茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
スペインからもちゃんと戻ってきて元気にやっています。
ただし、日記を書いている暇もほとんどない。
忙しかった理由の一つは、通常の業務のほかに、
やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 田崎晴明
放射線についての基礎をまとめた本を公開しています。
できるだけ多くの人に読んでほしいので、ぜひ他の人にも紹介して下さい。
もうちょっと落ち着いたら、また書きます。スペインのことも書こう。とか言っているうちに、来月はドイツ。そーだ、ドイツ語の本を買ってこよう。
ちょびっとだけ余裕ができた気がするので(まあ、気がするだけかもしれない)、スペインで撮ってきた写真をはって、ちょっとだけ記録を書いておこう(といって書き出したのがいつだったっけ? けっきょく、やはり余裕はなかったので、ずっと書きかけのままになってしまった。もっと書こうと思っていたことがあった気がするけど、いま、適当に書き終えたので公開だ)。
5 月 22 日の深夜にマドリッドに着き、一泊してから、次の日の午後にクエンカという小さな街に向かった。 一人では辿り着けるか不安だったが、沙川さんといっしょに(というより、沙川さんに引率され)高速列車に乗って、予定の時刻に無事に到着。
クエンカは、かつては天然の地形を利用した要塞都市だったそうだが、左の写真のような風景をみると、なっとく。 ちなみに、これは、どこかに出かけて行って撮ったのではなく、会議の会場のパラドールのすぐ外で撮った写真。 それにしても、こうやって写真で見ても空の色がちがう。
右はクエンカの旧市街の風景。
これも会議の会場からぶらっと出て、ちょっと吊り橋を渡ったところだけど、やっぱり違う世界だよね。
地元の人と話すことはなかったが(多分、英語はあまり通じない)、みんな、のんびりとして陽気そうな感じだった。
kT log 2 '12 Cuencaという会議に出るため。 会議は 24 日から 26 日までだが、前日の 23 日の午後から参加者がぞくぞくと集まってくる。
Quantum fluctuations and Information
よく考えてみると、日本人参加者を除けば、もともと顔を知っているのは若い主催者である Jordan ただ一人。けっこうアウェイなのかもしれない(実は、Jordan は去年の 3 月にぼくのところに来ており、震災の直前に日本を離れていたのだった。なんか、かれと上野に行ってシラードエンジンについて議論していたのは遠い、遠い昔のように感じられるので、あれが震災直前だったと聞いて、素直に驚いたのだった)。
沙川さんは、すでにこのコミュニティでは若きスターなので、主立った人たちはみんなかれのことをよく知っている。 みんな、沙川さんとの再会を喜び、また、かれの仕事の進展に興味津々という感じ。 ぼくは、一人以外とは初対面なわけだが、自己紹介すると、だいたいは「おお、おまえが、Hal Tasaki か。もっと、年寄りなのかと思っていた。」的な反応(←たぶん、ぼくのことを実年齢よりもずっと若いと勘違いして言っていると思われる)。
左の写真に写っているクエンカのパラドール(スペインの半ば公営のホテル)が、会議の会場である。 古い修道院を改装して作ったという建物で、ヨーロッパ映画の中にいる気分だ。
ここで、全参加者が泊まり、食事をして、会議や議論もするという趣向なのだ。
うううむ。なんというか、すごく、贅沢。
もちろん、仕事がメインで来ているわけだし、招待されたのも純粋に学問的な理由からなのだが、それでも、ヨーロッパ科学アカデミーと学習院大学から財政的援助を受けて(大学からの援助は、授業料だけでなく間接的には国からの私学助成等に支えられていると考えるべきだろう)こういうところに滞在できるのだから、感謝しなくてはいけない。
そういう思いもあって(←まあ、そういうことがなくても、同じことをしたという気はするけれど)、ぼくは会議にはフルに参加した --- つまり、すべてのセッションに開始前から出ていて、前から二列目の指定席で、すべてのトークを寝ないでちゃんと聞いた --- ということを、学費納入者と納税者のみなさまに、まずは、報告しておきたい。
しかし、前から二列目に座っていたこともあり、また、最初の講演者の Massimiliano とは初日に少し言葉を交わしていたこともあり、けっきょく、一つ目の講演から、途中で質問をはさみ、終わったあとは当然のように質問・コメントし、ついには、デーモンについての(ちょっとマヌケな)質問が出たら講演者よりも先に勝手に答えたりと、完全にいつものぼくのペースになっていた。 会場にいた大学院生の○○君は、その様子をみて「田崎さんは、このメンバーでは常連なんだな」と思ったという。甘いぞ(← ちなみに、沙川さんは、「田崎さんは普段よりはおとなしい」と言っていた。普段の俺はどんだけ騒いでるんだ?)。
まあ、そんな調子のスタートだったので、けっきょく、会議のあいだほとんど全てのトークについて何だかんだとコメントしていた。 沙川さんの講演以外はすべて初めて聞く話で基本的には面白かったし、楽しんだ。ただ、まあ、衝撃的にすごい話はなかったなあ。 電気伝導についての「ゆらぎの定理」の実験の話が(珍しくよくわからなかったのだが、そのぶん)面白かったかな。
パラドールのレストランで出てくる食事もおいしかったし、(なにせ、もともと知っていたのが一人だったので)多くの人と知り合いになれたのは楽しかった。 何人かには、強い印象を持ち、それなりに親しくなれたと思う。そういうのは長い目でみて大切だよね。
