茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
大阪大学での集中講義のお知らせ (web ページ)
非平衡熱・統計力学(というものがありうるとして、そこへ向かう一つのアプローチへの)入門
大阪大学理学部にて、2012 年 1 月 31 日(火)午後 〜 2 月 2 日(木)
一昨日の午後に始めて、さっきまで、ひたすら板書してしゃべりまくった。 聞くところでは、のべ 16 時間くらいしゃべったらしい。
自分でも途中で倒れるのではいかという危険を感じたので、ひたすら水分と栄養を補給しながら、二日半を乗り切った。 自分にこれだけの集中講義をこなせる体力がまだ残っていたのを知って、うれしい。 なんというか、ある種の極限的な、肉体的かつ精神的な修行を達成したような、不思議な満足感と凄まじい疲労感を感じているなう。
4時に終わると予定表に書いてあるのに休憩なしに 6 時半までしゃべり続けたり、午後からと web に書いてあるのに朝からやったりという、聞く方にとっても修行のような集中講義だった。 それでも、阪大および他の大学の多くの学生さんと、また、これも複数の大学からの多くの様々な専門家にしっかりと聞いていただいた。 講演者冥利に尽きるというものである。
この講義をするにあたり、かなり色々なことを考え直し、全体の風景を捉え直すことができた。 それも、ぼくにとっては大きな収穫だった。 その収穫を、じっくりと、これからの研究の展開に活かしていかなくてはと思う。 実は、ぼくが講義をしているあいだにも共同研究者たちのあいだでは活発な議論が進んでいたみたいで、それにも追いつかないといけないのだった。
しかし、さしあたっては、何をするにも疲れすぎている。脳みそがウニのようだ。 新幹線に乗っているうちに、「道化師の蝶」を少し読もう。
今日の最後の講義をしながら、初日に講義した内容をふり返ると、なんか、ずっとずっと昔に話したことみたいな気がしてしまった。
まさか、東京に戻ると何年も何年も年月が経っていて、菊池さんがお別れにくれた怪しい箱をあけると・・・
As you see, the "language mode" in my brain had somehow switched to "English" at the end of the long journey. I was talking to myself like "Oh, didn't I leave my tooth brush in the hotel?" or "Yes, I know I must some day write down what I prepared for the present lecture", mainly listening to announcements in English, and reading signs in English.
I don't know why I was switched to english mode. The conversation of two American ladies (which I really did not understand) sitting not very far from me in Shinkansen might have some effect. Probably my "Japanese part" was just exhausted after the long and intensive lecture. It is also likely that having read 円城塔's 「道化師の蝶」in Shinkansen had affected me. I don't know.
In any case it is apparent that I am too tired to continue. I think I will have one more drink of beer and go to bed. Good night.
ふう。なんとか普通に生きているものの(頭もだいたい日本語に戻った)集中講義の集中疲れはまだまだ残っている。 朝起きてもなんかふらふらしているし、腰痛もいつもよりもちょっと多めである。
それでも、やらねばならないことをごそごそとやっているわけだが(あ、あと、集中講義の途中でふと手が止まったところ(カレントの線形応答公式)があったんだけど、あれはやっぱり間違っていた! ごめんなさい。ちゃんとやり直したらきれいな結果になった。大勢に影響はないけど、やっぱり修正すべきなので、ちゃんとまとめます。お待ちください)、実は、明日の午後からは京都に行って、YIPQS Symposium: Perspectives in Theoretical Physics --- From Quark-Hadron Sciences to Unification of Theoretical Physics --- という、たいそうな題の国際ワークショップに出る。 自分のトークはなくて座長をするだけなのでまあ気楽なんだけど。で、ワークショップは途中で切り上げて東京に戻って入試関係業務。そのまま Christian Maes を東京に迎えて議論とセミナー、その先はひたすら卒業研究の仕上げと、ええと、他にも人が来たり色々あるなあ --- という具合に、予定が連続的に続く今日この頃なのでありますが、まあ、ワークショップのあいだにでも少し体を休めることにしよう。
学習院大教授の田崎晴明さんのNHKへの怒りに、ひとことというブログ記事を書いたことを教えていただいたので、それについて、ごく簡単に返答しておこうと思う(と言って書き出したら、じつは、めっちゃ長くなった・・・)。
ni0615 さんのコメントを読んでまず思ったのは、ぼくの書いたこと、言いたかったことは基本的に理解していただいており、とくにこれ以上何かを弁明したり付け加えたりする必要はないんじゃないかということ。 要するに、最終的な意見は違うけれど、十分に相互理解はできている気がする。
なので、これから書くことは単なるくり返しになると思うのだけれど、まあ、お許しください。
簡潔に要点だけを書くと、
これで尽きているけど、以下、ついでに書いてしまいたいことを含めて付け足し、というか長々しき蛇足。
