茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
研究会
Mathematical Statistical Physicsの全日程が終了。
運営も最後まで驚くほど順調で、講演での議論も盛り上がり、ほとんど何の文句もない研究会になったと思う。
お世話になったみなさんに感謝。
おもしろかった。しかし、やっぱり疲れた。
暑い。
ということは、ちょうど一週間前の今日は、チェックアウトを終えたホテルのロビーで、原から孤立量子系での緩和についてのアイディアを聞きながら、時々通りかかる外国からお客さんたちに別れの挨拶をしていたのだ。 なんと、遠い昔のことのようだ。
そして、さらに、そのもう一週間前の日曜日には、いよいよ翌日から研究会だということで、オープニングの挨拶の内容を検討したり、謝金の書類を整えたり、直前の準備を進めつつ、夜は、Jona-Lasinio 先生を始めとするお客さんたちと居酒屋に食事に行ったりしていたのだ。
ああ、ほんとうに、ものすごく遠い、懐かしい昔のようだ。まるで、シガンシナ区でみんなが平穏に暮らしていた遠いの日のよう
さしあたっては、Goldstein-Hara-Tasaki のレフェリーレポートが戻ってきて、どう見ても、もうほんの一押しで確実に掲載されそうな雰囲気なので、そちらのレフェリーへの対応と、論文の書き直しを。
前後して、(こっちも研究会の直後から再開しているのだが)「マクスウェルの悪魔」について、ひたすら沙川さんに教わりながら講義の準備を進めるあいだに到達した理解を論文にまとめる作業。 自分で言うのもなんだけれど、けっこうきれいな仕事だと思う。ぼくは、これを見て、沙川さんと上田さんが何年間かかけて進めて来た相互情報量を軸にした定式化の意味と重要性を、ようやく、理解・納得したのだ。 ただ、きれいで素敵な仕事だとは思うけれど、どうも自分の研究という気がしてこないのも事実。
本文はきれいに書けているのだが、どうもイントロで時間を取られている。というより、うまく書き出せないんだな。珍しいことだ。 ぼくは普段から「Physical Review Letters のサイズのものなら一日で書ける」と豪語しているのだが、これには、既にもっと費やしているかも。 早く書こう。
今日は乗らないから他のことをしてようとか思って、実際、他のことをして過ごしていたんだけど、なんか、急に書き始めたら、一気に、力の入った(ちょっと入り過ぎか?)イントロと最後の議論を書いてしまった。 こういうのって、ほんと、不思議なんだよね。タイミングが来ると、あっという間に終わる。
さて、本文に戻って全体を整える楽しい作業に入るわけだけど、明日は、おそらく長距離ドライブすることになるので、お休みです。
前の日記を書いた少し後から「夏休み」に入った。
単に大学の雑用や教育関連の仕事をしないというだけでなく、家の仕事もせず、家族と遊ぶこともせず、基本的にずっと「物理学者としてやりたいこと」だけをして過ごすという意味での「夏休み」だ。 意図的に工夫して、そういう時間の過ごし方をする日々を確保したのである。 こんなことをするのは初めてだ。
もちろん、それが可能だというだけでも本当に幸せで恵まれていると思う。 家族、同僚、学習院の経営陣(?)を初めとする多くの人々に感謝。
けっきょく、それが猛烈に楽しい。 ああ、俺って、やっぱりこういう人なんだなあと、今さらながら思った。
この間にやったことの一部を書くと、
Unified Jarzynski and Sagawa-Ueda relations for Maxwell's demonに公開されている。 「(非自律の古典デーモンに限れば)Sagawa-Ueda の一連のプロジェクトを完成させる仕事」と尊大な言い方をしているが、けっこう、まじめにそう思っている(かつ、「業界人」への評判も上々なので、うれしい)。 前にも書いたけれど、これは、何年にもわたって沙川さんに色々なことを教えていただいたおかげでできた仕事だ。 ぼくなりに Sagawa-Ueda を理解したいという素直な動機を押し進めた結果でもある。 ぼくとしては、ここにまとめた結果を見て、Sagawa-Ueda がかなり理解できた気がするし、それ以上に、(相互情報量こそデーモンの本質ということをごく初期から見抜いていた)沙川さん、上田さんの洞察力のすばらしさを痛感したのであった。
特に、具体的なことを書くまでもないかとも思っていたが、8 月 25 日の佐々さんの日記に「リーク」があるので、それについてちょっと書いておこう。
ぼくの場合は、本当に、何年間も何年間もため込んだ文字通りの「積年の宿題」がある。
相転移と臨界現象の数理という数理物理の教科書、別名、「イジング本」だ。
田崎晴明、原隆
この本については、もう何度も何度も、「そろそろ脱稿」と宣言しながら、けっきょくは脱稿せずにずるずるずるずるずるずるずるずるずるずると執筆・改訂を続けている。 なんせ 400 ページ近い本だから、本気で時間をとって集中しないかぎり、実質的な作業はできないのだよね。 なんだかんだとやっているうちに、色々と忙しいこと(放射線の本とか・・)が発生して、時間が取れないまま 2013 年を迎えていたのだ。
「夏休み」をとろうと決めた一つの理由は、この積年の宿題と直面する時間を確保することだったのだ。
そして、一生懸命に、やりました。
「朝から深夜まで、研究や論文で楽しく遊びまくる」時期に比べると、ちょっとだけ集中力は鈍っていた気もする。 それでも、(息抜きと言えば、ちょっとギターを練習したり、読書(最近は、ずっとダレルの『アレクサンドリア四重奏』を読んでいる.素晴らしい本です)したりするくらいで)ひたすら朝から晩まで仕事をしたのであった。
まずは、本全体の構成や構想を思い出すところから始まり(←けっこう,時間がかかる)、 草稿を読んでくれた様々な立場の人たちからのコメントを吟味し、ときには微修正し、ときには思い切って新しい節を足すなどの大胆な変更をおこなう。 「『・・・』という言葉を未だ説明していないのに平然と使っているぞ」、「微分についてのこの記法は混乱する」などなどの厳しいがありがたいコメントを着々と取り入れる。 それと平行して、自分でも、すべてを読み返して、全体の整合性を高め、表現を工夫する。
こうやって作業を進め、通り過ぎた章については、かなり最終稿に近いと思っている。
残念ながら、未だ最後までは来ていない。 そして、「夏休み」は終わろうとしている。
しかし、ここまでピントを合わせたからには、これを逃したくはない。 「夏休み」が明けても、定期的に作業の時間を取って進めるつもりですので、共立出版の関係者のみなさまにおかれましては、あと少しだけお待ちください。どうかよろしくお願いします。
これがその日記です。
「夏休み」はそろそろ終了。月曜日の会議を皮切りに日常に復帰します。