学生は時代の風潮に大きく影響を受けたと思う。学生が赤軍派として世界でのテロ活動に参加するようになった背景には、国が「大学管理法」を大きく制定し、学内問題を学生運動へと導き、弾圧もまた若い学生の活動の成功に頑固にする要因になったと思う。
日本赤軍の起こした事件についてはっきりとした知識はなかったので、今回その機会ができて良かったと思います。日本赤軍に所属している人達はみな正義感が強く、真面目です。多分彼らは世の中がおかしいという漠然とした気持ちがあったのだと思います。そこで自分が何とかしなければ、と考えたのでしょう。しかし、その方向を誤ってしまったのです。テロという行為は許されないし、テロという行為を通し、正義を追求するのは誰から見ても間違っています。しかし、彼らはそれが正義だと信じています。私は宗教を信じる心理と同じであると感じました。その様な片寄った信念を持っている人たちが集まれてしまった社会背景も怖いと思います。今の時代もそういった怖さを秘めているのではないかと感じました。
赤軍派という組織の誕生、一部のメンバーのレバノンへ脱出、国際テロ活動そしてここ数年の幹部の逮捕に続く昨年の重信の逮捕という流れのなかに、日本と国際社会の戦後の社会世相を見る思いがした。こういう言い方が適当ではないとは思うのだが、時代に取り残されてしまった彼等(日本赤軍派の面々)を哀れに感じてしまった。
ペルー大使館人質占拠事件のとき、私の記憶に残っているのは確か日本人は全員無事であった、そしてMRTAメンバーは皆射殺されたという事だった。過去の歴史のせいにするわけではないが、どうも「日本人」という民族意識のようなものに私たちはとらわれすぎているのではないだろうか。思い出せば、あの事件の時、突入の際ファン・バレル大佐とラウル・ヒメネス大尉が殉職した。日本人救出のためにペルーの兵士が亡くなっているのだ。にもかかわらず、日本人はこのとき危険な事には一切関与していない。「日本人が全員無事救出された」が、平和的解決と解釈はできないのではないだろうか。この事件を見た世界の人の目に、日本人とは一体どのように写っただろう。
私もこのレポートに携わるまでは「テロは人事」のように考えていた一人だったが、そういう無知の怖さを知った。テロリストというのは民衆であって、いつどこでテロがあってもおかしくない。そして、これは国境を越えた国際問題であることを考えさせられた。日本人に固執して利己主義になっては決していけない。国際人として、テロを生まない環境をこれからも考えていきたいと思う。