諏訪春雄通信 35


 アジア文化研究プロジェクトへようこそ。

 この通信で連続して日本の王権の問題をかんがえてきました。もうしばらくこの通信であつかったのち、一冊の本にまとめる予定で、並行して通信の原稿の整理・改訂をおこなっています。

 最近、シリーズで王権をテーマとした企画が2種類登場しました。1種は、すでに第1巻が刊行された『岩波講座 天皇と王権を考える』全10巻です。もう1種は、初期王権研究会編『古代王権の誕生』(角川書店)で、こちらは、「世界の各地域で古代の王権がどのように誕生し、国家というものがどのように成立したか」をうたい文句にした全4巻です。

 出版の世界では、「柳の下に泥鰌は3匹までいる」という表現があります。実人生は「柳の下にいつも泥鰌はいない」というのが真実でしょうが、出版界では同種の企画が3種までかさなっても、相乗効果でかえって売れ行きを期待できるということがあるようです。

 したがって、王権に関する出版がかさなることに問題はありませんが、私がこの通信でのべてきたことを、だれかに先取りされないかという心配はいつもつきまといます。

 インターネットのホームページにたいする著作権はまだ確立されていませんので、あまり重要な考えをこの通信でのべることは止めたほうがよいですよという忠告をこれまで数回受けたことがあります。

 岩波講座のほうはすでに全内容が発表されています。多方面から王権をあつかっていますが、私がこれまで追いかけてきたテーマとかさなる文章はありません。角川書店の企画の内容はまだみていませんが、多分かさなることはないのではないかという自信をもっています。

 私の構想というのは、「中国長江流域の稲作民の民俗が日本の天皇制を支える精神構造の骨格を形成した」というようにまとめることができます。

 この構想を机上で思いつくことはできるかも知れません。しかし、実際に中国の少数民族社会にはいりこんで、この視点で調査をかさねている研究者は、すくなくとも日本の王権を論じるような歴史家、政治学者、思想家にはいない、というのが私の自信の根拠です。この自信がくずれるかどうかは、前掲の角川書店刊行第1巻『東アジア篇』の内容が世に出ればすぐにあきらかになるでしょう。

 この通信の30313234とつづけて、日本の女性霊力の問題をあつかってきました。女性は男性のもたない特殊な霊力をもち、巫女王神の嫁采女斎王遊女などの古代王権にかかわる重要な問題がそこから生まれたこと、そして、王権と女性という問題の根底に本土のヒメ・ヒコ制や沖縄のオナリ神の信仰があることについてこれまでのべてきました。

 オナリ神については通信30でふれました。兄弟を守護する姉妹の霊力を沖縄ではオナリ神とよんでいます。この信仰の源流については、東南アジアにもとめる説が有力です。

 オナリ神の問題を最初に学問の課題として体系化した業績は柳田國男『妹の力』でした。一国民俗学を信念とした柳田はオナリ神の源流を日本の外にもとめることはしませんでしたが、柳田の影響下に戦後この問題にとりくんだ社会人類学者の馬渕東一氏は東南アジアとの関係を強調しました(「沖縄先島のオナリ神」『日本民俗学』1955年)。

 さらに馬渕氏の教え子の社会人類学者鍵谷明子氏は長期のインドネシア調査をつづけてその成果を『インドネシアの魔女』(学生社)としてまとめました。彼女は、インドネシアの小スンバ列島のなかのサブ島、ライジュア島という二つの島を20年ちかくも毎年おとずれ、そこで沖縄のオナリ神信仰と一致する信仰を発見しました。

 この二つの島では兄弟が遠い旅に出るとき、かならず姉妹に知らせ、姉妹はイカットとよばれる手織りの絣(かすり)の布をおくります。このイカットは兄弟をまもる強力な霊力があると信じられているのです。

 馬渕・鍵谷師弟の研究によって、オナリ神信仰の源流は東南アジアとして確定したようにみえます。「しかし…」と私はかんがえます。オナリ神信仰東南アジア起源説をそのままうけいれるには多くの疑問がわいてくるのです。

