日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2/1/2003(土)

一月は密度濃く活動し長く感じたが、月の最後になって、ある種の停滞感におそわれたみたいである。 なんらかの保存則があるのかもしれない。 (←いや、日本語では、疲れがでたというのが普通でしょう。)


Sasa-Tasaki の SST 論文は、長い長い審査プロセスの末に、最終的に、Phys. Rev. Lett. への掲載を認められなかった。 ここまで紛糾したのは、さすがに、初めてのことだし、審査プロセスも、ほぼ最高段階まで行ったのじゃないかな?  最終的なお返事が e-mail でなく郵便で来たというのも、重みをもたせるための作戦であろうか?  別に重みがついたから納得するってもんでもないけどね。

随分と時間とエネルギーを使ったし(←これは、編集者やレフェリーにとってもそうだろうけど)正直なところ悔しいが、Phys. Rev. Lett. に載らなかったことが、われわれの理論の真偽というより重要な問題とはまったく無関係であることは言うまでもない(が、過去に偉大な仕事で Phys. Rev. 系の雑誌に reject されているものが少なくないというデータからすると、拒否されたことによってわれわれの仕事も偉大なブレークスルーである可能性が少し高まったように感じられたりしないでもない<<否定の連続>>)。


2/2/2003(日)

スペースシャトルの事故。

なんとも言いようがないが、昨今の情勢を思うと、信じがたいほどに最悪のタイミング。 この偶然に意味を見いだそうとする人が世界にたくさんいるんだろうなあ。


ぼくが学習院に着任した頃のことだからもう随分と昔になるのだけれど、当時、学習院の古い理学部棟(煉瓦づくりの古風な建物を思い浮かべてください(←ただし、中身にはハイテクの実験室がいっぱい!)。トトロでメイとサツキのお父さんがつとめている大学の建物を思うといいかも)の地下室には、なんと、ミイラがいたのである。

それは、もちろん本物のミイラなどではなく、「ミイラ」とあだ名のついた大学院生で、日の光を浴びることなくつねに地下にこもって実験をつづけたために・・・・などと不気味なことを書きそうになるが、これは筆のはずみで、実際は --- やっぱり不気味なのだが --- エジプトだかどこかから来た正真正銘のミイラが、棺にはいったまま理学部棟の地下に安置されていたのである。

年代測定室で年代測定をするために(←そのまんまですな)持ち込まれた資料だったらしい。 それが、依頼主に何かがおきたとかで(←なんとなく話を膨らませたくなりますなあ)、引き取り手がなくなってしまい、行き場を失ったミイラ君は寂しく理学部棟の地下で余生を過ごしていたのでございました(ま、もともと死んでるわけなんですが)。

で --- 半ば当然の展開なのだが --- 当時の物理学科の学部生のあいだには、このミイラさんをめぐって、それは、それは、恐ろしい伝説があった。

棺のふたを持ち上げて中のミイラを見た者は、必ず留年する
というのである。

いかにもありがちな学生伝説だなどと笑っていると、ばちがあたりますぞ。 恐ろしいことに、私が知る限り、

この伝説は、100パーセント正しい
のである! より正確には、私が知っている範囲でミイラを実際に見た学生さんの数を N、その中で実際に留年した学生さんの数を M としたとき、
M / N = 1
が成り立つのであります。

あるいは、悠久の時を過ごしてきたミイラと直に対面することで、人はあくせくと時間を過ごすことの虚しさを知り、一年や二年の時の経過を何とも思わぬ心境になるのやもしれません。 そして、一年くらい大学によけいにいることを何とも感じなくなって留年してしまうのかもしれません --- などと納得してはいかんのであって、若い頃はそんな悠久なんて感じなくていいから、留年しないようにがんばってください。 万が一してしまったときは、めいっぱい有効に時間を使って、被害を最小限にすること!

学期末における教務委員として本能的に説教口調になってしまいましたが、話を元に戻すと、もちろん、N=M=1 であることは、雑感の読者ならとうにご推察のところでありましよう。 そこから、統計というのは如何にあてにならないかという話にはいるのだろうと思っているでしょうが、実はそうでもなくて、今までのは、枕でさえない、単なる無用の導入(ないしは「つかみ」)でありました。


この「ミイラ伝説」の話をぼくに教えてくれた当時大学四年生だった女の子が、まさに、この N=M 人のサンプルの中の一人だったのですが、彼女が、ある日、研究室でのんびりお茶を飲みながら(←のんびりお茶を飲んでいる時間の長い人だったという記憶があるなあ、やはり悠久の時を・・・)、ふと
たとえば、渋谷とかの人混みで、石を投げて、それが当たった人が量子力学を知っている確率はすごく小さいですよね
というような事を言った。 いわゆる「優秀な学生さん」というのとは、ちょっと違うタイプの学生さんだった彼女の、この一言は、なんとなく深いものを突いているような気がして、心に引っかかった。

そして、時は流れ、世紀も変わり、今年のはじめに清水さんの新しい量子力学の教科書の原稿を一生懸命読んでいたとき、ふと、彼女のこの言葉を思い出したのだった。

当時の彼女が量子力学を本当に深く理解していたなどということはないだろう。 とはいえ、量子力学の理解が浅いのは、専門家を含めて現段階の人類に共通することだ。(←本題とは関係ないのだが、強調してしまった。) とにもかくにも、彼女が、波動関数にさわり、重ね合わせを体感し、簡単な場合に確率の評価やエネルギー固有状態の計算をした、ということは(←したんだと思う。聞いたわけじゃないけど。)、その渋谷を歩いているたくさんの人々を基準に考えれば、もうばりばりのプロといっていいほど本格的に量子力学に接したことになると思う。 で、その渋谷を歩いているたくさんの人々を基準に考えるというのが言語道断なことかというと、別にぼくはそうは思わないわけで、人類は人類なんだから「統計的な意味で『ふつうの』人々」を基準にするのは悪くないし、だいたい、渋谷・新宿にかぎらず、人々の暮らす世界があるレベルでは量子力学にもとづいて動いていることはもう疑う余地のない事実なのだ。 渋谷の人混みをみながら