正直にいうと、 2011 年 12 月 29 日の雑感を書いたときには、ぼくは、NHK のディレクターが DDREF のことを(というか、ICRP の基準の由来についての「公式の説明」のことを)知らないなんてことはあり得ないと思い込んでいた。 なにしろ、放射線については完璧にど素人のぼくが(←今だから言うが、物理学者のくせに、事故の前は、アルファ線、ベータ線、ガンマ線の区別さえ時々怪しくなるという、落第寸前のレベルだったのである!)仕事の合間にボランティアで解説を書くためにごそごそと勉強しただけでも、しっかりと知っていたような「基礎知識」なのだ。 人に物事を伝えるのを仕事にしているプロが、日本中の人に(受信料を取って)見せる番組を作るために下調べするなら、もちろんよくよく分かっているはずのことだと信じて疑っていなかったのだ。
ni0615 さんは、それは世間知らずの科学者の非常識の考えだとおっしゃりたいのだと思う。
実は、あの日記を書いたあと、ひょんなことで、NHK の番組の作り方について詳しい人(←もってまわった言い方だけど、本当に信頼できる理由で詳しい人です)とゆっくりと話すチャンスがあった。 それで色々と聞いてみると、NHK のディレクターはかなり個人プレイのことが多いし、余裕のないまま番組を作ることも少なくないらしい。 問題の番組のディレクターにしても、取材を始めるまでは DDREF なんて知らなかった可能性はあるんじゃないかという話だった。
ううむ。もちろん、ぼくが「世間知らずの科学者」であるのは紛れもない事実。 NHK のディレクターが持っている知識についてのぼくの推測は誤っていたということなのかも知れない。
だって、ICRP publ. を読めば書いてあるんだよ。番組で ICRP publ. を開いて見せて説明してたじゃん。 もし英語読めないんだったら(読みにくいけど)日本語訳もある。海外取材する予算があるんだから、ICRP publ. の日本語版は買えるよ。 本を読む気がしないなら、web 上の ATOMICA とかにも書いてある。
いや、実を言うと、ATOMICA も法律の条文みたいだし、どこに何が書いてあるのか分からなくて難しい。 でも、(誰も言ってくれないから寂しく自分で言うけど)ぼくが一生懸命に書いている「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説 」の中の「被ばくによってガンで死亡するリスクについて 」という文章は、ATOMICA や ICRP publ. よりはずっと読みやすいと思っているんだけどなあ。
この文章を読めば、広島・長崎の疫学調査から「1 Sv の被ばくで生涯ガン死亡リスクが 5 % 上乗せ」という「公式の考え」をどうやって得たかという「公式の説明」の大筋はちゃんとわかるようになっているつもりなのだ。 歴史的な経緯の掘り下げなどは貧弱だけれど、この「公式の説明」が鉄壁ではなくて批判もあるということも、それなりに書いてある。 NHK のディレクターがぼくのページを読んでくれていれば、それなりの予備知識をもって番組作りに臨めたし、ICRP を批判するにせよもっとしっかりした骨のある批判ができたと思うんだけど・・・ (「天下の NHK のディレクターが、専門外の無名な科学者の書いた(しかも web 上の無料の)解説なんて読むわけないだろう。おまえはアホか」というのが、まあ、常識的な見解だし、それが真実なんだろうね。 時々、ちょっとびっくりするような立場の人がぼくの解説を読んで利用してくれていることを知ったりするので、つい、その気になってしまったというところか。お恥ずかしい。)
でも、Chris さんにインタビューしていて、「一つは DDREF についての疑問です」と言われたら、普通は「え、その DD ナントカって何?」と聞くわけでしょ? そしたら「あ、これこれこういうことだよ。ICRP publ. にも載ってるよ」って話になると思うのだなあ。 いくらなんでも、あれだけくり返されていた DDREF が完璧に意味不明のまんま終わりだったってことはないでしょ。
そしたら、日本に戻って少し調べたりすると、「あ、なんだ DDREF って、こんなところで解説されていることなんだ。知らなかったけどなあ」ということになったんじゃないのかな? それが自然だと思うなあ。
ならば、その時点で番組の「びっくりポイント」を変えればよかったと、ぼくは言っているわけです。
広島・長崎の線量評価が変わったのに、リスク評価が変わらなかったという話をして、スタジオで「これは、どういう事なんでしょう? おかしいですよねえ」みたいな話にしたところで、テロップでも出して「公式の説明では、DDREF という考えを出してくるんですよ。」と軽く説明すればいい。 で、そこから「しかし、この説明が真実かどうかには疑問があるのです」とか言って盛り上げればよろしい。
その方が批判のポイントが明確になると思う。 (ぼくがしたみたいな)当たり前の批判を受けることもなかっただろう(文句をつける人は必ずいるけど)。 そして、なんといっても、正直だと思う。
DDREF などというのは、おまえたち学者だけがこっそり知っていた知識で、おまえたちはそれを一般人に伝えようとしなかった。それを NHK がみんなに伝えたのに文句を言うな的な感想があったことを知っている。
もちろん人様の感想は謙虚に受け止めるべきもので、こちらからとやかく言える物じゃない。 ただ、こういう風に思われているんだと知ると、やっぱり悲しいというのが正直な気持ちだ。
そもそも、ぼくが DDREF(だけじゃなくて、放射線防護に関わるもろもろのこと)を知ったのは、(学者としての本来の仕事をさぼって)一生懸命に(読みたくもない)文献を読んで勉強し、必要に応じて色々な人に教えてもらったから。 もちろん、それまでは、こんなことまっっったく知らなかった。(ちなみに、学者じゃなくても色々な文献を読んでいて、ぼくなんかより詳しい方もいらっしゃいます。) で、「あ、そういうことだったのか」と分かった後は、なるべくせっせと解説を書いた。 本当は、ずっと専門に近い人たちが分かりやすい解説を書いて発表すべきだと信じていたが(今でも、そうは思っているけれど)、どういうわけか、そういう動きがあまり見当たらないので、仕方なく、まったくの専門外のぼくがやることにした。 他の人はぼくみたいに苦労しなくてもこのあたりの話がわかるように(そして、自分で調べたければもとの文献をたどれるように)それなりの努力をしてきたつもりだ。
「おまえの解説など字ばかりで長くて読む気がしない」と言われればそれまでで、ぼくの未熟さを詫びるしかない。 ただ、やっぱり、ものすごくシリアスな話だし、どう考えても簡単な話じゃないわけだから、ちゃんと書こうと思ったら、どうしても長目になる。 ちゃんと知りたいという意識のある人には、ある程度の努力をして歩み寄ってもらいたいなあと思うのはわがままかなあ?