 日本の古代神話研究でその起源を東南アジアにもとめる説が有力であることは、この通信でたびたびふれてきました。イザナギ・イザナミの国生み神話天地分離神話海幸山幸神話など王権神話の重要な種類が東南アジア起源として説明されてきました。しかし、これらの神話の原型が中国長江流域の少数民族神話にあることを、この通信でくりかえし説明してきました。

 東南アジアと日本に類似の神話や習俗がのこっているのは、多くのばあい、中国大陸から左右対称にせりだしていったものの、末端残留現象として説明できるのです。

 オナリ神信仰を東南アジア起源とかんがえるとうまく説明のつかないことがいくつかあります。沖縄のオナリ神信仰と相似の信仰が本土日本のヒメ・ヒコ制です。この信仰については通信30でふれました。もし、オナリ神が東南アジアを起源なら本土のヒメ・ヒコ制も東南アジアを起源となるのでしょうか。

 本土のヒメ・ヒコ制は『魏志倭人伝』に記述のある邪馬台国の卑弥呼とその弟の関係にまでさかのぼります。この二人は3世紀ごろに実在した人物たちです。そんなふるい時代に、東南アジア→沖縄→本土日本と、女性霊の信仰がわたってきたのでしょうか。

 『倭人伝』とあるように、邪馬台国は倭人がつくった国です。倭人について、最近、私は、「中国江南の遺跡と縄文・弥生文化」というかなり長い文章を『日本人はるかな旅 C イネ、知られざる1万年の旅』(NHK出版、2001年)によせて、くわしくのべました。まだ新刊書店で入手できますので、関心をおもちの方はおもとめになってお読みください。

 倭人の故郷は長江流域です。彼らはまた越人とよばれたこともあり、いろいろなきっかけで朝鮮半島南部、日本などにその居住地域をひろげていったのです。したがって彼らの習俗や信仰は、長江流域から、彼らがたずさえてきたものと断定して誤りはありません。

 『魏志倭人伝』がしるす邪馬台国の倭人の習俗は、海の魚をとる生活、すぐれた航海術、刺青、断髪、蛇や竜にたいする信仰、貫頭衣(すっぽりかぶって頭だけ出す袋型の衣装)、歌垣や妻問い婚、一夫多妻制などです。これらはすべて、長江流域にひろがって住み、古代越人の子孫といわれる少数民族社会にかつて存在したか、現在もみることのできる習俗です。

 以上のような事情を前提にかんがえたときに、ヒメ・ヒコ制だけが、当時の倭人社会に東南アジアからもちこまれたと判断することなどとうていできません。

 ヒメ・ヒコ制は女性の霊力にたいする信仰です。このような信仰が中国南部に存在したことが証明できれば、東南アジア起源説はかんたんに崩壊します。

 残念なことですが、私はまだ決定的な証拠資料は見出していません。じつはそうした目的をかかげてこれまで習俗や資料を探求したことがなかったのです。今後、真剣に探査したら発見できるだろうと確信しています。しかし、物的証拠にちかいものは発見していますし、状況証拠ならいまでもいくつか提出することができます。

状況証拠1;憑霊型の女性シャーマン
状況信仰2;古代からの女神信仰
状況証拠3;航海女神信仰

状況証拠1 女性が霊力をもつと信じられたのは、神がかりによる特殊な予知能力をもつからです。つまり憑霊型の女性シャーマンです。前回の通信34で、上田正昭氏の巫女王説を紹介しました。上田氏は日本の古代における巫女王として、卑弥呼、壱与、神宮皇后、飯豊女王の4名をあげています。この4名ともあきらかに憑霊型の女性シャーマンです。さらに通信13と14で、長江流域には神が巫女の身体にやどるシャーマニズムの憑霊型がさかんであったことを力説しました。日本の古代巫女王の起源は長江流域に存在する可能性が高いとおもいます。

状況証拠2 長江流域の稲作民族であるイ同族の人たちが民族の祖先神として薩神とよばれる女神を信仰していることは、通信10でくわしくのべました。また、通信15では、長江流域のハニ族が稲魂を女神とかんがえていること、通信18では、おなじくミャオ族の人びとが稲魂を女神とみなして「姑娘(娘さん)」とよびかけることなどを紹介しました。

