茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
あ、9 月になってる。
まあ、ずっと、いろいろとやっている。 コンスタントに働いてはいるんだけど、普段とは違うことをやっているので、果たして、能率的で仕事が速いのか、もたもたと時間を無駄にしているのか、自分でも判断がつかない。
いろいろと真面目に思うことは(あいかわらず)多いんだけど、そういうことを書いていると時間がなくなるので、軽いことだけを書こうっと。
CERN からの発表があった当日に、リカちゃんが博士にヒッグスのことを質問して、即興で解説してもらっているという趣向。「水飴理論」批判もちゃんと書いてある。
これを書いたのは、さすがに発表の当日ではないんだけれど、発表の翌日。 たまたま時間が空いてたので一気に書いてしまったのだ。 そういう意味では、発表を聴いてから一日たらずのうちにこれだけの解説を書いてしまったのだから、さすがなものであるのである(自画自賛)。 ただ、残念ながら、書店に並ぶまでかなり時間が経ってしまったので、その他のいろいろに先を越されて、そろそろ話題的にも旬ではなくなってきたのが悲しいところだね。
リカタンは、季刊になって出版社もかわりページ数がぐんと増えて分厚くなった。 そうなってくると、いよいよ特集記事のボリュームが圧倒的で、ぼくらの 4 ページの気まぐれなテーマの記事の存在感・存在意義が微妙になってくるなあ --- というのが正直な感想。 あと、全体的なデザインも(正直に言うと)かなり素人っぽくなってしまって、これも残念。
ビッグイシューにインタビューが載ってたので知ったのだけれど、そもそも「パスピエ」というバンド名だけで、ぼくなんかは、不思議にドキッとしていまうわけですよ。 言うまでもないといいんだけど、「パスピエ」というのはドビュッシーのピアノ曲の題名です。「月の光」なども入っているベルガマスク組曲の最後の曲。
実は、ぼくは(日記にはあまり書かない気もするけれど)昔からドビュッシーが好きだったのです。 で、とくに「パスピエ」は、ドビュッシーを聴き始めた中学生の頃くらいからすごく大好きな曲で、でも、高校生くらいになってくるとだんだん粋がってきて、むしろ「映像」とか「前奏曲集・二巻」とかが好きだとか、そういう、かっこつけモードに入ってしまうわけだけど、でもでも、おっさんになった今になっても「パスピエ」と題名を聴くだけで、頭の中でちゃんとピアノの音が鳴り始めて、特に好きなあたりでは「うるっ」となってしまうという、まあ、そのツンデレ的に好きな曲という感じなわけさ(一応、YouTube で人気の高かったパスピエの演奏)。
で、もちろんバンド名の「パスピエ」はドビュッシーから取っている。 インタビューを斜め読みした範囲では、もともとクラシックのドビュッシー弾きだった人が、ロックフェスに行って、バンド名は詳しくは忘れたけど、東京事変とか、東京事変とか、東京事変とか、いろいろなバンドの演奏を聴いて「がーん」ってなって、始めたバンドらしい(←いい加減な説明なので話半分で)。
YouTube で何曲か聴いてみたんだけど(「プラスティックガール(← そういう題の少女マンガあったよね。ミュージシャンもの。あれ、好きだった ←マンガは「プラスティック・ドール」でした。ごめんちゃい。自分で気づいた)」とか「トロイメライ」とかが最近の曲か。最初のアルバムの「チャイナタウン」とか、いいなああ)、たしかに、曲作りとか、アレンジ(あるいは、オーケストレーション)とか、曲の構成とかは滅法うまい。
そういう意味でも、「相対性理論」(←バンドのね)と似てる(ヴォーカルも少し似てるね)。
曲作りが上手すぎて、逆に、「これは Yuki さんのソロの曲を聴いて『ははあん、売れる J-POP のサビってのは、こういう感じなわけね』とか言いながら、ささっと曲を作ってるんだろうなあ」みたいな感想をもってしまったりもする。
しまったりもするんだけど、いやいや、それ以上にしたたかで、何度か聴いていると、サビ以外のところがまた実によくできていて、上手に入ってきて、耳について離れなくなってくる。あ、今も、頭の中でなってる。
ヴォーカルは、Yuki さんに似た声質で、Judy and Mary に思い入れがある身としては複雑なんだけど、でも、別に物まねをやっているわけじゃなくて、自然に声質が似ているんだろうし、Yuki さんとはまた違った透明な素敵な声を出すところも多いし、 清楚な感じで可愛い娘みたいだし、 というわけで、これって、なかなか、よいのではないではないだろうか? はまっていいかな?