あと、ぼくの日記への批判的感想として
おまえは、マスコミが DDREF について報道しないのを批判してきたのか? そうでないなら黙っていろ的なものがあったことも知っている(←書いていて、だんだん落ち込んで来る)。
別に、ぼくがこのあたりのことを日本で統括しているわけじゃないから、そこまで言われなくていいと思うんだけど、でも、実はそれに類する努力は、ぼくなりに少しはやっていたのだ。 ただし、DDREF なんていう高級な話じゃない。 その一段階か二段階ほど手前の「ICRP の公式のリスク評価をちゃんと伝えてほしい」というものすごく基本的なところで、けっこう苦労したけれど、ものすごく実りが少ないという経験をした。
この話はもう詳しく書いたことなのでここでは簡単に行こう。ICRP の「公式の考え」は
1 Sv のゆっくりした被ばくで生涯でガンで死亡する確率が 5 % 上乗せされるというものなんだけれど、けっこう色々な人たちが、これを
1 Sv のゆっくりした被ばくで生涯でガンにかかる確率が 5 % 上乗せされると間違って伝えていたのだ。 ガンにかかる確率はガンで死亡する確率の大ざっぱには倍くらいだということを考えると、この誤報では、被ばくによるガンのリスクを ICRP の基準よりもさらに半分くらい小さく伝えていたということになる。
「ICRP は広島・長崎の疫学調査で得られたリスク評価を半分にしていた」ことが重要問題だと考える人には、「文科省や学術会議やマスコミは、そのリスク評価をさらに半分にして伝えていた」ことも結構な問題なのではないだろうか?
知人の O さんやぼくが、この誤った報道を訂正してもらおうとした(かなり虚しい)努力の記録が「被ばくによるガンのリスクについての誤った情報 」という文章にまとめてあるので、すご〜くお暇な人はご覧いただきたい。 別に ICRP の基準が正しいかどうかといった本質的な議論をしているのではなく、ICRP の出版物に書いてあることを文字通りにちゃんと伝えてほしいということを頼むだけなのに、それがすごく険しい道だったという記録。 けっきょく、文科省からも学術会議からも完璧に無視されたまま。 朝日新聞の人とはメールをやりとりしていたけれど、やっぱり途中からは無視されてそのまんま。
ぼくは、別に、「ガン死亡リスク」と「ガン発生リスク」の相違にものすごく敏感なっているというわけじゃない。
でも、それこそ「ICRP のリスク評価は信頼できるのか?」みたいな本格的な議論をしたいと思ったら、そもそもの前提として、ICRP が何を言っているかくらいはちゃんと伝えてほしいでしょ? そういう、最低限のリテラシーを求めたつもりだったのだけれど、まあ、それが猛烈に大変だったということ。 (ちなみに、今では文科省も朝日新聞も ICRP の「公式の考え」をちゃんと伝えている。ただし、ぼくへの返事はない。これは随分と失礼な話に思えるんだけど、それって「世間知らずの学者」の考え?)
ni0615 さんが柔らかくご指摘になっているとおり、ぼくは放射線防護の歴史にはまったく詳しくない。 まあ、感心が薄いと言ってもウソではないと思う。
やっぱり、何よりも気になるのは、まさに今、福島で子育てをしている人たちのことであり、ホットスポットがみつかった地域での子供たちのことであり、子供の食事のなかの放射性物質を気にしている広い地域の人たちのことだ。 ICRP の基準の妥当性といったこと以前に、ICRP の思想(特に ICRP publ. 111 の思想)さえろくに実現できない政府に苛立ちを感じながらけっきょく自分にはまったく何一つできないという圧倒的な無力さを感じて日々を過ごしている。
もちろん、長い目でみたときには、歴史的な経緯も頭に入れて色々なことを幅広く考えたほうがいいことはわかっている。すすめられた中川保雄「放射線被曝の歴史」も入手して、ぱらぱらとは見ている。 とはいっても、もともと歴史的な考察が苦手な上に、いろいろな意味で余裕がなく、本気で歴史的な考察には踏み込めないままでいる。
ぼくにとっての最大の「山場」は、「ICRP は核エネルギー推進派の圧力を受けている」という主張を、名誉委員である Meinhold さんの証言で裏付けようとしているところ。これはきわめて興味深いし、こういう論点を真っ向から取り上げて、重要人物のインタビューをとってくるところは高く評価したい(せっかくなら、もっと掘り下げてほしいのだが)。と書いているくらいだ。
なので、NHK の番組の「DDREF 導入の隠された歴史」みたいな部分については、ぼくは特に批判はしていない。 ただ、関連性がよくわからない証言を何となくつないでみせるんじゃなくて、ちゃんと分かるようにやってほしかったと切実に思っている(←これは批判じゃなくて、希望ですよ。難しいのは分かっているから)。 多くの人が言っているように、ICRP は被ばくの限界の線量を着々と下げているわけだから、それと、番組で取り上げた「政治的な圧力」がどう関わっているのかも是非とも知りたいところだ。
ni0615 さんのブログ記事の冒頭には、
この「田崎日記」はひとり歩きして、いまや原発推進派によるNHK攻撃の「月光仮面」か「白馬童子」になっています。という、驚くべきことが書いてある。本当なのかなあ?
