日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


9/1/2006(金)

明日の「ニセ科学フォーラム・東京」のために東京にいらっしゃっている左巻さん、小波さん、菊池さんに夕食にうちに来ていただいた。


左巻さん、小波さんとは、実はwebやメールでの接点があっただけで、一度もお会いしたことがなかった。 とくに、小波さんは、かつての黒木掲示板(注:東北大数学の黒木玄氏が主催し、多くの科学者や教育者が集った web 上の掲示板)時代からのお付き合いで、「熱力学:現代的な視点から」を書く際にも色々とお世話になった方。 すでに古くからの知己という感じなのだが、リアルでは今日が初対面なのだ。

お会いしたことないお二人がわかるかなあと少し不安だったのだが、左巻さんは、web の写真で拝見していたとおりのお顔だったので、駅に迎えに行って一発でわかった。 しかも、大きいおじさんだったから、遠くからでもすぐにわかるのであーる(小波さんは、左巻さんの直後に駅に着いたので、さがす必要はなかった)。

遅れてくる菊池さんのことはさしあたって忘れて、さっさと飲食が始まる。 実際に会話してみると、小波さんも、左巻さんも、まさにこれまでメールや web でのやりとりで作りあげてきたイメージの通り。 まったく違和感がない(ただし、小波さんについては、知り合った頃の web ページの写真(きっと、当時としても古いものを使っていたのではなかろうか?)をもとに脳内イメージを作っていたので、リアル映像とは若干ギャップがあった)。 また、左巻さんについては、「あまり飲まない」と言いつつ、すさまじい勢いでビールを消費する点も、やはりイメージ通り。


菊池さんも遅れて到着し、明日の講演者がそろう。

フォーラムや今後の「ニセ科学」対策について真摯な議論が展開されるかというと、別にそういうことはなく、理科教育の話などからはじまって、昔の(web 上の)知り合い達の噂やら、東海道を歩く話やら、音楽の話(路上ライブのギターを奪って自分で演奏したとか、松田聖子はいつがピークかとか)、翻訳の話やら、小説の話やら、(実は、ぼくは(明日、何か話すわけではないので、気楽に飲みまくって)相当に酔っていたので、詳細は忘れてしまったのだが)混沌と様々な話題が延々と。 さらに、菊池さんが持参した(というより、ぼくがリクエストして持ってきてもらった)テルミン(静電容量を利用した、手を触れないで演奏する電子楽器)をセッティングしてもらうと、小波さんも電子ピアノに向かって、即興のセッションが始まる。 実は、菊池・小波の両氏をお招きするからにはということで、使っていなかったギターを引っ張り出し、ちゃんと弦も交換しておいたのである。 用意がいいだろう! これはもちろん無駄にはならず、菊地さんは(常備している)ピックを取り出して弾くし、小波さんも(短いながら)弾き語りを披露。

もちろん、われわれドヘタも参戦し、テルミンをピーピーと鳴らしてみる。 よくわかったのは、

ということだ。

けっきょく、明日の準備などもほとんどないまま、かなり夜遅くなってから解散。 非常に「濃い」お客さんと接することができ、家族も大いに喜んでくれた。


お客さんが帰ってもテルミンはわが家に残り、深夜まで不気味な音が響いていた(しかし、一応、音階や思い浮かべたフレーズ(ただし、スロー)を弾けるようにはなった)。

数えてみると500 cc のビールが十七缶あいていた。 翌日会ったとき、左巻さんは、「昨日はあまり飲まなかった」とおっしゃっていたことを論評抜きで記録しておこう。


9/2/2006(土)

ニセ科学フォーラム・東京」当日である。 昨日、みなさんが帰ったあとも、テルミンを弾いたり、お皿を洗ったりしていて、たいそう夜更かししてしまったので、眠い眠い。

それでも遅れるわけにはいかないので、昼食をあわてて食べて、妻と二人でテルミンを持ってバスで学習院の中高等科へ(ちなみに学習院を会場にすることについて、ぼくは何一つ関与していない)。


「ニセ科学フォーラム」は、予定を超える百六十人ほどの参加者を迎え、大盛況。 会場に関しては、中高等科の田中さんに徹底的にお世話になったようだ。 お陰様で会はトラブルもなく予定通りに進み、質疑応答や討論も活発だった。 プログラムや概要については、高橋信夫さんのブログをご覧いただくのがいいだろう。

そこにも書いてあるけど、実は、ぼくは司会をやったのだ。 昨日の食事のときに司会はどうなっているのか尋ねたら、何も決まっておらず、「京都では、なんか適当に始まったねえ」とかいう答えが返ってきたので、ま、準関係者となってしまった以上、司会くらいはしようと思った次第。 ただし、あくまで「雇われ司会(?)」なので、淡々と名前を告げたりスケジュールを連絡したりする事務的な司会を目指す。 ぼくが自分のペースで司会をすると、質問する人を指名したり、質問を要約したり、自分で答えたり等々をやり始めるのだが、今日は、それはしないという方針で臨んだ。 ちょっとだけ勝手にしゃべったけど、ほぼ完全におとなしかったじょ(←よくぞ我慢した)。

