茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
まったく日記を書いていませんが、今、京都にいます。
出発前から猛烈に忙しく、さらに、京都に来た後の一昨日の夜と昨日は、人生の中でももっとも過酷に働いた(ホテルに缶詰で駒場の講義のレポート 249 名分を採点した)気がする。
今は少しだけ余裕があるけれど、はっきり言って疲ている。 それでも日記を書いているのは、明日の Chris Jrazynski のセミナーを宣伝するためです。
ワークショップの一環ではあるあけれど、基研のコロキウムなので、関心がある人ならどなたでも出席できます。 Chris は(ぼくより若いけど)既に一流の理論物理学者だし、それだけでなく、きわめて話のうまい人です。 京都近辺にて、興味のある人は是非、どうぞ。
8月4日 16 時から(基礎物理学研究所・湯川ホール)このあと、なんと、ヨナラシニョ先生の公開セミナーもあります。 根性があれば、また、ここでアナウンスします。
Christopher Jrazynski
Dissipation and Time's Arrow at the Nanoscale
How does the second law of thermodynamics apply to microscopic systems such as single molecules? I will survey recent progress in addressing this question, and discuss how these results have clarified our understanding of irreversibility and dissipation at the nanoscale.
明日は、佐々さんが企画した二つ目の公開セミナーがあります。 南部さんが対称性の自発的破れを導入した際の共同研究者でもあるヨナラシニョさんです。
8月6日 16 時から(基礎物理学研究所・湯川ホール)通訳などはありませんが、公開なのでどなたでも参加できるはずです。 ただし、マスコミ等の取材の場合は基礎物理学研究所に事前に連絡していただくのがいいだろうと思います。
“Analogies in Theoretical Physics”
Giovanni Jona-Lasinio, University of Rome
Analogies play an important role in the development of theoretical physics and I will illustrate three cases in which I was involved
- Spontaneous symmetry breaking in particle physics
- Renormalization group in statistical mechanics and its probabilistic interpretation
- Large fluctuations in hydrodynamics
今は、東京にむかう新幹線のなか。駅弁を食べ終わったところ。 京都駅の新幹線ホームの下で買える「鶏めし二段弁当」は 1000 円の割にかなりうまい。お勧めです。最近は、毎回これを食べている。
「ワイアレスネットワークがご利用になれます」っていうアナウンスが流れるんだけど、検出されるネットワークには全部パスワードがかかっているよ。どうすればいいんだろう? (←登録するらしいですね。案内をもらってきた。)
((自分たちのやっていることも含めて)世界スケールでの)研究のレベルを急にあげるのは無理な相談なので、少なくとも現状の範囲では、望みうるベストにかなり近いワークショップになったと思う。 なにより講演のレベルが高く、また、それにもまして講演への質問や議論がきわめて活発で素晴らしかった。 また、(かなり豊富な)空き時間を使った参加者同士の自発的な議論も、特に週の後半になるにつれ活発になり、とてもよい雰囲気だった。
