目次 // この事故って / 放射線とか放射能 / シーベルトとベクレル / 放射線と体 / これからの生活 / 原子力発電所

公開: 2011年6月18日 / 最終更新日: 2012年10月5日

放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

放射線って体に悪いの?

このページの目次

わりとすぐに影響がでる場合

後からじわじわと影響がでる場合

子供は別格に考える

放射線がガンを増やす仕組み

では、実際にどれくらいの被ばくがあるのか?

確率的影響についての考え方

内部被ばくについての極端な意見

わりとすぐに影響がでる場合

強い放射線を短い時間のあいだに被ばくすると(「短いあいだ」というのは、細胞がダメージを修復できないくらいの時間なので、大ざっぱに一時間くらい)、人はダメージを受けて場合によっては死ぬ。 だいたい 1 シーベルト(1 Sv)くらいの被ばくで嘔吐したりする症状がでて、10 シーベルトくらい被ばくするとほぼ確実に死んでしまう。 実際、1999 年の JCO の核燃料加工施設での事故では二人が被ばくのために(事故から数ヶ月後だけれど)命を落としている。

ただし、今回の事故で一般人がこんな被ばくをする可能性はまったくないので心配はいらない(もちろん、作業員の被ばくは心配。絶対に大量被ばくがないよう細心の計画を立てて作業してもらわないといけない)。

後からじわじわと影響がでる場合

けっこう多くの放射線を浴びたけれど生き延びた人とか、弱い放射線を長いあいだにわたって浴びた人とかが、何年も後になってから病気になることがある。 代表的な病気は、ガンと白血病だ。

ここから先では、(まさに当面の問題になっている)弱い放射線を長いあいだにわたって被ばくした場合のことだけを考えていこう。 こういう場合には、被ばくをしてもすぐに影響が出てこないし、本人にも自覚症状がない(原発事故のあと、被ばくのせいで、鼻血が出たり下痢になったりしたという話があったけれど、それは放射線とは無関係の精神的な効果だと思っていいんじゃないのかな?)。 おまけに、「これだけ被ばくすると何年後にかならずガンになる」というきっぱりとした話でもない。 話はもっとじれったくて、

じわじわと被ばくした影響が積み重なり、あとあとになって現われて、何年、何十年のあとにガンになる確率が少し高くなる
というのだ。 これは、放射線がぼくらの体のなかの DNA に傷をつけ、その影響があとあとになって現われてくるということで、ちゃんと理屈にもかなっている(「放射線がガンを増やす仕組み」で説明する)。 以下では、病気の代表ということで、また分析が徹底的進んでいるということで、この「ガンの確率」のことを考える。 実際には、被ばくによって増えるのはガンだけではないのだが、他の病気については放射線被ばくとの関連は、それほどしっかりと分かっていないらしい。 いずれにせよ、ガンについての情報は重要な目安になる。
近年、医療がすごく発達して人々の寿命が延びたため、ガンにかかる人が増えている(昔だったらガンになる前に他の病気で死んでいたはずの人たちが長生きしてガンになっているから。「ガンが増えている」というと悪いことのようだが、実は医学の勝利の結果なのだ)。 日本人の場合、だいたい半分くらいの人が死ぬまでの間に一度はガンになり、そのまた半分くらいの人がガンで命を落としているとそうだ。

今、生きている人たちの何パーセントがガンで命を落とすのか正確にはわからない。 仮に、原発事故による被ばくがないとき、25 パーセントの人がガンで死亡する(残りの 75 パーセントの人は別の原因で死亡する)として話を進めよう2009 年の統計にもとづく推定では、日本での累積生涯癌死亡リスクは、男性は26パーセント、女性は16パーセントである(リンク先の図表9))

放射線を被曝すると、この確率があがる。 広島・長崎の被爆者の調査などをもとにして、ある程度以上の被ばくについては、

通算で 1 シーベルト(1 Sv)の放射線をじわじわと被ばくすると、 生涯のあいだにガンで死亡する確率が 5 パーセント上乗せ(うわのせ)される

「ガンで死亡する確率の上乗せ」は被ばく量におおよそ比例する

とされている(解説「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」を参照)。 もとが 25 パーセントとしたので、たとえば 1 シーベルトの被ばくなら、ガンで命を落とす確率は、
25 パーセント + 5 パーセント = 30 パーセント
になるということだ(ちょっと細かい注意:「確率が 5 パーセント増える」とだけ聞くと、25 + 5 なのか、25 × 1.05 なのか、わかりにくい。ここでは前者なので「上乗せ」という言葉を使った)。

