諏訪春雄通信 45


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 通信42で、準備をかさねてきた大きな出版計画三つが同時にうごきはじめて、身辺にわかに多忙をきわめはじめたと申しました。まずその出版計画の一つについてご報告しましょう。

 その計画は「新日本古典百選」(仮題、東京書籍)です。

 すでによくご存知のように、義務教育では今年度から新学習指導要領を実施することになり、ゆとり教育、総合学習など、教育現場で多くの議論と、時には混乱をまねいています。また、国語教育では、表現教育重視をうたい、古典や物語の学習時間が大はばに減少しています。

 しかし、その他方で、中央教育審議会、文化審議会(高階秀爾会長)などの文部科学省の審議機関はくりかえし、日本固有の文化がうしなわれつつあることに危機感をもち、国語や歴史・伝統を大切にする教育の重要性をうったえかけています。

 このような現状をふまえて、中学生や高校生、さらには日本人にぜひ読ませたい古典を百種、あたらしく選定し、その内容をもっとも理解しやすいかたちで提供しようというのがこの企画のねらいです。

 私はもう半世紀近くも日本の古典文学といわれるものの研究や教育にたずさわってきました。教育対象も、中学生から高校生、短大生、大学生、大学院生、一般社会人にまでおよんでいます。しかし、「はじめに古典ありき」で、自分が教室でおしえている古典文学がどのようにして選択され、日本の古典としての地位を確立したのか、深刻にかんがえたことは、これまでありませんでした。

 「日本人なら日本の古典を読まなければならない」と私たち教師はなんの疑問もなく生徒や学生に押しつけますが、そのとき、その作品が真に読むに価するのか、読むに価するのならどのように読むのが正しいのか、という反省をすることはまずありません。

 もちろん、教育現場の先生方があたえられた条件のなかで、悪戦苦闘なさっていることはよく知っています。私は、いま、二種類の中学国語の教科書を眼の前にしています。社会人入学をされた学習院大学日本語日本文学科3年次のYさんからいただいた、お子さんの教科書『国語 2』(光村図書)の現物と『中学国語 3年』(教育出版)のコピーです。

 前者には、「平家物語」と「枕草子」「徒然草」が、後者には「おくのほそ道」「万葉・古今・新古今」の和歌がわずかずつあつかわれています。解説、図版、注釈と、懇切丁寧な工夫が凝らされていることには、ただただ感服するだけです。

 しかし、その一方で、このような扱いで、本当に日本の古典の生命が子供たちにつたわるのだろうか、という思いを禁じえないのです。

 日本の国語教科書の古典のページから、私が思いうかべるのは、日本の伝統文化の象徴ともいえる懐石料理であり、盆栽です。たしかに口当たりよく、こぢんまりと、日本の料理や風景の一端がそこにならべられています。

 私が見たのは中学の国語教科書ですが、高校の国語でも基本的にこのような編集方針がつらぬかれています。入門としてはやむをえないでしょうが、これが日本の古典のすべてではないのだということを、なんらかの方法で子供たちに気づかせる必要があります。

 それができなかったら、日本の子供たちと日本の古典の不幸です。

 料理ならばすくなくとも産地直送の食材か、できたら生産地で実物をあじわい、風景ならその風土のなかに自分の足で立つことによって、真の味と本質がわかるのではないでしょうか。

 「新日本古典百選」を私はつぎのような方針と目的にしたがって編纂したいとかんがえています。

T 古典の範囲を問いなおす。
 日本の古典は、明治以降、国文学者の専掌領域とされ、文学に限定されてきました。国文学という学問の成立の歴史については、
通信33を参照してください。国学を母胎として誕生した国文学が自己規制をくりかえして、学問として自立してゆく過程のなかで、いわゆる古典も文学に限定されてきたのです。芳賀矢一、立花銑一郎、上田万年、三上参次、高津鍬三郎、藤岡作太郎などの明治の国文学者が古典の選定に大きな役割を果たし、明治期に確定した古典はそののち疑いももたれず受けつがれました。
 これも
通信33でのべたように、私たちは国文学の方法論を反省するとともに、古典の範囲も江戸時代の国学にまでたちもどるべきです。すくなくとも、文学書のほかに思想書実用書科学書宗教書の類をおおはばに古典の領域にとりこまなければなりません。

U 古典を国文学から解放する。
 Tと関わりがあります。新古典の選定と研究には、歴史家、思想家、宗教研究者、科学史家、民俗学者などなどの、周辺学問の成果を参照しなければなりません。

V 古典は一個の生命体である。
 学校における古典の授業を思いだしてください。小さく切りはなされた断片断章をさらに段落にわけ、語彙と文法を調べ、現代語におきなおし、せいぜいその断章の主題を解明すれば終わりになっているはずです。この学問方法は、分析と細分化を重視し、統合をわすれた近代科学の悪い模倣です。古典は一個の生命体です。一定の風土と歴史のなかに誕生し、統合された全体として存在価値を主張しています。私たちはその古典の生命を復活させなければなりません。

W 物語性を復権させる。
 神話、伝説、説話、民話など、書物をはなれた語りや話のなかにゆたかな物語性をそなえた作品が数多く存在します。このような口承の伝承を積極的に新しい古典のなかにくわえなければなりません。

 さしあたり、私は以上の4点を考慮しながら、「新日本古典百選」の編纂にとりくんでいます。具体的な成果を世に問うのはだいぶ先のことでしょうが、「学問は夢と志の実現」という私の信条にふさわしい、やりがいのある仕事です。あとの二つの出版計画については、また、機会をみてご報告します。


 ここで前回の通信44の補足をのべておきます。

 日本の書物は右から左にページをくり、絵巻は右から左にひらきます。文字を横書きするばあいでも、戦前までは右から左に書きました。この方式は中国にはじまって、漢字圏のアジアにひろがったものです。

 これは、前回説明した右回り(中心主体からみれば左)重視の結果です。天の星座になぞらえられる貴重なものが、右から左に旋回するという観念が文字や書物、絵巻の右から左に展開するという観念を生んだのです。寡聞にして、この問題を解明した論を知りませんので、ここで補足しておきます。

 もう一つの補足は古代日本人の東西軸重視という問題です。前回、最後のほうで、古来の日本人の方位観にふれて、「中国南方の太陽信仰に由来する太陽ののぼる東にむかうものがある」とのべました。

 日本人の公式の方位観は中国の天の信仰をうけいれて、北極星にむかい、右回りを重んじる南北軸(子午線)重視ですが、それとは別に、神社の祭壇などを東側に設置する東西軸重視の信仰があるのです。この問題をさらにつきつめてゆくと、日本の神社信仰=神道が、あきらかに中国の南方原理をうけいれて、天の信仰とは異質の太陽信仰にもとづいていることがあきらかになってきます。次回以降、その問題をかんがえます。

 今回はこの辺で失礼します。


諏訪春雄通信 TOPへ戻る

TOPへ戻る