この成功は、もちろん多くの優れた参加者に支えられているわけだけれど、なんといっても講演者の選択・交渉、プログラムの決定、そして(Chris のコロキウム以外の)全ての講演の座長をつとめた佐々さんの努力と美学から生まれたものだ。 素晴らしい成功をもたらした佐々さんに、ありがとうと言いたいし、また、おめでとうとも言いたい。
というようなことを日記に書くだけではあれなので、最後の講演のあとに、勝手に立ち上がってマイクを持ってしゃべり、みんなで佐々さんに盛大な拍手した(今回はこういうスピーチばっかりやっている気がする)。
ほんと、お疲れ様でした。
と書いたけど、全ワークショップの主催者である早川さんは、まだあと二週間、会議の運営に携わることになる。体調を崩さないよう、がんばってください。
先週の最後くらいに彼がやってきたとき、佐々さんに「Jona-Lasinio ですよ」と教えてもらった。 「My name is Hal Tasaki」と自己紹介に行ったところ、即座に「I know your name」と言ってくださった。 その時は、ほんとかなあと半信半疑に思いつつも喜んでいたのだけれど、あとでゆっくり話してみると本当に(少し古いのも含めて)ぼくの仕事をご存じだったので素直にうれしかった。
今さら言うまでもないだろうけど、ぼくは、普通は「偉い先生」のことなんかはどうでもいいと思っている。 でも、Jona-Lasinio さんの場合は、(「偉い」とかいうレベルじゃなく)文句なく人類を新しい領域に導いた人の一人だ。 その反面、お会いしてみるとまったく偉ぶったところのない誠実な(そして、ちょっとシャイな)おじいちゃんなのである。 こういう要件がそろうと、もう、馬鹿みたいに素直にミーハー的に尊敬を感じてしまう私なのであった。
彼は第三週からワークショップに合流するので、若手のホープとして、是非とも活躍してほしいと思っているので、その旨を返信に書く。
ちなみに、S さんからのメールの結びの文は
京都の街も守ってください(笑)だった。
って、無理だよ、できるわけないじゃないか。
Genova の統計力学国際会議のときに講演を聴いて、おもろい奴だなあと思っていた。 もちろん、論文も(ぼくも似たようなことをやった)「ゆらぎの定理の量子力学バージョン」も含めて、いくつか知っていたわけだけど。
ガラスの週の何日目かで、どれが Kurchan か認識したところで、さっそく挨拶した。 で、気になっていたので、Jorge という名前をどう発音すればいいのかを尋ねた。 「ホルへ」が正しい読み方らしい。 ただし、彼のお母さん(つまり、「カーチャン (Kurchan) のかあちゃん」である)は、このスペイン語風の発音ができないので、イタリア語風の別の名前で彼を呼ぶのだとか。
ガラスのセッションでの Jorge の講演は、ガラス系を念頭に置いた、新しい相関距離の提案だった。 後半の具体例に不満は残ったが、前半の着想の部分は、彼の語り口を含めて、とても面白く、大いに趣味にあった。 その講演の途中で、「系のある部分に出現したパターンと、完全に同じパターンが、系の別の部分に見いだされるか」という問いが出てきたところで、反射的に、ボルヘスの「バベルの図書館」を思い出して、一人でニヤニヤしていた。
さて、その講演を聴いた夜、ふと「ボルヘスの first name もホルへではなかったか?」という考えが生まれた。 そうだ。ホルへ・ルイス・ボルヘスじゃなかったっけ?
普通は、旅先でこういうことを考えても、すぐに答えは出ないけれど、ネットは便利だ。 検索してみると、ぼくの記憶は正しかった。