上では、被ばく量と「確率の上乗せ」が比例すると言っている。 つまり、たとえば被ばく量が 1 シーベルトの 5 分の 1 の 0.2 シーベルト(0.2 Sv)つまり 200 ミリシーベルト(200 mSv)なら、「上乗せ」の方も 5 パーセントの 5 分の 1 の 1 パーセントということになる。 となると、生涯でガンで命を落とす確率は、25 パーセント + 1 パーセント = 26 パーセントという計算になる。

広島・長崎の被爆者の調査結果については、いろいろな議論はあるのだが(解説「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」を参照)、ここまでに書いたことは、だいたいは信頼できると考えられているようだ(といっても、ひょっとしたら、「確率の上乗せ」の見積もりは 2 倍とか 2 分の 1 といった範囲で違っているかもしれない)。

問題はこの先だ。 被ばく量がもっと小さいときにはどうなるのか?

被ばくした量が小さければ、DNA の傷つき具合も少なくる。だから、ガンになる確率も小さくなる。 どういう具合に小さくなっていくかについてもいろいろな研究がある。

広島・長崎の被爆者など実際に放射線を多く浴びた人たちに例を調べていくと、確かに被ばく量が小さくなるほど、ガンで死亡する確率の「上乗せ」は小さいことがわかる。 そして、「上乗せ」は被ばく量に大ざっぱに比例しているように見える。

被ばく量が小さくなればなるほど「上乗せ」は小さくなっていく。 そして、被ばくの総量が 100 ミリシーベルト(100 mSv)くらいよりも小さくなったあたりからは、放射線被ばくによってガンになる確率が増えるかどうかがわからなくなってくるとされてている。

わからなくなるというのは、「上乗せ」がなくなっている(つまり、弱い放射線はガンを増やさない)ということなのかもしれない。 しかし、そうではなく、「上乗せ」があるのだけれど、小さすぎて見落としているのかも知れない(少し先の「確率的影響についての考え方」というところを読むと、なぜそう考えるのがよくわかると思う)。

いったいどちらが正しいのだろう?

実は、その答えはちゃんとわかっていない。 「最新の生物学の理論」やコンピューターを使えばわかるんじゃないかと思うかも知れないけれど、今のぼくらの科学ではそんなことはできない。 ぼくの知り合いで DNA の損傷のことを本格的に研究している人たちにも聞いてみたけれど、やっぱり理屈だけで「正解」は「わからない」という意見だった。 答えを知るには、やっぱり、(不幸にして)実際に被ばくしてしまった人たちのその後の経過を追跡調査するしかないのだ。 しかし、上に書いたように、被ばくした人の例がそれほど多くないこともあって(←もちろん、原爆の被害者はあまりに多すぎる! ただ、「低線量の被ばくの影響を知る」ためには、「それほど多くない」ということです)、被ばくの量が少ないときの影響はわからないのだ。

科学というのはそういうもので、わからないことはすごく多い。 ただ、この場合は、その「わからない」部分が、ぼくらにとってずいぶんと切実だから悩ましいわけだ。

わからないのだから「わからない」ままにしておいてもいいのかもしれない。 でも、様々な判断をおこなうために、なんらかの「考え方」を決めておくのは一つの賢いやり方だ。 色々な考え方があるようだが、現在、公式になっているのは、
被ばく量がどんなに小さくても、ガンになる確率の「上乗せ」は、被ばくした量(シーベルト)に比例する
という考え方だ(注意:ここで「被ばくした量」というときには、外部被ばくと内部被ばく(実効線量)の合計を考える。「シーベルトとかベクレルってなに? 」の「内部被ばくもシーベルト」を参照。もっと詳しいことについては、付録の解説「内部被ばくのリスク評価について」をどうぞ)。 これは LNT 仮説(線形閾値(しきいち)なし仮説)と呼ばれている。

たとえば、1 シーベルト(1 Sv)の 10 分の 1、つまり 0.1 シーベルト(0.1 Sv)= 100 ミリシーベルト(100 mSv)なら、「上乗せ」も 10 分の 1 の 0.5 パーセントになるとして、

弱い放射線をじわじわと 100 ミリシーベルト(100 mSv)被ばくすると、生涯のあいだにガンで死亡する確率が 0.5 パーセント上乗せ(うわのせ)される
と考える。 よって、ガンで命を落とす確率は、(被ばくしなかったときの)25 パーセントから 25.5 パーセントに増えると考えようというわけだ。

ここに出てきた「25 パーセントだったガンによる死亡の確率が 25.5 パーセントに増える」ということについてどう考えるかはなかなかむずかしい。 あとで「確率的影響についての考え方」のところであらためて詳しく説明しようと思う。