 もうすこし女神の例をあげましょう。古代越人の子孫とかんがえられている民族は、中国56の民族のうち、チワン(壮)族、プイ(布依)族、スイ(水)族、トン(イ同)族、リー(黎)族、タイ族、高山族などです。しかし、これらの民族も、はやい時期に居住地域を変えてしまった人たちがすくなくありません。そこで長江流域にそののち住みついた民族もふくめて稲作民族のなかに女神信仰をさがしてみます。

チワン族 人類を生んだ母神は洛甲とよばれる女神です。彼女は布洛陀とよばれる男神と結婚し、分業して地と天をつくっています。

リー族 大地の神を女神(地母)とみなし、毎年の田の鋤きかえしにさいし、細心の注意をはらって地母をまつります。また稲魂は稲公と稲母とよばれる夫婦神です。シャーマンには道公、娘母、老人という3種の呼び方があり、娘母は女性シャーマンのほかに男性シャーマンをもこの名でよびます。

トウチャ族 とおいむかし、混沌から天地を造成したのは張古イ老、李古イ老という二柱の神でした。しかし、この神々も人間をつくることはできず、人間をつくったのは衣羅娘娘という女神でした。五穀の神は五穀娘娘とよばれる女神で、天上から五穀を地上にもたらし農耕を人間におしえた神でした。巫師たちは自分たちを「梯瑪」とよびます。馬氏族の神女という意味で、馬は彼らのトーテムです。かつてシャーマンの中心を女性がしめていた名残といいます。

イ族 彼らは収穫後の陰暦の10月上旬に大地の神である地母をまつる地母祭を挙行します。地母は大地とイ族の人たちととくに婦女の健康を管理します。地母祭は女性の祭であって男性が参加することはゆるされません。参加する女性たちは、三日まえから潔斎にはいり、男性と別居し、沐浴して祭を挙行します。

 このような例はまだ多くあげられますが、くどくなりますので省略します。注目されるのは、長江流域でシャーマンの主体をしめていたのは、女性であり、男性が関与するようになっても、名称に女の名をのこしたり、女装したりすることです。この地域の儺戯とよばれる男性巫師のシャーマニズム儀礼を私はかなり長期間にわたって調査してまわっていますが、彼らはほとんど女装しています。

状況証拠3 中国南部の女性霊力の信仰として注目されるのが媽姐信仰です。媽姐は海上の神、航海の女神であり、その信仰は中国東海沿岸にはじまって、台湾、シンガポール、インドネシア、インドシナ、沖縄にまでひろがっています。

 媽姐信仰は沖縄のオナリ神の信仰とよく似ていて、相互の交流も推定されますが、それほどふるくさかのぼることはできません。10世紀後半に福建省に実在していた巫女の伝承がふくらんだものと推定されています。

 媽姐信仰自体はあたらしいものですが、このような女神信仰の誕生する背景には、中国南部から東海半島沿岸にかけてひろく流布していた航海女神信仰の存在があります。現状は観音信仰と習合したり山岳信仰と結合したりしていますが、いずれも航海の安全や豊漁の神とみられる女神であることに共通性があります。

 1993年の4月から5月、アジア文化研究プロジェクトで中国の舟山群島、浙江省沿岸の東海文化を調査してまわったことがあります。報告集『中国東海の文化と日本』を帰国して刊行しました。そこに同行した川村湊さんがよせた「舟山群島の海民信仰」はこの問題をあつかった力作です。この文で川村さんが論じた航海女神はつぎのようなものでした。これらの神々の存在は、女性霊力東アジア起源説を否定するための状況証拠というよりも直接証拠というべきかもしれません。

日本 神宮皇后 ハナゲ観音 宗像三神 マリア観音 白山比刀@ 弁財天 
韓国 ヨンドン・ハルモニ パリ公主 
中国 媽祖 観音

 今回はこの辺で失礼します。


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