茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
いよいよ暑い。
しかし、かなり元気だ。 この一週間くらいになって、ようやく元気が戻ってきた気がする。 年度末に向けて(国際会議とか特別なことじゃなく、定番の)もろもろの仕事も着々とやっているし、研究も派手ではないがコンスタントに頭をつかっているし、他の人の仕事も少しずつ勉強する余裕ができている。 プールに行く余裕はないが、筋トレはやっている。さっきも汗をダラダラかきながら腹筋(50+25)、背筋(50)、腕立て(50)をした。 しかし、5 月冒頭の「無敵感」(5/26 の日記)のあとに、激しい揺り戻しが来て、最悪の体調に陥ってしまった教訓を忘れてはいけない。 これから先、大学院入試、二つの国際会議(しかも、二つ目は世話人)、期末テストなどなどがあるわけで、無茶は避けて暮らしている(というわけで、放射線関連の活動は完全停止中)。
そうそう、前のボース系の秩序の論文は、
Polar and Antiferromagnetic Order in f=1 Boson Systemsに載った。そのうち、この一つ前の Katsura-Tasaki と合わせて簡単な解説を書きたい。
Phys. Rev. Lett. 110, 230402 (2013)
あと、原と Goldsetin と準備していた論文も、色々と手直しを続けて、プレプリントを
On the time scales in the approach to equilibrium of macroscopic quantum systemsに公開した。 原が(もっとも重要な)定理 1 を示し、ぼくが(それと対をなす)定理 2 を示し、Goldstein がそれら(とくに、定理 1)に本質的な改良を加え、そして、三人で徹底的に議論を重ねて書いた、本格的な collaboration だ。 マニアックな論文だが、さて、孤立量子系における平衡への接近における時間スケールの問題を真摯に研究するための端緒となるか。
Sheldon Goldstein, Takashi Hara, Hal Tasaki
早い物で、明日が最終回だ。 しっかし、この講義は、終盤にさしかかったあたりから、やっている本人もまったく予期していなかった展開を見せ、なんか、かなりすごいことになっている。 1997 年の仕事である Jarzynski 等式を完全に導出したのなどはまだまだで、その後は、2010 年のフィードバック系の Sagawa-Ueda 等式をやり、さらに、そのまま勢いづいてメモリーへの書き込み(= 観測)と消去プロセスの Sagawa-Ueda 等式もやっているのだが、こっちに至っては 2012 年の仕事だと沙川さんに教えてもらった。 もちろん、この講義に出る学生(基本は、駒場の一年生、二年生。「大きいお友達」もいるけど)は量子論や確率過程は知らないので、Sagawa-Ueda の話は、すべて孤立した古典系の問題に焼き直して話している。 このバージョンでの証明は、たぶん、まだどこにも書いていない(まあ、答えがあるわけだから、やればできるんだけどね)。
そして、明日の最終回で話す「フィードバック系とメモリー系をあわせた系での統一的な J 等式、二つの S-U 等式」は、Sagawa-Ueda のアプローチの一つの本質を体現するきわめて重要な結果だと思っているのだが、これは、2012 年の Sagawa-Ueda のプレプリントにだけ書いてある(出版されたバージョンでは消えている)という幻の(?)結果なのである。 明日は、この結果の、そして「沙川分解」の重要性について強く強調する予定。
講義を始めたときには、こんな風になるとはまったく思っていなかったし、そもそも、沙川さんらの結果をここまで深く理解していなかった。 どうすれば一年生にも沙川さんらの最新の結果とその意義が伝えられるかということを悩みながら、もっとも見通しのよい孤立古典系の設定でじっくりと考え、そして(これが何よりも素晴らしいことだが)沙川さんに間近に色々と教えてもらい議論してもらって、道がぱーっと開けた気がする。 個人的には、沙川さんの話を数年前に始めて聞いてから、ずっとひかっかっていた複数の疑問点が(少なくとも、ある極限的な設定を認めれば)ほぼ完全にすっきりと解消したとさえ思っているのだ。
ま、そのあたりは、また何らかの形で。さしあたっては、明日の講義をしっかりと終わらせなくては。 やはり、最終回は気合いをいれて、2013 年版の LSG(Perfume ファンクラブの T シャツ)で行くか!