同じように、1 シーベルト(1 Sv)の 20 分の 1、つまり 0.05 シーベルト(0.05 Sv)= 50 ミリシーベルト(50 mSv)なら、「上乗せ」も 20 分の 1 の 0.25 パーセントになると「考える」のだ。

(注意:ここでは「生涯にガンで死亡する確率」だけを問題にした。「生涯にガンにかかる確率」は、大ざっぱには、「生涯にガンで死亡する確率」の 2 倍程度と考えられる。だから、被ばくの影響による「生涯にガンにかかる確率」への「上乗せ」は、上で見た「上乗せ」のだいたい 2 倍と考えていいだろう。)

以上が、 ICRP(International Commission on Radiological Protection、国際放射線防護委員会)の勧告による「公式の考え」である(より詳しくは、解説「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」を参照)。 被ばくの危険があるときには、この「公式の考え」を利用して、ガンで死亡するリスクがどれくらいあるかをみつもり、(たとえば、避難するかしないかといった)判断のよりどころにしようということだ。 「公式の考え」は、ガンによる死亡者の増加を予想するためのものではないし、まして、個々人がガンで死亡する危険性を見積もるためのものでもないことを強調しておこう。

この「公式の考え」では、「被ばく量が○○シーベルトよりも小さければ、影響はまったくない」というような「境目(さかいめ)」になる被ばく量(このような量を「閾値(しきいち)」と呼ぶ)はないことに注意しよう。 どんなに被ばく量が少なくても、ほんのわずかだけど影響があるかもしれないと考えて、対策を考えましょうということである。 「100 ミリシーベルト以下の被ばくなら影響はありません」という説明を見かけることが多いが、これは少なくとも ICRP の「公式の考え」ではない

上のような「公式の考え」に対して、「いや、人間はもっと敏感なのだ。被ばくが少ないとき、その見積もりよりも大きな害がある」という専門家もいれば、まったく逆に、「いやいや、人間はタフ。弱い放射線だったら浴びても大丈夫。ガンなんて増えない」という専門家もいる。 原発事故のあと、「100 ミリシーベルト被ばくしても影響は見られない、大丈夫」という発言をしている医学の専門家もけっこういる。 わからない以上、いろいろなことが言えるわけで、これはぼくにはどうしようもない。 ただ、最近の(慎重そうに見える)研究論文をみると、やはり 100 ミリシーベルト(100 mSv)程度の被ばくでも(わずかだけれど)ガンの増加が見られるようだ。また、状況は違うが 10 ミリシーベルト(10 mSv)程度の被ばくでも健康への影響があったという報告もある。さしあたっては、上の「被ばくした量と『上乗せ』は比例」という「考え方」を採用するのは一応まともな態度にみえる。 それを認めて先に進もう。

子供は別格に考える

ここで、とても重要な注意を一つ。

ここまでの「確率の上乗せ」についての話は、すべての年齢と男女について平均した「平均的個人」についての話だった。 要するに、大人についての話と言っていい。

ところが、子供は大人よりも放射線の影響を受けやすいことがわかっているのだ。 広島・長崎の被爆者の追跡調査でもそのことははっきりしている。また、放射線がガンを引き起こす仕組み(すぐ下で説明する)を考えてもそれはもっともらしい。 細胞分裂がおきているときは細胞中の DNA が傷つけられやすくなることが知られていて、子供の体のなかでは細胞分裂が活発におきているからだ。 より詳しことは、解説「子供の被ばくに気をつけなくてはいけないのは何故か」にまとめておいた。

影響がどれくらい大きくなるのか、正確なことはわかっていないようだ。 大ざっぱには数倍と言われているが、十倍近いという意見もあるようだ。 さらに、言うまでもないことだが、子供のあいだ、あるいは若いうちに健康を害すると人生へのダメージはずっと大きい。 子供については、別格で考えて、大人よりもずっとずっと慎重に被ばくを避けなくてはいけないのだ

放射線がガンを増やす仕組み

ここで、放射線を浴びるとガンになる確率が少しだけあがるのはどうしてなのかを少しだけ説明しておこう。
人が放射線を浴びても、目に見える傷が体についたりすることはない。 しかし、放射線が体を通過すると、体を作っている細胞の中の生体分子の一部をこわすことがわかっている。 細胞にごく小さな傷がつくと言ってもいいだろう。

細胞が傷つけられるといっても、それほど怖がる必要はない。 実は、細胞に小さな傷がつくなんていうのは日常茶飯事なのだ。 外に出て太陽の光を浴びれば皮膚の細胞は傷つけられるし、体に取り込んだ酸素が細胞に傷をつけることもしょっちゅうある。 だから、ぼくらの体には細胞についた傷を治すしかけがちゃんと備わっていて、傷がつけばどんどんと修理していくようになっている。

