茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
先週は週末も休みがなく、今週もずっと仕事があり、土曜日もセミナーと飲み会。 今日は元気なら遠くに出かけるつもりだったのだが、けっきょく、朝おきてみるともろに疲れが残っていて思うように活動的できない。 まあ、当然のことだからあきらめるしかない。水曜日からドイツなので、あまりばててしまうのも困りものだし。
ま、それはともかく、「Twitter に断片的に書くくらいなら、こっちに書いたら」というご意見もちらほら(約一名から)あったので、テキトーに書いておこう。 じっくりと練った解説を書こうというつもりではないので、その点はご了承ください。
以下は、すごくいい加減に、恣意的に脚色した、Higgs 発見に至る歴史。
しかし、標準理論は、ぼくらが学生の頃にすでに教科書に載っていたような理論だ。 上の 7 と 9 のあいだに 40 年くらいの時間が経過していることを思うと、現代の素粒子物理学が如何に「しんどい」学問かがわかると思う。
で、「Higgs 場が質量を作る機構」として、いろいろなところに出てくる説明は、
むかし素粒子に質量はなかった。あるとき、宇宙空間が Higgs 粒子で満たされた。 それ以降、他の素粒子は Higgs 粒子に衝突しながら動くことになる。 まるで水飴のなかを動くようで、動きにくくなった。 この「動きにくさ」が質量だ。というものなのだが、これは、ぼくが知っている Higgs 機構とは似ても似つかない。だいたい対称性の破れがぜんぜん出てこないし。
まあ、素人向けの説明だから何でもいいというご意見はあろうが、これは、素人向けとしてもあまりにもひどい。 実際、物理をまったく知らない人には(インチキだとしても)無害なので、まあ気にしなくてもよいのかもしれない。 ただ、学部レベルの物理をちゃんと学んだ人とか、自分で特殊相対性理論を学んでいる人たちにとっては、このインチキ説明は露骨に害があると思う。 つまり、「水飴理論」を真に受けると、
いくら素人向けの説明をでっちあげたいと言っても、こういう風に、「古典力学のしっかりした知識のある真面目な人たち」を激しくミスリードしてしまうような説明はいかんですよ。いったい誰が最初に言い出して、こんなに広まったんだろう? やっぱり、科学畑のマスコミの人とか、素粒子関係の広報に当たっている人たちには、もっと注意してほしい(← マスコミの人が Higgs 機構を理解していないことをとがめているのではないよ。理解しているはずのニュートン力学に照らして妙ちきりんな説明を書いてはいかんということ。あるいは、定番の説明だからと言って無批判に垂れ流さず、自分の知識に照らして考えてほしい、ということ)。
あ、もちろん適切な説明はある。 フェルミオンとゲージ場と Higgs 場がカップルしたラグランジアンを書いて、Higgs 場の対称性の破れを「半古典的」に取り扱って、対称性の破れた系の有効ラグランジアンを書けば、ちゃんと質量項が出てくる。 ただし、この説明を受け入れられるようになるためには、ゲージ場の量子論をある程度は理解している必要がある。 それは、残念ながら、学部の物理教育では普通はカバーされない(しきれない)領域だ。
「どう説明すればいい?」と聞いてくる人が、そんな説明を求めているのでないこと、予備知識や数学なしに本質がわかる「直感的な説明」が聞きたいことは、よくわかっている。 でも、こっちからむしろ聞きたいんだけど、なぜ的確で「直感的な説明」があるはずだと思うんだろ? 世の中には、簡単にはわからないことはあるし、それはそれで仕方がないんじゃないのかな? 考えてみると、「リーマン予想とは何か、数式を使わず、直感的に説明してほしい」と数学者に要求する人は(多分)いないと思うから、やっぱり「素粒子」っていうところが鍵なのかな。 「粒子」のことなら直感でわかるはずだって思う? でも、残念ながら、すでに 20 世紀の初めに、原子スケールの世界にはぼくらの直感はほとんど通用しないことがはっきりしてしまっている。 そして、Higgs 場の話題は、それよりも、さらにずっとずっと小さな領域の物語なのだ。 直感は無理だと思う。
