日々の雑感的なもの ― 田崎晴明

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茶色の文字で書いてある部分は、相当に細かい仕事の話なので、ふつうの読者の方は読み飛ばしてください。


2/9/2002(土)

あー。あー。

ただいまマイクのテスト中。

あー。あー。本日は晴天なり。(←まじで)


かなり間があいてしまった。

この「雑感」に詳しく書くようなことじゃないですが、ここしばらく、個人的にエネルギーと時間を使うことが二つほどあって、そのため、色々な意味で余裕がなくなっていました。 (研究者にとって重要なのは「勤務時間」外だし。) その内の一つが二月のあたまに終結したので、圧倒的に楽になりました。 (もう一つは、半年くらいは収束しないけど、ま、ずっと楽。)

今は、やたらと蓄積してしまった雑用を片づけたり、考えるべきだけど保留してあったことを考え始めたり --- と、リハビリをしながら少しずつ体制を整えているところ。 本来なら、すぐにでも、メールを書いたり議論したりすべき方が何人かいらっしゃるのですが、もう少し時間をください。 あと、遅くなりましたが、レスポンスが悪くて本当に申し訳ありません。 もう少しで、元来の私の勢いを取り戻す予定。


身辺整理の一環として、髪を切り、レフェリーを一気にふたつも片づける! (←お断りのメールを二通書いただけだけど。)
2/14/2002(木)

たまっている雑用を片づけ、埋もれている書類や文献や計算ノートなどを紙の山から発掘し、ぐちゃぐちゃに散らかった部屋を少しでも整える --- という方向へのささやかな一歩を踏み出しつつある今日この頃です。

しかし、あれですね。

web 日記というのは、ほぼ毎日書くペースに入ってしまうと延々と書き続けるのに、今回みたいに、どうしようもなく忙しくて十日以上も書けなかったりすると、さして書こうとしなくなるものなんですね。

前に「打率」とか話題にした、論文の話も似たようなもんで、毎年何本も書くペースに入っていると、ついつい癖になってなんだかんだと論文を書き続けてしまうみたい。 でも、意識的にテーマを変えるなどして、あえて論文をいっさい書かずに一年とか過ごすと、そういう変な癖が抜けて、多少結果がでてもとりたてて論文など書かない、という正しいペースが得られます。 というか、ぼくは、そうでした。

などと、軽い話にして終わらせてはいかん、いかん。

この話題については、早川さんやら牧野さんのご指摘・ご意見を受けて、もっと真面目に続きを書かにゃいかんと思っとります。


すでに「Pervez Hoodbhoy 氏の論説とセミナー・講演会の情報」のページでお知らせしているように、Hoodbhoy 氏が今月の末に来日されて、筑波と横浜で講演されます。

東京からはどっちも遠いのですが、ぼくは、慣れていることもあるし、気楽そうだし、 入場料もいらないので、首藤さんの主催される筑波のセミナーにでようかな、などと思って日程と相談中です。 (って、手帳ももってないし、部屋のカレンダーも 2001 年のままなんで、日程もへったくれもないのではありますが。)

あと、筑波大の首藤さんから貴重なコメントいただいて、「ムスリムと西洋」の翻訳を少しいじりました。 これで人名もすべてカタカナ表記になったし、これ以上は訳を修正することはないだろうと思います。

首藤さんは、国際政治学の専門家なので、こういう方に訳をチェックしていただけたというのは、本当に心強い。 あと、以前にも、歴史の専門家の方からもコメントをいただいています。 いくら英語を読んだって、基本的に無知だと訳しきれないところは多々あるわけで、ああいうものを訳すのは実は恐ろしいことなのだと思います。

Hoodbhoy 氏関連の三つ目。

彼が最近 THE NEWS という新聞(だろうね)に掲載した THE WAGES OF OBEDIENCE(服従の報い)という論説を送ってくれたので、これもこちらで読めるようにしてあります。

これはパキスタンの外交方針などに関した論説です。 ぼくは、これを訳したり、あるいは(前みたいに)どなたかの訳を推敲してこちらで公開したり、といったことをする予定はありません。 時間的余裕もないし(←前は時間があったのか、というと・・・なかったですね)、また、それをする能力はないので(←前のについては能力があったのか、とつっこまれそうだけど)。

