茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
おー、いよいよ 6 月がやってきたぞ、5 月はほとんど日記を書かなかったから 6 月はがんばって書くぞ〜!! みたいなベタなボケが許される年齢でもありませんなあ。
振り返ってみると、確かに忙しめの時もあったが、今は、そんなにひどくはない。 いっぺん「書かないフェーズ」に入ってしまうと、こんな雑文といえども、何となく書くのが億劫になってしまって、ついつい書かずじまいになってしまうということかな。
実際、まだ大した分量を書いていないけど、なんか妙にタイプする指が重いというか、すぐに投げ出して違うことをしたいなあという気になりがちだったりするんだなあ。 ひょいひょい書いてた時期は、かなり長いものをな〜んも気にせずに、ぱぱぱっとかなりのスピードで書いたりしていたんだから、不思議な感じ。
上で少し「振り返った」勢いで、もう少し振り返っておこう。
5 月はなんだかんだで小さなイベントが多い上に、どうも体調が今ひとつだった。 別に病気だとかそういった深刻な話じゃないのだけれど、たとえば、講義が終わった後、昔ならたちまち次の仕事にばりばりとかかっていたのだが、どうも疲れが残って、一休み、ふた休みしてしまう。 とくに、月曜の駒場での講義の疲れがひどかった。 もちろん講義はハイテンションなのだけれど、講義のあとで佐々さんや清水さんと話しても調子がでず、ほどほどで切り上げて目白に戻って休みながら(あまり知的創造力を使わない)雑用をして過ごす、という感じが続いた。
今から思うと、(駒場の)非常勤講師控室の位置とフォーマットが変わって(←駒場関係者のみなさま:確かに今のように一号館に控室があるほうが行き来は便利だけど、個人的には、去年までの位置(教授会をする建物の一階)のほうが落ち着いてよかったし、部屋が明るくて広々としているのはとてもよかった)それになんとなく体が慣れなかったのと、大人数(主催者側発表で 400 人、警察の発表で 200 人)を相手に、普通と違う大教室(1731 号室:もとは情報教育のための部屋で、講義室を想定して設計されたわけではないらしい)で講義をするということに全く順応していなかったのだろう。 で、月曜に妙に消耗してしまったため、週の残りにも疲れが残ったという感じか。 どうも余裕がなくてプールに通う頻度が落ちていたのも、よくなかったね。
そうなってくると、なんとも月並みだけれど、「それなりに健康で一生懸命にやりたい仕事ができる」という自分の境遇が幸せだと言うことをあらためて実感する。 そして、是非とも、こういう状況がより長く持続する確率を高めるため、できるだけのことをしようと心がけるようにもなってくるのだ。
面白くないけど、ぼくの最近の「心がけ」を列挙してみよう。別に箇条書きの最後がオチになってたりしないですよ(久々に書くので、書くだけで精一杯で、オチを考えるところまで頭がまわらないのだ)。
テレビをほとんど見なくなって久しいけれど、最近は、まったく見ない。 Perfume とかの出た番組の録画を YouTube で見る時間すら惜しいので、それすら、余程のことがないかぎりは見ない。
読書はやめづらいのだけど、やっぱり最小限。 英語に(今以上に)慣れるためもあって Eclipse Two という SF の短編選集をずっと前に買って読んでいたのだけれど、それを、ようやく先日読み終わった(←実は微妙に嘘。一作だけ、あんまりわけがわからなくて、途中で投げ出した)。 Ted Chiang の新作が読みたくて買ったのだけれど、他にも、いくつかきわめて素敵な作品があった。 これはなかなかの収穫だったので、同じシリーズの一冊目も買ってみようかなと思っている。
余分なことはしないとは言っても、運動と仕事だけしているわけでもない。このあいだの週末は妻といっしょに小さなライブに行ったし、夜、妻といっしょにビールを飲んで過ごすことも多い。ちょっと飲み過ぎかなと思うくらい。
長い目でみれば、ぼくの教科書「数学:物理を学び楽しむために」でペロン・フロベニウスの定理やマルコフ連鎖の基礎を(全部、自分で導出し直して)まとめたのは、その助走だったともいえる。 その後は、何度も挑戦しては投げ出していた large deviation の学習を初めた。 非平衡系の研究に関わりそうなところを取っかかりに、一生懸命に学んでは、それを佐々さんや小松さんに話して議論して、ということを繰り返して、かなり自分なりの理解が深まってきた気がする。