なので、高校の先生にしろ、大学の先生にしろ(場の量子論の知識のない人が)知り合いや教え子に Higgs のことを聞かれたら、正直に、「場の量子論というのを知らないから、さっぱりわからない」と答えればいいだけの話じゃないのかな? で、場の量子論というのは、大学院でも、特に理論物理や素粒子物理を志す人だけが学ぶ理論なのだよと教えてあげる方が、ずっと教育的だと思う。 (そう書いているぼくだって、場の量子論そのものは好きだけど、素粒子のモデルについてはきわめて疎いのだ。 対称性の自発的な破れの概念や、Higgs 機構のおおまかなところは理解しているつもりだけど、具体的なモデルとか、対称性の壊れ方とかになると、ほどんとあやふやなのだ(というか、感心が薄い)。)
Twitter で野尻さんなんかが、がんばって(140 文字以下の断片をつむいで)説明を試みていたけれど、やっぱり厳しいと思う。 そもそも普通の人は量子力学を(というより、それ以前に力学のエネルギー概念を)知らないわけで、そのレベルから、「直感的な説明」と「わかりやすい比喩」を重ねて説明を続けていっても、実に 長く曲がりくねった苦しい道のりになるし、(長い道のあいだに)比喩から生まれる誤解が新たな誤解たちを生んでとんでもないイメージを植え付けることにもなりかねない。 本当に理解したいなら、変な比喩を消化しようと苦しむより、学部の数学と物理から出発して場の量子論を学ぶほうがてっとり早いと思う。おそらく数年はかかるだろうけれど、それでも、変な比喩とたわむれるよりはずっと能率的だと思う。 もちろん、「本当に理解したいなら」ということだけどね。 (「本当に理解したいなどとは思わない」というのは、きわめて正しい態度で、普通はそうでしょう。)
あと、「Higgs 場」、「(対称性が破れる前の基準での)Higgs 粒子」、「(対称性が破れた後の基準での)Higgs 粒子」の三つを区別しない人が多くて混乱を増長している気がするので、まずそのあたりから。
で、質量の獲得については、
どんどんと時間が過ぎていくぞ。たいへんだ。
何を安直なことを言っておる。ゲージボソンはともかく、フェルミオンの質量獲得を考える場合、まず、Higgs の凝縮体を「水飴」とみなし、Higgs とフェルミオンの湯川型相互作用を散乱とみなし、・・・・と考えれば、ちゃんと話の筋が通るであろうが。という感じの反論があるかなあと思っていたけど、ないですなあ。 いずれにせよ、Higgs 凝縮体っぽいものを「水飴」と呼んでしまうと、普通の水飴とはあまりに性質が異なるので、その「Higgs 水飴」の不思議な性質を色々と列挙しなくてはならないだろう。だったら、まあ、水飴ってわざわざ言わないほうがいいよね。
ところで、この前の日記を書いたあと、ふと、Twitter で「水飴」っていうキーワードで検索してみたところ、案の定、(ぼくの日記とは必ずしも関係なく)Higgs 機構に関わる tweets が色々と引っかかった。 「解説を聞いたけど、『水飴』っていう部分しか分からなかったw」みたいな気楽でナイスな tweet もあれば、水飴の比喩がまずいっていう真面目なのもあった。 でも、今日くらいに同じ「水飴」で検索してみると、もう Higgs 話はほとんど引っかからないんだよね。 まあ、人の噂もなんとやらという奴なんだろう。 それにしても、Higgs がなくなったかわりに、けっこう多くの人が「水飴プレイ」について tweet しているのが目につくんだが、こりは、いったい何なのだ?? (←修辞的に疑問文にしているだけなので、教えてくれなくていいです。)
