日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


8/1/2003(金)

8 月になったのでファイルを新しくしたがとくに書くべきこともないので空白にしておこうと思ったがそれだと見てくれた人に申し訳がないので何か書こうかなあ何を書こう書くべき事を思いつかないなあなどと悩んでいる内にそれなりに空白ではなくなって来たがこんなことが書いてあっても読んでくれた人にはかえって申し訳がないよなあ。


というわけで、今日も雑用をすませて、明日からしばらくいなくなります。

旅行先にもっていく課題は厳選し、

の三つにしぼります。

進展に期待。


8/3/2003(日)

昨日は、東京を脱出。

夏休み中の日曜日に中央高速で信州に向かおうというのだから、渋滞は覚悟の上。 とはいえ、数時間のドライブは体にこたえるわい。

昼間、ばてて寝ていたせいもあり、夜はなかなか寝付けない。 うまく行きそうで行かない SST 自由エネルギーと第二法則の関連について、また悩みはじめると、なあんだ、そうだったのか、と正解に気付く。 わかってみれば当たり前なのだけれど、いろいろと先入観があると気付くのが遅れるという典型的なパターン。 もちろん、先入観がなければ、そもそも新しいアイディアは得られないのだから、(誤った)先入観というのは重要なのですけどね。

というわけで、今日は、おきてから細部をきちんとつめる。 三題噺(予定)のうちの二題までは、これで実質的には完了。

ポテンシャル変動をかけたときの定常状態の確率がカノニカル分布に準ずる挙動をするという仮定のもとに、操作的に求めた SST 自由エネルギーと、マルコフ過程の一般論から決まる自由エネルギー汎関数とのあいだに明確な関係がある(ルジャンドル変換で結ばれる)ことを示した。 仮定がまっとうならば、意味のある結果である。 この仮定については、今のところ佐々さんと意見のやりとりをしていないが、ぼくの今の感触では、これは「まともな非平衡定常系」では、ある程度のスケールでは、成立しているべき性質のように思える。

イジング本の原稿も、しこしこと平均場の紹介などを書く。 数理物理というよりは、普通の物理の本に書いてある話なので、いまいち気合いが入らずに後回しにしてあったのだが、こういうところも着実にやらなくてはね。


そうそう、一応メールをみる体制をつくろうかと、東京電話からもらったパンフレットをみながら PPP 接続を試みる。 Mac の設定法に少し悩んだけど、ま、そこはなんとか。 やっぱり、Mac は使いやすい。

しかしながら、何度試みても、

authorization failed
と表示されて接続が切れてしまう。

パスワードを入れ直したり、接続ポイントをかえたりしてみても、駄目。

仕方がないので、東京電話のサービス電話にかけてみるのだけれど、忙しくてつながらなかったり、つながってもテープ案内だけだったりして、全然だめだめ。 これじゃサービス電話として機能してない。

というわけで、完璧に断念。

宣言どおりメールはまったく見ないことにしました。 面倒なメールが全くやってこないというのも、なかなかどうして、快適なものです。 こっちからメールが出せないのはちょっと寂しいが。

というわけで、この日記も完璧にオフラインで書いております。 東京に戻ってからまとめてアップする予定。 ていうか、これをみなさんが読まれているということはアップしたということです。


8/4/2003(月)

ええとですね、いわゆる「どっきりネタ」で引っ張る趣味はないので、さらっと行こうと思うのですが、右の私の顔の写真をご覧下さい、あ、でも心配しないでください。

東京を離れてのんびり過ごすはずが不慮の事故で額に痛々しい傷 --- という感じですが、そういう事故はなかったので、ご安心を。 でも、これは正真正銘 2003 年 8 月 4 日の写真だし、もちろん、合成でもありません。