[DNA] 細胞につけられる傷(より正確には、細胞を構成する生体分子の損傷)のなかで、もっとも重要なのは DNA(デオキシリボ核酸)につく傷だ(DNA の損傷のなかでも特に修復が難しく害があるのが二本鎖の切断)

DNA とは、簡単に言えば、ぼくら生き物の「設計図」の役割を果たしている大きな分子だ(右は DNA の一部の模式図。このような二重のラセンがずっとつながっている。図は wikipedia より。Zephyris による)。 ぼくら生き物が祖先から受け継いだ「遺伝情報」が DNA にたくわえられているということは聞いたことがあると思う。 でも、DNA は親からの遺伝を受け継ぐ時だけに使うんじゃない。 体の中で、様々な目的に使うタンパク質を合成したり、新しく細胞をつくったりするときには、いつでも DNA に書き込まれた情報を使うのだ。 DNA は、ぼくらが生き続けていくための鍵を握っていると言ってもいい。

なので、生物は、傷ついた DNA を治すためのしかけをもっている。 なにしろ DNA は設計図だから、単にちぎれた DNA をくっつけるだけでは修理したことにならない。 書き込まれていた情報も正しく元通りに戻さなくてはいけないのだ。 DNA の修復メカニズムはものすごく発達していて、生物は驚くほど巧妙な方法をいろいろと組み合わせて、DNA についた傷をどんどん治しているのだ。 さらには、DNA がどうしても修復できないくらい壊れてしまったときには、その細胞を「廃棄処分」にしようと決めて殺してしまうしかけ(アポトーシス)まであるそうだ。 ぼくらの体の中でおきていることは、知れば知るほど、ものすごく面白い。

しかし、そうやって巧みに修理していっても、ごくごくまれに、DNA がちゃんと修理されていないままの細胞があとに残ってしまうことがある。 そういう細胞は微妙にまちがった「設計図」をもっていることになる。

長い時間がたったあとで、まちがった「設計図」をもった細胞が「暴走」を始めることがある。 普通の細胞は必要になった時にだけ細胞分裂して増えるのだが、「暴走」を始めた細胞は必要もないの無節操(むせっそう)に細胞分裂を続けて増えていく。 これが、ガンだ(実際には、体の中にはガン細胞を殺す免疫(めんえき)の仕組みがある。ガン細胞が「免疫とのたたかい」に勝ったときに人はガンになる)

ガン細胞は、体に必要な栄養を使ってどんどん増えていき、たちまち他の臓器を圧迫するようになる。 放っておけば、体をどんどんむしばんで、ガンにかかった人は死んでしまうことになる。

つまり、ガンの原因は(DNA に書き込まれている)「設計図」のちょっとしたまちがいということになる。

普通に生きているだけでも「設計図のまちがい」は少しずつ増えていくことがわかっている。 また、タバコを吸ったり、お酒を飲み過ぎたり、強いストレスを感じたり、「発ガン物質」と呼ばれているものを体にとりこんだりしても、「設計図のまちがい」は増える。 ぼくらの身の回りの実にいろいろなものがガンの(遠い)原因になりうるのだ。

放射線の被ばくも、「設計図のまちがい」を引き起こす数多い原因の一つなのだ。 たくさん被ばくすれば、たくさんの DNA が傷つけられるので、それだけ「設計図のまちがい」が後に残る可能性が高くなるというわけだ。

では、実際にどれくらいの被ばくがあるのか?

原発事故による被ばく」のところで説明したように、今でも、多くの土地がセシウムなどの放射性物質に汚染されている。 そういう場所で暮らしているとどのくらいの被ばくがあるのだろうか?  ここでは、ごくごく大ざっぱな計算をして感触をつかんでみよう(何倍かの誤差のある計算と思ってほしい)。

(注意:以下の計算では、家の中でも外でも同じ線量を浴びると仮定する。また、土壌に残っているのはセシウム137 とセシウム 134 だけで両者の比は半々として、放射性物質が崩壊によって減少していく効果を取り入れた(興味のある方は「半減期を取り入れた被ばく量の計算 」を参照)。 ただし、除染によって放射性物質を取り除いたり、放射性物質が付着した土が流されたりして減ることは考えていない)。

