茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
あけましておめでとうございます。
ファイルの冒頭に
Hal Tasaki's logW 0301と書くだに、ほんと、年号離れしていて未来感覚たっぷりですね。
ともかく、今まで以上に有意義に過ごすはずの一年がはじまりました。 お互い、がんばりましょう。
ということは、SST にとっては整合性を問われる厳しい思考実験が一つ増えるということになる。 今のところ、本質的に困ったことはなく、Sasa-Tasaki の local steady state の切り出しはやっぱりよくできている、という方向に行きそうだが、もうちょいと、ちゃんとやるぞ。
はっきりいって、新年早々、これまでの運転歴でも最悪のドライバーと遭遇してしまった。 あの車を運転していた人、もしこれを読んでいたら猛反省しなさい。
人の本の原稿を読む作業は、今日で終了。
明日は清水さんにコメントを書き込んだ分厚い原稿を郵送しよう。 って、郵便局やってるのかな? 「年賀」と赤く書いておけば、年賀小包で送ってくれるとか?
昨日は、寒い冬の快晴の一日で、うちの屋上からは富士山やその北側の山々がくっきりと見えたのだが、今日はうってかわって小雪のちらつく厳しく暗く寒い一日。
清水さんに送る原稿は、けっきょく、近所のコンビニから宅急便でだす。 明日の午前中には届くというのだから、郵便で速達で出すよりはやいかも。 なんか、郵便って何なんだという感じになってくる。
清水さんは、
この本は、「自分はこういう本で量子論の勉強を始めたかった」と思うような本を書いたつもりとおっしゃるが、まさに、これこそ教科書を書く最良の、かつ唯一に近いまともな、理由だと思う。
ぼくが熱力学の教科書を書いたときに第一に念頭に置いていたのも、大学一、二年生の頃の自分だし、Alan Sokal と Jean Bricmont の本をわざわざ翻訳したのも、やはりその頃の自分に読ませたいなと思ったからだ。
だから、清水さんの動機は、ごく普通のものだろうと思うのだが、残念ながら、世の中にあふれているある種の教科書を見ると、必ずしも、みんながそういう精神を持っているわけでもないような気がしてしまうのであるなあ。
昼寝からおきて、懸案だった事務作業を少しこなし、夜はハバードの論文の手直しに着手。 しばらく途絶えていたいろいろな人とのメールのやりとりも復活し始めている。
このあと、猛烈に難しい課題がどんどん出てくることは、しばらく前からやっている息子のをちらっと見て知っているのだ。 年老いた(そして余暇のない)私にどこまでできることやら。
またしても、うってかわって、雲はあるものの晴れていて、南からなま暖かい風のふく天候。 富士山も、一昨日ほどではないが、みえる。 まったく落ち着きのない天候だと思うが、天候にしてみれば、こんな奴に言われたくはないだろうな。
午後に一人で散歩。
どうせなら純然たる散歩として知らないところを無目的に歩こうと思うが、知らない道を歩くと即座に方向を失って迷ってしまう強い自信がある。
そこで、家のすぐ前の道を歩き、駅も商店街も通り越して、ひたすらまっすぐ歩き続けることに。
しばらく歩いて全然知らない町並みを過ぎたところで、むかし、車で来たことのある区役所の出張所を発見して大いに驚く。
地図が頭に入っている人なら別に驚かないのだろうが、方向音痴なので、こんなところにも感動を味わうことができるのである。
歩きつつ、一日に考え始めた熱伝導系の変分原理のつづき。
むむむ。長さに比例して消えると思っていた項が消えないではないか・・・
ふうむ。むずかしい。
自分の仕事であることは確実なんだけれど、あまりに今の精神性と違うので、妙な居心地の悪さを感じてしまう。変なものだ。
うひゃあ、こんな証明どうやって思いついたんだろう? あ、そうそう。あのときは、確か引っ越しの少しあとで、今の家に帰る道すがら具体的に状態をつくってそこにハミルトニアンを露骨に作用させ、いらない項どうしがばっちりキャンセルすることを確かめたのだった。 田中さんに一回なおした証明にも問題があると教えられてあせっていた時だった。 あのときは、ほっとしたなあ。 そして、家に戻ってきてから、そのキャンセルの機構をもっとかっこいい言葉で表し、一般に処理できることを確認したんだ。 その結果、この無味乾燥な証明ができたんだけど、これを読んでも、あのキャンセルの快感は全然わからないよなあ。 だいたい、こういう(自分にしかわからない)細かい証明の裏話的なものって、いったい何年くらい自分で覚えているんだろう?