今、メイクアップアーティストを目指して勉強中の(とてもパワフルで魅力的な)親戚の女の子がいっしょに滞在しています。 実は、この写真の傷は、彼女がぼくに施した特殊メイクなのです。 ハリウッド映画などでも使われているのと同じ本格的な技術だそうで、実際に現物を近くからまじまじと見てもにせものとは思えない出来映えです。

彼女の練習を兼ねて、話のネタにメイクしてもらったのでした。 しかし、メイクとわかっていても、額に傷のひらいた自分の顔を鏡で見ていると、いかにもケガをしたような気になって本能的に脱力してしまうから面白いものです。 息子と甥もケンカの後のアザや傷のついた悲惨な顔にメイクしてもらっていましたが、とくに、年の若い甥は、自分の傷を見ている内に本気で怖くなってしまったようで、すぐにはずしてもらっていました。 普段はやんちゃで気の強い子が素直に怯えてしまったからすごい威力です。 一方、親であるぼくらとしては、息子や甥が悲惨な姿になっているのを見るのは(実際、それに近いことを何度か経験して青ざめているわけですから)、シャレにならない感覚で、はっきり言って、いたたまれない。 メイクが、というか外見が、人の心理に与える影響は大きいものだと一同大いに関心した次第。

というように、ぼくら男性陣は痛々しいメイクのモデルになったわけですが、娘や姪の方は、当然かもしれませんが、もっと真面目にヘアメイクやお化粧を施してもらっていました。 こちらも、というより、こちらこそさらに、メイクの威力を思い知らせてくれる体験でした。 セミプロに髪型のセッティングからお化粧まですべてを手がけてもらうと、文字通り「変身」して全く別の雰囲気の女性になってしまうのです。 これは父親としてはもう本当に鮮烈な体験で、語り出すときりがないのですが、ちょっとこの日記の趣旨等々を考えて、これ以上は書かないことにしよう。


そのメイクアップアーティストの卵の親戚の女の子は、とある専門学校(実は、ぼくも名前を知っているメジャーなところですが)の二年生だから、ぼくが教えている学生さんたちの同級生でもあります。 本気でプロを目指し、互いに強烈なライバル意識を抱きながら、すごい勢いで勉強と技術の修得に取り組んでいる専門学校生たちの話を聞くと、ついつい、物理学科の学生さんたちと比べたくなってしまう。 彼女の場合は、旅先に本式のメイク道具一式を携えてきて、親戚の子やおっさんにメイクを施して、みんなを驚かせたり、喜ばせたりすることができる。 さあて、物理学科の二年生が、親戚のおっさんを驚かせることができるかなあ?  ゆで卵をまわして立たせたり、ラグビーボールを投げて才差運動をさせたりして、その背後にある力学を説けば驚いてもらえるか?

もちろん、こんな単純な比較は意味がないわけです。 物理を学ぶ場合、将来に広がる可能性は猛烈に広い。 基礎の中の基礎をやるわけだし、技術ではなく世界に立ち向かう姿勢を学ぶのだと思う。 だから、将来のゴールがいったいどういうところにあるのかさえ最初の頃はちっともわからない。 当然ながら、メイクアップアーティストのように、きわめて具体的な目標がある場合と比べるわけにはいかないでしょう。

それはそれで当然なのだけど、ぼくにとって新鮮だったのは、ぼくの学生さんたちと同い年の人たちが、強いプロ意識とプライドをしっかりと持ちながら学んでいることを肌で感じられたこと。 将来プロになるにせよならないにせよ、プロ意識とプライドをもってしっかり学ぶというのは、物理の学生さんたちにとっても重要な生き方だと思う。 がんばってください。 何人かの学生さんたちは負けていないと思うけどね。

と、傷の写真を枕に、ずいぶん長くなってしまった。


8/6/2003(水)

夏休みの自由 エネルギー 研究の目標は、1) SST 自由エネルギー、2) マルコフ過程の第二法則、そして、3) 密度ゆらぎの三つを関連づける三題噺を確立することであった。

