日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


12/1/2001(土)

おお。とうとう12月ではないか。

などと、「ぼくでなければ発信できない情報」の正反対の誰でも知っている事を書いてどうするんじゃい、と思いつつ書いてしまう悲しい人間の性(←「さが」念のため)。

十一月は、なんか、長かった気がする。 月初めにおこなうべき雑感のファイルの入れ替えの手続きをかなり忘れてしまっているので、そう思った。


W32.Badtrans.B@mm

昨晩だけでも、三つ。 前の W32/Sircam とかいうのは、大学関係者だけから来た(7/30)のに、今度のは、すべて「一般の」知らない人から来ている。


12/2/2001(日)

冬のからっとした快晴。お正月のようで、何やら、めでたい。

実は、本当におめでたい。 中学時代の同級生 S の結婚式であった。 お互い東京にいながら顔を会わせることもなかったので、もう二十年以上になるか。 「おめでとう」よりも「久しぶり」が先に出てしまった。 でも、もちろん、おめでとう。

S の仕事関係で某子供向けニュース番組(←知っていれば確実にわかるね)の関係者多数。 見慣れた顔の方も知人ではない。 (おもしろい。)

新郎の従兄は数学者であった。 かつて K 先生の教え子で、今は、J さんの同僚。 学者の世界は異様に狭い。

中学時代にバンドをやっていた A は、大手ゲームメーカーでゲーム音楽を手がけた後、独立して、ゲーム会社をやっている。 (演奏活動もやっているようだ。) 「大人にやってほしい RPG」を作っているらしい。 (いわゆるアダルトじゃないよ。念のため) それは、やらねば。 「送るよ」と言ってくれたが、申し訳ないので自分で買うからと断る。 お返しに熱力学の本を送るわけにもいかないしね。


12/3/2001(月)

これから、時間割を決めたり、履修要覧を手直ししたり、と教務のつらい仕事がはじまる。

やりたい研究ができず、無理をして時間配分がうまくいかず、パニックになって、締切に追われ、ばたばた走り出して、やっぱり師走ですねえとかオチをつけさせよう、という陰謀かも知れないけど、今日のぼくは、妙に静謐(せいひつ)な心持ちという感じになっておりまして、あわてず、騒がず、なすべき事を端から一つずつ落ち着いて片づけていけば必ずや道は拓けるであろう、と素直に思っているのであります。 どうだ、すごいでしょう。 伊達にウェストが増大したわけではないのである。

と、まあ、心を落ち着けたところで、教務の仕事は後回しにすることにして、Sasa-Tasaki の改訂作業。

終了。

佐々さんに送る。

こうして、一つ片づいたところで、教務の仕事はもうちょっとだけ先送りにして、The second law of Thermodynamics as a theorem in quantum mechanics を再び手直ししようと作業開始。

あきれるくらい前の論文なのだけれど、レフェリーに理解されないまま、つい放置してしまった。 実際、無理にレターとして出版しなくても、いずれ、じっくりとまとめるからよいか、とも思っていたのだが、

  1. ある日、より明快にまとめ直した姿が見えた
  2. 尊敬する物理学者(←あまり多くないんだよねえ)から、「こういう新しい方向性は簡単には理解されないからがんばりなさい」というお励ましをいただいた
といった事情もあり、ともかく、ここで満足のいく形に改訂することにしたのだった。
12/4/2001(火)

SST と Boltzmann equation は整合しない? (佐々さん日々の研究 12 月 3 日)

本当なら、相当に深刻な話だと思う。 もう少し詳細を知らないと自分では判断できないのだが。

ここで再び、なぜ、ぼくの確率過程モデルは SST と整合したのか、を問う。 温度と共に化学ポテンシャルを手で与えることで、ゲームはずっと楽になる、ということか。 同じことを Boltzmann でやるとどうなるのだろう、と考えると、けっきょく、温度の定義の問題に舞い戻る。(でも、定義によらず不整合という話。うううむ。にわかには信じ難し。)