そうそう。今回は複数の人に「おまえは日本人っぽくないなあ」と言われた。
今まで、外国の人からそういうことを面と向かって言われることはほとんどなかった気がするのだけれど、考えてみると、数理物理の世界ではみんな昔からぼくを知っているから、わざわざそんなことは言わないのかもしれない。 今回は、みんなぼくと初対面だったので、よけいそういう印象が強かったんだろう。
ううん、そうかなあ。ぼくは自分は日本人だと思っているし、けっこう上手に日本に適応していると思うよ。 やっぱり、学者のなかには日本ではやっていけない人は時々いるけどね。ぼくのじいさんとか。 ま、たしかに、多少は浮いているかもしれないけど、でも、みんなにすごく嫌われているとかいうこともないしね --- みたいな軽い答えをしておいた。 実際、心からそう思って正直に答えていたんだけど、ふと、今になって考えると、「(みんなじゃなくて、特定の「偉い」人にだけど)ものすごく嫌われていた」と考えなければなかなか説明のつかないことなんかもあったよなあ・・・
最終日の前の晩は、お別れの前の大きなディナー。
ぼくは、たまたま主催者の Juan Parrondo の隣に座っていた。
ディナーが終わるころ、(若い主催者の)Jordan が Juan にスピーチをしろと言いにきたのだが、Juan は(控えめな、いい人なので)いやがってしゃべりたがらない。
これはしゃべらせなければというので、立ち上がり、パチパチと手を叩いてみんなの注目を集めて、 "Juan's gonna say something."(「はい、フアンが何か言います」)と勝手に司会進行する私がいた。
もちろん、Juan はちゃんと素敵なスピーチをしてくれて、とてもいい感じのディナーの締めくくりになった。
これは、ぼくの、会議へのちょっとうれしい貢献になった。
出発のどさくさで、ポスドクの Giovanni 君のスーツケースが紛失したというのが、ぼくの知る限り、今回の会議の唯一のトラブルだった。 Giovanni 君は、会議のあいだ、いつも明るく、力の入りすぎない笑顔を浮かべて、楽しそうにしゃべっていたのが印象的なイタリア人の好青年である。
スーツケースが出てくるかどうか大いに心配なわけだが、それと同時に、いつもニコニコしていた Giovanni が途方に暮れて悲しそうにしていたら、いったいどういう顔になるのかも(失礼ながら)興味深かった。 でも、駅でみかけた Giovanni は、普段よりも少し余計に力が抜けている気はするものの、やっぱり、フワフワした笑顔を浮かべていた。 ああ、これがイタリア人なんだなあと、なんか納得して感動 (ちなみに、スーツケースはちゃんと出てきたらしい)。
マドリッドでは、地元の学生の Edgar 君の案内で、地元の若者が昼飯を食べるようなお店に連れて行ってもらう。 みんなで、ハムのはさまったでっかいクロワッサンを食べ、チーズを食べ、ビールやコーラを飲んだ。 気取らないけれど、すべて、実にうまい。 軽く酔っていたし、「俺が最年長だから、みんなにおごるよ」と言って 5 人分をぼくが払った。 でも、これだけ飲み食いして、全員でたったの 15 ユーロ! 驚きの安さだね。
日本からの若い人たちが、マドリッドの中心部でいっしょに夕食をするということで、ぼくも誘ってもらったのだけれど、会議での疲れがたまっていたこともあって、失礼して、午後は一人でホテルで休息。 そして、少し元気が回復したところで、MacBook Air を開いて、な、なんと、「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」の手直しの作業にとりかかった。 わざわざマドリッドに来てまでやることかなあとも思うけれど、6 月 11 日に公開することを決めている以上、半日たりとも無駄にはできないのであった(けっきょく、翌日の、飛行機での移動時間、空港での待ち時間も、ずっと本の作業をして過ごすことになる)。
夜 9 時近くなって(ただし、まだ明るい)ようやくホテルを出て、長目の散歩に出かける。 といっても、絶対に道に迷わないよう、そして、絶対に危険な小道に入らないよう、ホテルの前の太い道をひたすらまっすぐ歩き、そのうち川沿いのきれいな公園にぶちあたったので、そのあたりを少し歩き、そして、また、同じ太い道をひたすらまっすぐ歩いて帰ってきた。 そんな単純な散歩でも、目にする光景はすべてスペインっぽく、異国にいる空気いっぱいの、楽しい時間だった。
帰り道、右の写真の店で夕食。英語はまったく通じないので、
外に出ていた看板のメニューを指さしてパエリアとビールを注文して、路上の席に座る。
気取ってはいないが、魚や貝やエビがたっぷりと入った、パエリア。素直に、うまい。
これでたったの 11 ユーロか、お腹がパンパンだと思いつつ、食べ終わったのでお会計をとウェイターのおじさんに告げたのだが、なかなか伝票を持ってこないぞと思っていたら、もう一品、魚料理のお皿を持ってやって来た。
あれま、パエリアともう一品のセットで 11 ユーロだったのね。
こちらもうまかったので、必死で食べられるだけ食べて、本当にお腹パンパン。
さすがに少し残してしまったので、"Sorry, this is really good, but I am totally full." と言いながら、お腹をパンパンと叩いて見せると、なにかわからないことを言って笑いながら、ぼくの 6 倍くらい大きな自分のお腹をパンパンと叩いて見せるウェイターのおじさん。ほんと、陽気で、いい人たちだなあ。