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「熱力学 ― 現代的な視点から」への補足
更新日 2024 年 12 月 13 日
【重要】三重点における熱力学の操作的構成(付録 E への追加)
(2021/9/2)
本書で採用した温度をパラメターとする状態の指定方法では、三重点にある系の状態を指定できないため、厳密にいうと一貫した熱力学の体系を操作的に構築できないということを本文で述べた。しかし、これは正しくなかった。
本書の英語版を準備する過程で、三重点においても、状態の指定方法を工夫すれば、温度を指定する方法でも熱力学を完全に構築できることがわかった。
温度を指定する操作的な構築の欠点は、本質的なものではなく、技術的なものだったといってもいいだろう。
これは主として英語版の共著者の Glenn Paquette さんの貢献である。
これによって、本書の出版から二十年以上(←え、そんなに経つんだ!!)引っかかっていた(マニアックだけど)最大の不満点が解消した。よかった、よかった。
この新展開を教科書にどう反映できるかよくわからないのだが、ともかく「付録 E」に続けて読める文書を公開する。
【重要】Carnot の定理の証明(5-4 節)の改良について
(2015/8/26)
この項目は 18 刷(2016 年 9 月 20 日)以降には不必要です(すでに完全に修正されています)。
東工大の田中琢真さんのご指摘で、5-4 節でのCarnotの定理(結果 5.2, 75 ページ)の証明が圧倒的に改良されることがわかった。難解な付録 A もまったく不要になった。
これに関して、二つの文書を公開する。
「スケートが滑る理由」について
(2010/3/1)
p 146 の脚注 31 で、「スケートが滑るのは、スケート靴に押された氷の圧力があがり融点が下がるためだ」という「通説」に疑問を表明した。
このテーマについて、Physics Today の 2005 年 12 月号 p. 50 に "Why is Ice Slippery?" by Robert Roseberg という記事が載っている(完全な pdf ファイルが公開されていた)。
この記事での結論は、やはり上の単純な説明には問題があり、「スケートが滑る理由」は摩擦や表面状態などと関わるデリケートな話だということだ。
以下、少しだけこの記事の中身を要約する。
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スケートがよく滑るのは、スケートの刃と氷の表面(これらはどちらも固体)の間に薄い水の層ができるから。
これに異論はない。
では、なぜ水の層ができるかというのが重要な問題。
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1850 年に圧力を上げると融点が下がることに気づいたのは James Thomson。
あの William Thomson(= Lord Kelvin)の兄弟らしい。
その後、William がこの現象をちゃんと実験で確かめている。
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1886 年に John Joly という人が「融点降下説」を唱えた。
彼はスケートの刃の下の氷の圧力は 500 気圧程度になると概算し、それによって融点が零下 3.5 度まで下がるとした。
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しかし、スケートは気温が零下 3.5 度より低くても滑る。
フィギュアは零下 5.5 度だし、アイスホッケーは零下 9 度。だいたい、零下 30 度くらいでもスケートはできるらしい。
(田崎補足:Joly の評価がどこまで信頼できるかはともかく、この理屈では零下 30 度は説明不可能だと思う。)
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それでも、この「融点降下説」が定説となってしまって約一世紀。
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二十世紀半ばから後半にかけて、摩擦による発熱こそが大事だという説や実験が出てくる。
これは絶対に重要だろう。しかし、氷の上に止まっていても、滑る。これは何故?