S 君、T 君(五十音順)と平野研の見学。 平野研では、マイクロケルビンまで冷やしてるから寒いぞなどと言いつつ。

BEC (ボーズアインシュタイン凝縮体)の振動現象、光トラップとスピンの操作などなど、新しい話について教えていただくとともに、BEC の装置が実際に動いているところを見せていただく。

複雑に入り組んだ光学系とマグネットに囲まれた真空容器のなかで、ルビジウムのガスが磁気光学トラップされている。 赤外線レーザーを受けて、気体の塊が、暗闇に赤く浮かび上がる。 (←ギャグだと思ったでしょ? でも本当なのです。 赤外線にピークをもつレーザーなのですが、周波数に幅があり、かろうじてぼくらの目にも赤く見えるのでした。) ここで十分に気体の塊を大きくしてから、磁気トラップに切り替えて蒸発冷却すれば、BEC(ボーズアインシュタイン凝縮)が生じる・・・

はずだったのだが、何故か、今日は不調。

最近は、きわめて成功率が高いらしいので、これは特異現象。 田崎効果ということにして、新たな伝説としようではないか。 (註:あるとき実験結果が滅茶苦茶になり、原因を調べたところ、ちょうどその時刻に近くを Pauli が電車で通過していた、という話がある。 私などまだまだです。)

しかし、立ち上がって何年かの研究室で、BEC と量子暗号とあと二つ(←もし秘密だといけないから、書かない)のプロジェクトが走っているのだから、大したものだ、と改めて感心する。 別に平野さんにお金借りてたりとかするわけじゃないぞ。

しばらくして、実験室の向かえ側の部屋にお邪魔したら、F 君がチキンラーメンを作って食べようとしているところだった。 ぼくを見ると、嫌そうに逃げていったのは何故だ?


12/5/2001(水)

神田川が明治通りの下をくぐるあたり。 道路の上を滑空する白い鳥の影に妻が気付いた。 「カモメみたい・・・。と思ったら本当にカモメ。」

鳥を種類に応じて差別するつもりはないのだけれど、本当に美しい姿で空を滑る生き物である。 見つめるまに、カモメは道路を渡りきったところで神田川の川面(かわも)近くまで滑り降りる。 午後の陽射しを受けて、川を背景にひときわ白く浮き立つ。 そこで、どこにいたのか、もう一羽のカモメが加わり、並んで東の方にむかって川面近くを飛び去っていった。


仮に現状の SST が Boltzmann equation とどうしても整合しないとしても、SST 的なものが全く存在しないという結論まではでない。 何らかの意味で、温度が「ひねられた」熱力学があるかもしれない、という可能性は、前から佐々さんや大野さんと議論している。 しかし、その場合、熱力学の予言能力は劇的に低下してしまう。
12/7/2001(金)

早川日記(12/5-7/2001)より

SST はますます難しい局面に立たされている。胸つき八丁だがここを突破できないと後に残らない。
ぼくは、SST については、Sasa-Tasaki 論文にまとめた内容までが小さな一山であり、そこから先は、進みうるとしても猛烈に難しいだろうと感じていた。 (特に、気候が寒くなってきたあたりから、すごくそう思うようになった。 ま、こちとら動物なんだから、そんなものかも。) 大野さんや佐々さんの示していた方向性に従えば、Sasa-Tasaki までは、熱力学の堅実な知識と、ある種の方向感覚と、あと、ちょっとしたセンスがあれば、到達できる。 しかし、それはある意味で完結し過ぎた到達点で、純粋な理論でそこから先に進む自然な道は見えない(少なくともぼくには)。

そういう意味で、ここから先、理論としてできることは、SST を動機付けにして、自明ではない結果を積み重ねていくことでしかないと思う。 金さんと早川さん(五十音順)の Boltzmann eq. についての研究は、そういう方向の素晴らしい例だと考えている。