登場するヒーローが相当に古いのは、原発推進派の人たちが上の世代の人たちばっかりだということを示唆しているのだと思うことにしよう。 ぼくも、「仮面の忍者赤影」くらいが限界の世代なのでこれらヒーローの名を見てもなかなか直感的にピンと来ない --- というような話はどうでもよくて、もし ni0615 さんのおっしゃる通りだとしたら、ぼくとしても複雑な気持ちなのは確かだ。 仮に(あくまで仮にですよ)「年間 100 mSv の被ばくをしても何ともないと ICRP は言っている!」というようなことを強弁するような人やそのお仲間がぼくの日記を積極的に活用しているというようなことがあったら、それはやっぱり残念。
ただ、そもそも、ぼくの気楽な日記には何の権威もないわけで(○○大学教授という肩書き程度で信頼が得られる時代じゃないでしょ。むしろ胡散臭いと思う人も多いんじゃないかな?)それが月光仮面的に活躍するとはなかなか思えない。 また、インタビューの聞き取りと、それに対応する字幕の引用が利用されているのなら(ただし、そういう記録としてなら buvery さんのブログのほうが適格)、まあ、それは仕方のないことかとも思う。 要するに、どんな意見や番組にだって批判者はいるわけだし、番組にどういう音声が流れてどういう字幕が出たかというのは、主義主張とはまったく関係のない客観的事実だ。 「この聞き取りの結果は、ぼくと同じ考えの人だけが使ってください。原発礼賛派の人は使わないで下さい」とぼくが断るわけにはいかない。
むしろ、重要なのは、リスクの個人差、特に年齢依存性だと強く思っていて、それについては、現行の ICRP のやり方には不満をもっているといったことが、目立つように太字で書いてある。 もちろん、どんなに目立たせても、ある種の人たちは自分が見たい部分だけをみて自身に都合のいいところだけを引用することは知っている。 そうではあっても、リンク元をたどって日記本文を見た人は、この意見に目をとめるでしょう。 さらには、ぼくが日記の冒頭で
テレビ番組だから短い時間で情緒に訴えることが求められるのだろう。そう思えば、比較的まともな番組だったと思う。と肯定的な宣言をしているのを読むわけです。少なくとも、ぼくが ICRP を全肯定しているわけでもなく、番組を全否定しているのでもないことは分かってもらえる。 これは、web 上で、しかも Twitter などのふわふわした媒体ではなく、しっかりと残る形で、文章を公開する最大のメリットだと思う。
自分の日記が、勝手に歩きまわって「白馬童子(って、どんなのだっけ?)」になって、ぼくがあまり好ましくないと思う人を助けていたりすると想像するのは、もちろん、面白いことじゃない。 でも、いくら一人歩きと言っても、引用を見た人が原文を容易にはたどれない印刷の世界とは違うし、140 文字の引用だけが文脈抜きで「たらい回し」にされる Twitter の世界とも違う。 ぼくが書いたオリジナルは学習院のサーバー上にしっかりと残っていて、誰でもクリック一回で読むことができるのだ。
もちろん、いろいろな思いはあるけれど、一度、文章を公表した以上は、こういう風に考えるしかないとぼくは思っているのでした。
仮に、「白馬童子」、「月光仮面」世代のおじさんたちが、自分たちの頼みの綱だと思って、あの 12 月のぼくの日記をご覧になったとして、冒頭の Perfume のアルバム評を読んでどんな風に思われるんでしょうね?
京都滞在中。
昨日は珍しく時間に余裕をもって京都に到着。 京都駅の新幹線ホームから地下鉄までの道はいよいよ通い慣れた道。 よく考えると、ここ何ヶ月かのことを思うと、
目白駅よりもはるかに多く京都駅を利用しているという、すごい状況になっている。
ホテルにはイーサネットのケーブルが用意されているので早速つないでみたのだが、どういうわけか Mac がネットワークを認識しない。 説明書をみても、「インターネットエクスプローラーの場合、アウトルックの場合、・・・」といった意味不明のことが書いてあるので、あっさりあきらめる。 旅行に持ち歩いている B-mobile でつなごうと思うけれど、こちらは電波が微弱でつながらない。 部屋の中を MacBook Air をもっていろいろと移動してみるが、それでも電波はぜんぜん来ない。 ま、仕方ないやということで iPhone でメールを読もうとしたらこれも圏外。
久々に、完全なネットからの隔絶状態! 名探偵コナンとかで事件がおきるなら今だな。
ま、メールは読まずに、ずっとやりかけただった自分の論文の仕事をしたり、本を読んだりして過ごせばいいわけだが、同じホテルに泊まっているはずの Christian にメールが出せないのは困った。 食事と散歩に外出したあいだに、寒くて小雨気味の外で iPhone からメールしたのは、ちょっと面倒であった(実は同じホテルの建物でも、廊下をあるいて別のサイドに行くとソフトバンクの電波が復活することをあとで学んだ)。
今回は、守備範囲外の高エネルギーの講演がほとんどだから Christian のトークの座長をする以外は、おとなしく休んでいようと思っていた。 いつもそういうことを書いているのでほんとかよと思うだろうけど、本人としては、本当にそう思っていた。阪大の疲れがあるし。 しかし、なんとなく(定位置の)一番前の座席にすわってしまった成り行き上なのかよくわからないが、けっきょく、すべてのトークを本気で一生懸命に聴いて、図々しく質問しまくるといういつものパターンに落ち着いていたのであった。
というわけで、早起きしたこともあって初日からけっこう疲れてしまったのだが、でも、講演は(お世辞抜きで)どれもきわめて面白くかつ刺激的だった(←取り立ててオチがないけど、まあ、無理に落とすような話でもないので、いいいだろう)。
以下にライブの感想を書きますがネタバレはありません。
昨夜は横浜アリーナでの東京事変のライブへ。
解散前の最後のツアーの初日。 関東地区での 4 講演、8 席分をファンクラブ優先枠で応募したのだが、けっきょく当選したのは初日の 2 席だけだった。 それだけ人気があるというのはファンとして喜ばしいことなのではあるが・・・
座席はアリーナ後方という、これまでの中でももっとも悪い席。 遠いだけではなく、見えない。もともと視力が悪いし、前の男がやたらとでかくて視界にステージがない!(←でも、一緒にいた彼女が林檎ちゃん大好きっぽくて楽しそうに聴いていたから許す。) それでも素晴らしいライブだった。 中年のおっさんの数理物理学者が、半袖の T シャツ姿で(←昼間の教授会の時にもポロシャツの下に秘かに黒い T シャツを着ていたのだ!)東京事変のロゴ入りのタオルを首にまいて汗だくになるほどの盛り上がり方。 また、音響がかなりよく、各々のメンバーの奏でる音を聴き分けることができたのはうれしかった。 相変わらず、随所で背筋がぞくっと震えるような演奏を聴かせてくれる。 選曲も素晴らしく、最後の最後まで心から楽しめるライブだった。 二枚しかないチケットをぼくともう一人に譲ってくれた二人の家族に感謝。