次に Jorge (ボルヘスじゃなくて、Kurchan のほうだよ)に会ったとき、「ぼくは、ボルヘスが好きなんだけど、おまえと同じ名前だね」と話したところ、彼もボルヘスは大好きだという。 「この前の講演で、同じパターンを探す話が出てきたところで、つい思い出したのが・・・」と話し始めると、「図書館の話だろ。俺もあれを思い出してた」と。 そして、定番だが、如何にボルヘスの書くスペイン語が素晴らしいかという、ぼくらのついていけない話に。 「Half the pleasure of reading Borges is his use of Spanish.」と言われると、うううん、そうなのかと悔しがるしかない。 (悔しがっているだけではしゃくなので、今回はリベンジを二つ: ビアパーティーのとき、子供の頃 DVD で Evangelion を見ていたというドイツ人の S さんに「Half the pleasure of watching Evangelion is their use of Japanese」と自慢しちゃった。 あと、Christian Maes が家に来て三島の「金閣寺」が話題になったので、(ぼくは三島の愛読者とは言えないが、それでも)彼の日本語が如何に美しいかということを一頻りしゃべってしまった。)
さて、会議のあいまに、いつラーメン屋に行けるかなとつらつらと考える(もちろん、ちゃんと物理はやっている)。週が変わると非平衡の週で、ぼくも主催者の補助の役だからそれほどのんびりともしていられないかも。 となると、ラーメン屋の夕食は今日(30日・木曜日)しかないではないか。
夕方になって、大学院生の皆さんに会えないかと思い基研の新館のほうに行くと、ちょうど早川さんがいらっしゃった。お願いして、I さんたち大学院生の部屋を教えてもらった。 たかがラーメンのために、ワークショップの主催者のお時間を使ってしまい、申し訳ありませぬ。
幸い大学院生の部屋には I さんも X さんもいらっしゃったので、早速、みんなで連れだってラーメン屋へ。 バスに乗り、さらに少し歩いて、到着したのはこぎれいなラーメン屋さんだ。 おすすめに従ってつけ麺を注文。 普通のつけ麺とは違って、やや日本そばを思わせる色の、少し乾いた食感の独特の麺。 スープも美味しい。ただし、やや品が良すぎかな? 京都らしさを出したというところだろうか。 いずれにせよ、十分に満足できるお味でした。 X 君、ありがとうございました。
しかし、日頃から web 日記でラーメン好きをアピールしておくと、こうやってどこかに出かけたとき、地元の学生さんにおいしいラーメン屋さんを紹介してもらえるということがわかった。 全国のラーメン好きの学生さん、よろしくお願いします。
しかし、あれだ。
ラーメンを食べているとき、横に座っていた博士課程の K さんから「田崎さん、X 君にラーメン屋に連れて行ってもらったって、田崎さんが日記に書くと、X は喜びますよ。あいつ日記の大ファンですから」と言われてしまったのである。 そーいう風に言われると、なんか書きにくいではないか(書いたけどさ)。
ワークショップの世話人の立場で最初のセッションで長い時間の講演をする以上、シンポジウムの空気を盛り上げるような話をしなくてはいけないというプレッシャーを感じていた。 だから、前の日は(学生さんたちと、つけ麺を食べたあと)早々に一人でホテルに帰り、ホテルの部屋で声を出してプレゼンテーションの練習をし、また、スライドを書き直したりしていたのであった。
準備の甲斐もあって、(時間配分の含めて)イメージ通りに話すことができたと思う。 講演後の質問も(懐疑的な物も含めて)活発で、有益だったし、その後も何人かの人から好意的なコメントをもらった。 川崎さんや Jona-Lasinio さんにも真剣に聞いてもらえたのは、やっぱりうれしい。
正直なところ、これにどっぷりと浸かって日々悶絶しているぼくらは、今後の展望の厳しさばかりを感じている。 しかし、今回はじめてこのアプローチに接した人には「理論的にゼロでない」部分をそれなりに面白いと思ってもらえたのかもしれない。 Jona-Lasinio さんは、ぼくの講演をかなり気に入ってくださって、その後も、彼らの large deviation の仕事との関わりについて何度か議論してもらった。 非平衡の週の後半になって、小松さんの講演を聴いた Christian Maes とも、自分たちの仕事とわれわれの話との関わりについて話した。 こういったところから、閉塞状況を打開する道が見えてくることを期待しよう。
