茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
避暑地より東京に帰還。
29 日にあちらに行ったのだから、ここ何年かで最も短い「夏休み」になった。 今年は、ぼくだけでなく、家族もみなそれぞれに忙しい夏なのである。
実は、後期から、ぼくの草稿を、とある大学での講義のテキストに使ってもらえることになり、そのために、現時点でできる限りミスを修正し、わかりにくいところを書きなおしたバージョンを作ろうと思っているのだ。 数理物理夏の学校が終わった後は、ひたすらこの作業を続けているのだが、なんせ、四百ページ以上もあると、さすがに苦しい。 読み直すだけで時間がかかるし(でも、読んでいると、面白いんだよね。自分でも感心したりすることがあるのだ)、一カ所を直すと、他のところも連動して変わるから、そういう相互関連を丁寧にトレースしないといけない。 考えに考えて、そういう修正が不必要なように書いたつもりだったのだが、もちろん、実際にできあがったものを多くの人に読んでもらうと、いろいろと問題点がでてくるのだ。
また「基礎編」のところも、十分に簡潔で無駄な横道がないと思っていたのだが、やはり、まだ意味のないことが書いてあると指摘されてしまった。 前に一生懸命に考え、何度も何度も書きなおした上の原稿だから、それなりに愛着もある。 それ以上に、あれだけ一生懸命やったから、もういいじゃないかという感情も自然にわいてしまう。 でも、しかし、でも、しかし、「一冊の本を書く」というのは、そういうレベルの話じゃねぇのである。 どんなに愛着があっても、厳しい目で見直して、消すべきはばっさりと消し、直すべきは直すのだ。
というわけで、根性を入れて書きなおす。
しかし、「統計力学」の改訂に全力で取り組んでいると、これを中断して他の作業をやるのは、極めて能率が悪いと思えてくる。 proceedings は、多少、先送りにしてでも、こちらをできる限り早く仕上げるのが、全体として見たとき、効率的なのではないだろうか?
だいたい、考えてみると、proceedings を集めて出版するのも、会議を主催したのと同じイタリアの人たちなんだよな。 前にも書いたように(7/6 の日記)、発表の詳細についての連絡も寸前まで来ないし、セッションの座長を担当した人たちへの事前の連絡がまったくなかった(「会議に着いたあとプログラムを見て、自分が座長だと初めて知った」と言っている人が複数いた。もちろん、「座長の仕事の手引き」なんてないので、各自が自己流でやっていた)というような、大らかな、愛すべき人々が、取り仕切っているのだ。
だったら、まあ、一週間とか、二週間とか、遅れるのがデフォルトだよね、マルコ?
ようやく、「統計力学」の草稿をまとめて、印刷業者に渡す。
最後になって、やはり粒子の区別についての N! の因子の扱いが不十分だったことを修正したり、厳密な結果のところに基底エネルギーについての結果を付け加えたりと、かなり色々と直すことになった。 昨晩になって、田中さんからミスを教えてもらい、今日、印刷屋さんが来る直前に差し替えたりもしたのであった。
随分と長い修正作業だったが、これが終わって、他の雑用にかかることができる。
ちなみに、最終的な出版はまだ先。おそらく、来年の夏を目指すことになると思う。
特に、異なった確率モデルの等価性についての定理を、本格的な(ボソンやフェルミオンの)量子系について示し、成立条件まできちんと明示して、書きなおした。
例によって、イリノイ大の大野克嗣さんには、数多くの本質的なコメントをいただき、それらには、必死で対応した。 基礎編がより簡潔になったのは、一重に大野さんのおかげである。 そもそも、「熱力学的な経験事実を基盤として統計力学を建設すべきである」という基本思想を私に教育してくれたのも大野さんであり、彼なくしては、この本はあり得なかった(他にも、本質的な貢献をしてくださった方はいますが)。
例によって、清水明さんからは、難問が出題されているのだが、それについては、今回のバージョンでも回答を与えていない(清水さん、ごめんちゃい)。 色々と考えているのだが、これについては、もう一度、清水さんとじっくり議論しようと思っている。
公開したファイルを読んで下さった全国の読者のみなさんからのご指摘で直したところも数多い。
