茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。
なんか雪が降っているので、家で仕事をしております。
ただ、「大学で強制的にやらなくてはいけない仕事」という観点からすると、(特に、4 月以降は)実は、それほど忙しくはなかったのだ。 基本的には、講義やゼミをちゃんとやって(全ての教員が出る)最低限の会議に(最低限以下の熱意で)参加していれば、それで十分だった。 日本のこの年齢の大学教授としては、おそらく、もっとも雑務の少ない部類に入っていたと思うくらい。
忙しかったのは、(研究や論文の執筆は当然として)本の執筆や複数の国際会議でバタバタしていたから。 まあ、そういう意味では、なんとも幸せな話だと自分でも思う。
しかし、幸せは永続しないというのも真実のようで、来年度は、大学関係も学外関連も、ちょびっとずつやらなければいけないことが増えてくることが次第にはっきりしてきている。 一つ一つはまあまあなのだが、どうも複数がまとめてやってくる感じで、けっこう大変になりそうなのである。 というより、既に、年度をまたいで余分な仕事が増えている。
もちろん、これで来年度になってピークの忙しさになっても、(たとえば、佐々さんとか)本当に大量の雑用を抱えて必死でやっている人たちと比べたら何でもないのだろう。 ただ、そういう風に「圧倒的に雑用が多い」のが大学教員の当然の姿とは考えたくないのであって・・ (これは別の大きなテーマにつながる)
講演会とか座談会といったイベントに出席したではないし、誰に呼ばれたわけでもない。 飯舘村から借り上げ住宅に避難している人たちへの取材があると紹介してもらったので、「おまけ」としてくっついて行ったのだ(同行させていただいたお二人には、何から何までお世話になってしまった。ありがとうございます)。 「放射線について『情報発信』している大学のセンセー」みたいな肩書きなんかはいっさいなしで、ただ、「取材メンバーの後ろにいて時々なんか言う(変な)おっさん」の立場である。
詳しいこと、細かいことは書かないけれど、色々な意味で有益で学ぶことの多い訪問になった。 それと同時に、普段は大学教員 + 数理物理学者として一日のかなりの時間を何かしら考えたり書いたり話したりして過ごしているぼくにとって、普通の日々とはまったく異なった時間の流れを味わう久々の機会にもなった。 借り上げ住宅の和室の隅のほうに座り、手芸の集いの参加者が作った飾り物や人形を眺めながら、主催者のおばあちゃんの話(←この人が、また、話がめたくた面白いのだ! 普通のおばあちゃんだけど、ちゃんとオチのある、プロの話芸を体得しているんだな)を聞いていると、ずっと昔、曾祖母の家をおとずれ、彼女が作った飾り物や人形を見ながら東北弁の彼女の話を聴いていたのを思い出す。 話を聴きながら頭の中で定理の証明をしたりするのは失礼だから、この日ばかりは頭から物理を追い出して、ただただ、のんびりとおばあちゃんたちの話を聴いていた。
「前向きに生きろと」と言われるけれど、私たちには、どっちが「前」なのかがわからないという、ある女性の言葉は忘れられない。 一年くらいの避難のつもりで村を後にしたものの、そのまま避難は長引いてしまった。 村に戻る日がいつ訪れるのか、あるいは、そもそも戻る日は来ないのか、そういう未来の展望がないまま、三年近い歳月が過ぎてしまったのだ。
無論、故郷に戻れないで苦しんでいるのは飯舘の人たちだけではない。 原発事故や震災とは無関係に、同じような境遇に悩んでいる人たちだっているはずだ。 「どっちが『前』なのかがわからない」というのだって、苦境に立つ人が普遍的に感じることだとも言えるだろう。 それを認めた上でも、人々が唐突に村に住めなくなった不条理、村は今でも(動物に荒らされつつあることと、目に見えない放射線の量が高いことを除けば)昔と何一つ変わらず美しい姿を保っているという残酷さを思うと、彼女らの言葉はやはり重く重く感じられるのだ。
いいんだよお。と暖かく優しく言ってもらえたことも決して忘れられないだろう。
ありがとうね。わざわざ来てくれて。
日時
2014 年 2 月 1 日(土)14 時から
会場
学習院大学南 7 号館 101 教室
(山手線目白駅の改札を出て右に進むと 1 分たらずで学習院大学西門があります。
西門から南 7 号館までは徒歩で 5 分程度です。
道順はこちらの地図を参照。)
概要