このうち、1), 2) の関連は明確になったのだけれど、3) を関連づけるためには、さらに人工的な仮定が必要なことがわかった。 自然な形だと思って楽観していたのだが、(今のところ)甘かったように思う。

というわけで、三題噺はひとまずあきらめて、1) と 2) についての二題噺をきちんとまとめることにする。 昨日と今日とで、簡単なノートをまとめ、スペルチェックをして、TeX のコンパイルを通したところで、佐々さんと林さんにメールで送ろう・・・と思っても送れない。 ちょっと不便かも。


8/7/2003(木)

午後から、子供たちを置いて、妻と二人で近所に最近できた美術館へ。

まだ近隣には人が少ないので、美術館はとてもすいていている。 空間もゆったりしていて、いすに座って絵を見る配慮もあり、快適。

「山響」という絵(妻によると日本画の手法で描いたものらしい)がおもしろい。

ぱっとみると、画面のほとんどが黒煙のようなものに覆われているようにしか見えない。 近くによってみると、黒煙のなかに、細い線や太い線がところどころ朧気にひいてあるだけでまったく何の絵にも見えない。 しかし、ほどよく離れた位置から、しばらくの間ずっと眺めていると、まるで暗がりに目がなれてきて景色が徐々に見えてくるときのように、そこに何が「ある」かが次第にわかってくる。 画面中央の白っぽい二本の横線だったものは、山すその民家だ。 民家の左手前には畑か田があり、民家からこちらに、下るように道が続いているのもわかる。 畑か田のまわりの雑草の茂みも見える。 そして、民家のすぐ背後は、すぐに山になっていて、木が生い茂っている。 目をこらしていると、山の形も見えてくるし、どのあたりにどのように木が生えているかも、おおまかには、わかってくる。

妻と二人で絵の前に座って、何が見えるかを語り合うと、たしかに、彼女にもぼくと同じ情景が見えていることがわかる。 つまり、この絵を見る人は、夕暮れから夜にかけての暗い光の中で、山すそにたたずむ民家とその背後の暗い山を一生懸命に見ているのと同じ感覚を(山の奥の暗がりに感じる本能的な恐怖や、民家のたたずまいに抱く不思議な懐かしさなどなども含めて)味わうことになるのだ。

物理学者の日記風に(って、まあ、そうなんだけど)まとめると、

小さなスケールで細部を見ると意味をなさず、ある程度まで粗視化して粗いスケールで見るときだけ意味を獲得する絵
なのである。 もちろん、そういう絵が珍しくない(モネとか)ことは知っているけれど、「山響」の場合は、必要な粗視化のスケールが非常に大きく、ほとんど絵全体に近いレベルまでくりこんでやらないと、絵が見えてこないのだった。 とはいうものの、絵そのものは、決してそういう「頭でっかち」ではなく、深い雰囲気のあるすごい作品です(と思う)。
8/10/2003(日)

昨日は、台風10号が日本を縦断。 滞在先でも、強い風が吹き、雨が降った。

理論物理学者の仕事はどこでも続けられるのだが、子供たちの予定はいかんともし難く、本日は台風一過の快晴の中を走り東京に帰還。 ぎりぎりで大渋滞を避けて夕方に東京に戻る。

暑い。


さっそく大量にたまっている(はずの)メールをチェックしようと思うが、つながらない。

web を見ても学習院のページにはつながらないので、停電か何かであろう。

夜十時を過ぎて復旧したようだ。 しかし、ほとんど屑メールばっかり・・  ちょっと悲しい。


8/11/2003(月)

昨日の運転の疲れ、および、暑さのため、へろへろになって、けっきょく外出せず、在宅で仕事したり休んだり。

この前まとめたノートにでてくるポテンシャル変化に対する定常分布の応答についての仮定が、正確に成り立つような確立モデルを作るという課題について相変わらず考えるが、自明な答え以外が未だ出てこない。 実は、一連の考察の出発点になったのは、普通の driven lattice gas で、いま仮定している性質が正確に成り立つだろという、とんでもないアホな誤解だったのだ。 アホな誤解をしたまま、その性質があれば何が言えるかなと考えはじめて、少しおもしろいことに気づいたのである。 科学の世界にかぎらず、よくある話だけど。