ああ、馬鹿だった。
問題の項は、ちゃんと長さに比例する。
予期しなかったところから長さに比例する項がでてきて混乱していたけど、けっきょく、分子に二つ、分母に一つ出てくるから、予想通りだったのだ。
と、以上、昨晩寝床に入ってから気がついた。
これで、温度勾配がある場合には化学ポテンシャルが連続に変化すること、温度の跳びがある場合にのみ不連続になって構わないことなど、が自然に出てくるので、思惑通り。
といって喜びたいところだが、実は、これに関連し圧力について難問が・・・
うううむ・・・・ 厳しいか?
午後になって配達された年賀状に混じって、暮れに何年かぶりで Y に送った年賀状が「転送期間切れ(=どこに引っ越したかが知っているけど転送してなんかやらないよ、って意味だよなあ)」で戻ってきた。 「やれやれ、新年早々、芯黒にして、ってやつか(出典については、こちらを参照)」と、つぶやく私。
ところで、夢の中の Y は(高校の物理の先生だったのだが)最近は、物理を教えるよりも数学を教えることの方が多くなったと語っていた。 とくに何ということもないが、Y と連絡が取れたときのために、ここに記録しておくとおもしろいかなと思って。
駒場の講義は8日からと年末に確認しておいたのだが、明日からはじまるのではないのかと妻に聞かれ、自信がなくなってしまった(こういうことについては、自分はミスが多いという自信がある)ので、書類を確認するため、大学まで歩く。
寒い。が、運動になるし、気持ちがよい。 上で触れた圧力についての難問を多角的に検討するよい機会であった。
駒場の講義が8日からだったことは言うまでもない。
便利な世の中だよねえ、と思ったら、なんだか知らないけど、去年のシラバスをコピーする機能がうまくはたらかないので、あきらめる。 しっかりしてくれ。
どうでもいいけど、横で息子がつけたテレビからジムノペディー1番の品のない雅楽アレンジという死にそうな音楽が流れている。 そんなの見てないではやくゲームに切り替えろ。
ぼくの(おそらく、多くの物理屋の)仕事はじめは、1月1日午前0時だった(岡村が炎に飛び込むとかいう番組を家族が見ている横で、仕事をしていた)けど、大学の仕事はじめは本日6日だろう。 事務の人に挨拶をしたり、教務関係の打ち合わせ(ていうか、お願い、ていうか、お詫び)をしたり、郵便を出したり受け取ったりしようと大学に出勤。 (昨日のは、散歩。今日のは、出勤。)
が、おおかたの読者の予想通り、まだ大学は冬休みであった。
というわけで、ハバード論文の手直しを徹底的にする。 これで、ほぼ、投稿可能な段階になった。 あと、少し、文章をみなおす。
田崎の年賀状に珍しく本人が写っていたので、 「なんだ、けっこうオヤジになってるじゃん。WEBページの写真はいったい何時のだ?」 などと思い、急に時間の経過を感じて・・・・いや、この年末は本当に忙しく、疲れ切った状態で、いい加減にデジカメで写真を撮ったらオヤジに写ってしまっただけじゃぞい。 web page の写真だって、つい最近撮ったものですぞ。 理学部パンフレットの最初のバージョンをつくった年だから、ええと、去年、じゃなくて、一昨年じゃなくて、ええと、ええと。
昨日あたりから、Ruelle の Statistical Physics: Rigorous Results を何故か読んでいる私であった。
両手をフリーにして歩いた方が気持ちがいいので、今日から、ナップザックというかデイパックというか、要するに、しょいこに書類などを入れて持ち運ぶことにしたのだ。 これだと、出勤というより散歩の気分になって、よろしい(「出勤」の際には、バス、自転車なども使うのである、実は)。
今日こそ仕事始めなので、事務の人に挨拶をしたり、教務関係の打ち合わせ(ていうか、お願い、ていうか、お詫び)をしたり、郵便を出したり受け取ったりしようと事務室に行く。 が、おおかたの読者の予想通り、しまっている。 今日は午前中だけらしい。 いや、悪いのは非常識なおいらの方です。