さて、日記の続きを書く暇もなく京都にいる。 統計物理と情報処理についての国際会議に出ているのであった。
京都に来るまではかなり大変だった。 会議には全力で参加したいので、片付けなくてはいけない用事を指を折って数えて端からこなしていく日々。 おかげで、なんとかなったかと思ったが、12 日が締め切りの物理学会の予稿が残っていた。 シンポジウムなので、出さないわけにはいかない(っぽい)。 けっきょく、出発の水曜日には、朝から講義をし、色々と仕事をし、夕方には学習院全体の人事委員会に出て、それから家に帰って荷造りをして、夜の新幹線に乗り、駅弁をあわてて食べて、あとはひたすら車中で予稿の原稿を書き、ホテルについてからも続きを書き、深夜にシンポジウム関係者に草稿を送ってコメントを求める --- という「働くおじさん」ぶりを発揮することになった。
今回の会議は、もちろん世話人とかじゃないし、講演もしないし、ポスター発表もしない。 ひたすら学んで考えるために出席したので、粛々と寡黙に講演に耳を傾けるのである --- というのは、まあ、ウソで(講演しないのはホントだけど)例によって図々しく質問したりコメントしたりして、うるさく、大人げなく過ごしている。
今回の会議は、素晴らしいまでに若手主導で運営されていて、ぼくよりも ずっと ちょっと若い、敬愛・尊敬する友人たちが世話人をつとめている。
参加者も若者が多く、とてもよい雰囲気だ。
「若い人は積極的に質問・発言してくれ」と主催者が言うので、ぼくも、
他にも、普段は触れない機械学習関連のテーマもあって、頭の体操としてはものすごく楽しい。ポスターセッションからも素晴らしい収穫や知的刺激があり、また、知り合っておくべきだった人たち何人かと新たに知り合いになれた。うれしいことです。 また、学習関連で、ぼくの旧友である渡辺澄夫の仕事が言及されているのはとてもうれしいことだった。 思わず、「ぼくの友達なんだ」と言ってしまう(←誰かに言われる前に言ってしまうけれど、こういうリアクションの仕方は、ぼくの指導教員と似ていると自分でも思う。こういうのは、かれの中の、ぼくが好きな側面なんだから、影響を受けたと素直に認めるべきだろうなあ)。
同じホテルで日記の上の部分を書いていたのなんて遠い昔のようだ。 あれから基研に行って、今日も、すべての講演を本気で聞いて、いっぱい質問やコメントをして、それ以外の時間にもたっぷりと議論した。 昼食に行って大雨に降られたのも、今日の出来事なんだよなあ。
夕食の後は、中川さんの提案 + 案内で、Jarzynski 夫妻、Crooks、Esposito、Horowitz、沙川さん、伊藤さんとで、(明日くらいから始まる)祇園祭の前夜の雰囲気を観光すべく夜の街へ。 街は既にかなりの人出で賑わっている。
右の写真のような鉾(ほこ)が色々なところで出番を待っている。 ぼくらも、500 円を払って、この鉾(「鶏鉾」というそうです)の上に上がって(短いながら)観光客気分を満喫したのであった。
今日も早く寝よう。
京都からは昨夜遅く帰還。
本当に楽しい研究会だった。 若い人たちが一生懸命に企画・運営してくれているところにぼくみたいなおっさんが行って、自分は何も貢献せず、ひたすら楽しく話を聴いて質問して議論して楽しんでしまって申し訳ない気がするくらいだ。 それなりに議論を盛り上げる役には立ったと思っているけど、そのあたりの微妙なバランスを失いたくない。 「変なおっさん」なのは仕方ないけど、若い人にとって迷惑過ぎる年寄りにならないよう注意し続けたいものじゃ。
研究会の冒頭の Chris Jarzynski の講演もデーモンを自動化して作るという話。 ぼくが質問して、かれの考察しているのは一種のエントロピーエンジンであり、「マックスウェルの悪魔」が行なうべき(だとぼくが思う)観測やフィードバックをしていないということを取り上げた。そして、
Of course you can call it a demon, but ... it's not romantic.と続けた --- 沙川さんなら同じことをもっと定量的に言えるだろうけれどと付け加えつつ。
その後も、いったいどこまで「知的」であればデーモンと考えるべきかといったことが(コーヒーの間などに)くり返し話題に上った。
ぼくも、誰かがデーモンっぽいことを話すたびに、「どれくらいデーモンらしいか」ということを自分なりの基準で一生懸命に考えて聴いた。 講演者が「これは、デーモンじゃない」と先走って言ってくることもあった。 「デーモンだ」と言っているのだが、どこにもデーモンらしき仕掛けもなく(単に原子が自発的に光子を出して下の準位に落っこちるだけの話だったから)「デーモンはどこにいるの?」と質問したこともあった。 Jordan の講演で出てきたデーモンについては、どうしても理解が追いつかず、「デーモンか否か」の判断は保留になってしまった。