へろへろしなのでしゃきっとすべく、顔を洗おうと洗面所に入って鏡をみると、4日の額に傷のついた自分の顔を反射的に思い出してしまう。 一週間たってもこれだけの印象が残っているのだなあと改めて感心。
8/13/2003(水)

あちゃあ。けっきょく丸二日間、頭痛でぶっ倒れてしまった。

ドライブ疲れから来る極度の肩こりが原因と思われる。 やはり、たまにしか運転しない中年ドライバーは時速120キロ以上は出さないという規則をつくるべきかもなあ。 (すでに、そういう法律はあるでしょうが。)


その、へろへろ二日目である昨日の夜、ベッドに入ったあとで、行列の det の処理について正しい方法がわかったので、三題噺の三つ目の「ゆらぎの理論」に再挑戦。

消えてほしかった三つの項を真面目に調べると、微少量の一次のオーダーはみごとにキャンセルしている。 最初にみたときはキャンセルするはずなどないと思った量なので、ちょっと、びっくり。 (いずれ事情がわかると当たり前のキャンセルということになるのかもしれないが。)

しかし、話がうまく行くためには、二次の項までキャンセルする必要がある。 キャンセルのための条件までわかったけれど、これが一般に成立するとは思えないなあ。

いずれにせよ、ゆらぎの話は、長距離相関の問題などいろいろデリケートなところがあるし、今は、ここまでか・・


8/19/2003(火)

正確には覚えていないんだけど、おそらく、ほんの1,2年前(すでに「雑感」を書いていた時期であったのは確か)までは、Google で、「田崎」と検索すると、なんと、ぼくの大学のホームページ(トップページのこと)が、一番上にでてきたのですよ。

たしかに「佐藤」とか「田中」みたいに数の多い名字じゃないけれど百円ショップで印鑑が買える程度にはありふれた名前である。 で、某真珠会社(←文脈からして、ぜんぜん「某」じゃないけど)とか、ワインのおじさんとか、AV 女優さんとか をさしおいて、小規模私立大学の理論物理学者のページが一番っていうのは、けっこう、すごくなくないですか?

Google のランク付けの方法については、昔、少しだけ読んだことがあるけれど、基本的にはリンクの解析をもとにページに得点をつけて、得点の高い順に表示しているのだったと思う。 ただし、単にリンクの多いページが高得点になるのではなく、得点の高いページからのリンクは高得点になるようにして、集計しているという話だったように覚えている。 (このあたり、うろ覚えで書いているので、ちゃんと知りたい人は、しかるべきところを見てください。 (って、どこ?)) これは、一種の自縄自縛というか boot-strap というか self-consistency で解を求めようということだから、得点の初期値はどうするのか、収束はどれくらいよいのか、収束した解の初期値依存性はどれほどか、とかいろいろ疑問がでてくるけど、ま、そういう話はいいだろう。 (そうそう、言い忘れたけど、昨日でぼくの夏休みは終わったらしく、今日の会議を皮切りに、なんか必死で働く必要がありそうな気配である。 本や論文や書評や、みんなためこんだままなのだが。特に書評がやばい。というわけで、雑感の文章も、かなり書き殴りなのだ。 (別に書かなくてもいいんだろうけど。つい。)) また、Google 式の方法を論文の評価に使うとかいう話題もありうるけど、いずれにせよ、数値評価はあほらしいと思っているので、その話もふくらませないことにするのだ。

