茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
大学祭なんかがあって金曜日は二週続けて休講になってしまったので、久しぶりの二年生の量子力学の講義。せっかく、シュレディンガー方程式を書き下したところで盛り上がったのに、こんなに休講では興ざめではないか。
いつも通り、早めに教室に行って、さあ気合いを入れて講義するぞとばかりに、教壇に立ってフードの着いたパーカーをぬぐ。
学生 A:きゃ〜、わ〜。た、田崎さん!
決して誤解してほしくないのですが、別に私は、女子学生にとってハラスメントになるような非常識なかっこをしていたわけではないですぞ。
田崎:ど、どしたの?
学生 A:田崎さんが半袖じゃなくなった!!(←俺は寒さに強い特殊な生き物か・・・) しかも、真っ赤! わたし、この講義のノートがそろそろ終わりになりそうだから、昨日、新しいノートを買ってきたんですよ。 で、どうせなら田崎さんっぽい色にしようと思って、ううんと考えて、買ったのがこれ。ほら、赤でしょ!
田崎:あ、ほんと。赤いね・・・
学生 B:田崎さん、これ日記のネタになりますよ。日記に書きましょうよ。
などと、教室の右前のほうで他愛もない会話が進むあいだにも、教室の左前からは絶え間なくジジジジジジジジジジジジという不可思議な機械的・電気的音がしている。
田崎:それ、ジジジジって、なにやってんの?
学生 C:セーターの毛玉取りです。
うむ。量子力学を学ぶためには、赤いノートを新調し、セーターの毛玉をしっかり取るのが基本だよな(←?)。
学生 B:あ、こっちも面白い。ネタになりますよ。
量子力学へのイントロ的な部分を終えたところで仕切り直して、一粒子系の量子力学の体系をしっかりとゼロからまとめ直す作業に入る。 量子理論の波動関数(←「波動関数」は誤解を招きやすい用語だと思う。「『波』でも『粒子』でもない『なにか』」を表現するための関数なんだから、それに「波動」って名前をつけるのはまずいってこと。まあ、歴史的な事情なんだけどね。「状態関数」のほうがずっといい名称だから、ぼくは講義や教科書でもそう呼ぼうと思うんだって言ったら、清水さんに、定着している用語を勝手に変えたら学生がかわいそうだって言われてしまった。確かに、他の本を読むときに混乱させるのは申し訳ないなあ。で、仕方なく「波動関数」と言うことにしたんだけど、うううん、釈然としないなあ。)の説明をしながら、「だから、この部屋の中に電子が閉じ込められているとしたら、部屋の中の空間の各点に複素数が書いてあるってことね。そのへんに 3 + 2 i とか、ここらへんには、-4 + i とか・・・」と話しながら教室のあちらこちらを指さすと、ほら、秋の午前中の明るい教室のあのへん、このへん、学生たちの頭上あたりに、複素数がいっぱい浮かび上がってくる。みんなも見えてる?
物理の講義っていうのは、こうやって、教室のなかに色々なものを「浮かび上がらせ」ながら進めていくものなんだよね。 何年か前、ベクトル解析を教えていたときは、このあたりに、ぐにょ〜っと変形した閉曲面を浮かび上がらせて、表面からわき出ていく流れを見ていた。 もっともっと前、電磁気学を教えていた頃は、あっちこっちに電場と磁場の矢印を生(は)やした。 矢印は教室の前から後ろまでびっしりと並んで、講義を聴いているみんなの体をも貫かんばかり。
そう。あの頃も同じこの教室で講義をしていたんだ。 そう思うと、この教室のあちらこちらに、ぼくが浮かび上がらせた閉曲面やスカラー場やベクトル場や運動する粒子たちが今でも残っているような気にさえなってくる。
日記の更新がないと B 君のお父様にまでご心配をおかけしてしまったとのことで、お目汚しではありますが、こんなところでお許しいただければと。
あれま、うかうかしているうちに 11 月も終わりそうだ。 忘れる前に、11 月にあった出来事を書いておこう。
と思うのだが、なんか、不思議なくらい 11 月の記憶が薄れている。 まるで、もう 12 月も後半を過ぎて終盤にさしかかっているんじゃないかって思うくらいの薄れ方じゃ。 年は取りたくないもんじゃのお。ふぉっふぉっふぉっ。
まあ、そういうのは自然な経年変化だから、慣れていくしかないわけだけど。
数理物理・物性基礎セミナー(第 24 回)
日時:2011 年 11 月 17 日(土)14:00 〜 17:30
場所: 学習院大学南 7 号館 101 教室(道順)