世話人であるということを大して意識せず、気楽に、若い人から年寄りまで、日本人とも外国の人とも、いろいろな人と話した。
話をしたなかで、もっとも最年少だったのは、文句なく、小松さんと中川さんのお子さんの K 君だ。 彼とは前々から顔を合わせているので「(自称)仲良しのおじさん」なのである。 今日は、中川さんに頼んで K 君のお気に入りの絵本を持ってきてもらっていたので、バンケットの会場で、彼を膝に抱っこして、三冊の絵本の朗読をしてあげたのだった。 実は「子供に絵本を読むこと」は、研究、講演、講義、本の執筆などと並んで、ぼくがとても好きなことの一つなのである。 我が家の子供たちに本を読んであげる必要がなくなって久しいので、こうやってチビちゃんを抱っこして本を読むのは本当に楽しい。 特に「ノンタンシリーズ」は内容が完全に頭に入っていて、キャラの声の使い分けも完成しているので、スムーズに楽々と読める。 「蜘蛛の巣親分」という謎な絵本を初見で読んだのは、ちっとしんどかったな。
バンケットの後は、佐々さん、伊藤さん、御手洗さん、Thomas Speck、大学院生のみなさんとぞろぞろとカラオケへ。 講演・絵本の朗読と喉を酷使しているにもかかわらず、けっこう歌いまくってしまった。 実は、明日から厳しい仕事が待っているので、事前にストレス解消するという意味もあったのである。 ちなみに、イタリア人のマルコ君がめっちゃ歌がうまくてうけた。
最後の Biroli の講演は実に面白く、質疑応答も盛り上がりまくったので、司会者としても楽しかった。 最後は、恒例の、主催者やお世話をしてくれた方への感謝の言葉を述べ、みなで拍手。 スムーズに進行して肩の荷がおりた。
さて、ここから、みんなで会議での話題の続きを議論したり、連れだって食事に行ったりするところなのだが、ぼくはすぐに会場を後にする。 ホテルに戻る途中の中華料理屋さんですばやく夕食をすませ、翌日の朝食のパンを買うと、一人でホテルに戻る。
ホテルでは、金曜日に宅急便で届いた 駒場の講義のレポート 249 名分 がぼくを待っていた。
駒場への成績提出の期限を考え、ワークショップのスケジュールを考えると、土曜の夜と日曜日しか採点にあてられないことになる。 疲れていようが、飽きようが、嫌になろうが、ともかく、このあいだに採点を終えるしかないのである。
こうして、土曜はホテルに帰るなり採点を始めて、遅くまで採点を続け、日曜も、早めにおきると、ひたすら採点を続けた。 朝食は買ってあったパンを素早く食べるだけ。昼食も夕食もホテルの中にあるレストランですませる。 もちろん、トイレは部屋の中にある。 目が疲れてしょぼしょぼと涙がでるし、運動不足とずっと続く採点で、食欲がなくなって胃が気持ち悪くなる。 それでも、やめるわけにはいかず、ひたすら働く。
家で仕事をするよりも、大学で仕事をするよりも、ずっと能率よく、ただただ採点だけを続けられる。 あー、これが「ホテルに缶詰」ということの意味なんだなあと思いつつ、ひたすら働いた。
苦しい採点の合間に、学生さんがレポートに書いてくれているコメントや感想を読むのは、楽しい息抜きになる。 とくに、夜も更けて、もうダメかとあきらめかけたところで、
(採点から)逃げちゃだめだ!
と書いてあるレポートをみつけたときは、思わずホテルの部屋で一人で声を出して笑ってしまった。 よし、がんばろう。がんばるから、帰ってきたら続きをしましょう(←深い意味はないです)。
日付もかわった 1 時過ぎになって、ようやく、採点と、web による成績入力を終了。 遅くて申し訳ないと思いつつ、シャワーを浴びて、ベッドに倒れた。
前々からこの日に何かパーティーをやりたいねということを佐々さんと話していたのだけれど、けっきょく、何もしないまま京都に来てしまった。 どうしたものかと思いながら、泊まっていたホリデイインのエレベーターに乗っていると「屋上ビアガーデン」の広告が。 おお、これにしようと即座に決めて、前の週のあいだに予約しておいた。