じゃ、なにが書きたいかというと、実は、ある時に、ふと再び Google で「田崎」をやってみたら、田崎真珠に堂々の一位を奪われてしまって、ぼくは二位に転落していたのだ。 がーーーん。 ぼくが一位だった時期はかなり長く、そのうち「雑感」に書いて自慢しちゃおうとか思って慢心していたのだが、やはり、大手の真珠屋さんには勝てなかった。

潔く負けを認めるので、同じ名前のよしみで、真珠をください。

しかし、である。

この小さな敗北は、実のところ、限りなき転落の序章でしかなかったようじゃ。

今日、久々に「田崎」を Google にて検索してみたところ(←「そういうときは、『ぐぐってみたところ』っていうんですよ」と思っているそこのあなた。知ってるけど、「ぐぐる」って、語感悪くて格好悪いと感じてしまうんですよおだ。)、もう田崎真珠や世界のソムリエ田崎は言うに及ばず、田崎酒造、田崎農場、田崎病院、などなど、軒並みの田崎さんに負かされて、ぼくのページは辛うじて十位で一ページ目に入っているという状況でありました。 ううむ。 負けを認めるので、お酒と農作物をください。

たとえば「雑感」ていうか logW の読者は、一年前よりは増えているような気がする(気がするだけなんで、情けないですが)ので、ぼくの順位が下がったのは、相対的に他のページの得点が上がっていったということなのでしょう。 あるいは、得点を付ける際に、アカデミックなページに事前に高得点を与えすぎていたのを是正したのかも知れない。

と、まあ、けっきょく、だからどうしたということもない話でした。 すみません。 一位の時にネタにしそこなったので、せめて十位に入っているうちに書いておこうと思って。 というよりは、多忙なときの逃避か・・ (ついでに気になるんだけど、ぼくのページって Google ではちゃんとタイトルが表示されないんだけど、なんでだろう? html の書き方にまずいところとかがあるのかなあ? どなたか詳しい方がいらっしゃったら(お暇なときにでも)教えてください。(さらに、ついでですけど、学習院のページって Google にちゃんと拾われていないのかな、と思ったりする。たとえば、「椎名林檎 伊丹センター」で検索しても、ぼくのページはひっかからないのであーる! (しかし、引っかかるページは、あるのだ。)))


8/20/2003(水)

あぎゃあ、もう20日だっ!!

と日付に気づくところが、手動日付入力型 logW の利点であろう。

(それにしても、夏休みは終わったとかいいながら、急に logW の分量が増えるってのは、いかがなものか。)


閑話休題。

きのう書いた Google の件ですが、検索にかかっていないのは、学習院の方で検索を拒否する設定になっているからだということを平野さんに教えていただきました。

http://www.gakushuin.ac.jp/robots.txt というファイルのなかに

User-agent: *
Disallow: /
つまり、「犬とロボットはお断り」と書いてあるそうです。 ロボットは、人間の友達なのに・・ (付記:あ、犬も友達です。犬のみなさま、申し訳ありませんでした。)