少なからぬ人と同様、ぼくは基本的には椎名林檎のファンであり、東京事変も、あくまで椎名林檎の音楽活動の一つとして捉えている。 だから、東京事変の解散が「激烈なショック」というわけではない。ただ、そうは言っても、このバンドも随分と長く続いて、ライブもすごくしっくりと来るようになっていたから、やっぱり(かなり)寂しい。
前にも書いたが、東京事変のライブツアーには(正式な結成の前の椎名林檎名義のツアーも含めて)すべて参加している。 これで解散ということは、一つのバンドのツアーに最初から最後までつきあったということになる。 なんか複雑な気持ちだ。
ああ、でもやっぱり、最後の最後の武道館に行きたかった。昨日のを聴いたら、さらに行きたくなった・・・
集中講義以来の疲れが抜けていないぼくは基本的には受け身でコメントしたり質問したりしていたわけだが、いろいろと考えが整理されて有意義だった。 佐々さんは、あまりの多忙さと体調不良のために議論には参加できそうにないという話だったのだが、なんとか都合をつけて 3 時過ぎくらいにやってきてくれた。 最初は普段とは違っておとなしく椅子に座って人の話を聞いていたのだが、途中から「普通の佐々さん」に戻ってくる。だんだんと元気になってきて、黒板に数式や絵を描いて、勢いよく議論をしていた。 ものすごく楽しそうで、Christian も中川さんもぼくも、この佐々さんの生き生きとした姿を見ただけでも本当によかったなあと心から思った(←「おまいら佐々さんのファンなのかよ」って言われそうだが、まあ、そうなのかもね)。
数理物理・物性基礎セミナー(第 17 回)
日時:2012 年 2 月 11 日(土)14:00 〜 17:30
場所: 学習院大学南 7 号館 101 教室(道順)
Christian Maes (K. U. Leuven) Response relations out-of-equilibrium: from heat capacities to Sutherland-Einstein relations
京都での二つの大きな国際会議に招待されて来日中の Christian Maes にセミナーをしてもらいます。
非平衡系への数理物理的アプローチの中心人物の一人です。
休日ですがご興味のある方はぜひ目白へどうぞ。
二つの 90 分の講義で話せることは限られているが、Christian はよく計画した上で、前半はかなり丁寧に平衡近傍でのエントロピーの複数の役割について解説し、後半では、やや駆け足で平衡から遠く離れた系での彼らの仕事の一部を紹介した。 質問も活発だったし、Christian の丁寧な講義への反応もよく、(少し前の井上さんの講義とともに)このセミナーシリーズの一つの理想型が実現したんじゃないかという気がした。
セミナー後の 10 名ちょっとでの会食も実に楽しく(食事もお酒も美味しかった)、Christian はとても満足してくれた。
日曜日は休日だったのだが、めずらしく、本当に休日だった。 期末試験の少し前あたりからほとんど休む暇がなく、さらに集中講義でどっと疲れをため込んでいたので、どうしても休息が必要だったみたいだ。 なんか、だいたい寝て暮らしていた気がする。
ようやく疲れが取れたと感じたのは、昨日くらいかも知れない。
まずは、阪大の集中講義の残務処理。 講義ノートをすべて見直し、必要な修正をおこない、間違っていたところは差し替え、それをスキャンして表紙をつけて、専用ページで公開。
大阪大学での集中講義の記録ふう。
これが今日中に終わったのは喜ばしい。
ただし、講義ノートと言っても、文字通り、ぼくの講義のための手書きのノートなので、これだけ学習することはできないと思う。そもそも判読不可能な部分があるし、なんといっても、説明が圧倒的に足りないので。 やっぱり、これをもとにちゃんとした原稿を作るべきなのだが・・・
朝、
アマゾンから東京事変のライブ DVD「Discovery」とライブ CD「東京コレクション」が届く。 どちらも一昨日のライブ会場で売っていた。 アマゾンさんには、是非もう少しがんばってほしい。
CD 一曲目は涙もの。
そして、この DVD は素晴らしい。ライブの時のように、立って、リズムを取り、手を振りながら、鑑賞するのである。
一昨日のライブ、10 月のライブ(2011/10/6 の雑感)を思い出し、泣きそうになる。ていうか、涙出てしまっているぞ、俺。
10 月にも書いているが、これは素晴らしいツアーだ。 最初から最後まで、文句なく本当にかっこいいし、林檎ちゃんはものすごく素敵だ。
相変わらず毎日「東京事変」のライブ DVD をちょっとずつ見ている。 見るたびに泣きそうになる。
ツアー最後の 29 日は、やはり、どうしても我慢できない。 かといって、ダフ屋とか違法な取り引きサイトに金を出すのはイヤなので、映画館でのライブの生中継に行くことにした。
いや、14 日のライブに行く前は、まさか映画館にまで行くつもりはなかったのだ。でも、聴いてしまった以上、もう後へは戻れない。
当然、ライブと同じように、T シャツで立って聴くつもりでいるのだが、まわりの人たちも同じ気持ちだよね? ぼくだけ浮いたら困るし(←ていうか、一人で立ってたら迷惑だしね)。そこの、林檎ファンのあなた、どうですか??
既に何が何だかわからなくなりつつあるが、ざっとふり返っておこう。
そうそう。
Christian が帰り、事変のライブで骨抜きになり、次に何をしようかという風に一種の「真空状態」でオフィスにいる時に、急に出版社の担当編集の人がドアをノックして入っていらっしゃったのだ。 あわてて「今、やります」「すぐやります」「ほんとです」的な答えをしたわけだが、まんざらウソでもなく、まさにその時、机の上には印刷した分厚い本の草稿が置いてあったのだ。
というわけで、(まあ、他の雑用もしながら)ひたすら夜遅くまで部屋で本の原稿を直し、ときおり、卒業研究の仕上げに向けた議論やアドバイスをするという日々が続いた。
大きく離れた三つの章に及ぶ中規模な修正をどうするかがずっと懸案だったのだが、ものすごい気合いをいれて、ここの「正解」を見出して手術を敢行。これはわれながら偉かった。 勢いに乗って臨界現象の章の中規模な構成の変更も断行。これも偉いぞ。
そのまま走り続けて、卒業研究発表会の直前までに最後まで到達し、原に最終のチェックと修正をを依頼。
ほんの後一歩のところまで来た充実感は大きい!