妻も、講演者の飲み物を調達したり、会場周辺の情報を整理したり、アンケートを回収したりと、自然発生的に「関係者」になっていた。


フォーラムでは、主催者の左巻さんのご専門ということもあり、理科教育関連の話題も多く出て、とくに興味深く聞いた。 日本やアメリカで、理科教育の基本方針がどのように変遷し、それに伴って(というか、思うように伴わず)教育の実際がどう変化していったか、などをサマリーしてもらえたので、きわめて勉強になった。

自分は教育・研究畑ではなく産業界にいるとおっしゃる聴衆のお一人から、

理科教育の問題点を語るとき、文科省の方針が悪いということばかり言われるけれど、そもそも理科教育で何を教えるべきかということについて、教育者の側からも根本的な検討をする必要があるのではないか。 日本は典型的な資源小国であり、基本的には、海外から輸入したものに付加価値をつけて輸出することで、国の経済が成立している。 理科においては、高尚な理論だけでなく、実際の産業と結びつきうることをも教えるべきだ。 諸外国の事情や状況の分析などを気にする必要はなく、日本のおかれた状況をよく考えて、そこから教育の内容を考えていくべきではないか。
という趣旨の発言があった(記憶だけで書いているので、マヌケに響いたとしたら、私の責任です)。

こういう意見には、「いや、まあ、教育というのは、さしあたって実学とは別の話で」という答えが返ってくることが多いらしいが、左巻さんは、肯定的に答えていた。

もちろん、日本という国の特徴を簡潔に要約してしまうのは危険だろうし、さらに、「実際の産業と結びつく教材」を精選するのは容易いことではないと思う。 しかし、ぼくも、こういう意見には大いに意味があると思う。 どうも日本の教育カリキュラムを見ていると、おおもとに大学でやっているそれぞれの専門教育の内容があり、それを間引きして縮小して大学の教養教育の内容をつくり、それをまた間引きして縮小して高校教育の内容をつくり、それをまた・・・という構造になっているような気がする。 暴論だけど、なんか、根本的な思想はそうじゃなかろうか?  でも、これは、随分と初等教育を馬鹿にした話だと思う。 それぞれの段階で、いったい何をどのレベルまで教えるか、というのは、もっともっと一生懸命に考えるべき問題(おそらく、色々な人が色々な建設的な提案を作って、それを試したり、闘わせたりするべき課題)なのではなかろうか?  さらに言えば、そういう問題は、理科だけでなく、社会教育、そして国語教育においても、実は非常に重要なのではないかと思う。 実は、フォーラムの晩の二次会で、「社会科では、社会に出て生き延びるのに必要なことを教えてくれない」という話題を延々と話していたので、よけい、そう思うのだ。 ま、この話は、長くなるので、また今度。


今回の「ニセ科学フォーラム」の出席者には、教育関係者、マスコミをはじめ、いわゆる「プロ」の方がかなりいらっしゃったようだ。 そういった職業の方でなくても、ニセ科学問題に関心があり、ご自分で調査・批判活動をおこなっている方も随分と多かったように思う。 そういう意味で、提案者の三人もどのあたりに焦点を絞るかが難しかっただろうが、それぞれ、自分の得意分野を中心にすることで、広い範囲の聞き手に有益な話ができたのではないかと考える。 ぼくも、新たに教えられた知識やら論点は少なからずあった。

そういう参加者層を反映して、質問や議論は、相当に濃厚なものになった。 ただ、お互いの背景などを説明し合った上でゆっくりと議論や意見交換をするという余裕はなかったので、噛み合いは決してよくなかった。 また、法律とか経済とか、専門家がいない(いたかもしれないが、それとは認識されていなかった)分野に関わる話が煮え切らないのは、まあ、仕方がないとして、かなり単純化された「『理系』対『文系』」の構図が(「理系」サイドから一方的に)くり返されたのは、ちょとまずかったかもしれない。 今後に向けて反省すべき点のように感じる。

次回以降、こういう会を続けていくなら、やはり何らかの意味でテーマを絞り込む工夫が必要だろう。 その際、

などの方向があるのだろうな、などと漠然と考えている。 根性さえあれば、色々なパターンのものを次々とやればいいわけだが・・

あと、これは多分にぼくの個人的なリアクションなのかもしれないが、「ニセ科学」批判に賛成というスタンスを表明しつつも、微妙に不可知論や相対主義を臭わせる発言・質問があり、秘かに過敏な反応を示していたのだ(ぼくが積極的な司会者だったら、即座に質問者に再質問をしたと思う)。 このあたりは、理科教育における相対主義の蔓延のような問題とも深く関わるデリケートな点なのだが、ここで掘り下げるのはやめておこう。 ただ、あの議論の中でも、ぼくはそういう危険を強く嗅ぎとってしまったということを記録しておきたい。


とにもかくにも、多くの人に有意義だったと思われる会にしてくれた左巻さん、菊地さん、小波さん(←プログラムの順番)に感謝。

フォーラム終了後の懇親会には、四十六人が参加。 日中は実験をしていてフォーラムに参加できなかった天羽さんも、でっかいリュックをしょってやってきてくれたのは、実にナイスだった。

貸し切りにしたお店の中に人があふれていて、こんなに多いのかと感心してしまう。 なかなか食べ物にありつけなかったという意見が出ているようで、お店を予約した係としては、ちょっと冷や汗。 雰囲気はよかったと思うのだが。