学習院では、ネットワーク化の最初の段階から、計算機センターという全学的な組織が中心になってほとんどすべてを取り仕切ってきました。 そう聞くと、さぞや融通が利かず困っただろうとほとんどの人(特に大学関係者)はお考えになるでしょうが、実は、まったくそうではなかった。 計算機センターは全学的な組織でありながら、きわめて優秀で鋭い見通しをもった教員(計算機もプロだが、研究もしている)がリードしているため、官僚主義に陥らず実によい仕事をしてくれるのです。学生や教員に何が必要かを明快に見通しながら、全学規模で、実に安定したネットワークを提供してくれています。 インターネットが普及しつつあった時代は、多くの大学で個々の研究室が独自にサーバーを構築していました。 それを、玄人や半玄人や半素人(や、あるいは素人)がよってたかっていじったりつないだりしたために、ぐちゃぐちゃのわけのわからないネットワークになってしまい、しょちゅうトラブルが発生し、教育研究に専念すべき教員(たいていはコンピューターに強い若手の助手の人たちなんか)が多大な時間を割いて修復するということが、しょちゅう行われていたと聞いています。 そういう話が出るたびに、ぼくは、「うちはセンターが全部やってくれるので、トラブルはいっさいない」と話すと、全ての人が信じがたいという顔をして猛烈にうらやましがってくれたものでした。 (ある大きな大学の計算機センターは、メールの管理をしてくれと依頼されると、「計算機センターはそういう業務をすることにはなっていない」と回答していたらしい。 たしかに、計算機センター設立のときにはメールなんてなかった!) その後も、学習院の計算機センターは、コンピューターやネットワークをめぐる時代の変化をちゃんとにらみながら、学生さんやぼくらにきわめて安定したメールと web サーバーを提供して下さっている。 (ぼくはネットワークの初期の頃に、「研究者に必要なのはメールが安定して送受信できること、それだけ。www など、お遊び。どうでもよい」と計算機関係の会議で断言したことがある。 わはははは。)

というわけで、ぼくは計算機センターのネットワーク管理には、ほとんど完全な信頼をおいているのでした。 だから、このロボット拒否にも、それなりの意味があるのかな、などとぼんやり思っています。 ただし、Google の検索にかからないというのは、大学の広報や研究室の宣伝という観点からは、あまりよくないかもなあ。 今度、そのあたりをちょっと相談してみます。

と、これで話は完結しそうなんだけど、ロボット拒否といっても、明らかに日記アンテナなんかはぼくのページの情報を定期的に取得していますね。 この場合は、ロボット君が「立ち入り禁止」の看板を読まずに(読めずに)入ってきて情報をもっていっているということなのか。

で、ふと、昔なつかしい goo の検索を使ってみると、「椎名林檎 伊丹センター」でちゃんと二件ヒットするではありませんか。ぼくのページも。

おお、それでは、というので、今度は goo で「田崎」で検索すると、なんと、全 38604 ページ中でおいらのホームページがトップではありませぬか。 ソムリエ田崎が二位ですな。負けを認めてワインをおくれ。 うれしいことに「日々の雑感的なもの」も4位入賞を果たしております。 ぱちぱちぱち。 でも、goo がどうやってページに順番をつけてるのか全く不明なので、何をどう喜んでいいのかわからないや。


それは、そうと、上で学習院の計算機センターのことを書いたけれど、センターがいかに柔軟に賢く学習院の計算機システムを作り維持し改善してきたかっていうのは、相当に面白い話だと思うよ。 で、その成功を支えているのはもちろん色々な人たちの力なんだけど、I さんという(って入沢さんなんだけど)お一人の方の能力と努力によるところが非常に大きいと私は思っています。 よく「余人をもって代え難い」というけど、ほんと入沢さんの場合はそうだと思う。 彼がいなければ、今みたいな贅沢な環境を実現するのはほとんど不可能だったと思うし、できたとしても、泥臭い話だけど、はるかにお金がかかったはず。 詳しい話は知らないけど、入沢さんと彼が率いるチームがいたから(この予算で)できた、という事はこれまで多々あったらしい。 学習院大学という、それなりに大規模な組織のなかで、入沢さんがこれだけの仕事をなしえたというのは、実は相当にすごいことです。 (研究の方でも、未来開拓の大型予算を取ってきてる。半端じゃないよ。) ぼくは、入沢さんに、引退したらここでやったことを自伝にして書けば絶対おもしろいと勧めているくらいです。

自伝はともかく、近年の学習院大学で、大学にもっとも貢献した一個人は誰かってことをもし考えるとしたら、それは入沢さんじゃなかろうかとさえぼくなんかはとっさに思ってしまいます。 学習院関係の読者は、そのあたり認識して下さるとうれしいですね。 別に入沢さんに会ったとき、おがんだりしろというわけじゃないけど。