SST が「後に残るか」否かは、一重に、現実の自然界に SST があるか否かで決まる。 あるとしても、ないとしても、結論が出るまでのどれほどの紆余曲折があるのか(あるいは、さっさと結論がでてしまうのか)は未だわからない。 また、SST があるとしても、ぼくらが提出したものが、どこかを微妙に踏み外している可能性はある。 最近、気になっているのは、佐々さんとぼくがずっと主に議論してきた shear (ずり)のある流体系(等温)での SST と、論文に書いた熱流系の SST との関連。 両者は、形式レベルではほとんど同じなのだけれど、物理的な意味・意義は相当に違っているような気がしてならない。 (だからどうだっていうものじゃないけれど。)

Hayakawa-Kim(アルファベット順)の結果が SST と整合しないように見える、というニュースは非常に重要だと思っている。 ただ、SST で「温度は熱浴とのバランスで、化学ポテンシャルは多孔質壁を介した平衡系とのバランスで、それぞれ決まる」と宣言されていることを、いかにミクロモデルで実現するかについてはきわめて微妙な点が残る。 その点を自分で突き詰めないことには、まだ何も言えない。

うううん。 読み返すだに「ゆるみ」のない文章で、いかにも「胸つき八丁」という感じ。


12/9/2001(日)

きのう、パキスタンの Perveze Hoodbhoy 氏から

MUSLIMS AND THE WEST AFTER 11 SEPTEMBER
というのが届きました。 今日、えいやっと、暫定版の訳をつくりました。
ムスリムと西欧 ─ 9 月 11 日の後
いわゆる、英語版日本語版同時公開になりましたが、目を通していただければ幸いです。 さらに訳へのコメント等をいただけると、なおうれしい。 (英語はほとんど読めているのですが、なにせ、歴史や政治について無知蒙昧なので、不安はあります。)

今回の論考は、「暗黒の火曜日」ほど緊迫感のあるものではないですが、イスラムとムスリムの歴史を踏まえて、今、おきている事態について考察したものです。 現在進んでいることが、いかなる意味でも、単純な話ではないことがよくわかると思います。 (他方、イスラムの歴史や宗教の効果をあまりに単純化して扱っていることについては、異議がありうるとも思います。)

きのうは、Pervez の「当たり日」だったらしく、Pervez を通して知り合った原水禁の田窪さんからも、彼に関連したメールをいただいた。 回覧自由ということなので、web page にしてしまおう。

Pervez たちがつくった反核ビデオの宣伝
言うまでもないでしょうが、ぼくは、核兵器の廃絶には全面的に賛成します。
12/11/2001(火)

日曜日を翻訳(と家の雑用と家族サービス)でつぶしたせいもあって、いろいろやるべきことが蓄積しています。

MUSLIMS AND THE WEST AFTER 11 の翻訳にコメントをくださったみなさんへ:
ありがとうございました。 なるべく早くコメントを反映させた訳を出そうと思います。 いま、個別にお礼のメールを書く暇がないので、ここでお礼を申し上げる失礼をお許し下さい。

更新されているので、なにか面白いことは書いてないかなとなにげに見に来られたみなさんへ:
おもしろいことは、いくつかある(ぎゃはは)のですが、書いている暇がおまへんのや。


12/13/2001(木)

公私ともに忙しくなってしまって、ちょっと、めためた。

でも、時間の空いた隙に、お寄せいただいたコメントを取り入れて、ちょこちょこと

ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後
を改訂しております。 かなり正確になってきていると思います。 (ふふふ。秘かにタイトルまで変更していることに気付く人はいまいて・・)
12/16/2001(日)

相変わらず、ゆっくりネタを書いている暇はないのであった。

書き忘れていましたが、Sasa-Tasaki の SST 論文を少し改訂しました。 local steady state の考えがよりわかりやすくなったと思うし、あと、FIO の実験だけで SST を定量的にチェックするための式 (5) も書き足しました。

しかし、なんですな。 FIO (flux-induced osmosis、解説は 5/9) のミクロな意味を必死で考えるにつけ、この設定を考えた奴らはうますぎだよな、と思ってしまう。 ふたつの系が圧力差を認められ、化学ポテンシャルのつり合いだけ課されている、とあっさり説明されても、ミクロにそれが何を意味するのかを知るのは難しい。 おまけに、境目の壁は、熱浴に接していて熱流の源にもなっているのだから、なお質が悪い。 これで、本当に実験でどんぴしゃり出たら、ぼくは自分の自己評価を三ポイントくらいあげてしまうな。(どういうポイント制なのか知らないけど。)