みんな量子力学にしたがっているけど、(それを言葉として知っている人は少しはいるだろうけど)量子力学のなんたるかを多少なりとも肌で知っている人は自分くらいしかいない
と感じるのは、別に優越感とかいうのではなく、世界の見え方として、ちょっと不思議で愉しいものなのだろうと思う。 (←推測で書くのはおかしいかもしれないけれど、物理学者としてずっと生きていると、はっきりいって変になりすぎているところがあるので。) なんというか、言葉にすると凡庸きわまりないけれど、同じ世界に接していても、見る「角度」がちょっと違うというような感じ。 もっと身近な例でいえば、徹夜でドストエフスキーを読みふけっていた人が朝方どうしてもお腹がすいてコンビニにカップ麺を買いに行こうと街にでたとき見慣れたはずの風景や人々がまったく違って見えるとか、誰も登らないような高い山に登ってそこからの景色に心打たれた人が再び日常に戻ったときに感じる不思議な違和感とか、「地球は青かった」の言葉を残し国家の英雄となったガガーリンがある日超多忙なスケジュールの合間に珍しく一人になってモスクワの外れに散策に出かけ久しぶりに野原に寝ころんで空を見上げ驚いたように「空も青かった・・」とつぶやいた(なんてことがもしあったとすれば、その)ときに感じたであろう眩暈のような感覚とか、とか、とか。

もちろん、ドストエフスキーを読んでいた若者が皆それからは金貸しの老女をなにしたり大審問官にあれしたりするわけじゃないし(←一応ネタばれをさけております)、山の景色を見た人が皆「おれたちゃ町には住めないからに」症候群に陥って会社をやめてしまうわけでもない。 (ガガーリンの晩年については何も知りませんが。) 同様に、量子力学に本格的に接した人が皆、残りの人生を、マクロな量子現象の探索や強磁性の起源の解明やシュレディンガーの猫を探し求める旅に費やすわけでは、もちろん、ない。 全員に近いくらいほとんど全ての人たちは、量子力学など「りょ」の字もでてこない生活を送ることになるだろう。 そして、シュレディンガー方程式なんて見ることも書くこともなく、何年も過ごすことになる。

それじゃ、物理学科に在籍して、量子力学の試験勉強のために一生懸命シュレディンガー方程式をいじった彼女(をはじめとした多くの学生さん)の時間とエネルギーは(←と書いて思い出したけど、清水さんの量子力学の教科書には、いわゆる「時間とエネルギーの不確定性」という、物理学者でも勘違いしていい加減なことを言っていることの多いテーマについても、簡潔にして明解な記述があります)ムダになったのかというと、ぼくは全くそんなことはないと思う。 それから先の人生において量子力学に直接に接することがなかろうと、われわれの住む世界のそういう側面を「見た」という経験は、なにかの違いを与えてくれるはずだ。 別に、ハイテクの基盤にあるものがわかるとか、どんな妙な状況に陥っても基本に立ち返って考える態度が得られるとか、そういう、実際に役に立つこと(そういう風に本当に役に立つことも、実は、けっこうあると思う)を言っているのではない。 仮に役に立ちそうなことを全部忘れたとしても、それでも、世界の見え方がどこか微妙にちがってくるだろうと言いたいのだ。

こういう事を書くと、よくある「文化としての科学」みたいな話かなと言われそうだけど、やっぱり、ちょっと違うと思う。 山のたとえなら、常人にはできない苦労をして登った山でみた風景だからこそ、そこから先の人生でのものの感じ方を変えてしまうほどの感動を与えてくれるのだろう。 やっぱり、量子力学にしても、人生の一時期で、相当の時間とエネルギーをつぎ込み、普通の人は味わわない苦労や喜びを感じながら経験を積んでこそ、何らかの意味で、世界の見え方を変えてくれるのだと思う。


話の成り行き上、量子力学をねたにして書いてきたけれど、これは、もちろん量子力学に限ったことではない。 上で書いたことは、むしろ、物理全般について述べるべきことだったと思う。

話は変わるけれど(といっても実は変わらないのだが)、 Feynman は、彼の教科書(つまり、講義)の冒頭で、彼の講義を聴く学生は全員が物理学者になるとの前提で講義をすると宣言している。 これは、いささか無茶な仮定だが、確かに、場所が Clatech ならば無茶の度合いもさほど高くはあるまい。

ぼくも、以前には、こんな宣言で講義をはじめられるという Feynman の状況をうらやましく感じたこともあった。 それなら、思う存分、自分の物理を描き出せばいいだろうと。

しかし、大学での物理の教育というものに何年間か真面目に取り組んでみて、Feynman のような仮定をしてしまうのは実はどちらかというと安直なことではないかと考えるようになった。 相手が物理学者になるのなら、物理を学ぶのは、単に、生活の糧を得られるようになるための必須のプロセス に過ぎない。 とにかく、プロとして食うに困らないように一流に仕込むことだけを考えればよろしい。 (あ、もちろん、Feynman の講義が安易なものだと言っているわけじゃないよ。 ぼくはとても好きだし、影響も受けた。 そして、なにより、物理学者にならない人にとっても素晴らしい影響を与えてくれる本だと思う。 要するに、Feynman は、そんな「仮定」なんて持ち出さなければよかったんだと思っている。)

