ううむ。 暇がないなか、捨て身で放った「へへへ、ジョォオオ」のネタ(5/29)であったが、一部で根強い人気を得ている(?)以前のモー娘。ねた(1/23)に受けてくれたかつての教え子の M 君に、あっけらかんと、
あのネタ、なんなんですか?と聞かれてしまった。
でえい。 「明日のジョー」も知らんようなやつは、もはや、教え子でも門弟でもないわっ! (もともと門弟とかいないが。)とどなりつけるのが、愛の鞭だったかも知れないが、そこは穏和に、彼が若者相手にキャプテン翼ネタを使ったら知らなかった話とか、やはり、アンパンマンねたは、最近の若い世代には普遍的に使える、といった和やかな話題をつづけたのであった。 アニメネタの適用範囲世代は思ったよりも狭いのである。
とはいえ、まったく別件でお会いした O さん(物理とは(おそらく)無関係な方である)に、「ジョォオオのところで笑った」とおっしゃっていただき、少し励まされた私でありました。
戻ってくると、T 君の教育実習を見学するため出張。そして、講義。
個人的にも忙しく、なかなかタフな日々になりそうである。 リポビタン D の買い置きは十分。
ひたすら研究会の準備。
何とか完成したが、疲れた。
本当は、京都から戻ったあとの仕事を楽にすべく、いくつかの用事を先取りしてやっておくつもりだったのだが、時間的にも、生命エネルギー的にもちょっと無理っぽい。 帰ってきてからがんばるしかないか。
ま、死なないように鍛えておくなんてことできないわけだしな。などと納得するが、かなり違うか。
諸般の事情により研究会最終日には出席できず京都より帰還。
最終日の講演には期待していたものがいくつかあったので、きわめて残念。 みなさん、ごめんなさい。
幸せになれるだけだと思っていたら、
または、 この場所に帰ってくることができると続いている。
ううむ。 これら二つの効能を同列に並べるというアイディアはいまいち理解できぬ。
とはいえ、ぼくの場合、(前回も鼻に触れているので)まさに二つ目の選択肢が、今朝、実現されてしまったことになるではないか。 おお。予言は当たった!(ことになるのかいな?)
しかし、そういう場合、一つ目の選択肢の方はどうなるのであろう? 何回か、二つ目を選んだ後、最終ターンは一つ目にしてくれるとか? いや、「または」というのは exclusive or なのか、普通の or なのか、などとイノシシ神社(じゃなくて、もっと立派な名前なんだけど)をめぐる謎は深まるばかりだが、悩んでいる暇は実はないのであって、ここらで終わりにして、この書き殴りをこのまま公開してしまおう。
では、また。
「6月6日の参観日」と歌にまで歌われたほど6月6日は参観日日和(びより)らしいが、 今日は一日おくれで参観に行ってきた。 といっても、自分の子供の学校の参観(最近、行かなくなったなあ)ではなく、物理学科の4年生が母校で教育実習をするのを大学から参観に行くというお役目であった。 京都から戻ったばかりというのに、中距離電車に乗り、K 県の H 市まで、じつに片道2時間かけて(その間、すこーと眠ったり、明日の講義の構想を練ったり、すこーと眠ったり、すこーと眠ったり、統計力学の本の構想を練ったり、すこーと眠ったり、すこーと眠ったり、すこーと眠ったり、SST についていくつかの事を考えたり、すこーと眠ったり、すこーと眠ったり、個人的な関心事について考えたり、すこーと眠ったり、とまあ充実した時間ではありました)行ってきたのだ。
でも、普遍性に誓って、これは嘘でもやらせでも何でもない。 T 君にもらったスケジュール(←俺の都合を聞かずに決めただろ)のとおりに出かけていって、ふと気になって、去年の日記を見たら、まったく同じ日に参観に行っていることに気づき、びっくりしたのであった。
ちょっと疲れていてネタを膨らます根性がないので、これぞイノシシ神社の巡り合わせがどうしたとか、富士山の標高の謎がああしたとか、そういう話にはならないのであった。
生徒たちも素直で熱心でよかった。 (授業中はちょっとおとなしすぎ。) 休み時間に黒板に質問に来た女の子には、ぼくが答えちゃった。
「6月6日の参観日」と歌にまで歌われたほど6月6日は参観日日和(びより)らしいが、 今日は二日おくれで参観日であった。 といっても、自分の子供の学校の参観(最近、行かなくなったなあ)とか教育実習の参観(ふう)ではなく、今日のぼくの統計力学の授業を参観してくださった方々いたのである。