Boltzmann での検証に関しては、もう一度、設定の見直し。 (少なくともぼくは)なんとなく FIO の設定に引っ張られ過ぎて、初心を失っていた気がする。 熱力学なのだから、第一に考えるべきはエネルギーの移動である。 検証の設定に、なにか恣意的な要素が入るのはまずい。 人工的であろうと、原理的に実現可能な物理的プロセスを模した仕掛けによって「接触」を表現し、圧力差は仕掛けに働く力学的な力として求めるべきだ。 そこで・・・


12/19/2001(水)

きのう高麗さんに教わった Lieb らの新しい論文

Proof of Bose-Einstein Condensation for Dilute Trapped Gases
Elliott H. Lieb, Robert Seiringer
詳細は追っていませんが、本当に相互作用のある系での BEC の厳密証明です。

ただし、

という「統計力学的」あるいは「固体物理的」設定ではなく、 という、昨今の BEC の実験を思わせる設定を扱っています。

この二つの設定は根本的に異なっていて、理論物理の問題としては、後者の方がずっとやさしい。 そちらの設定で、Lieb-Seiringer は基底状態での BEC の存在を厳密に示してみせたのです。

もちろん、これでも極めて nontrivial な話で、相互作用のある系での BEC のはじめての証明と言っていいと思います。 (格子上のボーズ気体については、証明がありますが、ちょっと特殊すぎ。)

なにせ、Elliott Lieb は、もうすぐ七十になろうというところ。

すげええなああ
思わず高麗さんと二人で心から感心してしまった。 (逆に見れば、ぼくらには、まだまだ時間がある。)

証明は、上の極限では Gross-Pitaevskii 方程式が、ある意味で、exact (=ぴたりと正確)になるという事実に基づいています。 この事実は、ふつうの理論物理屋さんなら、既に知っていた、というところでしょうが、本当に厳密に証明する、というのはまったく別のお話。 基本的な結果は、

Bosons in a trap: A rigorous derivation of the Gross-Pitaevskii energy functional
Elliott H. Lieb,Robert Seiringer and Jakob Yngvason
Phys. Rev. A 61, 043602 (2000)
にあるようです。

実は、これらの仕事では、特に恐るべき「飛び道具」は使われていないようです。 多体の基底状態についての、物理的洞察に基づいた試行関数を選んで、きっちり解析的な評価をしていく(←ここでいう「解析的」は物理屋の jargon ではなくて)という感じの地道な方法で、ここまでできてしまう。 Lieb は、stability of matter 関連の長年の仕事で、こういった方法論をきわめて精緻なレベルまで持ち上げた人だから、まさに彼ならではの名人芸と言ってもいいのかな。


おっと、ここまで書いたところで佐々さんからメール。

Boltzmann vs. SST について新しい洞察。

さすが佐々さん。愉しませてくれる。 久々に、物理の話が楽しくなってきて声に出して笑ってしまった。(←あやしいか)

さあて、白と出るか黒と出るか! 日記なんか推敲したり書いたりしている場合じゃないぞ。 (時間割を教務に提出するの忘れるなよ。)


12/23/2001(日)