さてと、今日は、気分をかえて物理学会誌のための書評を書く。 前に(3/2)書評を書くと宣言してから、なんだかんだとさぼっていたのだが、何せ短い原稿なので、やってみたら結構すぐに片づいた。 なあんだ、こんなことなら 以下略。
8/21/2003(木)

昨日の「ロボットお断り問題」ですが、やはり反響が。

かの有名な SF 作家であるアイ×ック・ア×モフ先生から「わしのかわいいロボットたちを排除しないでほしい」とのお叱りをいただいた --- というとやっぱり嘘だとばれると思いますが、しかし、真面目な話、かの有名な SF 作家である野尻抱介さんから「それはまずいぞ」とのご意見をいただきました。 ほんとです。ここを見よ。

ううむ、いったい野尻さんにどういう経路でロボット拒否の事実がばれてしまったのじゃろう・・・ などと、ぼけている場合ではないのであって、たしかに

これはネットから学習院大が消滅したに等しい。
とのご指摘は重い。

あの設定については、真面目に担当者と相談してみようと思います。 しかし、大学全体の問題ですから、ここは、高度に政治的に立ち回りタイミングをみて根回しなどをしてから話を持ちかけることにします --- って、ここで放送してたら駄目か。


8/22/2003(金)

さあて、話題沸騰の「ロボット進入禁止問題」ですが、結論から言うと、なんとかなりました。 いまや、http://www.gakushuin.ac.jp/robots.txt というファイルは存在しません。

ここにこぎ着けるために、様々な人に電話をかけ面会し贈り物をして巧妙に話を進めるものの巨大官僚組織にはばまれて動きがとれなくなり最後は日本の私立大学を陰から動かすある人物のお力を借りたり --- といったことはもちろん全くなく、実のところ、ああいう設定になっていたのは、以前どこかのページに不具合があったので一時的に検索を排除したのを解除し忘れていただけというほのぼのしたお話だったらしく、あっさりと一瞬でなおしてくれました。 これは、大学全体にとってよいことでしょう。 平野さん、野尻さん、ありがとうございました。

logW 読者のロボットのみなさん、どうもご迷惑をおかけしました。 どうか、これにこりず、これからはどんどん学習院のページにもやってきてくださいね。


それにしても、昨日からウィルス発のメール多すぎ。 ウィルスメールといかがわしい宣伝メールの合間にまともなメールが埋まっているという感じで、そろそろ実用上問題になってきた気がする。 非公開アドレスを使うのも一手だが、そうしたとしても、定期的に公開アドレスを覗く必要はあるし。 困るなあ。
8/24/2003(日)

ううむ、一昨日の大阪名物ハリセンチョップ的ぼけをたちどころに見破るとは、さすがナカムラさん。 あれは読者を確実にだましてやろうと周到に用意したネタであり、実際のところ「田崎さんがネットワークの問題解決のため私費で贈り物などをされたのかと心から心配しました」とか「『日本の私立大学を陰で支配する首領(どん)』って誰だろう、ひょっとして××××かな、などと真面目に考えてドキドキしてしまいました」といったお便りが続々と届いています --- などということはもちろん・・・


ようやく洗濯物があっという間に乾く夏の気候。

めちゃくちゃ暑いので、(最近は毎日大学に出て作業をしているのだが)今日は仕事をさぼって家にこもりイジング本の作業と SST について考えていることをさらに考えるのだ。 しかし、別にさぼっているわけじゃないし、よく考えると、日曜日か。

SST については、何も進歩していないようだが、実は、夏休みの前半にやった自由エネルギーと第二法則の関係についての考察が相当に深いところ --- 望むらくは非平衡定常系の測度についての一つの原理 --- につながっているというのがぼくの最近の希望的認識で、その方向での真面目な妄想を日々重ねているのである。 もちろん、簡単ではないんだけど。


8/26/2003(火)