そんな感じに進んで行き、最終日の午後の Massimiliano Esposito の講演は、"On the thermodynamic cost of sensing in autonomous systems" というタイトルだったんだけど、初日からの流れを受けて、
Post-romantic perspective of Maxwell's demonという副題がつけ加えられていた! (「機械仕掛けのデーモン」には情報処理のロマンを求めすぎず、エントロピーを仕事に変える様子を粛々と見ればいいという思想を明確に示したっていうこと。) こういう軽いお遊びは楽しいよね。
学期末に向けて、けっこう忙しいのだ。そして、そろそろぼくらの研究会に向けて本気でピントをあわせなくてはね。
がんばろう。
ああ〜、やっぱり、さすがに忙しい。
この前の研究会から戻った後は、さすがに研究らしいことはまったくしていない。 ひたすら、前倒し、前倒しで、やれることをひたすらやり続けている。 なんぜ、8 月 5 日の重要会議の準備が既に完璧にすんでいるという恐ろしさ。それも、別に余裕でも何でもなく、そのタイミングですませないと破滅的だと完璧に理解して、必死でやったということなのだ。
で、その晩から、ひたすら採点。 土曜も採点、日曜も採点。採点マシンと化す。
あ、それでも、途中でマシンをやめて、投票に行く。
そして、また、採点、採点。
なんと、理系の学生に混ざって、文科 1 類(主に法学部に進む)の 1 年生がレポートを提出している。 おお、数学がちゃんとできる人なんだ。そして、Sagawa-Ueda 等式を証明しているではないか! 日本の未来に(少しだが)希望をもとうではないか!
みなさん、確率のところも、フィードバック制御のところも、いろいろと考えて計算してくれていて、楽しいぞ。 完全に自由に例題を作らせると、モデル作りのセンスみたいなのもよくわかるよ。
採点が終わったら、少しは研究ができるかなあ、俺も「現代物理学」の講義をやりながら考えたことをレポート(論文草稿とも言う)にして先生に提出したいなあと思うんだけど、やっぱり無理か。
ぼくらの研究会まで一週間を切ってしまったから、もう、ひたすら準備。 なんか知らないけど、いろんな人にいろんなメールをいっぱい書いて、お金の準備とか色々なことをごそごそやり続けて時間が経っていく。 今まであまり考えていなかったことなんかがあるから、そのツケもまわってきている。
まあ、こんなもんだろうなあ。 メールのなかった昔なら、これは、大変だったろうなあと思う。
実は、お隣の韓国では、今、統計力学の大きな国際会議をやっている。 多くの友人・知人たちが韓国に行って、楽しそうにやっている様子が(ネット経由で)耳に入ってくると、やっぱり、寂しい。
でも、駒場のレポートの採点と、学習院での定期試験と、それに、来週からの会議の準備が重なっていては、やっぱり、韓国行きは絶対に不可能だったよなあ。 まあ、せいぜい、来週からの会議を楽しむぞ!
こんなおっさんが趣味で弾いているだったら、さぞ上手なんだと思うかも知れないけど、まったくそうではにゃい! ほとんど初心者レベルのヘタクソなのである。 それでも、なんとなく毎日ちょっとずつ弾いて、練習するのが楽しいのだなあ。 しかも、実は、しばらく前に(今までのより)いいギターを買ったので、弾いていてたいへん気持がいいのである。 つい、新しい(絶対に弾けなさそうな)曲を練習し始めたりもしているのだ。
ギターの購入は、実は、6 月のビッグイベントの一つだったんだけれど、ま、その話はまた今度にしようか。明日は「量子力学 II」のテストで、またしても採点マシンと化してひたすら採点だから、そろそろ寝ないとね。
昨日は予告通り採点マシンと化して「量子力学 2」のテストを一気に採点し、成績の集計から web 入力まですべて終える。 全般的に出来はよかった。 けっこう、みなさんちゃんと準備して臨んでくれたみたいでうれしい。
しかし、あんまり雑用ばっかりじゃイヤだぞと思ったので、途中で休憩と決めて、昨夜、寝床に入ってから考え始めていた課題についてしばし集中して考える。 実は、理論物理をやるとき、寝床の中で何も見ないでやっていると、計算用紙や以前のメモにいっさい頼らないでやるしかないので、急激にピントがあって、かつ、頭が最適化されるのだ。今まさに、そういう状況になっていて、必要な素材は頭にほとんどロードされていたので、紙と鉛筆を持ったら、すいすいと進んだ。暗算ではどうしてもできなかった部分も書いてみたら、あっさり行けてますなあ。
前に古典力学の設定でやったことを量子論の設定に直しただけで、そういう意味では、物理としては薄い。でも、なんか数学的構造という意味ではとても面白いかも。