ううん。やっぱ舌足らずだから、もうちょい。

老場心、もとい、老婆心ながら言っておくと、たとえ時間があっても、よほど英語ができて、かつ、パキスタン周辺の政治事情に詳しくないかぎりは、こういうものを訳して公開しようとはお考えにならない方がいいと思います。 はっきり言ってしまうと、「翻訳なんて、単語を全部辞書でひいて、あとは日本語がすらすら書ければ、できてしまう」とか思っている人もいるようですが(というか、そのノリでやってしまった「翻訳」がばんばん出版されているのが日本の現状みたいですけどね)、そういう「翻訳」を生産する意義はきわめて低いです。 とくに今度の論説みたいに政治的にデリケートな内容を扱った文章を、不正確に、かつ、流ちょうな日本語で訳してしまうと、誤解を蔓延させることになり、かえって害になると私は考えているわけです。


2/15/2002(金)

Pervez から来たメールに "See you next week." と書いてあるのを見て、

月末に来るのに next week とは気の早い人であることよ
と笑っていたのですが、詳細な計算によれば、たしかに彼が来日するのは来週なのですねえ。

やはり今年のカレンダーくらいは入手せんとまずいなあ。

月めくりだとけっきょくめくり損なって何ヶ月もたってしまうので、あの一年がばっと載ってるポスターっぽいのがいいんだよね。 銀行とかでもらってこようにも、もう遅いから、年末まで待つしかないか・・


2/20/2002(水)

お待たせしました。 「世紀の大論文」計画、実況中継シリーズです。 (「世紀の大論文」について知りたい人は、12/26/2000, 12/28/2000, 1/1/2001 などを参照)

2000 年の暮れから2001 年の冒頭にかけて、定義や証明だけをざっと書いて、そのまま放置してあった「世紀の大論文」。 さすがに気まずくなり、自分を励ます意味も含めて、草稿の存在をアピールしたのが、12/29/2001 の雑感でした。(←書くと宣言してから一年以上たってる。) が、さいわいにも、この一行が、人(々)の関心をよび、南は九州から、北は九州まで、ゼロでない人数の方からお励ましとお問い合わせのメールをいただくことができました。 全員のお名前を挙げる余裕はありまして、田中さん、忘れずにいてくださって、ありがとうございます。

というわけで、前から Hubbard 模型などのテーマについて、議論してもらっていた九大の田中さんに書きかけの草稿をメールで送ってご意見を求めることとなった。

すると、田中さんは、実に、すばやく草稿の議論を解読し、わずか数日のうちに、なんと、主要な補題の「証明」におかしい点があることに気づき、補題が成立しない例についての詳細な計算までをもおくって下さったのだ。 これが、二月の冒頭。

ここで、衝撃を受けた私は Hubbard 模型に全力を集中し --- となるのが正しいのだけれど、みなさんご存じのように、その時期は「雑感」も書けないほどに(←おいおい)あわただしい日々を送っていたので、困ったことに田中さんのコメントに神経を向けることができなかった。 申し訳ないとは思いつつ(←9 日の「雑感」で「すぐにでも、メールを書いたり議論したりすべき方」に謝っていますが、これは主に田中さんへのごめんなさいでした)雑用をこなしたり SST に関連する緊急のことに頭を使ったりしていたのだった。

ようやく、Hubbard 模型の強磁性に頭が向いたのが、月曜日。

S 君の卒業研究の状況について議論し、その他 FF10 などについて 関連することがらを議論していて、ようやく「いけるぞ」という感じになって、田中さんのコメントを二部印刷して、一つを S 君に渡した。 その夜は、ぼくは、他の仕事 や FF10 をするかたわら、田中さんのノートや自分の論文の草稿をパラパラと眺めながら、半信半疑のまま、問題の核心を思い出そうとリハビリ。

火曜日。

朝、家からメールチェックをすると、S 君が早朝の五時頃に書いたメールが来ている。 一晩かけて、何度か詳細な計算をした結果、田中さんの反例は完全に正しいとわかった、よって、ぼくの草稿の補題は誤りであろうとある。

ふぉっふぉっふぉっふぉっ。 こうこなくては。 久々におもしろくなってきたぞ。 (←久々の太でか文字だなあ。)
そのまま家で論文を広げ、自分の「証明」の子細な検討に入る。

ううむ。たしかにミスがあるぞ。しかも、けっこうスカなミスではないか・・・

「腐ってやがる・・・。早すぎたんだ。」というフレーズが頭をよぎった --- というと嘘になりますが、たしかに、まさにそのとおり。 Hubbard 模型の問題に完全復帰しないまま、あせって、2000 年の暮れに作業をおこなったのが災いしたようだ。 (でも、2000 年の間に書き始めないと「世紀の大論文」にならなかったしなあ。)