押川 正毅(東京大学物性研究所)「 1+1 次元自由ボソン場の共形不変な境界条件」
あちらが M1 の頃(ぼくは、少し年上なので、え、M2 か、もうちょっと上だったかな??)からの長いお付き合いの押川さんのセミナー。待っていた人も多いのではないかな? 境界 CFT の話をしてくれます。
楽しみ。興味のある方は是非、目白までお出でください。
冒頭の紹介では、「前回の Lieb 先生の紹介は感無量でしたが、今日、押川さんを紹介するのも別の意味で感無量です」と話し始めて、かれが M1 で、こっちが駆け出しのプロだった頃の思い出なんかを少し語ってしまった。 押川さんも、それを受けて、当時の思い出なんかを少し話してくれたわけだけど、さて、列席の若者たちはどう思ったかな? 「おっさんたちの昔話なんてどうでもいいから、早く物理の話を聞かせろ」と思ったか、「おお、すばらしい。俺たちの世代もそういう風に刺激し合ってがんばっていこう」と思ってくれたか・・
で、物理の話のほうは、文句なく面白かった。 ごく簡単な計算をかなり丁寧に説明しながら、ちょっとずつ概念を増やしていくのだけれど、最後の最後の「ひとひねり」を加えたところで、びっくりするもの(←それが、タイトルにある「共形不変な境界条件」なんだけど)に到達する。 ぼくは、(押川さんのトークに自然に誘導されて)その「ひとひねり」の可能性について質問したので、そこから「共形不変な境界条件」が飛び出してきたときは、ぞくっとする本能的な快感を感じるほど愉しかった。いいよねえ、こういうの。
しかも、その本能的な快感を味わうために必要な予備知識は、ほんのちょっとした場の量子論とくりこみ群の知識くらいである。 場の理論といっても本格的な「くりこみ」は不要だし、くりこみ群もほとんどスケール変換程度のものなので、ごくごく初歩。 たとえば、ぼくらが学生のころみたいに、臨界現象を少し本気で勉強していれば、苦もなくカバーしている領域である(ちなみに、今年ぼくと卒業研究をやっている S 君なんかは既に楽勝でカバーしている範囲)。 それで、これだけ非自明なことに出会えるというのは、要するに、面白い話題だということだし、押川さんの料理の仕方がお見事だということだ。
(そうではあるのだけれど、今の若い人が、たとえば非平衡統計とか量子情報とかに関心をもって勉強していたとすると、このあたりの予備知識をもっているのか、というか、こういうことを学ぶ動機付けはどれくらいあるんだろうなあ --- という疑問もちょっと感じた。 広い知識を持っているほうが研究に有利なのは絶対に確実なんだけれど、しかし、学ぶことに費やせる時間が限られているのも事実。なかなか難しいところだよなあ。)
セミナーが終わったあとは、いよいよひどい雨降りだったけれど、セミナー主催者や押川さんに近い人たちで、定番の居酒屋で打ち上げ。押川研の最初期の出身者から修士の人まで参加しているのが素晴らしい。 これもまた、心に残る楽しい会になった。
まだ何とかなりそうなので(←なってない)、11 月終盤の日記を続けよう。
思い返せば、忙しいと言いつつも、今月は二つのライブに出かけていったのだった。 まあ、「緊急事態的な忙しさ」ではなくなったということであろうか。
ZABADAK は、二十数年のキャリアをもつバンドで、(残念ながら、ぼくらは知らなかったんだけど)日本の音楽に通じている人たちのあいだではよくよく知られた重要な存在みたいだ。 プログレ(← progressive rock の略です)やヨーロッパ民族音楽あたりをベースにした独特の音楽をずっと作っているそうだ。 古いところでは、「遠い音楽」とかが初期の名曲なのでご存知の方も多いと思う(初期の曲では「水の踊り」も好き。特にインストの部分が素晴らしい)。 より最近に近い曲では、「Deir Paider」(← アイルランド語(?)らしいけど、タイトルを覚えて親しんでもらおうという商業精神は感じられないよね)、「Birthday」あたりがかっこいいし、バンドの特色も出ていると思う。 プログレ風味のやたらと長いインスト(← instrumental の略だす)の曲が多いのも特徴で、実は、ぼくはそういうのが無性にツボなのですね。YouTube にはないだろうと思ったら、「鏡の森」があったぞ。このライブも名演だ(← なんか偉そうに書いてますが、網羅的に聴いているわけじゃなくて、ライブや CD で聴いたりして、印象に残っているものを挙げているだけです。すみません)。