年末で、誰もが忙しいとかあわただしいとか言っているときに、忙しいとか慌ただしいとか書くのは何かいやなので何も書かないのである。


××くて××だしくてゆっくり書いていられないのだが、鮮度が悪くなってしまうともったいないので書いておこう。

6/8/2001 の雑感で、ぼくの講義の「参観」の話を書いたけれど、そのときの学習院大物理の見学の報告が今月の日本物理学会誌にでています。

p. 948 「学習院大学訪問期」渡邉靖志です。

「日本学術会議物理研究連絡委員会」の下に設置された「物理教育小委員会」の活動の一環として 2001 年 6 月 8 日(金)、
という書き出しは、ま、よしとして、1. 授業見学ね。
まず、何十年か振りに学生になった気分で、田崎晴明教授の大変明快で迫力溢れる熱力学および統計力学の講義を聞かせて頂いた。 ミクロの世界で定義される分配関数とマクロな熱力学の変数との関係を、卑近で適切な例をあげて学生を笑わせながら、90分の授業中ずっと学生を魅き付けていた。 印象的だったのは、授業開始のチャイムが鳴る前に、教授が教室に既にいたことである。 田崎教授は大変お若く、筆者とは初対面であった。 たまたま教壇にいた学生とばかり思っていた人が、チャイムが鳴るや否や、滔々(とうとう)と講義を始めたのにはびっくりした。 (読み仮名は引用者による(読めない人いるだろ))
この後は、川畑さんの授業のこと、工作工場の沿革と見学の様子、学生実験の見学、教員との懇談会、などなど。

イントロで

大学での物理教育の原点に触れた感激をお伝えしたい。
とまで仰っていただいているほどの「べたぼめ」の記事であり、ぼくらとしてはうれしい限りである。 (こういう記事のより広い視点からの意義等々について考えはじめると話は一筋縄ではいかないと思うけど、これは軽い雑感なので、軽く喜ぶだけにとどめるのである。)

さて、この「雑感」をお読みの方だけに内緒で教えてしまうのですが、この渡邉先生の文章には、実はもっと長いバージョンがあり、学会誌に掲載されたのは縮小版なのであった。 (ぼくらは、事実確認等のため、長いバージョンを拝見したのである。) で、その長いバージョンには、ぼくの講義についてももう少し書いてあった。

たとえば、講義の内容は聞いてくださった渡邉先生にとっても有意義だった、みたいなお褒めのお言葉もあった気がするが、それは分量のせいで削除されたみたい。

あと、

後で調べてみたら、田崎は見かけほど若くないことがわかった
という部分も削除されていたのだ・・・

(この前の講義を聴かれたみなさんへ:同じネタでごめん。 (講義をさぼった人々へ:講義限定のネタもあるから あと二回なんだから出た方がいいぞ。))


12/24/2001(月)

佐々さんの Boltzmann vs. SST についてのノートを昨夜、家で印刷。

夢想していたものが、ある方向からくっきり見えているように思える。 (ただし、ぼくは運動論には極めて暗いので注意がいる。) 同じことをよりミクロに見ようとして進めずにいた/いる。 そちらからも話がつながれば、温度のチューニングの問題も同時に解決すると、さらに、夢想。


Hoddbhoy 氏の「理性で根源に立ち向かえ」を収録した幻冬舎の「非戦」が出版されたそうです。 論評抜きで紹介のページへリンク。
一日、家にて雑用と妄想。

夕食前の少しの時間に大学に来ようとアパートを出ると、ちょうど、やはり大学へ向かうところだった川路先生に会い、いっしょに大学へ。

人間としても、科学者としても、きわめて元気旺盛な川路先生だが、来年の三月で停年を向かえられる。 川路先生は、二十代で学習院に着任され、未開拓の分野であった半導体物理を精力的に切り拓いた。 整数量子ホール効果の発見をはじめ、きわめて重要な業績をあげ、今でも、量子ホール効果の本質を明らかにするための深い研究を続けている。 そういう先生を送り出すのは、とても残念なことだ。

こうやって、いっしょに行き帰りするチャンスも、もはや、そう多くはないだろうと思うと寂しい。

けれど、川路先生の後には、やはり未開拓の分野に挑む素晴らしい方がいらっしゃることが決まっている(まだ詳しくは書かない)のだ。 複雑な気持ちだけれど、新しいメンバーをお迎えした未来(来年だけれど)を思うのも、また、心躍ることである。

などと微妙な思いを抱いて自分の部屋へ。

誰も研究室にいないだろうと思っていたら、けっこう、学生さんもいるじゃないか。 えらい。えらい。 (とか書かれてもうれしくないか?)