今年は Niels Bohr が原子模型に対して革命的な考えを提出してから100年にな る。革命的というのは、それまでの物理学の常識ではとうてい受け入れ難いもの だったからである。今日では高等学校でも抵抗なく教えられるこの模型は、当時 は多くの物理学の権威たちが拒否したのだ。実は彼の考えは、量子力学を予見す るものであった。そこから、ほぼ10 年かかって量子力学は生み出され、革命は形をなした。こうした歴史をお話したい。(江沢洋)
今日のスライドをもとにエンドレスで話を聴く会を開くことを画策中なう。と書いたこれど、今回の講演会がその画策の結果。 ぼくが「面白かった」とみんなに話したところ、学科主任の渡辺さんが物理学科の講演会を企画してくれることになったのだ。 右の写真(内村直之氏提供)からもわかるように、ぼくは司会を仰せ付かった。
講演会は予想を大きく越える盛会になった。 それなりに広い階段教室が満席になり、さらに後ろのほうは立ち見の人でいっぱいになってしまうほどだ(その後、渡辺さんが機転をきかせて椅子を出してくれたので、みなさん座れたのですが)。 Twitter(特に、フォロワー 12 万 6 千人(!)の人のつぶやき)やメーリングリストでの宣伝が行き渡ったおかげ、そして、何よりも「日本の現役の物理学者で、江沢先生の教科書で学ばなかった人は、ほとんどいない」とも言われる先生の人気の賜(たまもの)だろう。
講演会の記録のページで公開されている。 また、去年の仁科記念講演会の記録と、今回の講演の記録をあわせて、仁科財団から講演録が出されることになっているとのことだ。
2013/12/6 の日記にも少し書いたけれど、江沢先生は、Bohr の原子模型が如何に大胆で革命的なものだったかを当時の視点で再確認し、それにも関わらず、この理論が徐々に物理学者たちに受け入れられ本物の量子力学を生み出すための本質的な一里塚になる様子を描き出してくれる。 われわれは、すべてについての「正解」を知っているのだから、この物語を余裕を持って眺め、楽しむことができるのだ。
そして、この講演が本当に魅力的になったのは、江沢先生の題材の選択と説明の仕方が絶妙だったからだと思う。 量子力学の深い内容を熟知しているのはもちろんとして、歴史にも深く通じていて、何より、物理学者として一流のセンスを持っているからこそできることだ。
リュードベリ定数について、実測値と、ボーア理論によるミクロなパラメターによる表現とを比較する場合にも換算質量は登場するわけだが、この場合には、ミクロパラメターの測定誤差の問題などがあって一筋縄ではいけない。 一方、水素原子とヘリウムイオンからの光の振動数の比較には、他の量が介在する余地はないから、話が明確になるのだろう(←というのは、ぼくが質問に(勝手に)答えてその場で言ったことなんだけど)。 これは、なかなかすごいことだよ。
しかも、ヘリウムイオンのスペクトルの話の発端は天体からの光の観測だったというところも、物理の広がりがよく現れていて素晴らしい。
スライドの 13 ページにあるように、1916 年の時点で、エーレンフェストは
これが理論なら、私は物理をやめる。これは怪物だ。とボーア理論を苛烈に批判している。 ところが、スライド 15 ページには、1918 年には、エーレンフェストがボーア理論の熱烈な支持者になったと書いてある。
「スライド 2 ページのあいだに、エーレンフェストに何があったのか?」と聞いてみたいけれど、でも、「それは、わかりません。エーレンフェストに聞いてください」と答えられるのがオチかなあ --- などと悩んでいたら、平野さんがまさにその質問をしてくれた。 意外にも江沢先生の答えは、「エーレンフェストに聞いて」ではなかった。 あくまで推測だがと断りつつも、
閉会のあとにも、多くの人が江沢先生のところに行って、話をしたり、質問をしたり、本にサインをもらったりしていた。
学ぶことが多く、そして楽しい会になった。
長いあいだ記憶に残ることになるだろう。
論文草稿を公開した。
Sheldon Goldstein, Takashi Hara, Hal Tasakiかなり前に一通り書けていたのだが、三人でメールをやりとりしながらのんびりと改訂していたら、随分と時間がかかった。
Extremely quick thermalization in a macroscopic quantum system for a typical nonequilibrium subspace
証明には、ユニタリ群のハール測度での積分についての、かなり新しい(純粋数学の)結果を使っている。 だから、von Neumann の時代には、ぼくらみたいな解析はそう簡単にはできなかっただろうと思う。