あ、よかった。短い時間でも集中してやるものだ。 ほとんど時間は割いてないけど研究結果が出たから、なんか得した気分じゃ。
やっぱり気になるので、佐々さんの日記のレポートを真剣に読む。 そして、ざまざまな意味で感無量になり、いろいろなことに思いを馳せてしまう。
佐々さんも書いているけれど、このうれしいニュースについて考えていると、つい、日本の統計物理学周辺での人の流れについての現状と未来へと考えが移っていく。 ただ、そうやって考えが流れるにまかせると、自分自身の人生での選択や決断や悩みや( 1 回の)敗北などなどについての思いがあふれ出して来てしまってもはや収拾がつかなくなってしまいそうだ。 おめでたい席だし、今はやめておこう。
Gianni 先生には本当に親しくやさしくしてもらい、随分と長い時間をいっしょに過ごして議論したことは、この日記にも書いたとおりだ(最初にお会いしたときのことは2009/8/7の日記に少しだけ書いてあり、その後の「Jona-Lasinio 週刊」のことが 2009/11/8 の日記にある)。 だからといって、まさか、先生の受賞記念講演の謝辞にぼくらの名前を挙げてもらえるなどとは夢にも思っていなかった。 なんというか、ほんとうに、誠実で、飾らず、心から科学を愛して楽しんでいる Gianni 先生らしいと思う。 ありがたいことだ。
しかし、今では、国内では、斉藤さんが KNST に興味を持って量子系を研究してくれたし、沙川さんや弓削さんや早川さんも KNST を越える理論を幾何学的な視点から模索することを試みて長い重要な論文を書いている。 さらに、KNST に影響を受け、しかし、KNST には満足しきらない Maes らがぼくらとは違う流儀の SST を提唱した。それとほぼ同時に、Jona-Lasinio 先生たちも、また、かれら独自の SST に到達した。それがボルツマン賞受賞講演の締めくくりになったのである。
まさか、こんな日が来るとは。
いやいや、もちろん、物理としては始まったばかりで、何がわかったというわけではない。 Maes も Gianni 先生たちもみんな含めて無意味でした --- というオチだってまだまだ十分にありうると思っている。 そして、相変わらず、何を指針に「よい科学」を求めていけばいいのか皆目分からないという絶望的に苦しい状態は続いている。
それでも、2 人だったとき、4 人だったときと比べたら、話はぜんぜん違う。 真剣に考えている人の数も(まあ、標準からしたらめちゃ少ないけど)増えたし、 SST の体系としても(おそらく)独立なものが四つ(Hatano-Sasa, Komatsu-Nakagawa-Sasa-Tasaki, Maes-Netockny, Jona-Lasinio et al.)見出されたし、何か少しでも先が見えるかもしれない。
がむばろう。
どこまでも予想を越えることをやってくれる人だよね。ま、そういうところも楽しくて好きなんだけど。
ふう。
Mathematical Statistical Physics
の初日が無事に終了。運営もほとんど順調で、議論も活発で、みんな楽しそうで、ほぼ最高のスタートだった(まあ、難を言えば、ちょっと講演がテクニカル過ぎた)。 運営の実際について尽力してくれた早川さん・出口さんをはじめとする世話人、研究会を担当してくれて細かいところまで準備してくださった基研の秘書さん、そして、てきぱきと動いてくれた学生アルバイトのみなさんのおかげだ。 海外からの参加者を含む多くの参加者が楽しそうにしてくれているのも、本当にうれしい。
招待講演者と世話人とのバンケットを含めて初日のすべてのプログラムが終わり、かなり、ほっとした。
ここまで来れば、この先はずっと楽になるはず。
(既に、「一参加者」としても楽しみまくっているが)もっと楽しもう。
まるで自慢みたいで、実際に自慢なんだけど、今日の四つの招待講演のうちの三つで、それぞれ別のぼくの仕事(Gorodon は大学院時代の(実は、ほとんど原がやった)くりこみ群の仕事、Bruno はポスドク時代の AKLT の仕事、そして、Gianni 先生は非平衡熱力学関連の最近の複数の仕事)に言及してもらえたのは、やっぱり、悪い気はしなかった。 三つとも方向性は相当に違うしね。
バンケットの前と終わった後は、Gianni 先生と二人で雑談や議論をしていた。 SST については、細かい議論よりは、「複数の SST の体系のあいだの関係をより深く理解しよう。そもそも『自然だ』というのはどういう意味なのか(二人で、勝手に "natrualness question" などと呼んでいた)を落ち着いて考えたい」というようなところで大筋で一致して、お互いの宿題を再確認するという感じだった。 それよりも、なんというか、科学者としての生き方みたいなところで、先生から(すごく過分なまでに)励ましてもらった。 素直にうれしい。