しかし、まあ、これが大変なのじゃ。 そもそも、最初にぼくが書いた部分は、ほとんど、原もぼくも学生時代にしっかりと学んで理解していたような標準的な内容だった。 もちろん、全ての結果を同一の設定で矛盾なく能率的に述べるため、証明をやり直したり工夫したりという努力はあったが、基本的には、既に理解している内容を如何に伝えるかというのが苦労のポイントだった。 ところが、原が書いているうちに、本の構想が二人の当初のプランを越えてどんどんと大きくなっていった。 「・・・が書いてあるのだから、・・・に触れるべきだが、これはどこの本にも書いていない」「・・・は結果だけが引用されることが多いが、証明は読解不可能だから、この際、きちんと解説すべきだ」「どうせなら、・・・の完結した解説があったほうがプロを目指す読者に有益」という具合に、内容が増えていく。しかも、これらは、原でさえぎりぎり理解していたことや、今回新たに理解したことも含んでいて、ぼくとしては新たに学ばねばならないことが、どどおおんとやってきたということになってしまった。
手始めに、クラスター展開についての原の解説(これは、既存の解説よりも格段に優れていると思う)を完全に消化して、さらに筋をはっきりさせ、例などを付け加えて、わかりやすく書き直す作業に取り組んでいる。 クラスター展開というのは、数理物理の世界で使われる「必殺技」的な多体系における(厳密な)展開の手法である。 ぼくも、原との共著や Tom Kennedy との共著のなかでしっかりとお世話になっている手法なのだが、今回のように、かなり一般の設定でもっとも能率的な証明を通して見たことはなかった。 要するに、気持ちを新たにしてしっかりと学ぶ必要があるわけだが、これも落ち着いてやってみると楽しいし、展開がうまくいく理由についてもようやく腑に落ちてきた気がする。ちょっとうれしい。
研究者もそれなりに一人前になって自分の研究が進められるようになると、ついつい新しいことを学ぶのが億劫になってくる。 やっぱり、他の人の歩いたことのない道を自力で歩くのは圧倒的に愉しいから、研究が最優先になるのは当然のことだ。 ただ、あまりに研究だ研究だといって、新しい技術や知識や体系を学ぶのをおろそかにしていると、研究をする際の視界の広さも発想の幅も狭くなって閉塞的な研究を続ける危険がある。
まあ、要するに、何事もバランスなわけで、こうやって、学習にエネルギーを使うのも、時には、とても有益で愉しいということだ。
あと、何か書いておくことってあったかな?
そうそう。もうすぐ椎名林檎のアルバムが出る。 デビューして十年以上の彼女だが、なんと、これは彼女のソロとしてはたった四枚目のアルバム。
先に出たシングルの「ありあまる富」も素晴らしいのだが、テレビで流れた(そして、YouTube にアップされた)アルバム曲の「旬」と「二人ぼっち時間」には、素直に、深く感動してしまった。 曲もよいし、バランスもよい。 彼女の忠実なファンとして、アルバムの発売を心から楽しみにしている(もちろん、予約した)。
来月に出る Perfume のアルバムも、もちろん楽しみ。こっちも当然ながら予約してある。 ええと、あと、あ〜ちゃんファンとしては、次に出る「フライデー」を予約しておくかな・・・
林檎と Perfume のインタビューの載っている Rockin'on JAPAN(7月号)を家族が買ってきてくれた。
231 ページの Perfume の出てる漫画のテーマは、驚くなかれ、非ユークリッド幾何なのであった。
林檎のインタビューを軽く読み流す。
多くのファンが思っているはずのことだが、彼女へのインタビューの類はほぼ確実に的を外していて意味が薄い。 彼女は、音楽を作って、唄を唄う人なのだ。
教授会が少し早めに終わったのでプールに行きたいという欲望が生まれるがそこはさすがに我慢。 今週はイベントが多いので、先手を打って雑用をすませ、原と共著の本を少しだけ進める。
帰宅の途中で、予約してあった
椎名林檎「三文ゴシップ」
を買う。
アルバムを通して聴く余裕はないので、仕事の合間などに、少しずつ聴く。なんかすごい。 というか、「椎名林檎の新しいアルバムを聴いているんだ」と思うだけで、ほとんど涙が出そうになる。 救いがたいまでに椎名林檎ファンなのだということを改めて自覚するのであった。
朝は激しい雨。
一時限目の講義が終わって廊下に出ると、別の講義を受けていた一年生の学生さんたちとたまたま出会った。 な〜んだ、隣の部屋で講義を受けてたのか。
挨拶していると、お一人がが話しかけてくれた。
「ただきは〜ん、日記あたあしく書いたの読みましはよ〜」
こんなに更新の不定期な日記を、久々に書き足して間もないのに読んでくれるなんて、ありがたいことだ。 でも、物を食べながら話すのはやめようね(そうやって休み時間に移動しながら食事をするくらい女子大生ライフにも慣れてきたってことだろうけど)。