事故のあとの 2011 年 4 月の放射線量が 4 マイクロシーベルト毎時(4 μSv/h)だったとする。 これくらいの放射線は福島県の何カ所かで観測されている(もっと高い場所もあった)。 ここに、それから 10 年間暮らすと外部被ばくは全部で 160 ミリシーベルト(160 mSv)程度になる(4 × 24 × 365 × 10 ÷ 1000 = 350 になっていないのは、放射性物質が崩壊して減っていくから)。 50 年間いれば 350 ミリシーベルト(350 mSv)を越す計算だ。 「公式の考え方」に従えば、10 年間いればガンで命を落とす確率は 0.8 パーセント上乗せ、50 年間いれば 2 パーセントほど上乗せという計算になる。 ガンになる確率の上乗せは、これらの倍くらいだろう。

子供であれば、これをさらに数倍するわけで、それはかなりまずい。 もちろん、絶対にこれだけガン患者が増えるとわかっているというわけではない。 しかし、これだけの危険があると考えていろいろな対策を立てましょうというのが「公式の考え」なのだから、こうなった以上は対策をとらなくてはいけない。

かわいそうだとは思うが、このレベルの汚染のある地域からは、子供たちは避難するべきだ。 今すぐに立ち去る必要があるとは言わないが、半年とか 1 年をかけて、なるべく精神的負担(そして、もちろん保護者の経済的負担)のないように避難させてほしい。それをやるのが政府の仕事だ。 あるいは、表面の土を徹底的に入れ替えることで、地域の一部に放射線量の低い「安全ゾーン」をつくり、子供たちにはそこで生活してもらうという対策も有効かも知れない。もちろん、簡単な話ではないので、国に本気になってもらわなくては実現できないプランだ。

上の計算には、これまでの放射線が強かった時期の被ばくは含まれていない。 これもけっこう多いはずだ。 また、上の計算は外部被ばくだけなので、ここに(舞い上がった放射性物質を吸い込むことによる)内部被ばくの影響を足す必要がある。 ただし、少なくとも(日本政府や IAEA や ICRPが示している)「公式の計算法」にしたがうと、内部被ばくの効果はずっと小さいようだ。 食べ物や飲み物を通しての内部被ばくの影響ももちろんある。それについては食品の検査や実際の内部被ばく量の調査などが少しずつ進められている。

2011 年 4 月頃、放射線の強さが 0.5 マイクロシーベルト毎時(0.5 μSv/h)程度のところがかなり広い範囲に見られた。 いわゆる「関東のホットスポット」だ。 そういうところに 10 年暮らせば約 20 ミリシーベルト(20 mSv)、50 年暮らせば約 45 ミリシーベルト(45 mSv)の被ばくをすることになる。 ともかく「公式の考え方」をあてはめれば、ガンで命を落とす確率は、10 年で 0.1 パーセント、50 年で 0.2 パーセント上乗せという話になる。なかなか微妙な数字だと思う。

近くに「ホットスポット」があって、小さな子供がいたりすると、ものすごく心配になるだろう。 ただし、 0.5 マイクロシーベルト毎時(0.5 μSv/h)程度なら一年間では最悪でも 4 ミリシーベルトくらいの被ばくで、公式の考えでは、ほとんど影響がない値だ(とはいっても、これは日本の通常の基準を越えている!)。 「ホットスポット」の範囲が狭ければ、土の入れ替えなどの対策によって放射線を大幅に下げられる可能性もあるので、当面は、放射線の強さをきちんと調べながら、注意深く様子を見るのがいいのではないかとぼくは思う。 また、雨や泥水の流れなどによって特に放射線量のつよい場所ができているということだから、そういうところで子供が遊ばないようにする対策も必要だ。 ともかく、国とかお役所には全力でがんばってもらわないといけない。

確率的影響についての考え方

「ガンで命を落とす確率が少しだけ増える」ということについて、どう考えればいいのだろう?  たとえば、100 ミリシーベルトの被ばくで「もともと 25 パーセントだった確率が、増えて 25.5 パーセントになる」ということの意味を丁寧に考えてみたい。 ちょっと長くて理屈っぽいけれど、気になる人は落ち着いて読んでほしい。
[atom] あなたは一生に一度だけのクジ引きをする。 商店街の抽選に使う機械(回転式抽選機というらしい)のなかに 200 個の球が入っている。 ガラガラとまわして、球を 1 個だけ出す。 それが白玉だったらあなたはガン以外の原因で最期をむかえ、赤玉だったらガンで命を落とす(重い話なのに右の写真の抽選機は派手すぎかもしれない。ごめんなさい。写真は wikipedia より転載、katorisi による)

もともと抽選機のなかには赤玉が 50 個、白玉が 150 個入っていた。 悪者がやってきて、白玉を 1 個だけ抜いて、代わりに赤玉を 1 個入れていった。 赤玉が 51 個で、白玉が 149 個になった。 これが、 100 ミリシーベルトの被ばくの影響というわけだ。

