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             近代社会における「政治と良心」の問題

     【初期自由主義思想がもつ矛盾】


      ◎初期自由主義…国家の本質は純粋に世俗的なものに限られ、また限られるべきも
                   の。国家はなんら神聖なる権威をも主張してはならない。
                                  ↓
                  政治=功利的打算の問題を討議し、交渉する場
                                  ↓
                  国家は富裕階級の利用する権力機構となる

                  アナーキズム−国家否定
                  マルキシズム−国家は階級搾取、階級支配の機関である


      ◎国家が絶大なる統治権力を有することは、さまざまな不都合を生じるようになる。

       ・世俗的国家の主権者は、国家から神聖の権威を剥ぎ取り、神聖的権威を剥奪され
        た国家は世俗的業務機関となった。

       ・だが、治安警察、裁判、国防の任務は、国家にゆだねられる
        裁判…終局的には人間に終身刑、死刑すらも判決する権力
        国防…個人の意思に反し個人を戦場に駆り立て、命を捨てよと命じる権力

       ・神ならざる人間がなぜ人を裁き、なぜ命を捧げよと命じえるのか。国家が自らの本
        務を世俗的なものに限定し、神と絶縁し、すべてが人間対人間の打算的関係と捕
        らえるとき、そこには解決しがたい矛盾を生じる。

       ・世俗主義的ブルジョワジーが、裁判、国防を国家の本質的任務としながら、国家の
        本質を世俗的任務に限定した理論を組み立てようとしたことは論理的に不徹底で
        あり、矛盾している。


      ◎ここに新しい人民のための思想と運動が起こる。社会主義思想とそれに基づく運動
        である。


      ≪アナーキズムの主張≫
       ・人民が人民の為の社会を作るには議会制度を否定しなくてはならない。議会は法
        を作り、この法によって人民を裁判し、戦争に駆り立てる。人民は人民を抑圧し、
        奴隷にする人間を投票で選んでいるに過ぎない。人民の解放は国家の廃止、国
        家指導者・政治家の廃止にまで徹底しなければならない。

       ・議会を否定し、国を否定し、国法を否定して、社会の秩序は何によって保たれる
        のか →「道徳」あるのみ。権力的な国法は廃棄され、道徳のみが社会を平和に
        保つための支柱となる。人民相互が何らの権力権威も利用されずに、自由に連
         体し、連合協力する道徳社会が理想とされる。


      ≪マルキシズムの主張≫
       ・マルクス主義の国家観もアナーキズムの国家観と異なるものではなかった。
        だが、マルキシズムはアナーキズムと相対立する。それは国家への「戦闘的態
        度」において異なっていたからである。マルキストは道徳社会の出現のためには
        強力な権力、暴力装置を利用しなくてはならないと信じた。労働者階級の組織化
        をはかり、労働者階級の団結によって暴力革命を起こす必要を訴えた。

       ・さらにマルキストはプロレタリアートの改革的教育と啓蒙の必要を感じ、そのため
        にはブルジョア国家の精神的支柱となっている宗教的道徳思想を否定しようとし
        た。それゆえ、社会革命家はほとんど反宗教的無神論の立場をとった。


      ◎「神聖」…人間的欲望、現世的な世俗的欲望に反して、これを圧殺し、しかも奉仕
              せざるを得ない絶対的権威。これを根底とする人生観とその人生観の
              防衛を任務としない限り、いかんなる国家も存在しない。またかかる神
              聖は決して人間の良心と無関係には存立しない。






      【政治と良心】

      ◎政治は人生観を離れては存在しない。人生観は良心問題と深く結びついている。

      ◎だが政治と良心とはまったく異なった性格のものであり、「結び付き」の必要と共
        に、その「区別」も必要である。

       ・政治は変化し進歩するものだが、良心は変化しないし、進歩しない。

       ・日々に変化し進歩する政治の性格と永久不易の宗教的信仰との間には明らかな
        区別がある。この区別を無視して、宗教が直接的に政治を支配しようとすれば、
        政治はかたくなな弾力性のないものとなり、社会の進歩は妨げられる。宗教だけ
        ではなくある種の哲学や道徳思想が政治を直接的に支配しようとしても政治は
        硬直化せざるを得ない。

       ・政治が人生観、国民の良心にそのより所を求め、政治が至高なる理念に忠誠で
        あることは必要だ。それがなければ政治には何らの節義もなく国家の神聖なる義
        は保ち得ない。だが神政政治の弊に陥ってはならない。

       ・政治は人事であって神事ではない。


      ◎政治は常により高き人生観を見失ってはならないが、同時に現実の大衆から遊離
        してはならない。したがって国家は政治的理想を抱きつつも、人民に良心を強制
        してはならない。だがそれは国家や政治が市民の良心を放任せよと言うことでは
        ない。強制でもなく放任でもない
もう一つの方法とはどのようなものか。それは、
        宗教が良心問題を指導し教育することを国家が保護することと、特定の教団や宗
        教人が絶対の権威を独占することのありえない「政教分離」原則の組み合わせで
        あった。政教分離がもっとも徹底しているというアメリカにおいて、国家がなお宗教
        的な性格を保持しているように、政教分離、信仰の自由の思想が政治上で実現で
        きた最後の結論だった。






      【日本史における政治と宗教】

      ◎政治家は常に深い人生観を求め、良心問題についても反省を怠ってはならない。

      ◎しかし政治家はあくまでも宗教家や哲学者に従属してはならず、独自の責任を確
         保しなくてはならない。 (一方、宗教家や哲学者もその領域を越えて政治に介入
         してはならない。)

      ◎日本の歴史は政教関係においてこの2つの条件をヨーロッパよりもはるかに適切
        に守ってきた。そのため日本はヨーロッパで展開された宗教戦争ほどの惨劇を経
        験しなかった。



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