ええ、今日は、参観週間ということで、後ろの方に、みなさんのご父兄がいらっしゃっています。と冒頭で言ったのは、もちろん、冗談。 よその方がいらっしゃるんだから、もっと受けてくれよ。
実際は、
学術会議物理学研究連絡委員会物理教育小委員会 (絶対に覚えられない)の皆さんが学習院大の物理学科を視察される一環として、ぼくの講義を見てくださったのである。 なんと光栄な。 (そういえば、昔 Princeton で教えていたとき、突如、インド人みたいな偉そうな人が二、三人、大学の人に案内されて教室の後ろに入ってきて、ぼくの授業を見学していたことがあった。 一年契約で雇っている日本人の教員の授業を視察してどうするんだろう、と思った。)
しかし、だからといって、特別な事はしない。 ぼくも、いつも通りの T シャツ。 学生さんも、そんなことは事前に知らないから、いつも通りの集まり具合。 必ずしもいつも通りとは言わないけど、遅刻してくるのもいる。 (おまえだよ、おまえ。) で、ぼくは、いつも通り全力で書きまくり、しゃべりまくり、統計物理の神髄を伝えることを目指す。 学生さんたちも、いつも通り一生懸命こちらを見てうなずいてくれる。
こうして、あるがままの、ぼくらの講義の姿を、ええと何だっけ、学術会議物理学研究連絡委員会物理教育小委員会(←主任からのメールをコピペしている)にご覧いただいたのであった。
さて、午後に、廊下を歩いていると、すれ違った学生さんが
先生、今日は気合い入りまくりでしたね!!う。 やっぱし、ちょっち「いつも通り」じゃなかった?
廊下のあっちに学術会議物理学研究連絡委員会物理教育小委員会の方がいらっしゃるんだから、大声で言うなって。
個人的な多忙さが一段落で、「生涯でもっとも多忙」と呼んだ時期は過ぎた。
というわけで、午後はめいっぱい会議だけれど、午前中は、久々に気になっていた論文を読んだり、次にやりたいことがどれくらいできそうかを妄想したり、書こうと思う論文の構想を練ったり。 物理の研究者として時間を過ごすのはとても愉しい。
とはいえ、書かねばならぬもの、やらねばばならぬことが片づいているわけでもないので、本当はまだ忙しいのである。
というわけで、ものすごく面白いオチを考えていたのですが、書いている暇がありません。ごめんね。
(↑一時期の吾妻ひでおかよ。)
さて、今さらながらだけれど、ぼくも、NHK でやっているプロジェクト X がおもしろいなと思い始めつつあり、日常生活や研究生活でも、つい(田口トモロヲの声で)
「米は、おれが、研ぐ。とか
掃除機を、かけろ。」
「まず、現象論を、つくれ。」などとやってしまう今日この頃で、いつかは、プロジェクト X ネタでなにか書きたいなどと思っていた矢先、最近、ふとしたきっっかけで見るようになった中野さん(←お会いしたことなし(← K 岡さん(←お会いしたことなし?)風))のところの今日のこれを見て、
それが、大野の哲学だった。
うまい。と思いましたので、URL 紹介は原則としてしないという原則を破って、これを紹介させていただくものであります。
おれに、できることは、もう、ない。
間に合うかどうか余談を許さない情勢ですが、ともかく他の雑用が入らないことを祈って、がんばります。
「一日半で、書いて、みせる。」
そう言い切りながらも、田崎は、一抹の不安を感じていた。
ふへー。最後まで来た。
しかし、後半の読み直しと修正はまだ。 文章も練れていない。 明日の講義の準備も不完全。これからやらなきゃ。
締切厳守はちょっと無理かも。
不安は、的中した・・・
昨日はよく働いた。
研究会の予稿を午前中に仕上げて郵送し、それをきっかけに、
ずっとためにためてきた半ば学問に関連する小さいがそれぞれ気配りを要する雑用たちを次々と片づけていった。 そうすると、それに関連して考えるべき課題なんかもでてきたりして油断ならない今日この頃なのであった。
というわけで、予稿をここで軽く公開しておこう。 「熱力学、統計力学、そして、量子論」という無茶なタイトルですが、基本的には、
実は、昨日、会議の世話人に送ったあと、友人たちから「Boltzmann の原理」という用語の使い方が不適切との指摘を受け、そのあたりの脚注を書き直したりした、という正規バージョンよりも新しい海賊バージョンである。 ダウンロードや印刷は営利目的に使用せず(←どうやって営利に使うのだろう?)個人として楽しむためにやっておくれ。 pdf 版と ps 版です。 (6/27 改訂版に差し替え。)
この発見は、「伊東家の食卓」のバイオ系科学ネタ裏技としても十分に通用するかも知れないと思われる。
そりは、何を隠そう(←隠さないから書いている)