けれど、物理というのがやっぱり掛け値なしに素晴らしいものである以上、単に物理のプロを養成することだけを念頭において教育するというのは、どこか物足りないではないか。 そして、言うまでもなく、現実問題として、大学の物理学科を出た後も物理と直接につき合い続ける人はそんなには多くないのだ。

卒業すれば、かなりの人たちが物理から離れる。 大学院まで進んでさらに物理の世界に遊んだ人たちも、大学院がおわれば、物理とは直接かかわらない世界に進むこともある。 あるいは、物理のプロになって人生を過ごしたとしても、多くの場合は、いずれ年をとり引退し、普通の老人として人生の最後を過ごすことになる。 遅かれ早かれ、(おそらくは、ぼくも含めて)ほとんどみんな、この物理の世界を後にすることになるのだ。

そういう風に思うと、そして、「渋谷で石を投げる話」なんかを思い返すと、大学で物理を教える際の目標 --- おそらくは、究極のロマンチックな目標 --- が自ずと浮かび上がってくる。

物理を学んだ人たちが、長い人生を過ごし、晩年を迎えたとき、自分がかつて物理の世界に遊び常人には見ることのできない風景を目の当たりにしてきたことを懐かしく思い出してほしい。 そして、そういう風景を若い頃に見たことによって、自分の人生というものが、何かしら一味違ったものになったなあと感じてほしい。
明文化すると馬鹿みたいですが、でも、一時期から、ぼくはそんなことを夢想しながら物理の教育をするようになってきたというのは嘘ではないのだ。

幸か不幸か、ぼくが教えた学生さんたちは、まだまだ晩年を迎える段階ではなく、それぞれの人生をがんがん生きていらっしゃるわけだ。 彼らが彼女らが晩年を迎える頃には、こちらは、晩年もいいところ --- あるいはあの世にいっているわけ --- だから、こんな大目標が達成されるかどうかは確かめようもないのだった。

でも、ぼくは、この目標は案外あっさりと達成されるんじゃないかと密かに思っているのですよ。 別に、ぼくの講義がいいからというわけじゃなくて(←けっこう、いいんですけどね)、やっぱり物理を学ぶというのは本質的にそういうものだろうと思うから。 今すでに晩年を迎えていらっしゃるかつての物理学徒のみなさんたちも、意識するにせよしないにせよ、物理の世界をかいま見たことがご自分たちの人生の風景を変えたと感じていらっしゃるだろうと勝手に推測しているのだった。 そして、ぼくも年を取ったとき、きっとそういう風に感じるだろうなと確信しているのです。


話はほとんど終わりですが、「ロマンチシズムの暴走」による誤解を避けるべく、すでに書いたことですが、繰り返しておきましょう。

いうまでもないことですが、「人には見えない景色を見た」と思えるためには、相当の時間をかけて、けっきょくはプロを目指すくらいの覚悟で一生懸命に物理に接するしかないわけです。 こっちも、そのつもりで教えています。

で、その過程で、実に様々なことを学ぶのですよ。 旋盤の使い方、実験の計画のたて方、英語の本の読み方、発表のしかた、文章のまとめ方、議論の仕方、そして、言うまでもなく、どんな難問にぶつかっても基礎から考えれば何とかなるぞという物理屋ならではの信念などなど。 上ではあえて書いてないけど、物理学科で学べることは実に多彩だし、けっきょくは、どんな世界に出ていっても役に立つと信じています。

それで、そうやって、人生に役に立つ色々なことを学んだ上で、というよりも、学びながら必然的に、ぼくらは、普通に生きていたのでは思いも及ばない視点から世界を見るということを体験するわけです。


と、まあ、ぼくは物理を教えながらこんなことも思ったりしている、という(それだけの割には長すぎた)話でした。

ところで、最初に書いたミイラは、いつの間にか理学部棟の地下から姿を消してしまいました。 どこ行ったんでしょうね?


2/3/2003(月)

午前中は家で仕事をしながら、教務関連のメールを激しくやりとり。

午後も家にいようかと思ったけれど、若干の用事があるからと遅めに出勤。

大学について机の上をよく見ると、2月3日午前中締め切りのシラバス原稿の校正があるではないか。 (おまけに、非常勤講師の方との連絡の都合上、一部の科目については、今頃になって最初の原稿を出していたりするのだなあ。) 来てよかった。 作業だ。

ばっちりのタイミング(?)で夕方には、すべてを事務室に提出。 ぺこぺこと頭を下げながら事務室を出ようとすると、ドアノブがまわらない。 今し方、事務の T さんが(おそらく、ぼくが遅く提出した書類を処理すべく)部屋を出た直後なのに、まわらない。 出られない。 こわれている。 こわれた。 というか、ぼくがさわったら、こわれた。

見たか、田崎効果。

一月の終わり頃は元気をなくしていた私だが、これぞ、生命エネルギーが復活してきた証であろう。 がんばろう。


付記: 論文が reject されたので元気をなくしたというのではないのだなあ。 何日間かずっと元気が出なかったあとに、通知が来たのだ。 ぼくの中では、自分の生命エネルギーが不足していたから不掲載の知らせが来た、という感じの「因果関係」になってます。

元気がでなかった理由というのは、ま、いろいろあるんでしょうが、ここに書くことじゃない。 さすがに大学教員というのも悩みの皆無な職業というわけにはいかないと。

自分でもダメだなあと思ったのは、夜、目白通りを歩いていたら、閉じている店のシャッターの前に出ている占いのおじさんに呼びかけられた時だなあ。 「見ていきませんか?」みたいに。 (←こっちが「見る」んじゃないから、変な呼び止め方だね。) ぼくは、普段はよっぽど「占いなんて無用です」的オーラ(ないしは、金がなさそうな雰囲気)を発して歩いているらしく、占いの人たちには完全に無視されているのだ。 (というか、占い師に予知能力があれば、ぼくが占いにお金を払わないことは予知できるだろうしねえ。) だから、この夜に、呼びかけられたというのは、いかにも占いに頼りそうなレベルまでエネルギーが低下していたってことだろうと思うわけです。 やれやれ。

