結果についてのQ&A」(平成23年3月29日、原子力安全委員会)
    「『小児甲状腺の測定結果についてQ&A』の掲載の削除について」(web ページ)にあるように、かつては公開されていたが 2011 年 8 月 1 日に削除されたようだ。 私は公開されていたバージョンは見ていない。インターネット上でこの書類のコピーと考えられる画像をみつけたのでそれを参照しているが、ここに掲載することは避ける。
  2. 「2011040被爆量考え方、根拠資料」(2011年4月8日、森ゆうこ 資料サイトより)
    「小児甲状腺被ばくのモニタリングにおけるシンチレーションサーベイメータ正味値 0.2 μSv/h と甲状腺等価線量 100 mSv との関係」(文責不明)という書類(明確に書けている)と、「甲状腺等価線量評価のための参考資料」(2011年3月25日、放射線医学総合研究所)という書類のスキャン。
    この内容についての引用可能な資料をずっとさがしていたのだが、既に 4 月 8 日に公開されていたことを解説を読まれた方に教えていただいた。情報提供に感謝します。
  3. 「福島県における小児甲状腺被ばく調査結果について」(pdf ファイル)(平成23年5月12日、原子力安全委員会)
    ここでは、線量が 0.1 μSv/h を越えた児童がいなかったことだけが述べられている。
    「測定方法」のところで参照されているのは、「緊急被ばく医療ポケットブック」第2章 被ばく医療の基本的手技、その他 サーベイメータ使用方法の実際(web ページ)である(「緊急被ばく医療の知識 4-III-3 頸部甲状腺に沈着した放射性ヨウ素の測定 」(web ページ)にもほぼ同じ内容がある)。
  4. 8月半ばの報道:たとえば、以下の内容が NHK ニュースで報道されたそうである(以下は、インターネット上にあったテキストをコピーした物。著作権上の問題があればご一報いただければ幸いです)。
    子供の甲状腺から放射線検出

    8月13日 16時48分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県内の 1000 人以上の子どもの甲状腺を調べたところ、およそ半数から放射性ヨウ素による放射線が検出されたことが分かりました。専門家は「微量なので、健康に影響が出るとは考えにくいが、念のため継続的な健康管理が必要だ」としています。

    この調査結果は、13 日、東京で開かれた日本小児科学会で、広島大学の田代聡教授が報告しました。田代教授らのグループは、国の対策本部の依頼を受けて、今年3月下旬、福島県いわき市や飯舘村などで、1149 人の子どもを対象に甲状腺への被ばく量を調べる検査を行いました。その結果、およそ半数の子どもの甲状腺から放射性ヨウ素による放射線が検出されたということです。田代教授によりますと、甲状腺への被ばく量は 100 ミリシーベルト以上に達した場合に健康に影響が出るとされています。しかし、今回検出された放射線から換算される甲状腺への被ばく量は、子どもへの影響を最大限に考慮しても、最も多い人で 35 ミリシーベルトで、「健康に影響が出る値ではない」ということです。田代教授は「微量なので将来、甲状腺がんが増えるとは考えにくいが、万が一の場合にも対応できるよう継続的な健康管理が必要だ」と話しています。検査の結果は、来週以降、国の対策本部から子どもや保護者に通知されることになっています。

    次の資料 5 にあるように、今回の調査は原子力安全委員会の指示のもとに現地対策本部で実施された。 このニュース原稿によれば、対策本部がさらに田代教授ら専門家に測定を依頼したことがわかる。
  5. 「小児甲状腺被ばく調査結果説明会の結果について」(pdf ファイル)(平成23年9月5日、原子力安全委員会)
    9 月になっってようやくある程度の詳しい説明資料が公開された。説明会の資料もある。 ただ、吸入のタイミングのモデル化等についての説明はみあたらない。
    説明会で使用したスライドも収録されているが、これにも問題があると思う。 特に 12 ページの甲状腺ガン発症のリスクの説明では、生涯リスクだけを問題にしているが、上で述べたように、子供の頃の発症リスクの増加が問題なのだから、これでは本質を逃しているのではないだろうか?
  6. 「原子力安全委員会記者ブリーフィンク」(pdf ファイル)(平成23年9月5日)
    抜粋:実際に 生活していらっしゃる方々、あるいは、お子さんがどの程度の線量を実態としては受けてい るだろうか、ということのスクリーニングという目的での測定方法であるということで、こ れをもって、その人の線量が幾らだとか、それから、それと線量によるリスクがどれぐらい かということを言うのは、ちょっと乱暴だなという気がいたします。もちろん、今後、非常 にお子さんたちの影響というものは大事なお話ですので、これでよしということではなくて、 今、福島県で実際に原災本部が支援をしながら、福島県の方で計画しておられる県民全体の 健康影響調査ということで、線量の推定及び健康影響も評価していくべきであると思ってお ります。これでよしということでは思っておりません。(久住原子力安全委員)
  7. 「甲状腺被曝の子『健康リスク評価できぬ』原子力安全委」(web ページ)(asahi.com 2011年9月6日0時49分)
    抜粋: 安全委は、3月の検査は「全体状況を把握するのが目的で誤差が大きい」(班目〈まだらめ〉春樹委員長)と判断。計測値から個別の内部被曝線量を推計し健康リスクを評価するのは「乱暴すぎる」(久住静代委員)とした。

    評価の難しさを理由に、内部被曝の実態をあいまいにしたという批判を招き、不信感が強まる可能性がある。個別は無理にせよリスクの大まかな傾向を示し、親の要望に応える対応が求められる。

  8. 「小児甲状腺被ばく調査結果に対する評価について」(pdf ファイル)(平成23年9月9日、原子力安全委員会)
    上の資料 5 についての原子力安全委員会の評価。
    特に目新しいことはないし、スクリーニングレベルの算出の根拠(そして、それについての反省)などは書かれていない。

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