ただし、「本の完成」まで「ほんの後一歩」ではなく、「ベータ版の完成」まで「ほんの後一歩」なのであった。 ベータ版についての告知はもうあと少し。
主任ではないから、運営の心配をする必要がなく、ずっと気楽。 とはいえ、ぼくは例外なく全てのトークを全力で聴き、他に質問する人がいなければ必ず質問することを心がけているので、疲れる、疲れる。
とはいえ、いつも言っているように、がんばっている若者と接するのは素晴らしい経験なのだ。
今年は、開始早々の最初のセッションで卒業研究の発表をした K 君の講演がぶっちぎりで素晴らしかった。 4 年生なのにバンバンと実験をしまくっていて、この競争の激しい分野で実に見事で美しい結果を出してしまっただけでも驚きだが、発表がまた猛烈にうまい。 何も知識のない人に自分の研究の意義と難しさを伝えるにはどうすべきかということをしっかりと理解しているんだなあ。 講演が終わるや、質問の前置きとして絶賛のコメントをしてしまう私であった(←誰も言ってくれないから自分で言ってしまうけど(←最近、この台詞が多いね)、何かが「いい」と判断したら間髪を入れずに高い評価を的確な言葉で述べられるというのは、ぼくのけっこう優れた能力の一つだと思っている。日本人って普通あんまり人をほめないでしょ。特に、その場では)。
けっきょく最初のセッションで話した K 君が、ぼくの中では今年の最高発表賞だった。 二位と三位は、ちょっと身内びいきかもしれなけど、理論物理グループの二人でしょうね。ま、ぼくが指導したわけじゃないんだけど。 修士の発表でも、理論グループの二人は素晴らしかった。特に、昔からのことをいろいろと思い出すと感無量。ま、こちらも、ぼくが指導したわけじゃないんだけど。
ぼくが指導したお二人は、今回もまたギリギリ土壇場の迫力満点の発表準備であった。 なんせ、あれができたのがあの日で、あの結果が出たのがあの日で・・・ しかし、二人とも飲み込みは異様に早く、また発表もやたらとうまい。直前になって構成や発表法についてアドバイスすると、たちまち飲み込んでしまい、本番の発表も堂々たるものだった。 まったく、直前にやってこれだけできるんだから、もっと早めに本格始動していれば・・・
かれら二人の発表の前の晩は、ぼくもずっと付き合って大学を出たのは 10 時過ぎだったか。 ずっと前から健康のためにカップ麺を食べないことにしているぼくも、こういう非常時だけはカップ麺を食べるのである。 化学調味料が前面に出たどぎつい味覚が脳天を直接に刺激する懐かしい感覚。
今日は挨拶だけのつもりだったが、高橋さんが、桂さん、高麗さん、甲元さんとの共同研究の話を Jean に説明するというのでヘロヘロと参加。 しかし、これがなかなかの盛り上がりで楽しかった。 Jean が数学的な部分にすばやくピントが合って的確なコメントをするのは驚かなかったが、実験の可能性を含めた物理的な部分についても鋭いコメントをするのは実に印象的だった。 いくつか大胆な解析法もその場で提案していたが、これにはなかなか感心した。 面白そう。
さすがにばてているので食事には行かないつもりだったが、Jean が魅力的な人だと知ったので、やはり皆でいっしょに食事へ。 疲れていたこともあり、ビールをカパカパと飲む私。 Jean との会話は予想通り実に刺激的で楽しかった。
学習院大学数理物理学セミナー
日時: 2012 年 2 月 24 日(金)15:00 〜
場所: 学習院大学 南 7 号館 4 階会議室
講演者: 森前 智行 氏(パリ東大学)
題目:Affleck-Kennedy-Lieb-Tasaki 状態での量子計算とその発展
使っている素材はすべて量子スピン系と完璧に同じなので、基本的なルールを教わり、「量子計算での方言」に慣れさえすれば、ほぼ 100 パーセント理解できる。 ただ、研究の動機の方向が、随分と違うのは面白い。 よく見慣れた同じ物語世界なのに、登場人物の話す言葉がぜんぶ別の言語に置き換えられ、さらに物語の結末も変わってしまったかのような、ちょっと不思議な親近感と違和感。
はじめて量子計算のレビューを研究会で聞いたとき、その場で、「エンタングルした状態の一部を上手に観測して状態を収束させることを応用した高速データ検索の量子アルゴリズム」という(よく考えると、色々な意味でアホな)アイディアを思いついて、そういうのはないんですかと質問したのを思い出す。 「量子計算のアルゴリズムで、観測を有効に使った例は一つもない」というのがその時にもらった答えだった。 (いや、別に「田崎は measurement based quantum computation のアイディアを先駆けて持っていた」などという伝説を作るつもりではありませぬ。よく覚えていないけど、本当にアホなアイディアだったと思う。)
この日も講演者を囲んで、食事をし、軽くビールと日本酒を飲む。
第113回学習院大学スペクトル理論セミナー
日時: 2012 年 2 月 25 日 (土)16:00 -- 17:00
場所: 学習院大学 南 4 号館 205 号室
講師: Jean Bellissard 氏(Georgia Tech)
題目: Atomic Motion and Transverse Geometry of Tiling Spaces
本人にも言ったが、前半の例題と非可換幾何を使った後半の壮大なアプローチのあいだのギャップは気になる。とはいえ、Jean の力強いビジョンと圧倒的に楽観主義に触れられたのは楽しかった。
甲元さんもセミナーに来て、数学のみなさんともども食事へ。 三日連続の外食と飲み会なので控えようと思ったが、日本酒をいっぱい飲んで、三日間でもっとも酔っぱらってしまった。
Jean とは、池袋から目白までいっしょに歩いて話をし、お別れ。彼は翌朝ドイツに向かう。
ちょっと飲み過ぎたせいか眠りも浅く、そもそも、疲れが蓄積して、ヘロヘロ。
朝、起きて朝食を取った後、また寝る。
起きて昼食を取って、少し仕事をした後、また寝る。