12/26/2001(水)

「非戦」(幻冬舎)

宣伝文をみて「有名人」執筆者の顔ぶれに辟易し、月曜は「小さいフォントで論評抜きリンク扱い」にしたのであった。

しかし、実際に本を手にしてみると、看板「有名人」の薄っぴらな文章はごく一部にすぎないことがわかった。 (文章を書いた経験もなく、とりたてて伝える情報もなく、かつ、とりたてて際だった主張をもっているのでもないのに、本の売り上げと宣伝のため、監修者の頼みに応じて無償で執筆した有名人諸氏には暖かい感謝の念をこそ抱くべきなのだろう。) いくつか Hoodbhoy 氏の論説に劣らずしっかりとした内容のある文章にも出会うことができた。 (しかし、「暗黒の火曜日」の全文が掲載されなかったのは、残念。 出来上がった本を見ても、やはり、彼にはもっとページを与えるべきだったと思う。) 期待せずにページをめくっただけに、これは大きな驚きと喜びであった。

殊に、(彼はすでに有名人だが)長年アフガニスタンで医療活動や井戸掘りの指導などをされている中村哲氏の文章を読めただけでも、この本を手にした価値があったと思う。 退去勧告をうけ、アフガニスタンから帰国した直後に中村氏が書いた文章なのだが、凡人が予想するような単純な絶望感や無力感は、そこにはない。 もちろん、浅薄な明日への希望などもない。 なんと表現していいのかわからないけれど、一種、「力強い絶望感」とでも言えばいいのか。 真に過酷な状況を見て、その中で全力を尽くしてきて今でも決してあきらめず明日を見ている人だけのもつ猛烈な強さ。

p. 044 「私たちは帰ってきます」です。 (立ち読みはやめようね。売り上げはすべてアフガニスタンとテロ犠牲者に寄付されるらしいし。)


12/27/2001(木)

混乱中です。

問題は、熱伝導状態と平衡状態をつなぐ「素焼きの壁」なるものを如何にミクロにとらえるか。

それぞれの状態のなかに、そっと挿入した細い細い「仮想パイプ」がもっとも単純なモデル化にみえた。 しかし、これだと、誰がどうやって圧力差を支えるのかがわからない。 (そして、そもそも、金・早川の摂動計算によると、この接続では SST の結果が再現されない。(← SST がダメなら、そうなるわけで、再現されなくてはいけないというものではない。もちろん。))

佐々さんの提案したストーリーは、圧力を支えるものもはっきりしているし、熱流が徐々に失われて、熱伝導状態と平衡状態がスムーズにつながる点も気持ちがよい。 直観的には、正しいように思える。

が、より真剣に力や流れのバランスなどを考え始めると、たちまち、深い深い混乱に落ちてしまう。

いや、もちろん、研究者にとって混乱は日常茶飯。 SST だけをめぐっても、滅茶苦茶たくさんの混乱があった。 三月末の強い混乱から抜けた後には、今の形の SST があって、FIO が待っていた。 ゆらぎの理論についての混乱からは、まだ抜けていない。

さて、今度はどこへ行くか?


某氏からのメールのなかに、
SSTは相当にクレージーな話だとは思います。
とのフレーズ。正しいと思います。

ふ。ふ。ふ。

ぢつは、「クレージー」と言われるような研究をしたことがないので、そう言ってもらえると、うれしいのだ。


12/28/2001(金)

年末らしいことを何一つしていない。

せめて年賀状の二、三でも書くか?