蓋を開けてみると、3 日にはちょうど京都の梅雨明け宣言! いよいよビアガーデンが混んで予約がいっぱいになるシーズン初日というわけで、前の週に予約したぼくらはラッキーだった。
二十人ほどが集まり、屋上でバーベキューを焼きビールを飲む。
食べ物はまあまあだが、夕方の屋上は暑くないし、眺望は最高。 まずは夕暮れ前の京都の街並みを見下ろし、次いで、山に沈む夕日を堪能。 反対の空には満月に近い月がのぼり、京都の夜景に興を添える。 ついには、山のほうで大がかりな花火まであがった。
ぼくは、土曜の夜と日曜全てを使って駒場の講義の 249 名分のレポートを採点し終えたこともあり、ひたすらビールを飲んだ。
少しずつ人が帰っていき、最後は、同じホテルに泊まっているドイツ人二人とぼくだけが残り、閉店までビールを飲んで話をした。
これは、もう、素晴らしいコロキウムの見本のような講演だった。
話は完璧に準備されていて流れるように進むし、講演の流れも、もっとも有名で基礎的な仕事について、その後の実験を対応させながら、明解に解説し、最後は、大学院生による新しい仕事に簡単に触れるという完璧な構成。 ちょうど持ち時間の 50 分のところで話を終え、いくつかの重要な質問に手際よく明解に答えて、ちょうど 60 分。
コロキウムだけに出席した基研のメンバーや他の参加者にも強い印象と知的刺激を与えるコロキウムだったと思う。
中でも、もっとも印象的だったのは、粉体の週の招待講演者の Isaac Goldhirsch だった。 自分の現在の研究分野である粉体の週が終わったあとも京都に残り、ガラスの週と、ぼくらの非平衡の週にも顔を出してくれたのだ。
ガラスの週に顔を出したときから、彼の存在は際だっていた。 会場の前から三列目くらいの席に、浅く、ほとんど仰向けに寝るような姿勢で、大きな体(←たいへん太っている)を沈め、全ての講演に多くの質問・コメントをしていた。 その理解の速さ、知識の深さは尋常ではなく、膨大な実験結果と古今のあらゆる理論的アプローチが頭に入っているという風情。 非平衡の週になってもそのペースは変わらず、相変わらず、全ての講演に実に的確で鋭いコメント・問題提起をする。 Jona-Lasinio の「昔話」のとき、かつて Griffiths がくりこみ群の問題点を指摘したこと(←これは重要な観点ではあったが、今日の「厳密なくりこみ群」のアプローチは、そういった点は完全に克服している)を持ち出したときには、いよいよ舌を巻いた。
その Isaac が、午後の自由な議論のセッションのときに、「一連の講演での一般的な結果は素晴らしいし美しいとは思うが、ここからどういう新しい(実測可能な)効果が、どういう『新しい物理』が出てくるのか?」という実に正しい問題提起をした。 これは、(もちろん、ぼくらも含む)ほとんどの参加者が苦々しい思いで日々痛感していることだと思うが、それを(いわば「部外者」である)Issac がきわめて明確に言葉にしてくれたというわけだ。 こういった問題提起については、(実際、最近になって得られたいくつかの非平衡の関係式に関連する実験もいくつかあるわけだし)様々な答え方ができるし、議論も多岐に分かれるところだと思う。 その場の議論でも、いくつかの見方が出てきたのだが、ぼく自身は、Issac の懐疑的な姿勢は正しく、彼の質問への答えは「まだ何も出てきていない」に尽きると思っている。 振り返れば、ぼくらも、必死でそういう方向を目指すなかで、FIO (flux-induced osimosis) という「新しい効果」を提唱したわけだが、(その根本的な着想は的を射ると信じているが)そのアイディアは明らかに未熟で、(早川さんが厳しく批判したように)そのままの形で実験に持ち込むのは不可能だった。