専用のページに、すべて必要事項を記入し、ファイルを選ぶ。 さいごの行には、
Ready? Set? Recheck archive? SUBMIT (and don't relax yet...)とある(SUBMIT の部分は、ボタンになっていて、押せるわけです)。
指示にしたがって、ボタンを押したあと、決して未だ relax することなく固唾を飲んで待つ。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
10分経過すれど、何も起こらず。
そろそろ、relax していいですかねえ、って、バグってるよ。
(その後、Netscape でなく Explorer でやってみてもダメだなあ。 こんなの、はじめてだ。)
おおかたの読者の予想通り、悪かったのは、非常識なおいらの方です。 Canvas や Mathematica で作った図のファイルがあまりに大きくなりすぎていて、それで嫌われたのであった。 今回は、「おまえのはでかすぎ」というご注意のページにとんだ。 ファイルを GIF になおしてから epsf に戻したり、と色々やっているうちに、小さいのができたので、無事に送信。 かなり ADSL 代金の元を取っている(?)気分である。
駒場で講義。
その後、いろいろな人といろいろな事をいっぱい話す。 いっぱいなので、箇条書き;
夕方まで佐々研にいたので、この建物の7階からみる東京の夜景がすばらしいことをはじめて知る。 ふだん目白方向からみるのと比べると、「裏からみた新宿」がおもしろい。
ハバードの論文に関連して、むかしの知り合いたちとメールのやりとり。
なつかしい。
かつての共著者(されど会ったことはない)の Andreas Mielke は、数年前から、なんか IT 産業の利益の最適化の計算をする方法とかに関わって、けっきょく、仲間といっしょにそれを商売にする会社を立ち上げてしまったそうだ。 (ドイツ語が読める方は、会社の web page をどうぞ。) 大学での物理の研究との二足のわらじというわけか。 ドイツ人はわらじははかないけど(というか、ぼくも、はかない)。
参考文献を少し追加し、夕方には、雑誌に投稿の手続き。
そのまま、人の論文の直しの作業にはいる。
講義のため出勤し、自動販売機で栄養補給のための缶コーヒー(←1,2時限目を続けて教えるときは途中の休み時間に糖分を補充しないと血糖値が下がってばててしまうのである)でも買おうとポケットを探るが、財布がない。
腕をみると、腕時計もない。
鍵もない。
まとめて、家に置いてきてしまった・・・
缶コーヒーは買えないし、講義ノートが置いてある自分の部屋にも入れない。 いまが何時かもわからない(←それは、まわりの時計でわかるだろう)。 ぜんぜんダメじゃんか。
忘れ物をした小学生のように泣きながらお家にとりに帰ろう、といったんは、引き返しかけたのだが、よくしたもので、事務室にスペアの鍵があって、それを借りて事なきを得た。 (しかし、ついでに缶コーヒー代をお借りする図々しさはなかったので、糖分補充なしで講義をして、ばてた。)
実際、如何に長年かよいなれた自分の部屋のある建物とはいえ、居室の鍵を持ってこなければ、ほとんど、役に立たない建物になってしまうんだよね。 じつは、ぼくは、この夏休み、事務もやっていない時刻に、鍵を持たずに出勤し、なにもできずに家に引き返したという悲しい体験をしているのだった。
ところで、「鍵を忘れた」と川畑さんに話したところ、こともなげに「一年に一度くらいは、やるなあ」とお答えになったので、さすが大物と感心。
寒いからアパートのちびちゃんたちはいないのかな、と思いながら、通り過ぎようとすると、