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実は、1850 年に Michael Faraday が、零度以下でも氷の表面には薄い水の層ができているのではないかという提案をして、その後、完全に忘れられている。
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現代的な観点からすれば、表面では原子の結合の様相などはバルクとは大きく異なるので、表面ならではの現象があってもかまわない。Faraday のアイディアは二十世紀半ばになって復活する。バルクの融点より低い温度で、固体表面に液体の層が形成される現象は premelting と呼ばれ、活発な研究の対象になっている。これも「スケートが滑る」現象と関わっているに違いない。
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記事の後半は premelting の近年の研究の紹介。日本での数値シミュレーションも紹介されている。
結局は、「ややこしい」ということに尽きるわけだが、「スケートが滑る」というような複雑な現実の現象を考えるときは、さまざまな要素が絡まってきて話がややこしくなるのは、ほぼ当たり前のように思う。
それについて、なんとなくかっこいい説明が出てくると、ろくに実験的な検証がなくても、みなが信じて俗説が一人歩きしてしまうというのはちょっと情けない話である。
浸透圧の実例について
p.186 図 9.3 の説明 (3/22/2000, revised 5/16/2000)
ここで、浸透圧の一般的な説明のあとに、
長時間入浴していると指の先の皮膚がしわしわになることがあるが、
これはわれわれの皮膚が塩分を透過させない半透膜として機能するからである。
という記述がある。
お恥ずかしいことだが、
この「一口科学知識」的な記述は、私がどこかで耳にしたことを、
きちんとした裏付けをとらずに、そのまま書いてしまったものである。
スケートとクラペイロンの関係を「俗説」として厳しく扱っているにもかかわらず、
自分自身、こういう俗説かもしれないものを気楽に書いてしまったというのは、
まったく不覚であった。
ふと気になり始めて、
調べたり、人に聞いたりした。
その結果、今のところ、
この説明は、おそらく正しいが、
いろいろとデリケートなところはある
との結論に達した。
以下、わたしの理解したことを簡単に書きます。
より詳しい事情をご存じの方がいらっしゃたら、教えて下さい。
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生体内の膜が優れた半透膜として機能し、
何らかのイオンを選択的に通さないのは、事実である。
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しかし、お風呂に入ったときに水を吸うのは、
生体内の生きた細胞の膜ではない。
お風呂に入るたびに生きた細胞が水膨れしていたのでは、身が持たないだろう。
外界に接している細胞の膜では、
水が入ってこないように積極的な努力をしているのだろう。
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お風呂に入ったときに水を吸うのは、
皮膚のもっとも外側の角質層といわれる層で、これは死んだ細胞からできている。
指先だけがしわしわになり、他の所はそうでもないのは、指先の角質層が他の部分に比べて厚いからで、そのため水分を吸って膨れた効果が顕著に現れて「しわしわ」になると考えられる。
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では、なぜ、角質層が水を吸うか。
これが、単にスポンジが水を吸うような現象なら、
浸透圧とは無関係ということになる。
ただ、
海水には長時間浸かっていても指は「しわしわ」にならないそうなので
(いわれてみれば、確かにそうだった気がする)
この現象に外部の水溶液の濃度が関与しているのは確実にみえる。
浸透圧の説明も、理屈としてまずくはない。
(ただし、お風呂と海水では温度が違う。
同じ温度の真水と塩水に左右の手をつけておいて、しわしわになり方を比較すればいいのだ。
暇があれば実験してみようと思うけれど、
既にした方がいれば、結果を教えて下さい。)
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ただし、繰り返しになるが、
私の本にある説明で誤解を招きやすいのは、
これでは、
あたかも細胞壁を通して生きた細胞の内部にお風呂の水が侵入していくかのように読めてしまうことだ。
これは、まったく事実に反する。
また、生体内で生じる膜を利用した様々な生理現象と、お風呂の「しわしわ」を同列のもののように考えてしまうという弊害もある。
追記(2024 年 12 月 13 日)
この部分はやはり俗説だということがはっきりしたので、遅ればせながら、第27刷以降は以下のように書き換えた。
ところで、入浴すると指先の皮膚にしわができるのは皮膚が半透膜だからだという説明があるが、今日では、この現象は生物学的な機能の結果だと考えられているそうである。
削除しても良かったのだろうが(英語版では削除した)それだとスペースが余るし俗説であるという情報も大事だろうと思い、このようにした。現在の(主流と思われる)考えについては、"Why do fingers get wrinkly after a long bath or swim? A biomedical engineer explains" および "Science gets a grip on wrinkly fingers" を参照。
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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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