朝、ベランダで洗濯物を干していたら、すぐ下を、娘さんを連れた平野さんが通りかかった。 懸案だった来年度の講義の打ち合わせをベランダにいながらにして済ませることができた。 加えて、シラバスの締切が過ぎているのでは --- とずっと不安だったのだが、平野さんに聞いたところ締切は来年だそうで、ほっとしたのであった。

持つべきは、ご近所の頼り甲斐のある同僚ですね。 (普通いない。)


SST は、「本当に自然界に存在するかどうかわからない体系を追い求める」という基本姿勢については「クレージー」なところがあるけれど、よく考えると、われわれの戦略そものはあまりクレージーではない。

はじめに、楽観的にも、SST 的なるものの存在を信じるぞ、と宣言し、そのあとは、その楽観論を貫きながら理論家としてできるベストを尽くすのみ。 やっていることは堅実だと思うし、楽観論を仮定していることに自覚的なのだから、ちっともクレージーじゃない。 ちょっと残念。

ぼく自身のやってきたことを振り返ると、もっとも戦略的にクレージーだったと思うのは、flat band ferromagnetism という仕事をした後で、それを band が flat でない場合に拡張しようと奮闘して年のオーダーで考え悶え続けたことだ。 「冷静に考えてやり通せると思うのか?」と聞かれれば、九分通り駄目だろうと答えたと思う。 でも、ともかく、やめなかった。 (←もちろん、(自分の能力では)解決不能にみえる問題に取り組んで何年も成果をあげられれずにがんばる、なんて、科学の世界では当たり前のこと(のはず)なのですけどね。 そして、偉大な人たちは、もっともっと解決困難な問題に向かっていったわけだし。) 必死で全エネルギーを集中して考え続け、試行錯誤を続けて、それでもうまくいかず苦しんでいた時期に、ある人(←そこにいるだけで「偉い」と思われる大学の人ですが)に、「むずかしい」と万感の思いを込めて言ったところ、あっさりと、

そりゃあ、そう簡単にはできないでしょう。 難問だから何十年も未解決なんだから。
と返されてしまった。 ぼくは、内心「そういうサラリーマン的な発想しかできない人には、もちろんできるわけがない。いっしょにしないでくれ。」と思ったが、まあ、適当に笑ったりしておりました。 そーですよね、みたいに。 大人ですな。 (で、懸案の問題は、特殊な場合については、その後、解決した。 full paper は未だ準備中なのですが・・・)

ちなみに、昨今の物性理論の主流が(とくに上記の人のいるキャンパスなどでは)悪い意味で「サラリーマン的」になりまくっていることは、日頃からぼく(や他の心ある人々)が危惧しているところなのですが、そういう重い話はまたにしよう。


Pervez Hoodbhoy 氏の論説」ページにちょっと手をいれました。

「ムスリムと西洋」の訳も少し改訂。


「SST と壁」あるいは「SST の壁」

(↑お、ナイスコピー、などと喜んでいる場合ではない。)

進展なし。

「混乱」があまり切実でなくなってきたのは、困ったことだ。


12/29/2001(土)

年賀状をちょっとだけ書いて出す。

新しいことができないので、第二法則の論文を少しいじる。 (論文をこんなに長いこと放置するものではありません。 よい子はまねしないで下さい。)

12/26 に予告した(←日付をみると三日前か)「世紀の大論文」もやらねば。 証明の部分はすべて書いてあるのだ。 (S 君は読んでいるから証人になってくれるだろう。) あとは、手直しをして、イントロを足してお化粧すればいいだけのはず。

ま、来年だね。


夜、妻が牛乳がないことに気付き、手の空いていた私が近所のスーパーへ。

途中、やはり近所のスーパーに買い出しに行った帰りらしき平野さんに会う。 路上で立ち話をして、T 君の卒研に関連した Bose-Einstein 凝縮体の振動現象について知りたかったことを質問する。 よし、T 君、あの初期条件でいいみたいだよ。

持つべきは、Bose-Einstein 凝縮に精通したご近所ですね。 (さらに、いない。)

お断り: このシリーズを続けると、平野さんも、ぼくも、不意に出会ったとき「あ、またこれを書かれるのかな?」「む。やはり、これもネタにすべきか?しかしあまりやると平野さんに失礼だし」などと内心秘かに悩むことになり心臓に悪いし、そもそも、ぼくら二人以外の読者は(←ていうか、「ぼく一人以外の読者は」が正解か)あきれるだけだろうから、今回をもって終了とすることにしましょう。


12/30/2001(日)