た・ざ・き・さーーーーんと、聞き慣れた M くんの声が響いて、物置の陰から出てきた彼がこちらにむかってまっすぐに走ってくる。 随分ごぶさたしていたのに、覚えていてくれて、ちょっと、というか、かなり感動。
本能的にそのままぎゅっと抱きしめたくなるけど、やっぱり人様のお子さんなので、ちょっと我慢。 ちゃんと挨拶をしてから、「久しぶりだなあ。どのくらい重くなったか、だっこしてもいい?」とご本人の許可を取って、よいしょと抱き上げる。 うちの子たちのことも、重くて抱けなくなるくらいまでしょちゅう抱いていたから、まだ、まだ、 M くんなんて、軽い、軽い。
でも、
おおお、おもいーーー、おもいーーー、おもくなったぞおおお。と騒いでから、地面におろし、「うわあ、しばらく会わないうちに、大きくなって(←もちろん、本当に大きくなっています)重くなったなあ。どのくらい重くなったんだろう?」
M くんは、しばらく、うれしそうな、まぶしそうな、表情をしてから、きっぱりと、
20センチ。かっわいいよね。
というわけで、ほのぼのおじさん系 web 日記でした。
少しだけ宣伝した Hubbard model での強磁性の論文(これは、実は二年以上前の雑感 (12/26/2000) で「世紀の大論文」とかいって騒いでいた論文なのだ。今回もそのネタで騒ぐべきなのかもしれないけど、さすがに、二年以上引っ張るのもなあ(←論文執筆を引っ張るからだろ))を読んでくださっている方がいて、とてもうれしいことである。
その一宮さんの
強磁性の出現をうまく証明できる問題を自分でつくって、それについて証明をしている、ということになるわけで、昔からの標準的なモデルをもってきて、「このモデルでは、かくかくしかじかのことが信じられていたが、それを証明する」という数理物理の王道タイプの仕事とはちょっとちがう(これに対し、Koma-Tasaki 系列の仕事は、そういう意味での「王道」系が多いのです)。
ただし、だからといって、これがマッチポンプ的な、お気楽な仕事かというと、決してそうではないと思っています。
これについては、ちょっと周辺事情を書いておこう。
そもそも、Mielke やぼくが厳密な仕事をはじめる前は、Hubbard model がどういうときに完全強磁性を示すかということは、厳密、非厳密を問わす、ほとんど、わかっていなかった。
実際、ぼくの仕事がでて、一次元の2バンド系で quarter filling のときに強磁性が出やすいことがはっきりわかったわけだけれど、それ以前には、一次元系の数値計算は膨大にやられていたにも関わらず、(ぼくらが知る限り)そんなところで強磁性が出やすいなんで気づいた人はいなかったのだ。
(今では、数値計算で強磁性が出るモデルを見るのはいとも簡単だけど。)
Hubbard model というのは、そもそも、強磁性の起源を議論するために導入されたモデルであるにもかかわらず、である!
だから、ぼくらが Hubbard model での強磁性の出現を厳密に示そうと思ったときには、単にもっとも標準的な Hubbard model をもってきて、強磁性がでることを証明すればよい、というような話にはならなかった。
(もっとも単純な立方格子上の Hubbard model は、おそらく、強磁性は示さない。)
あくまで、電子のホッピングとクーロン相互作用しか使わないというストイックな Hubbard model のルールを守りながら(これを破れば、いくらでも easy game が作れる)、格子の形を工夫したり、(同じことだが)お隣だけでなく隣の隣の格子点までホップできるようにしたり、といったヴァリエーションを考えて、ようやく強磁性がしっかりと出る(しかも、その事実が証明できる)系に行き当たったのだ。
(このへんも、詳しく書くと、さらにいろいろあるのだけど。)
