茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
スピン 1 の bosonic Hubbard 模型の変種で、基底状態が正確に求められるモデルをみつけた。 基底状態は自明ではなく、いろいろと調べてみると、スピンのあるボソン系ならではなかなか面白い性質を示す。 反強磁性スピン鎖の AKLT model のようなヒット作ではないし、強磁性の Tasaki model のような労作ではないけれど、これもなかなか楽しい話だぞ --- という夢をみた。
夢から覚めても、仕事が進んでうれしかった感覚だけではなく、モデルのもっていた雰囲気や解析をしているときの空気みたいなのは、ありありと覚えている。 ええと、たしか、こういうモデルだったんだから、ホッピングをこうして、相互作用をこうすれば --- と「思い出そう」とするのだが、やっぱり、なかなかうまくいかない。
時間をおいて何度か、真面目に考えてみるのだが、やっぱり堂々巡りだなあ。 あのエレガントなモデルは、やっぱり夢だったのか・・・(←ま、最初から夢なわけですが)
パスピエは、ほんの何ヶ月か前に知ったばかりのバンドだ。 この日記でも、気になり始めたとき(9/2 の日記)とアルバムを買って大喜びしているとき(9/4 の日記)に取り上げている(他のところでも通奏低音的に出てきているかもね)。
芸大出身でかつては(クラシックの)ピアニストを目指していた鍵盤奏者/作曲家の成田ハネダ(←いつも思うが、ふざけた芸名である(インディーズ時代のアルバムの歌詞カードには成瀬ユキオと書いてあった))と、多彩で不思議で可愛いヴォーカリスト/作詞家の大胡多なつきが中心のバンドで、音楽の傾向は「ドビュッシーのような(いわゆる)印象派の音楽と J-POP やニューウェーブを融合させた」ということになっているが、それはともかく、作曲力・構成力・アレンジ力が高く、しかもヴォーカルが可愛くて、ま、要するに、ぼく好みの音楽なのさ(←無理矢理、一つの文で紹介したよ!)。
例によって、一気に「はまって」しまったわけだが、幸いにも早々にライブに来ることができた。
こういうライブハウスは、もちろん、おじさんには優しくないオールスタンディング仕様だ。 幸い、チケットの番号が早かったので、一番前のブロックの一番うしろ、しかもブロックを仕切るポールにもたれかかれるという絶好の位置をキープ。 けっきょく、ずっとこの位置で聴いていた。 実際、パスピエの演奏が盛り上がったときには、前のほうで激しい押し合いが発生していたので、ああ、あそこに巻き込まれないでよかったとマジで思った(「大学教授、ライブハウスでモッシュに巻き込まれ骨折」とか新聞に書かれたら、ほんと恥ずかしいよなあ)。
今回のライブには四つのバンドが出演する(ぼくらは諸般の事情により三つしか見られなかった)。
一つ目はキノコ帝国というバンドだった。 名前からはマリオの音楽みたいな楽しいピロピロした音を思い浮かべるかもしれないけど(ていうか、ぼくは思い浮かべたけど)、かなり違った。 それなりに好きな空気だし、女性ギタリストの弾くギターはかなり好みだった。
最後に、大胡多なつきちゃん登場。
色白で、長いストレートの黒髪。真っ赤なドレス。 期待通りに、いや期待以上に、小綺麗で可愛らしい。 誤解を恐れずに言えば、「娘のお友達」みたいな感じだな(って、意味不明か?)。
そして、初っ端から「チャイナタウン(リンク先は非正規のビデオ)」。 ぼくがパスピエに傾倒するきっかけにもなった曲で、最初からテンション上がりまくりどす。 今回は短いライブだしということで、 T シャツではなくポロシャツのままでタオルも持ってこなかったのだが、けっきょく、パスピエが終わったときは全身汗びっしょりで、額からは汗がぽたぽたと落ちていた(ただし、どんなに飛んでも跳ねても、ポールを背にしたポジションは絶対にキープして、年老いた腰をいたわったのだった!)。
「チャイナタウン」に続く曲目は、 「デモクラシークレット」、「トロイメライ」。 ここで、新曲を二つやって、最後は、「最終電車(これも非正規のビデオ)」と「電波ジャック」。
短い時間だったが、おいしい選曲を堪能しお腹いっぱい。 アレンジは(余分なイントロがついて、あとは)アルバムとほぼ同じだったと思う。 芸大でピアノやっていた(ていうか、そもそも芸大に入れた)成田ハネダさんの演奏が上手なのは誰もが予想する通りなのだが、他のメンバーも演奏能力はきわめて高く、安心しきって聴けた。