上で紹介した高橋さんのブログの写真や、K2 さんのブログのマンガにも紹介されているように、今夜も菊地さんはテルミンの演奏を披露。 お店では、ジャズピアノのライブをやっていたのだが、小波さんが、ピアニストのお姉さんに伴奏を頼んでくれて、即席のセッションになったのだ。 菊地さんは、フォーラムで話をして疲れ切っているのではないかと思ったのだが、懇親会参加者を前に、素敵な演奏と怪しいトークを聴かせてくれた。


今日は、ぼくは「半裏方」に徹して基本的には静かにしていたのだが、それでも、物理学会のシンポジウムの関連でコンタクトを取ってくださった何人かの方などと直接お話することができた。 あと、web 上での旧来の友人の一人の八木さんと初めてリアルで話すことができたのも予期しなかった喜びだった(しっかし、八木さんも web のキャラそのまんまだなあ)。 しかし、山形さんも小波さんも左巻さんも八木さんも、みんな現実の存在になってしまって、「バーチャルな世界だけの友人」というちょっと不思議な存在が減っていってしまうのも、ちょと寂しいような気もするなあ。
9/5/2006(火)

まだ(生活の流れから言えば) 9 月 4 日の深夜なのだが、暦の上では(って言うのか?)9 月 5 日になったので、ちょっとフライングで更新。 明日は(ていうか、今日の 5 日は)ずっと会議があって、いつ更新できるかわからないのだ。

さて、今日からちょうど百年前の 1906 年 9 月 5 日は、統計力学の生みの親であるルードヴィッヒ・ボルツマンが悲劇的な死を遂げた日である。 ぼくは、今年は Boltzmann Year と考えており、彼の論文や何冊かの伝記を読んだりしているのだが、それに加えて、統計力学の教科書の執筆にも本腰を入れているのだ。

「ボルツマンが亡くなってちょうど百年で決定版的な統計力学の教科書が登場!」ということになると非常にかっこいいのだが、実は、そういうわけにはいかなかった。 理由を箇条書きにすれば、

  1. まだ書けていない。
  2. しかも、今書いているのは「標準的な教科書」であり、「決定版的な教科書」は未だ将来の夢。
ということなのである! 箇条書きにする必要もないけど。

もちろん、「標準的」というのは、「普通」という意味じゃないぞよ。 「ぼくが考える基準で『標準的』」ということであり、ぼくが知るかぎり、今まで(そういう意味で)「標準的」な教科書は一冊もなかったのである(と、いつもどおり、強気の発言)。

で、この日記にもちょくちょく書いていたように、一学期は、講義と平行して本の草稿を書いて配布しながら講義をするという無茶をやって、何とか綱渡りを終えた。 夏休みに入ってからも、新たに黒体輻射の章を書き足し、(学生さんに教えてもらった)途中の章の膨大なミスを直し、多くの内容を加筆し、さらには最初の章も書いてと、ずっと作業を続けていた。 もちろん、本は完成していないけれど、それでも、基礎から出発して、カノニカル分布の基本的な応用(古典気体、常磁性、ゴム弾性、結晶の比熱、黒体輻射など)までは書けた。 自分では、かなり「標準的」なものに近いと思っているのだ。

というわけで、せっかくボルツマンのちょうど百回目の命日を迎えたのだから、それを記念(というのも、妙だな・・)して、ここまでの部分を公開しようと思います。

統計力学
もちろん、命日がおわっても公開を続け、本が一通り完成するまで(いわゆるベータ版くらいまで)草稿を公開するつもりです。

興味をもたれた方に読んでいただき、コメントやご批判や間違いの指摘などなどをいただければきわめて有益だろうと考えています。 どうかよろしくお願いします。

さいごに、本の草稿から、ボルツマンの伝記的な紹介の一部を引用しておこう。

彼自身、「わたしはよく、非常に愉快かと思うと、わけもなくひどい憂鬱に沈んでしまうが、このような気分の移り易さは、わたしが謝肉祭の大騒ぎの夜に生まれたことに、原因があるのかも知れない」と冗談まじりに語っているように、ボルツマンは躁鬱(そううつ)的な傾向を持った人物だったといわれている。 1906年の夏、ボルツマンは精神的にきわめて不安定な状態にあり、大学を休講にし、風光明媚なドゥイノの地で静養し、健康の回復につとめていた。 一時期は精神の安定を取り戻したかに見えたが、結局は、不安定な感情の波にさらわれ、9月5日、自ら命を絶った(今、それからちょうど百年がたった夏に、私はこの原稿を執筆している)。

さて、今は9月5日の夕方。会議は終わっているけど、早起きしたので、眠い眠い。

今の 7 章までを公開したら、少し、本には触れないつもりだったのだけど、恥ずかしいミスを指摘してもらったので、それだけは素早く、こっそり修正。

ないしょで修正内容を書いておくと、ケプラー革命で「天動説」が信じられるようになったことと、ボルツマンが生まれた年に即座に統計力学の一般論を完成させていること。 後者は、統計力学を完成させたのは 1902 年のギブスなのか、それともボルツマンなのか、という話に関わる部分だけど、いくらボルツマンの肩をもつとしても、ここまでやってしまったら悪質な捏造ではないか!!  ミスを指摘してくださった、斎藤さん、早川さん、ありがとうございます。 あと、井田さんのご指摘で、(まだ皆さん読まれてないでしょうが)宇宙の晴れ渡りの時の温度を少し低めに修正。


