茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
風邪は完治したはずなのだが、なかなか本調子がでないぞ。
講義のときなんかは、元気なのだ。 それ以上に、学生を前にして教えているうちにどんどん元気が出てきて、講義のあとに残った学生と(物理のことや、そうでないことについて)話をしているときなんか、(馬鹿じゃないかと思うほど)すごく明るくて元気なおっさんになっている。 ちょっと「くさい」言い方になってしまうけど、「人に物事を伝える喜び」っていうのは、純粋にぼくらのエネルギーになるんだと思うなあ。
けど、まあ、週末くらいになると、疲れが蓄積していて、動きが鈍い。 国際会議が迫ってきて、大量のメールを書いて、書類も作り始めている。ま、そういう短距離的なことは能率的にできるかな。 ただ、それ以上に、ちょっと面倒なことやろうと思うと、妙に腰が重いのだ。 ダメだねえ。
などと情けないことを書いていないで、最近のことを二件。
数理物理・物性基礎セミナー(第 29 回)
日時:2013 年 6 月 1 日(土)14:00 〜 17:30
場所: 学習院大学南 7 号館 101 教室(道順)
福島孝治(東京大学大学院総合文化研究科)「スピングラスのレプリカ理論とその周辺」
次回は駒場の福島さん。
ものすごく能率的なモンテカルロシミュレーション法の開拓などでも有名な福島さんですが、今回は、真正面からスピングラスの物理について解説してくださいます。
これは、またとないチャンスなので、ランダム系とその周辺に関心のある若い人たちはお見逃しなく!
終わったあとの打ち上げで、まる二週間ぶりにビールを飲んだ。
福島さんともゆっくりと話せてよかった。 かれの研究の中で、スピングラスの物理を追いかけることと、斬新で効率的な計算アルゴリズムを作ることがどう関係しどう位置付けられているかみたいな話も聴けたのは収穫。
この打ち上げではもちろん福島さんが主賓なのだが、かれはたいへん気が利く人なので、人のグラスにビールを注いだり料理の皿をまわしたりと、まるで主催者のような活躍ぶり。 会計を頼んだときも、お店の人が迷わず福島さんに伝票を渡そうとしたのが印象的であった。
このセミナーの打ち上げにしては珍しく、場所を変えての二次会も。 いよいよ深い話をしてしまう。
多くの人たちから、普段は聞けないタイプの話をいろいろと聞かせていただいた上に、市内の何カ所かも案内していただき、学ぶことのきわめて多い、実に有益な訪問になった。 ありがとうございました。風邪が治って行けてよかったです。
まだまだ消化すべき「宿題」だらけだが、以下、郡山訪問で学んだこと・考えたことのほんの一部を箇条書きにまとめておく。
郡山に行ってみると、実際、それくらいの線量率のところも多いのだが、もっと高い場所もあることを知った。 たとえば、閑静な住宅街の中の道路で測って 0.6 μSv/h がずっと続くというところもあった。 右の写真は、公共施設の駐車場横の遊歩道の脇の茂み。 腰くらいの高さに線量計を持っていて、それで約 1.5 μSv/h だった(ぼくの Radi は校正はしていないのだが、他の測定器と比較して、大きな狂いはないことは確認してある)。
放射線の本にも書いたことだが(そして、ぼくなんかが言うまでもなく、多くの人が言っていることだが)、行政というのは、微妙な局面では「気にする」立場に立って、できるかぎり慎重にふるまうべきもののはずだ。 つまり、この場合なら、もしかしたら年間 10 mSv や 20 mSv の外部被曝をする人がいるかもしれないという可能性を危惧して、真剣に調査をおこなうべきなのだ(そして、そういう人がみつかったら、最優先で除染などの対策をとる)。
詳しいことは知らないので断定ではできないが、今の郡山市での個人線量の測定は、「(ごく少数かも知れないが、存在するかもしれない)被曝量の高い人を発見する」ためではなく、「気にしている人たちに測って安心してもらう」ために実施されているという印象をもった。 学校で希望すればガラスバッジを貸し出してくれるのだが、測定期間中は児童にわりと詳しい一日の行動記録をつけることが求められる(←まあ、真面目に言えば、それは必要なんだろうけど、バッジをつけるためのハードルが高くなるのは確かだと思う)。 「気にして」生活している家庭の子供たちのほうが検査をうけやすい傾向があると考えていいだろう。
と、こんな日記にひっそりと書いているだけでは意味はない。 然るべき人に、しっかりと主張を届けることを考えなくては・・・
WBC(ホールボディーカウンター)の内部被曝の検査結果もみせてもらった。
【以下の記述は、私の確認不足から来た誤解のようです。お恥ずかしいかぎりです。不正確な情報を発信し、たいへん申し訳ありませんでした。以下、不正確だった部分を線で消して、その下に正確なことを書きました】
しかし、みんな年間「1 mSv 未満」と書いてあるだけ。
県の公式の検査(←ちょっと不正確な表現かもしれない)だけではなく、ひらた中央病院に自主的に受けにいった検査結果もやっぱり「1 mSv 未満」となっている(そして、その横には、よく見かける被曝量の比較の図。「100 mSv 以下の被曝では影響が確認されていない」とも書いてある。それは正しくないと思うが・・)。
「年間 1 mSv 未満」という伝え方がほぼ無意味なことは多くの人が主張し続けていること。
交通事故で死んだ(←うろ覚え)イノシシを鍋にして食べていた人も、警戒区域からもってきた原木でシイタケを育てて食べていた人も、体内のセシウムの量は飛び抜けて高かったが、それでも年間の被曝の推定量は 1 mSv 未満だ。
日本中全員に同じ「測定結果」を返す測定では意味がないだろう!