そして、なんといっても、なつきちゃんの素晴らしい存在感。 あの独特のハイトーンの「アニメ声」ヴォーカルがライブハウスに響くと、空気がなつきちゃんカラーになるんだなあ。 歌はすごく安定していてお上手だった。 (まるえつ(←「相対性理論」のヴォーカル)みたいに)淡々と歌うのかなあと思っていたら、大げさなアクションこそないけれど、随所で、手をあげたりふったりして、観客の声援に応えていた。 MC はだいたい成田さんだったけれど、なつきちゃんも少し話していた。「チャイナタウン」なんかのヴォーカルそのもののアニメ声の可愛らしい MC であった。
まあ、短く要約すれば、なつきちゃんが可愛いしお上手で、バンドもうまいし、もう、とってもよかった --- ということじゃな。うむ。 パスピエのこれからの活動にも大いに期待する所存であります。
実は、ぼくにとって BiS そのものよりも衝撃的だったのは、一番前のブロックに終結した熱狂的なファンの皆さんの応援ぶりであった。 話には聞いていた「オタ芸」というものが繰り広げられるのを、始めて(なんせ、ぼくも一番前のブロックにいるわけで)至近距離で、目の当たりに見てしまった。 曲が始まると多くの手がいっせいに上がってひらひらと蠢(うごめ)く。アイドルたちのステージ上の動きに合わせて、夥(おびただ)しい数の肉体のかたまりが右へ、左へと、前へ、後ろへと、巨大な一つの生き物のように動く様は --- 変な言い方なのはわかっているけど --- 美しくさえあった。 時々目に入るかれらの恍惚とした表情はしっかりと心に焼き付いてしまった。 これから、「夢に見た S=1 Bose-Hubbard model」を思い出すたびに、あの表情をセットで思い出すことになるのだろうか・・・
今年も残りあとわずかだが、本日は非平衡統計物理学懇談会を開催。
といっても、中川さん(茨城大)と斉藤さん(慶応大)を目白にお迎えして、三人で、朝から夕方まで、ひたすら議論するという小規模な企画である。
お察しの方もいると思うけれど、中川さんとぼくが顔をあわせると、つい、「やっかいな・・・」的な話題にうつって抜けられなくなることが多いのだ。ただ、今回だけは、ひたすら物理の話をしようと決意していたので、そっちの話は(ほとんど)しなかったのである。
ぼくは、斉藤さんに頼まれて、むかし考えていた外場駆動系での長距離相関の話をした。 長距離相関は、非平衡定常系で普遍的に見られる現象なのだが、マクロのみで生じる多体効果だととらえられていたと思う。 で、ぼくが(Lefevere-Tasaki の副産物として)気づいたのは、実はたった二つの粒子の系でも、場合によっては長距離相関が出てしまうということだった。
これは、確率過程の練習問題みたいな話で、面白くはないけれど、地道にやればごくごく初等的な計算だけで長距離相関が出てくるのだ。 で、その計算をちょちょっとまとめたものが arXiv に置いてあるのを思い出したので(←げ、これって、2004 年だ。8 年以上前か・・・)、懇談会で話すために、ダウンロードして眺めてみた。 のじゃが、これ、じぇんじぇん、わからんぞ。 やたら抽象的で一般的で、これでは、「面白くないけれど、地道な計算」の姿が見えてこない。 確かに、簡単な話だからなるべく簡潔にエッセンスを凝縮して書いてやろうと思った記憶はあるんだが、ここまで凝縮してはダメでしょうが! はい、ごめんなさい。
仕方がないので、昨日、もっとも簡単だと思われる例で、具体的かつ初等的な計算をやり直してみた。 記憶にあったとおり、面白くない計算だけど、地道にやっていると、あれよあれよと長距離相関がでてくる。 ううむ。やっぱり、この計算を書いておかなくては不親切だよな。 やり直したついでの、まとめておくかな・・
しかし、この話はどこに行くのやら。 かつては、長距離相関は非平衡統計物理での重要課題ともみなされていたんだけど、どうも、ぼくを含めて、盛り上がらない。 けっきょく、8 年前にわかったときも、長距離相関が普遍的な現象ではなく、確率ルールの選択に露骨に依存するという事実を目の当たりにみて、なんか興味を失ってしまったのだった(そのせいもあって、簡潔に過ぎるまとめを書いたんだな)。 ま、それを認めた上で、もうちょっとつっこんだことを考えてみるべきなんだろうなあ。
久しぶりに論文を書いて、(共著者の)桂さんに arXiv に送ってもらったのが、公開になった。
Hosho Katsura and Hal Tasakiタイトルを見ればおわかりのように、Bose-Hubbard model についての仕事。 流行の冷却原子系で実現される(はずの)格子上のボース粒子多体系の基底状態についての基本定理を証明したという論文だす。
Ground States of the Spin-1 Bose-Hubbard Model(arXiv へのリンク)