9/8/2006(日)

ふう。教科書の(中間)公開だのニセ科学フォーラムだのその他の雑用だのが重なって、けっこう、大変だったようだ。 ここのところ、少し気が楽になった。プールも行ってるし。

というわけで、前に PRL に出してごちゃごちゃとこじれた結果、アホらしくなって放置してあった Christian Maes との短い論文を再投稿する準備。 PRL のレフェリー用に、派手な売り文句などを足して、そのかわり割と大切な説明を省いたりしてしまっていた(←こういうのは苦痛)ので、そのあたりを復元したり、といった微修正をおこなって全体を整えて、Christian に送る。


9/10/2006(日)

性懲りもなく、ハバード模型(あるいは、類似の模型)で金属強磁性の発現を示すというテーマに舞い戻っている。

一度ならず徹底的に考え抜いて完璧に敗北したテーマについて再び考えることが、得策なのかそうでないのかは、わからない。

時が経って色々な経験をして頭の雰囲気が変わったことで、今までとは違った見方や考え方ができて、ブレークスルーが開けるという可能性もある。

しかし、けっきょくは既に何度も考えたことを、再び考え直して、結局ダメだった(しかも、かつてはダメだと理解していた)と認識するという可能性も非常に高い。 会話の途中で反射的に超おもしろいシャレを思いついて、喜んで言おうと思ったところで、実はそれは前にも同じような状況で思いついて言ったのだけれど回りはシラケたんだったと気づくというのに似ている。 (いや、あんま似てないか・・・ さすがに、もっとシリアスだし。)

おまけに、このテーマでものを考えるためには、フェルミオン生成消滅演算子をばしばしぶっかけたときの交換関係とか、ぼくが作った一電子状態の非直交基底の性質とかを、暗算でぼんぼんできないと話がまったく進まないのだ。 さすがに、しばらく離れているとそういう技術的な側面はどんどん忘れてしまう。 けっきょく、そういう技術を復活させる、いわばリハビリにけっこう時間を取られてしまうことになる。

というわけで、総合的に判断すると、こんな問題に時間を割くのは非能率的ということになるのだろうが、でも、まあ、やりたくなったらやってしまうのが研究者なのであろう。 二つ(例によって、おそらく絶対に無茶な)方針を思いついて、いろいろと考え始める。 一つはかなりハードな計算を伴うが、しかし、99 パーセントだめなんだよなあ。


今年は「ボルツマン年」ということで
David Lindley
Boltzmann's Atom: The Great Debate That Launched a Revolution in Physics
をぼちぼちと読んでいたのだが、今日の午後はなぜか読書フェイズに入り、一気に残り半分くらいを読み終えた。

いろいろと不満は多いが、まあ、おもしろかったかな。感想は後ほど。


9/10/2006(日)

性懲りもなく、ハバード模型(あるいは、類似の模型)で金属強磁性の発現を示すというテーマに舞い戻っている。

一度ならず徹底的に考え抜いて完璧に敗北したテーマについて再び考えることが、得策なのかそうでないのかは、わからない。

時が経って色々な経験をして頭の雰囲気が変わったことで、今までとは違った見方や考え方ができて、ブレークスルーが開けるという可能性もある。

しかし、けっきょくは既に何度も考えたことを、再び考え直して、結局ダメだった(しかも、かつてはダメだと理解していた)と認識するという可能性も非常に高い。 会話の途中で反射的に超おもしろいシャレを思いついて、喜んで言おうと思ったところで、実はそれは前にも同じような状況で思いついて言ったのだけれど回りはシラケたんだったと気づくというのに似ている。 (いや、あんま似てないか・・・ さすがに、もっとシリアスだし。)

おまけに、このテーマでものを考えるためには、フェルミオン生成消滅演算子をばしばしぶっかけたときの交換関係とか、ぼくが作った一電子状態の非直交基底の性質とかを、暗算でぼんぼんできないと話がまったく進まないのだ。 さすがに、しばらく離れているとそういう技術的な側面はどんどん忘れてしまう。 けっきょく、そういう技術を復活させる、いわばリハビリにけっこう時間を取られてしまうことになる。

というわけで、総合的に判断すると、こんな問題に時間を割くのは非能率的ということになるのだろうが、でも、まあ、やりたくなったらやってしまうのが研究者なのであろう。 二つ(例によって、おそらく絶対に無茶な)方針を思いついて、いろいろと考え始める。 一つはかなりハードな計算を伴うが、しかし、99 パーセントだめなんだよなあ。


今年は「ボルツマン年」ということで
David Lindley
Boltzmann's Atom: The Great Debate That Launched a Revolution in Physics
をぼちぼちと読んでいたのだが、今日の午後はなぜか読書フェイズに入り、一気に残り半分くらいを読み終えた。

いろいろと不満は多いが、まあ、おもしろかったかな。感想は後ほど。


9/11/2006(月)

Dmitry Yarotsky 氏のセミナー

リンク先の説明にあるように、彼は AKLT 模型の安定性の証明を含む非常に重要な仕事をした、若いロシア人である。

ただし、今日のセミナーのテーマは、やはり AKLT 模型がらみだけど、もう少し細かく具体的な話。数学の技術としても相当に違う方向から攻める必要がある。 ぼくとしては、問題も好みだし、解析の方法も非常に趣味にあっていた(というより、Knnedy-Tasaki でぼくらが導入した非局所ユニタリー変換を、具体的な計算に使ってもらえたのは、非常にうれしい)のできわめて楽しかった。 彼の手法が使えるもっとまとまなモデルがないかということを考え始め、夜にもメールを打った。