ちなみに、今日も、占いの人の前を通って来ましたけど、あちらはぼくを完全無視。 それでいいのです。


2/4/2003(火)

あちゃああ。シラバスの校正を一つ出し忘れていた。

あわてて事務へ。なんだ、きのうの鍵もうなおってるじゃん。


2 日の長い雑感にさっそく複数のつっこみが。
あるいは、物理のプロになって人生を過ごしたとしても、いずれは、年をとり引退し、普通の老人として人生の最後を過ごすことになる。
というところについては、「かなり年でもやっている人がいるよ」との当然のご指摘。 実際、そうだし、年を取らなくても現役のまま亡くなってしまう人がいるし、これは、言葉のあやではすまされない、筆のすべりというやつですなあ。 こっそり直してトーンをゆるめておきましょう。

あと、ガガーリンですけれど、たとえばこんなページにあるように、34歳の若さで、訓練中に事故で亡くなっているそうです。 また、ボストークで飛んでからは英雄に祭り上げられ、本人はかなりとまどっていたという話しも聞きます。 飛んだときはたったの27歳だったらしい。 なんとなく、かわいそうな人ですね。 そう思うと、彼が野原に寝そべってつぶやいたという「空も青かった・・」という言葉もより切なく感じられます(作り話とはいえ)


2/6/2003(木)

ぼくには、とっさに英語が頭に浮かんできて、これって日本語でなんていうんだろってこっそり考えてしまうことが時たまあるんだけど --- なんて、書き出しをすると、めちゃめちゃかっこつけてる感じで、超評判悪いとは思うんだけど、ま、事実なんでいいか --- 今日、かなり久しぶりにある学生さんと会って話したとき、

Welcome back.
というフレーズが一番自然に浮かんできて、それを何とか日本語で表現しようと思って、
え、よ、ようこそ・・・
みたいな感じでしどろもどろになってしまった。

いずれにせよ、大学教員をやっていると、一時的に大学から(精神的に、あるいは、物理的に)離れてしまった学生さんが再び気合いを入れて戻ってくる、というシチュエーションに出会うことは時たまあるわけで、それは、なんというか、ええと rewarding って日本語でなんていうのがいいんだろう、ともかく、そういう感じで、とてもうれしいことなのですよ。 そういうときには、Welcome back っていう言葉が、あっさりした中にうれしい気持ちを素直に表していてかなり適切だと思うわけです。

よく戻ってきてくれたね
なんかだと、なんかドロドロしたものを感じるし、困ったもんだ。 次に誰かが戻ってくる時に備えて(←本当は離れないのがベストなんだけどね)、適訳募集中。
2/7/2003(金)

ええと、

"Welcome back" の訳って、どう考えたって「おかえりなさい」のような気がするけど、でも、田崎さんがわざわざ適訳募集なんて書くからには、深い意図があるのかな?  昨日だって中国から来たおじさんの先生のセミナーの時いちばん前にすわって、いつもの日本語の時と変わらない調子で、「こんな説明はなってない」とか「その『理論』は本質的なところでこけている」といったことを英語でべらべらとまくしたてていたし。 あ、そうか「おかえりなさい」だと "Welcome home" のニュアンスが強すぎるとかいうことがあるのかな?
などと悩まれていた雑感読者のみなさまお早うございます。

実は、昨夜あれを書いていたときは心底「いい日本語がない」と思っていたのですが、朝おきてぼけっとしていたら、「なんだ、『おかえりなさい』じゃねえか」と気づき、それでメールをチェックしたら、私なんかとは比べものにならないほど英語ができるさるお方から「おかえりー、じゃダメっすか?」とのつっこみメールが来ていたのでした。

ううむ、そらそうだよなあ。 とはいえ、やっぱり日本語だと「おかえりなさい」ってちょっと照れくさいってのはありますよね。 あ、そうだ、そうだ、今思いついたけど、「おかえりなさい」「ただいま」を書いてしまうと、林檎のこないだ出た DVD を見ていない方にネタばれになってしまうっていうのが、このシンプルな答えを避けた最大の理由だったのですよ。 ということにしておこう。 (けっきょくネタばれだ。ごめん。)

(以下、林檎ファン以外は無視してくださいな。) で、この DVD の最後に流れる三拍子の曲(途中にも使っている)は、いいですねえ(←「おだいじに」というらしい)。 また、このエフェクター効きまくりのギターが何とも70年代への哀愁をかき立てる。 ぼくとしては、今回聴いた曲では、これが最高です。 シングルでは『迷彩』が好きです。 PV も、とてもてとてもかっこいいではありませんか。 この曲は、ひたすら | B♭m7   | D♭7   | C7   | G♭7 F7 | の循環コードなのですね。 意外。 ピアノで和音を叩いてみると、G♭7 F7 の半音の降下が快感。 しかし、ずっと弾いてなかったので(かつ、もともとへたっぴなので)つい 7th の音を弾き損なう。 (半音下げると簡単な和音になりますが、やっぱり、黒鍵をいっぱい叩く方がそれらしいよね。)


2/8/2003(土)

好評連載「本日のシンクロニシティ」 東京都豊島区 H. T. さん(理論物理学)

