【議会】
上院
被選挙権 : 満30歳以上、市民権を得てから9年以上経過し選挙時に選出される住民である
(1913年に憲法が改正されるまでは、各州の議会ごとに選出されていた)
定数 : 100名
任期 : 6年 人口に関係なく1つの州に2人(1/3ずつ改選される)
下院
被選挙権 : 満25歳以上、7年以上市民権をもち、選挙時に選出される州の住民であること
(建国当初は人口3万人につき1人と定められたが、1941年に435人に固定された)
定数 : 435名 任期2年 人口に応じて比例半分される(約1/57万人の割合)
【選挙制度】
アメリカ建国当時は農業国家であった。そのため農作業に支障をきたさず、郊外に住んでいる人達が投票所に行くのに、温暖な11月に設定された。しかし、東海岸北部にあるメイン州だけは、気候の関係上、上院・下院ともに9月に行われることになっている。連邦議会選挙では予備選挙によって各党の候補者を決定した上で、本選挙が実施される。偶数年に連邦議会選挙が行われ、大統領選挙のない年の連邦議員選挙を中間選挙という。
*小選挙区制度・・・連邦議会選挙は偶数年の11月の第1月曜の次の火曜日に行われることが憲法に規定されている。
【歴史的背景】
年 号 |
出 来 事 |
1619年
1620年
1787年
1789年
1800年
1870年
1913年
1941年
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ヴァージニア州でアメリカ最初の議会が行われる
メイフラワー号により、ピューリタンが入航する
フィラデルフィアでの憲法制定会議で原形がまとまる
第1回連邦議会はニューヨークで開かれた
(初代大統領ジョージ=ワシントン)
首都がワシントンとなる
黒人上院議員が初当選
憲法修正により、上院が直接選挙に変更
下院議員の定数が453人となる
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【投票人登録制度と予備選挙制度】
ノースダコタ州を除く49州では投票しようとする有資格者は市町村の地方選挙登録事務所で投票人登録をする必要がある。各州によって方法は異なるが、予備選挙制度はアメリカだけに存在する特異な制度であり、立候補者擁立のための選挙である。20世紀初め、マシーン制度(各地域の有権者への日常サービスの提供の見かえりとして、投票を約束させるシステム)とスポイルズシステムによる政治腐敗が横行し1903年ウィスコンシン州がアメリカ州公職予備選挙法を制定したのが始まりである。現在ではアメリカ連邦議会議員・州知事・州議会議員・主要州公職の候補者選挙で用いられている。これも、州によって管理運営されている。現職が予備選挙で指名されて当選することが圧倒的に多いため、対立立候補者が出馬することは少ない。
予備選挙制度の仕組みは州によって異なるが、多くの州では、投票人登録時に政党支持を明らかにして、初めて、有権者は予備選挙に参加する権利を得ることができる。予備選挙への立候補手続きも州によって大きく異なっている。多くの州では、立候補予定者は一定数の署名を添えて、請願する。また、一部の州では、手数料を支払うだけでよいとされている。また、予備選挙は相対多数制を採る州と、決選投票制を採る州がある。
【定数と区割りとマイノリティ選挙区】
下院議員選挙では10年毎の国勢調査により区割りが変更されるが、1982年の投票権法により、マイノリティ差別禁止規定に沿って、1990年の国勢調査の結果により、黒人やヒスパニックなどの人口比率に応じた選挙区が創設された。しかし、一部の選挙区は『ゲリマンダリング』と呼ばれる自分たちの党に対して有利なように選挙区改定だったとして、連邦最高裁判所は違憲判決を下している。
【二大政党制成立の歴史と成長過程】
@1789年〜1828年 連邦派と反連邦派の対立
・反連邦派(現在の民主党の流れ) 中央政府の権限に制限・州の自治権を求める
・連邦派 (現在の共和党の流れ) 経済の自由を求め、中央集権国家を目指す
連邦派が合衆国憲法の制定を提案し、反対派がその批准に反対したことに始まる。初代大統領ジョージ=ワシントンの部下のハミルトン財務長官、トマス=ジェファーソン国防長官がそれぞれ、連邦党と反連邦党を率いていた。その後、1880年の大統領選挙で、ジェファーソン率いる反連邦派が勝利した。なぜなら、意志や弁護士といった有産階級が独占していた政治に不満を持つ一般庶民を政治に参加させたからであった。この集団が政党へと発展していく。
A1829年〜1860年 全国的な2大政党制
1820年連邦党が消滅し、民主共和党の1党支配が続いていたが、派閥抗争が起き、アンドリュー・ジャクソンによって民主党(1828年)が発足する。一方、ヘンリー・クレイとジョン・Qアダムスによってホイッグ党を作ったが、ホイッグ党は1840年代に奴隷制問題で対立し分裂した。その後、民主党に反対するグループが共和党(1853年)を創立し、全国政党に発展していく。
*ホイッグとはWhiggamスコットランド人が馬を追う時に使う言葉
B1861年〜1900年 南北戦争後−工業中心社会への移行
1860年の大統領選挙では、アンブラハム・リンカーンが39.9%の得票率ながら当選した。この頃、北部・西部は資本主義的商工業が発達していて、奴隷解放を雇用労働力としたいため、奴隷制に反対した。一方、南部は大農園で綿花の栽培を行っていたため、安い労働者としての奴隷を必要としていた。両者の溝は深まり、南北戦争が勃発し一時は南部の独立の動きもあったが、北軍が勝利して奴隷派解放されることとなった。南北戦争を期に、支持地盤が確立された。民主党:南部の貴族的な暮らしをしていた農園主・北部の都市労働者・農夫・職人・開拓民などの各階層の人々であり、共和党:支持基盤は富豪商人や銀行家、中産階級の都市市民などである。この時代は共和党が優勢で大統領選挙では18回中14度政権を握った。
C1901年〜1933年 革新主義
前大統領のセオドア・ルーズベルトが、共和党を離党し進歩党から立候補する。このため、共和投票が割れて民主党のウィルソンが当選することとなった。しかし、その後は共和党が政権を握った。1920年代は共和党が3回政権についた。
D1934年〜2000年 現代
大統領の任期は2期8年であるが民主党のフランクリン=ルーズベルトは1932年から1944年までの4期務めた。しかし、近年は共和党が大統領選を制することが多く、1980年から1984年の間は上院の多数も占めていた。1992年の大統領選挙では、共和党のジョージ=ブッシュが再選に臨んだが、第3政党のH・ロス・ペローの善戦があり、18.9%の得票率を獲得した。(第3政党が10%以上の得票率を獲得したのは過去3回しかない。)