アルバムは 2 枚目が出たばかりのところみたいだし、「レキシ」の 1 枚目のアルバムといっしょにアマゾンさんに頼んでしまうかっ。
昨日は大雨。 今日も、昼すぎくらいまでは、時おり雨が降る不安定な天気 --- というわけで、家にこもってもろもろの仕事。
午後には『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 』の再校がバイク便で届いた。 もちろん、ぼくが書いたぼくの本なのだが、それでも、こんなテーマの本に自分の名前がのっかっているのを見ると不思議な違和感がある。 出版をてがけてくれている皆さんのおかげで、あと一息だ。ぼくも足を引っ張らないようにちゃんとやろう。
夕方になって涼しくなったあたりで、散歩を兼ねて、大学に物を取りに行く。 右は、行きがけに歩道橋の上から撮った写真。遠近法の消失点あたりに立っているのは、地下高速の排気のためのタワーだ。
だいたい 6 時少し過ぎかな。 肉眼で見る空はもう少し暗い。 「空のぼんやりした光と、人工の灯りが、ほぼ同じくらいの明るさになる時刻」の、あの空気が少しでも再現できていればうれしいのだが。
如何にも東京っぽい風景である。
なんだかんだと言って、けっきょく、人生の最初の数年間と、大人になってからの大部分を、東京で過ごしているのだなあと(アホみたいに凡庸なことを)今さらのように思う。
明後日は、霞ヶ関のお役人さんたち(←ふだん接点がないので、どういう表現が適切なのか、よくわからない)の有志(と一部、一般の人)を対象に、放射線関連の講演をする。
もちろん、「なんで、俺ごときが?」という気持は猛烈にあるが、それはもう言っても仕方がない。 頼まれた瞬間に、これは断りようがないことは、よくわかっていた。
連続講演会「放射線について『知って・測って・伝える』ために」
第一回「放射線の基礎知識をめぐって:科学的にわかること、わからないこと」
学習院大学理学部教授 田崎晴明氏
日時:9月5日(水曜日)午後6時45分 〜 午後8時30分(予定)
会場:農林水産省共済組合 南青山会館
主催:府省庁有志による放射線講演会事務局」
聴講する人は、「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 」を事前に読んでくるべしという、なかなか厳しい条件がついている。 それだけ要求するということは、ぼくとしても、これまでに何度かやった基礎知識の講演をそのままくり返すわけにはいかない。 基礎知識講演をベースにしながら、さらに踏み込んだ、あるいは、もっと外に広がるような話をしたいものだ --- というわけで、ここ何日間か苦労して準備を進めている。
スライドは、できあがった。 ひょっとすると、無茶な構成になっていて、狙いが伝わらないのかも知れないし、実は、それほどのインパクトもないのかも知れない。なかなか客観的な視点というものが持てない。どうもバランス感覚がつかめないのだなあ。不思議に居心地が悪い。でも、考えてみれば、それは放射線関連の話に足をつっこんでから、ずっと、そうだったということなのかもしれない。
「パスピエ(公式ホームページ)」の 2 枚のアルバムがアマゾンから届いたど(2 日の日記を見よ)。
わはははは。これは、よい。好きだ。
YouTube(公式な一覧)でアルバムのサビを集めたものを聴けるのだが、それを聴いて予想していたより、はるかによいぞ。 もちろん、耳に残る魅力的なサビのメロディーを書く能力もすごく高いんだけど、このバンドの(というか、中心メンバーである、(芸大出身の)成田ハネダ(←ふざた芸名じゃのお)の)曲の真骨頂は、サビ以外の様々な要素を絶妙の構成力とアレンジ力でまとめあげて、一つの「音楽作品」にしてしまうところなんだと思う。 「あ、ここらへん XXXX っぽい」と思うところは随所にありまくるんだけど(XXXX には、すごくいろいろなものが入る。いちいち挙げないけどね)、でも、別に「とってつけた」感はまったくなくて、みごとに一つの、「この作品」としてまとまってるんだなあ。 なんか理屈っぽいけど、それは文章力がないからで、理屈やのうて、ようするに、曲全体として「音楽を聴く快感」に満ち満ちているというか、なんか、そういう感じなわけですよ。
2 枚目のアルバムの半ばまで来て「気象予報士の憂鬱」という曲を聴いたときは、思わず、満面の笑みになって声を出して喝采してしまった。 一人でハヤシライス作りながら聴いてたんだけどね。 曲の最後では(やっぱり、一人でハヤシライス作りながら)拍手してしまいました。クラシックのリサイタルで拍手するみたいなタイミングで。