これは、あなたにとってどれくらい「ひどい話」だろうか?  少し想像するとわかるだろうが、「200 個のうち 50 個が赤玉」というのと「200 個のうち 51 個が赤玉」というのとは、実際に 200 個の球を見せられても見分けられない程度の微妙な違いだ。 どっちにしろ赤が出る確率は、ほぼ 4 分の 1。普通の抽選だったら気にならない(←でも、赤玉は増えている!)。

ガラガラとまわして、もし赤が出たらあなたはがっかりするだろう。 そして、「あそこで赤玉を入れたやつのせいで、ガンになってしまった!」と怒るかもしれない。 けれど、本当にそうなのかは誰にも分からない。あなたが出した赤玉はもともと入っていたんじゃないのか? 実際、98 パーセント以上の確率で、あなたが出した赤い球はもともと入っていた赤玉で、悪者が入れた赤玉とは関係ないのだ(「だから怒るのは非科学的だ」とか言うつもりはない。怒るのは人情だし、赤玉が増えたのは事実なのだ)。

一人でクジを引くのではなく、たとえば小学校の同窓生 200 人でやればどうなるだろう?  「元の通りのクジ引きなら赤を出す人数が 50 人。悪者が球を入れ替えたあとなら赤を出すのは 51 人。悪者の影響がばっちりわかるぞ!」と思うかも知れない。 しかし、これは正しくない。 ガンの運命のクジ引きの場合、一人の抽選が終わったら、出た球をまた抽選機に戻してよくかき混ぜてから次の人の抽選の番になる。 どの人も同じ条件で、他の人の結果とは無関係に、抽選をする。 そうすると、赤玉を出した人数は赤玉の個数とはかならずしも一致しないのだ。 赤玉が 50 個だったとしても、赤を引いた人数が多めで 58 人だったり、少なめで 43 人だったり、いろいろと変わる。 大ざっぱに言って、プラスマイナス 10 人くらいの「ばらつき」がある方が普通なのだ。

つまり、200 人が抽選をしただけでは、赤玉が 50 個から 51 個に増えた「ききめ」はほとんどない。 抽選の結果をみても、赤玉が 50 個だったのか 51 個だったのかはわからないのだ。

しかし、抽選をする人数をどんどん増やしていくと「ばらつき」の効果は(相対的には)小さくなっていくことがわかっている(実は、このへんはぼくの専門の「統計物理学」という(すごく面白い)分野と深く関係しているのだ。でも、その話はまた別のところで)。 たとえば、数万人の人がいっせいに同じ「ガンの運命のクジ引き」をしたとすると、「赤玉が 50 個」の場合と「赤玉 51 個」の場合を区別できるようになる。 「悪者」が赤玉を 1 個増やしたということが、ガンによる死亡者の数の統計からわかるようになるのだ。 逆に言えば、「確率の 0.5 パーセントの上乗せ」の効果は数万人の人がかかわってようやくみつかると言ってもいい(だから効果は小さいとも言えるし、みつかろうがみつかるまいが「上乗せ」は「上乗せ」だとも言える)。

もう一つ大事なのは、誰が「悪者が加えた赤玉」を引いたのかはわからないということ。ほとんどの人は、「悪者」とは関係ない赤玉を引き当てているのだ(でも、「悪者が加えた赤玉」を引いた人は確実に何人かはいる!)。

ここまでずっと「商店街のクジ引き」のたとえで話を進めてきた。 しかし、実際のガンの確率のことを考えると、話はずっとずっとむずかしくなる。

たとえば個人差の問題がある。みなが同じ抽選機でクジ引きをするというわけではない(実は,ガンになる割合は、男性のほうが女性よりもずっと高い。つまり、男女で違う抽選機になっている。他にも、様々な個人差があると考えられている)。

話をもっとむずかしくするのは、人がガンで死亡する確率はいろいろな原因でどんどんと変わっていくということだ。 たとえば、タバコを吸う人の数、食生活、空気の汚れ具合、人々が感じる精神的ストレスなどなど、さまざまな理由でガンで死亡する確率は変化すると考えられている。 だから、「100 ミリシーベルトの被ばくで、ガンの確率が 0.5 パーセント上乗せ」と言っても、それを実際のガンによる死亡者の数から確かめるのはかなり難しいことになる。

さて、以上、長々と説明した事実を踏まえて、では、どう考えればいいのか? もちろん、いくつかの考え方がある。

【個人の観点:気にしない派】もちろんいつかは死ぬ。ガンになる可能性だって半々くらいあるし、それで死ぬ可能性も半々。「50 個だった赤玉が 51 個になる」と言われても自分の人生にとっての影響はすごく小さい。そんなことは気にしなくていいでしょ。