ぼくが提案したモデル(一応、Tasaki model と呼んでくださる人もいる)は、ちょっとややこしいわけで、これが現実世界の強磁性の本質を表わすだろうなんてことは夢にも思っていない。
ただ、「量子力学とクーロン相互作用だけでスピンがそろう」という驚くべき現象(=自然からの出題)を本当に理解しようと思うとき、ひとつの見通しのよいとっかかりになるモデルであることは信じている。
(ぼくが強磁性の出現を証明したのは、特殊な場合だけれど、ぼくのモデルの「周辺にある」より一般のモデルも強磁性を示すと思われている。)
あと、ついでに書いておくと、この「無限大の大きさの系の問題を、有限サイズの問題に焼き直す」という証明の方針は、まったくもって当たり前ではないのだ。
スピン系みたいに粒子の移動がない問題なら、そういう方針もけっこうありがちなのだけれど、ここで扱っている問題では、電子が格子の上をぽんぽんと跳びまわる。
有限のサイズの系を切り出してきても、電子はそこから出たり入ったりするので、その部分にいる電子の数はいろいろに変わってしまうことになる。
というより、量子論の講義で習うように、量子力学的な電子は「波」として格子全体に広がったりしている。
そんなものを勝手に有限のサイズに切り落とすことなどできるわけがない、というのが、常識なのだ。
だから、ぼくが(証明の方針を作って、希望をもって、舞い上がって、行き詰まって、絶望して、というのを何十回も繰り返したのち)この証明の方針を思いついたときも、最初は、ぜんぜん信じられなかった。
というか、アホな方針だと思って、すぐに赤面した。
でも考え直すと、うまく行きそうな気がした。
でもやっぱり問題があった。
あきらめた。
でもやっぱり考えてみると、なんとかなりそうで、徹底的につめて計算し必死で考えた。
結局、ねばりにねばった挙げ句、どうしようもない問題にぶちあたって、完全にダメに思えた。
その日は絶望して、テレビで埴谷雄高のインタビューを見てビールを飲んで寝た。
夜中に目が覚めたとき、いいアイディアが浮かんだ。
飛び起きて、紙に書いて検討し、本当にうまくいくぞと思った・・・
どうやらキモは無限大の大きさの系の問題を、有限サイズの問題に焼き直せる、そういう問題を見つけることのようだ。
というまとめ方は的を射ています。
と、まあ、ささやかな結果ではありますが、本人はそういう感じで、何年もかけて、必死でがんばっていたのであります。
ちょっと茶色ばっかりになっちゃったね。
分子モーター F1 ATPase (生体内では ATP を合成する)の神秘と近年の発展について、耳学問を総動員して、四年生の学生さんにあつく語る。
単分子は、もちろん、生物そのものではない。 生きてはいない。 しかし、「普通の」自然の条件では、「ATP を分解しながら一方向にクルクル回り続ける、一分子のモーター」なんて恐ろしいものが作られることは決してない(と思う)。 何億年にもわたる進化のプロセスがあってこそ、このような驚くべき分子機械が生まれてきたのだ。 その動きが見え、その動作機構がわかりつつある。 そうなれば、四の五の言わずに、必死で見るのが正解にちがいない。 とにかく、耳学問の範囲でも、異様におもしろい。
その 2000 年 12 月 24 日の雑感の主な主張は
最近の若い者は自分の研究室にばかり閉じこもっておって、自分の分野に近いすごい人に会って自分を高めるチャンスを作らないのはいかん。 わしが若い頃はのお・・というじじいの愚痴(ただし、正しい愚痴)なのですが、その枕として、この日に家族と鎌倉に行ったことが書いてある。 それが、なぜびっくりかというと、11 日の翌日、つまり、12 日には、ぼくはまたしても家族といっしょに鎌倉に観光に行っているからなのです。