今日の昼過ぎ、私は、スピン系と格子場の理論での自発的対称性の破れの素晴らしくエレガントで強力な証明についての70年代のバイブル的論文を捜していました。 最近の私は論文の整理はいっさいしないのですが、昔コピーした論文については、分野ごとに整理してファイルキャビネットに収納してあります。 ところが該当する項目のフォルダーをいくら見ても、捜していた論文はみつかりません。 そのとき、部屋の反対側の机の上に積んであった書類の一部が、がさごそごそと音を立てて崩れ始めたではありませんか! 私は、「おお、論文の山の自発的対称性の破れじゃ」と大いに驚きました。 言っておきますが、私の部屋でこのように論文の山が触れもしないのに崩れたのはほとんど初めてのことです。 そのとき、私は、これはひょっとして何か意味のあることなのではないかという気になって、ファイルキャビネットを離れ、論文が崩れた山の方に行きました。 そして、その隣の山を上から崩してそこに積んであった論文のタイトルを見ていったのです。 すると驚いたことに、捜していた Froehlich-Simon-Spencer の論文が、あっさりとその山の中からでてきたのです。 あそこで論文の山が崩れなければ、こちらを捜すことはなかったと思うと、今でも不思議な気持ちです。
うううむ。すげえ論文。

学生時代にももちろんすごいと思ったが、こっちもプロになりそれなりに年をとると、さらに、そのすごさが身にしみる。


2/10/2003(月)

気分転換に雑感でも書くかと、ファイルを開く。 以前の雑感にみつけたタイポをこっそり直し、今日のヘッダーを用意し、さて、何を書くんだっけ・・・・で、止まってしまった。

何か書こうと思っていた気がするのだが、今し方、××課の官僚主義丸出しのアホな対応に怒った気持ちがそのまま渦巻いていて、何を書いたものやらわからなくなったぞい。 (渦巻いていても、仕事はしています。念のため。)

しかたがないので、ちょっと前の雑感への補足を書いておこう。


2 日の長い雑感での Feynman への言及は彼の真意を誤解しているのではないかというつっこみがあったので、Feynman lectures を出してきて眺めてみました。 (本当は、書く前に裏をとるべきでしょけど、ま、雑感なので勘弁。) ぼくはイントロに書いてあったように思っていたのですが、そうではなく、本文の1章の冒頭に
This two-year course in physics is presented from the point of view that you, the reader, are going to be a physicist. This is not necessarily the case of course, but that is what every professor in every subject assumes!
と書いてありました。

ぼくが思っていたほど特別な書き方ではなく、大学で教えるからには、プロを育てるくらいつもりでやるのが普通なんだぞ、という軽いノリの宣言でしたね。 これなら、ぼくが言っている「やるときはプロの覚悟で」というのと同じことです。

実は、むかし、Feynman は lectures の冒頭でかくかくしかじかの宣言をしているが、と仰々しく話した人がいて、それがぼくの頭の中に誤ったイメージを作っていたようです。 と、書いてから考えると、ぼくは2日の雑感によって、その人と同じことをしてしまったのであるなあ。


2/18/2003(火)

あれま。 一週間も雑感を書かないでいたら、今日が何日だかちっともわからなくなってしまったぞ。 日付を確認するためだけにも、書いておこう。


というだけで終わるのはあまりにもなので、もう少しだけ。

どうもここのところ、疲れがなかなかとれなかったり、なんとなく寒気がして節々が部妙に痛かったりするインフルエンザっぽい予感がしたりで、なるべくおとなしく仕事をしていたのです。 (あ、しかし、杞憂だったようです。まだ腰が痛かったり肩がこったりするのですが、病気にはなっていません。) あと、雑感を本格的にさぼった理由かもしれないのは、本書く的作業を本格的にはじめたことかな。 リンク先にあるとおり、

「相転移と臨界現象の数理」(田崎、原)共立叢書・現代数学の潮流
という本を書くことになっております。 Ising 模型にしぼって相転移と臨界現象について何が厳密にわかったかを初等的に解説するという、ありそうで世界的にもなかった企画です。 統計力学の標準コースの副読本として、数理物理への一つの入門として、あるいは純粋に面白い科学の本として、楽しんでいただけるものを書きたいと、著者一同日々精進しておりますので今しばらくの時間の猶予をばお願いいたします、共立の担当の方。

あ、そういえば、数学辞典の原稿の催促が来ないなあ。


2/20/2003(木)

講義もおわったので、いくつかの雑用さえこなせば比較的時間があるような気がしていたのだけれど、昨日の連発会議で、実は忙しいことがわかってしまったのだ。

しかし、ぼくなどまだいい方で、教室のほかのメンバーの中には、本当にめちゃくちゃ忙しい人もいるのだ。 そう思うと、少し余裕があるような気がして、なんと Mac の system を OSX (10.2.4) に更新してしまった。 なんたる大英断。

これも OSX 上で書いております。 どうよ、近未来の logW って感じでしょう。

確かに古い OS とは全然ちがうけれど、割とひきしまって安定した感覚がある。 ぼくがもっとも好きな system 6.8 (英語版)あたりのクールにひきしまった感触をなんとなく彷彿とさせるものがありますぞ。

あと、どうでもいいことなんだけれど、日本語を使いながらも、主要な表示言語を英語にできるのがうれしい。 やっぱり Mac は英語で話してくれる方が雰囲気があっている。 思えば、昔は、日本語と英語を切り替えながらなるべく英語のまま使ったり、英語の Finder を日本語のシステムに無理に入れたり(アップルは推奨しません)、Resource editor で日本語 Finder の表示を全部英語に書き直したり苦労したものだよねえ、みんな(←誰?)。


熱流誘起秩序ですが、ぼくは、まわりにまわって、結局、等重率の原理に戻ってきつつある。 等重率の原理が仮定できる根拠があるわけではないが、理論としてものを考えるには、ここらにすがって出発するしかないのかもしれない。 (ある種の確率モデルの定常状態として実現させることもできるはず。)