ヴォーカルのなつきちゃんの声も聴けば聴くほど多彩で(前に Yuki さんっぽいって書いたけど、他にもいろいろな人に似ているところがある。HTT の唯とか・・・)、すごく可愛くて、いいでしゅねえ。ライブ行きたいなあ。
既に 5 日ではないのだが、記録のためここに。
連続講演会「放射線について『知って・測って・伝える』ために」
第一回「放射線の基礎知識をめぐって:科学的にわかること、わからないこと」
学習院大学理学部教授 田崎晴明氏
日時:9月5日(水曜日)午後6時45分 〜 午後8時30分(予定)
会場:農林水産省共済組合 南青山会館
主催:府省庁有志による放射線講演会事務局
今回は、国の放射線対策に実質的に関わっている人たちを含めたお役人さんたちがメインの聴衆であり、また、講演会の前に「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 」を通読してくるという「宿題」まであったので、これまでにやった基礎知識中心の講演とはかなり違う。 基礎知識の部分は短めまとめて急ぎ足で話し、今までは話さなかった、その周辺のこと(科学的な主張についての一般的な考え方、疫学などにおいて「効果の有無」をどう判定するか、などなど)にも時間を使った。 また、「ICRP とどう付き合っていくか」といった指針を(偉そうに)まとめたり、2011 年 3 月以降は科学の「専門家」から知識を得るという考え方が一筋縄ではいかなくなっているというようなことを話したりした。
全体の目次は以下のとおり。講演はだいたい 1 時間半。
part 1 「科学の方法」をめぐって
科学とは? 「科学の方法」とは?
統計的検定 超々入門
part 2 放射線の基礎知識
放射線の基本的な性質
放射線の健康への影響
ICRP の防護体系と勧告
part 3 これまで、そして、これから
被曝の健康への影響:三つの心配事
知り、測り、伝える
終わったあとの議論は、それなりに活発だった。要約する根性も能力もないので、ぼくが議論の中で言ったことに絡んで、二つほど。
ぼくからは、「現在、食品検査の結果は単にデータが公表されるだけで、その意味が人々に伝わっていない。でてきたデータを俯瞰して、全体の状況を解説し、また、日本で暮らす人たちへの影響の見積もりを説明するような活動をしてほしい」(←偉そうに言っているが、これは、ある信頼する人に講演会の寸前に教えてもらった論点、そのまんまなのであった)というような要望を出した。 そういった動きが必要なことはよくわかっているが、なかなか省庁のあいだの壁があって困難なところが多い(これが、有名な「縦割り」という奴だ!)というような話。他の省庁の人にも協力を呼びかけるような(あるいは、挑発するような)発言もあったが、「よっしゃ、みんなでやろうぜ!」という風にはならないものだ(まあ、すぐにそうなったら、逆に怖いが)。
それに関連して、「この危機の時代に、旧来の態勢のまま適当に仕事をやりくして対処しているのは困る。省庁を越えて優秀な人材を集めたスーパーチームを作って、がんがんやるとか、そういう話にならないのか」という、脳天気な学者丸出しのことも聞いてみた。 もちろん、そういうのは斯く斯く然々の理由で難しいし、また日本の風土を考えると実効的ではないかもしれないといった真っ当な答が返ってきたけれど、なんていうか、「ぷっ、この学者さん、何バカを言っているの?」という雰囲気でもなかったなあ(少なくとも表向きは)。政治家のトップのほうが決断すれば不可能ではないのか(などと考えてしまうのが、世間知らずの学者なんだろうけど)。
いずれにせよ、60 名が霞ヶ関からやってきたと言っても、部署の違う人たちはお互い面識がないようだし、議論のときも、まったく絡んで来ずクールに流している人たちも結構多かったように思う。 「日本の官僚は個々の人たちは優秀でやる気があるので、個々のプロジェクトはきちんと進むけれど、縦割りの壁があって、大きな流れにはならない」とかいう、どっかでよく聞くような話が、なんとなくリアリティーをもって感じられてしまう。
この講演会はシリーズは、あと二回あるので、ディスカッションの部分がもっと盛り上がることを(マジで)期待する。
ただし、いつも言っていることだが、プレゼンのスライドだけを単独で見ても情報としてはまったく不完全だ。 これは(きちんとした情報発信ではなく)単なる参考資料の提供であるということを強調しておきたい。