もちろん、田崎家では月に一度は鎌倉を訪れていたりはしないわけで、2000 年 12 月 24 日に訪れて以来、一度も鎌倉には行っていませんでした。 じっさい、家族で、前に来たのはいつだったろうという話になって、ぼくが、「たぶん、web 日記に書いてある。でもどこに書いてあるか探すのは大変」などと言っていたのでした。 それが、なんと、その前の日に書いた日記からリンクした記事の直前に鎌倉行きが記録されていたのです。
というわけで、強磁性に関するぼくの「世紀の大論文」についての記事は、鎌倉行きの直後に初めて現れ、それから二年以上たって、鎌倉行きの記事の直前に、ようやく論文が完成し、それを振り返る記事が現れたのでした。 前の文がわかりにくいので、図示すれば(←わざわざ、するな)、
鎌倉行きの記事 ↓ 強磁性論文の記事(書くぞ編) │ 二年以上 ↓ 強磁性論文の記事(書いたぞ編) ↓ 鎌倉行きの記事というように、強磁性が鎌倉に挟まれる形になった、示唆に富む時間反転対称な構図ができあがっているのである。 いや、だからどうした、という話にはならないのです。ごめんなさい。
鎌倉名物の江ノ電のホームで、右のような看板をみつけました。 マスコットの豚くんが、元気に江ノ電の宣伝をしています。 わざとらしくなく、ぶっとんだ雰囲気が出ていて、なかなか楽しい看板ではありませんか。
ただ、ここで、少し視野を広げて、すぐ隣の看板もいっしょに見ると、こうなっていたりする(合成ではありません)、という・・・・嗚呼、完璧にありがちな web 日記ネタになってしもうた。
昼過ぎまで、家でお勉強と仕事。
Driven lattice gas の仕事をまとめることを考えて、摂動計算を眺めるのだが、どうも感じが悪い。 もっと体系的な摂動論を時空間できちんと書いて、それから、汚く評価する方がずっと見通しがいいぞ、と気づく。 ふむ。 こういう形式の方がいいはずだと下意識で思っていたから、今まで、まとめる気がおきなかったに違いない ─ と都合のよい解釈をする。
結構、面倒な考察が必要なのだが、大筋はたちまちの上に頭にできあがった。
というのには種があって、実は、昨年いっぱい計算したり評価したりして、全部捨ててしまった考察が今度の評価に自然に活かせるようなのだ。 捨てたことが多かったので忘れていたが、2002 年にも、けっこうがんばって色々な計算をしたんだよなあ。
ちょっと散漫かな?
最近、どういうわけか、研究には直結しないテーマについて、読んで勉強したいと思う本がいっぱいある。 新しいことは「若いうちに」勉強しておかないと身に付かないぞ、ということを本能的に悟って、そういう欲求が生まれているのかもなあ。
昨日は講義、研究室紹介、ゼミの(気合いの入った)最終回と、ハードな一日だったのですが、夜遅くなって家族とのトランプがおわってから、一昨日の夜に Hoodbhoy 氏から届いた「イスラムとの戦争か?」を(半ば反射的に)翻訳しました。 暫定版を公開しましたので、ご意見、コメントを歓迎します。
さて、試験問題をつくり、月曜の講義の準備をせねば。
「メンバー交替があるたびに若返るモーニング娘。!!」と朝の番組でレポーターが叫んでいたけど、それって、けっこう普通のことなんでは? (逆の組織があったら、すごいなあ。) というわけで(←?)、学習院大学の物理学科も、新メンバーを迎えて若返ることになっているのですが、その話は、もうちょっとしてからね。
ううむ。これは、○○の兆候かとも思うが、言い切ってしまうと押し流されそうなので、何も言わず早めに帰って暖かくして本を読むのが正解かもな。
その根拠:「インフルエンザってうつるんですよね? まだ、まわりでうつった人いないからインフルエンザじゃないです。」
ぼくらがインフルエンザテストか?
朝、起きあがろうとすると、肩から背中にかけて違和感があり、動こうとすると、しびれるような痛みがある。 ちょうど腰痛の痛みとしびれが、そのまま、肩のあたりに引っ越してきたような感覚。 こんなのは生まれてこの方、経験なし。
私に何がおきているのだ??