ほとんど赤ん坊のように寝て暮らす。
ほとんど仕事らしい仕事はしなかった。 日記を書こうと思い立って頭に文章を組んでも、それをタイプする時間も根性もなく、けっきょく一行も書けないほど。 (だから、これは次の日に書いているわけだけど、そんなこと、言わなけりゃ誰にもばれやしねえぜ。へっへっへっ。)
夜になって、ようやく普通の疲れ具合にまで回復。さあ、次は、まったく別のことにピントを合わせなくてはいけない。
さて、Christian のセミナー(15 日の日記)が大成功に終わった数理物理・物性基礎論セミナーの次の講演者は、IPMU の立川さん。
数理物理・物性基礎セミナー(第 18 回)
日時:2012 年 4 月 10 日(土)14:00 〜 17:30
場所: お茶の水女子大学理学部1号館2階 201 室
立川 裕二「インスタントンの量子力学と二次元共形場理論」
立川裕二さんについては、ぼくに教わるまでもなく、ものすごくよくご存知の方も多いと思う。 まだまだお若いけれど、既に様々な業績で知られている俊才である。 たとえば、代表的なお仕事の一つである"AGT conjecture" で Google 検索して 検索結果の多さに驚いてほしい。 かの有名な "AKLT model" での検索結果(←実は初めて検索した)よりもずっと多いではないか。
しかも、知り合ってからかなり長いあいだ、現実世界では出会わない、ヴァーチュアルな知り合いだったというのも愉快。 当時、ぼくが出入りしていたネット上の某所に、立川さんと二人の同級生も出入りしていて、ぼくらは何やかんやと雑談する間柄だったのだ。
ちなみに、2005 年 3 月 24 日の日記に(←ひえ〜、調べてびっくり。もう 7 年も前だ!)、
ストリングのセッションで、ネット上で以前から知り合いだったお二人と初対面を果たす。と書いてあるが、これが立川さんと、もう一人(こちらは、2010 年 6 月 1 日の「10 周年日記」の下のほうに「A 君」として出てくる人。今は在米で活躍中の高エネルギーの優れた理論家である)とのリアルでの初対面の記録なのであった。 ちなみに、(物性の研究者として着々と名を上げている)もう一人の同級生と会ったのはもっとずっと後。 数理物理夏の学校で講演したあとに自己紹介され、最初はピントがあわず、「ええと、ひょっとして、ハンドルネームは?」、「k・・・・・です」、「おお、やはり、君か。懐かしい」という会話を交わした。 かれとは、その後も、ちょくちょくと会っている。このあいだは、インド料理屋に連れて行ってもらったよ。
言うまでもないわけだが、そこから先は色々と込み入った事情が(自分でも今一つ把握しきれない具合に)生じまして、ぼくは 3 月 10 日の立川さんのセミナーには出席できないのであった。立川さんにも、他のセミナー主催者にも申し訳ないが、それ以上に、自分でも残念でならない。しくしく。
実は、まったく別の範疇の話で、ずっと前から以下の講演をすることを引き受けていたのだが、そちらの日程を調整していった結果(ぼくの都合など諸般の事情があって)、けっきょく 3 月 10 日以外に解がなくなってしまったのだ。
やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識
去年の 3 月の原子力発電所事故で飛び散った放射性物質とは、これから先、何年も何年もつきあっていかなくてはなりません。ここでは、放射能について考えていくための基礎的な知識をなるべくわかりやすく話そうと思います。【日時】2012年3月10日(土)15:30(15:00開場)~17:30時頃終了予定そもそも放射能とは何なのか、なぜ放射能にはふつうの「常識」が通じないのかといったことを、できるだけ正確に解説します。また、私の専門ではありませんが、放射能が私たちの健康にどう影響するかについても、何がわかっていてどのような考えがあるのかを、なるべく客観的にまとめてみるつもりです。
これからの日本で放射能と向き合って暮らしていくための「新しい常識」を作るひとつのきっかけになればと願っています。 田崎晴明
こんなところにしゃしゃり出ていっていいのかと随分と悩み、いったんはお断りし、主催者の方とも何度も何度も相談した。 その結果、ぼくが少しでも貢献できそうなことがあると判断したので、引き受けようと決意したのだった。 ともかく、「放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説 」みたいなものを公開している以上、ぼくがお役に立てる可能性があり、また現実的に可能なら(本来の教育、研究に多大な支障がでてしまうのは避けたい)、引き受けるべきだろうと考えることにしたのだ(このあたりは、大晦日の日記(の紅白の感想のあと)でグジグジ書いていることと同じですね)。
読みかけだった ICRP 99 の必要箇所を読み終え、その他の何冊かの本を読み始める。 「つながろう柏!明るい未来プロジェクト」の過去のシンポジウムや講演会の録画を見る。
専門家や本気で政治に働きかけている人たちのお話を聞いていると、「ああ、だめだ、ぼくなんか素人だし、本気で活動しているわけでもないし、何も言うことなんかない」と激しく落ち込む。さらに、参加希望者からの具体的な質問を読むと、「ああ、この人たちはぼくよりも詳しいくらいじゃないのか。ぼくが教えられることなんか何もない」と逃げ出したい気分になる。
が、そこはよくしたもので、少しすると、徐々に自分のやるべきことが見えてくる。 やっぱり、何を考えて行くにせよ、基礎になるしっかりした視点を提供するのは大事なことだ。 別に「基礎を知ったらすべてわかる」とは言わない。ただ、「どれくらいわからないか」ということ、「なぜわらかない部分(とわかっている部分)があるのか」ということについても、やっぱり放射線についての基礎に立ち返って考える視点を何とか伝えてみたい。 前から言っているように、これは長期戦であり、ぼくらは新しい時代の新しい常識を(イヤイヤとはいえ)作っていく必要があるのだから。