なお、放射線の基礎に関心のある人は、このスライドではなく、 「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説 の付属スライド」 などを参照して下さい。ちょっと日記を書こう。
うううむ。ピンマイクの「普及してなさ」にはちょっと驚いてしまう。 みんな使わないのかな? 大学の講義ではデフォルトと言ってもいい。板書があるからね。 そうでなくても、ハンドマイクで片手がふさがってしまったら、プレゼンのときに使えるのはもう一つの手だけになって、表現力がぐんと落ちるでしょ。 講演者から文句が出ないのかな? やっぱり、「講演者は薄暗い袖のほうにいて、スクリーンを送る操作をしながら台詞を読むだけ」という fxxxing なプレゼンが日本の標準ということだろうかっ?? あれが如何に最悪であるか、みんな気づいてほしい。人間は、お互いの顔を見合わせながらコミュニケーションをするともっとも情報伝達の質が高いことは、コミュニケーション心理学の分野では確立された事実かどうか知らないが、どう考えても当たり前のことなのになあ。
話はそれたが、ピンマイクとハンドマイクのプレゼンテーションがどれほど違うかということを理解したければ、Perfume の曲の振り付けを思い出せばいい。マイクを持つ曲とそうでない曲では、まったく違うわけで、MIKIKO 先生は最初からそこをちゃんと考えて振り付けているわけだ。まあ、これがわかりにくいという人がもしいれば、Jobs のプレゼンを見て、これを片手にマイクを持ちながらやったらどうなるかいなあと想像してほしい。
ピンマイクで話すなら、リモコンを左手に持ち、右手には必要に応じてポインター(←レーザーポインターなどというまがい物ではなく、本物の指し棒)を持つ予定で、前の日にはそっちを想定して練習していたのだが、切り替えなくては。 というわけで、誰かがそのあたりに放置していた手頃な化粧品の瓶をハンドマイクに見立てて左手に握り、右手にリモコンをもって、最後のリハーサル。 居間を歩き回りちゃんと声を出してアドリブもいれながら、ちゃんと話す。 なるべく簡潔にして、1 時間 10 分。まあ、そんなものだろう。
そもそも、ぼくが何を話すのが「正解」なのか、お手本もないし、主催者側からの明確なリクエストもなかった。 そんな状況で、話す前はいろいろと悩んでいたことは前に日記に書いたと思う。しかし、話し終えてみて、ぼくは話すべきことを話し、(福島の友人から託されたものも含め)伝えるべきメッセージを(完全ではないが)伝えたと素直に感じた。
いわゆる「達成感」みたいなものはないが(自分の誇れる研究について講演し、それが成功したときに感じる「達成感」は本当に素晴らしいのですよ)、でも、ほっとした。 まあ、(いろいろと思うところはあるけれど、基本的には)話してよかった。
講演後の議論については、すでに少し書いたので、もういいや。
研究者・教育者としてのぼくの人生のなかで、これらはすべて「間奏曲」なのだけれど、(講演会、懇親会で)多くの魅力的な人たちと話せて知り合えたのは素敵で、ありがたいことだったと思う。
ぼく自身の研究分野とはかなり違うけれど、いわゆる一つの「昔取った窪塚」っていうやつで(←わざとぼけているので、「それは『昔取った篠塚』の間違いだと思います」というメールを書かかなくていいです(←わざと・・・))、かなりちゃんと理解できる気がする。 というか、少し読んでぼ〜っと考えていたあたりで、さ〜っと論文の中身が頭に入ってきて、この話の本質は見えた。 にゃるほろ。なかなかにマニアックではあるが、楽しい話ではないか。 著者はこう書いているが、そこは、たぶん、こっちが正解だと思う。 おお、こういう証明のテクニックがあるのか。こういった手法は、たぶん、ぼくの感性ときわめて整合している気がするので、いずれちゃんと学んでみよう。
ああ、自分の研究じゃなくても、やっぱり、物理に頭を使っているのは快感。
元気がでたところで、本の校正の作業を開始。 すでに、編集者の努力で、いろいろの細かい改良がおこなわれているが、最後の最後に、より読みやすい本にするためのチェックをしなければ。
人迷惑な話だと思うが、夜になっていよいよエンジンがかかって、いろいろと修正点が出てくる。それをまとめて、最後のコメントを編集者に送る。 「最後の微修正」というタイトルのメールを夜に書き、「最後の微修正(2)」というメールを夜遅くに書き、「最後の微修正(3)」というメールを深夜に書いた。