のろのろと起きていって妻に症状を訴えると、「腕が上がらないんじゃない?」というので、試してみると、確かに、ある程度以上の高さにあげようとすると肩に痺れが走る。
妻「それ、五十肩よ」
私「ま、まさか。だいたい、どう考えても、四捨五入しても、ぼくは五十代とはほど遠いではないかっ。」
妻「じゃ、四十肩」
私「ま、まさか。だいたい、どう考えても、四捨五入しても、ぼくは四十代・・・・・か。」
さっそく Google で「四十肩」を検索すると、たしかに、今のぼくの通りの症状が描写してある。 さらに、これは、要するに、
老化の一種 老化の一種 老化の一種 老化の一種 老化の一種 老化の一種であるとはっきり書いてありました。 web は便利であり、非情でもあります。
2003 年という新しい年を迎えるにあたり、ぼくは ─ 2002 年はダメダメだったという強い自覚のもと ─ 2003 年は効率的に時間をつかってばりばり活動するぞ、と誓ったのでした。 そのあたりの決意はこの「雑感」にもきちんと書いたはず。
という風に書き出すと、「といってみたものの、けっきょくは、相変わらずダメダメでした。ぎゃふん」とオチをつけるのが凡庸な web 日記のあり方でしょうが、いやな奴である私の書いている logW である以上はそんなことはありません。 実際、年末年始からかなりの密度で仕事をしており、なかなか充実した日々を送っています。
実は、一月のある日、
おおお、新年を迎えた時はあの仕事をあれこれしていたのに、その後、あれも終わり、これもまとまり、あれはこうなったし、これもああなったぞ。 よしよし。なかなかに充実している。という思念が頭のなかをさっとよぎったわけですが、実は、この独白からもわかるように、ぼくは今が何月の何日かということを認識する力が非常に弱いのですよ。 (人と会話していて、今が何月かわからなくなったり、別の月だと思いこんで変なリアクションをしたりすることが、かなり多い。 一般に情報処理能力は低くないのに、これが猛烈にダメなのは、自分でも面白いくらい。)これくらい仕事ができたということは、だいぶ日にちも経ったはず。
ええと、仕事の進んだ感じからして、そろそろ二十日くらいかな? お、とすると、もうすぐ林檎の新しい CD が出る日じゃないか。
で、このときも、落ち着いて日付を確認すると、なんとまだ11日だったことがわかり、なんかとても得をしたようなうれしい気分でした。
昨日の logW において(←先日、人と話していたときに「本を書いてるって log に書いてあったじゃない」と言われ、「えっ? ログってなんだあ?」と内心で一瞬思ってしまった軟弱な私である)、「自分は日付の感覚が鈍い」ということを書き、かつ、
今日は何曜日だった? 然して問題じゃ無いか(著作権者は CCCD でお馴染みの東芝 EMI かのお?)という歌詞を含むところの曲のはいった DVD(←音楽がいいよね(←とはいうが、一ヶ月後にでるアルバムには全曲ちゃんと入っているわけだろうから、なんか、みなさんせこい商売に踊らされてお金を払っているような気がするけど(←俺も)))の話題を書いては線で消していた(←はっきり言って、読みにくい割には、おもしろくないネタだったねえ)矢先、K 君からのメールによって、ここ二日ほどの「雑感」の記事の曜日が狂っていたことを知らされてしまった。 正確無比のはずのコンピュータの日記作成スクリプトが何故に暴走したのか、などと騒ぐとかいうベタなネタは使い果たした気がするし、かといってこっそり直しておくのも気が引けるし、でも曜日が狂っていたとか書いてやらせだと思われると悲しいし、どうしたものか千々に悩んでしまう私だが、そんなことを悩んでいるほど暇でもないので、けっきょく、全部そのまんま書いてしまうことにしました。
実は、一昨日も「経済学なんちゃら」の試験監督で、奇しくも、同じ教室で監督をやっていたのだ。 そのとき、教室の隅っこで摂動計算の方針を立てて混乱したり納得したりしていた。 それで、今日、同じ教室に戻ってきたら、ごく自然に、同じ計算の続きを始めてしまった。 あそこの後ろの隅っこに立っているとき、この項のキャンセルに気づかずに焦っていたんだな ─ とか思い出しつつ。
こういうのって、何となく面白い。
ああ、今日は、よく働いた。
朝一番の試験からはじまって、降ってわいた教務の雑用の処理だの、来週の試験の問題作りだの、数学辞典の他人(お二人)の原稿を精読してコメント(←自分のところは、どうなった??)だの、試験の採点だの、返事を忘れていたメールの処理(←と書いた瞬間に、もう一件、処理すべきメールがあったと気づいて青くなる)だの、だの、だのだのだのだ。