おまけに、当日は、あの野尻美保子さんもいらっしゃって、いっしょに質疑応答に答えてくれることになっている。 これは心強いですよ。 だいたい質問には野尻さんが答えて、難しいことを言いすぎたらぼくが通訳する --- みたいな流れになるんじゃないかと勝手に想像している。 あと、野尻さんも短めの講演をしてくださるようだし、当日の参加者はむしろそっちを期待している人が多いんじゃないかと推測するのであった。
東京に大雪が降った、長い一日。
朝早く成田にむかう森前さんからゲストルームの鍵を受け取るべく、6 時台に起きて家を出る。 すでに歩道には雪が積もっていて歩くとやたらと時間がかかりそうなので、折良くやってきたバスで出勤。
天気がよければまた家に戻って朝食なのだが、移動するのは大変なので目白駅の前の喫茶店でモーニングサービスの朝食。 学習院に来て 20 年以上だが、目白の喫茶店での朝食は初めてかもしれない。
右の写真は 7 時台の大学の中。
今から思えば、まだ降り始めで、この後、もっともっと積もったわけだが。
色々と仕事や調べ物をしていたのだが、印刷をしていたところ、プリンターが「トナー交換」という表示を出して突如停止。 別に印字が薄れているわけでもないのだから、がんばって印刷してほしいと思う。 少し前のレーザープリンターは、トナーがなくなって薄くなりムラが出ても、根性で印刷を続けたものだぞと説教しようにも、最近のプリンターにはそういう気合いはないみたいだ(し、説教を聞く耳も持たないわけである)。 最近は印刷する量がめっきりと減っているので、まさか、こんな日が来ようとは思っていなかった。 換えのトナーもないぞ。
雪の影響だろう、山手線の運行もなんとなく不安定で、ささやかな非日常感がある。 (変更後の)予定通り、池袋でラーメンを食べ、ビックカメラでトナーを購入。 至る所が雪だらけなので、サンシャイン通り方面にあるラーメン屋へと行って戻るだけでもやたらと時間がかかる。
家に着いたら、まずは、家の前の道路の雪かきをする。 ちょうど雪がやみつつあり、雪かきには絶好のタイミング。 すでに気温はかなり上がっているので、雪をスコップですくうのは楽だが、量が多いし、重い雪なので、雪を道路の反対側に運ぶのが大変だ。
ほどよい午後の運動だった。
「東京事変」の最後のライブである。
今回のツアーでは初日のチケットしか取れなかった(15 日の日記を見よ)わけだが、今日もどうしても見たいので、映画館でのライブの生中継を見るべく六本木へ。 ヒルズの映画館集合体の中でも三つのスクリーンを事変のライブの中継に使っていて全て満席だったようだ。 100 カ所以上の映画館でやっていたそうだから、なんという人気。
そういう人たち(ぼくを含む)は、当然、ライブのときと同じスタイルで立って見たかっただろうと思う。 実際、ライブが始まるぞというあたりで、「立っていいのかな」的に後ろを見渡して悩んでいる風情の人が少なからずいた(ぼくを含む)。 でも、半分くらいの観客はそこまで異常な思い入れはない普通の人たちだった感じなので、けっきょく誰も立たなかった。 六本木のお洒落な映画館でビールを飲みながら軽く見ようと思ってきたのに、前の人が立つからというので、無理に立たされるのもかわいそうだしね。 まわり(というか後ろ)の事をいっさい考えず「立ちたいから俺は立つ」みたいな無謀な人はいないところも(ぼくを含む)椎名林檎ファンらしさと言えよう。
もう、最初の「生きる」を林檎ちゃんがオーケストラをバックに歌い始めただけで、不覚にも、目に涙が浮かんでしまう(ぼくが林檎ちゃんとかについて書いていることを読んでいる人は、泣いてばっかりの情けないおっさんだと思っているかもなあ。普段は、別に泣かないんだけどねえ)。
横浜アリーナで聴いたときとはまったく比較にならないほど明瞭に演奏が聞こえる。 「あ、そうか。こんなことをやっていたのか」と随所でぞくっとする。 映画館の大きなスクリーンには、武道館のステージの様子がきれいに写っている。大した技術だ。 横アリではステージはほとんど見えなかったからなあ。こんな衣装で、こんな表情で、こんな風に歌って演奏していたんだ。
横アリで聴くまでこの曲のことは全く知らなかった。 初めて聴いて、「なんだ、この知らない、すごくいい曲は!」と戦慄し、あまりの素晴らしさに涙が出てしまった(いや、だから、別に泣いてばっかりのおっさんじゃないんだけど)。 「ここでキスして」を初めて聴いたときの衝撃に少し似ているけれど、こちらは、「ここキス」よりも、もっと柔らかく、もっと甘美で、もっと女性的で、それでいて、素直にロックもしている。
ライブが終わったあとで曲名を知り、栗山千明が歌うバージョン(←演奏は東京事変のメンバーらしい。PV では違う人たちが出てるけど)を聴いていた。 ほんとうに、林檎ちゃんにしか書けない、素晴らしい曲だと思う。今の彼女がこういう曲を作れるということに心から感動してしまう。そして、(千明ちゃんバージョンももちろん悪くはないけど)この曲の林檎ちゃんバージョンを再び聴きたくて、聴きたくて、聴きたくて、それが(別に暇じゃないのに)映画館のライブ中継に是が非でも行こうと思った動機の一つだった。
今日の演奏も期待に違わず素晴らしかった。 必死で頭と心に焼き付けたつもりだけれど、でも、また聴きたい。早く DVD 出して。 林檎ちゃんには(照れずに)どんどんこういう曲を作って歌ってもらいたいなあ。
本当に最後まで素晴らしいライブで、映画館組とはいえ、心から盛り上がった(MC で映画館組に呼びかけてくれた伊澤さんへの評価が一気に 20 ポイントアップした!!)。 どんな遠い席でもいいから武道館にいたかったという気持ちは最後まで消えなかったけれど、でも、中継を見にいって本当によかったと思った。
早起きの長くイレギュラーな一日だったので、早めに風呂に入って寝床に入る。 寝る前に、iPod でライブアルバム「東京コレクション」から、今日も演奏した曲を聴いていると、思わずまた涙が・・