茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
10 月だが、どうも元気がでない。 別に病気ってことはないんだけど、気力も体力も今ひとつで、今日はほとんど活動せずに過ごしてしまった。 「やる気が起きない」というのは、これまでの人生であまり体験したことのない精神状態なので、自分でもとまどってしまう。 困ったもんだ。
学会では健全ライフで体力を温存したつもりでもやはり旅の疲れがたまっていて、そのまま戻ってきてから、割と責任の重い仕事を複数次々とこなしているので疲れが抜けないのかもなあ --- などと理由をつけたところで、どうなるってものでもないのだ。
明日の講義の準備はすんだので、さっさと寝よう。 テンションの低い日記ですみません。
だいぶ元気になってきました。
久保記念シンポジウム「量子多体系の最近の進展」のお知らせ久保記念シンポジウムは完全にオープンなので、興味のある方は是非どうぞ。
10 月 17 日(土) 13 時より
このシンポジウムは、例年あまり参加者が多くないので、今年は若い人にもたくさん来てほしいということで、プログラムも気合いを入れてよく検討されている(はず)。 ぼくも、(今年から作られた)プログラムを考える委員の端くれになっている(←ただし、ぼくの意見はあまり入っていない。タイトルくらいか・・)。 最初の講演が「計算機を用いた原子系のシミュレーション」で、最後の講演は「原子系を用いたシミュレーション」になっていて愉快。 それなら最初の講演は「シミュレーションのシミュレーション」なのか、シミュレーションのやり合いで、そもそも何が知りたいんだ、などツッコミながら聴くのもいいと思う。
去年までの久保シンポジウムは「年配の背広の先生」が大半で、若い人には居づらい空気だと言われてきた。 今年、これを一気に変えましょう。 ともかく、ある程度の数の若い人がどっと行きさえすれば瞬時に年齢構成は変化する。 居づらい空気など吹き飛ぶはず。 是非、みなさんで(つるんで)やってきてほしい。
実は、シンポジウムのあとに久保賞の贈呈式というのがあって、こっちはかなりフォーマル(往々にして退屈)になる。 別にシンポジウムと贈呈式がセットというわけではないので、多くの人がシンポジウムだけ参加して、そこでさっさと帰ればいいと思う。 「贈呈式にも是非」といったアナウンスがあるかも知れないが、気にしなくてよい。 ただし、根性で贈呈式を乗り切った勇者は、そのあと、受賞者・講演者を囲むパーティー(無料)に出ることもできる(面白いかどうかは保証しない)。
念のために言っておくけど、ほとんど全ての場所に、ジーパン姿で出没する私も、この会には背広で行きます。 別に「年配の先生方」を気にしてではなく、贈呈式に招待された者として受賞者への敬意とお祝いを表わすため。 賞の意味とか価値とかについて、(一般論として)色々と思うところはあるけれど、ともかく出席するからには素直に祝福モードになるのが正しい姿勢だと思っているのだった。
肩までが水の中に入るよう、少し足をかがめて、プールの中をゆっくりと歩く。 疲れ気味だったので(最後の 25 メートル以外は)セーブして 1000 メートルをゆっくりと泳いだ後だ。 息は上がっていないが、それでも運動量に見合って体は火照っているのだろう。 30 度ほどの水温が暖か過ぎも冷た過ぎもせず無性に心地よい。 歩くたびに、あごのあたりに冷たい水が軽くかかるのもまた快感だ。
あらゆるとりとめないことを考えながら、ただただ自由遊泳コースを歩いて往復していく。 既にクールダウンは終わったしストレッチも十分なのだが、今日は不思議とプールサイドにあがる気にならない。 コースの端まで戻っても、なんとなくユーターンして、また反対の端にむかって歩き始める。
プールから上がるときの、体の上から順次、水の浮力が失われて重力がよみがえってくる、あの感覚がイヤなのだ。 ぼくらの体とほとんど同じ比重の流体に柔らかく包まれて、半ば飛ぶように歩いていく自由が失われるのが苦痛なのだ。 遠い、ぼくらの祖先が、いったん水棲動物として生きて、再び陸に上がったのだとしたら、その再上陸の時期にみんながこういう気だるさを味わったに違いない。
頭のなかで、こんな日記の作文を終えたところで、意を決してはしごをゆっくりとのぼって重力と空気の世界に戻る。
ムラはありますが結構元気です。
たとえば、「肉体的元気のバロメーター」のプール通いですが、プリペイドカードの印字を見ると、
9/6 9/13 9/20と泳いだあと、学会などのもろもろで中断してしまって、前回の日記の後くらいから
10/11 10/25 10/31と、(今日、泳いだことは上に書きましたが) 週末に泳ぐペースに復帰しています。 一頃、週に何回も泳いでいたのに比べるとまだまだですが、これくらいのペースだと、体の「基本設定」は運動をするモードになっていると感じます(当社比)。
高エネルギー物理学研究所・素粒子原子核研究所・金茶会 というところでセミナーをします。10 月 30 日(金)17:00 から。 基本的にオープンなセミナーらしいので、ご近所の方(?)でご興味のある方がいらっしゃればどうぞ。 京都のシンポジウムで話したような内容を少しゆっくりと話す予定です。