えびすビールを発泡酒の味に変えてしまう裏技という恐るべき技なのである。
やり方は、しごく簡単で、
(ぼくらの世代付近の人は必ず遠足のおやつに持っていった、あの)「都昆布」をつまみにして、えびすビールを飲むだけである。 これは、なかなか強力な技であり、
「しまった」と思って、都昆布を食べるのをやめてビールだけ飲み続けても、もはや発泡酒の味のままになってしまうという驚異の履歴効果をもっている。 みなさんも、是非とも追実験をして、この効果の存在を確たるものにしていただきたい。 (ぼくは、二度とやらない。)
さて、この「高価なえびすビールを安い発泡酒に変えてしまう」というニクメナイな裏技、いったいどのようなからくりなのでしょうか? 実は、都昆布にはグルタミン酸というアミノ酸の一種が含まれているのですが、それが、えびすビールに溶けている二酸化炭素と舌の表面で反応すると、「表面発泡効果」と呼ばれる現象をおこし・・・などと、何にでも現象に名前をつけて説明した気になっちゃいかんですよね。>伊東家(とか)
おおおおお。 光陰矢の如し。
講義はどれも後たったの三回ではないか。 夏は近し。 着地点をみきわめなくては。
ともかく、レポート問題をいっぱい印刷。
私の発見への挑戦と理解していいのだろうか?
それとも、実は
都昆布をつまみにして発泡酒を飲むとえびすビールの味になるといった相反関係(←ちがうか)があるとでも・・ (←これって、いかにもとってつけたような「ネタがなかったときの web 日記風オチ」で自己嫌悪。消そうかな。)
19日に、一瞬だけ公開して、すぐに隠してしまった予稿「熱力学、統計力学、そして、量子論」ですが、Boltzmann の原理という用語の使い方(一般には、ぼくが書いた内容に相当する Boltzmann's sea というキーワードが使われる)の問題のみならず、large deviation への言及の仕方が適切でない、ことなどを指摘され、確かにそうなので(あそこに書いてあるのは、基本的には単なる鞍点法の評価に過ぎず、それは large deviation では Varadhan's lemma と呼ばれるものに相当する。large deviation property との関連はあるが、そのものではない。)、誤植もみつかっているし、ちょっと手直ししてからお見せしようと思っています。 なかなか時間がとれないので、もうちょいしまっておきます。
と、そこへ、更に、あの文章についてのコメントを書いたメールが舞い込んだ。
差出人は、みなさんにはお馴染みの、あの「今日、食ったんだ、大プリッツ」(←すみません)のページの作者でもある中村匡さんであった。 (中村さんについては、4/17 の雑感を参照。) さて、この中村さん、(う、嫌いな文体の予感)本職は宇宙空間プラズマの研究者というだけあって、統計力学にも熱力学にも鋭いセンスを持っていらっしゃいます。 あの SST についても、ぼくの「雑感」でのラフな説明だけで本質を的確に理解し、たちまち独自の計算をやってみせたというから、さすが。
というわけで、今回も、なかなか鋭いご指摘なのですが、それを紹介する前に、今や幻の草稿(って、ちゃんと会議の主催者に予稿として送っとるんだな。すでに)となった「熱力学、統計力学、そして、量子論」から中村さんのご指摘に関わる部分を抜粋しておこう。 3.7 節の最初の段落。
こうして、急ぎ足に、熱力学と統計力学の大枠を外観してきたわけだが、今までの筋書きをていねいにたどると、一つの理論的な疑問が生じるだろう。 仮に、ある具体的な量子系の Helmoholtz の自由エネルギー F[T;V,N] を知りたいとして、その統計力学的計算を試みるとする。 このとき、以上の解説を読んだだけでも、以下の二通りの計算法が考えられる。これに対して、ナカムラさん曰く
・・(中略)・・・
しかし、もし二つの方法が、異なった熱力学関数を導いてしまうのなら、われわれが素描してきた熱力学+統計力学の体系は、内部に矛盾を含んだ無用のものということになってしまう。 それでは、困る。
余談ですが「雑感」を愛読していると3.7節の最初の段落の最後の部分「それでは,困る」というのが,頭のなかでは田口トモロヲの声になってしまう。なんということだろう。