さて、すっかり夏休み恒例となりました、「田崎さんの自由工作コーナー」です。

前回は、

ええと、・・・

一分でできるピンホールカメラ(2000/8/18)でしたね。 みなさんも試してご覧になりましたか? (ただ書いているだけなので、やらなくていいですよ。)

って、三年も前かよ・・

さて、今回は、空気中の湿気で素早く硬化する瞬間接着剤の定番、アロンアルファを使った工作の紹介です。 とても簡単で、家族に喜ばれること請け合いですので、皆さんもやってみてくださいね。

ぼくも妻にとても感謝されています。

で、

どういう工作かというと、

妻の足の指の爪が半分割れかけていたのでアロンアルファでなおした。

8/27/2003(水)

昼食につかう「プチトマト」を買ってくるよう妻に頼まれ近所のスーパーへ。 野菜の棚をいくら見てもプチトマトという商品札はない。 そのかわり「チェリートマト」という札があった。 そして、そこには「ミニトマト」と印刷したケースにはいった赤い小さな野菜が並んでいた。 購入して帰った。 これでよかったらしい。

道ばたに家を壊したあとの小さな空き地。 そこに、シャボン玉が三個、四個、ふわふわと浮かんでいる。 どこかにシャボン玉で遊んでいる子供がいるのだろうか、と気になって、足をとめる。 しかし、空き地には誰もいない。 近所の家やアパートの窓にもシャボン玉をやっている人の姿はない。 しばらく立ち止まっていたが、シャボン玉がどこから来たのはわからなかった。 いや、別にどこからも来なかったのかもしれない、ただここにあって消えていくだけなのかもしれない --- などと、思ってみたりした。

腕時計のベルトが切れたので、新しいベルトを購入し、遠回りで大学へむかう。 強い陽射し、蝉の声、しかし、日陰で感じる風にはすでに秋の気配。 四十何年か生きて体に染みついた経験則から、「ああ、長く暑い夏もおわるのだなあ」と一瞬思ってしまう。 すぐに今年の気候のことを思い出し、映画館に遅れて入って映画のクライマックスだけを見ているような感じだなあとか思う。 で、歩きつつ考えていると、ポテンシャル変化への定常分布の対応についてぼくが仮定している性質と、確率モデルで「縦方向のバランス」と呼んでいるものの関係がようやく明瞭になった。 「縦方向の詳細釣り合い」は強すぎる仮定で、もっとゆるい、はるかにもっともらしい(そして、典型的な状態については、ある程度は示すことのできる)性質があれば、微少なポテンシャル変化への応答は望む形になる。 これで small fluctuation については、ぼくの望む性質が自然にでるとすると、large deviation は観測では決まらないので、同じ形が成立することを原理として要請する。 こうして、操作的定常状態熱力学における熱力学関数が、定常状態の確率に強い制限をあたえることになる。 そして、操作的熱力学とマルコフ過程からでる第二法則も完全に整合する。 悪くない、おわりだけの夏の夜の夢でなければ。


8/28/2003(木)

誕生日である。

いや、お祝いのお言葉やメールや添付ファイルは不要です。 家族とひっそりと祝いましょう。そういう年です。

先日、母と話していて、「父が今のぼくの年齢だった頃」の話題になったのだが、それで本当にいい年になったのだと痛感してしまった。 その頃、ぼくがちょうど大学に入学し、一年前から筑波大に移っていた父にあわせて、家族全員が関西から関東へ移ってきた(戻ってきた)のだった。 ぼくにとって、大学入学あたりからは、(それなりに)記憶も残っているし、やっていることが現在にかなり直接につながるという意味で、「近代史」の領域に入る。 わが「近代史」の中の父と同じ年齢になったというのは、やはり驚きである。

当然ながら、ぼくにとっての「現代史」が始まるのは、妻といっしょになって家庭をもってから、ということになる。 「現代史」のなかの父の年齢に達するまで、あとたった7年か・・・

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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