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更新日 2018-01-27 | 作成日 2010-01-21

研究・授業紹介

(2010年度法学部広報誌より)

  •  私の専門分野は「地球環境ガバナンス」で、これをテーマにした「特別演習」という授業を受け持っています。授業は最新の研究成果も織り交ぜながら進めていきますので、毎年内容が発展していきます。ただし、私の授業で輪読する文献の半分は英語論文です。これは最先端の研究成果はほとんど英語で発表されるためです。難解な内容のものも多いため、しっかりと英語のトレーニングを積んでおかないとなかなか読みこなすことができないようです。長い英文を読むことに対する苦手意識から英語論文が課される授業を回避してしまう学生もいますが、せっかく大学に入ったのに最先端の学問に触れる機会を自ら逃してしまうことになり非常にもったいないです。今のうちから平易な英語の小説を読んだり、英字新聞を購読するなどして準備をしておくといいでしょう。
  •  さて、本題に入りますが、私が専門とする地球環境ガバナンスは、国境を越えるグローバルな環境問題の解決について探求する学問です。同じ環境問題でも国内的な問題(例えば公害)の場合は法を制定することにより比較的容易に解決できます。例えば、日本では高度成長期に悲惨な被害を引き起こした種々の深刻な公害問題が発生しましたが、1970年の公害国会以降厳格な法令が各分野で導入されていった結果、世界で最も進んだ環境規制措置が導入されるまでになりました。その結果、公害問題は大きく改善されていったのです。しかしながら多数の国々が関与する地球環境問題の場合、このような法による解決は期待できません。これは、国際社会が「アナーキー」であり、強制力を持った中央政府が存在しないためです。もちろん条約などの国際法は存在しますが、条約は批准した国にしか拘束力が及びません。その結果、条約に賛同しない国は条約の枠外にとどまり、問題行動をとり続けます。条約の加盟国に対しては法的拘束力は及ぶものの、違反国に対して制裁を加え(させ)る権限を持った機関が存在しません。それ故、国際法は厳密な意味では法ではありません。こういったアナーキーな国際社会でいかにして地球環境問題の解決に向けて取り組んでいくのかを研究するのが地球環境ガバナンスという学問です。聞いただけで困難な課題に聞こえますが、NGOや企業などの市民社会アクターにまで視野を広げれば解決の希望が見えてくるかもしれません。
  •  そもそも私が環境問題に深い関心を持つようになった理由は私が高校時代まで過ごした大阪の大気汚染にあります。当時の大阪は顔を拭うタオルが黒くなるほど大気汚染がひどく、私が住んでいた地域では枚岡喘息と呼ばれる公害病が認定されていたほどです。私自身も喘息に苦しんだことから環境の大切さは幼少期より身をもって学んできました。私が授業で学生の不満を買いながらも冷暖房をなかなか利用しない理由を少しは理解していただけたでしょうか。もちろん地球環境ガバナンスを学びながら地球環境を破壊する行為を平気でとるような傲慢な姿勢は受け入れられるものではありません。
  •  私が今最も関心を持っていることは、地球環境ガバナンスが直面する様々な構造的問題とそれを乗り越えるために必要とされる1人1人の市民の役割、意識についてです。実はオゾン層の破壊防止など極めて一部の問題を例外とし、地球環境ガバナンスに向けた取り組みは全くうまくいっていません。鯨資源の乱獲の反省はマグロ資源の保全に全く生かせていないし、国際熱帯木材機関が設立されて20年も経つにもかかわらず熱帯木材貿易の99%は非持続的な方法で伐採された森林から産出される木材により占められています。同様に京都議定書が成立したにもかかわらず、温室効果ガスの排出量は逆に増加の一途を辿っています。
  •  このように幾度となく失敗を繰り返す背景にはアナーキーという国際社会の特徴だけでは説明しきれない構造的問題が存在しているはずです。なぜなら他の分野ではアナーキー下でもある程度の成果が上がっているからです。例えば、国際連合は戦争をなくすことには成功していませんが、第二次世界大戦後戦死者数は大幅に減少しています。GATT・WTO体制下で自由貿易体制は確固たるものへと発展し、100年に一度の経済危機におそわれても世界恐慌後の隣人窮乏政策が再現されることはありませんでした。世界の至る所で依然として人権抑圧が起きているのは事実ですが、人権NGOの活動の成果もあり人権問題も大きく改善されています。途上国の貧困問題を解決することは容易ではありませんが、乳幼児死亡率、識字率などは大きく改善されています。ところが地球環境問題では国際社会は数多くの条約を作りながら上で述べたように問題を一向に改善できずにいるのです(分野横断的観点からの授業は国際政治Ⅲ・Ⅳとグローバルガバナンス論演習で実施しています)。このような失敗の繰り返しを生み出す構造的理由を明らかにすることは地球環境ガバナンスの意味ある取り組みに向けての最初のステップとなります。そして、こういった構造的問題を乗り越える手段を検討していくと、国家、国際機関、NGO、企業などこれまでも注目されてきた様々なアクターの役割が重要となるだけでなく、究極的には1人1人の市民の意識にたどり着きます。それは、これらのアクターを構成し、支え、方向付けるのは1人1人の市民であるからです。私が皆さんに訴えたいことはもうお分かりですね。
  •  1人1人の市民の役割を考える上で避けて通れないのがタイムギャップの問題です。地球環境を保全するには莫大な費用がかかりますが、対策の効果がもたらされるのは半世紀後であったり、場合によっては数百年後になることさえあります。例えば、オゾン層破壊物質として知られているフロンガス(CFC)の大気寿命は短いもので50年、最も長いもので1700年になります。温暖化問題でも一旦上昇した大気中の二酸化炭素濃度を減少させ、許容水準にまで気温の上昇をコントロールするには、50年、100年越しの対策が必要になります。つまり、費用は現役世代にかかりますが、恩恵を受けるのは将来の世代になります。オゾンの問題では幸い代替物質の開発が容易で、費用もさほどかからなかったため、タイムギャップの問題は対策を阻む大きな障害になりませんでしたが、温暖化問題ではGDPを大きく左右するほどの対策費用がかかります。つまり、遠い将来の世代の利益のために今我々が大きな自己犠牲を払う用意があるのかどうか問われていると言えます。現段階では市民の多数派は自分たちの快適さを最優先させ、将来世代を犠牲にして地球環境という公共財をただ乗りすることを無意識のうちに選んでいるようです。皆さんも日々の生活のなかで自分がとっている行動をときどきチェックするようにしてください。
  •  さて、以上紹介してきた私の研究内容から明らかなように、私の授業ではただ単に理論や事実を学ぶだけでなく、現実の問題の解決にどのようなインプリケーションを持つのか、また問題解決にどう寄与できるのかといった視点が重視されます。いわば机上の学問では終わらない学問が志向されています。関心のある学生は是非、私が担当する授業に顔を出してみてください。皆さん大歓迎です。

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