ともかく、その立場に仮に立つことにして、落ち着いて考えてみれば、温度と運動エネルギーの同定や、化学ポテンシャルを単に接触で定義すること、などについても、問題があると思える。 とすれば、そういう設定でやったときには、熱力学の予言から微妙にずれる結果がでるのは必然なのだよな。 Hayakawa-Kim の Boltzmann equation の解析でも、FIO (熱流誘起圧力差)は正しい符号で生じていて、定量的なところで SST とずれがあったわけだ。 これも、もっともなことなのではないのか、と今日歩きながら思っていた。


なんか風が強くて怖い。
2/21/2003(金)

今朝方、ちょっと必要があって Mac を古い OS 9.2 から立ち上げてみたのですが、やたら違和感を感じてしまった。

あ、ウィンドウがこんなにかっちょわるい。 メニューにでる日本語フォントが細っこくてぎざぎざしていて安っぽい感じ。 (注:これは、ぼくがずっと前から思ったり言ったりしていることです。 英語版の Mac のメニューフォントのデザインには、一種天才的職人技というべきものがあって、限られた解像度のなかで、完璧に完成された美しさと読みやすさを誇っていた。 これは、MS Windows なんて M の字もなかった初期の初期から。 でも、日本語化された Mac には、その完成度はなかった。 すごく無理している感じだった。 漢字交じりの言語の限界もあるんだろうけど、英語のメニューの表示さえ格好悪くなって、本当に不満だっのだ。ずっとずっと。)

ああ、やっぱり、もう戻れないなあと痛感した。

ほんの一日 OSX に触れていただけなのに。 なんというか、引っ越した後に昔の家に戻ってみたような、懐かしいような悲しいような複雑な気持ちになってしまう。 人間なんて、そんなものなのですねえ。

(などと偉そうにいうが、未だに必須の TeX はインストールしていない。 だいたい OSX は UNIX だから ftp なんて自然にできるはずなのに、やり方を知らないので、ftp のソフトを起動するためだけに classic 環境(古い OS 9 を並存して走らせる)を立ち上げているという情けなさ・・)


しかし、少し使っただけでも、やっぱり OSX の安定感は圧倒的です。

メモリー領域の管理の仕方が今までの Mac とは全く違っているそうで、あるアプリケーションが暴走したとしても、システムやほかのアプリケーションに悪影響が及ばないようになっているらしい。

実際、今日は早速その事実を身をもって体験しました。

Mac を使う人の間ではかなり悪名高いあるワープロのソフトがある。 このソフトは、やたら重くて、不要な訳のわからない機能がいっぱいついていて、なんか妙に使いづらい。 そして困ったことに、猛烈に不安定。 なかなか起動せずようやく文書を表示したと思ったら、システムごと完全にフリーズさせてしまい、その後は復旧しても Mac そのものの調子が悪くなったような気がするというほどの外道ぶり。 おまえはトロイの木馬か、という感じ。

だったら、そんなワープロ使うなよと思うわけですが、そういう正論が通らない場合もある。 状況によっては、相手方がそのワープロで書いたソフトを送りつけてきて読むことを強要したり、あるいは、そのワープロで作った書類を要求したりもするのである。 そうなってしまうと、ぼくは、愛する Mac が傷つくのをびくびくと恐れながら、その外道ワープロをおっかなびっくり使っていたのでした。

さて、昨日 OSX に切り替えたぼくの Mac での最初の本格的なお仕事は、某所に提出するための書類作りということになってしまったのですが、これが、なんとその外道ソフトで書かなければいけないという条件付きの書類だったのです。 せっかくの新居じゃない新 OS なのに、こんな悪辣外道ワープロを使うのはいやだよおと思いながら作業をしたのですが、驚くじゃありませんが、こんな悪辣外道混迷ワープロを使っているのに、ほとんど不安を感じさせない安定感。 今や OSX なんだから、おまえがどんなに暴れたって、まわりのよい子のソフトたちや、しっかり者の OS 大家さんには、ちっとも迷惑はかからないのさ、はっはっは、という安心感がある。 そういう安心感が伝わるのか、さしもの悪辣ワープロ君も今日ばっかりは暴れたり凍ったりしようとはしない。 悪いことをしても周りに迷惑がかからないんじゃ面白くないや --- っていう悪いっ子心理もあるのかもね。

というわけで、書類の作成は順調に進み、先ほど完了。 ようやく logW を記す余裕も生まれたという次第です。

と、まあ、オチを隠すのがこれほど難しい話題も少ないわけで、どう考えたって、その悪辣外道過機能混迷ワープロが Microsoft Word だっていうことは、もう見え見えですよね。


2/22/2003(土)

実は、昨日の深夜、けっこう興奮しながら、

おお。

上で「ftp のやり方もしらない」と書いたけれど、家に帰ってから、Finder > Go > Connect to Server... というメニューを選んで logW の置いてある場所(ftp:// で始まるアドレス)をコピペして、パスワードを入れたら、わあすごい、ちゃんとウィンドウが開いて、Mac 上のファイルとまったく同じように大学計算機センターの web server 上のファイルが見えるではないか!(一昨日買った OSX の本には、「そういう機能があるみたいだが、まだうまく動かない」と書いてあった。 日進月歩なのだ。) これなら、手元にコピーしてきて編集するのもいとも簡単ではないか。 と書いていて気づいたが、別に Mac 上にコピーしないでも直に編集できるのかな?  この後、実験してみよう。 まずは、これがちゃんと web から見えるか実験だ。

という文章を昨日の雑感に書き足していたのですが、けっきょく、この文章は公開されませんでした。 確かに、このメニューで ftp のウィンドウを開くことはできるのですが、reado only になっていて、こちらからの書き込みは何故かできないのでした。 喜んで書き足してから、サーバーに書き込もうとして、それに気づき、がっかりした次第。