もちろん、聞きたいことは全て聞くのがぼくの方針なので、一つ前の重要な仕事についても、エッセンスを話してもらった。 本人はちょっとした改良といっているが、やはり大した腕である。 クラスター展開の利用者は多いが(←といっても数理物理の人口がそもそも少ないので、物理とか可解模型とかと比べると、絶対数はめっちゃ少ないです)、こうやって真にヘビーなことができる人というのは非常に少ないのだ。


Dmitry は東京にはトータルでも丸一日も滞在しないという、なんら遊び心のないスケジュールだったが、セミナーの後、高麗さんとぼくとでサンシャインの展望台に連れて行って東京の夜景を見せる。 なにせ電車は一駅だし、超お手軽な観光だが、東京で何が観光になりうるかと考えると、これはなかなか正解だった気がする。 Dmitry もけっこう喜んでいた。
9/15/2006(金)

何か知らんが、学会までのあいだ、ほとんど完全に予定がいっぱいになってしまった。

で、学会がおわったら即座に講義のはず。

うううむ。夏休みも終盤ということか。ま、当たり前だけど。


昨日くらいから完全に頭がチューンされ、雑用がない間は、寝ても覚めても、ハバード模型(より正確には、その一種である、いわゆる Tasaki model)の懐かしい世界をさまよっている。 というより、ベッドに入ってもずっとやっているし、夜中に目が覚めても自動的に続く。

今までは、金属強磁性に挑戦するときは、ある意味で「一発ねらい」の作戦が多かったのだが、今回は、きわめて地道に謙虚に、single-spin flip への安定性だけでも示そうというもっとも基本的な問題を集中して考えている。 実は、物理的にはそれが最重要だし、このもっとも基本的な安定性の証明でさえも、猛烈に難しいのだ(もちろん、そんなことが示された例は一つもない)。 おそらくは、Tasaki model でギャップと U を無限大にした極限が、金属強磁性を証明するためのもっとも簡単なモデルだと思う。 それでも、一次元でさえ、厳密な結果は皆無なのだ。 なんでこんなに難しいのだろうと、田中さんとメールをやりとりしながら、二人で不思議がる。


路線を変えたせいか、ひとまわり大人になれたせいか、完全に知り尽くしたつもりになっていた世界に予想しなかった道をみつけることができたみたいだ。 これは、うれしい。 もちろん、証明の場合、できるかできないかの無情な世界なので、どんなに道があるように見えても、証明が完成しなければ、すべてはゼロである。 それでも、新しい攻略の方法が見えてくれば、本能的に興奮する。 楽しく、苦しく、必死で働き続けるのだ。

基本的には、ソファーやベッドにゴロゴロしていて、わずかな落書き以外は何も書かないのだが、さすがに慣れた世界だけあって、次から次へと道具が発明され、試され、却下され、改良され、ということが続く。 そして、証明ができそうになって喜び、穴を発見して青ざめ、回復できそうで喜び、やっぱりダメでがっくりし、ということを目まぐるしくくり返すのである(外から見ると、寝てるだけだけど)。


夕食後くらいに、もっとも面倒なところがうまくいき、mini-max principle もあつらえたように使えることが分かり、有限のホール濃度の場合までローカルな安定性が言えた気がした。 これは、千葉の学会で田中さんに聞いてもらおうと喜ぶ。

が、風呂に入る前に、例によって、大きな穴を発見。 これは大きい・・・


いったん、ホールの数は 4d-1 個まで減ったが、今は全格子数を N とすると、ホールは N^{2/(d+2)} のオーダーの個数まで入りそう。 熱力学的極限で濃度はゼロになってしまうが、たくさん入ることは確か(これに穴がなければ、だが)。

しかし、mini-max principle を使うナイスな評価が、単なるベタな評価に成り下がってしまったのは悲しいぞ。 がんばれ、おれ。


9/16/2006(土)

午後から出勤。夕方まで大学で所用。某所での宴会へのお誘いをいただき、ぎりぎりまで行くつもりだったのだが、諸般の事情により欠席。


けっこう忙しいのだが、それでも、空き時間にはほぼ自動的にハバード模型について考え続けることのできるモードに入っている。 例によって、色々のアイディアが出てきては消えていくのだが、自転車で家に戻る途中に、非常に重要なことに気付いた。 今まで、ずっと強磁性状態のローカルな(single-spin flip に対する)安定性だけを議論しているつもりだったが、今の論法で、強磁性の完全な安定性が言えるかもしれない。 謙虚なゴールを掲げて出発したが、思ったよりも強いことが言える可能性が出てきたのだ。

夜になって時間があいてから、少し紙に殴り書きしながら、ストーリーの整備。 確かに、この論法で、完全な安定性が言える。 キャリア(ホール)は、昨日と同じで、 N^{2/(d+2)} のオーダーの個数まで入れられる。残念ながら、キャリアの濃度ということでいうと N を大きくすると 0 に近づいてしまうのだが、それでも、今までのハバード模型の強磁性状態ではホールが一個の長岡モデルが精一杯だったのだから、格段の進歩である。

夜も更けてきたことだし、(今日は宴会に出そびれたし)懸案の金属強磁性がちょびっとだけ進んだから祝杯だということで、ビールを飲むよう、妻を誘う。 妻が、インターネットか何かをやっているあいだ、暇なので、証明の最後の部分をていねいに書き下していると・・・

非直交基底を使っているから直交射影と変分原理が普通のようには処理できない(つまり、ダメな)

ことに気づく。 ここに一筋縄でいかないところがあるのは、以前に金属強磁性に挑戦して敗北したときにも痛感したはずだったのに。 しかも、今回のメールのやりとりの最初にも、田中さんがこの困難を指摘していたのではなかったか!