「現代物理学」は、毎年、違うテーマで講義をするという、かの有名な脅威の科目である。 今年は、「相転移現象の物理と数理 」で、三角格子上のパーコレーション、結合振動子系(蔵本モデル)、表面吸着の長距離相互作用モデル(イジングと同じ)という三つの系における相転移と臨界現象を取り上げた。 例によって「一年生でもわかる」という強い縛りがかかっているので、パーコレーションなら確率の基礎から話すし、蔵本モデルのところでは(安定性解析や変数分離法の解法はもちろん)そもそも微分方程式とは何かとかいったことから話すことになる。
今回の題材では、蔵本モデルは、むか〜し蔵本さんの本をパラパラ見たことがあっただけなので、自分でも勉強しながらの講義になった。 蔵本モデルについての最初の講義のときには、まだ、二体の振動子の解析しか終わっていなかったのだが、まあ、なんとなかるだろうと思って進んで行く。こういう「でたとこ勝負」は毎度のことなのだ。 すると、講義のあとに、「もぐり」で講義に出ていた某研究室のポスドクの N さんが挨拶に来てくれて、なんと、蔵本振動子を専門に研究しているというではないか(←これだけ書いたら、知っている人にはバレバレだねえ)。 お、俺は専門家の前で平然と講義していたのか、お恥ずかしや --- とも思うが、しかし、これは素晴らしい好機ではないか。 昔の本を読んだだけでは分からない、研究の現状とか、微妙な論点とか、(九大の千葉さんが証明した)数学的な定理のこととか、色々と知りたかったことを、ばんばんと N さんに質問して教えてもらう。 それ以来、講義が終わったあとは必ず N さんに疑問点を解決してもらうのがルーチンになり、ぼくとしては予想を遙かに越えて勉強になった。 講義としても、蔵本さんの本より分かりやすい、蔵本モデルの相転移の解説になったのではないかと自負するものであります。N さん、ありがとうございました。 (ただし、やはり、ホームグラウンドである、パーコレーションやイジングの講義の方が明快で、特に、モデルや近似の位置づけの解説がしっかりしていた --- とのご指摘を、また別の「もぐり」の大学教員 A さんからいただいた。ううむ、まだ未熟。)
ぼくの講義テーマが毎年変わるだけでなく、聞いてくれる駒場の学生たち(および、少なくない「もぐり」の皆さん)の顔ぶれや雰囲気も、毎年、それぞれに個性的である。 色々と多忙な一学期だったが、楽しんで聴いてもらえているというしっかりした手応えを感じることのできる講義で、やった甲斐があったと思える。 最後まで聴いてくださった皆さん、ありがとうございました。
Mathematics of Many-Particle Systemsという会議に出席するという、ややハードなスケジュールなのであった。
これは、ぼくがポスドク時代にお世話になった Elliott Lieb の 80 歳を記念するための国際会議だ。 講演者は多くない(ぼくも話さない)けれど、たぶん多くの人が世界中から集まってきて楽しいイベントになるに違いない。
今日になって、会場やホテルの位置を調べる余裕がようやくできた。 うれしいことに、ホテルから会場のベルリン工科大学までは、本当にすぐだ(大学までよりも、大学に着いてから数学科に行くまでのほうがずっと長いくらい)。うれしいなあ。 さらに、ホテルも大学も、空港からタクシーで 10 分くらいのところらしい。これはすばらしい。 ホテルに行き着くこと、会場に行き着くことが、いつでも難題で不安なぼくにっては、なんともありがたい設定である。
その後も、8 月 5 日のオープンキャンパスまで、ほとんどずっと予定で埋まっている。やれやれ。
8 月 5 日以降は絶対に予定を入れず、のんびりと、バリバリ仕事をするぞ!!