実は、この論文の定理は、数値実験による予想から、完全な証明に至るまで、すべて原の手になる。 ぼくも原の進展を見ながら参入したわけだが、けっきょく、本質的なことはできなかった。 原以外の二人の著者は、いくつかのマイナーな貢献と、物理的な解釈の部分を一生懸命にやったという感じである。 (もちろん、共著なので、内容には責任をもつけれど。)
「典型的な量子系」では、どんな状態でも(室温では)マイクロ秒以下で平衡に緩和してしまうというまったく無茶な定理を示したということになる。そんなアホなと思うわけだけれど(そして、ぼくも最初に原が定理を証明したとき、そう思った)、定理は数学的に厳密だ。 けっきょく、この「典型的な量子系」というところが味噌というわけだ。
ちょっと言い方を変え、また少し詳しく言うと、
「特別の事情」がないかぎり量子系での緩和時間は「ボルツマン時間 \(\tau_\mathrm{B}:=h/(k_\mathrm{B}T)\)」のオーダーであることを示したと言ってもいい。 もちろん、現実の多くの系の緩和時間はボルツマン時間よりもずっと長いわけだが、それは、今回の定理に照らしてみれば、
現実の系には、何らかの「特別の事情」があることを意味する。 これから先は、現実的な系における「特別な事情」が何なのかを理解し、さらに、それによって緩和時間が延びる理由を解明することを目指すことになる。
さあて、どう攻めるか、どうなるか?
完全な証明を載せた(数学者向け?)フルペーパーも、ほぼできあがっているので、近日公開します。
学習院大学理学部入学試験。
しばらく前から東京に「20 年ぶりの大雪」が降ると予想されており、昨日の夕方の時点で、開始時刻を 40 分遅らせる決定をした。 幸い、朝は大きな交通の混乱もなく、入学試験は無事に始まって、進んでいる。
ただし、雪はこれから強くなるとも言うので、全てが終わって、受験生たちが無事に家に帰り着くまでは安心してはいけないのだが。
そのときも開始時刻を遅らせて試験をしたのだが、試験が始まってから、雪がどんどん激しくなっていった。 ぼくたちは、雪靴をはいて、積もった雪をかき分けながら、必死で試験会場から試験本部まで答案を運んだ。 試験会場は、大学の南西の端にあった旧西 5 号館じゃなかったかと思う(いいかげん)。試験本部(これも、今はない、昔の学生集会所だったかな?)までの道のりの間に遭難するのではないかとかなり本気で思ったのを覚えている。 そうそう。江沢先生が紺色のコートを着て、やはり、答案を運んでいた姿も思い出すぞ。
一時は山手線も完全に運行停止になり東京の交通が麻痺していたのだが、幸い、受験生は暖かい建物の外に出る必要はないし、携帯電話も普及していなかった時代だから、かれらはそんなことも知らず、試験に集中していたと思う。 うまい具合に、入試が終わるころには、雪も弱まり、山手線も再開していた。
さて、今回も同じようにうまい具合に進んでくれることを天に祈ろう。
江沢先生といっしょに遭難しそうになっていたのは、1994 年 2 月 12 日だと判明。
なんと、本当にちょうど 20 年ぶりなんだね。
先日の日記で 1 日の江沢先生の講演会のことを書いたのだけれど、それに関連して、学習院の物理の卒業生からメールをいただいた。 その方は、ぼくが2013/12/6 の日記に
今日のスライドをもとにエンドレスで話を聴く会を開くことを画策中なう。と書いたのを読んで、この「日々の雑感的なもの」で江沢講演会の日程が発表されるのを楽しみにされていたという。 ところが、まったく告知がないまま、なんと講演会の報告が出てしまって、たいへんがっかりされたとのことだった。
がーん。
これは、ぼくの完全なミスであった。
なんか、ばたばたしていて、日記の更新が滞り気味になっていた上に、ともかく、Twitter とかメーリングリストとか、読み手が多そうなところでせっせと告知をして、それで終わった気になっていたのだった。 しかし、ぼくは、自分の主たる「情報発信」の場はこの時代遅れのテキスト系 web 日記だと公言しているわけで、そこでちゃんとイベント告知をしなかったのは本当に何の言い訳もできないことだ。 そのために講演会に出られなかった皆さんには何度お詫びをしてもしきれない。申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでいた。申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでした。(←コピペではなく、ちゃんと、いちいちタイプしました。)