あ。26 日以降の曜日を一貫して間違えていたので、こっそりなおしておいた。

曜日をまちがえていても、まったく実害のない日々ですが。


「非戦」は --- 中学生の娘とかが多用する表現がしっくりくるので使ってしまうと --- 微妙な本ですね。 (戦争反対を訴え、アメリカ中心の世界観を否定する読みやすい本が出版されたことは、もちろん大歓迎ですが。)

われわれが全く知らない情報を提供し、われわれには想像もつかない視点を示してくれる重要な文章もいくつかあります。 それらを読むのはきわめて意味のあることなのですが、残念ながら、一つ一つの文章が相当に短いので、じっくりと情報を汲み取ることができない。 そういう意味での食いたりなさと、次から次へと新しい著者の文章が現れるバラエティーショー的な目まぐるしさ、が共存する本です。 (実は、半分弱くらいしか読んでないけれど。)

さらに、いくつかの文章 --- とくに日本人によるものの一部 --- は、極端に掘り下げが甘い。 「第三世界」での現実に立脚した力強い文章、あるいは、日頃語られない歴史に基づいた説得力のある論説との差たるや「対照的」などという甘い言葉では表現できないものがあります。 ある意味で、日本で流される情報と流布している価値観だけを背景にしている人が如何に甘いものの考え方しかできないかを身をもって示している(その点で、意味がある)と言ってもいいでしょう。

などと偉そうに書いていると、質問が来るかも。

「偉そうなことを言っているあなたはどうなのですか? 何か、人に伝えられるしっかりした情報を持っているのですか?」

「何も持っていません。 テレビで最近言っているようなことを少し知っている程度です。 テレビで知った中村哲氏の本を読み始めて感嘆しているところです。」

「ならば、何か独自の視点があるのですか? この状況でどうすればいいか、という答はあるのですか?」

「独自の視点はありません。 いろいろ悩んではいますが、どうしたらいいのかわかりません。」

「じゃあ、立ってなさい。」

というわけで、立たされながらも、ただ立っているよりは・・と、生活の合間に Hoodbhoy 氏の論説の紹介、などさささやかなできることをしているわけですよ。
12/31/2001(月)

恒例のきんとん作り。

煮てすりつぶした芋と砂糖と水が混ざった流動物を火にかけて、木べらでていねいに練りながらとろ火にかける。 練る作業は(とくに不慣れなぼくにとっては)疲れるので妻と交代で鍋にむかう。 (といっても、妻がつくっていて、ぼくはちょこっと手伝う程度だが。 横でこれを書いてたりするし。) 時間がたつにつれ、徐々に粘性が増し、黄色い不透明のどろどろが、次第に透明になり、輝くような黄金色になっていく。 実に面白い。 (おいしいし。) これぞ日本版の錬金術、というのはどうですか?


大晦日の特集番組の類はほとんど見ていないが、さぞかし、テロだのアフガニスタンだのを取り上げ、「来年こそは平和な年を」などとやっているのだろうな。

そういう日本人的物言いに食傷された方に、中村哲「アフガニスタンの診療所から」の中から、かつてゲリラだったアフガン人のスタッフの言葉を。

おれたちはもうつかれました。 仲間同士で殺し合うのはまっぴらだ。 ドクター、だれがこうさせたんですか。 おれたちは悪い夢を見ていたんだ。 ルース(ロシア)もアングレーズ(英米)もおれはきらいだ。 他人の仲を平気でひきさいて、おかげでアフガニスタンはめちゃくちゃだ。 パシュトゥンはパシュトゥンだ。 おれたちは皆、平和にあこがれてるんですよ、日本のように。
たしかに平和なのです。 紅白のモー娘。を見るまでもなく。

必然的に尻切れトンボになってしまいましたが、みなさま、どうかよいお年を。

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言うまでもないことかもしれませんが、私の書いたページの内容に興味を持って下さった方がご自分のページから私のページのいずれかへリンクして下さる際には、特に私にお断りいただく必要はありません。
田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

hal.tasaki@gakushuin.ac.jp