妻もビールを飲むつもりになっているのだが、必死で議論を追いかけ直して、考え違いがないこと、つまり、今の路線ではダメなことを再確認。 うううん、弱ったなあ。 祝杯にならないや。

仕方がないのでビールを飲み始めながら、なんとか、今回の証明を活かす方法がないかを必死で考え始める。 と、ほぼ瞬間に「ローカルな状態どうしが直交しないから悪いので、オーバーラップを持ちつつ直交するように、こうしてやれば・・・」というアイディア(というか、モデルの絵)が浮かぶ。 この絵そのものは、かつて S 君が卒業研究のときに見つけた(!)モデルの絵と同じだ(S 君、ありがとう)。 ただし、状態の成分が違うので、モデルの性質は違うのだが。 どうせいつもの一発芸的な短命のアイディアだろうと思いながらビールを飲んでいても、どうも、このアイディアでうまくいくような気がしてしまう。 だんだん酔ってくるし、そうすると、だんだんこれで行けているような気がしてくるし、ともかくあきらめて、この日はお休み(これは、後日、書いてます)。


9/17/2006(日)

妻の実家の法事に参加。

なにせ、お墓参りに初めて行ったのが、つい最近(3/21)というような奴なので、もちろん法事などめちゃめちゃ初めてである。どきどきである。

京都のお寺で観光客として聞いたことのある浄土宗のお経を、すぐ間近に聞く。 まあ、別にどうということはないが、考え事をしながら聞くとはなしに聞いていると、途中で「たーーざーーきーーーはーーるーーあーーきーーーー」と名前を呼ばれたので、思わず、びくっとする。 妻がうちの分のお金も払っていたんだね。

長いお経のあいだは、昨日のモデルと、そこでの金属強磁性出現の証明を、最初の部分から細かくチェックしていく。 すべてのステップをかなり詳細に検討しているのだが、「暗い怪しいコーナー」みたいなのは、なくて、どうもうまくいっているように思える。 しかし、物が物だけに、そう簡単に安心して喜んではいかんぞと、お寺にいることだし、厳粛な気持ちになる私であった。

(もちろん、生まれて初めて)卒塔婆というもの(あの、墓石の後ろにたっている、細長い板のことだよ!)を持ってお墓まで行く。 実は、卒塔婆というのは、なんか手を触れてはいけないもの、人が触るとたたりがあるものなんだろうと勝手に思いこんでいたので、自分たちで運んでいくと知ってびっくりしてしまった。 考えてみれば、いちいちお寺の人がスペシャルな運び方をしていたら面倒でしょうがないよね。


一日近くたっても新しいモデルのアイディアに穴がみつからないので、田中さんに簡単な図とメールを送って、モデルを説明する。 ぼくが、とち狂って何かを見落としていたとしても、田中さんなら冷静にまちがいをみつけてくれるだろうと期待。
9/19/2006(火)

大きな台風が九州を直撃。 田中さんのところでも、プランターや植木鉢なんかがバラバラになったらしい。 大変だ。

しかし、ハバード模型の方は、大変ではなく、ぼくのモデルは正しいのではないかと田中さんも言ってくれている。 気をよくして、午後からダブルで会議があるのだが、昨日の夜に書いた証明の概略にあわてて手をいれて、田中さんに送る。

会議が終わって部屋に戻ってみると、早くも田中さんから返事が来ていて、証明を完全に理解してくれている。 彼が見ても穴はないみたいだ。 ここ二、三日、証明が正しいことは確信していたのだが、他人の判断もクリアーしたのでますます安心である(そもそも、きわめて簡明な証明なので、穴が潜んでいるとは考えにくいのだ)。

ハバード模型における金属強磁性の発現の問題が、ほんのちょっとだけ進んだ。 ものすごくうれしいわけではないが、ちょっと、うれしい。 ずっと電子系では、というより量子多体系では、仕事がなかったし、人工的な系とはいえ、誰もやったことのない領域に踏み込んでいるのは喜ばしいことだ。