さて、この反省を忘れないように、土曜日のセミナーと 3 月の研究会の告知を上に掲げました。
土曜日に木村元ちゃんのセミナーのときに悪天候にならないことを祈ろう。
14 日の金曜日はまたしても大雪。 東京での雪は土曜の明け方にはやんだものの、地面にはしっかりと雪が積もった。 三日以上がたった今、東京のぼくの住んでいるあたりでは道路などの除雪はすんでいる。しかし、地域によっては、未だに、車や電車の中、あるいは高速道路のサービスエリアなどに封じ込められている人もいるというし、物資の輸送などでトラブルが出ている。 おそらく、近年でもまれに見る雪害として後世に語り継がれるレベルだ。いち早い復旧を願うばかり。 おまけに、次の水曜、木曜にも雪が降るという予報がでている。今度はひどくないことを祈ろう。
左は土曜日のセミナーの前に撮った写真。
中央棟の最上階から南一号館の前の広場を見下ろしたところ。
除雪でできた道と足跡が素敵な模様を描いている(雪の害で苦しんでいる人たちのことを思うと、こんな風にのんびりとした写真を撮っているのも少し後ろめたいのだけれど)。
数理物理・物性基礎セミナー(第 33 回)
日時:2014 年 2 月 15 日(土)14:00 〜 17:30
場所: 学習院大学南 7 号館 101 教室(道順)
木村 元 氏(芝浦工業大学システム理工学部)「情報原理に基づく量子力学の理解」
ある程度直感的に理解できる原理から出発する古典力学や熱力学とは違って、量子力学は「重ねあわせの原理」などの純粋な数学的な原理を出発点にして構成されています.
このセミナーでは、量子力学という体系を「人の言葉」で理解するための試みについて解説していただきます。「量子力学の定式化は不思議だ」思う人は必聴!
なんと言ってもよかったのは、木村さんがしっかりと時間をかけて、丁寧に、しかし力強く、研究の動機と目標を説明したことだろう。 本題に入ってからの数学に完全にはついていけなかった人も、この丁寧なイントロのお陰で、色々と得るところがあったと思う。
個人的には、色々と気になっていたことが見事に整理されたし、証明の詳細をやってくれるのもちょうどよくて、知的快感を味わいまくりだった。 CHSH 相関のチレルソン限界も知りたいなあと思っていたところで、今回のセミナーで本質を理解できたと思うし、関連して気になることも質問できて、本当に有益だった。
例によって、図々しく口をつっこんでしまうぼくなのだけれど、質疑応答での以下のようなやりとりは面白かった(元ちゃんの答えの部分は不正確かも)。
質問者:このような物理原理から出発するアプローチで、物理量の非可換性を導くことができるのか?セミナー後の懇親会も、また、濃いメンバーで大いに盛り上がり、愉しい時間になった。木村:実は、非可換性は難問。そもそも操作主義の立場をとると、物理量の代数構造 --- 特に、物理量の積をどう定式化するかということ --- は自然には見えて来ない。
田崎:代数構造が見えないというのは確かにそうだろう。しかし、単に非可換性ということだけについて言えば --- さっき教わった話によれば --- CHSH 相関が 2 よりも大きくなるという事実が与えられれば、それは自動的に何らかの非可換な量が存在することを意味するという話になるのではないか?
木村:確かに、それは正しい。
田崎:(やったー。けっこうちゃんと理解してるじゃん、俺)
質問者:では、状態の重ね合わせという考えはどうか? 物理原理から出るのだろうか?
木村:それは難問。たとえば物理原理とまで言わなくても、 C* 代数による量子力学の定式化をしても、重ねあわせはよくわからない。
田崎:さっきのコメントと同じ構図になってしまうけれど、一般確率論の枠組みで、状態空間として古典確率論に対応する単体以外の幾何学構造が現れれば、それは古典確率では作れない、重ねあわせを含んだ世界が出てきたという証になるんではないのか?
木村:それは違う。たとえば、状態空間が正方形になるような一般確率論は、古典確率論でもないし、量子力学とも似ても似つかないものなのだ。重ね合わせで純粋状態が作られる世界というのは、また特殊なのだ。
田崎:あああ、そうか〜。そういうことか〜。(こうやって勘違いするのがまた愉しい!)
素晴らしい講演をしてくれた元ちゃん、そして、セミナーに集まって下さったみなさん、どうもありがとうございました。