【社会的な観点:気にしない派】ガンで死亡する確率が 0.5 パーセントあがるとしても、それは実際問題としてほとんど確かめようがない(それに、「公式の考え方」は間違いで、本当は確率は上がらないかもしれないじゃないか)。そんなことを気にするくらいなら、タバコの害を減らすといった対策を考えるほうがずっと大事。

【個人の観点:気にする派】できればガンにならずに天寿を全うしたい。たとえわずかであっても、自分がガンで死亡する確率があがるのは不快だ。 お酒を飲めばガンの確率はあがることは知っているが、そのときにはお酒を飲む楽しみがある。 原発事故で被ばくしても何の利益も喜びもないのだ。たとえ 1 パーセントでも 0.5 パーセントでも認めたくない。

【社会の観点:気にする派】たとえ 0.5 パーセントであっても、1000 人いれば 5 人、10 万人いれば 500 人程度の人がガンで死亡する。 たとえわかろうがわかるまいが、500 人の命を奪うということを軽々しく考えてはいけない。

どの考えもそれなりに筋が通っているので、ぼくとしてはどれを推薦するということはない。 特に、個人としては、自分の趣味とか感じ方とかで、好きな考え方を選んでいいと思う。 ただし、政府や地方自治体のように人々を守るべき立場から、個人に【気にしない派】の考えを勧めるのは許されないことだと考えている。 個人には、「気にする自由」があり、また、「気にしない自由」がある。それは政府にとやかく言われることではない。

政府や地方自治体は【気にする派】の人々もなっとくして暮らせるように最大限の努力をしなくてはならない。 だから、政府や地方自治体は【気にする派】にならなくてはいけない(そして、いろいろなリスクをちゃんと秤にかけて、ものごとを決めていかなくてはならない)とぼくは信じる。

内部被ばくについての極端な意見

上の「では、どれくらいの被ばくがあるのか?」のところで、セシウムによる汚染を考えたとき、「舞い上がった埃(ほこり)を吸うことによる内部被ばくの効果は小さい」と書いた。 これは、日本政府などが採用している公式の考え方による計算の結果だ。 公式の考え方を決めている団体は、IAEA(International Atomic Energy Agency、国際原子力機関)とか ICRP(International Commission on Radiological Protection、国際放射線防護委員会)とか。どちらも公式の機関だ(注意:IAEA は国連のもとにある公式の機関だが、ICRP は非営利・非政府の国際学術組織なので正確に言えば「公式の機関」ではない。ただ、ICRP の見解は多くの政府に採用されているので、実質的には「公式の機関」と言ってもよいだろう)

まあ、想像できると思うけど、「公式の考え方」に反対の人たちもいる。 「『公式の考え方』を作った IAEA や ICRP は原子力推進派だから、放射線の害を軽く見ている」という意見も耳にする。 IAEA や ICRP が考えなしに闇雲に「安全だ」と言っているとは思わないが、もしかしたら、かれらの見積もりが甘いということはあるのかもしれない。ぼくにはわからない。

「公式の考え方」に反対する人たちの多くは、内部被ばくは主流派が考えているよりずっと危険だと言っている。 内部被ばくの場合、体に入った放射性物質が体内のどこかの組織に取り込まれてしまって、(すごく近距離から)体内の細胞を攻撃することがある。 たとえば、事故の最初の頃に話題になったヨウ素 131 は、甲状腺に蓄積されて甲状腺ガンを引き起こしやすいことが知られている。 他の物質についても同じように特定の組織に蓄積してしまう可能性があるかもしれないというわけだ。 そのあたりの細かい話はやたらと複雑になるので、専門家のあいだでもなかなか意見があわないことがあるんだろう。

反体制派のなかでも目立っているのが、ECRR(European Committee on Radiation Risk、欧州放射線リスク委員会)という組織だ。 IAEA や ICRP と同じアルファベット 4 文字だけれど、こちらは非公式の委員会。 ぼくが見た印象だが、かなり過激に「反原発・反体制」している感じがする。 もちろん、他にももっと過激な人はいるんだろうけど、極端な人の話を聞いているとキリがないので、ECRR がもっとも「反体制」な人たちだと思っておけばいいんじゃないだろうか。

ぼく自身は、ECRR の言うことはほとんど信じていない(理由は下に書く)。 ただ、この手の問題について、どれくらい意見の広がりがあるかを知る(かなり極端な?)例として眺めようと思っている。 このあたりをどう考えるかは皆さん次第だけど、まずは、ぼくと同じくらいのところから出発して徐々に自分の考えを作っていけばいいんじゃないかな?