15 日の日記で「Bose-Hubbard model の夢をみた」と書いているけど、要するに、この仕事の先をいろいろと妄想していて、それが夢に出てきた(あるいは、夢が新たな方向を示した?!)ということなのだ。
個人的には、非平衡系の長い論文の執筆がなかなか終わらないので、ちょっと気分転換に、量子多体系で少し遊んでリフレッシュしておこうという(いささか不純な)動機もあったりする。
ごく一部の方はご存知のように、ぼくは普通の(S=1/2 フェルミオン(つまり、電子)の)ハバード模型については、かなり長いあいだ考えていたことがある。 だから、けっこう色々な知識があるわけだけど、それ以上に、「格子の上を電子たちが(量子力学的に)跳び回って何をやってくれるか」ということについての、けっこう豊かな「直観」を持っているという(まあ、自分勝手な)自覚をもっているのだ。 それで、今は、フェルミオンがボソンにかわり、S=1/2 が S=1 にかわっただけのモデルについて考えているわけだけど、これが無性に愉しいのだ。 もちろん、今までの直観が通用して、すいすいとわかる部分もけっこう多い。 ところが、そういう調子で進んでいくと、ときおり、とんでもなく初歩的な間違いをしてしまって、確信をもって「こうなるはず。証明もほぼ見えている」と思っていたところが、じぇんじぇん違ったりする。 そういう風に「自分の直観が裏切られる」感覚っていうのは、(もちろん、ちょっと悔しいけど、それ以上に)無性に快感なんだなあ。 それで、ああ、そうか、この世界では微妙にそのあたりの感覚が違うんだと自分に納得させながら、証明法を考え直し、自分の直観を鍛え直していくという作業も、なんか、とても愉しいのですよ。
もちろん、そうやって鍛え直した直観を使って、さらに、ちょっとでも新しい物理が見えてくれば、それはもうめちゃくちゃ愉しい。 というわけで、(非平衡の論文も進めつつ)ちょこちょこと色々なアイディアを練りつつ家中の床にワックスをかけている今日この頃なのでした。
や、大晦日じゃ。
恒例により、息子と二人できんとんを作る。 年に一度の作業だが、何年もやっているので、二人とも熟練してきた。 「この手順はどうすればいいんだろ?」と頭では思い出せないのだが、実際に鍋の前に行くと二人が自然と適切なポジションをとって迷いなく手が動く。 芋を煮始めてから、だいたい 4 時間くらいで黄金色のきんとんが完成。今年は多分かなり良質。
もちろん Perfume。 みんな少しふっくらした気がする。ツアーも終わり、ようやく少し休養できたのかなあ。 あ〜ちゃんが立ち上がるのが遅れたトラブルには日本中がひやっとしたと思うけど、でも、いつも通りの素敵な笑顔。 素晴らしい。 もちろん、立って応援。
きゃりーぱみゅぱみゅも。よいではないですか。「ファッションモンスター」は(ビデオの出来も含めて)日本が世界に誇れる作品。
YUKI さん、よかった。ちょっと泣いた(JAM 好きだったのです)。
正直な気持ちとして、自分で記憶しているかぎりでは、今年は研究者人生がはじまってから最大のスランプを経験した(← ただし、イヤなことはすぐに忘れるので、この記憶はけっこう不確かではある)。 ともかく、全く研究をしていない時期があったし、それ以上に怖かったのは、研究以外のことで(ちょっと)人様にほめてもらえることがあり、それはそれで、やっぱりうれしく感じたということ。
でも、 しばらく研究をしていないと、このまま研究ができなくなったらどうしよう --- というまったく根拠のない恐怖を感じた。 それは、やっぱり、すごく、すごく、怖い感覚なのだ(もちろん、(ぼくの祖父なんかみたいに)死ぬ直前まで研究を続けることは、まずはできないことはわかっているけど)。
まだ、本調子に戻ったとは全く言えないが、かなり戻りつつあると思う。 別に大きな仕事を手がけるとかいうのとは違っても、面白い課題が出てくると自然に頭に入って、寝ても覚めても自動的にアイディアを練り続けるモードがちゃんと復活している。 書きかけの非平衡系の論文もようやく形になってきた。(もちろん、共著者のアイディアもいっぱい入っているわけだけど)すごく「ぼくらしい」論文になって来た。改良していくのが楽しい。今日も、この日記を書き終わったら、やります。 「最大のスランプ」のために「イジング本。」の執筆が止まってしまって未だに再起動できていないのは、本当に申し訳なく、苦しい。来年こそは何とかします。
そういう風に迷いの多い年だったけれど、今までまったく接触のなかった人たちと出会い親しくなることができたのは、予期しなかった喜びだった。
この調子で書いていると、愚痴っぽいことも書きそうなので、ここらでやめて、仕事に戻ろう。
よいお年をお迎えください。