アヴォガドロ定数について書いた部分には、産業技術総合研究所の藤井賢一さんからコメントをいただくことができた。 アヴォガドロ定数の実測について、まさに世界をリードされている方である。 最新版でのアヴォガドロ定数についての記述と数値は、世界中のどんな本よりも正確だと断言できる。
あるいは、科学史関連の記述についても、その道を専門とする若い方からいくつかのコメントをいただいた。 中でも、ギブスの人生について、前のバージョンに書いた
生涯独身で、親から受け継いだ家に、二人の妹とその家族とともに暮らした。という部分について、
ギブスに妹はいなかった。いっしょに暮らしたのは二人の姉。とのご指摘をいただいた。
がーん。英語の文献で調べた内容なので、単に sisters と書いてあったのだが、なぜか、妹と思いこんでいたのであった(←深く考えないように)。
Pervez Hoodbhoyを読む(少なくとも今は on-line でも読める)。
Science and the Islamic world ― The quest for rapprochement
Physics Today, August 2007, p. 49
なぜ、今日のイスラム世界は科学を産み出さなくなってしまったのか、そして、どうすれば、この状態を改善できるのかを問うた濃密な論説である。 自身は一流の研究者であり、欧米の研究期間で研究を続ける道があったであろうにもかかわらず、敢えて、母国パキスタンの大学に戻って活動を続けているフッドボーイ氏にとって、これは彼の人生をかけた問いなのだと思う。
日本の大学での基礎研究が不毛だといっても、ここに描かれたイスラム世界の状況に比べれば、はるかにましである。 また、宗教原理主義の弊害についての考察は、日本人にとっては他人事だと言っていい(「ニセ科学」盲信とは色々な意味でレベルが違う)。
そういう意味では「われわれにとっても切実」というテーマではないのかも知れないが、それでも、科学と社会に関わる重く深い問題であり、ぼくとしては、たいへん興味深く読んだ。
Physics Today に載ったものは、パリティに翻訳掲載される可能性があるわけだ。 ぼくはフッドボーイ氏の翻訳者だから、これをパリティのために訳すという可能性はあるのだなあ。 しかし、前のベーテ仮設のように、すいすいと訳せる代物ではないし、訳した物が on-line で公開できないとなると、やや腰が引ける。 どうしたものか。
早稲田大学の COE の打ち上げ(?)の国際会議というのをやっているらしいので、午前中だけ顔を出す。
西早稲田キャンパスの国際会議場なのだが、なにせ、近い。 歩いても楽勝なのだが、急ぎたかったので学習院下から都電(路面電車だよ!)に乗ったので、あっという間についた。
会場に入っていくと、ちょうど大使館の人かなにかのお話がおわったところだった。 まずは、石渡さんのプロジェクト全体を総括するような講演。まあ、COE とかをやると大変そうだなあというのが素直な感想。それに続いて、Pierre Gaspard の非平衡系についての講演があった。 全体の構成と主張にはかならずしも賛成できなかったが、個別の問題については堅実な知識を積み重ねていると感じた。 というわけで、せっかくなので、"My name is Hal Tasaki. I'm from Gakushuin University, which is actually very close to here" と自己紹介してから、「fluctuation thorem は美しいが非平衡定常測度そのものについては、大した情報を与えてくれない」とコメントし、非平衡定常測度のフラクタル性を中心に質問した。 彼の答え(休憩のときにも少しだけ補足してもらった;閉じたハミルトン系で、非平衡ダイナミクスをみると、ほとんどの場合、位相空間測度はフラクタル的になる。 外に浴をつけると、フラクタル性は消えるが、浴を取り去ると、たちまちのうちにフラクタル性が回復する)は明確であったし、もっともらしいと思う。 ただし、それが非平衡定常状態の本質と関わるのかどうかは、まったく定かではない(少しでも粗視化すれば、こんなフラクタル性は消えてしまう)。