議論が終わったあと、Issac と二人で立ち話をした。 彼は、決して今の発展を否定するわけではないが、自分は、非平衡の基礎的な話からは遠ざかっていたので、今回、なんらかの「新しい物理」を学ぶことを素直に期待して、ワークショップの第三週に参加したのだという。 そして、残念ながら、そこまで新しいものには出会えなかったと。 ぼくは、これは実に正しいし、彼の気持ちはわかると言った。
最後に、Issac が「Probably I expected too much meat.」とまとめたので、反射的に「Have some fish.」と答えた。結構うけていた。
「昔話」のほうは、くりこみ群の初期の歴史などで興味深いところもいろいろあったが、本当に面白かったのは佐々さんとの掛け合いだったかもしれない。
最初に、佐々さんが「パリで Jona-Lasinio 先生と出会い、今回のワークショップで特別セミナーをお願いしたら、即座にご快諾のメールをいただき、とてもうれしかった」というような紹介をしたのだけれど、先生のほうは、開口一番、「Shin-ichi は、私がこの講演をするんだと強く決めていて、話す内容まで指定してきたんだ」とネタばらし。 講演のあとも、いろいろな質問が出た後で、佐々さんが「今日のお話では、対称性の自発的破れ、くりこみ群の確率的描像、流体力学における大偏差原理の三つのテーマを取り上げられたわけだけれど、それらの共通点は何でしょうか?」という狙った質問をすると、先生は即座に「おまえが、その三つのテーマを挙げて話をしろと言ったのではないか。それで、私は、苦労して『物理学におけるアナロジー』という題をつけたんだ。」と返して、会場は大爆笑。 「そうだ、佐々さんが答えろ」などの野次が(ぼくなどから)飛び交う中で、盛大な拍手がおこって、講演は終了。
事前に計算しても決して実現できない、楽しい講演になった。
パーティーの途中から、Jona-Lasinio 先生ご夫妻は、A 新聞の U さん(←かつて、ぼくの久保賞受賞の記事を書いてくださった方で、その後、いくつかのところでお会いしている(実名を書いてもいい気がしてきた))といっしょに別のところに食事に行くという。 U さんに誘っていただいたので、ぼくもそちらに合流する。 ご夫妻と U さんと四人で、北白川の小さなお店のカウンターに座り、実に美味しい魚料理を食べ、日本酒を飲んだ。 Jona-Lasinio 先生とは、隣どうしで、随分といろいろな話ができた。
ご夫妻と京大の前で別れた後、U さんといっしょに彼の行きつけの店に行って、日本の物理の現状などについて色々と話し込む。
帰りは、鴨川のところまで出て、川沿いの道を一人でずっと 30 分ほど歩いてホテルにむかう。 川沿いの散歩がしたいとずっと思っていたので、この、京都での最後の夜に、たっぷりと川の景色を堪能できて満足だった。
その後は、みんなで刺身を食べに行き、基研に戻って、Chris Jarzynski や Christian Maes や中川さん、小松さんらと、なんだかんだと議論。
立ち去りがたい雰囲気だが、ずっといるわけにもいかない。 Christian と Karel Netochny が、明日の京都観光のために自転車を借りるのに付き合ったあたりで、何人かにお別れを言って、京大を後にした。
昨夜おそく京都から戻ったわけだが、休んでいるわけにはいかない。 いろいろとやるべきことがたまっているはずで、少しでも早くスタートしなくてはならないのだ。
普段の土曜日は午後から出勤する私だが、今日は、朝から自転車をこいで大学へ。 京都ほどではないが、それでも暑い。自転車をこいでいると汗がでる。
汗をかきながら大学に着き、まずは理学部事務室に向かう。 出張のあいだの郵便物などを受け取って、さっそく作業に入ろうというわけだ。
だ が、 し か し、(京都からのお土産をもって)理学部事務室に行ってみると誰も人がいない。 ううむ。休み中は土曜は休みなのか・・・ 事務の人と会えないと、がぜん、やれることが減ってしまう。
それでも、ともかくできることをしようと思って、二週間弱ぶりに自分のオフィスへ。
が、スイッチを入れても灯りがつかない。もちろんエアコンもつかない。なんじゃこりゃ?