午後、教授会のために大学に来てメールをチェックすると、またも、強磁性の共時性! 田中さんから二週間ぶりのメールが届いているではないか。 ぼくのミスについてさらなる考察がある。

論文や田中さんのノートをもって、上の空で教授会に。 頭は自動的に Hubbard 模型のことを考えるので、急に自分が説明する番になってあたふたする。

田中さんの反例により、もっとも強い形での補題が成立しないことは確実になった。 あるパラメターの範囲を制限したやや弱い形での補題は成立するはずなので、そちらを示すのができうる最良のことだろう。 (以前のレター論文にアナウンスした結果は、弱い形の補題に対応する。 (レター論文に誤りはない。)その後、もっと強い結果がいえると錯覚した時期があり、それを、二十世紀の終わりの世紀末草稿執筆の際に無反省にひきずってしまったのだった。 世紀の大不覚である!!)

レター論文に書いた謹厳実直な方法の素直な拡張、という、最後の手段があることは、前から知っている。 しかし、これをやると、延々と長い式や評価を連ねてろくに楽しくない結果の証明をすることになり、読者と著者の精神衛生によくない。

田中さんや S 君にメールを書きつつ、いくつかの証明の方針をたてる。 うううむ。 今夜は、 FF 10 は、やらずに 行列要素を書き下して、がしがしと固有値の下限の評価をするか、と覚悟を決めて家へ。 しかし、さいわい(?)キャベツがないという妻と MD が足りないという娘の声をうけて、近所のスーパーとコンビニに買い出しにいくことになった。 年を取ると怠慢になるので、なるべく、ハードな計算を回避して楽な証明ができないか、ということに頭を使うようになる。 とくに、(スーパーに向かうときなど)紙も鉛筆もないときには、非常に細かい計算を要する証明はできなくなるので、必然的に、楽な証明の路線を模索する。 と、お菓子売場あたりで、非常に楽そうな方法の概要がみえた、みえた。

ふう、これで個々のモデルに応じて固有値の下限を評価する必要はなくなったし、モデルも今のまま一般のが扱える、と残りの道で細部を検討しながら家へ。 田中さんと S 君に安心のメール。

明けて水曜日が今日。

膨大なメールのやりとりのなかで、新しい証明に未だにミスやら考えたりない部分があることを田中さんに指摘されてあせって修復したり、等々の紆余曲折はありましたが、夕方に大学に来た S 君と黒板で議論した段階では、証明に穴はないようである。

というわけで、ようやく、かつての自分の仕事の核心を思い出し、自分の証明の方針を再理解することができた気がする。 このままで終わるとこの日記にはなんのオチもないけど、でも、こういう話の場合の自然なオチは「実は新しい証明にも穴があった!!」とかそういうことだろうから、オチなんてない方がよいのであーる。


2/21/2002(木)

今日は多忙。

ただし、昼は I さんの新しい店の新しいラーメン。 もっとも成功している店舗をあえて弟子に譲り、自分は新たな場所で新たな(一般受けしそうにない)ラーメンを作る。 いいねえ。 まるで、どこかの(←って、ここの)理論物理屋が喜びそうな話ではないですか。

明日は筑波に行って Hoodbhoy 氏と昼食をとり、彼のセミナーにでる。


2/22/2002(金)

筑波より帰還。

Pervez は、予想通り、エネルギーと強い意志をもった理知的でかつ思慮深い人物だった。 短時間だったが、物理の話と政治の話を少しした。

セミナーの聴衆はきわめて国際的。 かつて Pervez の教え子だったパキスタンからの留学生たちが数人やってきて熱心に議論していたのが印象的だった。 政治に無知なぼくにとっても有意義な会だった。 セミナーの後は Pervez とかつての教え子のみなさんと首藤さんと元気な日本人の学生さん二人とコーヒーをのみつつ雑談。 さいごは、バスで帰るぼくを、パキスタン人の学生さんたちがていねいにバス停まで案内してくださった。


2/25/2002(月)

明日から卒業研究と修士論文の発表会。 あわただしい。


Hubbard 模型の方は、「楽観的な補題」に関して田中さんがつくった反例の心をより深く知りたいところ。 1 次元のもっとも単純なモデルでは、「楽観的な補題」は正しい。 これがどこから破れてくるかというのは、この問題を掘り下げようと思うと、重要な問題になってくる。