休憩になったので、前の方に行って、田崎秀一さんに挨拶する。 ずいぶんと久しぶりだが、お元気そうで何よりだった。 そのあと、石渡、木下の生物物理学の両巨頭に(光栄にも、あちらから話しかけていただき)挨拶。 このお二人とは、もちろん、(お互い、親の代から)様々な接点があるはずなのだが、今まで(どういうわけか)一度もお会いしたことがなかったのだ。
一言でいえば、「生物学を数理的に真摯に研究するための最良の視点は何か」ということについて、一つの明瞭な解答が与えられたということになるだろう。 大変おもしろいと思う。が、それと同時に、ぼくが生物に感じるおもしろさとは、また、少し異なっていることも強く感じる。
要するに、ぼくにとっての生物学の面白さというのは、猛烈に面白い小説(←文学とは言わない(←ぼくは、文学に特別な地位を与えている人なのです、未だに))や映画などに接したときの面白さの延長線上にあるのだ。 そして、その面白さたるや、すさまじいと正直に思う。 生物の研究者同士が、最新の研究結果について議論し合っているのを聞いていると、これは、もう、「世界についての誰も知らない秘密を知っている選ばれし賢者たちの会話」のレベルに達する面白さとワクワク感があるのだ。
じゃ、おまえも、そういうワクワクする生物を研究すれば、と言われると、それは、少しちがうのだ。 ぼくが理論物理の研究で体験できる面白さというのは、また、ぜんぜん別の次元のものだと思っている。 それは、なんというか、ぼく自身の(かなりねじ曲がってしまった)野性的な本能と本当にしっくり来る何かなのだ。 物理を学ぶこと、理論物理を研究することは、変な言い方だけど、「自分は、こういう世界をさまよい、こういう獲物を捕まえるために生まれたんだ」と素直に思えるような、原初的な鮮烈な快感を、ぼくに与えてくれるのだ。 これは、どうしようもない、生まれつきの性向だと思っている。
というわけで、今のぼくは、普通の意味での生物学の研究に本気で乗り出すことはあり得ないと思っている。 じゃ、大野さんの指し示した道はどうかというと・・・・ ううむ。悩むところだ。たしかに、本気で自分の能力を生かして研究できるとすれば、彼のいうような方向になるのだろう。 しかし、まだ本当にピンと来ているとは思えないし、いったん生物の世界に近づくと、周囲で展開している目映いばかりに多彩で面白い物語についつい心奪われてしまいそうだし。
しかし、長い目で見た一つの方向性として自分の中に持っていたいとは思う。
お二人の議論を拝聴し、幸運にも、木下さんの最新の実験結果(←本当に、最新なのだ!)を見せてもらう。
明日から物理学会なので、今日の夕方、北海道に向かいます。
申し込んでみたら、初日の午前中に座長+登壇、最終日の午前中にシンポジウムで登壇ということになってしまったので、フル参加です。なかなか大変である。
せっかくだから、お昼に、おいしいラーメンが食べたい。 ガイドブックに載っている観光客が行くようなところじゃなくて、地元のラーメン好きがおすすめの本当においしい店に行きたい。北大の近くで。というか、まあ、めちゃめちゃ近くなくても、ほどほどの近さなら可。あ、もちろん、学会も真面目に出ますけど。
この日に、日記の冒頭に次のようなアナウンスを書き込んだ。
札幌のホテルのロビーで更新中。
出先でネットにつなぐことのないぼくとしては画期的(なぜか、web は読めないので、ちゃんと更新されているか不安)。
さて、24 日の経済物理のシンポジウムですが、当初予定していた会場(たしか TJ)がシンポジウムやパネルディスカッションに不向きだと判明したので、本日、学会の本部に交渉し、会場を変更していただけることになりました。
同じ建物の講堂(たしか、WJ)で開催されます。
便宜をはかってくださった、北海道大学および物理学会の関係者の皆さんに深く感謝します。
北大が誇る(んだと思う)すばらしい会場で、大人数が収容できます。
でるかどうか迷っていた方も、ぜひとも、ご参加ください。せっかくの年会ですから、ぜひ、幅広い分野の方にお聞きいただいたと思います。
物理サイドのスピーカーだけでなく、現政権(じゃなくなってしまった、ちょっと前の政権)の経済顧問をされている(いた?)経済学者の伊藤先生のお話も聞けます。
詳しくは、案内のページをごらんください(ダウンロードできる概要集の pdf の配色が悪の結社っぽいけど、悪くないよ)。
経済物理に期待している人も、批判的な人も、ともかく聴いてみましょう。