後日、より正確なことを教えていただいたので、書いておく(たいへん、ありがとうございました)。
以下は、郡山市保健所が実施した検査結果の通知の場合。
通知の表には、まず、Cs-134 と Cs-137 それぞれについて、「測定値(Bq:ベクレル)」という欄があり、ここには「検出されず」とある(もっとも重要な情報!)。 そのすぐ右に「預託実効線量(mSv:ミリシーベルト)」という欄があって、そこには単に「1 未満」とある。 また、その表の下には、例の「100 mSv 以下では癌の過剰発生が見られない」とか書いてある図があって、その右側に「あなたの体内の放射性物質の測定から、1 年間日常的に摂取することにより受けると思われる線量は約 1 mSv 未満と推定しました」という(決して日本語として明瞭とは思えない)記述がある。
さらに、裏面に行くと、参考 1 として、今回の検査の検出限界が記されていて、さらに参考 2 として、「平成23年3月12日から検査日前日まで毎日同量ずつ経口摂取(日常的な摂取)したと仮定し、この量を1年間摂取した場合の預託実効線量が 1 mSv となる場合に、体内に存在する放射能量」とあって年齢ごとの平衡量が書いてある(この文章だけを読んで意味が分かる人はいないだろう。詳しくは、ぼくが書いた解説「食品中のセシウムによる内部被ばくについて考えるために」あるいは、「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識 」の 6 章をご覧ください)。
というわけで、表の「検出されず」を確認してから、裏の検出限界をチェックすれば、体内の放射性セシウムの量の(もっとも悲観的な)上限が分かるわけだ。 さらに、「参考 2」の数値と検出限界を組み合わせて自分で計算すれば、最悪の場合の(放射性セシウムによる内部被曝からの)年間の預託実効線量がどの程度かがわかるという仕掛けだ。実際に計算すれば、0.01 mSv とか、そいういうオーダーの値になる。
それはそれでいいんだけど、これはかなり不親切な気がする。 なぜ、「預託実効線量が、最悪でも、どれくらいか」の計算を自分でやらなければいけないんだろう? というより、こう計算すればいいと知っている人なんて、ほんのわずかだと思うよ。ぼくだって、解説や本を書くために勉強したから計算できるわけで、予備知識がなければ何をどうしていいかわからなかったと思う。
そして、なぜ「約 1 mSv 未満と推定しました」などということを書くんだろ? 交通事故で死んだ(←うろ覚え)イノシシを鍋にして食べていた人も、警戒区域からもってきた原木でシイタケを育てて食べていた人も、体内のセシウムの量は飛び抜けて高かったけれど、それでも年間の被曝の推定量は 1 mSv 未満なんだよ。 実際、この測定からの推定値は、もっとずっと低くて、0.01 mSv 未満とか、それくらいになるはず(細かい数値は年齢による)なのだから、そっちを伝えればいいじゃないか。 あくまで「1 mSv 未満」と言い続けることに何かこだわりがあるというのだろうか?