と思っていたら、何も言わないうちに、S 君がすばやく的確な切り込みを入れてくれた。 1 次元の次に複雑な「腕が三本」のモデルでも、「楽観的な補題」は正しいらしい。 つまり、田中さんの扱った「腕が四本」以上のモデルになると、境界に変なモードが住みついて悪さをするのであろう。 もちろん、オタッキーな問題なのだが、それでもちょっとずつ様子が見てくるのはうれしい。

的確に問題を設定し、泥臭い力技の計算に基づいた厳密な評価で物理を浮き彫りにしていく S 君のすばやい動きはおみごとである。

考えてみると、急激に展開する事態のなかから、「何かあるぞ」という空気をかぎ取って、あやしいと思う方向に向かっていって、それまで身につけた技のすべてを駆使して敵を倒す --- というのは、まさに RPG の王道ではないか。 何を隠そう、S 君はわたしの RPG の師匠の一人だから、Hubbard 模型についての彼の貢献も大いに納得できるではありませぬか。 (それにしても、分岐もなければ、しょちゅう引き返しもできなくなるってのは、RPG 精神に反しすぎじゃないか、 FFX ?)


2/26/2002(火)

S 君の卒業研究発表が無事おわったと思ったところに、田中さんからのメール。 彼のつくった反例に関する S 君の結果はおかしいのではないか、と元祖からの意見である。 6 ページのきれいな TeX のノートまでついてきている。 さあ、倒したと思った敵が復活してきたぞ、どうする S 君?

やっぱ、人のつくったゲームなんかとは比較できないほどおもしろいよね。


2/27/2002(水)

「楽観的な補題」の反例に関しては、田中さんに一日の長があったようで、S 君の計算にミスがみつかった。 予想を立て、計算し、証明し、ミスに気付き、修正し・・・というのこそが理論家の生活だから、これでよいのである。 S 君の卒業研究の本題の方はほぼ完璧のようだけれど、決して油断するでないぞ。

しかし、ぼくの方は、計算は若い人たちにまかせて横から勝手に偉そうなことだけを言っている悪しき理論屋のじじいのようになっているではないか。 いかん、いかん、いかん。


卒業研究と修士論文の発表会は無事に終了。つかれた。

非常にしっかりしていて感銘を受けた発表があった。 そう、君のだよ、君の。


卒業判定と進級判定の時期となり、教務委員にとしては、気が気ではない。
2/28/2002(木)

あーあ。この時期の教務委員は洒落にならないほど面倒なのだけど、ま、そんな話はやめとこう。


ふむふむ。 driven lattice gas みたいな並進不変な非平衡定常状態のモデルの平均場近似(d→∞ 極限ともいう)を素直にやれば、long range correlation も見えるんじゃないの。 かつ、短距離の SST 的ふるまい(これは系に固有)と長距離のべき的相関(こっちは系の詳細によらず普遍的で面白くない)の分離も自然に見えるはず。 --- などということを、卒業研究・修士論文発表会のあいまあいまに考えていたのです。 (顔がこわばったり、急に笑顔になったりしてた?)

それにしても、なんでこんなことを今さら認識するのだ、おれは? 技術的には、数理物理 2001 で発表した話(この時期は超過密スケジュールで、日記もわやくちゃだけど、たとえば 9/23/2001)について、あとで佐々さんとやりとりしたことに尽きているのに・・

いずれにせよ、いろいろなモデルで、近似の度合いを調整しながら systematic な計算ができるような気がする。

上記観察に嘘がないとして、これを十分に高次元の希薄な系で厳密化できるか、というのが、重要な問だ。 d→∞ 極限の厳密化(正確には、極限の計算から予想された結果を、十分高次元のまともな系において証明する)といえば、数理物理の世界ではかの有名な lace expansion があるわけで、そのエキスパート中のエキスパートたる原と来週会う時に何か学べないだろうか、とか夢想する。 あ、でも、パーコレーションや self-avoiding walk とは、なにか本質的に違う気もしてきたぞ。 粒子はいっぱいいるなあ。 あ、でもパーコレーションだってそうだよな。 あ、でもあっちは臨界点か。 ええと、こっちは高温側でいいとすれば、臨界点よりましなのか? ううむ、わからん。ぶつ。ぶつ。


それはそうと、
忘れないうちに Hubbard 模型の補題の証明をちゃんと書き下しとけよ!

と、でかい太字で自らを戒める生真面目な私であった。

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田崎晴明
学習院大学理学部物理学教室
田崎晴明ホームページ

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