学習院大学 東洋文化研究所The Research Institute for Oriental Cultures

研究プロジェクト

一般研究プロジェクト

A23-1 新発見史料を踏まえた漢代石刻における人名・地名情報の研究(2023年度)

 

構成員
代表研究員 海老根量介
研究員 鐘江 宏之  莊 卓燐
客員研究員 鶴間 和幸  邉見 統
(1)研究の目的・意義

 東アジアの歴史において、中国に史上初めて統一帝国が出現した秦・漢時代(前3世紀-後3世紀)は一大画期といえる。両帝国の下では文書行政制度が整備され、民間でも書物や追悼碑など文字文化が大きく発展した。こうした制度・文化は後代の中国、さらに東アジア諸地域に抜きがたい影響を残した。紙が普及する以前の中国社会において、文字は木や竹、石・骨・金属・粘土などに書き記された。そのうち、石を書写材料とする史料群を石刻と呼ぶ。秦・漢時代の石刻はほとんどが後1-2世紀(後漢時代)に属し、地方長官や学師の顕彰・事業の完成記念・追悼などを目的として制作されたものである。現存史料は約250点、うち近30年ほどの間に発見されたものが約30件ある。また、原石こそ既に失われているが刻文や所在地情報が文献に書きとめられて伝存するもの(著録)も約500件知られる。 漢代石刻については永田英正編『漢代石刻集成』(同朋舎、1994年)、毛遠明『漢魏六朝碑刻校注』(線装書局、2009年)が基本文献だが、いずれも収録対象は原石が現存するものに限られる。前者は比較的詳細な訳注書だが、刊行後に発見された石刻や収録漏れが少なくない。後者は収録数こそ多いものの、書式や用語の整理を伴わない。こうした状況は石刻を史料として利用するうえで障壁となってきた。 秦・漢時代史分野では、1980年代以降各地で木簡・竹簡など簡牘史料の新発見が相次ぎ、そうした史料中の人名・地名情報や史料記述の背景にある政治・社会状況との関連が盛んに論じられた。同様の研究手法は石刻にも適用可能だが、そのためには前記の障壁を取り除く作業が必要である。また石刻の特色として、簡牘以上に場(制作地点)との結びつきや政治・社会的背景との関連が密接であること、字配りや形状・意匠も史料的意味を持つことがある。こうした情報の活用においても石刻史料の整理分析作業は不可欠である。本プロジェクトはこれらの作業を通じて、石刻を軸に出土史料を全面的に用いた漢代社会の実証的分析を行い、中国古代帝国の実像を基層あるいは地域に注目して再考を促すことを目的とする。

(2)研究内容・方法

 「中国古代帝国における地方豪族勢力に関する出土資料データの整理」(2020年度一般研究プロジェクト、以下20年度プロジェクト)において、鶴間和幸『漢代姓氏分布表』(私家版:1980年代までに知られていた秦・漢時代史料を対象とした有力氏族・人名史料集)をもとに、1980年代以後の新発見史料(簡牘・石刻等)を踏まえた補訂作業を行った。石刻については、約800件を対象として基礎情報及び人名約3000件・地名約500件を収集した。この数値は20年度プロジェクトの当初計画を大きく上回った。そこで、研究期間及び予算の制約、また折悪しく新型コロナウイルス感染症の影響により文献収集・史料調査に大きな支障が生じたこと、さらに石刻史料の扱いにくさ(前項参照)を考慮し、当該プロジェクトでは簡牘史料を中心に成果を取りまとめた。このため、上記収集結果はいくつかの課題を残したまま未公表状態に置かれることとなった。本プロジェクトはこれらの課題を克服しながら遂行してゆく。  課題の一は、短期間に膨大な情報を処理するため、石刻のテキストについて主要史料集にのみ依拠したことにある。石刻には、過去の著録や拓本を利用することで、史料集に収録された現状を補える場合がある。これについては、効率的に点検作業を行い、定期的に研究会を開き、収集したデータを検討して精度を高める必要がある。第二に、石刻には難読または存疑の箇所が散見するが、20年度プロジェクトでは研究期間の制約により速度を優先したため採録対象から除いた。しかし、複数の研究者による会読や現物の実見によって研究に有益な情報を抽出する余地が依然残されている。さらに、20年度プロジェクトでは簡牘史料と一体の人名・地名情報集成を目指したため、石刻固有の情報(三次元形態、出土位置、装飾など)、石刻に特徴的な情報(社会関係、出身地・葬地比定)は大きく省略した。石刻の史料的特性を明確化し、もって秦・漢時代の社会像に接近するためには、この部分について改めて情報の収集・整理及び研究メンバー間での討議を行う必要がある。  本プロジェクトでは、20年度プロジェクトのメンバー及び研究ノウハウを継承し、またRA・研究補助員の分担作業によって以上の課題に取り組む。具体的には、20年度プロジェクトにおいて石刻史料の収集を担当した、新津健一郎氏や菅野恵美氏の協力の下、定期的に研究会を開いてデータの点検・検討を行う。また、簡牘調査で得た成果を十全に活用すべく、代表研究員であった鶴間和幸氏をはじめとする簡牘の専門家を交え、石刻・簡牘の新発見史料を踏まえて中国古代の在地社会の実像を再構築する。さらに日中史資料を比較する見地から、鐘江宏之氏から助言を得て吟味・校閲作業に取り組む。これにより、既存の石刻史料人名・地名情報史料データを補訂し、資料集を調査研究報告または東洋文化叢書の形で世に問う予定である。また、難読史料及び訳注等の存在しない新史料、特に史料的価値の高い石刻については会読及び意見交換の成果を学術誌における史料紹介などの形で公表したい。