プチ解説: 強磁性の起源の問題というのは、「なんで磁石なんていう物があるのか?」という疑問に原理的に答えようという問題。 磁石というのは、物質中の非常に多くの電子のスピン(=小さな磁石)が同じ方向を向いてそろったものだということはわかっている。 じゃ、なぜ同じ方向にそろおうと電子スピンどうしが相談し合うのか、というのが大昔からの難問。 物質中の電子スピンを直接そろえようとするような相互作用は自然界にはないのだ!  実は、スピンがそろうのは、
  1. 電子たちが量子力学にしたがって運動すること、
  2. 電子たちの間にクーロン反発力が働くこと、
の二つの効果が競合するためなのだろうと信じられている(ちなみに、1 は「電子は波」っていう描像と関わっていて、2 は「電子は粒子」っていう描像と関わっている。この問題にも、「波動性と粒子性の拮抗」が深く関連しているのだ)。 これに最初に気づいたのが、あのハイゼンベルクだ。 「ハバード模型における強磁性の出現の証明」というのは、上の 1, 2 の要素が最低限あるような簡単なモデルで、実際に強磁性(スピンがそろって磁石になっている状態)が出てくることを厳密に証明しようという試み。 こういう方向では、長岡とか Thouless とか Lieb とか Mielke とか、まあ、いくつかの仕事があるのだが、いわゆる田崎模型での強磁性というのは、もっとも満足のいく結果で、なるべく「病的」なところのない、素直に見える設定で、本当に磁石ができることを示した物なのだ。

ただし、こうやって、ぼくが「紙と鉛筆で作った磁石」は、電気を通さない絶縁性の強磁性体になっている。 それはそれでいいのだけれど、ぼくらが子供の頃から慣れ親しんでいる鉄みたいな磁石は、電気を流す。 電気を流すか流さないかというのは、電子の性質をミクロに見たときには、きわめて大きな差なのだ。 田崎模型などで、電気を通さない磁石の性質は相当によくわかるのだが、電気を流す金属的な強磁性については何も言えない。 さらに、ぼくが作った証明の方法も、金属的になる状況には適用できなかった。 証明を作った本人だからよーーくわかるのだが、これは本質的に絶縁体にしか使えない論法なのだ。

そういうわけで、絶縁性の強磁性の問題が一通り解決した後は、電気を流す磁石が作れないかということをずっと夢見ていたのだ。 実は一次元のモデルについては、田中さんの作った例があるのだが、一次元とそれ以上の次元では、金属強磁性の物理は本質的に違う。 やっぱり高次元で結果を出したかったのだ。 うまく行きそうなモデルの「あたり」はついていたが、なにしろ、今まで何年もかけて開発してきた証明のテクニックが使えないことはよくわかっているので、如何に、どこから攻めるか、というのが問題で、何年にもわたって、何度も何度もチャレンジしては、敗れ去っていたのだ。

というわけで、今回、ちょっとゲリラ的にモデルを変更したのだけれど、高次元での金属強磁性に向けて、一歩が踏み出せて、とてもよかったというわけでした。


9/20/2006(水)

駒場で、清水さん主催の大野さんのセミナー。 このセミナーの予定が入った時点で、学会まで休みなしのハードスケジュールになったのである。

朝から始まって、夕方まで続くという、時間無制限、ルール無用のデスマッチである。

大野さんが書きかけている統計力学の教科書をネタに参加者が議論するという趣旨。 やはり統計力学の教科書を書いている私としては、色々な意味で参考になる。 もちろん静かに聞いていたわけではなく、いくつかのポイントについては、ぼくの教科書でどのように扱っているかを説明した。

三、四人でだらだらやるつもりで参加したのだが、学会直前にもかかわらず、多くの人が参加していたのには驚いた。 なんと、原も九州から一泊して参加していた。 お昼のときなんかに、原といっしょに駒場を歩いていると不思議な感じがする。 あの頃から、何年たったのやら・・

夜は、大野さん、清水さん、伊藤さんと渋谷近辺で食事。


9/23/2006(土)

学会初日。

今回は千葉大が会場なので、宿泊はしない。 しかし、家からだと、会場まで電車を乗り継いで、一時間半以上かかるので、なかなか、苦しい(と書くと、普段から時間をかけて通っていらっしゃる皆さんに申し訳ないのだが・・・)。


昼過ぎに田中さんと待ち合わせて、当然ながら、ハバード模型の金属強磁性について議論。 お互いピントは合いまくっている。 なぜ、ホールの濃度が有限のところまで証明ができないのかという点を二人で悩みまくる。 また、田中さんが過去に作ったモデルと、ぼくの最近のアプローチとの関連は注目に値する。

田中さんの超伝導関連の最近のお仕事についてのお話も聞く。


生物物理のセッションに参加。

少しは何か言ったと思うが、しかし、ぼくにしては異常なまでにおとなしかった。 頭がハバードになっているせいかもしれないし、あるいは、別の原因があるのかもしれない。

林さんの講演があった。 佐々研の「文化」をスムーズにタンパク質研究の世界に持ち込み、決してわざとらしくない、面白い結果を出している。

随分久しぶりだったので、終わった後に話してみたら、明日からスペインに行くという。 われながら、よいタイミング。 どうか活躍して下さい。

林さんと初めて会ったのは何年前だろう?  既に2000年12月8日の雑感の最後の部分に林さんが H さんとして登場している。 あの頃に比べると、別人のように思える。 研究者としての能力とかいうのだけじゃなくて、人としての空気とかも。


その後の空き時間は、ベンチに座って一人ハバード。

ベンチで瞑想して(今の証明を有限のホール濃度まで拡張する)アイディアが湧き、座っていられなくなって立ち上がって歩きまわりながら検討し、できたできたと喜んで紙に少しだけ書く。 しかし、田中さんを待って、彼の出ているセッションの後ろで話を聞きながら(というか、聞かないでいながら)細部を検討して、穴を発見。 いつもの通り。

田中さんの顔を見て、第一声は、「今、できたかと思ったけど、ダメだった」。


9/24/2006(日)