これで、単行本は基本的にぼくの手から離れた。 あとは出版社のみなさんにおまかせして、完成を待つ。 みなさんのおかげで、素敵な装丁の、上品で魅力的な本が出来上がってくると思う。
研究者・教育者としてのぼくの人生のなかで、これは「間奏曲」なのだけれど・・・・ ってのは、もういいですね。
少しわけがあって、しばらく前に入手した
朝永振一郎著、江沢洋編「プロメテウスの火」(みすず書房、始まりの本)を再読していた。
朝永振一郎が科学と社会に関して綴ったエッセイ、また、朝永が参加した同様のテーマの座談の記録を集めた一冊の本である。 「プロメテウスの火」というタイトルが明示するように、本書のテーマは原子力だ。 高エネルギー物理学者として人類史に残る業績を挙げる一方で原子爆弾の悲劇を目撃し、さらには、戦後の日本で原子力の利用が進められていく現場に科学者側の代表的存在として立ち会った朝永が何を考え、思い、そして悩んでいたかの一端を見ることができる。
なかでも、第 III 部にまとめられたいくつかの座談会の記録は、アメリカの主導する原子力の平和利用の大きな流れの中で、日本の科学者たちが何を考え議論してきたかを知るための貴重な資料である。 これに目を通せば、日本での原子力利用が科学者たちの理念を無視して進められていったことを明確に意識できるだろうし、また、2012 年 6 月の原子力基本法の唐突な変更によって何が踏みにじられたかを知ることができるだろう(ただし、原子力基本法改定の話題には、ここでは踏み込まないことにしよう。大きなテーマなので、いずれゆっくりと)。
「必読の書」と言ってしまうとむしろ浅薄に響く。 日本での原子力利用の問題について落ち着いて考え議論したい人にとって重要な書であり、また、物理学を愛する現代人が目を通して損のない本だと言っておこう。 なお、アマゾンの「内容紹介」は力作なので、是非お読みいただくことをお奨めする。
とくに重要なのは「III 科学技術と国策」の解説だ。 冒頭の短い段落で、江沢は、朝永らの時代からの流れのなかで、福島第一原子力発電所の事故を位置付ける。
これに続く江沢の解説は、日本における原子力の平和利用の流れについての、きわめて簡明な解説でもある。 余裕のない人は、本文よりもむしろ解説の 250 ページ以降にまず目を通してほしい。それほどに重要なまとめである。以下、江沢の解説からかいつまんでごく大ざっぱな流れを紹介していこう。 きわめて不完全な紹介になるので、興味をもった方は是非とも原文をご覧いただきたい。 時代は 1950 年代。1945 年の終戦から数年が経った時期だ。
1952 年頃から、学術会議では、原子力問題について(政府との関係も含め)どのように考えるべきかという議論が重ねられていた。 そこで浮かび上がってきた一つの方針は、日本で原子力の利用を進めるのであれば、あくまで原子核物理の基礎研究と関連づけながら地道に独自の技術を開発するということだった。 それによって、基礎物理学と「地続き」な独自の柔軟性の高い応用技術が生まれることが期待される。 (われわれの世代には馴染み深いが、今はなき)原子核研究所を計画した際にも、基礎だけでなく原子力への応用をも(遠い)射程に入れることを想定していたようである。
一方、1953 年末に、米国大統領アイゼンハワーが(核兵器縮小の議論とは切り離して)原子力の平和利用推進を打ち出す。 これが、おそらく、原子力開発の大きな流れを生み出したようだ。そして、(1954 年 3 月のビキニ環礁での水爆実験での第五福竜丸事件などを経て、原水爆禁止運動が盛り上がった時期なのだが)日本は科学者たちの理念を置き去りにして原子力利用へと大きく向かっていく。
大きな動きに翻弄されながらも、学術会議では、科学者たちの理念を最低限にせよ後世に残すことを画策する。 この、科学者たちが最後の理想を託した原子力基本法の基本方針が、2012 年 6 月に突如として変更された(「我が国の安全保障に資する」という文言が追加された)ことはご存知だろうか? それほどの根本的な変更がほとんど注目されることなく実行されたのはおそるべき(本当に、文字通りの意味で、おそるべき)ことだ。 しかし、今は、ここに深入りするのは避けよう。再び 1950 年代に戻る。 アメリカ主導の原子力利用の流れはどんどん具体化していく。