後になってわかったが、
目白キャンパス、全面停電
であった。 もちろん、ずっと前から連絡はきていたはずで、ばたばたしていて単に見落としたのであろう。ただただマヌケである。 もちろん、学内には、工事関係者以外は、ほとんど人はいない(と思っていたら、帰りがけに、停電を知らずに登校してきた N 君とすれ違った!)。
どうせならというので、午後遅めにプールに行く。 京都にいる間はまったく泳げなかったから久しぶり。 いつも通りゆっくりと 1000 メートル。
家に戻ると、いつもと違ってなんとなく疲れているので、ベッドに横になったら少し眠ってしまった。 確かに、疲れているということか。
子供たちは二人とも旅行中で家には妻と二人。 京都とでの会議も無事に終わった(←ワークショップはまだ続くけど)ということで、なんとなく二人で外食。
Christian Maes と佐々さんを学習院に招いて、終日、議論。 主として、Christian らの非平衡へのアプローチ、特に traffic の概念について、彼の話を聞き、延々と議論した。 様々な意味できわめて有意義だったと思っている。
それにしても、Christian の東京滞在中に地震が二回、この日は台風の影響の大雨。 日本の天災の見本市のようだった。
彼はサービス精神旺盛に家族と話してくれて、家族にも大好評だった。
京都から戻ってから、激烈に多忙な何日かを過ごす。今もまだ大変なことが進行中。 それでも、しばし敵前逃亡して、東京を離れて過ごしている。
どこにいてもメールが使えるようになった(なってしまった)ので、雑務はついてまわっているが、それでも、なるべくリフレッシュして研究に集中しよう。 ガリガリやるというより、自分たちの仕事を「遠くから」眺め直し、他の人たちの仕事も消化して、長期的な展望をもちたい。
まずは、懸案だった、Jona-Lasinio らの熱力学関数の構成を理解するところから。 論文を読んで、一晩おいて、寝床のなかで半睡で考えると、よりイメージが明瞭になる。 われわれのアプローチと比べると、最初はまったく違って見えて、そのうち何となく似て見えてきて、それから、やっぱりぜんぜん違って見えてくる。 ううううむ。
ううむ。前に書いてから 10 日ほどしか経っていないとは驚きじゃ。 なんか、あれから長い月日が経った気がする。
東京に戻ってきて「敵」と真っ向から向きあっているわけだが、きわめてタイミング悪くちょこちょこと別の雑用が降ってわいてくる。 本命の仕事を確実にこなして行きつつ、そういう「雑魚敵」の仕事も能率よくばっさばっさと倒していかなくてはいけない。 ここで風邪でもひいたら破滅だなあと思うわけだけど、なんか、そういう兆候もまったくなく、馬鹿元気にしゃかしゃかと仕事をしている私がいる。 健康に感謝せねば。
仕事に疲れているところで優れた論文を読むと生き返る心地がする(目は疲れるけど)。
今日も午後はずっと缶詰で書類を読む。 かなり先が見えてきたし思っていたよりも余裕ができそうで、うれしいかぎり。
念のために書いておくけど、こうして忙しいのは、別に大学当局の不条理とかイジメで不毛な作業を押しつけられているとかじゃなくて、科学者として誠実に時間とエネルギーと手間をかけてやるべきことをやっているのです。 なので、ともかく淡々としっかりと作業を続けているわけでした。
で、それなりに、というか、結構というか、まあ、かなり「いい歳」になってしまったらしい。
けど、本人的には、実感といふものがない。本当にない。実感ゼロでござる。
単に太字で強調するだけでなく、如何に「実感ゼロ」かを示す実話を以下に記す: 昨日、オフィスのある建物の三階から四階にむかう階段を歩きながら、例によって、頭のほとんど全てをなんだったかの考え事に使っていた。 で、90 パーセントくらいは考え事に使われているその頭脳の、残りの片隅のほんの一隅に、ふと
「もうすぐ誕生日だ」という想念がわいた。 そして、それに続いて、
「27 歳になるのか・・・ 俺もいい歳になったものだ」という感想がわいたのである。 さすがに、その時点で、これはまずいと判断したようで(誰が?)、そっちの想念・感想にも、もう少し脳の多くの部分を使って判断してみるに、さすがに 27 歳ということはなかった。 ちょっと違った、というか、かなり違った。まあ、オーダーは違わないけど、やっぱしけっこう違う。
と、それほどに自分の実年齢に実感ないという、どうでもいい話であった。