さらに、適当にいじったら書き込めるようになるのではないかと思って、訳もわからずにやたらめったらボタンを押していたら(← Mac ってのは、そうやって使うものだと思っている)、けっきょく Finder がおかしくなられて、OSX では初めての強制終了とあいなってしまった。 (なんか外道なことをしたらしく、その後は、ftp をしよとすると、それだけで Finder が死ぬという哀れな状況。) 世の中、そこまでバラ色ではないか。


ちなみに、先ほど、terminal から emacs を起動したり、rehash と呪文を唱えたりとか、謎の世界を垣間見つつ、TeX のインストールに成功。

これで作業環境はほぼ整ってきた。


なんか、Mac 日記になっとるのお。もうやめよう。
さて、明日は林檎の三枚目アルバムの発売日なのだが、今回は、利口になって予約しておいたので一日早く入手。 (情報が入力されているらしく、レジの機械の表示部分にちゃんとアルバムタイトルの最初の10文字くらいがカタカナで表示されたぞ!) 感想を書くとこれから聞く人に悪いので書かないが、予想を超えているし期待を裏切らないことは言うまでもないのであーる。

しかし、複雑なのは、こうして CCCCD なるものを初めて購入してしまったことである。

ぼくにとっては、音楽を MP3 で Mac 上に保存できないのは悲しい。 別に、偽の CD を大量に焼いて新宿の路地裏で売りさばくつもりはないし、ファイルを「雑感」からダウンロードできるようにしてアクセスを増やす気もない。 単に、iTunes や iPod で「個人として楽しみたい」だけなのだ。

なんか姑息なプロテクトをかけて、そういう道を閉ざし、そればかりか音質も犠牲にするという CCCCCD の方針はアホだと思うなあ。 (実は、この林檎のアルバムは、少なくともうちのプレーヤーで聞く限りは(特に打楽器とかの)音があんまりよくない。 これがプロテクトのせいなのか、単に録音とか処理の問題なのか、いまいちわからない。) おまけに、Windows ユーザーには一定のサービスがあるけど、Mac ユーザーは無視というのも、当然、感じが悪い。

ゲームの業界では、コピーするユーザーとプロテクトするメーカーの間で、本当に熾烈な争いがあったようだ。 思い出すと、Mac でハードディスクが普及し始めた時期に、フロッピーで供給されるソフトの中に、絶対に一つのハードディスクにしかインストールできないというすごいのがあった。 インストールの際に、フロッピーの書き込み禁止を解除するように指示してきて、インストールしながらフロッピーを消去してしまうのだ。 それを使ったときはあまりのケチくささとアホらしさに唖然としたのを覚えている。 さすがに、その流儀は歴史の中に消えていった。 昨今の CCCCCCD とかも、同じ運命をたどってくれるといいのだが。

などと書きながら、一応何がおこるか試そうと思って、おそるおそる CCCCCCCD を Mac に入れて iTunes から覗いてみた。 ま、CD や Mac が壊れるってことはないであろう。 あれ、なんだかちゃんと見えているぞ?

試しに取り込んでみると、なんだかちゃんとすいすいと取り込んで行くではないか。 なんだ、プロテクトしてるんじゃないのかよ?  と、思っていたら、やはり5曲目の途中で動けなくなってしまった。 で、5曲目はあきらめたけど、どうもそれ以外は何も考えずに取り込めてしまった。 (レコード会社の方;別にぼくはセロテープをはるとか変な技を使ったわけでもないし、特殊なソフトを使ったわけでもありません。単に Mac に付属して来た iTunes を普通に使っただけですから、作為的なプロテクトの解除にはあたりませぬ。 もちろん、コピーしたファイルは自分で聞くためにしか用いません。)

ううむ。

けっきょく、一曲だけ取り込めないというのは、プロテクトと呼んでいいのか、単なる嫌がらせと呼ぶべきなのか、微妙な線ですなあ。


2/24/2003(月)

土曜日に書いた林檎ニューアルバムの5曲目ですけれど、別の Mac で試したところ、何の文句もなく吸い出せてしまいました。 (日曜にメールをくださった I さん(←日曜発売のアルバムを金曜に買ってたらしいぞ!)なんかも、一発で、全部吸い出せてしまったらしい。) とんだ CCCCCCCD ですねえ(←おや、C が多すぎ? 公称八百万部の大新聞によれば、CCD が正式らしいぞ!??(←元ネタ:林檎ファン仲間の中野さん)。

ぼくは、物理も音楽も好きなのですが、物理の仕事を本気でしている時には音楽は聴きません。 音楽を聴くときに使う脳や精神の部分と、物理を考える時に使う部分に、かなり共通のところがあるらしい。 聴いていると仕事にならないし、集中して仕事に入りこむと聞こえなくなるので意味がない。 これは別にすべての物理学者に共通することではなく、音楽をがんがんかけながら仕事もすいすいできる人もいて、ちょっとうらやましかったりします。 (中島みゆきはハードな計算に向いているらしい。)

しかし、同じ仕事といっても、ついさっきまでやっていたみたいに、「悪辣外道過機能おせっかい『何で 1) ってうっただけで人に断りもせず勝手に 2) とか出してくるんだよその割にはなんかすぐに変になるし』ワープロ」で講演リストとか文献リストとかこれまでの研究概要の自画自賛的要約とかを作る --- なんていう作業をするときには、音楽をかけながらやった方が明らかに気が紛れて能率があがります。

というわけで、林檎のアルバムを聴きながら、お役所に出すべき書類はほぼ完成しました。

しかし、今日こういう仕事をやる上で、5曲目の吸い出しも成功して、完全な形で聴くことができたのは、本当によかったと思っています。 5曲目なしでは、なかなか、今日の仕事の能率も上がりきらなかった気がします。

はい。

ファン方はとっくにおわかりなのですが、5曲目のタイトルは、

やっつけ仕事
というお粗末でございました。
2/26/2003(水)