本格的に暑い。
大学に行って、講義をして、昼食を食べ、銀行に行って、家に帰ってくるだけでもけっこうな消耗だ。
荷物を一通り整理したところで、シャワーを浴びる。むおお、なんか、無性に気持ちがいい。日の高いうちからシャンプーをするのは、こんなにも快感だとは・・
シャワーを終えて、扇風機の風を浴びて涼んでいると、冷蔵庫にヱビスビールが冷えていたのを思い出す。
ここで、ばーっとビールを飲んで、な〜んも考えないで、すこーっと寝ればものすごく気持ちいいだろうなあ・・・
などと言ってないで、ちゃんと行って参ります。
では。
ええと、あれは、いつだ。今日のような気がするけれど、ヨーロッパ時間で 16 日の朝のことだ。だから、昨日の朝。ベルリンからパリに向かうエール・フランスの便が、ベルリンのテーゲル空港のコンピューターのトラブル(?)のため、 1 時間半ほど遅れた。
シャルルドゴール空港のローカル便の到着口に入ったのが、おそらく 13 時ちょうどくらい。 成田へ向かうエール・フランスの便の出発時刻は 13 時 30 分だ。
行きに通過したときの記憶では、ローカル便が発着するターミナル 2 D と遠距離便が発着するターミナル 2E はかなり離れているはずだ。 地上スタッフが乗り継ぎをサポートすると言っていた割には、助けてくれそうな人の姿はない。 窓口で順番を待ち、あるいは、人を探して交渉していたら、 30 分などあっという間に過ぎてしまうだろう。 行くしかないと判断して、ともかく、人の流れに従って乗り換え便の方向に向かう。 途中、一瞬だけ立ち止まって乗り継ぎ便を表示したモニターを見ると、成田行きの便のところには赤い文字で boarding と表示されている。まあ、当然だ。
ターミナル E は、やはり、遠かった。 順路を示す看板を必死で追いかけ、何度も分岐をたどり、何度も看板を見失っては再発見しながら、走った。 どういう経路を通ったか、ほとんど記憶に残っていない。 スーツケースをガラガラと押しながら、動く歩道の横を、歩道を歩く人たちよりも速く駆け抜けた。
俺 1 人のツール・ド・フランスなどとキャッチコピーを考えている場合ではない(のに考えてしまう)。まじで息が切れる。
ようやく「ターミナル E 」と書いた看板をみつけて、エスカレーターを上がる。 「ふう、着いた」と思ってあたりをみまわすのだが、アルファベットの E の文字はどこにも見当たらない。 他の文字はある。G とか、D とか。意味がわからない。ずっと E を追いかけてやってきたのに、E がない。 完全にあきらめかけたところで、案内カウンターにほとんど人が並んでいないのに気づき、順番を待って "Excuse me, I'm in a panic." と助けを求める。 「大丈夫、すぐそこを右へ」と。 なんだ、やっぱりここがターミナル E だったのだね。案内表示を設計した奴は、誰だ。ポールだかジャンだか知らないけど、ちゃんと書いておけよ。
しかし、未だ終わりではない。 ここで出国審査のゲートを通らなくてはならない。 当然ながら、非 EU 諸国用のゲートには、ずらりと色々な国の人たちが並んでいる。 ここで順番を待っていたら、絶対に間に合わない。「ごめんなさい。あと 10 分で飛行機が出るので、先に行かせてもらえますか?」という内容を各国語で言えればかっこいいが、もちろん、英語でしか言えない。英語が分かる人は通してくれて、分からない人には、そばの人が通訳してくれた。みなさん、ありがとう。
息も絶え絶えで、出国審査を終えて、あとは荷物検査だぞと思いながら、ゲート M を目指す。 あのエスカレーターの先が、ゲート L, M だ!!