学会二日目。

午後から参加し、レオロジーのシンポジウムと、領域11のインフォーマルミーティングに顔を出す。

これだけ遠いと、朝からぶらりと行って何を聞こうかなという風にはならず、聞くべきものを決めてから参加するようになってしまう。 これは、いいことじゃないなあ。


9/25/2006(月)

学会三日目。

朝のセッションから、夜の飲み会まで、フル参加。さすがに疲れた。

本来なら、ぼくもこの日の非平衡セッションで話すつもりだったわけだが、まあ、申し込みを忘れたわけだ。 しかし、学会の前だけでも自由になる時間があった(ていうか、毎日、予定はあったけど)おかげで、ハバードの仕事がどっと進んだのだから、申し込み忘れてよかったなあと思ったり。 いや、そういう思い方はいけませんね。ごめんなさい。次は出します。


9/28/2006(木)

一昨日は教授会、昨日から講義もはじまっており、もはや、まったく夏休みではない。

実は、田中さんが学会から帰る飛行機の中で新しいアプローチを思いつき、今や、日本のハバード金属強磁性厳密証明学界(=田中さんとぼく)では、この路線を追求するのが熱い課題になっているのであった。 ぼくが学会前に扱ったのとは微妙にモデルも物理もちがうのだが、こちらの方が、有限のホールの濃度までできる可能性が高い。 田中さんは、すでに強磁性のローカルな安定性まで示しているので、こうなったら、強磁性が本当の基底状態であることを根性で示すのみ。 あとちょっとの気がするのだが、なかなか、うまい攻め方がみつからない。


家で集中して考えたいところだが、明日の講義で配るプリントの印刷はどうしてもしなくてはならないので、午後から大学へ。 思ったよりも作業と雑用が早く終わったので、これから家に戻れば、プールにも行けそうな時間。 そうだ、プールだ! ずっと行けなかったプールだ!! プールだ、プールだ、へへへへへ。 ここで、プールに行って体を動かして気分を変えれば、田中さんと考えている問題の突破口のアイディアが浮かぶかも。 いや、絶対に浮かぶに決まっている。 なにか知らんが確信が湧いてきたぞ。 健康のためだけじゃない、問題解決のためにも、プールに行こう!

帰る前にトイレに寄って出て行こうとすると、そこで A 君に出会う。 明日のゼミのことで質問していいですか、と言うから、さすがに「プールに行くから、だめ」と答えるわけにもいかず、四階に戻って、質問に付き合う。 けっきょく、本人はほとんど完全にわかっており、最後のほぼ自明な導出を残すところまでできていることが判明。 なんだ、そこまでできていれば、あとは定義さえ知っていれば自力で絶対にできるから考えろ、と言って、早々に終了。 決してプールに行きたくて手を抜いたのではないぞよ。


さて、帰宅して、プールへ

と書きたいところだが、念のため予定表を調べてみると、今週は水抜いて清掃するとかでずっと休みじゃねーか! どーしてくれる、金返せ(払ってないけど)。

しかし、ここで転んだままになっていては数理物理学者の名折れ。 仕方がないので、本気で散歩に行くことにする。あくまで体を動かすのだ。

新目白通りを越したあたりの高台の高級住宅街を抜け、歩いたことのない方に向かって、初めて目白大学というところ(ぼくの勤務先は「目白にある大学」ですが、こっちは名称が目白大学)の真ん前まで行き、さらに歩きまわって少し迷ったところで地図を確認して、青梅街道から目白通りへと帰路に着く。 だんだんトイレに行きたくなってくるし、あたりも暗いし、急ぎ足になってきて、(途中、迷って逆方向に行った後)目白通りを歩き始めたあたりで、あー、けっきょく目標だったハバードの話は進んでないじゃないか、やっぱ散歩じゃダメでプール行かないと物理は進まないとか日記にオチを書くのかなあとか思っていたとき、あ、そーだ。これで、いける。 こういうのがどこから来るのかは、ほんと、謎。 考えられるだけ考えているので、すべての道具は頭の中にばっちり入っているわけで、そこに、ちょびっとした思いつきが必要という状況だったわけだけど、トイレに行きたいなと思いながら(←この日記、トイレばっかしやね)目白通りの風景がだんだん日常の風景に収束していくのを見ていたとき、その「ちょびっと」がやって来たのだなあ。

後は、細かいところを考えながら急ぎ足で歩いて帰り(もちろんトイレに行ってから)、田中さんにメールする。


9/29/2006(金) と、大学のセンセイらしいことを一通りやった一日。疲れた。
9/30/2006(土)

田中さんと最終的なメールのやりとりをして、(あれから、二人でいろいろとやった結果)現段階での証明がうまくいっていることを二人で確認。

めでたい。

ある意味で人工的なモデルだが(最低エネルギーのバンドは flat-band になっていて、その上に伝導バンドがある。flat-band が強磁性を作り、さらに、それと伝導バンドの電子が強磁性に結合するという機構になっている)、一般次元の純粋なハバード模型で、ある電子数の範囲で基底状態が完全強磁性を示すことが証明できた。 キャリアの濃度も有限になるし、文句なく、金属強磁性状態が得られる。

田中さんと祝杯をあげたいところだが、ま、学会でいっしょにビールを飲んだのが、このための祝杯だったということにしておこう。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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