1956 年 1 月に発足した原子力委員会には湯川秀樹も委員として参加していた。しかし、原子力委員会はあくまで原子炉を(日本で基礎から開発するのではなく)輸入して推進しようという方向に向かったため、湯川は委員を辞任してしまう。そんな中、学術会議では原子炉の安全性の問題にもしっかりと注目している。
後知恵で何かを言うのは安易(かつ容易)だが、安全性の審査についての学術会議の指摘はあまりに正しい。 湯川秀樹に続いて、坂田昌一も原子力関連の委員を辞任してしまったとは。江沢の解説のこの部分は、坂田昌一の警告、そして、それが(またしても)あっさりと踏みにじられたことで締めくくられる。
江沢が最後の一文で原子力学会に言及しているのは興味深い。 実際、この一連の歴史を眺めれば、日本における「原子力研究」という「学問分野」の性格が自ずから明らかになってくるようにも思える。 ただ、それはここで論じるにはあまりに切実なテーマだろう。ぼくは、もう、なつやすみはおわったのですが、きょう、ぼくは、ぷうるにいきました。
もう 9 月も半ばだというのに、連日、昼間はやたらと暑い。 昼過ぎの異様に強い陽射しを浴びた腕が未だに火照っているような気がしてしまうので、プールサイドでぬるいシャワーを浴びるとそれだけで気持がいい。 今日は 2 時限目から今学期最初の講義で、例によって、大量に板書して次から次へと黒板消しで消して、いっぱい粉をかぶったはずだ。 頭からぬるま湯を浴びると、頭髪についているだろうチョークの粉が洗い流されるイメージがわいて快感。 講義を始めたときは、教室にはエアコンが効いていて涼しいなあと思ったのだが、書きまくり、しゃべりまくり、歩き回っているうちに、かっかと全身が熱くなり、気がついたら背中は汗びっしょりだった。 量子力学を教えるというのは、それほどの重労働なのである。実にやり甲斐のある重労働だが。
準備体操の後は、まず自由コースに入って、歩き始める。 体を水に浸しながら歩いていて顔にぴちゃっと水がかかるだけで気持がいい。 プールに来る前にプリペイドカードの印字を見ていたら、今年になって泳いだのは、6 月 15 日、21 日、7 月 2 日の三日だけだった。 このときに水泳を再開して、さあもっと泳ぐぞと思っていたのだが、けっきょく、もろもろの多忙さに負けて、泳がない日々が続いていたのだ。 ああ、ようやく帰ってきたぞ。
隣のコースに移って、ゆっくりとクロールで泳ぎ始める。 2 ヶ月以上のブランクだが、なんとかちゃんと泳げるようだ。 実は、ここのところ多忙な中でも散歩(といっても、ガンガン歩く「ガチ散歩」)や夜の筋トレ(腹筋 50、背筋 50、腕立て 50 で 1 セット)は断続的に続けていたので、一定の体力と筋力は保たれている。
ぷはあ。なんだかんだ言って、ここ数日、頭 + 精神のかなりの部分が「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 」の単行本の出版のことに持って行かれて、他のことへの集中力が相対的にかなり下がっている。 ネットで本のファイルを完全に公開した時点で著作は世界中に公開され唯一最大の「山」は超えたのだから単行本の出版は取り立てて騒ぐべきイベントではないというのがぼくの「公式見解」なのだが、単行本を最良のものにしようとし努力してくれているスタッフの皆さんの熱意や、単行本の発行を歓迎してくれる少なからぬ人の声に接すると、そうそうクールでもいられないもののようだ。 まあ、正直になってみれば、ぼくは小さな頃からずっとずっと本をこよなく愛して来た人間であり、自分が中心になって「一冊の本」を作り出すことに特別な思いを持っているのはどうしようもない事実なのだ(「一冊の本」というのは、アゴタ・クリストフの小説の中に出てきて、妙に心に引っかかっている言葉。何でもないようだが、堀茂樹さんが選んだこの訳語には、ちょっと完璧なまでの存在感がある。ぼくは日本語の著作物の中で、おそらく、二箇所で「一冊の本」という言葉を意図的に用いている)。 もうちょっと素直に、単行本の出版を喜んでいる自分を認めてもいいかもしれない。
とはいえ、自分がこんな本を書いてしまったことへの違和感は消えないし、消すべきでもない。 違和感というだけでなく、恐怖感にも似たなんとも名状しがたい感覚が舞い戻ってくることも未だ時折ある。 投げ出すつもりはないが、必要以上の「深入り」も様々な意味で避けるべきだ。 出版を受けて、どうしても必要だと思うことはするだろうが、それを超えて時間とエネルギーを割くことはしない。