と思ったら、そこは、シャトルの駅だった・・・
ゲート M までは二駅。
「もうダメだろう」とこれまでも何度も思ったけど、このときには、本当にそう思った。 "In the worst case, I will have a free day in Paris." という、飛行機が遅れると知ったときから何度も頭に浮かんでいたフレーズが再びすごく現実的に浮かび上がる。
シャトルの中でどこかの国のおじさんに時間を聞かれて、「今、1 時 25 分だよ」と教えて、「俺のフライトは 1 時 30 分なんだ。ダメかも知れない」と話していた記憶だけが無性に鮮明に残っている。
その後の記憶は前後がはっきりしないけれど、最後の関門の荷物検査に、まさに飛び込むようにして駆け込んでいき、金属探知機をくぐったところで「ビー」とブザーが鳴ったときに思わず笑いそうになったことはよ〜く覚えている。 今回の旅行では、これまで一回もならなかったのに、よりによって、最後の最後、時間切れの寸前で鳴るとはね。 ポロの T シャツを着ていたので、検査する係の兄ちゃんと「おお、おまえはポロっていう名前なのか」「ああ、そうだぜ。はははは」みたいな気の抜けた会話をしてしまう。
しかし、ここでようやく、約束されていたエールフランスの地上スタッフの兄ちゃんがが待っていた。 ぼくが成田に向かうことを確認すると、すぐに搭乗ゲートの係員に電話をかけて、ぼくを待つように指示してくれた。
ふう。助かった。あきらめないでよかった。走った甲斐があった。
この兄ちゃんは誠実に対応してくれたし、なんせ救いの仏だったから(←「フランス人だけに仏ですなあ」という親父ギャグを狙ったわけでないぞ)、大げさに礼を述べて先に向かった。 しかし、考えてみれば、もっと前の関門で、同じような人が待っていなくてはいけないはずだろうが。 しっかりしてくれよ。マルクだかルイだか知らないけど。
ベルリンからの便からの乗り継ぎは既に自動的にキャンセルされていたようだ。 預けた荷物を移している余裕がないからだろう(帰国してメールをみたら、「フライトが変更になったという連絡を受けた」という旅行代理店からのメールも届いていた。)。 幸い、ぼくは荷物は預けない主義なので助かった。 すでに満席の飛行機のなかに、汗だくで、スーツケースをガラガラと押しながら入っていった。
ベルリンからの飛行機の遅れはテーゲル空港の責任だと思うが、その後のエールフランスの対応にはかなり不満を持っている。 旅行代理店と相談してちゃんと抗議しようかなあなどとも思っているくらいだ。が、まあ、今日のところは、業務提携で乗っていた JAL のフライトアテンダントさんがとても感じがよかったので、許すことにしよう。
しかし、あとから考えるほどに、安物のドラマみたいにぎりぎりのタイミングで飛行機に乗れたなんてウソみたいだ。 今、こうしてやたらと汗をかいているのは、実は、東京が暑いからではなく、ぼくは未だシャルル・ド・ゴール空港の延々と続く通路を走り続けていて・・・
以下は日記ではなく、ぼく自身および詳しいことを知っている人のための備忘録的なメモです。普通の人は読んでも意味不明だと思います。申し訳ありません。
気になる人のために念のために書いておくと、解説「2011 年 3 月の小児甲状腺被ばく調査について」の結果とほぼ整合する評価が得られた --- というのが結論。
概要:
2012 年 3 月 11 日の朝日新聞朝刊の一面記事と 3 月 12 日の NHK ETV 特集で日本の一部をかなり騒がせた弘前大の床次(とこなみ)氏らによる甲状腺被曝の調査の結果をまとめた論文がここで公開されている。
さきほど、早野さんの tweet でこの論文のことを知ったので、ぱっと読んでメモを書いておく(不正確なところがあればお知らせください)。
2011 年 3 月のスクリーニング検査(「2011 年 3 月の小児甲状腺被ばく調査について」を参照)よりも大きな装置を用いて、スペクトルも測定してヨウ素の量を測ったというのがセールスポイント。
データは、2012 年 3 月のマスコミ発表のときと同じものだろう。 ただし、解析が微妙にちがうようで、線量評価は低くなっている。 さらに、ETV 特集で発表された異様な仮定にもとづく被曝量の推定は論文には入っておらず、かわりに、まともな推定が書いてある。 結論は、2011 年 3 月のスクリーニング検査の結果と整合している。