これに当然、食事とか、子供の勉強を見るとか、そういう普通の生活も重なるわけで、思い返してみても、よくぞ一日にこれほどいろいろやったなと感慨深いものがある。 まるで、一日が長くなったような錯覚さえ覚える。 が、実は、錯覚でも何でもなく、要するに朝早くおきて、ずっと仕事をして、ビールを飲みながらメールを打って夜更かししているというだけの話で、本当に長い一日なのである。
そうやって長い一日を過ごして充実感を味わえるかというと、けっきょく、翌日はエネルギーが足りなくて短い一日になってしまいがちなのですよ。
老化の一種 老化の一種 老化の一種 老化の一種 老化の一種 老化の一種なのでしょうねえ。 (ところで、ご心配をおかけした四十肩ですが、一日で直ったみたいです。 妻によれば「そんなすぐに直るのは四十肩じゃない」そうです。)
(↑こだましている雰囲気を表現しています。わかってるとは思うけど、念のため。)
なんと、かの Albert Einstein と物理の議論をしました。
もちろん、夢の中ですが。
ちなみに、長年物理をやっていますが、こういう風に過去の偉大な学者が夢の中に出てきて議論したのは、記憶にある限り、はじめてです。 場所は当然ながら Princeton なのでしょうね。 どこか、屋外の黒板で Einstein 先生(← Einstein とかに「先生」をつけるのって感じが悪いという意見もあるでしょうが、なにせ直にお話しした記憶が鮮明なので、つい)に、自分の仕事を説明していた。 残念なことに、自信作の強磁性の起源でもなく、今はもっとも悩んでいる非平衡熱力学でもなく、昔の、量子スピン系の仕事について(今でも悩んでいることを含めて)話していました。 こういう方向で考えているのだが、それ以上煮詰められないといったことを話すと、Einstein 先生は、ちょっと訛った英語で
That is OK. You are young.とおっしゃってくださいました。 おまえはまだ若いんだからこれからがんばれという励ましのお言葉です(夢なので、よくわかる)。 Well, I only look young とか言おうかとも思いましたが、たしかに彼に比べれば若いし(←いったい何歳の Einstein だったのだろう?)野暮なので、黙って真面目にうなずいていました。
そのあと、別の若い人と、量子スピン系のくりこみ群の可能性について、すごい勢いで議論していました。 そこでぼくが主張していた攻め方の方針は ─ 夢にしては珍しく ─ 目が覚めて考えてみても、きわめて健全で意味のありそうなものでした。
夢の実話なので、特にオチはありません。
なにせ場所がいい。 学習院の百周年記念会館の大ホールだから、職場から直行可能。
このオーケストラの演奏を聴くのははじめてだったのだが、今までに聴いたアマチュアの地域オーケストラのなかでは、文句無く、最高に上手であった。 前半の曲はあらが目立ちがちだったが、後半のシューマンの交響曲は --- こちらは、そんなに耳が肥えているわけではないし --- もう何の文句もなく素直にのめり込んで楽しみました。 (前半には、あのゴジラの伊福部昭の曲もあり、途中にちゃんと(?)ゴジラっぽい部分もあった。 それでも、寝ている人はちゃんと寝ていたので感心した。)
ううむ。豊島区あなどりがたし。 一区民として重税にあえいでいる私ですが(聞くところでは、豊島区の税金の取り立ては厳しいらしい)こういう目的に使われていると思うと、少しうれしくなる。
こたつに入りながら、熱伝導系の絵を紙に描いて、ううううんと考え込む。 わからなくなって、そのまま、横になって考えていると、さらにわからなくなってくる。 で、そのまま眠ってしまった。
夢のなかに Einstein 先生が再登場して、解決のヒントを与えてくれた、などという話になると愉しいのだが、世の中そんな甘いものではないようだ。 誰も登場しないし、何もわからない。 熱伝導系への(ミクロな)理論的アプローチを探るというのは、誤った路線なのか? めずらしく弱気になる。
このままでは、何もしないで一日が終わってしまう(←講義の準備とか、お勉強とか、いろいろしてはいるのだが、ま、言葉のあややというやつです)と思い、頭を切り換えて、ずうううううっと放置してあった数学辞典の原稿の整備を開始。