だんだんプールが混んでくる。といっても、往復で使っている 1 コースに三人。ペースも近いし、お互いに距離を置いて泳げば、ほとんど「貸し切り」と変わらない。 泳いでいると、長年の癖なのだろうが、頭は自然に物理のことを考える。無理して放射線を頭から払わないでも物理モードになっていったのは、ちょっと自分でもうれしい。 気がつくと、このあいだの「昔取った鬼塚のレフェリー論文」の内容(8 日)についてあれこれと考えていた。 このアイディアを使って次元の高い量子系の状態を作ろうとすると、まあ、こうなるのが自然で、ううむ、やっぱり奇妙なものかなあ? 明らかに 3 次元以上だと性質が違うし、面白いような面白くないような。 昔年の課題である 2 次元 AKLT model の基底状態の「隠れた秩序」の話なんかとつながる・・・・ってのは、いかにも甘いなあ。 そーいえば、昔は意識して VBS model って言うようにしてたけど、最近はすんなりと AKLT model って言うようになったなあ、おれ。まあ、軽く二十年以上経つし、それが普通の呼び方になったしなあ。
おっと。 ぼくの前を同じくらいのペースで泳いでいた人がコースの端で立って休憩している。 で、静かに「お先にどうぞ」というジェスチャー。ここのプールでこの時間に泳いでいる人はみんな品がいいんだよな。 「いや、ぼくも泳ぎ続けるとばて死ぬから、休憩したいんで、そちらこそお先に」と言える空気ではないので、「ありがとうございます」的にお辞儀をして、つい、そのまま休みもなく泳ぎ出す。 基本的にスタミナとかエアロビクスとかがダメなので、ターンのときに休まないとちょっと辛いんだよなあ。おまけに、人が後ろにいると思うと、自ずから泳ぐペースも速くなる。 こうやって、つい人前で格好をつけていると後々ばてばてになってしまうではないか、いや、むしろそれくらいにしてペースを上げたほうが体を鍛えるという意味からはいいのかも知れない。 それにしても、久々のプールの割には(あくまで、当社比で)けっこうまともなペースを保って泳いでいるではないか。偉いぞ、おれ。
「お先にどうぞ」「ありがとう」で、休憩なしのターンが何回続いたので、さすがに、本当に休憩を取るべく、自由遊泳コースに移動。ここまでで、600 メートルか。 全盛期には 1000 メートルを休まずに泳ぐようにしていたが、ブランクがあるから、無理をしない。 やっぱりかなり疲れているので、コースの中をゆっくり歩きながら息を整える。 と、そうこうしているうちに、子供水泳教室が終わったらしく、係の人がコースロープを張り替えている。 自由遊泳コースが広くなり、おまけに「25 メートルを止まらず泳ぐコース」の数が増えた。これはいいぞ。
新しく使えるようになったコースに移って泳ぎ出す。もう一人いるようだが、ちょうと逆位相で泳いでいでいるので、「貸し切り」とほとんど変わらない。 休んだ後の泳ぎ出しは、体も馴染んでいるし、体力も回復しているので、妙に快適。体が滑るように進んでいるような気がする(←これは本人がそういう「気がする」だけで、実際には、速い小学生よりもずっとのろい、おっさんの「もたもた水泳」なのである)。 さあて、非平衡はどうだ? SST はどうだ?? けっきょく、これについて考えても思考は堂々巡りにしかならない。 おまけに、今日はピントの合い具合が悪いなあ。検討すべき具体的な関係式や式変形は浮かんで来ない。 これじゃあダメじゃないかと思ったが、逆に、全体像について振り出しに戻って検討するのにはよいチャンスだ。 けっきょく、何を拠り所にして、その先に進めるか、だ。 われわれの過剰エントロピー生成の定義は「自然」だと思うし、原点に返って、順操作と逆操作におけるエントロピー生成の差という表現がやっぱりきれいだと最近では考えている。 これは、(易しくはないけれど)実験的にこの量を測定する際にはもっとも正しいやり方だ。定常状態を決めておいて、house-keeping を引くという思想は、実験的には非効率的だと思う。 「実験的には」って今言ったけど、理論的にはどうなの? ううむ。準静過程なら区別がないから優劣はないのかなあ? でも、なんか、「順操作ひく逆操作」という持って行き方に意味があるような気がする。わかんないけど。どっちにしろ、この路線で押すなら、普通の意味での熱力学は放棄する。沙川・早川の論文にその先の進み方が示されたわけだが、本当にそっちなのか? しかし、この路線で行くと決めた以上は、そこを本気で考えて調べ尽くすしかないだろう。中川関係式は、そういう絵の中に、どうフィットしてくるんだろ??