ECRR はいくつかの「考え方」を示しているが、その中でわかりやすいのは
公式の考えでのガンの確率は低すぎる。原発からの放射性物質による被ばくの場合は、内部被ばくのことを考えて、「公式の考えで出る確率」を 600 倍しろ
というルールだ。これはけっこうすごい(文献などは、「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」を参照)。

たとえば、東京での 2011 年 4 月頃の線量は(けっこう場所によるのだが、公式の値をとると)毎時 0.06 マイクロシーベルト(0.06 μSv/h)くらい。 これは「平常値」だと言われているけれど、実際の東京の平常値は毎時 0.03 マイクロシーベルト(0.03 μSv/h)くらいだ(これは主に空から降ってくる放射線)。 差をとると、現在の値のうちの毎時 0.03 マクロシーベルト(0.03 μSv/h)程度は放射性物質(セシウム)の影響ということになる。 さて、ECRR によれば、放射性物質による毎時 0.03 マイクロシーベルト(0.03 μSv/h)の影響は馬鹿でかいので、600 倍しろという。 つまり、今の東京では実質的には 18 マイクロシーベルト毎時(18 μSv/h)を浴びているのと同じだというのだ。これは大きい。 そのまま信じれば、東京に 1 年いるだけでガンで死亡する確率は 0.7 パーセント上乗せ、50 年いれば 8 パーセント上乗せということになる。 なお、これは「公式」の放射線量を用いた計算なので、地面近くで測った線量を用いると、さらに 2, 3 倍大きくなるだろう(こういう「大ざっぱなリスク評価」の場合、2, 3 倍の違いは気にしなくてもいいとも思うが)。

さらに、もっと放射線の強い地域に「600 倍ルール」の計算をあてはめてしまうと、ほとんどの人がガンになるという、すさまじい結果がでてしまう。

こんな結果を信じたい人はいないに決まっている。 もちろん、「信じたくない」というだけで間違いだと言ってはいけないわけだけれど、いろいろな人の意見を調べてみると、やっぱり ECRR の考えにはかなりの無茶があると考えていいようだ。ほっとします。

たとえば、ECRR のルールの根拠の一つになっているのは、「スウェーデンではガンがちょっと増えたみたいだけど、それってチェルノブイリ原発事故の影響じゃないかな?」という内容の、トンデルという人の論文だ。 この論文で原発事故の影響が示されたかどうかはぼくには判定できないし、実は著者のトンデルもあくまで可能性を問うているようで、論文のタイトルに「?」が入っている(これはかなり珍しい)。 でも、ECRR はこの論文の結果をまっこうから信じて、そこからどんどんとすごい「考え方」をつくってしまっているように見える。 こういう ECRR のやり方は随分と強く批判されている。 それに、ICRP の内部被ばくの換算だって各々の放射性物質についてきめ細かく調査して決めているわけで、それをまとめて 600 倍というのはいくらなんでも乱暴だ。

だから、ECRR の言うことを真に受ける必要はないと思う。 ただ、ものすごく極端な人は 600 倍ちがうとまで言い出すということを知っておいたほうがいいだろうと思ったのだ。

ここまで意見の違う人がいるっていうことは、「あまり強くない放射線をじわじわ浴びたり、微少量の放射性物質を吸い込んで内部被ばくした」ときに何がおきるかが難しい問題だっていうことの一つの現われだと思う。 600 倍は言いすぎだろうけど、たとえば東京での被ばくの影響にしても、「公式の考え方」よりも数倍くらい危ないっていうこともあるかもしれないし(←ぼくは楽観的なので、そういうことはないだろうと勝手に思っているんだけど)、逆に、「公式の考え方」よりも数倍くらい安全っていうこともあるかもしれない。 まあ、それくらい「幅がある」という風に思っておいたほうがいいんじゃないだろうか?

目次 // この事故って / 放射線とか放射能 / シーベルトとベクレル / 放射線と体 / これからの生活 / 原子力発電所


このページを書いて管理しているのは田崎晴明(学習院大学理学部)です。 申し訳ありませんが、ご質問やご意見は(Twitter ではなく) hal.tasaki.h@gmail.com 宛てのメールでお願いします。
リンクはご自由にどうぞ。いろいろな人に紹介していただければ幸いです。 目次の URL は、http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/です(URL をマウスでおさえて「リンクをコピー」してください)。
このページの各項目に直接リンクするときには、上の目次の項目をマウスでおさえて「リンクをコピー」してください。