「二十数年のキャリア」といえば、ぼくが(Princeton から給料をもらうようになって)プロの学者になってからも、だいたい二十数年になるのだ。 実際、wikipedia を見ると、ZABADAK の中心人物である吉良知彦さんは、ぼくと同学年らしい。 Yes とか Kate Bush とかがお好きというのも、なるほど同世代で、ますます親しみもわくのであった(関係ないけど、 wikipedia のぼくの項目をみると、学部を 81 年卒業と書いてあるけど、実際は 82 年卒なのだ。若い人にはどうでもいい細かい違いだとは思うけれど、訂正してほしいものである(D3 の夏に学位を取ったので、それで混乱が生じたんだと思う))。
ひょんなことから(← 当然ながら、そのあたりには菊池誠さんが暗躍、というか、表だってやっているから、明躍されているわけだけど)、メンバーの小峰公子さんと知り合いになり、それでバンドのことを知り、また、コンサートにも誘っていただいたのだった。 ありがたいことであります。 さそっく CD を何枚か聴いて、「このアルバムでは、XXX とか XXX とかがいいですね」みたいな感想を公子さんに(メールとか Twitter とかで)伝えたりするんだけど、わ、すげえ、プロのバンドのメンバーに感想を直に送ってるなんて超すげえじゃんか俺 --- と個人的に秘かに盛り上がったりするわけである。 で、それに対して「それはうれしい。それらの曲こそ ZABADAK の神髄です」とか言ってもらえるかなあと思ったら、「それは変わっている。マニアックですね」という正直な返答をもらって、複雑な気持ちになったりするのもまた愉し。
キーボードがあの難波弘之さんということからもわかるように、バンドのメンバーは名人ばかりで、演奏はやたらとうまい。 上に挙げた「Birthday」なんかも、公子さんのヴォーカルは CD を越える圧倒的な迫力で、すごい演奏だった。 ホールの音響もよく、素晴らしいコンサートだった。
Perfume や林檎ちゃんのライブとは違って、お客さんは最初は普通に座って聴いていて、最後のほうでタイミングよく総立ちになるという、おじさん、おばさんにも優しい方式になっていた。 ただ、ぼくらが座っていた二階席は、いわゆる「関係者席」っぽい感じで、毎度のことながら、そういう席にいる人たちは(中田ヤスタカか、碇ゲンドウかって感じで)渋く物静かに聴いていて、踊ったり手拍子したり立ったりしないのであった。 ぼくにとっては、ロックのライブというのは「立って揺れ動く」のがデフォルトなんだけど、さすがに関係者集団の中で一人だけ立つだけの根性はなく、その点は、ちょっと寂しかったのであった。
ライブ終了後は図々しくも楽屋まで押しかけていき、公子さん、吉良さんや難波さんにもご挨拶。 ミーハーな側面を持つところの妻が難波さんと話ができて感動していたことも論評抜きで伝えておこう。
同い年の物理学者である俺だって、まだまだ攻めの姿勢を崩さず、もっともっと「濃い」物理をガンガンやらねば --- などと単純なことを本気で思う私であった。
彼女たちのアジアツアーの最終日、シンガポールでのライブに参加したのである。
今回のパブリックビューイングでは、チケットを発売するときから「これは、立って応援するイベントです」と明記してあった。 これは、はっきりしていて、いいよね。 東京事変の解散ライブのとき(2/29 の日記)には、立っていいのかはっきりしなくて不便だったことを思うと、こういうところでも Perfume 関係のスタッフはしっかりしていていると思う。
というわけで、いつものライブの通り、最初から立って、踊って、声援を飛ばしながら、見る。それでいいのだ。 いつもながら、客を心から楽しませるための配慮に満ちた構成。 久しぶりにライブで Edge が聴けたのも実にうれしい(ちょっと低音が足りなかったけど)。 ともかく、楽しいライブだった。 そして、いい運動でした。 映画館全員がライブモードではなかったけれど、でも、かなりの人たちが、ちゃんと立って踊っていたよ。
みんなで声を出すコーナーでは、あ〜ちゃんに指揮されて We will Rock You を歌う。 この曲を最初に聴いたのは、たぶん大学に入ってすぐ、一人暮らしを始めて、数学(や物理)に本気で触れ始めた時期だったと思う。まさか三十年以上の後、映画館でアイドルのライブ中継を見ながら熱唱することになるなどと誰が想像したであろうか --- と、無理に科学者の日記っぽく結んでみましたが、いかがでしょう?