web に書き散らす雑文(6/14)ならいざ知らず、参加費が 10,000 円(←ほんと、ぼくなんかからすると、超びっくり。理論物理の国内研究会は普通ただです。こういうところの常識は分野がちょっと変わると大きく変わるのだねえ)というシリアスこの上ない会議のために入魂の書き下ろしの予稿を書いたというのに、科学的な内容についてならいくら厳しくコメントしていただいても大歓迎だが、よりによってそんなフザケタご感想をいただくとは、大いに心外、
と、言いきりたい田崎だったが、その心中には、複雑な思いがあった。
実は、書くときも、その声が浮かんでいた。つーばめよー。たーかいそーらからー。
校正は忘れた頃にやってくると昔からいうけれど(?)、今度ばかりは、本当に忘れすぎ。 (加筆補足:「忘れすぎ」の主語は田崎です。 まず、去年の 11 月に最終原稿を送ってから、ずっと忘れていた。 ついで、今月の冒頭に、「ご校正は6月中旬〜末日にお願いする予定です。」というメールをもらったものの、そのことをコロッと忘れていた。 後者については、責任は私にあります。)
Elliott Lieb, Jacob Yngvason の "A fresh look at entropy and the second law of thermodynamics" Physics Today 53, no. 4 の翻訳の初校がパリティから送られてきて、今、校正をみているのだけれど、なにせ、日々の雑感を書き始めて間もない 5/29/200 の記事に翻訳依頼があったとある。 で、ぼくにしては珍しく夏(8/6/2000)には「ほぼ完成」とあり、そのあと、ほどなくパリティに送っているはず。 (加筆訂正:実際に送ったのは11 月に入ってから(11/5/2000)であった。すみません。)
時は流れ、少年は老い、もうすぐ、次の夏がやってこようとしているではないか。 随分と寝かせてくれたものよのお。パリティさん。
ま、その遅れに文句をつける気はないけど(今、調べてたら、つけたくなってきたぞ。期限をつけて翻訳依頼しておいて、やたら延ばしておいて何のいいわけもないんだから)、「ご校正にあたって」という慇懃無礼な注意書きの冒頭の、
・校正刷りは、いただいたデータに手を加え、出力したものです。には、はっきりいって、心穏やかではいられないぞ(つうか、むかつく)。 (強調は原文のまま。括弧に入れて、強調するとは、いかなる精神構造か? どうでもいいけど、TeX を TEX と書いてるのも原文のまま。)
引き合わせをしていただく必要はございませんが、表記にはご注意ください。
(なお、TEX でご執筆いただいたお原稿は、プリントアウトをもとに、デザイナーが新たに組み直しております。データを利用しておりませんので、ご注意のうえ、ご確認くださいますようお願いいたします。)
そもそも、
データ使ってないなら、「データを使った」とか、まず書くな。 どっちなんだ。と思うのが人情。
で、何が悪いって、TeX の人と、そうじゃない人への注意書きを一枚で済ませようとしているのが、滅茶苦茶悪い。 どっちの人にとっても混乱の種でしょうが。 単に二種類の注意書きを用意して、それを使い分ければいいだけのことです。 ワープロ持ってるんでしょう?
こういうずさんんさというのは、 はっきりいえば、内輪の同人誌的なノリであって、プロとして他人に仕事を依頼する態度ではないのである。 実は、パリティにそういう体質があることは、前回の21世紀座談会(1/15, 1/16)でも痛感したのだが、今回、さらにその感を強くした私である。
で、さらに何が悪いって、いくら TeX が使えないからって、 TeX file は、誰でも読める text file 何だから、文字データはそのまま使うべきなのだよ。
こっちだって忙しいんだから、
段熱的なんて誤植を直して時間を費やすのは猛烈に不快なのだ。
「熱力学、統計力学、そして、量子論」は幻では終わらず。 昨日の午後、必死で改訂版をつくり、差し替えました。
(取りあえずの)最終版を公開しておきます。(pdf 版, ps 版)
残り二回となった講義の着地点を探る。
(↑いつもと作風が違うぞ。)
普通、それで「ま、言い過ぎたか」って感じになって昨日の愚痴を削除したりするんだろうけど、しません。 そのかわり、事実誤認については、読者に誤解を与え関係者にご迷惑をおかけしたことをお詫びしつつ、二箇所加筆しておきました。
今日、明日と研究室のセミナー合宿で秩父へ。
宿に軟禁されて、 ずっと学生さんの発表を聞いて過ごします。
昨日の夜9時過ぎに見に来たら OHP が一枚もできていなかった××君はどうなったのであろう。
ま、ともかく、行ってきます。
まったくあわただしい一ヶ月であったが、個人的には、とても長く感じた。