昨日、今日、明日の三日間は、卒業研究+修士論文の発表会で、朝から夕方まで缶詰の日々。 おもしろい話はおもしろく、元気がでるのだが、しかし、疲れないというと嘘になります。

それでも、やっつけでない仕事もしています。

鶴ヶ岡八幡宮で得た「時間反転性が重要」という啓示と、等重率の原理(←これ、最初「当重率の原理」と誤変換していたんだけど、それに気づいて、深い意味があるんじゃないかと悩んでくださった読者がいらっしゃったらしい。ごめんなさい)と、Onsager の回帰仮説を取り込んだ上で、何をすべきか、かつ、それが実装可能な最小のおもちゃが何かが、ようやくわかった。 で、ごく簡単な計算を実行してみる。

「やらせ」ではないので、白とでるか黒とでるかは、やってみるまでわからない。

ふむふむ。 卒業研究のプログラムの裏に計算した範囲では、FIO の符号も、p(T,J,mu) の凸性もばっちりではないか。 むふむふ。


ところで、ftp 機能を内蔵していて、ftp サーバー上のファイルを直接編集することができるという優れもののエディターがあることを知ったので(というか、エディターの存在は知っていたのだけれど、そういう機能があることを、最近知った)、今、それを試しているところ。

ぼくはしょっちゅうセーブする癖があるので、そのたびにサーバーに書き込むのはちょっとうるさい気もするが、いちいち get だぜ、とか put だぜとやらなくていいので、便利かも。 お、おまけに、今ミスタイプして発見したが、html の支援のショートカットも組み込みでいろいろついているみたいだぞ。 少し試してみよう。 (また Mac 日記になってる。)


好評の Mac 日記の続き: ひえー。 さっき logW を書いていとき佐々さんからメールが来たんだけど、もろに文字化けしている!  これは佐々さんが悪いのではなく、OSX の Eudora がタコであることの表われだそうだ。 よく知らないけど。 (佐々さんは、set sendcode=JIS とやっているらしい。)

そういう問題があることは原から聞いていたのだが、その手のコンピューターのトラブルは気合いで乗り切って、忘れて気にかけなければどこかへ行ってしまうという信念のもとに今日までやってきたのだ。 ううむ。やはり正面から対処法を考えないとダメか??


2/27/2003(木)

卒業研究+修士論文の発表会、成績判定会議、そして、もう一つ別の会議。 夕方に会議がおわって、これで一息つけると思ったら居室に戻る余裕もなく教務+教育関係急用が 発生。これは、まだ継続中(なんとかしよう)。

SST への等重率からのアプローチについてノートを書くべきなのだがなあ。 文字化け対策もまだまだか。


さてと。F 君の修士論文発表。

しっかりとした実験だと思うし、見えている現象もなかなかに興味深い。

しかし、OHP の準備にはもう少し時間をかけてほしかったかも。 「OHP の書き方」を見てよ。 やっぱり一つ一つの OHP にはタイトルをつけないと、聞く方には負担なのだよ。

もちろん、寸前まで実験データをとっていて時間がなかったっていうのは、わかるよ。

でも、発表の最後に出した

田崎先生、これからも雑感を読みつづけます。
とか書いてある「ネタ OHP」(他にも微妙なネタいくつか)を作っている暇はあったんだしなあ。
こういうわざとらしいネタは黙殺すべきところなのだが、F 君ももうすぐ学習院を去っていくと思うと、つい、反応してしまうのであった。 (他の発表もよかったよ、もちろん。)

発表会が全部おわったあと、会場の外に M2 の学生さんたちがなんとなく集っていて「やっぱ、寂しいよなあ」とか言っている。 ぼくも、みんなが一年生だった頃のことを不思議と生き生きと思い出したりして、ちょっとセンチな気分になってしまう。 今日から、妙に春っぽい風が吹き始めたしね。

かつて全国に話題を呼んだ K 君も、期待通りの気合いの入った卒業研究発表をして、もうすぐ卒業である。

最近知ったことなのだけれど、「雑感」を書き始めて二日目の記事(5/26/2000)「ジェイってなんだよ? ジェイってなんだよ?!」と騒いでいる「アホ役」の学生さんが登場するが、実は、これも(当時は名前を知らなかったようだが)若き日の K 君だったそうだ。 そう思うと、彼は一貫して「雑感」にネタを提供してくれていたのであった。

ちょっと横道:ところで、平野さんにさっき聞いたのですが、K 君は4年生であるにもかかわらず、国際会議でポスター発表をやって、けっこう偉い外国の人に聞いてもらったりしたらしい。すごくなくない? でも、今年の四年生には、少なくとも、あと二人、国際会議で発表した人たちがいることも知ってしまった。 すごすぎじゃん!  学習院の物理に合格したけど、入学するかどうか迷っているそこの君。君だよ。 迷うことはないって。(自己フォロー:別に国際会議では発表してなくても、十分にすごい卒業研究もあります。会議があるかないかとかはタイミングの問題もあるしね。あと、卒業研究で本当に目指すべきなのは、国際会議とか、物理的に新しい結果というよりも、自分の人生の一時期で物理と本当につきあって、それから先の人生での「世界の見え方」を変えていく種を作ることだと思う。ちょっとくさいけど、まじで。)
ネタ元がなくなるから、というわけじゃないけど、多くの学生さんがここを去っていくのは寂しいことだ。 もちろん、みんなそれぞれの行き先で新しい人生を歩みはじめるのだから、それは心から祝福しています。

というわけで、日頃は、人の感情など解さぬ冷酷無比研究最優先厳密証明派冷血数理物理学者とか呼ばれているぼく(←信じないでね)だけど、この季節だけは、ちょっと「普通のセンセイ」っぽくなったりもするのでありました。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
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