郡山市での除染では、家の屋根や壁の洗浄はしないそうだ(平らな屋根、また、6 畳以上の広さのベランダは洗浄の対象)。 基本的には庭の表土を剥ぐ。
ただし、剥いだ土を持っていく先はないので、当面は同じ家で保管する。 庭が広い場合には、庭の一部に穴を掘って、フレコン((フレクシブル・コンテナ)という一種の袋)に詰めた汚染土を地中に埋める。 どこに埋めたか印をつけておき、数年後までに再び掘り出して貯蔵施設に移動するという約束らしい。 それほど庭が広くない場合は土管のようなものに汚染土を詰めて、それを庭に置いておくらしい。 なかなか大変である。
z 街では至るところで除染作業をしている。 住宅街を通過していくと、あっちの家で、こっちの家で、作業の人の姿が見られる。 大きな道を走っていても、あちらこちらの土地に重機が入っている。 おそらく、全国から除染作業の人たちと重機が郡山市にやってきているのだろう。
この時間、それぞれの家庭から夕食を煮炊きする匂いが漂いだしてくる。いい感じだ。
しかし、さっさと元気を回復して、プールに通いたいものだ。
明日の「現代物理学」の準備。
先週の最後に色々と質問が出たところを補完するためには、やはり、Liouville の定理を思っていたよりもきちんと解説すべきだなあと考えているうちに、そこまでやるなら Jarzynski 等式も(確率過程じゃなく)N 分子のハミルトン力学系でやってしまえばいいではないかと思い立ち、ここにきて、先のほうのシナリオを大幅に変更することに突如として決定! ま、一人でやっているんだから、ここに書かなければ方針変更したこともばれないんだけどね。 考えてみれば、今までの流れの延長としてもこれは十二分に自然だし、知識として伝えるにも、このほうがずっと「正統」なのだよな。
さあて、しかし、明日をいれて残りは 5 回。 多変数関数の微分なんかが出れば(一年生向けに)いちいち解説をするわけだし、進路は決して早くない。 果たしてデーモン君は登場できるのか? がんばろう。
それまでの時間は何をしていたかというと、(妻が仕事だったので)夕食の支度はしたが、それ以外には、メールを書いたりといった情けない雑用以外は、ほとんど何もしていないのだなあ。 ちょっと自分でも驚くほどに生産性が低い。 病気というわけじゃないけれど、明らかに体調も精神的なパワーも低調なのである。 土日の休息で回復してバリバリ仕事が再開できるつもりだったのだが、こりゃ困ったもんだ。
だいたい、ぼくの日記は、アホのように元気に物理をやったりライブに行ったりする様子を描写するのが主だったので、こういう低調な日にはどうやって日記を書いたものか戸惑ってしまう。 しかし、年をとっても日記を続けようと思ったら、そういう状況にも対応しないといけないんだよな。老後に向けてあらたなスタイルを模索せねば。
不正確な情報を伝えてしまい、申し訳ありません。
先週の週末は「半病人」だったが、かなりマシになってきている。 とはいえ、5 月前半のアホみたいな元気さとはほど遠いのだが。
昨日は濃厚な一日だったので、日記を書いておこう。
なかなか音楽を聴く気にもならなかったが、悩んだ末、Zabadak でもパスピエでも Perfume でも林檎でもなく、グールドのゴールドベルク変奏曲(しかも最後のやつ)を聴くことにした。
これは正解だった。精神=肉体の深いところが秩序化され暖まる感覚。
少しずつだが、楽観と精神的昂揚というぼく本来の「固定点」にゆっくりと戻っていく。
ちなみに、ぼくたちの世代は、人生のある時期(ぼくの場合は大学院の頃)に、それまで集めた LP レコードが(実際問題としては)聴けなくなり CD に切り替えるという体験をしている。 グールドのゴールドベルク変奏曲(の最後の録音)は、何を隠そう、ぼくが CD に切り替える決心をした直後に買った二つ目の CD なのである。 (一つ目は、まあ、あれです。)
信じがたい超絶技巧の濃厚・高密度な音楽。 これを、すぐそこで生きた人間が生で演奏しているという実感はやはりすごい。 こちらの感じる時間さえ濃密になる感触があるし、難曲の難所がピタッと決まるのを聴くのは本能的な快感でさえある。 大げさかもしれないが、聴きながら「生きてきて良かった」と思えるレベルのライブだった。
にわかファンだがほとんどの曲を知っていたし、特に、聴きまくっていた「12月の午後・三部作」や「鏡の森」を生で(少しずつ新しいアレンジで)聴けたのは至高の喜び。
先ほどまでステージ上で神のような演奏を披露してくれていた人たちと向き合って飲んで話す違和感のすさまじいことよ。 そもそも、ぼくの音楽コンプレックスは尋常ではなく、音楽ができる人にはいつでも無条件に憧れてしまうのだ。 今日は、またレベルが桁違いである。
考えてみれば、ノーベル賞科学者とぼくの(科学の能力での)隔たりに比べても、かれらとぼくの(音楽の能力での)隔たりはずっとずっと大きいだろうから(←ぼくの科学者としての能力が高いと言っているのではなく、音楽の能力が低いと言っているのですよ)、強い畏怖・憧れを感じるのもむべなるかな。 ありがてえことじゃ。