あ、なんか順調に泳いで、1000 メートルまで残りは 25 メートルだ。 久々に泳いで足がつったりしないか心配だったけど、なんと、元気そのものではないか。 よし、まだまだ元気だし、最後の 25 メートルは(あくまで、当社比で)全力で泳いでみよう。 おおお。いい気持ちだ。(当社比で)速く進むぞ! あ、やばい。右の足の指先あたりが微妙につりそうだ。 ペースダウン。あ、さらにやばい。左足の太腿も微妙につりそうだ。やばいやばい。 ペースダウンだ。泳ぎ切れるかな。あ、赤い線だ。もう少し。もう手だけで泳いでいる。つってはいないけど、右の足指と左太腿はイヤな感じ。でも、進んでいる。あ、着いた。
再び自由遊泳コースに戻って、ゆっくりと歩きながら体をほぐしていると、右足指も左太腿も平常に戻った。よかったよかった。 プールを出て、すっかり暗くなった夕方の風に当たったときの快感はなんとも表現しがたい。
きょうは、ぼくは、ひさしぶりにぷうるにいけて、きもちよくて、とてもうれしかったです。 また、おしごとをがんばろうとおもいました。
「量子力学 I」(物理学科 2 年生必修科目)の準備をばっちりして、いつものように、少し早めに教室に行った。 黒板をきれいにしながら、学生たちとしゃべっていたら、この子たちは 3 年生だと気づいた。 教室を間違えたのではなく、今日は「量子力学 III」(物理学科 3 年生必修科目)の日だった。
手に持っているのは「量子力学 I」の講義ノート。 「量子力学 III」の講義ノートは、なんと、家に置いてある。 参照している教科書などない。
こんなポカは初めてだ。ぼけている。一瞬、まじであせった。どうしよう。
「ノートを忘れました」と口にしながらも、あわてて頭の中を探ってみると、教えるべき内容はすべて頭に入っていることがわかった(実は、明日からあまりに多忙なので、「金曜の講義の予習もしよう」と思って昨夜「量子力学 III」のノートも家で見直していたんだよね)。おまけに、概念的な部分なので、ハードな計算はない。
講義してみたら、普通にできた。普通にいっぱい板書して、ハイテンションでやった。「ノート忘れた」とか言わなければよかったなあ。板書の間違いも多分一カ所だけだったと思う(指摘されて直した)。
家に戻って講義ノートを見直してみたが、完璧に計画の通りに講義していた(講義ノートより今日の板書のほうか改良されていた)。
というわけで、ついにぼけたと悲しむべきか、まだまだぼけていないと喜ぶべきか、微妙なエピソードであった。
今夜は懇親会なので、遅くまでビールをたくさん飲むであろう。
明日は、朝から京都。基礎物理学研究所運営協議会委員としての最後のおつとめである。 たぶん、昼食も夕食も新幹線の中で駅弁を食べることになる。 随分と何度も京都に行ったものだ。
そして、明後日は2時限目に講義。今度こそ「量子力学 I」なので、予習は既にばっちり!(で、そのあと、あわてて昼飯を食べて、学内の説明会。それが終わったら、田崎ゼミ。金曜の夜まで元気でいられますように。)
日帰りの京都出張。まだ帰りの新幹線の中だが、十分に濃い一日であった。
しかし、昼に京都に着いてみると、真夏の暑さ。北半球から南半球に旅すると、こういう感じだろう。
基研の運営協議会は議題も盛りだくさんで、中身の濃い会議になった。 基本的には、提案されることを粛々と可決していくだけなのだが、それでも、基研の将来にかかわることが少しずつ決まっていく場に居合わせるのは悪い気分ではない。やっぱり、ぼくが基研が好きだからかな(まあ、会議もそれほど多くないから耐えられるというところはある)。
会議が終わったあとは、議長でお疲れの九後さんをつかまえて、ヒッグス真空についての以前からの疑問について質問して議論してもらう。 (駒場の)加藤さんも議論に加わってくれて、ぼくが知りたかったことへの、おそらく一応の回答が得られた気がする。 ありがとうございました。 ついでに、「水飴理論」が物理教育の観点から如何に許し難いかを(お疲れの)九後さんに(無理矢理)説明する。
その後は、4 階に上がり、早川さん、沙川さん、村主さんと、先日の(って、最終回は昨日だ!)の霞ヶ関有志の放射線勉強会についての話題から始まって、日本の将来、人類の未来に及ぶ、テーマの大きな雑談。 もちろん話は尽きないが、このテーマを語り尽くしていたら東京には戻れないので、ほどほどのところで切り上げる。
かなり遅いけれど、いつもの通り、夜の鴨川沿いを少し歩き、(例によって、ちょっと迷った後)前に中川さんに教わった漬物屋さんで漬け物を購入。
地下鉄で京都駅に着き、伊勢丹の地下で、極端な値引きの始まった弁当を買って新幹線へ。 10 時過ぎに東京に着く、遅めの列車だが、ほぼ満席。みなさんお忙しいのだなあ。
昨日の日記に、
基礎物理学研究所運営協議会委員としての最後のおつとめである。と書いたときには心からそう思っていたのだが、なんか、今日聞いたらそうじゃないらしい! まだ、しばらく任期があると言われてしまった。うっそ〜? マジでぇ〜〜??
長い会議が終わったあと、「今までは面倒だと思っていたけど、これで最後だと思うと、なんか名残惜しいなあ」と「しんみり」した気持になっていたのに、まったくぶち壊しではないか!