吸入モデルに関しては、3 月の報道では「3 月 12 日にすべてを摂取」としていたようだが、今回は「15 日にすべてを摂取」に変わっている。ただし、これだけでは 87 が 33 に減るはずはないので、他にも評価法を変えたのだろう(よくわからないけれど、ガンマ線の計測の際のバックグラウンドの引き算とか、線量計の読みから甲状腺にたまっているヨウ素の量を推定するところなど、ややこしいところは多いはず。随分と変わるもんだなあとは思うけど)。
いずれにせよ、今回の論文には、この(どんなに上品に表現しても)頭のおかしい仮定は登場しない。 もっともヨウ素の量が多かった成人が、15 日にヨウ素を吸い込んだと仮定し、そのときの空気中のヨウ素の密度を見積もり、それから、各々の年齢の吸気の量を考慮に入れて、可能な被曝量(甲状腺等価線量)を推定している。 当然そうやるでしょう(要するに、大人と子供の単位時間あたりの呼吸量の比を考えればいいということなんだけど)。 結果は、論文の Table 2 の通り。 だいたい 1 歳児から 6 歳児が甲状腺等価線量で 60 mSv 程度の被曝をした可能性があるという結論だ。 これは決して低い被曝量ではないが、以前の田代さんらのグループの調査の結果と整合していると言っていいだろう。
以前の推定を取り下げたのはよいことだが、NHK とタッグを組んであれほどに世間を騒がせたことについては、研究チームから何らかの発表をする義務があると思う。 そういのは出ていないのかな?
日記を書いている余裕がないので、メモ。
土曜の午後は、福島駅のすぐそばで「ジャーナリストと科学者の対話」という会議に出席。主要テーマはもちろん放射線問題だった。
思うところは色々とあるが、それはいずれ。 何人かきわめて印象深い人と出会ったが、最大の喜びは福島県立医大の宮崎さんとお会いしお話を伺ったことだった。 かれとは、事故以降のある時期からメールのやりとりを続け、ぼくは深い親しみを感じていたのだが、今まで会うチャンスがなかった。 宮崎さんご本人に接して声を聞くのは個人的にうれしいことだったし、また、会議のなかでもかれの発言は深さと重みをもっていた。 かれが公私共々に激烈にお忙しい中を出席してくれて本当によかったと思う。ありがとうございました。
日曜日は朝から観光バスに乗って放射線被害の重い場所などの見学。
警官が交代で警備をつとめる警戒区域のゲート、津波で大型船が座礁して停止したままの火力発電所、作付けのおこなわれていない田んぼ、除染されて土がむき出しになった校庭・農地、酪農家が断腸の思いで乳牛たちを置き去りにせざるを得なかった牧場、無人になった村を人々が交代で警備する飯舘村など、きわめて重く濃厚な見学だった。
つい先日まで警戒区域に指定されて人々が立ち入ることのできなかった地域には、未だに、地震と津波の傷跡が生々しく残っていて悲痛きわまりない。 右の写真の地域では地面が陥没したため津波のあとが沼地のようになってしまって今に至っている。もう 16 ヶ月以上経つのに。 一階部分が半壊した家を何件もみて、かつて住んでいた人たちのことを想像すると本当に苦しい。
一方で、南相馬で大々的に盛り上がっていた相馬野間追(のまおい)を見て、わずかな時間とはいえ、地元の人々の明るい活気に触れられたのも、実に貴重な、というより、素直にワクワクする(夏休みっぽい)楽しい体験だった(左の写真は甲冑競馬)。
その前に、駒場のレポートの採点を終えなくてはいけない。これから一日半ですべを終えられるのか不安だが、終えなくては京都に行けない。 夕方には家にレポートの束を持ち帰り、今夜も明日もずっと部屋にこもって採点を続ける。
そのために、実は、研究会のポスター発表の準備はなんと先週の月曜日にすませてある(←そこでやらないと絶対に準備ができなかった)。 そして、二つの定期テストについては、どちらもテストの当日に大学に遅くまで残ってすべて採点済み(金曜も遅くまで採点していた。それで、土曜の朝から福島に移動したので、まじで疲れた)。われながら、がんばっている。
さて、もう一息がんばろう! 汗をかいて採点すれば、そのあとは、
暑い京都だ・・・
もっともっとエネルギーがほしい。