というのをやってきたわけです。幸い、多くの人に熱心に聞いていただき、本質的な質問もたくさん出ました。 質問に答えながら、残念だと痛感したのは、関連する様々な話題(非平衡定状態が如何に非自明かとか、強い非平衡性をもった系は多くないから様々な実験系を模索すべきだとか、ゆらぎの定理などなどの流行のこととか、線形応答の位置づけだとか・・・)にじっくりと触れている余裕がなかったこと。 ただ、これはちゃんとやると時間がかかる・・
高エネルギー研には、かつての同級生の徳宿、門野の両氏のほか、昔から親しい磯さんなど、懐かしいメンバーがいらっしゃって、彼らとの再会も楽しんだ。
(個別連絡:セミナーに都内の大学から来て下さった学部生の方へ。 遠いところまで来ていただき恐縮です。 あまりお話できず申し訳ありませんでした。 学習院とは近いですから、是非、気楽に遊びに来て下さい(メールください)。)
前回の日記で書いた、久保記念シンポジウムが 17 日でした。
年配の人が中心の雰囲気について、「今年、これを一気に変えましょう。」と書いたわけですが、若いみなさんのおかげでかなり実現されたように思う。 ありがとうございます。来年以降もがんばろう。
ちなみに、ぼくは「プログラムを考えのを適当に手伝う係」のつもりだったのだけれど、今回の会のあいだに「企画委員会」だかなんか正式な名前がなし崩し的についてしまった。
講演は面白かった。 とくに川上さんのお話を聞いて、いくつか考えたことがあるのだが、そのまま詰めるのをさぼっているなあ。
今回、本気でがんばったのは「付録 D」のクラスター展開の解説だ。
数理物理学(特に、構成的場の理論と厳密統計力学)での重要なテクニックであるクラスター展開を詳細に見通しよく解説し定理を全て証明した、原の力作である。 クラスター展開の(プロ向きの)レビューはいくつか存在するが、それらとは全くレベルの違う、「読める」解説になっているのだ。 おそらく、99.9 パーセントくらいの読者(← 1000 部くらいは売れてほしい)にはほとんど無関係な技術的な部分なのだが、本気で数理物理学を志す次の世代には貴重な解説になるはずだ。
原が書いたものでも十分にわかりやすいし、さらに、ぼくにとっては苦手なジャンルなので、字句をいじる程度でお茶を濁そうかとも思ったが、そこで妥協しているようでは、「いい本を書くから待ってほしい」というわれわれのわがままを受け入れて下さって、これまで何年も何年も待って下さっている編集者の A さんに会わせる顔がない! 原の書いた物を必死で理解し、さらに、それを頭の中で自分なりの理解に昇華し、そして、よりよい解説の仕方を工夫する。
さして長くもない付録にやたらと時間をかけてしまったのは明らかだが、そういうことを考えていたら本は書けない。 ともかく、いよいよ、前代未聞の見通しのよいクラスター展開の解説が完成しつつあると思う。
途中、収束条件などについて、原と頻繁にメールをやりとりして議論を続けた。 九州と東京で離れてはいるが、原といっしょに仕事をする感覚は昔のまま。懐かしい。
「そうやって、もったいぶるときは、どうせ Perfume とかの話だろう」などと言われそうだが、何をおっしゃる、もちろん、Perfume の話である。
とうとう、彼女たちのライブ、いや、より正確に言えば、彼女たち三人をコアにした、圧倒的な才能と熱意と実行力(そして、おそらくは予算を)持った強力きわまりないチームの作り出す巨大なエンターテイメント・イベントに行ってしまったのであった。じゃじゃ〜〜ん(中野さん(←相互リンク)、Perfume へと導いてくださったことに感謝します)。
ステージに近いわけじゃないし、バンドの生演奏が聴けるわけでもないし、どんなものかなあくらいの気持もあったのだったが、ライブが始まった瞬間に、そんな危惧はすべて遙か彼方に吹き飛んでしまう。 観客を徹底的に楽しませ陶酔させるための演出技術は、あまりに発達しすぎたために、もはや魔術と区別がつかなくなっている。 コンサートが進むにつれ次第に増していく音量。 時には明るく時には真っ暗な広大な会場。 中空にレーザービームが三次元的な軌跡を描き出し、ステージの模様や仕掛けはめまぐるしく、カラフルに変化していく。 そんな中、遠くから見ていても三人の動きは限りなく生き生きとしてかわいらしい。 決して肉眼では見えない表情はカメラが捉えて大きな四台のモニターに映し出されている。 ぼくらは、大きな流れに翻弄されながら、SEVEVTH HEAVEN のイントロだけで涙しそうになり、Edge のインストの重低音に心底陶酔し、・・・・・ この調子で書いていると終わらないのでやめる。
やめるけど、「ジェニーはご機嫌ななめ」に狂喜して「あ〜ちゃ〜ん!」と声を限りに叫んでいた一万何千人だかの観衆のなかでも、同じ曲をジューシィ・フルーツのライブで聴き(←大学祭に来たのだ)やっぱり「イリアちゃ〜ん」って叫んでたことがあるのは、ぼくを含めてごくごく少数ではなかったかということを最後に書いておこう。
明日は Jona-Lasinio を東京駅に迎えに行く予定。